転生作家は美少女天才作家に恋をする   作:二不二

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Ex3.かませ犬のバラード・上

 ***

 

 

 鈴木一郎は小説家である。

 小説を読んだり書いたりするのが好きで、昼夜の別なく小説に向かい、そうするうちに小説家になっていたという類の人間である。

 そのようなわけで、暇さえあれば、あるいは暇が無くても捻出して、小説を書いている。

 執筆作業に夢中になるあまり、そのまま学校に遅刻してしまうということも多発した。

 そうして自堕落に暮らすうちに、見るに見かねた幼馴染みが、朝一番に一郎のもとを訪れるようになった。

 丁度このように。

 

「おはようございまぁす、一郎くんっ!」

 

 扉を開けると、ふんわりほころぶ幼馴染みの笑顔が現れた。

 

「おはよう。夏休みだってのに、朝からめぐみは元気だなぁ」

 

 なにが嬉しいのか、めぐみは上機嫌に微笑む。

 

「えっへへ。だって、一郎くん、元気いっぱいの女の子の方が好きじゃないですか」

「そうなのかな」

 

 とは言うものの、一郎には心当たりがないでもなかった。

 山田エルフ。紆余曲折を経て、とうとう想いを通じた恋人のことである。

 立てば向日葵、座ればランタナ、喋る姿は徒の花。そうした喩えがいっそ似つかわしい、にぎやかな少女である。いつも太陽のように微笑んで、何をするにも大仰で明るく、お喋りで楽しい。

 そんな女性に恋をした。だから、元気な女性が自分の好みなのだろうと。

 しかし、嬉しそうに微笑むめぐみは、エルフのことなど知る由もない。だから、彼女はもっと別の理由を挙げた。

 

「一郎くんの小説読んだら分かりますよぅ。元気印の女の子、とっても可愛く書かれてるもん」

 

 そして、それは、一郎を非常に喜ばせた。

 己が作品を褒められて喜ばぬ作家はいない。のみならず、一郎は、さんざんエルフに「ヒロインが可愛くない」だのなんだのと指摘を受けた過去がある。ヒロインを褒められた一郎は、嬉しそうに微笑みを返す。

 

「ということは、読んでくれたんだね」

「えっへへー。買っちゃいました、一郎くんの新作が載ってる小説雑誌!」

 

 と言いながらちいさく跳ねて差し出したのは『フルドライブ・マガジン』である。

 

「びっくりするような表現も多かったけどぉ、とぉ~っても面白かったっ!」

 

 めぐみは、おおきな瞳をにっこり細めて、心底楽しそうに微笑んだ。

 それから、小首を傾げて尋ねる。

 

「いちファンとしての質問なんですけどぉ、原稿ってどれくらいまで書いてるの?」

「第一巻は書き終えて、今は第二巻の終盤かな」

「えっ、もうそんなに!? 雑誌にはまだ第一話が載っただけなのに」

「一巻分だけ掲載して、その後は単行本で刊行する予定なんだ。早い話が、お試しだね。担当の編集さんが、よりたくさん人の目に触れるように気を遣ってくれたんだ」

 

 もちろん、担当編集のクリスには、もっと別の思惑もあった。それは、一郎の小説目当てに雑誌を買う新規読者を期待して、というものである。

 

「そっかぁ。早くから準備するもんなんだねぇ」

「うーん、どうかな。ほんとうに締め切り間近に原稿上げる人もいるし」

 

 一郎の脳裏に浮かんだのは、エルフである。

 遊んでばかりのエルフは、原稿の仕上がりがとてつもなく遅い。なにせ当の本人が「ダイジョーブ。我がスキル“完成原稿召還(サモンザタークネス)”でなんとでもなるわ。ちなみにこれは締切日以降にのみ使用可能なスキルね」と言っているのだ。

 

「もちろん、早く上げるにこしたことはないけどね。編集さんにも見てもらって、その結果さらに推敲が必要になることだって勿論あるし、あちらの都合もあるから」

「ふぅん。一郎くん、大忙しだね。これまでの連載に、これからの連載。仕事が増えて大変じゃない?」

「変わらないよ。時間があれば小説書いてたのは、今に始まったことじゃないからね」

「そっかそっか、そこは心配いらないかぁ」

 

