転生作家は美少女天才作家に恋をする   作:二不二

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今週は平日に書き進めることができたので、早めに投稿することができました。


7.縁日

 ***

 

 

 鈴木一郎の一日はめまぐるしい。

 起き抜けに家事をこなすと、小説を書いて登校する。昼間は学校で過ごし、放課後はそのまま帰宅することもあれば、ふらりと部活に顔を出すこともある。帰宅すればすぐさま小説を書くし、そもそも学校にあってさえ、授業もHRもお構いなしに小説を書いている。彼の一日は、大半が小説を書くことに費やされているのだ。

 もっとも最近は、学校が終わるや否や、まっすぐ山田エルフの起居するクリスタルパレスか、そのお隣のマサムネ宅へと足を運んでいる。そこで、二人と楽しい時を過ごすのだ。

 一郎にとって、彼らは数少ない作家友達であり、気の置けない友人であった。二人の新鋭作家との話は刺激的であったし、二人の友人とのやりとりは、エルフとの色恋沙汰を抜きにしても、非常に心地の良いものであったのだ。

 となれば、ますます彼らの許へ入り浸るのも当然のことで、作家業に充てる時間が減ってしまうのは必然だった。

 それが許せる一郎ではない。というより落ち着かない。前世では「何か書いてないと死んじゃう病」と渾名された男である。

 睡眠時間を減らし、学校の授業時間を執筆時間に充て、ますます精力的に取り組んだ。当然、幼なじみの相手もおざなりになる。

 

「――ってことがあったんだよー」

「へぇ」

「それってヒドイと思わないっ?」

「そうだねぇ」

「……」

 

 執筆道具(ポメラ)から顔も上げずに生返事の一郎である。

 神野めぐみは、ぷくりと頬を膨らませて、かと思えば、にやりと悪戯に囁いた。

 

「ねぇ。結婚しようよ、一郎くん」

「だが断る」

 

 一郎の返事は素早かった。

 

「もうっ、さっきから生返事ばっかりなのに、こんなときだけヒドイよっ!」

「生返事は悪かったよ。でも、勘弁してほしい。仕事で忙しいんだ」

 

 ご覧の通りとばかりに、イスに腰掛けキーボードをタイプする格好をとる。

 

「みたいですねー。ご飯も、外食か出来合いのものばっかりみたいだしー」

「台所までチェックして、君は僕の母親か」

「ちがいますよー。そこは、お・く・さ・んって言うところでしょう?」

 

 ずいと顔を寄せあざとく小首を傾いでみせれば、さらりと流れる髪が甘い匂いをふりまいた。

 一郎は呆れ顔になる。

 なにせ鼻を拭ってやったこともあれば、おもらしの後始末を手伝ってやったこともあるのだ。

 親にとって子供がいつまでも子供であるように、神野めぐみという幼なじみは、いつまで経っても「姪っ子」のような存在であった。

 そんな姪っ子のことを、一郎はよく理解している。

 

「君がここまで構ってくるのも珍しい。何か用があるのかな」

 

 多少独善的なるきらいがあるとはいえ、めぐみは気遣いのできる、友達思いの優しい娘である。大した用事もないのに、人の邪魔をしたりはしない。

 果たして一郎の仕事を妨げるに足ると信じる用事が、彼女にはあった。

 

「うんっ。実はね、こんなのがあってねっ」

 

 ぱあっと笑顔で取り出したのは、一枚のちらしである。

 

「あたしと一緒に花火大会、行きませんか」

「ああ、もうそんな時期かぁ。もちろんいいよ。それっていつから?」

「今からっ!」

「また急な話だね」

「だってー、一郎くんってば、最近忙しそうにしてるから。たまにはぱーっと遊ばないとねっ!」

「お気遣いありがとう。でも、遊んだ結果、忙しくなってるんだよなぁ」

 

 などと口内でもごもご転がしながら、机上を整理しはじめる。

 ただでさえ一郎はこの姪っ子のような幼なじみに甘い。その上、一郎を気遣っての提案である。断れる筈もなかった。

 

「さて、家を出るか」

 

