転生作家は美少女天才作家に恋をする   作:二不二

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 いろいろ危険の伴うカラオケ回かつ、趣味100%の俺得洋楽回です。
 なお、今回登場する洋楽の記述(歌詞あるいは訳文そのものではなく、曲の概要、主題の解釈を記述したもの)については、予め管理人様にメールにて具体的にお尋ねし、OK判定を頂いています。


Ex4.かませ犬のバラード・下*

 ***

 

 

 話が決まるやいなや、めぐみは部屋を飛び出した。

 

「先に行って部屋を取ってるから! 一郎くん、いつものとこね」

 

 顔を背けて、そのまま走り去る。

 めぐみは、けっして振り返ろうとはしなかった。けれども、一郎には、めぐみがどのような顔をしているかがよく分かった。きっと涙をこぼしているに違いない。

 

「…………」

 

 一郎は無言で、じっと幼なじみの後ろ姿を見送る。

 後ろ髪でも引かれたかのような、物憂げな表情。それは、エルフが初めて目にする一郎の表情だった。

 それが、エルフは気に入らない。

 

「なによ、ひょっとしてああいうのが好みだったりするの?」

 

 固有スキル“神眼”を持つエルフの見立てによれば、一郎は恋愛に関してサバサバした一面がある。小説以外のすべてを、彼は割り切ることができるようなのだ。

 エルフに横恋慕した際は、十年単位の長期戦、それも一生涯の片思いを覚悟していた。それだけ深い想いをいだきながら、エルフには作家友達以上の接し方を(基本的には)しなかったし、恋敵のマサムネとは“親しい友人”としてわだかまりなく接していた。のみならず、エルフが心おきなくマサムネに挑むことができるよう、気を遣ってさえいた。恋愛に関して、徹底して割り切っていたのだ。

 そんな一郎だから、自分に想いを向ける相手にも中途半端な遠慮はしない筈である。「君とはつき合えない。小説を書く時間がなくなるから。だから、良い友達でいよう」くらいは言いそうである。なにせ彼は、小説がすべてに優先する小説バカであり、実際、前世では小説と添い遂げた。

 それが、どういうわけか、神野めぐみという少女にだけは、態度が異なる。

 

「めぐみは幼馴染みなんだ。家族同然の、いや、家族より親しい間柄のね。それで、その、小学生の時に約束したことがあってね」

 

 一郎にしては珍しく、たどたどしい口調である。

 当然、エルフは噛みついた。

 

「ちょっと、どういうことよ! 説明しなさい! まさか秘密だなんて言わないわよね。こういうことを黙ってると、三角関係になって泥沼にはまって、昼ドラ展開まっさかさまよ。ラノベやマンガの鉄則よ。もちろん分かってるわよね」

「フィクションの法則はさておき、エルフさんに隠し事はしないつもりだよ」

 

 一郎は、いつになく重々しく口を開く。

 

 

 ***

 

 

 それはバレンタインの日であった。

 

「一郎くん、あたしをお嫁さんにしてくださいっ」

 

 神野めぐみ八歳。彼女は、はじめての手作りチョコとともに、その言葉をぶつけてきたのだ。

 一郎はきっぱり断った。

 

「ごめんね、めぐみ。僕は誰かと結婚するつもりはないんだ。小説を書いて、読んで、たまに友達と遊ぶ。それだけで十分幸せだし、それ以外の生き方を僕はできない。めぐみは可愛らしいし優しい良い子だから、僕なんかよりもっとずっと良い人がすぐに見つかるよ」

「うそ……だよね? あたしに優しい一郎くんが、そんなこと言うわけないもん。ねぇ、一郎くん」

 

 一郎は答えない。いつもの笑顔をしまって、真面目な顔で、まっすぐめぐみを見つめている。己は本気であると訴えている。

 

「ふぇぇ……一郎くんは、あたしのことが嫌いなんですか」

「そんなことないよ。めぐみのことは家族同然に大切に思ってる。姪とか、妹とかね。だから――」

「いやっ。そんなこと言わないでっ!」

 

 可哀想なめぐみは、すっかり泣きじゃくってしまった。

 一郎は、撫でるような優しい声音で宥める。

 

「めぐみ。僕は、きみと一生の付き合いをしたいと思ってる。恋人とか結婚とか、そういうのはいつまで続くとも限らない。どれだけ好き合っていても、一緒に暮らすうちに、ケンカばかりで嫌いになっちゃうこともある。けれど、友情は一生ものだよ。めぐみとは一生仲良くしたいんだ」

 

 それは優しくも残酷な拒絶の言葉である。

 けれども、覚悟を決めた女は強い。母は強しと言うけれども、恋する乙女もまた強かなのだ。それを、独り者の一郎はほんとうの意味で知り得なかった。

 めぐみは、泣き腫らしたまっかな瞳で、一郎を見上げて言う。

 

「……ねぇ、一郎くん。あたしにチャンスをちょうだい? 一郎くんは、ずっと独身のつもりなんだよね。だったら、あたしも独りでいるもん。一郎くんが結婚してくれるまで、ずっと待つから。だから、お爺ちゃんお婆ちゃんになったら結婚してくれますか?」

 

 一郎とて、めぐみを嫌っているわけではない。むしろ好いている。

 それは異性に対する慕情ではないが、家族やそれに類する者に対する、深い親愛の情には違いない。

 そんな相手をいたずらに悲しませたくはない。また、同じ家で暮らすことになったとしても、ふたりの在り方は、今とあまり変わらないように思われた。つまり、嫌ではなかった。

 だから、一郎は宥めるつもりで、軽い気持ちで応じた。応じてしまった。

 

「うーん。たしか、日本の平均結婚年齢は三十だったかな。それじゃあ、めぐみが三十になって、お互い決まった相手がいなかったら、その時は一緒になろう」

「ほんとにほんとっ!? うそついたらダメだよ、約束だからねっ」

 

 と顔を輝かせる童女を、一郎は微笑ましく見やる。

 