 よろしい、よろしいと頷くめぐみであった。

 そんな話をしながら、二人はキッチンまでやって来ていた。

 めぐみは、悪戯っぽく問いかける。

 

「ねぇ、ちゃんとご飯食べてる? また煮物ばっかりになってない? 塩分取り過ぎてるとぉ、歳をとってから、身体悪くなっちゃうんだから」

「うっ、耳が痛い……」

 

 病のために前世を早世した一郎である。

 

「減塩料理を持ってきたから、食べてね」

 

 と差し出したのは、料理の詰まったタッパーである。

 

「いつもすまないねぇ」

「もぅ、それは言わない約束でしょっ」

 

 という三文芝居は、二人のルーティーンである。

 めぐみは一郎の部屋に来るたび、なにかしらの料理を持ってくる。

 彼女が言うには、それは「部屋の使用料」である。

 かつて、このようなやりとりがあった。

 

「一郎くん家には本がたくさんあるし、飲み物も飲み放題、お菓子も食べ放題! マンガ喫茶みたいなもんじゃないですかぁ。だから、せめてこれくらいはって思うんですよぅ」

「そんなこと、気にすることはないよ。だいたい、置いてあるのも小説にお茶、ちょっとしたお菓子くらいのもので、お客様にお出しするような大層なものじゃない。つまり自分用、あるいは身内用だね。めぐみは”身内”なんだから、そんなこと気にしなくていいんだよ」

「いいんですよぅ。おかーさんも気にかけてるし。今日も言われたんです、一郎くんにちゃんとしたもの食べさせてあげなさいって」

「それを言われると弱いなぁ。……ってことは、これ、めぐみの手作り?」

 

「えっへん」

「すごいじゃないか!」

「ねぇ、一郎くん。男の人って、料理のできる女の子は好き?」

「そりゃあね。男は皆そうじゃないかな。特に僕みたいな、料理がからっきしな人にとっては」

「それじゃあ、もっともぉっと腕を上げないとねっ」

 

 それ以来、めぐみはほぼ料理持参で部屋にやってくるようになった。

 素直に厚意に甘えることにした一郎であるが、感謝の言葉は忘れない。律儀な一郎と、他人行儀をいやがるめぐみとの間を取って、先のような寸劇を打つことに相成ったのだ。

 

「それじゃあ、わたしは本読んでるけど、一郎くんは執筆かな?」

「今日は本を読もうかな。買ったばかりで、バラしてスキャンにかける前の本があるんだ」

「いつも思うんですけどぉ、本バラすのって勿体なくない?」

「まぁね。結局は紙の手触りが一番だと思うし。でも、そうでもしないと、本なんてあっという間に棚からあふれちゃうからなぁ。あれはきっと、増殖する生き物だよ」

「もしくは、スライムみたいに仲間を呼ぶタイプのモンスターだよねぇ。……あっ、こっちにあるのが新しい本だね。バラす前に読んでもいい?」

「どうぞお好きに」

「やったっ。それじゃあベッドの上もーらいっ」

 

 ごろりとベッドに転がる。スカートに皺が寄るのも構わずに、めぐみは「えへへ」と嬉しそうに、楽しそうに笑う。

 

「ちょっとは家主に遠慮するべきじゃないかな」

「一郎くんこそ、お客さんに譲ろうよ」

「お客さんにベッドは譲らないんじゃないかな、ふつうは」

「いいのいいの。めぐみちゃんは”身内”なんでしょ。ねっ?」

「矛盾じゃないか。それも舌の根の乾かないうちから」

「さいきょーの矛と盾を持っためぐみちゃんは、無敵の元気っ娘ですからっ」

 