 という段に差し掛かった時である。

 

 ピンポン――

 

 と呼び鈴が鳴る。

 一郎が玄関に向かうよりも早く、ドンタンと扉をたたく音。

 

「ちょっと、鈴木先生はいらっしゃいますか? いるんでしょ、ねぇ!」

 

 すわ何事かと、一郎とめぐみは顔を見合わせた。

 若い女の声である。

 といって、一郎やめぐみのような中学生(こども)のそれとも異なる、もっと大人の声。

 そのような年頃の、しかも狂ったように扉を殴りつける女性に知り合いなどいない。

 一郎は、訝しげに誰何する。

 

「どちら様ですか。僕は鈴木一郎ですが、どなたかとお間違えではありませんか」

「私ですっ。A社の神楽坂ですよっ!」

「ああ。『天下一ラノベ武道会』ではお世話になりました。で、今日は何用ですか――っ!」

 

 思わず息を呑む。

 扉を開ければ、山姥がいた。

 スーツは乱れ、綺麗にととのえていたであろう御髪を振り乱し、鬼気迫る表情で慟哭する姿は、妖怪のそれである。

 おおきく傾いで巨大な円盤となった太陽が、神楽坂あやめの顔に深い陰を落とす。

 

「聞きましたよ。フルドライブ文庫から打診があったそうですね。どうか、ウチから出版するよう考え直してもらえませんか!」

 

 暗闇と化した陰から響いてくるその声は、地獄の底に落ちつつある罪人が、必死に蜘蛛の糸にすがりつこうとしているかのようである。

 一郎は察した。

 

(あ。これは、上司にいろいろ言われたみたいだな)

 

 

 ***

 

 

 時は件のコンペ受付期間中まで遡る。

 原稿をメールで送ってからいくらも経たぬうちに、編集者から電話があった。

 

『ちょっと、鈴木先生。いくらなんでもこれは掲載できませんよ。やり過ぎですよ、やり過ぎ!』

 

 その神楽坂あやめという編集者は、単刀直入に切り出した。

 一郎はあっけらかんと答える。

 

「うーん。やっぱり掲載は無理ですかね。でも、僕はこれで出したいんですよ」

『つまり、修正して再提出するつもりは……』

「ありませんねぇ」

『もうちょっと、ちょろーっとだけマイルドに抑えてくれませんか。そしたら、なんとか上にかけあって掲載できると思うんですけど』

「結構です」

 

 一郎は穏やかに、けれどもぴしゃりと言い放つ。

 

「作品をより良くする為なら、何度だって喜んで書き直します。けれど、ここが一番のこだわりなので、この作品のテーマなので、どうかこのまま掲載させていただけませんか」

『でも、それだと掲載は難しいですよ』

 

 何度説得しても、一郎は頑なだった。

 これは脈無しと見たのか、神楽坂の対応はそっけないものとなる。

 

『はぁ。分かりました。一応は受け取りますけど。ひょっとしたら、規定違反ということで、原稿をお返しするかもしれません――ああ、先生はデータ投稿でしたから、お返しする物はありませんけど――とにかく、そのときは、原稿代も出ないということになります』

 

 ひょっとしたらとは言うものの、その実、落選は確実であると神楽坂は見ていた。そして、それで構わないとも。

 掲載できずとも、名の売れた作家であるから、集客効果の程は間違いない。読者から文句も出るだろうが、この頭の固い作家にラノベは難しかったということで納めてもらう他ない。

 幸い、本命の作家は他にいる。スランプの最中にありながら快復の兆しを見せはじめた、大型新人の千寿ムラマサ。一皮剥けた若き新鋭、和泉マサムネ。

 彼らこそが未来のラノベ業界を担う才能であり、自社の未来を拓くうちでの小槌であると、神楽坂は確信している。

 一方、この畑違いの作家先生は、そもそも別の大型連載を抱えている。遊び半分でいい加減な仕事をされかねない。故に、お引き取り願うのだ。

 

「もし掲載されなかったら、そのときは、他社さんへ持ち込んでもよろしいでしょうか」

『うーん。一応、後で上に確認を取ってみますが――』

 