(ちっちゃな子が親戚のお兄さんお姉さんに憧れるってのはよくある話だ。めぐみは器量も気立ても良いし、そのうち、ちゃんとした恋人ができて、こんな他愛のない約束は忘れるだろうさ)

 

 などと考えながら。

 

 

 ***

 

 

「ふぅん。そうやって、ほいほいOKしたってわけね」

 

 肯じる一郎。

 エルフは呆れ声で、

 

「バカ。朴念仁。ラノベ主人公」

 

 と酷評した。

 けれども、じめっと後を引かないのがエルフである。さんざん言って気が晴れたのか、エルフは、からりとした口調で言葉を継ぐ。

 

「まったく、男ってバカよね。大人になってもオモチャだのマンガだのゲームだの、ガキみたいなヤツばっかり。その点、女の子はどんなに小さくても“女”なんだから」

 

 などともっともらしく言うエルフの仕事場には、マンガとゲームが山を築いている。「それ、エルフさんが言うかなぁ」という言葉を、けれど一郎は吐かない。エルフは男の童心と女の機微の両方を理解することのできる、懐の深い女性なのだ。

 

「女の子の覚悟を見誤っちゃあダメよ。あんただって小説読んだり書いたりしてるんだから、それくらい知ってるでしょうに。……けどまぁ、いろいろ気の回る一郎だけど、そこは男ってことかぁ」

「そっか……。めぐみには悪いことをしたなぁ」

「悪いのはいつだって男なのよ。その分、女は面倒かもしれないけどね――」

 

 と言いかけて、エルフは気づいた。

 一郎はめぐみをかばっているのだ。

 なるほど、乙女に気を持たせるような言動をした一郎には確かに責がある。だからと言ってエルフに詰め寄るのはお門違いも甚だしい。

 そんなめぐみに悪感情を持たせぬよう、自分の失点ばかりに目を向かせようとしていたのだ。

 このもくろみは実際、成功していた。女として思うところがあるのだろう。一郎の話を聞くうちに、エルフはめぐみに対して同情的になっていたのだ。

 

「呆れたわ。あんたって、ほんっっとラノベ主人公だったのね!」

 

 という罵倒語の意味するところは「優柔不断のハーレム野郎」である。

 自分という恋人が居ながら、他の女をかばう一郎に、エルフは胸の詰まる思いがした。

 

「エルフさん。めぐみは僕にとって家族同然の、姪みたいな子なんだ。それだけだよ」

 

 一郎は言葉少なに訴える。

 めぐみは家族同然の、大切な人間であると。

 けれども、恋愛の対象ではないと。

 

「僕が愛してるのは、何より大切なのは、エルフさんだから」

 

 一郎のまっすぐな瞳が、エルフを射抜く。

 不意にエルフは、世界にたった一冊の、あの本を思い出す。

 すると、胸のつかえはすっと溶けて消えてしまった。あの本のほんの一節でも思い出せば、この世の誰よりも深く強く思われていることは、たちどころに明らかになるのである。

 

「……そうよね。あんたは小説バカだもんね。そんなの、言われるまでもないことだったわ」

 

 エルフは安堵の吐息をこぼす。

 次の瞬間には、すっかりいつものエルフに戻っていた。

 

「しょうがないわね。まっ、この究極美少女エルフちゃんと出会う前のことだもの。枝の股から産まれてきたような一郎じゃあ、そんな約束してもしょうがないかもね」

 

 それから、まじめな顔で一郎に向き直る。

 声音も一段低く、エルフは尋ねた。

 

「どういうつもりだったのか、だいたい予想がつくわ。でも、やっぱり、教えてちょうだい。一郎のこと、もっとちゃんと知っておきたいの」

「分かった。ちゃんと話すよ」

 

 一郎はぽつり、ぽつり語りだす。

 ――一郎にとって、小説以外はすべて“余計なこと”あるいは“面倒ごと”だった。人付き合いに労力を費やしたり、小説の時間が削がれることを嫌がっていた。

 その点、幼馴染みのめぐみであれば気心も知れているし、何より口うるさく干渉してこないから、都合が良かった。

 

「めぐみなら、一緒になっても今とあんまり変わらないと思ったんだ。……不誠実な行動だった。僕がめぐみと話をつけるよ。きっぱりフってくる」

「ダメよ」

 

 エルフはぴしゃりと言った。

 いまやすっかり、彼女は確信していた。この鈴木一郎という男は、小説以外はてんでだらしがない。

 小説にかまけて、生活習慣はムラマサのように不健全である。曲がりなりにも中学生らしく生活できているのは、件の幼馴染みのおかげだろう。

 その幼なじみに対して、フッたつもりが気を持たせるようなことをしているので、女性関係も舵取りが下手だ。放っておいたら、生活習慣病か痴情のもつれで命を落としかねない。

そんな彼の面倒を見ることができるのは、自分をおいて他にはいないのだ。

 

「あんたには分かんないでしょうから、教えてあげる。女ってのはね、男の話なんか聞きやしないのよ。特にこういう、自分のものだと思ってた男を誰かに盗られた場合はね」

 

 ドンと胸をたたいて、エルフは自信満々に請け負った。

 

「任せときなさい。一郎の不始末は、わたしの不始末よ。これはもう一郎だけの問題じゃなくって、わたしたち二人の問題だわ。ここはエルフちゃんが一肌脱いであげようじゃないの」

 

 

 ***

 

 

 そして二人はカラオケ屋へやってきた。

 あらかじめ手続きを済ませていためぐみに先導されて、部屋へと入る。

 まっさきに動いたのはエルフだった。

 マイクをかっさらい、白魚の指をたかだかと掲げ、そして、ぴんとめぐみを指す。

 

「ルールは簡単よ。場の雰囲気を盛り上げた方の勝ち」

 

 スピーカー越しのエルフの声が、いんいんと部屋に響く。

 めぐみも負けじと、マイクを引き寄せる。

 

