転生作家は美少女天才作家に恋をする   作:二不二

4 / 25
 実在の作品についての半端な蘊蓄は、あくまで半端な読者たる私の半端な私見です。自信を持って人様に語れるようなことでも、敢えて語るべきことでもありませんが、原作の雰囲気をつくる為にネタにしています。
 なお、引き合いに出した作品は私も全て愛しています。


4.水晶宮(クリスタルパレス)の陥落

 ***

 

 

 結局のところ、エロマンガ先生を巡る山田エルフと和泉マサムネの戦いは、山田エルフの負けという形で決着がついたらしい。

 エルフによれば、

 

「マサムネが勝ったんじゃないわ。わたしが負けたのよ」

 

 とのことである。

 彼女は、敢えて詳細を語ろうとしなかった。それでも分かったことがある。

 

「イチロー。あんた、わたしのこと好きって本気なの?」

 

 肯じる一郎に、エルフは淡々と告げた。

 

「それじゃあ、ごめんなさい。わたし、好きな人ができたの」

 

 彼女は、和泉正宗に惚れたのだ。

 

「まぁ、わたしも見事にフラれちゃったんだけどね」

「それでも諦めないっていうのかい」

「そうよ。わたしは、あいつの一途なところが気に入ったの。ずっとずっと、ただ一人を想い続けるところが気に入ったの。あいつの向いてる先には別の人がいるけど、それでも、思うの。それをわたしに向けてくれたら、どんなにか素敵な一生になるだろうって。……どうしたのよ、梅干しにレモンかけて舌に乗せたような顔して」

 

 山田エルフの居城、クリスタルの一室である。

 二人はすっかり冷めてしまった紅茶を置いて、テーブル越しに向き合っている。

 

「どうもこうも、自分に惚れた相手に惚気話を聞かせるだなんて、ひどいと思わないのか」

「えっ」

 

 一郎はエルフを冷たく見据えていた。目を鋭く細めて、傍目にも怒っているのが分かる。

 珍しく、というより初めて負の感情を露わにした一郎に、エルフは戸惑った。

 鈴木一郎という少年は、いつもにこにこ、あるいはにやにや笑っていて、泰然とした態度で時々ひとをからかうヤツなのだ。どこか一線引いて他人行儀で、相手の事情に踏み入らないし、自分の事情に立ち入らせない。本気で怒らせることもしないが、本気の感情を見せることもない。そういうヤツなのだと思っていた。

 けれども、

 

(そういえば)

 

 エルフは思い出す。先日、一郎を見送った時のことである。まるで年相応の子供のように――子供相手にこういう表現も変なのだが――感情を露わにして笑い、ライバル宣言を下されたのだ。

 大人ぶったところがあり、実際大人のように落ち着いてはいるけれども、根っこの部分はもっとずっと子供なのかもしれない。

 

「な、なんでよ。スパッと理由を言ってあげる方がいいに決まってるじゃない……」

 

 一郎は、カミソリのように細めていた目を見開いた。それだけで、だいぶん険が和らいだ。再び口を開いた時には、もうすっかり、いつもの彼だった。

 一郎は、申し訳なさそうに謝る。

 

「あー、その、君に悪気がなかったのは分かった。ごめん。僕の勘違いだった。エルフさんは、真剣に僕に向き合ってくれてたんだね。ありがとう」

 

 けれど、と続ける。

 

「この国では主流のやり方じゃないね。相手を袖にするときは、少年マンガか少女マンガでも参考にするといいと思う」

 

 一郎は、なんとか苦笑を浮かべてみせる。こみ上げてきたため息は、ひそかに口の中で転がして溶かした。

 けだし、断る理由を素直に伝えることが、彼女なりの誠意であるらしい。

 なるほどと一郎は得心した。山田エルフは外国人である。彼女を育んだ文化は、そうした誠意を美徳を見なしていたのであろう。「文化がちがぁーう!」と叫ばなかったのは年の功である。

