「幼馴染に連絡をしようと端末を手にした」という旨の記述を変更しました。
***
『お願い。今すぐ助けに来てちょうだい!』
そのメッセージを見たとき、一郎は、くすりと笑った。
大げさなエルフのことである。大したことは言っていないに違いない。一の出来事に十の反応を示すのが、山田エルフという少女である。そうやって天真爛漫に全力で毎日を楽しむ姿が、尊く愛おしいのだ。
微笑ましい気持ちになって、返事を送る。
『何があったの』
ところが、返ってきたのは予想だにしない、驚くべき答えであった。
『詳しくは話せないわ。今も見張られてて、こっそり隙をみてメールを打ってるの』
一郎の変化は劇的だった。さっと顔から血の気がひけ、手がふるえだす。
鼓動が、早い。息は浅く、走ったわけでもないのに目眩がする。
けれども、そんなことに構っている暇はなかった。一秒でも一瞬でも早く、安否を確かめたかった。
「見張られてる? ひょっとして、どこかに監禁されてるのか!」
何があったのか。無事でいるのか。ひどいことをされて、泣いていないだろうか。
『安心して。絶対に助ける。場所はどこ』
焦燥のあまり、千々の言葉で煮えくりかえる内心とはうらはらに、メッセージは言葉少ない。
いや、焦っていたからこそ、簡潔なメッセージになったのだ。文字を打ちこむための操作すらもうとましかった。いっそ電話をかけて一秒でも早く声を聞いて無事を確認したい。
だが、それはできない。
エルフからの報せがメールメッセージでもたらされたからである。ひょっとしたら、音声通話をすることが彼女に害をなすかもしれない。そう思えば、電話をすることなどできようもなかったのだ。
メールを送った一郎は、祈るような気持ちで返事を待つ。
どれくらいの時間が経っただろう。一瞬が何秒にも、何十分にも感じられた。時を刻む秒針の音は、幾万回も繰り返されたかのようだった。
ひょっとしたらこれは悪夢で、自分はベッドの上で眠りについているのではないか。ならば早く目覚めなければ、愛しい娘の笑顔が永遠に失われてしまうのではないか。
そのように呆然とする一郎を、まぬけな着信音が現へと引き戻した。
我に返って端末を操作する。いつもは陽気に感じるこの音が、今はこんなにも疎ましい。
『ここに居るわ。早く来てちょうだい!』
そこに示されていたのは、住所である。
「この住所、場所は近いぞ。都内だ」
パソコンを立ち上げて、ふるえる手で住所を入力する。何度もタイプミスをしそうになりながら、なんとか一字一字をタイプする。
「フルドライブ文庫本社ビルだって?」
エルフの所属する出版社である。
「なんだ……」
一郎は脱力した。話が見えてきたのだ。
「エルフさん、出版社で缶詰してるんだな。そりゃそうか、仕事ぜんぜんしてなかったもの」
思えば、メッセージもどこか余裕があった。短く簡潔で、ときどき漢字変換すら省いた一郎のそれと比べると、悠長さはいっそう際立つ。
念のため『なるほど。缶詰めですか』と送れば、肯定する旨の返信があった。ただし、尾ヒレに胸ビレがビラビラについた過剰修飾ではあったが。
ほっと息をついた一郎に、「ねぇ」と声が掛けられる。
振り返れば、少女がいた。
幼馴染みである。
くりくりと大きな瞳をしぱしぱ瞬いて、一郎に問いかける。
「どうしたの。すっごい顔してたけど」
「めぐみ。どうして……」
ここにいるのかと問い掛けて、ふと思い出す。
「一郎くん、新刊出たんでしょ。ちょっと読ませてくださいよー」
と言って押し掛けてきたのである。
「君には作品を買って作家を支えてあげようという気持ちはないのか」
と言えば、
「売れてるんだからいいじゃないですかー。わたしひとりが買ったくらいじゃ、影響なんてないしー」
と応えが返ってくる。
それでも渋ると、今度は媚びた声で迫ってくるから性質が悪い。
「ねぇ、可愛い幼なじみのお・ね・が・い。見せて?」
「こら、やめなさい。中学生になったんだろう。はしたない」