「つまり、一郎くんが審判ってことですね」

「分かってるようね。そう、これは一郎をめぐる闘いよ。この偏屈な小説バカと一緒になろうっていうなら、小説(しゅみ)を共有するのはもちろん、小説以外のことでも楽しく過ごせなくっちゃいけないわ。つまり、相性の良さを競うのが、このカラオケ勝負ってわけ」

「いいのぉ? 小説家なのにぃ、小説以外のことで勝負してぇ。それだと、エルフちゃんに勝ち目が無くなっちゃうよ」

 

 挑発するめぐみである。

 そこに先ほどまでの狼狽はみじんも見られない。ただただ、まっすぐにエルフを睨み返す。それは、覚悟を決めた女の目だった。

 

「自信満々ね。ぶりっ子のくせに、いい目をするじゃない」

「十年来の幼なじみだからね。一郎くんのことなら何でも知ってるんだからっ」

「はっ。ちゃんちゃら可笑しくって、ヘソが茶をボイルするわ。確かに、わたしと一郎は出会って数ヶ月よ。でも、とびきり濃い付き合いをしてきたわ。それこそ、どこかの幼なじみサンの十年間を煮詰めたくらい、濃厚な付き合いをね。幼なじみキャラが所詮はかませに過ぎないってことを、正当派ヒロインのエルフ様が教えてあげようじゃない!」

 

 めぐみを指さし、マイク越しに凄むエルフである。対するめぐみは、わざとらしく小首を傾げてみせた。

 

「ふぅ~ん。ラノベ作家の言う正当派ってぇ、イロモノのことなんだぁ」

「わたしがイロモノですって!?」

「だって、裸好きじゃないですかぁ。山田エルフせんせーの小説読んだんですけどぉ、隙あらば脱ぐーってカンジでぇ、なんて言うか、変態?」

「どうして変態なのよ! ヒロインの魅力をアピールする、幻想的なシーンじゃない!」

 

 この挑発は、エルフの心の柔らかい部分に突きたった。急所である。

 エルフは煽り耐性が低い。それは、故意にそうしている部分がある。人生を楽しむことに余念のないエルフは、怒ったりムキになったりといった情動を進んで楽しんでいるのだ。

 つまり、本気で怒っているわけではない。だからこそ、マサムネやムラマサとやり合っても、すぐにきもちを切り替えて、笑い合うことができる。

 しかし、小説となると話が別である。己が魂を練り込んで綴りあげた小説をバカにされて、本気にならない小説家はいない。少なくとも、エルフはそのように思っている。

 エルフは炎を瞳に宿して、にっくき毒舌少女をねめつけた。

 

「よっっく分かったわ。遠慮は無用ってことね。いいわ、こてんぱんにしてあげようじゃない」

「そんなことより、負けたらちゃんと約束守ってくださいよっ」

 

 マイクパフォーマンスを繰り広げた二人は、一郎を挟み込むように席に着いた。

 思わず一郎は肩を縮こませる。

 

「ほら、そんなちっちゃくなってないでリラックスしなさいよ。なんたって、これは、いかに一郎を楽しませるかって勝負なんだから」

「そうですよぉ。一郎くんには楽しんでもらわないと。それが勝負なんですからっ」

 

 あれだけ苛烈にやりあった二人も、一郎に対する態度はいつもの通りである。努めていつもの通りを演じているのだ。それが分かったから、一郎も平生の態度で応える。

 

「それもそうか。要するに、いつもの僕を見てもらえば、それが答えになるんだもんな」

 

 それでよろしい、と言わんばかりにエルフは頷いた。

 さて、そのエルフである。

 

「一番手は譲ってあげるつもりだったけど、やめたわ。最初からぶっちぎってやるんだから」

 

 彼女は、大仰なポーズを取る。小指を立ててマイクを握り込み、一郎に決め顔を向けた。

 

「ねぇ、一郎。わたしのピアノの腕は知ってても、歌の方は知らないでしょ? 今こそ見せるときがきたわね。いくわよ、『アネスティ』!」

「へぇ、意外だなぁ。エルフさんがこんなしっとりした曲を歌うなんて」

 

 いつも朗らかでにぎにぎしいエルフである。そんなエルフには、このしずしずとした旋律はそぐわない。

 しかし、なるほど。聴けば聴くほど、これほどエルフらしい選曲はないと思われた。

 それは、一途な愛を求める曲である。

 在りはしないと知りつつも、それでもなお誠実な愛を希う、いじらしい愛を歌っている。

 それは、エルフの価値観を象徴している。想い人に袖にされても一途に勝負を挑み続け。そしてついには一郎のひたむきさ、一途な想いに心を開いた。そんなエルフの内面を歌っているかのようであった。

 

「はい、次は一郎よ」

 

 とエルフがマイクを差し出したときには、すでに一郎の手にはめぐみのマイクがあった。

 

「ぐぬぬ、やるわね……!」

 

 エルフは、めぐみが難敵であると認めざるを得なかった。

 影のようにそっと寄り添い、何くれとなく夫の世話をするという、あの大和撫子のようではないか。

 にこりと微笑む様も、たおやかだ。

 ただし、瞳には愉悦の光が宿っている。

 

「なによ、妻気取り? きぃぃ、小娘のくせにっ」

「同級生だって話じゃないですかぁ。それをー、小娘だなんてぇ。見た目はそんなにちっちゃいのにぃ、心ばっかり老けちゃったんですかぁ?」

「ちょっと、ロリBBAは圧倒的な人気を誇る勝ち組属性なんだからねっ。幼なじみ属性なんか、刺身のツマよ、ツマ。妻気取りで調子に乗らないことね」

 

 しなをつくって挑発的な態度を取るめぐみに、エルフ火山はますます活性化する。

 

「……えっと。それじゃあ、エルフさんに続いて『キーポン・ラヴィニュー』を歌おうかな」

 