 一郎が苦笑すれば、めぐみはにぱっと笑顔で答えるのだった。

 そして、ゆるゆると時間が流れる。

 気がつけば、ふたりは無言で読書にふけっていた。めぐみはベッドに寝転がり、一郎はベッドを背もたれに床に座して。

 耳を澄ませば、吐息さえ聞こえてくる距離である。それだけ近くでありながら、二人は、少なくとも一郎は、めぐみの気配さえ忘れて読書にふけっていた。

 かさり、と紙のめくれる音。しゅるり、と衣類のこすれる音。そんな音が、ふと思い出したように耳朶を撫でる。

 不意に、甘い匂いがただよってくる。それで、一郎は、めぐみがすぐ隣にやってきていたことに気付いた。

 

「ねぇ、一郎くん。もう夏休みが終わるね」

 

 顔を上げて振り向くと、めぐみの顔がそこにあった。めぐみは、ごろりとベッドの上を転がって、一郎のそばにやってきていた。

 グロスだかリップクリームだかを引いているのだろう。ぷっくらした唇が、陽光を受けて桜色に色づいた。窄み、ひらく様は、まるで蕾のほころぶようである。そこからこぼれた吐息もまた、砂糖菓子のように甘い。

 けれども、一郎は「んー」と気の無い返事である。本に夢中になっているのだ。声が届いていないわけではない。一区切りつくまでは、一郎は読書を優先するのだ。

 そんな一郎を、めぐみはにこにこ微笑みながら待つ。

 ようやく顔を上げた一郎に、めぐみは話しかける。

 

「宿題はもう済んだの?」

「実は、皆で集まったときにやっつけたんだ。皆ってのは、作家仲間のことなんだけどね」

 

 それがいかなる感情の変化を引き起こしたのか、めぐみは、がばっと起きあがって声を高くした。

 

「それって、和泉ちゃんのおにーさん――和泉マサムネ先生や、ここで酔い潰れてた獅堂国光先生?」

「そうだよ。他にも、山田エルフ先生や千寿ムラマサ先生も一緒にね。獅堂先生以外は中高生だから」

「ふへぇ、一郎くんがちゃんと友達付き合いしてる……」

 

 失礼な物言いである。が、自覚のある一郎は甘んじて受け入れた。

 

「千寿ムラマサ先生ってぇ、たしかアニメでやってる『幻想妖刀伝』の作者さんですよね」

「知ってるんだ」

「もちろん! めぐみちゃんは文学少女ですからっ。ムラマサ先生の『妖刀』もバリバリ読んじゃいますよっ」

「めぐみって、三国志や海外文学が好きじゃなかったっけ」

 

 神野めぐみは自称文学少女である。

 その原因の一端は、一郎に求めることができる。なんとなれば、めぐみのすぐ隣には一郎がいたのである。これに影響されない筈がない。

 めぐみは、ものごころ付く前から一郎を追いかけまわしていた。ものごころが付いてからは世の妹や弟がそうするように、兄のような一郎を真似て、本を読みだしたのだ。

 初めは児童文学を。それから、尺の短い探偵小説や海外文学を。そして、中学生の頃には三国志にハマったのである。

 

「三好三国志の熱いノリも好きだけど、キモヲタ小説――じゃなくてラノベの熱い展開とかも好きですよ。少年ジャンプ的な勢いがあってスカッとするよねっ」

「ちょっと、めぐみ。今あぶない発言しなかったかな」

「えへへー」

 

 誤魔化しの笑みを浮かべる。

 それだけで、うっかり一郎は全てを許してしまいそうになる。

 めぐみは気立て、器量ともに大変優れた少女である。朗らかで嫌味のない、まっすぐな心根は、その花のような笑顔に立ち現われている。

 ときどき口を滑らせて無神経な言葉を落っことしてしまう幼馴染みであるが、それも、日々の生活のなかで経験を積むうちに少なくなってきた。もう十年もしないうちに、誰もが絶大な好意と信頼を寄せる、素敵な女性に成長するに違いない――

 

 というのは、身内の贔屓目を多分に含むだろう。

 一郎は、娘を嫁に出す父親の顔になって、めぐみとの思い出を回想する。足元にこさえた水たまりの後始末をつけた幼少期。友達との殴り合いのケンカを仲介した幼児期。おませな言動に苦笑した学童期。

