東方付喪録   作:もち羊

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難産でした。


白狼天狗

 剣と拳が交わる。その度に火花が散った。

 

 椛の攻撃方法は一つ。盾で攻撃を防ぎ、剣で相手を倒す。それのみ。しかし、妖怪として長年鍛練を続けたその技は、見事と言う他ない。

 盾は微妙に逸りがあり、中央で受ける場合は頑丈な盾となる。当然、それ以外ーーー受け流すという動作にも、その盾は対応する。曲線状に少し逸りがあるお陰で、受け流す際にも無駄なく力の行き場を惑わせる。

 

 今も、萃香の蛇のようであり弾丸のようとも取れる左の一撃を、体捌きを活用しながら盾で受け流す。

 力を振り絞った際の攻撃が外れる事は、存外苛立ちが募るもので。拳を放つ萃香も、自らの頭の中で沸騰していく間欠泉のような苛立ちに、少しばかりの不安を感じた。

 

 そしてそう間も無い内に椛の反撃が行われる。

 

 次に振るわれるのは大きな剣だ。椛の背の丈ほどありそうな黒鉄で出来た大剣。それは剣のようでありながら、斬ることに特化されていない。どちらかと言えば、押し潰すに良きを置いたような形状だ。

 初めて見る者には、その剣が剣だと判別しにくいだろう。対峙している萃香も、さながら鉄塊のようだと認識せざるを得ない。

 

「フンッッ!!」

 

 強い掛け声と共に、大剣が地面を割った。

 それは萃香が大剣の振り下ろしを躱したという結果であり、同時にその大剣の威力を示す機会にもなった。

 土が、堅く硬く固められたその大地が、まるで西瓜割りの西瓜のように、弾け飛んだ。

 

 砂利が飛ぶ。泥で水っ気を帯びた泥の飛沫が、萃香の可愛らしい顔を汚す。

 打ち付ける雨のように顔へと当たる泥飛沫。その中の一つが眼球へと刺さった。視界が、一瞬だけ泥によって塞がれる。

 

 それを当然見逃さぬ椛。地面に食い込んだ大剣を、力強く引き抜くと同時に萃香へと振るう。

 萃香は予測していた。そして振るわれる直前の風の動きや音によってある程度のルートを絞り、足捌きでは避けれぬと判断、咄嗟に地面へ倒れ込む。

 

 空気を裂いたーーーなんて軽い表現じゃない。更に上、空間を裂いたのだ。実際には、空間を裂いたと勘違いするほどの音と剛速で大剣が振るわれただけだが、少なくとも萃香はそう思った。

 

「意外とやるじゃないか、あんた」

 

「どうも」

 

 萃香は椛が大剣を振り終わった瞬間を見定め、地面に手を付き、そのまま力強く両の足を突きだした。狙うは顔。有り余る力を利用した、ほぼ死角からの両の脚蹴り。

 萃香は決まると確信した。何故ならば、椛はこちらに一度足りとも視線を向けていなかったからだ。彼女は気付いていない。そう思ったからこそ、萃香は確信出来たのだ。

 

 ーーーだが。

 

「なにっ!?」

 

 萃香の放った蹴りは、椛に直前で避けられ、しかもその強靭な牙を以て噛みつかれてしまう。

 

(奴はこちらを見なかったハズだ。何故分かっーーーっぐぅ!!)

 

 痛みが、思考を打ち切る。何が原因かなど考える暇などなく、振り回された際に起こる視界の点滅を、まるで他人事のようにぼぅっと眺めながら、現実という名の地面に打ち付けられる。

 小さい血が飛んだ。それは自らの鼻から出たのだと気付くには、一拍遅れる。

 

「ぐ、畜生っ!!」

 

 電流が迸るかのような痛みが、萃香の顔を焼く。

 多分、鼻が折れた。そして、遅れてくるように噛みつかれた脚の部位が悲鳴を上げる。

 

 白狼天狗は、他の天狗と違い牙があるのだ。それは狼としての血が混ざっているお陰か、それとも進化の系譜か。何れにしても、その牙を活かすように白狼天狗の多くは下顎の力が強い。椛ほどになると、噛み付いたまま人一人を軽々と振り回せる強さを持つ。

 

 そして振り回すということは、当然振り回される側の人間にも負担が掛かる。主に遠心力や重力などがそれに当てはまる。萃香もそれについては例外ではない。鬼としての元々の強靭な肉体を持つからこそ、脚ごと噛み千切られてはいないが、それでも痛いものは痛い。

 

 足をばたつかせて抵抗するも、椛は離さない。

 

 痛みに耐える萃香に対して、椛は止めを刺そうと、今度はプロペラのように振り回し始める。

 これには鬼と言えど堪ったもんじゃない。

 風圧による視界の圧迫に加え、遠心力と激しいGによる一部身体の機能の低下、そして最も不味いのが込み上げてくる吐き気である。

 

 普段、こんな状況に陥る事なんて滅多にない。故に、慣れ以前の問題。耐性なんて付く筈もないのだ。

 痛みが。不快感が。吐き気が。身体中を芋虫のように這い回る。早く開放されたいと残された思考で必死に考えるも、主導権は椛だ。例え無様に許しを乞うても、例え萃香が身体中の体液を撒き散らしたとしても、この地獄は終わらない可能性だってある。

 

 途端、顔が青褪めた。

 

 いつ、いつ終わるんだ、これは。

 

 まだか、まだなのか……!