 唇を噛むエルフを宥めるように、一郎が声をあげる。実際、それは効果的であった。

 エルフは気色ばんだ。一郎の意図は明らかだったのだ。

 エルフの曲が一途な愛を求める曲なら、一郎のそれは、永遠の愛を誓う返歌である。

 バラードのしんみりした階調が、段々とボルテージを高めていく。いよいよ声を高く張りあげて、永遠の愛を唱いあげた。

 

「一郎……」

 

 エルフは瞳をうるませて一郎を見やる。

 一郎は、やさしく微笑んで応えた。

 

「ぐぬぬ……」

 

 今度はめぐみが唇を噛む番である。

 彼女は中学生であったから、英語の歌詞を十全に理解することはできない。けれども、二人をつなぐ絆の糸が、ありありと見えるような気がしたのだ。

 当然、彼女は割って入ろうとする。

 

「今度はあたしですよっ。めぐみ、『スカイ・ハイ』歌います!」

「ぶっ」

 

 コップに口を付けていたエルフは、思わず吹き出した。

 

「アンタ、歌詞の意味分かってる?」

「よく分からないけど、これ、一郎くんが好きな曲なんですよぅ。一緒にカラオケに行ったときは、いつも歌うもんね。ねっ、一郎くん!」

「う、うん。とあるプロレス選手の入場曲でもあるし、有名な曲だからね。そうだね、めぐみ入場のテーマってことにしておこうか、うん」

 

 笑顔を向けてくるめぐみに、一郎はひきつった笑みを返した。力なく垂れた眉が、どこか申し訳なさそうでもある。

 それも仕方のないことであった。なんとなれば、それは、失恋の歌だったのだ。

 いつまでも続くと思っていた関係は、しかし、ある日突然終わってしまった――

 そんな悲恋を熱唱するめぐみに、一郎は、哀れみと申し訳なさのいりまじった複雑な思いを抱かざるをえない。

 歌が上手なのもまた哀れを誘う。しっかり音程を捉え、声もよく延びれば歌詞も違わず、すっかり歌い慣れた様子である。それだけこの曲を歌い込んできたのだ。その曲が何を意味するかを知らぬまま。

 

「……そうしといた方が良いみたいね。ところで、一郎は他にどんな曲が好きなのかしら」

 

 見かねたエルフが話題を転じる。

 一郎は厚意に甘えることにした。

 

「八十年代までのロックンロールだね。ちょうど世代だったんだ。イーグルスの『ホテル・カリフォニア』なんか、まさに一世を風靡した作品だよ。それをきっかけに、ビートルズにクイーン。さらに遡ってエルヴィス・プレスリー。リトル・リチャードにチャック・ベリー」

「まさにオッサンね。一番最初まで遡ってるじゃない。さしずめ、バックトゥーザパストってところかしら」

 

 エルフは呆れた声を出す。

 それはまさに、ロックの発展の歴史を逆にたどる旅だったのだ。

 そんなエルフの呆れ声などどこ吹く風。一郎は、気持ちよさそうに古き良きロックンロールを歌う。

 

 曲名は『のっぽのサリー』。

 内容はなんてことのない、下世話な噂話である。ひそかな主張もなければ、あからさまな恋の曲でもない。ただただ、叔父さんの不倫をにぎやかす、おどけた曲である。

 一郎は、かつて本家がそうしたように、おどけて歌ってみせる。

 これに触発されたのはめぐみである。

 

「ロックンロールなら、あたしも歌えるよ。ねっ、一郎くん!」

 

 めぐみは意気込んでマイクを取った。

 もともと、めぐみは洋楽にあまり興味がない。もともと同級生と遊ぶときは、流行の邦楽ばかりを歌ってきた。

 そんなめぐみの得意とする歌は、けれども、今では幅広い。流行歌はもちろん、演歌や童謡まで。人付き合いの上手な彼女は、他人の趣味を好きになることができたのだ。

 そんな彼女であるから、一郎の側にいて影響をうけない筈がない。一郎をカラオケに引っ張りまわすうちに、一昔前の歌謡曲や洋楽を身につけることとなった。

 そうした、一郎と重ねてきた思い出のひとつが、この曲なのだ。

 

「『キャントバミーラヴ』を歌いまーす」

 

 明るく宣言するめぐみに、エルフは思わず「ちょっと待ちなさいよ」と言いかけた。もしその曲に序奏(イントロ)があれば、制止の声をかけていたに違いない。

 またしても、悲恋の曲だったのだ。

 小気味良いギターの音が、悲恋の歌を明るく盛り上げる。歌詞がなければ、とても悲恋の曲だとは分かるまい。

 気持ちよく歌いきっためぐみに、流石のエルフも同情する。何も言わず、次の曲に移ったのは武士の情けである。  

 

「次はわたしよ。物書きとして、この曲は外せないわ。もちろん一郎は知ってるわよね。ビートルズの『ペイパーバック・ライター』よ」

「良い選曲だね。流石、エルフさん!」

 

 存在感のあるベースラインが刻むのは、一心不乱の情熱。どうあっても小説家になりたい。家庭も仕事も、今ある生活のすべてをなげうってでも。そうした必死の思いを、編集者宛にしたためた手紙を歌いあげた一曲である。

 素朴でのびやかなフォークソングでありながら、明るく、けれども憂いを帯びたR&Bの旋律。どういうわけか、じんと胸ににじむ感傷を、歌詞を知らぬめぐみですら覚えざるを得なかった。

 

「小説家になりたいって曲なんですかぁ?」

「そうだね。僕ら物書きにぴったりな曲だよね」

「あたし、この曲覚えます。だから、今度一緒に歌おうよっ」

 

 こうして、三人のカラオケは続く。

 めぐみが空回りすれば、エルフが盛り上げ、一郎が続く。

 ――そのような状況が長く続くはずもない。

 エルフは、気遣いのできる少女ではあったけれども、そのやり方は独特で、しかも元来が身勝手でこらえ性が無かった。

 