 

「ふ、ふんっだ。わたしのやり方のほうが、百倍誠意があって格好いいわ。だいたい、日本人はいじいじにちにちし過ぎなのよ。マンガでたとえるならライフね。もっとこうバッとガッと、ドラゴンボールみたいに格好良く生きるべきよ。イチローもそう思うでしょ!」

「そうだね。エルフさんは格好いいよ」

 

 という答えをかわきりに、日本文化のあれこれについての演説が始まった。

 曰く、日本の学校の集団行動はおかしい。日本の学校の給食は不味い。日本の学校の掃除時間はおかしい。

 

「日本文化の話じゃなくて、学校の愚痴じゃないか。それよりさ――」

 

 などとなんでもないように切り出したものだから、エルフはほっとした。これで気まずい話題も終わりかと思ったのである。

 それは間違いだった。

 

「エルフさんは僕を袖にしたけど、僕はまだ諦めてないよ」

「えっ」

「エルフさんだってまだ諦めてないんだろう。僕だって同じだ。本気なんだから、そんな簡単に諦めがつくもんか」

 

 目の前のまっすぐで美しい少女は、一郎の心に火をつけた。

 一度着いた火はなかなか消えない。燃えるような業火ではないけれど、ちろちろ鍋底を舐めつづけ、煮汁は常に温かくときどきふつふつとたぎる。それが、鈴木一郎の性格であった。

 

「無理に迫ったりはしないから、安心して欲しい。今まで通り、ふつうに接して欲しい。なんだったら、告白したことだって忘れてくれて構わない。エルフさんを困らせるのは好きじゃないんだ」

 

 けれども、と一郎は続ける。

 

「僕はほんとうに本気なんだ。ひょっとしたら振り向いてくれないかもしれないけど、でも、その時を待つよ。これでも気は長いんだ」

 

 それこそ死んでもシリーズを書き続けるくらいにはね、とひそかに口の中で転がして、一郎はクリスタルパレスを後にした。

 

「他人行儀だと思ってたけど、あいつ、意外と積極的じゃないの……。わたしの『神眼(ゴッドアイ)』もまだまだ成長の余地があるわね……」

 

 どぎまぎと暴れる胸を抑えて、ほうっと吐息を吐き出すエルフ。引きこもりで対人経験の浅い彼女は、打たれ弱いのであった。

 

 

 ***

 

 

 風が、強い。

 びょうびょうと窓を吹きつける風の音をうとましく、聞くともなしに聞きながら、一郎は思い悩んでいた。

 ――所謂ラノベとその他の小説を分かつ物は何だろう。

 一郎が思うに、明確な定義はない。ひょっとしたら人の数だけ「ラノベ論」があるのかもしれない。

 美少女天才作家を自称する山田エルフなら、こう言ってのけるだろう。

 

「わたしがライトノベルよ。わたしが書くラノベこそが、本当のラノベなのだわ」

 

 それくらい、山田エルフという作家は迷いなく我が道を突き進む。それは一郎にはできなかったことだ。ちょっと進む度に後ろを振り返っては、自分のたどった道のりが間違っていないか確認する。

 そんなこと本当は必要ない。心の赴くままに、もっと自由に生きて良いのだ。そんなふうに山田エルフは姿で語っている。

 

「エルフさんは恰好いいなぁ」

 

 そんな彼女が夢中になっているライトノベルに、自分も挑戦したい。これまでの作風とか、自分に求められている役割とか、寄せられる期待とか、そういうものを全てうっちゃって、心の赴くままに全く新しい挑戦をしてみたい――そう思わされてしまったのだ。

 それは、奇しくも、一番最初に『豹頭譚』を書いたときと全く同じ思いだった。あの若くて熱い思いに、エルフは再び火をつけたのだ。

 

 さて、その山田エルフである。

 彼女は、唐突に降ってわいた一郎の「さすエルフ」コールを耳にするなり、

 

