2018年1月8日 改稿
2018年2月11日 改稿
<変更点>
・ご指摘いただきた誤字を修正しました。
・プロット変更の為、一部伏線を消しました。
・担任が「山田」と言っていたのを修正しました。
1.一目惚れ
***
「皆さんに新しい友達を紹介します」
と担任が言うなり、教室は喧噪につつまれた。
転校生だ、と誰かが言う。
一郎はこの展開を知っていた。転校生がやってくるという希少な出来事は、前世において一度経験していた。ここまでは、その経験のまさに追体験であった。
異なるのは、ここからの反応である。
転校生かぁ、どんな子だろう。きっと可愛い美人の娘に決まってる。俺はボインの娘がいいなぁ。やぁねぇ、男子はすぐにこれだから。ちょっとー、格好いい男子の可能性は考えないわけ?――そんな思春期特有の反応を周囲は示したのだ。
「前世で転校生がやってきたのは小学校だったからなぁ。なるほど、小学生と中学生とじゃ、こうも反応が違うものなのか」
さもありなん。男子の女子を見る目にはあからさまな性の意識が芽生え、なまなましい情欲を宿すようになった。対する女子は、自らの身体にそそがれる視線の意味を知り、敏感に反応するようになった。
そんなぎらぎらした男子の目と、その所為か同情的な女子の視線を受けて、その少女は小動物のように震えて教壇の前に立っていた。
「可愛い」
というのは誰の声だったか。
それは、皆の心の声の代弁であった。
肌は透き通るように白く。さらりと流れる髪は陽光をくしけずったかのような金糸の髪で。小さく細い身体は、しかし、女性らしい丸みを帯びつつある、妖精の、あるいは妖性のそれである。そんな芸術家が己の理想を体現すべく命を込めて練り上げたかのような儚く美しい肢体には、これまた絵画もかくやというような、浮き世離れしたかわいらしい
少女というのは、かくも美しいものなのだ。彼女を作り上げた芸術家は、そのように叫んでいることだろう。そして世間は彼を悪魔のロリコンと呼ぶであろう。見る者を堕落せしめる、悪魔のごとき芸術家であるとして。
そのような益体のないことをぼうっと考えながら、鈴木一郎は転校生の少女に見入っていた。
前世では五十五のおっさんだった。今も心はおっさん、もとい大人であるつもりだ。だというのに、目の前の少女から目が離せないのである。そんな体験は初めてだった。
「え、なんだこれ。これって一目惚れかな。この歳にもなって? いや、この歳だからかな……」
いい体験をさせてもらった。いや待てよ、これではロリコンではないか。いや、でも心はともかく身体の年齢は同い年なのだし――などと思い悩む一郎であったが、その悩みはすぐに解決することとなる。悩む必要がなくなったのだ。翌日から、少女は学校に来なくなってしまったのである。
***
鈴木一郎の朝は早い。日が昇るころにはすでに起きていて、諸々の家事に取りかかっている。洗濯機を回しながら朝食を摂り、弁当の準備ができたら洗い物を干す。それから、仕事に取りかかるのである。
「もうこんな時間か。そろそろ行かなきゃ遅刻だな」
仕事をするには没頭する必要がある。なので遅刻の危険性がある。実際、何度もあった。
時間を忘れてしまうので、目覚まし時計をセットすることにした。それでも、アラームを止めて二度寝に耽る寝坊助のように、再び仕事にとりかかってしまうのだ。
キリが悪いから。ネタが浮かんだからもうちょっと。あと少し。あと一ターン。もうちょっとだけ――そうやって何度も遅刻した。見かねた幼なじみが哀れな目覚まし時計に代わって一郎を部屋から追い出しにやって来るようになった。
さすがに他人様に迷惑はかけられないと、鋼の意志で登校するようになったから、効果は抜群であった。
だが、一度着いた火はなかなか消えない。燃えるような業火ではないけれど、ちろちろ鍋底を舐めつづけ、煮汁は常に温かくときどきふつふつとたぎる。それが、一郎少年の性格であった。
結局は、作業の場を自宅から学校に移しただけである。それは、休み時間に終わることもあれば、昼食も摂らずに続けることや、授業中でさえ続くことがあった。
「おい、鈴木。さっきからノートに向かってばっかりじゃないか。ちゃんと聞いてるのか。ちょっと答えてみろ」
と意地悪く問いを解かせる教員もいたが、すぐにその口を閉ざした。完璧な回答だったからである。難問とされる問題を出した大人気ない教員もいたが、結果は同じだった。
「すみません。休み時間だけじゃあ時間足りないんです。このままじゃあ、会社の人たちに迷惑がかかってしまうんです。授業の邪魔はしないので、どうかお目こぼし頂けませんか」
