「お待ちになって?」
────そう、凛とした声で女は言った。
「どう致しましたかな? 賢者殿。まさか……今更妖怪の味方をするなどと……妄言を口にするわけではあるまいて」
「ええ、ええ。分かっております。私は中立。然らば人である皆様に一言提案を、と思いまして」
女はその妖艷な唇を一舐め。口を潤すその動作すらも、人間の心を強く掴む。まるで魔性だと、集まりの中の一人が思った。
「……で、提案とは?」
自然と声に険が入る。人間とは訳が違う。目の前の女は人の形を模した化生なのだ。
けれど女にとって、自分達は家畜のような存在。すぐにでも殺せる食料のようなものだが、家畜は食べ物。無くなれば主人は生きてはいけない。
「何も何も、簡単な事でございます」
「先に言っておこう。それはあの暴れ鬼を殺せる算段か?」
もし女が自分らを刺せば、その刃はそっくりあちらへ返っていく。
だからこそ人間の纏め役は、胡散臭い風貌の女に一気呵成で叫んだ。
「我らは生半可な気持ちでここに集まった訳ではない!! 人は怯えているだけではダメなのだ。今こそ妖を討ち、人の怖さを妖怪どもに思い知らしめる契機! それだけは反故に出来ん!!」
言った────!
言ってやった──────!
……と変な達成感を感じながらも男は息を整え、所定の位置に戻る。
女はその様子を、観察するかのようにじっと見つめていた。文句を言うわけでもなく。嘲るわけでもなく。ただただ、その男の様子を眺めていた。
その態度がどうも不気味で。
男衆の活気だった勢いは、彼女の視線によって冷やされた。
女が心の中で「早くお家帰りたい」などと呟いている事なんてつゆも知らず、男達は戦慄していた。
彼女が背負う危機迫った雰囲気に、気圧されたのである。
───────────────
─────────
「───────ぁぁぁああああ!」
─────落ちる。
そう、頭が理解する頃には、萃香はもう目の前にいた。こんなこと初めての経験だった。
ぶっちゃけ、かなり怖い。落ちた時にどうやって着地しよう、とか。地面に当たったら痛いなぁ、とか。夢想する事しか出来ないのが私です。
「蓮華ッッ! ここで終わらせてやる!」
待ち構えるは私の友人。
強い女の子だ。恐ろしい鬼だ。優しい友達だ。
印象は数多くあれ、相対するは伊吹萃香ただ一人。
私は今からこいつを殴らなきゃいけない。
止めなきゃいけない。
じゃないと紫がやってくれたこと、その全てが不意になってしまう。
私に残された右腕が、一直線に軌跡を描く。
萃香の力が籠った右腕が、私を叩き落とそうと円運動のように同じく軌跡を描く。
(全く……いつからこうなったんだっけ)
衝撃が左頬を叩く。でも私の拳から伝わる衝撃はそのままだった。
やばいな、あんまり当たってない。
「げぅ─────ッ──────」
視界がチカチカと点滅した。
身体が草木の柔らかい地面に叩き付けられて、小さくない悲鳴を上げる。
「────ふぅ、─────ふぅ、どうだい蓮華。もう立てないだろ」
揺らぐ意識の中、そんな声が耳を叩いた。
足に力を込めても空回りしてしまう。
腕に力を込めても肘が折れてまた元通り。
畜生、ここが限界か。妖力も神力もすっからかんだ。
────────大丈夫さ。
枝が折れる音が、地面を伝う。萃香が近付いて来ているのだ。
────────全ての力を使ったことで、私の封印も弱まっている。
無力な私はただそこで立ち上がる事も出来ず、自分を恨みながら歯を食い縛る。
────────さぁ、手放してごらん。
うん……そうだね。
もう疲れた。痛いのは嫌だ。動きたくない。お家帰りたい。炬燵に入りたい。遊びたい。紫と幽々子は元気かな。コーラ飲みたい。お腹減った。何も見えない。何も聞こえない。どうしようもない。ああやめやめ。萃香は何してるんだっけ。あれ? 萃香……誰だったっけ。萃香……萃香……えっと、えっと──────。
「ねぇ」
光が射した。
『何寝てるんだい』
古ぼけた思い出。
「これで終わりかい?」
新しい光。
『ほら、もう一回やるよ』
それは知らない光景。知らない景色。知らない声。