「でしょう。底知れぬ作家としての才能と、クレオパトラの鼻っぱしらもポキリと折れる美貌、ついでに高橋名人顔負けのゲームの腕をもつ、最高に格好かわいい美少女天才作家山田エルフとは、このわたしのことよ」

 

 と右手を払うようにスタイリッシュなポーズを取ったものだから、彼女の操っていたキャラクターは棒立ちになる。そこを、マサムネのキャラクターがめったうちにした。

 

「てい」

「あっ、こら! 今のは卑怯じゃないの!」

 

 ――あの日以降も、エルフは変わらぬ態度で接してくれる。

 クリスタルパレスに一郎を呼びつけ、ときにゲームをして、ときにお茶を飲み、ときに雑談をし、気を置かぬ友人として扱いを崩さない。

 ひょっとしたら、告白のことを忘れてしまったのかもしれない。そう思ってじっと観察するうちに、そうではないのだとすぐ気付かされるた。

 ふとした拍子に目が合うと、不自然に逸らされる。そんな不自然な態度をうわぬりしようと、努めて視線を合わせてくるものだから、一郎は笑いそうになった。こらえきれず、笑った。

 怒ったエルフは、それで吹っ切れたのか、それ以降実に自然な態度で接してくれる。

 そのなんと有り難いことか。

 自己満足ではなく、本当に相手の立場にたって気を遣うのは難しい。それをこの年で実践してしまえるこの少女は、ほんとうに珍しいくらい「いい女」なのだ。

 

 兎にも角にも、恋愛の勝敗の第一ラウンドは決した。第二ラウンドは気長にいくさ、と一郎はテレビ画面を見やる。

 奇しくも、ゲームの勝敗も決したところである。一区切りである。

 一郎は一枚の紙を取り出した。インターネットの画面をプリントアウトしたものである。それは、とある企画でああった。

 

「実は、僕もラノベを書こうと思うんだ」

 

 その企画の標題とはずばり――

 

「ラノベ天下一武道会? なんだ、このドラゴンボールみたいなネーミング。鳥山明先生の許可は取ってるのか?」

「取ってないんじゃないかしら。『ブラックジャックによろしく』だって、手塚先生の許可は取ってないだろうし」

「それ、マズイだろ。『ハイスコアガール』もいろいろあって一時休載になったし、『のぞえもん』は打ち切られたんだぞ」

「へぇ、それは危ないかもね。マサムネ先生、担当さんに伝えた方がいいかも」

「え、どうして俺が神坂さんに?」

「だってそれ、マサムネ先生のとこのレーベルだよ」

「げっ、マジか!」

 

 マサムネから血の気が引いていく。

 現代社会は著作権にうるさい。工業製品のコピーなんぞやらかせば国際社会で非難ごうごうだし、気楽なネット小説ですら、頼んでもいないのに有志がパクリ検証をはじめる。ジャスラックなんぞは著作者本人から著作使用料を取り上げる有様だ。

 問題が大きくなって出版社が吹き飛ぶようなことがあれば、自分の仕事がなくなってしまう。そうなる前に連絡して蛮行を止めさせなければ。

 などと深刻な決心を固めるマサムネに対して、二人は気楽なものである。

 

「ひょっとして、これに応募するの?」

「ああ。ちょうど良い時期にある企画だし、何よりコンペ形式ってのがいい。出版経験のある作家が競う形になってるから、話題になりやすい。これで受賞できたら、連載が決まると思う」

「へぇ、面白いじゃない! それじゃあ、これで入賞してデビューが決まれば、二人は同じレーベルで競い合うライバルになるってわけね」

 

 これはマサムネも聞き逃せない。

 