「やってらんないわ、どうしてわたしが気を回さなきゃなんないのよ!」

 

 とうとうしびれを切らしたエルフは、自由気ままにアニメソングやらゲームソングやらを歌い始める。

 

「この曲はね、こないだ完結した、PC98時代から続くエロゲーのシリーズ九作目、ラスボス戦のBGMなのよ。もともとは別のゲームのOP曲だったんだけど、ファンの間で人気があって、度々カヴァーされてるの。わたしの『爆炎』のアニメのOPも、これくらいの名曲でなきゃ釣り合わないわね」

 

 とうんちくを垂れれば、すかさず一郎が拾う。

 

「へぇ。ゲームの曲、それも成人向けゲームの曲もカラオケに入ってるんだ」

「エロゲー原作アニメのあふれる昨今よ。アニメどころか、ソシャゲにパチンコと節操ないわ。すっかり社会権を得たってかんじよね。そうと知らずにソシャゲのスピンアウトをプレイして『このソシャゲーのエロゲー化が待たれる』なんて言っちゃってるバカもいるのよ。笑っちゃうわよね、もともとエロゲーなのに」

「ってことは、エルフさんもエロゲーするんだ」

「当然じゃない。エロゲーはオタクのたしなみよ」

 

 何を自慢することがあるのか、胸を反らして偉そうに宣うエルフを、一郎は楽しそうに見やる。

 エルフの自分勝手は、これに留まらない。

 誰も知らないような曲を好き勝手に歌い、歌える曲があれば一郎からマイクを奪い取り、しびれを切らせて自分の曲を割り込ませたりと、傍若無人を体現した。

 

 ふつうなら、雰囲気を悪くしたことだろう。互いの様子をうかがい、望むところ、望まざるところをそっと察するのが日本の流儀である。

 しかし、エルフは自分勝手なだけではなかった。一郎や、恋敵のめぐみが歌うときでさえ、合いの手を打ったり、自らマイクを取って競うように声を合わせてきたりと、全力で楽しんでいるのがありありと見てとれた。

 じっと呼吸を読んで相手に合わせる気遣いを、エルフはしない。その代わり、真正面から全力でぶつかって、楽しみを共有するのだ。

 

 めぐみは戸惑った。

 敵愾心をぶつけ合っていた相手が、気がつけばするりと懐に潜り込んできたような心地がしたのだ。

 

「ほら、次はあんたでしょ。ぼーっとしてないで、さっさと選曲しなさいよ。それとも、わたしが歌っちゃっていいの?」

 

 肩を寄せ、ずいとリモコンを突き出す。すっかり“友達”の距離である。

 そんなエルフを、めぐみは拒めない。無視すればよいのに、ついつい応じてしまう。それも、幾分か角の取れた声で。

 

「ちょっとぉ、さっきも歌ったじゃない。ちゃんと順番守らなきゃ、めっですよぅ」

「そんなので楽しいの? 歌いたいと思ったときが歌いどきよ。好きなときに好きな曲を入れればいいじゃない。そんなだから、日本人は堅苦しくってつまんないのよ」

 

 と言い合う二人の姿は、仲良くケンカする友達そのものである。

 それを一郎は優しく、嬉しそうに見やる。

 

「それじゃあ、僕も好き勝手に歌おうかな」

「そうよ。そうこなくっちゃ!」

 

 気づけば、勝負などそっちのけで三人はカラオケを楽しんでいた。

 エルフは相も変わらず好き勝手に歌い、めぐみは背伸びをやめて十八番の邦楽を。そんな二人にマイクを譲りながら、一郎は楽しそうに手拍子を打った。

 

 そして、とうとう時間がやってきた。

 耳をつんざく、けたたましい電子音。電話機である。

受話器を取れば「延長しますか?」との店員の無粋な声。それでようやく、約束の時間が過ぎたこと、それが一郎を賭けた勝負であったことを思い出す。

 めぐみは、はっとした。夢から醒めたかのように、それまでの笑顔がかき消える。

 

「どう? 延長する必要はあるかしら」

「…………ううん。もういいの、分かっちゃったから。だって一郎くん、あんなに楽しそうなんだもん」

 

 声がふるえている。だんだん声は小さく、けれどもどんどん高くなり――

 とうとう、めぐみは泣いた。

 慕情、悲哀、恨悔。あらゆる感情が打ち寄せ濁流となって、瞳からあふれる。

 その感情の波に流されるまま、泣きに泣いた。

 

「ふぇぇっ。どうしてあたしじゃないんですかぁ、どうしてあなたなんですかぁ!」

 

 めぐみは、エルフに縋りついて泣きわめく。

 エルフは、一郎に雄弁な目配せをした。

 

 出てってちょうだい。ここからは女同士の話よ。男の出る幕じゃないわ――

 

 そんな意思を乗せて、一郎を見やる。

 

「でも……」

 

 と言い募る一郎に、

 

「大丈夫。任せなさい」

 

 とエルフは胸を叩くのだった。

 

 

 ***

 

 

「あたし、分かったんです。どうして一郎くんがエルフちゃんのこと、好きになったのか。だって、こんなときだっていうのに、エルフちゃんたら楽しそうなんだもん。それも、あたしと友達みたいにして。……そんなの、敵いっこないよ」

 

 めぐみは、ぽつりぽつり語りだす。

 それは、一郎との歴史である。

 

「聞いたかもしれないけど、あたし、一郎くんと約束してたの。三十になってお互い相手がいなかったら結婚しようって。最初は、それでも良かったの。一郎くんは小説が一番で、人付き合いもびっくりするくらい悪いから、誰かと付き合ったりするなんて考えられなかったし」

 

 ずっと見てきた一郎の姿。もっとも親しい、恋しい人の姿。それを思い浮かべながら。

 

「けど、そんなの待てない。だって、一郎くんはいつも側にいるのに、触れさせてもくれないんだよ。そんなの、我慢できるわけないもん。ねっ?」

 