 かように親身に世話を焼いてきた身としては、贔屓目のために甘くなってしまうのも仕方が無い。ところが、最近は逆に世話を焼かれる一方である。それがまた、くすぐったいのだ。

 そんなだから、一郎はめぐみにめっぽう甘かった。

 

「他のラノベ作家さんの前で言ってないよね、それ」

「ええっとぉ……ちょっとお化粧直しに行ってくるねっ!」

 

 はたいてもいない白粉を、どうやって直すというのか。

 

「やれやれ、仕方のない子だなぁ」

 

 と言いつつも、ついつい笑みを浮かべてしまう一郎であった。

 

「さて。結構時間が経ってるな。のども渇いた。飲み物でも用意しよう」

 

 冷房を効かせているとはいえ、そこは夏である。気づかぬうちに、身体は汗を滲ませる。脱水症状にはよくよく注意しなければならない。

 そう思って二人分のコップを用意した一郎であるが――

 

「あら、気が利くじゃない」

 

 横からかっさらう手があった。

 エルフである。

 くぴりと可愛らしく喉を鳴らして、一息にあおる。白い喉がなまめかしく上下する。

 一郎の肩が、驚きで跳ねる。

 

「エルフさん、いつの間に」

「鍵が開いてたのよ。不用心じゃないの。それとも、わたしが電撃訪問するのが分かってたの? 虫の知らせってやつかしら。あるいはニュータイプ的な直感? 愛の力でエルフちゃんの接近を関知したのね」

 

 エルフは、合い鍵を持ってはいない。一郎の部屋に訪れる際は、事前に連絡があるので、あらかじめ鍵を開けておくのが常であった。

 だから、今日のように連絡もなしにやってくる場合は、呼び鈴を鳴らすのだ。すると、驚いた一郎が扉をあける。それが楽しくって、エルフは電撃訪問を何度か行ってきた。

 

「今日の驚きようは一入(ひとしお)ね。こっそりやって来た甲斐があったわ!」

「そりゃあ、音もなく横から手が伸びてくればね。エルフさんが多芸なのは知ってたけど、格闘技でも習ってたのかな」

「そこはダンスとかバレエとか言わない? バトルもののラノベに出てくる、闘うヒロインじゃあないんだから。まっ、ラノベヒロイン並の美少女ってことは否定できないけれど」

 

 エルフは楽しそうにからから笑った。

 

「でも、それだけ驚くってことは、これはわたしの為に準備してくれたお茶じゃなかったようね。どおりで葉っぱが安物の筈だわ」

 

 一郎は、我が儘なエルフの為だけに、お高い茶葉を準備している。紅茶はもちろん、麦茶さえも専門店で購入した高級品だ。

 

「となると、問題は誰のかってことよね。ひょっとして、マサムネか国光でも来てるのかしら」

「そうでもないんだけどね。ほら、靴を見たんじゃないかな」

 

 一郎が想起したのは、女ものの可愛らしいパンプスである。

 エルフは見落としていた。逸る気持ちが、堪え性の無いエルフから注意力を奪っていたのだ。

 

「どういうことかしら。それじゃあまるで一郎に、わたしたち以外の友達がいるみたいじゃない」

 

 エルフが訝しげなのも無理からぬ話である。

 なにせ人付き合いの悪い、小説狂いの一郎ことである。エルフの知る限り、この部屋に上がりこむような物好きなど、いつもの連中しかいない。だから「流石エルフさん。名探偵だね」と手放しで名推理をたたえてくれなければおかしいではないか。

 

「実は」

 

 と一郎が口を開いたそのとき。

 甘ったるい声が二人の間に割って入った。

 

「一郎くん、さっきからぶつぶつ言って、どうしたんです――――え」

 

 めぐみである。

 可愛らしい顔を驚きに染めあげて、ぱちぱち瞳をまたたき、一郎とエルフを交互に見やるや、

 

「うっわぁ誰、誰? すっごく可愛い~!」

 