「げぇ、一郎先生がライバルかよ。ただでさえ俺と同じ芸風の先輩作家に出版枠取られたりしてるのに……」

「おーっほっほほほ! 背中がすすけてるわよ。売れない作家は大変ね。この二百万部作家の私には無縁の話だけれど、心底同情するわ」

「まぁまぁ、マサムネ先生。小説なんてどのジャンル、出版社でも一緒だよ。デビューする為に創意工夫を重ねて、デビューしてからも大先輩や次から次へと現れる若い才能の影に怯ながら、人生を賭けて挑んでいく。だから――」

 

 マサムネの肩に、そっと手が置かれる。

 

「一郎先生……」

 

 その優しさにマサムネがほろりと涙したそのときである。

 がっしと肩が握りこまれる。突然の痛みに悲鳴まじりの文句をあげそうになったマサムネは、一郎の笑顔を見て固まった。

 目が笑っていなかったのである。

 ちろちろと蛇の舌先のような、静かでけれども粘り気のある炎が、黒曜石の瞳には宿っていた。

 

「容赦はしないよ、マサムネ先生」

「ふむ。『漆黒の意志』ってやつかしら。ハングリーでいいわね」

「はは、お手柔らかに……」

 

 苦笑いするマサムネに、一郎は右手を差し出した。

 驚いた顔をして、それから、嬉しそうにあるいは楽しそうに一郎の手を取る。

 よろしくな、ライバル――

 そんな心の声が聞こえてきそうな場面で、

 

「というわけで、ラノベの先達に修行をつけてもらいたいんだ」

 

 なんて切り出したものだから、マサムネは目を丸くした。

 そして、それなら都合がいいや、と応える。

 

「ああいいぜ。代わりと言っちゃあなんだけど、企画書の書き方を教えてくれ」

「いいね。それじゃあ勉強会だ」

「あー! なにそれなにそれ、そんな面白そうなこと、わたし抜きでしないわよね!」

「もちろん。だって、せっかくラノベの先達が二人もいるんだから」

 

 

 ***

 

 

 そうして、三人は一郎のアパートへやってきた。

 発案者はマサムネである。

 

「それじゃあ、場所を変えようぜ」

「ちょっと、どういうことよ! このクリスタルパレスに何か不満でもあるっての!?」

「不満も何も、この状況そのものが不満だよ!」

 

 壁掛けの大型テレビと、その下には細長いお洒落なスピーカー。そんな、いかにも金持ち然としたシアターに、ゲーム機がつながっている。

 その前に寝転がってオヤツをつつきながらゲームに興じてばかりのエルフに、業を煮やしたのである。

 

「ぜんっぜん仕事にならねぇじゃねぇか! 俺はここに企画書の書き方を教わりに来たんだ。なのにエルフときたら遊んでばっかり。一郎先生もだぞ。一緒になってゲームなんかしてるけど、あんたもラノベ書くんだろ!」

 

 マサムネ火山が噴火するのはいつものことなので、エルフはさらりと流して話題を転じた。

 

「そういえば、一郎の家には行ったこと無かったわね」

「ちょっと、エルフさん。マサムネ先生の家には行ったことあるみたいな口振りだけど」

「まぁ同棲してるようなものだしね!」

「えっ」

「勘違いされる言い方をするんじゃない! お隣に住むことを同棲というなら、世の中はラブコメと不倫と訳あり家庭ばかりだよ!」

 

 そんなやりとりを経て、一行は一郎の住居へとやってきたのであるが、

 

「ずいぶん殺風景な部屋ね」

 

 というのが二人の端的な感想であった。

 さもありなん。その部屋には、ベッドと机があるだけだった。その他には調度も娯楽用品もいっさい存在しない、うすら寒い伽藍堂だったのである。

 

「寝るかご飯食べるしかしないからね。メインの部屋はこっち。仕事に必要なものはこっちにあるんだ」

 

 ふすまを開く。

 書斎である。そこには机と椅子、その上に一台のパソコンとプリンタスキャナ、そして本棚があった。

 本棚には、出版社から送られてきたであろう彼の書籍と、辞書。そして『粟元芳』の作品が置かれていた。

 

「本棚はひとつだけなんだな」

 