「いたっ」
「そうやって男をからかってばかりだと、今に痛い目を見るぞ。年頃の男というのは、導火線むき出しの性欲爆弾になることがある。もう小学生じゃないんだから」
「ふぅーん。一郎くんも?」
「年頃になればね」
「なるほど。勉強になります!」
「勉強の成果をいったい何に使うことやら。きっと将来とんでもない悪女になるんだろうな……」
「ちがうよ。友達千人つくるんだよっ」
そんなやりとりをして部屋に迎え入れるのが、恒例行事となっていた。
部屋に入れた後は、一郎は我関せずとばかりに本を読んだり原稿を書いたりと、ひとりの時間に没頭する。
そんな一郎の過ごす書斎にめぐみは勝手気ままに立ち入っては、
「あ、新しい本見っけ」
だの、
「ねぇ一郎くん。ほかに面白い本はないの? もうスキャンしてパソコンの中かなー」
だのとにぎやかしては、隣の部屋の、一郎のベッドに寝転んで好き勝手に本を読むのである。
そうやって、別々の部屋で勝手気ままに過ごすのが常だったので、一郎はすっかり彼女のことを忘れていたのだ。
「そんな顔してたかな」
「うん。すっごくキモかったです」
「ああ、そうかい。勘違いしているようだから言っておくけどね、語尾を丁寧にすればいいってもんじゃないぞ、後輩。中学生なんだから、長幼の序にならって敬語をきちんと使うこと」
「だってー、一郎くんとはずっと幼なじみでお友達だしー、いまさら先輩後輩って仲じゃないっていうかー」
「……まぁ、君はそれでいいのかもしれないね」
「えっへへ。でしょ?」
にぱっと微笑む。
その満開の笑みには、全幅の信頼がこめられていた。
この一つ年下の幼馴染みに、一郎は甘かった。
一郎にとっては小さい頃、それこそ保育園児のころから面倒を見てきた、姪のような存在である。
転んで泣けば治療し宥め、鼻水を垂らすのをハンケチで拭い、食事時にはお箸の持ち方や礼儀作法を躾た。
なお、傍から見れば、大人ぶったこましゃくれの幼児が、背丈の変わらぬ幼児を世話するという、非常に可愛らしい光景に映っていた。
はじめこそ幼稚園の教員もほほえましく笑っていたが、一週間もすると、その笑みはひきつることとなった。鈴木一郎という幼児は、いったいどういう厳格な教育を受けたのか、幼稚園児離れしてしっかりと生活習慣の身についた子供だったのだ。
歯磨き、トイレ、着替え、食事、片づけ。そのすべてを一郎ははじめから自分でこなすことができた。お遊戯に至っては、教員といっしょになって他の子供の世話をする始末である。
これは恐るべきことである。彼女らの仕事は、そうした基本的な生活習慣を教えながら、遊びのなかで子供の知性を伸ばすことなのだから。
そんな一郎に人一倍なつき、卒園して小学校に入学してからも小鴨のように後を追い、中学生になって尚「かわいい幼なじみ」を自称してつきまとうのが、神野めぐみという少女である。
とは言っても、そこは学年違いの二人であったから、いつも一緒というわけにはいかない。さらには、めぐみは長じるに従って、やたらと高いコミュニケーション能力を発揮しあちこちに友達をつくったものだから、二人の時間はますます減った。
そのようなわけで、神野めぐみという少女は、一郎にとっては「よく面倒を見てあげた姪っ子」のような立場に収まっている。
その幼馴染みは、心配顔で尋ねる。
「で、どうしたの? すごい顔してたけど」
「ああ。作家友達が大げさに監禁されてるだなんてメールしてくるもんだから吃驚したんだけどね。実際のところは、締め切りに間に合いそうにないからか、それとも間に合わなかったのか、出版社で缶詰させられてるってことだったよ」
めぐみは目をぱちくり瞬いた。長い睫毛が上下する。
「えー、意外ー。一郎くんに友達っていたんだー。ずっと家にひきこもってばっかりのー、ぼっち大好きぼっち村の一人村長さんだとばかり思ってた」
「そうかそうか。目の前の人物は友達じゃなかったのか。ようく分かった。他人様はすみやかに出て行ってくれ。もしくは僕が出て行く」