 めぐみは、同意を求めているわけではない。語りながら、己が胸の内を整理していたのだ。

 それが分かっていたから、エルフは相づちを打ちながら黙って聞く。

 

「だから、一郎くんを変えようとした。あっちこっち引っ張り回して、いっぱい楽しいことを知ってもらったり、あたしの色んな友達と引き合わせて、人付き合いの楽しさを知ってもらおうとしたり。でも、全然効かなかった。それで思ったの。ああ、やっぱり一郎くんの一番は小説なんだなって」

 

 めぐみは、寂しそうに言葉を接いだ。

 

「だから安心してたんだ。きっと一郎くんは誰のことも好きにならなくって、誰とも付き合ったりしないって。もちろん、あたしとも。それはちょっと……ううん、すっごく寂しいけど、でも、三十になれば結婚してくれるし、それでもいいかなって」

 

 ひとすじの涙をこぼして、微笑む。

 

「けど、エルフちゃんに持ってかれちゃったね」

 

 それは、朝露がつうと筋をひく、蕾のような、笑みだった。

 弱々しく、けれども瑞々しい。

 流した涙を糧に、花を咲かせる蕾である。

 めぐみのなかで、整理が付いたのだ。

 

「以上っ! これが、あたしと一郎くんのすべてですっ。今度は聞かせてほしいな、エルフちゃんと一郎くんの話」

 

 水を向けられたエルフは、しかし、どういうわけか、まっすぐにめぐみを見据えて、

 

「それで全部なわけないじゃない」

 

 と真面目な表情で言った。

 勝ち誇った女の顔でもなければ、傷ついた年少者に優しく微笑む母性の顔でもない。同じ戦を争った好敵手に向ける、どこまでもまっすぐな表情である。

 

「一郎はね、言ってたわよ。自分には小説以外何もなかったって。特別なのはわたしと作家仲間――あんたも知ってるマサムネとかね――だけだって。でも、そんなことなんて全然ないじゃない。今日のアイツを見たら、そう思っちゃった。もう一人、こんな“特別”がいたんじゃない。……ま、わたしとはちょっと枠が違うみたいだけどね」

「え……」

 

 予想外の言葉に硬直するめぐみ。

 

「アイツがこんなに誰かを大切にしてるところ、初めて見たわ。初めて見る表情もね」

 

 ちょっと嫉妬しちゃった、とエルフは笑う。

 

「ねぇ、わたしこそ聞かせてほしいわ。わたしの知らない一郎のこと」

「エルフちゃん……」

 

 めぐみの瞳に涙が滲む。

 やがて、めぐみは、わっとエルフに泣きついた。

 

 

 ***

 

 

「一郎くん」

 

 受付の前、待合所のソファーにもう長いこと腰掛けていた一郎に、声がかかる。

 めぐみである。

 その後ろには、どういうわけか、エルフが控えている。「さぁ、言いなさいよ」とでも言わんばかりに、めぐみの肩をやさしくたたいた。

 めぐみは一歩また一歩と一郎に近寄り、けれども、明確に「弁えています」とばかりに距離を置いて、ぴたと立ち止まる。

 

「あたし、やっぱり一郎くんのこと諦められない。だって、うんとちっちゃい頃から一郎くんのことが好きだったもん。一郎くんにはフラれちゃったけど、でも、あたしにもまだチャンスはあると思うの。三十になってもお互い相手が居なかったら結婚する。この約束は破らせないから」

 

 もちろん、一郎は断った。

 

「応えられない。僕はエルフさんのことが本当に好きなんだ。ひょっとしたら小説以上に。だから、もうチャンスはないよ」

 

 けれども、めぐみはどこ吹く風で、悪戯に微笑んでみせる。

 

「それなんですけどぉ、やっぱりエルフちゃんとは上手くいかないって思うんですよぅ。小説の作風も違うしぃ、小説家としては絶対に合わないでしょ? 私生活でもぉ、一郎くんって意外と頑固だしエルフちゃんはワガママだから、なんて言うか、N極とN極、凸と凸? その点あたしだったら絶対に一郎くんの嫌がることはしないしぃ、一歩下がって影踏まずな大和撫子だしぃ、理想のお嫁さんになれると思うの」

 

 めぐみは、花のほころぶような笑みを浮かべる。

 

「諦めないよ。ずっと待ってるから。それこそ一生。――ううん、エルフちゃんから奪い取ってやるんだから」

「面白いわ、やってみなさい。言っとくけど、一郎はわたしのことが好きで好きで堪らないエルフちゃんマニアよ。当然、わたしも一郎を手放すつもりはないわ。それこそ一生ね。それでも良いっていうなら、いつでも相手になってあげるわ!」

「いや、相手になるのは僕なんだけど……」

 

 とぼやく一郎はもはや蚊帳の外。

 めぐみはあざとい微笑みで以て宣戦布告し、エルフは胸を反らして、不敵な笑みで応じてみせる。

 

「ねぇ、次の勝負は何にする? 勝者の余裕として、種目の選定はめぐみに任せるわ」

「そうですねぇ。お料理なんてどうですか。けっこう自信あるんですよぅ」

「へぇ、よりにもよって料理ね。世界の広さを知らないというのは、残酷なものね。いいわ、覚悟を決めてかかってきなさいな。本当の地獄はこれからよ!」

 

 こうして、エルフと一郎の日々は、ますますにぎにぎしく彩られることとなるのだった。

 

 

***

 

 

 それから一夜明けて、その日の夜のことである。

 一郎は、エルフが起居する“クリスタルパレス”へとやってきた。

 

「一郎とは一度、しっかり話しておかなきゃいけないみたいね。まさかとは思うけど、めぐみみたいなのはもういないわよね?」

 

 じろりとねめつけるエルフに誠心誠意応えるべく、一郎は召喚を快く受け入れたのである。

 召喚といっても、そこはエルフであるから、法廷へ証人や被疑者を呼びつけるような厳めしいものではない。

 

