紅魔館内にある大図書館の司書、パチュリー・ノーレッジ。彼女は今横にいる青髪の妖精を見てげんなりしていた。
「これも、これも、これも、たっくさん本があるわね! この中にあたいがさいきょーになれる本は無いの?」
「無いわよ。それに有ったとしても、あんたみたいな妖精じゃ読むことさえ叶わないわよ」
パチュリーは頭を抱えていた。どうにかしてこのアホ妖精を追い返せないかと。
「ねーねー! この本、あたいが凍らせようとしても凍らないわ! とっても不思議ね!」
「私が本に魔法を掛けているからよ。ほら、満足したでしょ? 私は今日忙しいの。さっさと出ていって」
パチュリーは親友のレミリアとの相談の元に、今夜隷属の呪いを解こうと試みているのだ。紅魔館の主ヴラド・スカーレットは、数多もの妖怪を集めてこの幻想郷を襲撃しようとしているらしい。隷属の首輪を掛けられていれば、それに駆り出される事には有無を言うことさえ出来ない。どうにかしてパチュリーは、親友と共に自由を勝ち取りたかった。
(レミィ……ちょっと無理かも)
心の中で弱音を吐くのは幾度目だろうか。今回はアホ妖精のせいだが、当の妖精はそんなパチュリーの気持ちさえ分からない。
「ねーねー! 色んな言語で書いてあるけど、これなんて書いてあるのー?」
「それは魔法言語よ。はぁ……ほら、冷気を操るのならこんな本はどうかしら」
そう言って手渡されたのは一冊の本。
「ぜ、ぜぜ、『絶対温度』?」
「冷気を操るなら、その本を読めば幾分か今後の役に立つかもしれないわよ。その本はあげるから、もう帰って二度は言わないわよ」
「はーい! これであたいのさいきょーへの道が一歩近づいたわ!」
パタパタと冷気を降らせながら、図書館から出ていくアホ妖精を尻目にパチュリーは再度作業に取り掛かる。
「はぁ……レミィ、居るのは分かっているわよ」
「よく分かったわね。流石パチェ」
パチュリーが座る机の下から出てきたのは、この館の主であるヴラド・スカーレットのご子息、レミリア・スカーレット。『運命を操る程度の能力』という聞いて反則そうな能力を持っているレミリアだが、使ってみてと言って使って見せた場面を一度も見たことが無い。
「居るのは分かってたけど、まさかそんな所から出てくるとは予想出来なかったわ」
「これもまた運命よ。それでパチェ……解析は済んだ?」
「掛けられている魔法の種類と、その解き方まで分かったわ」
上出来じゃない、とパチュリーを褒めるレミリア。だがパチュリーは険しい顔をしたままだ。なんせ掛けられている魔法や解き方が分かったとしても、全てが解けるかは話が別だからだ。
それに、問題はまだあった。
「レミィ、聞いて。この隷属の首輪には四つの魔法が掛けられているの。一つは隷属。二つは伝令。三つは絶命。そして最後が、これらの内一つでも解いた形跡を感知した途端に、ヴラドへと情報がいく感知の魔法よ」
「へぇ……パチェは幾つ解ける?」
「もって一つね。この短期間ではこれが限界よ」
「それじゃあ感知の魔法を解こうにも……」
「そう。隷属は解けないからこの首輪を外す事は出来ないわ。隷属を代わりに解いたとしても、ヴラドに信号が行ってすぐさま絶命の魔法でも発動するでしょうね」
パチュリーの頭を唸らせる原因はこれであった。一つしか解けない。それもなにもこの隷属の首輪がかなり強力な魔法で出来ているからだ。レミリアによると、ヴラドの妻が作ったものらしい。なんとも端迷惑な夫婦である。
「じゃあ……フランは。フランはどうやって助けるの! 私、見たのよ……フランが地下牢の中で一人お腹を空かせているのを……」
(お腹を空かせていたのは、レミィがフランのご飯を落としたからでしょ……)
レミリアの顔には悲壮が漂っていた。それもそうだろう。自分の妹が産まれた時から幽閉され、それを直に見ていたのはなにを隠そう、レミリアなのだから。
「……最悪、悲観することはないわ。幻想郷にはきっと強力な力を持った妖怪がいるはず。その中の誰かがヴラドを倒してくれれば……」
「パチェも知ってるでしょ……お父様の実力」
パチュリーもこの紅魔館の図書館司書をする身、何度もヴラドの力を見てきた。破壊力の点で言えばフランドールに軍配が上がるが、ヴラドは吸血鬼にあるべき弱点という弱点が無いのだ。直射日光の下でも一日くらいは活動でき、流水やニンニク、聖水や炒り豆さえ無力化されてしまう。銀を含んだ武器であってもだ。
そして、特徴的なのがその再生能力。腕を切っても下半身を飛ばしてもものの数秒で元通り。それは脅威以外の何物でもない。
(私達にはどうしようもないって言うの……?)
