一郎がシドーくんにお酒を呑ませるだけの話。
本編は今日中に投下します。
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「うわっ、お酒くさーい!」
という幼い声が、唐突に耳朶を打った。
開け放たれた扉からは、一条の陽光が差し込んで、目を刺すかのようである。
部屋にたちこめる酒気が、いっせいに動く気配がした。清浄な外気を求めて、空気が扉へと殺到したのだ。
そのような変化をもたらした幼馴染みの姿を認めて、一郎は、ようやく夜が明けたのを知ったのである。
「ん、めぐみか。そうか、もう陽が登ったんだな。――おはよう、めぐみ」
「おはよう、一郎くん。どうしたの、酒盛りなんかして。一郎くんって、お酒飲む人じゃなかったですよね。そもそも中学生が飲んだら身体に――え」
めぐみは固まった。
何気なく見渡した部屋の片隅。ひとり暮らしの一郎だけが使うはずの、寝台。それが、人型に盛り上がっていたのだ。
「うそ。なに、それ」
めぐみは、しぱしぱ目を瞬いた。
何か信じられないものを見た、という顔。
というより、目の前の現実を信じたくないとでもいうかのように、顔をまっさおにして、やがて覚悟を決めたかのように、恐る恐る一郎を見やる。
「ああ、それか」
一郎はあっけらかんと、テーブルにどかどかと並んだ酒瓶を示す。
「この惨状と関係があるんだけどね。お客さんが泊まってるんだよ。作家仲間の集まりがあったんだけど、意気投合して、ウチで呑んだんだ。――ほら、獅童先生。朝だよ。起きれるかい」
「う”う”う”」
布団越しに、くぐもったうめき声が響いた。低く響く、男の声である。
「二日酔いかな。今のところ吐いてはいないけど、今日は一日しんどいかもね。獅童先生、吐ける? 吐いちゃったほうが楽になるよ」
「う”あ”あ”」
ゾンビのように呻いてばかりの獅童に、「こりゃダメだな」と一郎は苦笑する。
枕元には嘔吐用のビニル袋があった。一郎が置いたものだ。
「ひょっとして一郎くん、ずっと見守ってたの?」
「ずっとじゃないけどね。ちょびちょびやりつつ、小説のネタ出ししながら、その合間に」
寝ている間に嘔吐すると、吐瀉物で窒息死するおそれがある。それで、一郎は獅童の様子を確かめながら、一夜を明かしたのだった。
すっかり事情を飲み込んだめぐみは、破顔する。
「そっかー。大変だったねー」
「うーん。こればっかりは僕のせいだからなぁ」
他ならぬ一郎が、獅童を酔い潰したのである。
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きっかけは些細なことだった。
「あれ、お酒の瓶とお猪口がある。一郎先生のお酒ですか?」
食器棚の奥にしまい込んでいた酒瓶を、獅童が見つけてしまったのだ。
「そうだけど、普段は飲まないよ。成長期の飲酒は脳の発達を阻害するというし、なにより、呑んで書いた文章は碌な出来にならない。だから、特別なお祝い事があった時とかに、軽く嗜む程度にしてるんだ。とは言っても、一度開けたら早く呑まないと味が変わってしまうから、そういう時でもなかなか開ける決心がつかないんだけどね」
「一郎先生って、中学生ですよね」
「ああ。中学生だから、自粛してるんだ」
などと噛み合わない会話をしながら、酒瓶をテーブルに並べる。かと思うと、そのまま、流れるような自然な手つきで開栓してみせた。
「一献どうぞ。ほら、お猪口を出して」
「え、お酒はちょっと苦手で……。というか、中学生がこんなこと勧めていいんですか」
「お酒が苦手っていう若い人、多いよね。それじゃあ、これかな。騙されたと思って、ひと口」
一郎は、いつになく強引だった。
そして獅童は善人で、しかも押しに弱かった。
「そ、それじゃあ」
恐る恐るひと舐めして、一拍の間。
獅童は、かっと目を見開いた。
「お、美味しい! なんですか、これ。すっごくフルーティで、口当たりが爽やかです。お米ですよね、原材料。お米でつくったお酒って、こんな香りがするんですか!?」
「気に入ってくれたみたいで良かった。大吟醸『雪下香梅』。若者向けの、飲み口爽やかで香りの良い、フルーティーなお酒なんだ」
大吟醸と言われたところで、その意味するところは、獅童にはさっぱり分からない。けれども、それが良いものだということは理解できた。
「お酒って、もっと酸っぱくって、うっとくる酒臭いものかと思ってました。こんなお酒もあるんですね」
「スウィーツと同じで、大量生産の商品もそれはそれで美味しいけど、ひと手間かけて作った一品はまた格別だからね」
「ああ、言われてみれば確かに、そういうものですね」
納得の頷きを返して、酒をひと舐め。かと思えば、思いきって一口に呷ってしまった。「美味しい!」と感動の声を漏らす。
その様子に、すっかり気を良くした一郎である。彼は、自分の好きなものを、好ましい友人と共有できることが嬉しかった。
ましてや友人と酒を酌み交わすのは、生まれ変わって十四年の人生で初めてのことである。ついつい調子に乗ってしまうのも、無理からぬことであった。
「じゃあ、これはどうかな。久保田の『萬寿』っていうお酒なんだけど」
「へぇ、縁起の良い名前ですね。どれ、一口。――――すっとした飲み口ですね。雑味が無いっていうんでしょうか、すごく純粋で、まるで水みたいです。水といっても、味がないわけじゃないんですけど、ああ、なんと言ったらいいのか!」
「分かるよ、その気持ち」