 と黄色い声を上げた。

 人間、窮地に立たされたときや、予期せぬ事態に追い込まれたときこそ、本来の姿が現れるという。

 エルフはぎょっとして、

 

「え、ええ……そうでしょうとも! 何を隠そうわたしこそは、美少女天才作家と名高い山田エルフ。あなたも、聞いたことくらいあるんじゃない? 今度アニメ化される『爆炎のダークエルフ』の作者よ!」

 

 と胸を反らして名乗りを上げた。

 けだしエルフこそは自信と顕示欲の塊である。動転したときでさえ、自己主張を忘れない。

 

「あ~、一郎くんのお友達の!」

「ちょっと、反応するところはそれ? たしかに一郎とは仲良くしてあげてるけど」

 

 それを、めぐみは華麗にかわしてみせた。

 というより、反応するだけの余裕がなかった。エルフが動転したように、めぐみもまた、動揺していたのだ。

 

 そして。

 動揺しためぐみの示す本性。

 それは、とても女性的なものだった。

 めぐみは愛想良く微笑んだのである。

 

「どうも、一郎くんがお世話になってます。幼馴染みの、神野めぐみといいます」

 

 それは、ほぼ反射的に放たれた、無意識の牽制打であった。

 彼女は、自分が大変見栄えの良い少女であることも、また自分をいっそう可愛らしく見せる笑顔のつくり方もよく心得ていたのだ。更には、一郎との仲の深さを匂わせる言葉を放つ。

 めぐみは、その豊富な人間関係でつちかった経験から、エルフの一郎に対する特別な感情を察したのである。

 これがエルフでなければ、効果は抜群だっただろう。めぐみほどの器量もなければ、一郎との深い繋がりもない。引け目を感じ、すごすごと引き下がったに違いない。

 エルフはそうではない。

 彼女は堂々と胸を張り、応じてみせた。

 

「山田エルフよ。こちらこそ、一郎が迷惑かけてるみたいね」

 

 料理の詰まったタッパーが台所に置かれているのを、ちらりと見やる。

 ほんの一瞬だけ表情を曇らせて、けれども、次の瞬間には自信満々のいつもの表情で、めぐみに向き合っていた。

 

「一郎ってば、料理が下手だものね。でも安心してちょうだい。これからはわたしが、きっちり面倒見るから」

「いいえ。あたしが面倒みますよぅ。一郎くんの好みも食生活も、よっく分かってますからっ。幼馴染みなんです。これまでもずっとそうしてきたし、これからもそうするつもりです」

 

 めぐみも負けてはいない。

 なんとなれば、一郎といちばん長く付き合ってきたという自負がある。一郎のことをいちばんよく知っているのは自分なのだという自信、一郎が家族同然に気を許しているのは自分なのだという自覚があった。ぱっと出の金髪少女に持って行かれるほど、一郎との絆は浅くない。彼女はそう思っていた。

 けれども。

 そんな想いをくじく者がいた。

 一郎である。

 

「あのさ、めぐみ」

 

 一郎は、まっすぐにめぐみを見据えた。

 いつもの笑顔をひっこめた、真面目な顔で。

 

 瞬間、めぐみはすべてを悟った。

 その表情を、めぐみは覚えていたのだ。

 忘れられよう筈もない。それこそは、初めての失恋をもたらした表情なのだから。

 

「――いや、聞きたくない!」

 

 叫び、続くはずの言葉を遮った。そうしなければならなかった。

 めぐみは一郎のことを好いているのだ。親愛の情よりなお深く貪欲な、異性に向ける慕情を抱いている。

 それを、一郎はうすうす察していた。

 察していながら、放っておいた。

 かつて、一郎はめぐみを袖にしていた。だから、付き合うことはできないと、彼女はきちんと心得ている筈だと思っていた。

 それは大きな間違いだった。

 そして、間違いは正さなければならない。

 

「めぐみ。僕はエルフさんと付き合ってる。エルフさんが好きなんだ」

 

 いやいやと首を振るめぐみに、一郎は言葉を重ねる。

 もちろん、めぐみは、素直に聞き入れることなどできはしない。

 