 

 手放しそうになる意識。だが、もし手放してしまったら、萃香の敗けが確定する。強くなると誓った矢先に、だ。戦いとは、闘争とは想定外と理不尽の連続。地力で相手が勝っているのならば、漫画のように逆転劇など起こる筈もなく、ただ蹂躙されるのみである。

 

 嫌だった。負けるのは嫌だ。

 

 それは純粋な本能。

 

 人の負けず嫌いという性格からも見て取れるが、生物は負けるのが嫌いである。古来、闘争という生存競争に身を置いていたからか、生物の根底には勝利への渇望と敗北への恐怖が見え隠れしている。

 鬼というのは、その性質が極端に拗れてしまった者の末路……とでも言うべきか。

 

 とにかく、鬼は勝負が好きで、負けるのは嫌いなのである。そしてその遺伝子は、忘れ去られた鬼である萃香も身に宿していた。

 

「ぬぅっ!!」

 

 弓のように身体をしならせ、椛の服の裾を掴む。

 掴めたのは垂れた袖裏。上半身の衣装と分離していたのが僥倖だった。けれど、椛はそれを理解して尚振り回すのを止めない。

 鬼の腕の力。白狼天狗の下顎の力。その二つが拮抗し、二人は同じ体勢のまま固まって動きを止めている。この状況、一見同じ均衡を保っているように見えるが、圧倒的不利なのは紛れもない萃香の方であった。

 

 無理な姿勢、不安定な力、脚部に突き刺さる鋭い牙。しかも脚部の方は、激しい痛みと血に濡れている。

 萃香は長期戦は拙いと思った。けれど今の状態ではどうすることも出来ない。

 

 絶体絶命。

 

 言葉で簡単に表せるほど、分かりきった状況であった。

 

 その時、椛が動いた。なんと盾を落とし、空いた手に潜む原始的な武器ーーー所謂、爪というもので、自分の袖を引きちぎったのだ。

 

 萃香は直感で理解した。この後に起こる、地獄を。

 

 汗がどっと吹き出た。まるでスローモーションに出来事が移り変わっていく。今は椛が袖を引きちぎった事で、自分の手が虚しく空気を切ったところだ。

 

(ああ……嫌だ。私は鬼だ。こんな犬っころに負けるなんてあってはならない)

 

 途切れぬプライド、自信。

 

(畜生、畜生! 私は弱いけど……強いんだ! そう、強いんだよ!!)

 

 手が裾から離れ、椛が下顎に再度力を入れる。

 

(まだだ、ここで終わるような私じゃないだろ? 考えろ、考えろ! 打開策を! こいつが私を振り回す時の弱点を突くんだ。弱点、弱点…………あっ)

 

 萃香の服装は、白のノースリーブに紫のロングスカート。伊吹瓢と三つの分銅は戦闘に必要無いと思い、既に疎めてあった。

 萃香は分銅の中の一つを萃め、今まさに振り回さんとする椛の首回りに放り投げた。

 

 また地獄が始まる。

 終わりの無い不快感と吐き気が交互に責め苦を強いてくる。だが分銅については気付かれていない。重さと存在感を極端に疎めているからだ。

 

 廻る。廻る。

 

 世界が廻る。

 

 ああ……何か思い出しそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

『私は独自の輪廻を持っているんだ』

 

『輪廻……輪廻転生の輪のことかい?』

 

『ああ。だから、私は死なない。存在の領分を超えて、輪廻を狂わせない限り』

 

『蓮華、あんたは凄いね』

 

『……萃香の方が凄いさ。種族としての生を全うしようとするその姿勢、尊敬に値する。二代目の私は、仏陀の一人、【ゴータマ】に会って種族としての生を否定しちまったからね』

 

『ゴータマ? 誰だい、そいつ』

 

『偉大な方だよ。如来と言えば分かるかもしれないね』 

 

『如来……そりゃ凄い。蓮華は一体何歳なんだい?』

 

『秘密。でもきっと、驚くよ』

 

『ハッ。いつか私があんたに勝った時に、その秘密を包み隠さず喋ってもらおうかね』

 

『ああ。心から望んでいるよ』

 

『皮肉か?』

 

『いいや期待だよ、萃香』

 

 

 

 

 

 

 

 蓮華…………。

 もう、あの時のあんたはいない。

 私はあんたの思い出を糧にして、幽鬼のように戦わせてもらうよ。

 