 好きで小説を書くような人種だ。当然、読む本も膨大で、ひとつの本棚に収まりきるものではない。

 

「いろいろあって、昔の本は処分せざるを得なくなったから。新しい本は、電子書籍を買ったり、ばらしてスキャンしてデータにしてる。部屋も狭いしさ」

「いろいろ?」

「ほら、うち両親いないし」

「それは……」

 

 なんとなくそんな気はしていた。

 こじんまりとした2DKの賃貸住宅で、しかも、家具や衣類の収納スペースが極端に少ない。靴も、一郎のものと思しきものが四足ほどあっただけである。

 

「気にすることないよ。僕もぜんぜん気にしてないしさ」

 

 一郎はあっけらかんと言った。

 なんとなれば、五十五まで独りで暮らしてきた前世の経験があるのだ。そんな大の大人が、いくら赤子に生まれ変わったからといって、自分より年下の他人を「父さん、母さん」と慕うのは難しい。一刻もはやく『豹頭譚』を書きたいという思いもあって、家族との仲をおざなりにしてきた。ひどい子供だったと思う。不気味な子供だったと思う。

 にも関わらず、両親は一郎を愛した。ろくに喋らず本を読み、何かに憑かれたように黙々と小説を書きつづる「気味の悪い神童」に、あれこれ話しかけ、何くれとなく世話をし、精一杯に愛情を注いだのである。

 ――交通事故で帰らぬ人となるまで。

 

 後悔はない。何度やり直しても、同じことをするだろう。自分は小説家としてしか生きられないし、前世に果たせなかった義務もある。

 けれども、ときどき思うのだ。

 

(悪いことをしたな。せめてもう少し、二人の子供らしくすれば良かったかもしれない)

 

 そんな複雑な思いが、一郎の言葉にかすかに陰を落とす。

 それを敏感に察したマサムネであるが、

 

「そっか……」

 

 と言うだけに留めた。

 彼もまた、同じ身の上――両親を亡くしているのである。放って置いて欲しいというのなら、放っておく。それが彼なりの気遣いであった。

 エルフもまた、彼女なりの優しさを発揮した。それは、なんと、家主の目の前で家捜しをするというものであった。

 

「おかしいわ。年ごろの男子の部屋よ。しかも一人暮らし。えっちな雑誌の一冊や十冊は百冊はあるんもんじゃないのー? ねぇ、マサムネ先生」

「俺に聞くなよ……」

「中学二年生だし、そういうのはまだいいかなって」

「アンタも何マジレスしてんだよ!」

 

 というやりとりを経て、ラノベ勉強会が始まった。

 はじめは、エルフによる企画書講座である。

 これはすぐに頓挫した。

 

「だってわたし、企画書とか書かないし。だって、ぶっちゃけアレって、仕事してますアピールの道具でしょ?」

 

 という無茶苦茶な言い分にはマサムネも火を噴いた。一郎は「さすがエルフさん……」と苦笑いだったが、声にも渋さがにじんでいた。

 そのようなわけで、当初の約束どおり、一郎が教鞭を執ることとなったのである。

 

「ったく、はじめから一郎先生に任せとけば良かったぜ。エルフが自信満々に割って入るもんだから、どんなものかと思ったら……」

「まぁまぁ。僕としてもエルフさんの企画書の作り方は聞いてみたかったし。それに、話も弾んで舌も軽くなったしね」

「さすがイチロー、戦闘力の高い作家はよく分かってるわ! 仕事は楽しくしなくっちゃね」

 

 一郎の企画書講座は好評のうちに幕を閉じた。

 さすがに何十年もかけて、様々な作品を世に送り出してきたおっさん作家は違った。

 そして、そのおっさん作家に、今度はマサムネが教える番である。

 と思いきや、

 

「ちょーっと誰か忘れてるんじゃないかしら。ほら、そこな底辺作家とはけた違いの実力と人気と販売部数(戦闘力)をほこる、超売れっ子天才美少女作家がいるじゃない! このわたしがあなたたち二人に、ラノベのいろはを教えてあげるわ」