一郎は愉快そうに笑った。
なんでも描写しないと気が済まないのは、物書きの性である。
「同じ酒蔵の『翠寿』ってのもあるよ」
「こっちは辛口なんですね! 同じメーカーなのに面白いです。どっちも美味しいですけど、僕は『萬寿』の方が好みですかね」
「流石、獅童先生。するどい舌をしてる」
「えへへ、そうですかね」
「そんな先生には、面白いのを。『くどき上手』っていう純米吟醸でね。季節毎に使うお米を変えてるんだけど、これは、岡山の雄町米ってのをわざわざ取り寄せて作った、山形のお酒だよ」
「へえ、季節毎に! ……ん。これもフルーティで、しかも甘口なんですね」
「『
「磨き、ですか?」
「精米歩合のことだね。お米から、雑味の原因となるタンパク質なんかを削って、どれだけ残すかを表してるんだ。数字はそのパーセンテージ。三割九分からが大吟醸と呼ばれる等級だよ。こっちの磨き二割三分のと飲み比べてみようか」
「んっ。これも、こっちも、まるで水みたいに飲み口が澄んでます。お酒って、こんなに美味しいものだったんれすね」
どれくらいそうしていただろうか。
ふと気が付けば、一郎は手を止めて、真面目な顔で獅童を見据えていた。
一郎の変化に気づいた獅童も、居住まいを正す。
「遅くなったけど、刊行決定おめでとう。ささやかな酒宴で恐縮だけど、獅童先生のお祝いだ」
不意にあたたかな言葉をかけられて、獅童は感動にむせび泣いた。
「あ”りがとうごじゃいまずっ!」
とろんとした瞳。紅潮した頬。涙といわず鼻水、涎を垂らして感涙にむせぶ獅童を見て、
(あ、これは駄目なヤツだ)
と一郎は直感した。
果たしてその直感が正しかったことは、しばらくも経たぬうちに証明された。獅童は、酒癖が悪かったのである。
「こんなの水じゃないれすかー。味のついた水ぅ! くぅーっ、飲み口がたまりましぇんっ!」
などと騒ぎながら手酌で酒をかっ喰らい、
「ふっ、ふははははっ! こっちの水はちょっと辛口で、こっちの水は甘口れすねっ。ほっ、ほっ、ほーたる来ーい。こっちのお酒はあーまいぞー」
ついには歌い出す始末である。
一通りお酒に舌鼓を打ったら、こんどは夢語りが始まった。
「僕はねぇ、自分でかんがえたすうぃーつをぉ、店頭で販売してもらうのが夢なんですよぉお。家族そろって食べてもらえりゅ、しょんなお菓子が作りだいんでしゅ!」
「うん、うん。素晴らしい夢だね」
かと思えば、お酒の感想に逆戻りする。
「どうしてくりぇるんれすかぁ。こんな美味しい水出しゃれたら、もう、普通のお酒にゃんか飲めましぇんよぉ!」
「はは、それは良かった」
話題を夢へと引き戻し、そしてまたお酒の感想に立ち返りと、二つの話を延々と繰り返す。こうして千日手とでも言うべき、混沌の相を呈してきた。
それだけではない。一郎が、あんまり気持ちの良い合いの手を入れるものだから、どんどん話題の転換は早くなる。
「僕の夢はねぇ――」
「オリジナルのスウィーツを、お店とコラボして売ってもらうことなんだよね」
「そう、それなんでしゅ! それで、このお酒なんでしゅけど――」
「お水みたいに飲み口が良くって、美味しいよね。あ、でも水も飲んでね。じゃないと後で地獄を見るから」
「しゃすが先生! よく分かってりゅ! それで、僕の夢なんれしゅけど――」
「お酒がお水で美味しくって、夢はオリジナルスウィーツだよね」
「そうなんれふ! そのお酒なんれしゅけど――」
あまりに早くに話題が転がるものだから、もはや何巡したか分からない。
(うん。絡み酒だなぁ)
一郎は苦笑した。
そういう人の相手は心得ている。
対処法は三つある。ひとつは、第三者に酔っぱらいをに押しつけることである。しかし、ここは一郎が独居する、侘びしい庵である。救世主、あるいは哀れな被害者になりうる人物はいない。
ふたつ目は、こちらも酔っぱらうことである。これは即座に却下された。一郎は笑い上戸である。絡み酒の獅童と組み合わされば、混沌が顕現する。収拾がつかなくなる。
となれば、いまひとつの方法しかない。即ち、酔い潰すことである。
「ささ、先生。こっちのお酒も美味しいですよ」
「ほっ、ほっ、ほーたる来ーい! いやぁ、今日は、なんてぇ楽しくってぇ、刺激的な日なんれしょう!」
――この数年後、獅童は念願のコラボ商品を出すこととなる。
ただし、それは、オリジナル銘柄のお酒である。それというのも、紆余曲折を経てフルドライブ文庫から出版されることと相成った「スウィーツ大好き女子高生のほんわか酒造ラノベ」が大ヒットを飛ばしたからだ。
確かに、この日のふたつの宴は、獅童にとって良い刺激となった。晩年になって、彼は語る。あの打ち上げ会がなければ、自分は今、こうして小説を書いていなかったかもしれないと。だが、その後の酒宴は、いささか刺激が強すぎたかもしれないと。
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オッサンはお酒が好きという偏見に則りました。
最近、美味しいお酒を呑んだので。
一年に数回しか呑まないんですけど、今回のは格別。十六種類の大吟醸飲み放題コースでした。
お酒のことはよく分かりませんけど、高いお酒は格別ということがよく分かりました。
お酒が嫌いという方は、是非、今回取り上げたお酒を試してみてください。特に雪下香梅とくどき上手が美味しかったです。
また、お酒が好きな方は、甘口で口当たりの軽いお酒を教えていただけると嬉しいです。