「もちろん、我がクリスタルパレスに招く以上は、それ相応の饗応をさせてもらうわよ」

 

 という言葉の通り、ぜいたくな夕食が一郎を迎え入れた。

 フルコースのフランス料理である。色とりどりの前菜(オードブル)に、あたたかなスープが続く。それから魚料理(ポワソン)ときて、箸休めのソルベ。

 もちろん、一郎は美味しそうに箸を進める。

 

「美味しいね。流石、エルフさん」

 

 などと太鼓を打つのも忘れない。

 けれども、一郎の感情表現には、さらに上があった。

 

「そう言ってくれると、作った甲斐があったわ。さぁ、次はいよいよメインの肉料理(ヴィアンド)よ」

 

 新たに運ばれてきた皿を見て、一郎は声を上げたのだ。

 

「おっ、カツレツじゃないか。いいねぇ!」

「やっぱりね」

 

 エルフは頷いた。どういうわけか、その額はかすかに曇っている。

 

「一郎は、そういう食べ物の方が好みなのね」

「というより、驚いたんだ。エルフさんは、もっとこう、本格的な料理が得意ってイメージがあったから」

「変な気を遣わないで。めぐみから聞いたのよ。カツレツが好物なんですってね」

「参ったなぁ。めぐみと一体どこまで話したんだか」

 

 ばつの悪そうな一郎に、エルフはあっけらかんと答える。

 

「いろいろよ。一郎の好きな食べ物とか、嫌いなもの、興味のあることとか。……思えば、わたしって一郎のことあんまり知らなかったのよね。だから、そう、いろいろ知りたいわ。産まれてから今までの、一郎の話を」

「僕の半生なんて面白くないよ。エルフさんに出会うまでは。仮にこれを小説にしたって、読むべきとこなんて一頁もないさ」

 

 一郎は、心底そのように思っているらしい。

 語るべきことなどないのだと、申し訳なさそうにエルフに告げた。

 エルフは呆れた声を出す。

 

「あんたって、とことん小説家よね。いいかしら。わたしは別に、小説が読みたいわけじゃないの。一郎のことが知りたいの」

「エルフさん……」

 

 ふたりはじっと見つめ合う。

 そんな折りに、エルフは突拍子のないことを言い出した。

 

「ねぇ。キルタイムなコミュニケーションしましょう」

「暇つぶしっていうには、随分と積極的だけどね」

 

 字面の意味は分からずとも、その意図を察することはできた。

 なんとなれば、エルフの瞳はうるんで、熱っぽく一郎を見上げていたのである。男に媚びる、女の瞳である。

 

「そりゃあ僕は嬉しいけど、どうして?」

「アンタの幼馴染み、めぐみってヤツだけどね」

「うん」

 

 微熱にけぶるエルフの琥珀の瞳が、じっと一郎を見据えた。

 一郎がまっすぐ視線を返すと、しかし、エルフは目を逸らした。まるで心を覗かれることを恐れるかのように。

 エルフらしからぬことである。自分勝手で、思ったことを思ったそばから口にするのが彼女の性質だ。人はそれを傍若無人と呼ぶが、一郎は天真爛漫で魅力的だと思っている。

 けれども、エルフはやはりエルフだった。

 

「危機感を覚えたのよ」

 

 正面から恋人に向き直り、自らの胸中をつまびらかに示してみせる。それは彼女なりの誠意であった。

 

「信じられないのよ。自分がそうだったから。ほら、わたしってマサムネのこと好きだったじゃない。それが一生続くものだと思ってた。わたしのお父様がそうだったから」

 

 エルフは、ぽつりぽつりと語りだす。

 

「お父様も、たった一人を一途に愛し続ける人だったわ。お母様に恋をして、恥も外聞もなくアタックしたんだって。ライバルにお金を積んで諦めてもらったり、テニスでプロを買収して八百長試合でカッコつけたり、高価なプレゼントをしたり。金にあかせて恥も外聞も無く、全力でつきまとったそうよ。カッコ悪いわよね。ひどくバカで、でも、きっと何より正しいわ」

 

 辛辣な台詞とは裏腹に、その口調は暖かい。父を慕っていることがよく分かる。きっと、心根のまっすぐで暖かな父親であったに違いない。

 

「そっか。素敵なお父さんなんだね」

「ええ、大好きだったわ」

 

 エルフは遠くへ視線を投げる。

 

「お父様は病気で死んでしまったけれど、そのとき、お母様にお願いしたらしいわ。わたしのことをよろしく頼むって。……最高の夫で、最高の父だったわ。そういう父がいたから、わたしも思ったのよ。ただ一人だけを、生涯愛し続けようって」

 

 遠くをさまよっていた視線が、やがて、現実へと引き戻される。

 

「だから、最初マサムネを好きになったとき、一生コイツを愛し続けるんだって誓ったの。この胸の奥は、たった一人のものだもの。だっていうのに、そこに、いつの間にか一郎が居座るようになったの」

 

 視線は、やがて、一郎の上で焦点を結ぶ。

 

「ただ一人を一生――そんなふうに生きようって決めてたのに、心変わりしちゃったの。そんなだから、真心ってやつが信じられなくなっちゃったの。……ううん、本当は信じたい。けれど、不安になるのよ。また、この心もいつか変わっちゃうんじゃないかって。それに一郎だって、わたしより好きなヤツができちゃうんじゃないかって」

 

 父との思い出からはじまった独白は、いつの間にか、不安の告白になっていた。

 それは、エルフがはじめて見せた弱さである。

 心を許した恋人に、己が不安を預けようとしているのだ。

 もちろん、一郎は受け入れた。

 両手をひろげるかのように、おおらかな声で以て、そのままエルフを包み込む。

 

「僕はさ、エルフさんに飽きることなんて無いよ。ウマが合うっていうのかな。どんなことをされても気にならない。理不尽に怒ってても、無茶しても、それが可愛くて素敵だって思える。毎日惚れ直してる。毎日、君に惚れてるんだ。たとえ心変わりしたとしても、次の瞬間にはもう惚れ直してるよ。エルフさんは自然にしてればいい。それだけで僕は一生、君のものだから」