「ぐぅぇっ……」

 

 突如回転が止まった。そして虫を潰したかのような、短い呻き声が下から聞こえる。

 とうとうその時が来たのだ。意識を失うかの勝負だったが、どうやら私の勝ちのようだ。

 

「なんだ……ごれば……ぐぶっ」

 

「呂律も回らないのかい。食い込んでるもんね、首に」

 

 椛を苦しめているのはたった一つの分銅。最初、首に巻き付けられたそれは、萃香を振り回していく内に蛇のように食い込んでいき、ついに常人ではほどけない程の強度を以て椛の首を締め付ける。

 喉を掻くように分銅をほどこうとする椛。噛み付いていた萃香の脚の行方を気にしてる暇などなく、ただただ酸素を求めようと分銅を動かす。……が、まるで意思を持っているかのように、中々離れない。

 

 彼女が落ち着いていれば、案外簡単に分銅による拘束は解けるのだが、如何せん彼女は焦っている。もたつく指は更に分銅の鎖を複雑にしていき、まさに自分で自分の首を絞めている。

 

 焦り。それは息を吸えないという状況下では仕方のないことだ。普段無意識に息をしている人妖にとって、突然息が吸えなくなる状況は、意図も容易くパニックに陥れる。

 椛も例外ではない。彼女は今まで体験したことのない死への恐怖と、着々と迫る自分の身体への限界に焦りを募らせていた。

 

 それは明らかな隙。既に萃香の脚は見当たらず、椛の〝能力〟を使っている余裕さえ無い。

 

 苦しむ椛。振るわれる脚。笑みの萃香。

 

 状況は逆転し、それを裏付けるように萃香の無事な方の脚が、椛の顎を蹴りあげた。

 地面から足が離れる。脳内に生成される、痛み緩和の快楽成分に酔っているところで、椛はまた現実に戻される。息の吸えない、という生き地獄に。

 

 萃香が拳を放つ。それは椛の鼻っ柱に当たり、大きく吹き飛んだ。ある程度吹き飛べば、萃香は自分の腰に巻き付けられた鎖を引っ張る。それだけで、標的が戻ってくるのだ。全くのノーガードで。

 

 一撃ーーー二撃ーーー三撃ーーーと何度も同じ工程が繰り返される。

 その度に椛は夢に浸り、現実に浮上する。

 

「能力は使わないんだね」

 

「…………」

 

「声も出せない……か。ま、それでも良いさ」

 

 交わった拳と蹴りはそれぞれ二桁に上り、椛の意識もそれに比例するように、深く、深く沈んでいった。

 

(強い……強い……)

 

 今度は腹、次に脇腹に大きな衝撃を受けて吹き飛ばされる。

 

「ぐぉえ…………」

 

(意識がボヤける。ああ、皆……天狗の皆……)

 

 今までの恨みを晴らすとでも言うように、萃香は攻撃を止め、今度は椛を振り回し始める。当然、椛の首を絞める鎖の根元を持って……だ。

 

「ぎ…………ぐ…………ぇ、ぁ………………」

 

(私、まだまだだ。未熟だ。だから守れなかった)

 

 廻る。廻る。

 

 椛の世界が廻る。

 

(『千里先を見通す程度の能力』を使って、こいつの死角からの一撃を読んだとしても)

 

 彼女らの戦いを観戦していた哨戒天狗らは、皆一様に絶句していた。

 その戦いがあまりにも凄惨で、あまりにも無慈悲だったからだ。

 

(勝てない。勝てなかった。皆……ごめーーー)

 

 鬼の動きが止まる。それに連動するように、椛が物理法則の流れに従って地面に落ちた。

 身体は力なく脱力し、その瞳には既に生気は灯っていない。

 あまりにも最悪な決着に、哨戒天狗らは一言も言葉を発せずにいた。いや、発せなかったのだ。もし発せば、次はきっと標的が自分になってしまう。その恐怖が、喉に栓をしていた。

 

 そしてあろうことか、天狗らは憐れんだ。

 部下への攻撃を止める為に単身で勇猛果敢に挑み、そして散ってしまった椛を見て、自分はああなりたくないと心の底の底で安堵してしまった。

 

「ふぅ、満足した。さて、天魔の所まで行こうかな」

 

 彼女の言葉がキッカケだった。この場を離れる旨の発言。もう被害は広がらないという安心感。

 それが、漏れたーーー。

 

「フッ」

 

 固まる哨戒天狗の団体。その中の誰かが発した、安堵とも憐れみとも取れる一つの呼吸音。

 その単音は萃香の耳に届き。

 また新たな悲劇を生み出した。

 

 

 

「今、てめえらの上司を見て嘲った奴は誰だい?」

 

 

 

 哨戒天狗、重要警備拠点。

 最も統率され、最も練度の高い人員で構成された大部隊。

 その大部隊が今日のこの時、鬼の怒りを買った者を含めた全員が重傷を負い、全滅した。

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