「いやだよ、認めない、認めたくない! 一郎くんは誰とも付き合わないって言ったもん! だから、その娘と付き合っちゃダメなんだもん! ねぇ、一郎くん、別れてよ」

「めぐみ……」

 

 困りきった顔で、一郎はめぐみを見やる。

 一郎とて、めぐみを悲しませたいわけではない。けれども、エルフを愛してしまった以上、避けては通れない。引導をわたさなければならない。

 意を決して口を開いたときである。

 

「ダメよ、一郎。いくら(あんた)が言っても、こればかりは収まりがつかないわ。これはもう、わたしとアイツの勝負なの。正々堂々、一対一のね」

 

 エルフがめぐみの前に進み出た。

 

「……一郎くんを返してよ」

 

 瞳いっぱいに涙をためて、めぐみは言った。

 エルフはあっけらかんと答える。

 

「いいわ。そこまで言うなら、決着をつけてあげようじゃない。――勝負よ。かかってきなさい」

「言ったからねっ! あたしが勝ったら、一郎くんを返してくれるんだよね!」

 

 めぐみは、一直線にエルフを睨みつける。

 その瞳をしかと見据えて、エルフは首肯を返した。

 

「ええ、そうね。考えてあげるわ」

「考えるだけ、ってのはなしだよ。ちゃんと一郎くんと別れて!」

「もちろん分かってるわ。この山田エルフ、そんなみみっちい生き方はしないつもりよ。ええ、二言はないわ。わたしが負けたら、一郎とはきっぱり別れてあげようじゃないの」

 

 エルフの悪い癖が出た。

 人生を面白おかしくかき暮らそうとする彼女は、ゲームの流儀を現実に持ちこんでくる。この場合、ヒロインをかけて死闘を演じるヒーローのつもりでいるのかもしれない。

 そんな無茶苦茶な提案を、一郎は止めることができなかった。エルフの目配せが、一郎を制したのである。

 そもそも、くちばしを挟んだところで暖簾に腕押しであったに違いない。めぐみは一郎の言葉を拒んで駄々をこねたのだから。

 

「勝負はどうするの? あたしは何でもいいよ。何を挑まれても、絶対に勝って一郎くんを取り戻すんだからっ」

 

 両の手をにぎって意気込むめぐみである。

 対するエルフは、片手を目、もう片手を肘に添える、多感なお年頃ならではのポージングを決めて、宣うた。

 

「違うわ、間違ってるわよ。挑むのはあなた。それに応えるのがわたし。挑戦者を華麗に倒して、一郎が誰のものかはっきりさせてあげるわ」

 

 発話内容も態度も、相手をおちょくっているとしか思えない。

 けれども、めぐみには、そんなことを気にしている余裕などなかった。

 彼女は、もうそれしか目に入らないとばかりに、恋敵の顔をねめつける。

 

「……勝負の内容は?」

「そうね」

 

 エルフはまっしろな人差し指を、桜色の唇に添えて、思案する。

 かと思いきや、指揮棒でも振るかのようにしなやかにのびやかに突きつけて、言い放つ。

 

「カラオケで勝負よ!」

「望むところですよぅ。リア充女子中学生めぐみちゃんの実力、見せてあげるんだからっ!」

 

 めぐみも負けじと啖呵を切った。

 エルフは自信たっぷりに、めぐみはうるんだ瞳に力を込めて、にらみ合う。

こうして、二人の美少女は、紫電を散らして対峙するのだった。

 




8,589文字


次回、カラオケ回。


=====
ネタ解説
=====
「ダイジョーブ」:
 パワプロのダイジョーブ博士の台詞。もちろん大丈夫ではない。

「返してくれるんだよね!」「ええ、そうね。考えてあげるわ」:
元ネタでは返すとは言ってませんが、エルフちゃんは返すと約束しました。
「やれば返していただけるんですか」「おぅ。考えてやるよ」

「違うわ、間違ってるわよ」:
厨二病悪逆皇帝の決めポーズと台詞から。

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