「ちょっとー、冗談じゃないですかー!」
貸す耳持たぬといった調子で、一郎は支度を整える。机上を片づけると、財布と携帯電話、
「えっ、
「
などと悠長に言いながら、一郎はいつもと変わらぬ様子で、のんびりと出て行った。
めぐみに言わせれば、しかし、その行動自体が異常だった。
「え、本当に? あの一郎くんに友達がいて、しかもわざわざ会いに外に出て行く? えー?」
あとに残されたのは、ぽかんと大口を開けて呆ける間抜けな幼なじみの姿であった。
***
そして、フルドライブ文庫本社ビルである。
おっとり刀で駆けつけた一郎を待ち受けていたのは、当然ながら、エルフの熱い歓待などではなかった。
「この度は当社にどういったご用向きでしょうか」
にっこりと、けれども機械的な受付の応対である。
「山田エルフ先生にご招待いただきまして。差し入れを持ってきました」
名刺を差し出してそのように告げれば、
「あー。それは、その……」
受付は困った顔になる。
無理からぬ話である。山田エルフという作家は、大事な仕事にかかりきりであり、余人の立ち入らぬ場所でひとり静かに仕事に精を出している。決して人を立ち入らせてはいけないし、何より本人を逃してはいけない――と厳命されていたのだ。
そこに、山田エルフ本人から呼び出されたからと、話題の作家が、しかも手みやげ持参でやってきたのである。
板挟みになった受付は、担当に内線で相談した。責任転嫁と言うなかれ。己の権限を越えた判断は上司に委ねる。それが正しい部下の在り方である。
「担当編集の山田クリスと申します」
応接室に通された一郎は、寸間を置かず、その青年と相対することとなった。
「どうもご丁寧に。鈴木一郎と申します。山田先生とは作家友達として仲良くしていただいています」
手慣れた様子で名刺を交換する。
それは奇妙な光景であった。一郎は本来ならば世間というものに疎いはずの中学生であったし、クリス氏はといえば、こちらは金髪碧眼の西洋人であったのだ。
奇妙な光景は続く。クリス氏が、席に着くなり頭を下げたのだ。その所作は、下手な日本人より日本人じみていた。
「山田先生が突然ワガママを言い出しまして、申し訳ありません」
「とんでもありません。僕こそ、お仕事中にお邪魔しまして。エルフ先生もお忙しいようで」
会うことはできないのかと、暗に尋ねる。
「申し訳ありませんが……」
返ってきたのは、日本人的な「NO」の
一郎は、あっけらかんと応じた。
「でしょうね。普段、あれだけ好き勝手遊び倒してるんですから、これくらいしないと帳尻が合いませんし」
笑いを含ませる一郎に、クリス氏の静かな瞳が向けられる。そこには、しかし、ひそかな負の感情が見え隠れしていた。
それも無理からぬことである。金髪碧眼の
「いや、すいません。
「……なるほど。話に聞くとおり、鈴木先生は山田先生と仲が良いのですね」
楽しそうな一郎の姿に、クリス氏の険が和らぐ。
ここだ、と一郎は思った。
「仲良くしてもらっています。おかげさまで、刺激的な毎日を楽しんでいます。実は、彼女に影響されて、僕もライトノベルを書こうと思い立ちまして」
「ほぅ。ライトノベルを」
編集としての嗅覚が働いたのであろう。クリス氏の静かな瞳が、鋭く細められた。
「どこかに応募されたのですか」
「今まさに書いている最中ですが、A社のラノベ天下一武道会という賞にエントリーしまして」
「ああ、あの」
一郎は、クリス氏の反応を待った。
クリス氏の反応は、果たして、色良いものだった。
「先生の書かれるライトノベルでしたら、是非うちから出版したい。お話をいただければ、私が担当させていただきましょう」
「おお、それは嬉しいお話です。次の機会には、是非お世話になります」
「お話、お待ちしております」
にこにこ笑顔の一郎と、涼やかな微笑のクリス。双方に、社交儀礼以上の含意があったように思われる。
――頃合いである。