 

 エルフは顔を両の手で覆った。

 

「そっ、そういうところよっ。そういう恥ずかしいところに、わたしはやられたのよっ! そんなふうに面と向かって褒められて、しかもあんな小説なんか書かれて、これで好きにならないワケないじゃないの!」

 

 あの小説(ラブレター)に綴られた想いは一途で、とても純粋なものに思われた。一度読めば、どんなに自分が想われているのか分かってしまう。そんな想いを、一郎は、まっすぐぶつけてくるのだ。

 

「なんだ、だったら簡単な話じゃないか。毎日愛を囁くよ。僕がどれだけエルフさんを想っているか見せて聞かせて、絶対に離さない」

「ひぅっ」

 

 エルフが喉の奥で悲鳴をあげた。顔をまっかにして、肩を縮こませる。

 エルフの手を、一郎が握ったのだ。

 押しが強く、いつもやりたい放題のエルフである。マサムネに懸想していたときは、何度袖にされても、それでもなお積極的だった。けれども、引きこもりで対人経験の乏しい彼女は、攻められると弱い。

 そんな彼女の手を、一郎は力強く包み込む。若年の少年でありながら、それでも女性のそれとはちがって、どこか骨ばって逞しい。その衝撃たるや、いかほどであろうか。家族以外では、異性の手に触れるのも初めてだったのかもしれない。

 やがて衝撃が過ぎ去ると、エルフの顔に喜色がはじける。

 

「一郎っ」

 

 エルフは、一郎の胸に飛び込んだ。まっかに染まった頬を胸に寄せて、ささやく。

 

「証をちょうだい。わたしが一郎のもので、一郎がわたしのものだっていう証を」

「それじゃあ、証が消えないように、毎日つけ直さなきゃいけないね」

「の、望むところよっ!」

 

 ふたりはもつれ合ってベッドに倒れ込んだ。

 




15,872文字。

エピローグ以降、エルフちゃんの一郎の呼称が「イチロー」から「一郎」に変わってるのは仕様です。誤字ではありません。

さて、今回の続きを『転生作家と美少女天才作家の睦言』(R-18)に掲載していますので、ご一読いただければ幸甚です。

[追記]ブログにて、今回登場した楽曲の一部を和訳してみました。興味がありましたら、ぜひ割烹をご覧ください。

=====
ネタ解説
=====
隙あらば脱ぐーってカンジでぇ、なんて言うか、変態?:
 往年のWeb漫画『蒸し暑いからぬぐー』をイメージ。

『アネスティ』:
 Billy Joelの"Honesty"のこと。
 歌い手はエルフちゃん。
 「一途な愛を求める曲」として選曲しました。
 個人的には、エルフちゃんのイメージソングです。

『キーポンラヴィニュー』:
 R.E.O. Speed Wagonの"Keep On Loving You"のこと。
 歌い手は一郎。
 「永遠の愛を誓う歌」として選曲しました。
 THE BEATLESの"I'm Happy Just Dance With You(素敵なダンス)"と迷いましたけど、こちらを選択。
 どちらも超大好きな曲です。

『スカイ・ハイ』
 Jigsawの"Sky High"のこと。カービィの方ではありません。
 歌い手はめぐみ。
 「いつまでも続くと思っていた」のに「ある日突然終わってしまった」という「失恋の歌」として選曲しました。
 個人的には、めぐみのイメージソングだと思っています。

『のっぽのサリー』:
 Little Richardの"Long Tall Sally"のこと。
 歌い手は一郎。
 ようつべで動画を観ましたが、ピアノとJAZZ楽器で演奏する姿に「ロックンロールって、本当にゴスペルとR&Bから生まれたんだなぁ」と納得しました。
 ジョン叔父さんと、ナイスバディで美人のサリーの不倫をチクって楽しもう、という曲。
 なお、米国のドラマ"Full House(フルハウス)"では、ジョーイおいたんが捩って「でっぱのサリー」と言ってました。
ラブソングに食傷気味な時は、こういうのもいいですよね。

『キャントバミーラヴ』:
 THE BEATLESの"Can't Buy Me Love"のこと。
 歌い手はめぐみ。
 「悲恋の歌」と書きましたが、要するに、貢がされてる男の歌です。

『ペイパーバック・ライター』:
 THE BEATLESの"Paperback Writer"のこと。
 歌い手はエルフ。
 「オイラの小説を載せてくれ!」という旨の曲。

こないだ完結した、PC98時代から続くエロゲーのシリーズ九作目、ラスボス戦のBGM:
 ママトトのテーマソング"Running to the straight"のこと。ランスⅨでボス戦のBGMとして登場した時の感動ときたら……。
 ちなみに、ママトトはSTGパートも面白いし、AVGパートも王子の純愛と王の鬼畜とを同時進行して遊べる、画期的なゲームです。NTRスキーもにっこり。贔屓目を引いても名作。
 なお、私はランスは鬼畜王から入ったにわか組です。リメイク作品をそろそろプレイすべき。いい加減そうするべき。

このソシャゲーのエロゲー化が待たれる:
 FGOのこと。
 Fateに限らず月姫や恋姫、リリなのなど、エロゲー原作の作品が何食わぬ顔で世にあふれている日本の現状って、冷静に考えるとおかしくないですか?
 そんな変態な母国が、私は大好きです。

ほんとうの地獄はこれからだ:
 某王子の台詞。
 彼我の戦闘力の差を知ったとき、めぐみも絶望するに違いありません。

キルタイムなコミュニケーション:
 原作でエルフが口にした台詞。
 エロゲみたいなライトな官能小説雑誌『二次元ドリームマガジン』を刊行しているキルタイムコミュニケーション社を示唆しているものと思われる。
 つまり、えっちぃことしようって事ですね、分かります。
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