 

 マサムネは唸った。

 そんなふうに言われて、おもしろくないわけがない。けれども、エルフの作品が面白いのは確かな話で、その秘訣に迫れるのなら――そんな思いが首をもたげた。

 

「おう。それじゃあ、お前のラノベ哲学を聞いてやろうじゃないか」

 

 そうして始まった勉強会は、一郎が前もって準備してた原稿をエルフが読み、指導するという形で行われた。

 エルフの指導は辛辣だった。

 なにせ、

 

「これはラノベじゃないわ」

 

 というのが第一声だったのだ。

 

「こんっな長ったらしい文章、いったい誰が読むのよ! ほら、見てよ。このページなんか、地の文ばっかりで改行すらろくにないわ。離れて見たら、紙面が四角く塗られてるみたいよ! 書店で本を開いた読者の反応を考えてみた? 絶対にひかれるわよ!」

 

 という力一杯の罵声から始まり。

 

「キャラの台詞も長いわ。こんなの会話じゃないわ。オバちゃんの井戸端会議じゃない」

 

 前世からさんざん耳にしてきた批評を受け。

 

「キャラの外見なんてこんなに細かく描写しなくていいのよ。せっかく素敵なイラストが付くんだから、そっちに任せればいいの。相棒を信じなさい!」

 

 目から鱗な助言ももらった。

 

「総括するわね。地の文が多い、台詞が長い、ネチっこい。とにかく長い。こんなのラノベじゃないわ。ヘビィノベルよ」

「地の文がしっかりした作家だっているだろ。ほら、浅井ラボ先生とか」

 

 マサムネは戦々恐々と言い募った。

 

「まぁ、確かにそうね。浅井ラボは極端な例だけど、長めのしっかりした文章を書いてる人もいるわ。けれども、あくまでメインストリームはスマートな文章。短く分かりやすく、インパクトがあることよ。ほら、同じ西尾維新の作品だって、癖の強い戯れ言シリーズよりも、もっとシンプルな文章の刀語や物語シリーズの方が圧倒的に売れたでしょ」

 

 だからここは削りなさいと原稿を指さすエルフに、珍しく一郎が反論する。

 

「待ってほしい。僕が書いてるのは、異世界ファンタジーだ。世界が違うんだから、土台となる価値観も現代日本のそれとは違う筈だ。そこがしっかりしてないと納得できない。どんなにいい話を書いても興醒めだよ」

「どうでもいいじゃない、そんな設定。読者が見たいのは、エッチで可愛い魅力的なキャラ達の、手に汗握るような恰好いい冒険譚よ。風景やらモブ住民の描写なんかしてる紙面があったら、ヒロインの台詞の一つや二つ増やしなさい」

 

「うわぁ……」

 

 マサムネは天を仰いだ。

 悟ってしまったのだ。小説家としての作風が、この二人は対極に位置するのだと。

 まず一郎の作品は、濃厚で精緻なハイファンタジーである。細かく設定された人々の信仰や価値観、風土や風俗を下敷きに、その世界に生きる人々の生活や感情をみごとに描いている。ひとたびその文章を読めば、その世界の人々の暮らしぶりが目に浮かぶのである。その世界を旅したような気にすらなった。

 対するエルフの場合、文章はひどい。あんまりひどくて、ファンのマサムネですらどうかと思うことがある。にも関わらず、読者をおおいに笑わせ、物語はテンポよく転がり、キャラは魅力的で、読者を引きつけてやまない。次の頁をめくる手が止められない。そんなリズミカルなライトファンタジーなのだ。そして、その中核にはキャラがいる。

 言葉を換えれば、設定厨とキャラ厨なのである。

 水と油。鍵と葉。決して交わらないかに思われた二人であったが、やがて、一郎が折れた。

 