一郎は、さて、と言って席を立つ。
「今日はお邪魔しました。エルフ先生もお忙しいところ、急にすみません。実は、まぁこんなことじゃないかなと思って、差し入れだけお渡しするつもりで来たんです。お渡しください。それと、こちらは皆さんで召し上がってください」
「申し訳ありません。それでは、ありがたく……」
「山田先生には、また差し入れを持ってくるとお伝えください。きっと、これだけじゃあ足りないと催促するでしょうから」
冗談めかしてほほ笑む一郎に、クリスはどう言ったものかと逡巡する。
その隙に、一郎は軽く会釈して席を立っていた。
つられて起立したクリスは、ドアノブを回して今にも出て行こうとする一郎を、とうとう呼び止めた。
「お待ちください」
きた、と一郎は思った。
振り返ると、クリスは丁寧に一礼する。
その所作はやはり日本のそれである。
にも関わらず、どういうわけか、それは西洋の王侯貴族を彷彿とさせる優雅なものだった。足のながい彼が腰をおると、かすかに傾いた上半身に、さらりと金髪が流れる。陽光が金糸ではねる様は、光のあふれる印象派の絵画のようだった。
「まずはお気遣いありがとうございます。お察しの通り、山田先生は切羽詰まった状況です。締め切りが迫っているというのに、間に合わないのを覚悟で遊びほうけていたので。だというのに、いまだ本腰を入れられていない。やれ気分転換が必要だの、心の燃料が足りないだのと言って。――渡りに船です。山田先生に会っていただきたい。着いてきてください」
結局、一郎はエルフとの面会を許可された。
それも無理からぬ話である。自分の監督不届きの結果、担当作家がワガママで呼び出した相手である。
これが常識知らずの聞かん坊なら気持ちよく追い返せただろうが、丁寧に手みやげ持参で来たのだ。しかも編集部の分も携えて。
のみならず、実績のある有名作家で、自社からのラノベ出版をにおわせている。もしそうなれば、話題沸騰である。
これは通すより他ないと思うのも当然であった。
エルフの仕事場は、ビルのもっとも奥まったところにあるらしい。道すがらすれ違う社員は、ひょっとしたらエルフの監視員を兼ねているのかもしれない。
そう思ってしまうほどに、クリスはエルフの逃亡を危惧しているらしかった。
「失礼ですが、エルフ先生のご親戚でしょうか」
「兄です。と言っても、一緒に暮らしてはいませんが」
「へぇ。ご兄妹で担当と作家ですか。それは素敵ですね」
「とんでもない。ワガママな娘なので苦労しています。私が担当でなければ、編集の一人や二人は辞めていたかもしれない。少なくとも、今日ここに缶詰で仕事をさせることは不可能だったでしょう」
「エルフ先生はパワフルですもんね。とはいえ、そこがエルフ先生の素敵なトコだと思うんですけどね。すべてに全力だから、見ていて気持ちが良い。元気づけられる。なにより不器用だけど、善い人だと思いますよ」
一郎があまりに楽しそうに笑うものだから、クリスの表情も和らぎ、ついには笑みがこぼれた。
といっても、山田クリスという青年のそれは、かすかに頬がゆるみ、口の端をうすく持ち上げるだけの、慎ましいものだった。
けれどもそれは、何を思っているのか読みづらいポーカーフェイスの、氷の美貌とでも形容される青年の、心からの笑みだった。妹を想う兄の、心からの笑みだった。
「どうやら鈴木先生は、妹に甘いようですね」
「一郎と呼んでください。――そりゃあ、甘くもなります。初対面なのに、彼女なりのやり方で心配してくれたし、発破もかけられた。そんなできた人はなかなかいない。おかげで、鈴木一郎という作家は、新しい挑戦ができる」
一郎は思い出す。はじめて『豹頭譚』を書き始めたころの、あの熱い気持ちを。エルフへの感謝を。
「だから今日は、お礼です。今度は僕が発破をかける番かなって」
「なるほど。妹は良い友達を持ったようだ」
などと微笑ましい気持ちで、二人はその扉を開いた。