「あんたならまだやれるだろ」
───────以前違和感を感じた事がある。
チルノ達とお泊まり会をしたときだったか。
萃香は顔を赤らめながらかまくらを襲撃した。けど彼女と話していく内に何となく分かった。
「萃香……酔ってない」
そう、酔ってなかったのだ。話している最中、すぐに酒が抜けたのか素面に戻っていて。そんな様子がどうにも無理しているように感じられて。
だから、お節介だけど手を伸ばしたんだ。
『萃香の事が知りたいんだ』
「萃香と分かりあいたいんだ」
『理解までとは程遠いかもだけど』
「貴女と共に、酔狂に浸りたい」
「『どうもそれだけは、変えられない』」
私はくぐもった声を漏らしながらも、何とか立ち上がる。
立ち上がった先には萃香がいた。
しばし見つめあう。
瞬間、二人同時に相手の顔を殴った。
「ぐぅっ─────良いパンチだね萃香」
「蓮華も……まぁまぁいい感じじゃない?」
近づき、殴る。
痛くてたたらを踏むけど、もう一度近付いて、殴る。
三度。
四度。
五度。
幾度も交差する拳。
カウンターもせず。あえて受ける。
そこに意義は無いけれど、確かに意味はあった。
「ハッ、流石だね蓮華。鬼の拳をこんなにもらって立っていられるのには驚いたよ」
血の混じった唾を吐き捨て、萃香は楽しそうに言った。その表情は今までと違って明らかに輝いており、伊吹萃香そのものの在り方が露出していた。
「私は、頑丈なだけが、取り柄────ヒィ、────なんでね」
──────何をしている。
──────萃香の奴は、能力を封印している。
──────ミッシングパワーも無い今。
──────あなたが有利なのよ。
──────何故手放さない。
──────何故殺さない。
知らないよ。黙ってて。
視界が半分無くて、腕も半分無い私は萃香より不利。だから彼女に勝つためには、萃香の行動の先の先。裏の裏を読んで戦うしかない。
「ちょっとだけ痛いかも」
私は萃香の拳が飛んでくるのに合わせて屈み、足払いをお見舞いする。
だがそう巧くはいかないようで。萃香は倒れず、硬直の一瞬の隙を突かれた私は、萃香に襟首を掴まれた後、思いきり投げられる。
地面をごろごろと転がって受け身を取り、すぐさま立ち上がって突貫する。
よろけそうになるも気合いでカバーし、鼻先から垂れる血を舌で一舐め。最短距離を見据え、大きく跳躍した後に蹴りを放つ。
萃香はそれを手の平で受け流し、お返しとばかりに腹部へ肘を打ち付ける。
空気が逃げた。
そして追い撃ちをかけるために更にもう二発。胸と顔にパンチを受ける。
力なく地面へ沈む私。痛みに堪えながら、もう一度立つ。
立ち上がり様、殴られる。
衝撃で顔が上を向き、痛みによる硬直を味わっていると、また一発くらう。
足をガクガクと震わせながら一歩二歩後退するが、萃香は容赦しない。距離を詰めて、今度は私の意識を刈り取ろうとその鎌を振るう。
一撃。二撃。お腹へ一発。靴で私の足を踏んづけて動きを止め、鳩尾に一打。力強い一発だった。
流石に体にガタが来たのか、もう私の体は動かなかった。
(まだだ──────)
足を体の重心ごと傾けて無理矢理動かす。
荒い息を吐いて、今度はこちらの番だと言うかのように、近付いてパンチを繰り出す。
それは渾身の力を込めていたハズだった。でも萃香はピンピンとしている。
「…………」
(も、もう一発……────)
肩ごと、もう一回。
何度でも、何度でも。
萃香は避けない。耐える仕草すら見せない。
「ぁ゛────ぅ、ぐぅ─────ぁぁあ!」
喉に激痛が走るも、必死に叫ぶ。
真っ直ぐに放たれた私の右腕は────。
なんとも情けなく。なんとも儚く。
萃香の目の前で、だらんと落ちた。
萃香が今にも倒れそうな私を見て。
ああ、やめろ。そんな目で私を見るなよ。くそ。
届かない。後数歩がどうしても遠い。
力が籠らない。籠めろ。
足が動かない。動かせ。
視界がボヤける。ちゃんと見据えろ。
燃えカスのような精神の残滓を原動力にして、私は体を動かす。
動か───────…………あれ?
なん……で……、地面が起き上がって…………。
あ。