「……分かった。たしかに紙面は限られてる。それに一番書きたいのはここじゃない。この描写は削ろう」

 

 小説については一家言あるが、ライトノベルという新たな舞台である。先輩作家の言に倣うことにしたのである。

 このようにして、エルフの指導は続いた。

 

「それと、こっちとこっちもね」

「でも、それは――」

「あんた、わたしの話ちゃんと聞いてた? だから――」

「分かった。それじゃあ――」

 

 マサムネの心配をよそに、二人の勉強会は順調だった。

 口の悪いエルフであるが、面倒見は良かったし、判断基準は独特であるものの善意で動く性質である。

 一郎はといえば、一歩退いた態度で和を重んじる性質である。中学生であるというのに、冷静で大人びている。

 そんな彼にしては珍しくというべきか、作家なら当然というべきか、作品に対するこだわりをまっすぐエルフにぶつけていく。そうして対立する意見を、結局は納めてエルフに倣っているのである。

 

「一郎先生さ、エルフにもっとガツンと言ってやってもいいんだぜ。あいつの言うこと、極端なのも多いしさ」

「ありがとう。でも、これでいいんだ。エルフさんの言うことには一理も二理もある。納得したうえで、自分で選んだんだ」

 

 マサムネは、よく分からないという顔をした。エルフの指摘は、鈴木一郎という作家の作風を否定しかねないものだったのだ。

 一郎は微笑んで続ける。

 

「今回は予行演習だよ。書き慣れたファンタジーという分野で、全く新しいライトノベルの作法に挑戦してみるんだ。本当に書きたいのは、僕にとっても新しいジャンルだから、それを書く前に、ライトノベルの文体を会得しようと思ってね」

 

 そうするうちに、一郎とエルフの勉強会は終了した。

 

「粗茶ですが」

 

 と差し出されたお茶にマサムネは礼を、エルフは「香りがしない。安い茶葉ね。このエルフ様に出すのよ、もっとマシなお茶を用意してよね」と文句をそれぞれ言って口を付ける。なお、エルフはマサムネに小突かれた。

 

「ところでイチロー。あんた、変わった道具使ってるのね。なにそれ、パソコン?」

「ポメラって言うんだ。白黒画面でテキストエディタ機能だけの、小説を書いたりメモを取ったりするためだけに開発されたエディタだよ。立ち上がりがすごく早くてね。ネタが浮かんだら三秒で文章が書ける」

「なんてニッチな……」

 

 と驚き呆れるマサムネはといえば、ウィンドウズのラップトップとスマートフォンの二刀流で、クラウドを用いてデータ共有をしている。エルフはお洒落なマックブックだ。

 

「意外ね。おっさん臭いイチローのことだから、てっきり手書きでしてるのかと思ってたわ」

「前も言ったけど、好奇心旺盛な新しい物好きだから」

「たしかに、好奇心旺盛なのは分かる。だって、畑違いのラノベに挑もうって言うんだから。それにこれも」

 

 手直しされた原稿を見て、マサムネは感嘆の声を上げた。

 

「すごいな、一郎先生は。あんなすごい小説書けるのに、そっからこんだけ変えてくるなんて」

「ふぅん。イチローの書いてる小説って、そんなに違うの?」

「エルフ、お前、一郎先生の小説まだ読んでなかったのかよ……」

「だって百巻越えのシリーズの、最後のほうでしょ。読む気にならないわよ。途中から読んでも話が分からないから面白くないし、最初から読むのは度胸がいるわ。だいたい、当初は百巻で完結する予定だったっていうじゃない。それがどうして、百巻過ぎても完結する兆しすら一向に見えないわけ? 作家として、プロット能力を疑うわ」

「いや、その、ごめん……」

「どうしてイチローが謝るの?」

 