出迎えたのは、なにかを後ろ手に隠そうとする、話題の人物の姿だった。
「げっ、お兄様! な、なによ。ちゃんと仕事してたわよ。スマフォなんかいじってなかったわよ!」
「隠しても無駄だ。お前がスマートフォンを隠し持っていたことはバレバレだ。なにせ、一郎先生が連絡をもらったと証言してくださったからな」
「えっ、一郎?」
「やぁ、エルフさん」
クリスの後ろから、ひょっこり一郎が顔を出す。
エルフの顔が、ぱぁっと華やいだ。
「やっと来たのね! 待ってたわ。さぁ、ここから連れ出してちょうだい!」
「いや、そうは言ってもね」
一郎は、横目でクリスを見やった。
「……」
瞠目して腕組みをしている。
見ざる、聞かざるということであろうか。
けれども、わざわざ部屋のなか、ドアの前に立ち尽くす姿は「何があっても逃がしはせぬ」という意思を体現している。
「おねがい、おねがいですぅ。何でも言うこと聞いてあげるから」
「何でも……だと……」
己の懸想する美少女にそのように言われて動揺しない男がいるだろうか。
当然、一郎は動揺した。
「だが断る」
したが、それとこれとは話が別だった。
「ちょっと、絶対に助けるって言ってくれたじゃないの!」
「ピンチならね。ピンチなのは原稿の方だったみたいだけど」
「見捨てないで、大ピンチなの! ほら、見なさいよこの部屋。ゲーム機どころか、テレビすらないのよ。ピアノだってもちろんないし、本もマンガも、オヤツも。このままじゃわたし、カピカピに干からびて死んじゃうわ! 心と体の栄養が尽きて、物言わぬただのしかばねになっちゃうわ!」
「大丈夫。ちゃんと秘密道具を持ってきた」
「えっ、ひょっとしてゲームかしら」
「虎屋のドラ焼きと羊羹。頭の栄養補給にもってこいだよ」
「和菓子じゃないかーい!」
とつっこみながらも、早速いただくエルフである。
「なによ、どら焼きと羊羹って、おじさんくさいわね! 差し入れするなら、この荒みきった現代に舞い降りた最後の幻想・エルフちゃんにぴったりな、洒落乙でインスタ映えする洋菓子にしなさいよ」
「うんうん。やっぱりエルフさんは流石だね。おいしく食べてもらって、道中買ってきた甲斐があったよ」
ストレス発散の代償行為なのか、それとも口に合ったのか、むさぼるように食べるエルフに、兄クリスの鉄拳指導が炸裂する。
「こら、まずはお礼を言わないか」
「あいたっ! もう、頭を殴るのはやめてよ、兄貴! エルフちゃんの天才頭脳からプロットがこぼれ落ちたりしたら、人類の損失なんだから!」
「こぼれる前に原稿に写せと言っている」
「鬼、鬼がいるわ。助けて一郎。鬼編集に殺されちゃう!」
「大丈夫、大丈夫。脳細胞がちょっと死滅したくらいで、人間は死にはしないらしいよ。ほら、映画なんかのゾンビだって、多少脳が損傷しても動いてるし」
「生々しい言い方はやめてくれない!? 情報ソースだってアテにならないし!」
という挨拶が一段落するや、クリスが切り出した。
「さて、山田先生に面会だ。三十分だけ時間を取る。その間、しっかり一郎先生にお礼を言って、気力を充実させてください」
「まるで囚人ね……」
「原稿落とすのは犯罪ですから……」
古傷が疼いたのであろうか。珍しく、青い顔をして一郎が唸る。
「ところで、エルフ先生の仕事は進んでるのかな」
「まだね。わたしのスキルの発動条件は厳しいの。ひとつ、締め切り日を過ぎていること。ひとつ、魔力が充実していること。前者はともかく、後者はこんな環境じゃあとても補充できないわ」
「なるほど。魔力ってのはそういうことか」
「おかげで暇よ、暇!」
「相変わらずエルフさんはエルフさんだなぁ」
担当編集を前にしての、この言い草には、さすがの一郎も苦笑を禁じ得なかった。
「暇なら、ちょっと見てくれないかな、師匠。ラノベ天下一武道会に応募する原稿を書き始めたんだ」
「よかろう、弟子よ。あれだけダメダメだったバカ弟子の成長っぷりを見てあげましょう」
「是非に、師匠」
ボディバッグから