仕事だから。同僚に迷惑がかかるから。というのが言い分である。
そんなに仕事が大切なら学校に来るな、というべきところである。しかしながら、結局この言い分は認められた。
ひとつには、鈴木一郎という生徒は、授業を全く聞いていないにも関わらず、どういうわけかめっぽう成績が良かった。なにより、あの手この手で授業の妨害を企てる厄介な生徒は他にいくらでもいたので、この生意気で大人しい優等生に構う必要も余裕もなかったのである。また、中学校というのは義務教育であるから、あまり生徒に強く出ることができないというのが、最近の教育事情であった。
そのような訳で、いつしか一郎は授業中の自由を得た。あいつは特別だから、というわけである。
だが、いくら「特別」だからといって、遠慮しないのが彼の担任であった。
「鈴木に仕事だ。このプリントと書類を、転校生の家まで持って行ってくれ」
一郎は、ぱちくりと目を瞬いた。
「僕がですか。先生が持って行くのではないのですか。こういう時って、教員が行くものだとばかり思っていたんですけど」
不登校が社会問題となって久しい。そうした生徒への対応として、学校を数日間連続欠席したら担任が家庭訪問をするというものがあると、一郎は小耳に挟んだことがある。
そう言うと、担任は苦々しくぼやいた。
「詳しいな。子供はそんなの気にしなくていいんだがな。……正直に言うと、行ったよ。それでも反応は芳しくなかった。仕事に忙しくて、学校どころじゃないんだと」
「中学生が仕事って……アルバイトじゃなくてですか。それはまた、無茶な言い分ですね。親御さんも認めてるんですか」
「お前が言うな。仕事を盾に堂々と授業無視してるヤツが、一生懸命授業してる教員に対して吐く台詞か」
「そういえば、そうでした。その、すみません。はは……」
居心地悪そうに苦笑いする一郎に、担任は、まったく、と咳払いして話を続けた。
「転校して全く新しい環境ってことで、いろいろ気疲れしたんだろうな。それに、仕事が忙しいってのも本当らしい。そんなわけで、学校に目が向いてないみたいだ。困ったことだぞ。転校しょっぱなから長期欠席すると、学校に行きづらくなる。本音を言えば、嫌々ながらでもさっさと登校してほしいところだ。授業はどうでもいいから、早いとこクラスになじんでほしい。誰かさんみたいにな」
なるほど、と一郎は頷いた。一郎は、学校生活に積極的であろうとしている。といいながら、ちょうど仕事が忙しい時期であったこともあって、学校を休みがちだった。幼なじみの有り難いお節介がなければ、そのまま学校に来なくなっていた可能性だってある。
そんな自分が誰かにお節介を焼くのも、得難い体験である。すっかり一郎はその気になった。
「とまぁ、これがお前を呼びつけた理由だ。同業者なら、俺よりよっぽど耳を傾けてくれるだろう」
「同業者って、それじゃあ……」
「ああ、小説家だ。山田エルフ。それが転校生のペンネームだよ」
***
都市近郊にたたずむ、閑静な住宅街。
という言葉を聞いたとき、ふたつのイメージが一郎の脳裏に浮かぶ。
ひとつは建て売り住宅の密集する庶民的な住宅街で、夕方にはカレーや煮物の匂いのただよう、どこか懐かしい印象とともに想起される住宅街。もうひとつは坂の上から街を見下ろすセレブリティな立地にあって、背の高い塀の内側に広い庭をもち、気ぜわしい俗世からほどよく距離を置いた、それはそれは有閑なマダムがおほほと上品に笑いながら暮らす、ハイソな住宅街である。
その家は、前者の庶民的な地区にあって、後者のラグジャリーな家構えをしていた。すなわち、鋳型を抜いたような家々の立ち並ぶなかに突如として現れる、古めかしくも洒落た場違いなこの洋館こそが、中学生作家山田エルフの住居なのだった。
「うわぁ、庭なんか荒れ放題じゃないか。本当にこんなとこに住んでるのかね」
時代がかった洋館ということもあって、お化け屋敷とでも言うべき様相を呈している。
しかし、よくよく見れば、踏み固められた下生えが玄関へのアプローチと続いていたし、「山田」と記された表札は白く新しい。たしかに、ここには人が住んでいるのだ。
ということは、あのくたびれたチャイムもまた生きている筈である。
「こんにちはー」
とチャイムを押しかけたその時である。
「ん、なんだこの音は。これは……」
耳朶に響く、かすかな旋律。ピアノである。
それは、はじめは穏やかに、かと思えばだんだん軽快に跳ねる。きっと奏者の指もまた、爽快に跳ねているのだろう。
気がつけば、一郎はすっかり聞き入っていた。
「ああ、なんて――」