目先も、背後も真っ暗闇。レミリアと思いを共有しても、それは緩和されることはなく。ただただ無意味に時間が過ぎていった。
「ちょっ、チルノちゃん! まっ、待って!」
「待たない!」
「ええ!?」
二人が暗くのし掛かる未来に憂いでいると、突然図書館の扉が吹き飛ばされた。
(今度は誰……?)
頭痛がした。目眩がした。埃も酷いので喘息もあっかした。次々と起こる急展開。今日に限ってなんて厄日だと思う時間さえない。
砂埃が地を這う中、そこから出てきたのは華人服とチャイナドレスを合わせた服装を着る、燃えるような赤髪の美少女だ。
赤髪の女性はキョロキョロと辺りを見渡すが、特に用は無かったのか入ってきた場所から帰っていく。
「ちょちょちょちょっと待ちなさい!」
病弱である事を忘れて、パチュリーは駆け出していた。
あなたは誰?
あなたの目的は?
無意味に扉を壊したの? バカなの?
頭の良いパチュリーの事だ。掛けるべき言葉と選ぶべき疑問は既に選出し終えている。けれども、彼女の本音はその中にはない。義務化しロボットのような模範的疑問と、それを聞く口はいつもの如く発揮されるはずだった。
「お願い……私達を助けて……」
口から出たのは、それだけだった。どんな顔をしているか、今の自分には分からない。産まれた時から魔法使いとして生を受け、幾度も魔を探究し、探求し、親友を授かり、苦難が訪れ、そこから抜け出る術もない自分を何度呪った事か。
レミィだけでもいい。彼女をこの呪いから解き放ちたいと望んでいた。
「私達、ずっとこの首輪を付けられて隷属されているの」
「…………」
「この館の主、ヴラド・スカーレットを倒さないとこの首輪は解けないわ」
「…………」
「凄く身勝手な願いだって言うのは重々承知。でもお願い……私達を助けて」
「パ、パチェ……」
レミリアが駆け寄った。
見ないで欲しい。こんなみっともない姿は、あなたにだけは見られたくないから。
「……そのヴラドって方はどこにいるか分かります?」
「多分、お父様の事だから最上階よ」
「分かりました。私に任せなさい」
優しくそう答えてくれた人の顔を見ようとしたけれど、何故か視界がボヤけて見えない。
「あー、えっと……可愛いお顔が台無しよ。ほら、これで拭いて」
手渡されたのはなにかの布。これで顔を拭けと言うことだろうか。私が手間取っていると、代わりにその人が顔を拭いてくれた。視界が晴れてどんな人かと思えば、ただの優しそうな人だった。背は高いけど身体は華奢で、どこに扉を吹き飛ばすような力があるのか分からない。
「さて……お邪魔が入ってきましたね」
すぐさま反転、近くの本棚に近寄っていく。
「わわわ、待って! 私達は敵じゃないよ! ね、チルノちゃん」
「大ちゃん、あたいを止めないで。あの人はあたいをさいきょーだって見定めてこっちに来たのよ……ということは、あたいにちょーせんする気ね!」
「なわけないよ!!」
「そこの妖精二人、ちょっと頭を低くして」
命令通り頭を低くする大妖精。チルノは頭を上げようとするが、力ずくで押さえている。
風が薙いだ。妖精二人の背後に近づいて、今まさに襲おうとしていた狼を、美鈴は蹴りで一蹴したのだ。
大妖精にとってここまで速い蹴りは見たことが無かった。無かった故に……思考が追いつかず、代わりとして冷や汗がどっと背中を濡らす。
影から姿を現した狼。その目は紅く輝いており、殺意も十分。すぐさま首もとを食いちぎろうとしてもおかしくはない。
「私、ワンちゃん大好きなんですよ。しっかり遊んであげるので、掛かってきなさい」
美鈴の一言が始まりだ。そして、終わりでもあった。
美鈴の首もとに向かって跳躍する狼。それを美鈴は腕を廻して軽くいなし、空いた顎へ掌打。更に胴体へ三連撃を叩き込み、流れるような動作で尻尾を掴んで地面に振り下ろした。
キャイン、とひ弱な悲鳴をあげ、狼は影に溶けるように消えていった。