開いて三秒もすれば、一郎が打ち込んできた原稿が画面に現れた。
「へぇ、便利なものね。軽いし、起動も早いから、出かけ先でも気楽に小説書いたり、メモ取ったりできるわね。ノートPCじゃこうはいかないわ」
「つまり、在宅作家のエルフさんには必要ないってことだね」
「わたしには、仕事にゲームにアニメにと、生活の全てをサポートしてくれるマックブックがあるからね」
というじゃれ合いもそこそこに、エルフは原稿を読み始める。
「な、ななな――」
やがて、エルフの桜色の唇からは、驚愕の声が漏れた。
「なにこれ、無茶苦茶よ! あんたってバカなの? こんなのを本当に応募しようとしてるの!?」
一郎は、にやりと笑って答える。
「
エルフは、狂人を見るような目で、一郎を見やった。
「無茶よ! そんなこと、本当にできると思ってるの」
「思ってるよ。やってみせる」
エルフは瞠目した。それくらい、一郎の書いた小説は無茶苦茶で、言ってることは馬鹿馬鹿しかったのだ。
だが、どういうわけか、一郎は自信満々に言い切った。まっすぐにエルフを見据えて、宣言する。
「僕は好きなように好きな作品を書いて、それを本にしてもらう。そして、ラノベ作家として正面から山田エルフに戦いを挑む」
それが、エルフにはこの上なく面白く、好ましく思えた。
「くふふふ! あんたってバカね、とんだバカ弟子だわ! イチローってば、もっと飄々としてつまんないヤツって思ってたけど、なかなか熱くていいじゃない」
「そうだよ。エルフさんだって知ってるでしょう。本当に好きなことには、僕は全力で挑むんだ。だから今回は、全力中の全力だ」
「――っ」
エルフの顔が桜色に染まる。
一郎のまっすぐな視線が、言葉が、あの日のことを喚起させたのだ。
「エルフさん、勝負だ。僕は全力で君に挑む。君も全力で応えて欲しい」
「――最高ね。弟子からのライバル宣言。燃えるシチュエーションだわ。イチローも分かってきたじゃない。いいわ、かかってきなさい。何度でも、けちょんけちょんに返り討ちにしてやるんだから!」
***
それから自宅に帰った一郎は、PCの画面に向かっていた。
『――この度はご丁寧にお土産までありがとうございます。編集部一同、大変喜んでおります。おかげさまを持ちまして、山田先生も発奮し、仕事はすごぶる順調です――』
フルドライブ文庫の編集、山田クリスからのメールである。
その文末には、こうあった。
『いつでも出版のお話をお待ちしております』
どうやら、本当に社交辞令以上の言葉であったらしい。望外の幸運に、一郎はほくそ笑む。
「やっぱりエルフさんは天使かな。いや、さしずめ幸運の女神か」
そんなときである、一郎のスマートフォンが着信を報せたのは。
果たしてそれは、もう一人のライバルからの音声通話であった。
『あの、一郎先生?』
「マサムネ先生か。お久しぶり。エルフさんから聞いたんだけど、先生もラノベ天下一武道会にエントリーしたんだってね」
『そうなんだよ!』
マサムネは語る。
人気作家・千寿ムラマサに出版枠を奪われ、ラノベ天下一武道会に応募する運びとなったこと。その千寿ムラマサもまた同コンペに参加を表明。のみならず、ムラマサから愛の告白を受け、作家人生をかけてラノベ対決をすることになったこと。
一郎がラノベ作家としての第一歩を踏み出そうとしているまさにそのとき、マサムネにもまた、大きなドラマがあったようである。
「そんなラブコメみたいなことって、本当にあるんだね。小説より奇なりとはよく言ったもんだ。いっそ、マサムネ先生を主人公にしたラブコメ書いちゃえばいいんじゃないかな。すんなりアニメ化しそうだ」
『笑えない冗談はよしてくれ。俺のヒロインは妹だけで十分だよ』
「あ、うん。それは笑えないね……」
この、あまりに自然で不自然な妹ラヴ宣言には、流石の一郎も顔がひきつった。
と同時に、エルフさんも報われないな、と思う。