脳裏には、水面が浮かんでいた。陽光をうけてきらめく、けれどもまだ冷たく鋭い春の川。それが、だんだん暖かくなって、川辺に花が咲き、蝶が飛ぶ。そんな、春のだんだん深まる情景である。
そんな旋律を表現する術を、一郎は持ち合わせていなかった。
「ああ、なんて、なんてすごいんだ、音楽って。描写したいのに、言葉が出てこない。すごいなぁ。悔しいなぁ」
なんとかこの美しい物に言葉を与えようとうんうん頭をひねり、気がつけば、すっかり音楽は止んでしまっていた。
「ん……仕方ない。これは後回しにして、本来の用事に戻ろう」
溜息ひとつついて、気持ちを切り替える。
手に提げたプリント束を胸元に引き寄せて、再度チャイムを押す。
ややあって、どたどたと板張りを蹴りつける音と共に、
「なによ!」
と家主は美しい顔を現したのだった。
おもわず一郎は見入ってしまった。陶器のような白くなめらかな肌。陽光をくしけずったような髪。芸術家が魂込めてつくりあげた、見事な造形の顔。幼くも美しい、妖精と称すべき少女がそこにいたのである。
しかし、どういうわけか、少女の肌はほのかに上気し、顔には焦りの表情を浮かべている。言葉もまた、慌てたように乱暴なものだった。
「あんた誰よ。いったい私に何の用かしら」
「ピアノを弾いてたのかな。上手だね」
「み、見たの⁉」
「見たって、ピアノを? まさか。勝手に家に入るわけにはいかないし。ここに立ってたら聞こえたんだよ」
「そ、そう」
どういうわけか、ほっとしたふうに答える。
「なんていう曲なのかな」
「なによ、あんたに聞かせる為に弾いたわけじゃないわよ」
「いいもの聞かせてもらったよ。音楽は、特にクラシックは聞かないんだけど、思わず聞き入った。なんていうか、すごく楽しそうだった」
手厳しい応えもなんのその。一郎は上機嫌に感想を言う。
その感想が気に入ったと見える。少女は口元をほころばせ、尊大に胸を反らせてのたまった。
「まあね。するからには楽しまなくっちゃ駄目よ。何をするにも、心から本気で楽しむ必要があるのよ。で、私に何用かしら。まさかピアノが聞こえたから立ち寄ったってわけじゃあないんでしょ」
「僕の名前は鈴木一郎。同級生。先生の遣いで、たまってたプリントを持ってきたんだ」
「あっそう」
それは劇的な変化だった。すとんと、少女の声から顔から一切の色が失せた。
パチンコのチラシか何かつまらないものを受け取るかのように、おざなりにプリント束をつかむと、実にそっけなく外を指さした。出て行け、ということである。
「わたしはあんたに用はないし、これも要らない。次からは来なくていいわ」
「また来ていいかな。君のピアノを聞きたい」
「プリントや言伝のついでなら、嫌よ。私のピアノはそんなに安くないの」
少女はぴしゃりと言い放った。
「……そんなに学校が嫌いなのかい」
「うっさいわね。面倒なのよ、そういうの。必要もないわ。私は仕事が忙しいの。これでも天才売れっ子作家なんだから。特に今は、私の作品がアニメ化されててんてこ舞いなんだから。昼間から学校に行ってる暇なんてないの。聞いたことないかしら、山田エルフという至高の名を」
「ああ。たしか今度アニメ化するっていう『爆炎のダークエルフ』の」
「知ってるんだ! なによなによ、あんた、ひょっとして私の下僕なの? そうならそうと早く言いなさいよ!」
最初は不機嫌そうな少女であったが、話すうちにだんだん調子が出てきたと見え、最後には胸を反らして自慢げに威張り散らす。
そんな素直な少女に(なんだこの素直可愛い生き物は。すわ天使か!)と見惚れる一郎であったが、努めて顔を引き締めて、言った。
「山田エルフさん。一生作家をするつもりなら、学校は行ったほうが良いよ。ネタを増やすにも、説得力のある文章を書くにも、教養と何より生の体験が必要だ。引き出しの中身は増やさなきゃならない。それが出来るのは最大のチャンスは、なんといっても今なんだから。後になって学校に行っとけばよかった、なんて言っても遅いんだ」
「なっ――」
瞬間、少女の美しい顔が憤怒に染まった。
小さく可愛らしい口から、恐ろしく下品な罵詈暴言の類が飛び出してる前に機先を制すことができたのは、一郎にとっての幸運であったかもしれない。
一郎は、一枚の紙を差し出す。それこそは、彼の身分を証立てる名刺であった。
「同業者としての忠告だよ。――ペンネーム鈴木一郎、作家歴六年。君の同業者だよ、後輩くん」
5,499文字
山田エルフの反応に違和感を覚えるかもしれません。原作についての個人的な解釈を加えた結果、こういう形になりました。自分でも違和感がありますが。
なお、本作は小説の練習を兼ねています。文章についてご意見、ご助言、ご感想をいただければ幸甚です。