 そりゃあ本人だからだよ、とは言えない。いたたまれないことはこの上もなかった。

 もともと『豹頭譚』は、好きな作品のエッセンスをごった煮にしてつくりあげた鍋である。「好きなもの」を混ぜて煮詰めて、好き勝手につくりはじめた作品である。

 当然夢中になる。夢中になって、どんどん新しい「好き」をつぎ込んでいったら、生きている間には終わらなくなってしまったのである。いったん小説を書き出すと、歯止めが利かなく性分なのだ。

 

「ええっと、エルフにもおすすめできる巻ってないかな」

 

 なぜか落ち込んでしまった一郎を、マサムネが気遣う。

 

「ありがとう、マサムネ先生。――あるよ。これだね」

 

 一郎は、本棚から一冊の著作を取り出した。

 

「この巻は鈴木一郎が――僕が担当するようになってから、一区切り付いた後の、新しい展開の序章でね。記憶喪失になった主人公が『快楽の都』に剣奴として囚われて、闘技場で闘うことになるって話なんだ」

 

 記憶を失い、己のことを全く覚えておらぬ主人公は、闘技場の猛者達を相手にあまたの武人をうならせてきた絶技で以て対峙する。そのなかで、読者と一緒に自分の過去を少しずつ紐解いていく、というストーリーラインである。

 また、新たな作者の新たな出発点として、特に力を入れて書いた巻でもある。その甲斐あってか、新鋭作家鈴木一郎の名は、『豹頭譚』の正当後継者としてファンに認められたのである。

 

「へぇ、面白そうじゃない! それで、可愛い女の娘は何人くらい出てくるの?」

「とうが立ちはじめた美女が一人と、可憐なシングル・マザーが一人かな」

「げぇっ、イチローって熟女趣味なの」

「失礼なことを言うな! その発言は色んなところにケンカを売ってるぞ!」

 

 悲鳴をあげるマサムネに、一郎は黙して肯じた。

 そして、思う。「わしの可愛い小鳥ちゃんや!」と気色ばむ男色の変態領主と、「もう、領主様ったら」と黄色い声で取り入る美青年吟遊詩人も登場するが、そのことは黙っておくことにしようと。もっとも、それも、すぐにバレてしまうことではあるが。

 

「ついでに第一巻もあげるよ。是非読んでほしい。シリーズの最初ってことで、気合い入れて書いたんだ――って評判だから」

「そうね、折角だしもらおうかしら。日本ファンタジー界の歴史に名を残す作品だもの。さらっと読んで、わたしの作品の糧にしてあげましょう! きっと粟元とやらも草葉の陰で感涙にむせび泣く筈よ。この新たなラノベ界の神、山田エルフの偉業の礎になれるのだから!」

「なんでお前は先達の大御所に対しても、徹底的に上から目線ができるの!?」

「ははは。エルフさんは流石だなぁ」

 

 金糸の髪をかきあげ、きらきら陽光をふりまきながらポーズを取るエルフだった。

 

 

 ***

 

 

 そんな想い人のかわいらしい姿を思い出しながら、一郎はひとり原稿に向かっていた。

 

 すっかり陽が高い。空高く燃える太陽のように、一郎の心もまた熱くたぎっていた。

 どれくらいそうしていただろう。原稿に向かっていた一郎の耳に、陽気な音楽が飛びこんでくる。

 それこそは、エルフからのメッセージを報せる着信音である。

 端末を開いた一郎は、驚きに色を失うこととなる。

 

「お願い、今すぐ助けに来てちょうだい!」

 

 という切羽詰まったメッセージが、そこには綴られていたのである。




11,317文字

 なかなか書き終わらないな、疲れるなと思ったら、一万字を超えていました。この文量になると二回に分けて投稿した方が良いのでしょうか。
 さて、誤字報告ありがとうございます。一部の誤字は、自分への戒めとして残しておくことにします。
 なお、時系列は、マサムネが「おめーの出版枠ねーから」と言われる前。つまりラノベ天下一武道会に応募する前です。

本作は文章の練習を兼ねています。文章に関してご意見、ご感想、ご助言いただければ幸甚です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。