それは、自分にとって都合が良いはずだ。早々に想い人がフラれてしまえば、自分のつけいる隙もできよう。
けれども、一郎はエルフのことを大切にしたかった。初対面の相手すら気遣える優しい少女を、大切にしたかった。不利な戦いと分かっていながら真っ正面から挑んでいく、どこまでもまっすぐで不器用な少女の、そんな在り方を尊重したかった。
きっと、エルフの想いはマサムネには届かない。だから、それまで待とう。エルフが納得して、次の一歩を踏み出すまでは、陰に日向に支えよう。
それがいつになるかは分からない。けれども、そうして愛しい人のことを想って過ごす日々もまた、最高に楽しいのだ。
(それに、ただ指を咥えて見ているってわけでもないし)
進んでエルフの恋路を邪魔するわけではないが、少しは自分のことも見てもらいたい。その結果、納得した上で自分を選んでくれれば万々歳だ。
『一郎先生には申し訳ない。先生が先にエントリーしてたのに、俺もしちまって。それどころか、俺のせいでムラマサ先輩も参加することになっちゃったし』
「そんなの気にする必要はない。前にも言ったじゃないか。先達を追いかけ、追すがってくる新しい才能と戦っていくのがこの仕事だって。いまさら、誰が出てこようが関係ない。僕は、自分の作品を書くだけだよ」
『そう、だよな……。ああ、そうだ! 俺は一郎先生やムラマサが相手でも、負けるわけにはいかないんだ。いや、俺は一郎先生にも勝ってみせるぜ!』
などと気炎をあげるマサムネが面白くて、一郎は思わず笑ってしまった。
『えっ、俺、何か変なこと言った?』
「ごめん、ごめん。いや、こうして友達と正面切って競い合うのも楽しいなって思ったんだ。エルフさんの気持ちも分かるな」
『あいつ、こういう勝負ごと好きそうだもんな』
「勝負といえば。今回のラノベ天下一武道会、マサムネ先生はどんな作品で応募するのかな」
『よく聞いてくれた、一郎先生! 俺が今回書くのは、最高に可愛い妹の小説だ!』
「えっ。ひょっとして、君の妹の私生活を赤裸々につづっちゃったのかい。それはちょっと……」
『そんなわけねーだろ!』
聞けば、今回マサムネが書くのは、義妹がヒロインのラブコメで、一応はフィクションらしい。
一応というのは、絶対に彼の妹がモデルになっているに違いなく、となれば、百パーセント
あふれる妹愛を作品へと昇華させたのだろう。少女への愛を文学へと昇華させた偉大な変態、ナボコフ大先生を彷彿とさせる。
そういう変態の書く作品は、めっぽう面白い。三島由紀夫しかり。ルイス・キャロルしかり。
「それは傑作の予感がするね。でも僕だって負ける気はないよ。僕は僕なりに、僕の好きをめいっぱいつぎ込んだんだから」
『ああ。俺も一郎先生の作品を読むのを楽しみにしてる』
お互いベストを尽くそう――
そんな話をして、電話を切った。
端末を置くと、大きな瞳をとりこぼさんばかりに見開いた幼馴染みの姿があった。
「え、うそ。あの一郎くんが声をあげて笑ってる!?」
「あれ、まだ居たのか、めぐみ」
そのようなやりとりをしながら、和泉マサムネ、山田エルフ、鈴木一郎の三人の作家は、それぞれの作品を書いて日々を過ごした。
ときに会い、ときにメールや電話で励まし合い、茶化し合い、何でもないようなやりとりを交えて、その日を迎えた。
――ラノベ天下一武道会の結果発表日である。
11,326文字
したたかに外堀から埋めていくスタイル。前世の人生経験を生かした城攻めです。
自分なりに面白いものを書いているつもりで、漫画ネタや小説ネタ、掛け合いを書いています。
ですが、当然他人様とは感性も好みも異なるので、スベっていないかいつも不安でいます。
なにより、文章についてご意見いただけると何より嬉しく思います。
あれが良かった、これはお寒い。この表現が良かった、ここは分かりにくいなど気楽にご感想いただけると助かりますが、感想書く方も面倒臭いよなぁと思う次第。
アンケート機能があれば、気楽にご感想いただけるのでしょうか。