 電話の向こうで、わずかばかりの間。

 編集部のなかで、ひそかな合意があったのだろう。神楽坂は、はっきりとした口調で言葉を継いだ。

 

『問題はないと思いますよ。そもそもその場合、原稿を”お返し”しているわけですし』

「そうですか。我が儘ばかりで申し訳ありません。どうか、掲載していただければ幸甚です」

 

 というやり取りが、かつてあったのだ。

 

 そして現在。

 一郎と神楽坂、そして何故か一郎に連れてこられためぐみの三人は、近所の喫茶店で相対していた。

 

「先生、困ります。ウチに原稿を送ってくださったワケですし、当社のHPにもお名前は載せてしまいました」

 

 スーツをぴしりと着こなし、乱れた御髪をなでつけた、一部の隙もない出で立ち。うすく白粉をはたいて、ひたと背を伸ばして臨戦態勢である。

 澄まし顔から流暢に流れるその台詞に副音声をつけるなら、このようになるだろう。

 ――応募してきたんだから、ウチで出すのが筋だろがオラ。

 

「僕も残念に思っています。結局、原稿は規約違反ということで”受け取って”いただけなかったのですから」

 

 ――受け取り拒否したじゃねぇか。忘れたとは言わせねぇぞコラ。

 

「おほほほ」

「はははは」

 

 ひきつった笑みをぶつけ合う二人の間に、紫電が散る。

 どこかのマンガで言っていた。笑顔とは、本来攻撃的な表情であると。

 なるほど。であるならば、花咲くような幼い笑みから、残酷非道のめぐみ爆弾が投下されたのも、納得のいく話である。

 

「それってつまりぃ、原稿を突き返してお金も払ってないのに、余所で出版したらダメって言ってるってことですかー?」

「うっ」

 

 神楽坂が胸を押さえて呻いた。

 パリッとのりの利いたスーツに寄った皺は、苦悶の表情の代弁者である。

 

「そう言えばぁ、別の出版社さんから出しても良いよって許可をもらったんだって、一郎くん言ってたけどー、それって一郎くんの勘違いだったんですかー?」

「ううっ」

 

 急所を付かれた神楽坂は、身を折って縮こまる。

 彼女とて、これが前言を反故にする身勝手な物言いだと分かっている。分かってはいるが、引っ込めることができない。げに悲しきは雇われの立場の弱さである。

 それは、しかし、めぐみの預かり知るところではない。

 ここぞとばかりにめぐみは畳みかける。

 めぐみは止めない。止まらない。

 

「あたしぃ、中学生(こども)だから難しい話は分からないんですけどー、結局一郎くんはフルドライブさんでお仕事できるんですかー?」

「でき、ます……」

「え、なにか言いましたかー? ちょっと聞こえなかったっていうかー」

 

 ついには神楽坂は折れた。心が折れた。

 はじめは力なくうなだれ、やがて、だんだんと大きな声で、

 

「できます! 鈴木先生は、ウチから出版していただかなくって結構ですぅー!」

 

 と叫ぶなり、バッグを掴んで飛び出した。

 

「あっ、お会計忘れてますよー」

「めぐみさん、もうそのあたりで……」

 

 一郎は、めぐみを宥めながら、伝票を回収する。

その場に残された伝票は、いわば勝利の証であった。

 

「むー。もうこんな時間じゃないですか。今からお祭り行っても、良い場所なんて取られてるし、花火は楽しめないじゃないっ」

 

 もうすっかり陽も暮れてしまった。

 会場は、黒山の人だかりで埋め尽くされていることだろう。

 花火など、前世で飽きるほど見てきた一郎である。いまさら行ってみたところで、新鮮さも感動もあったものではない。

 にも関わらず、いざ機会を逃してみると惜しいことをしたような心地になるのが、人の情というものである。

 

「それは残念だな……。晩ご飯もまだだったから、お腹も空いてきたのに」

 

 めぐみも同様である。

 一郎の為とは言うものの、彼女もこのイベントを楽しみにしていた。

 その思いを、しかし、めぐみは冗談めかして飲み込んでみせた。

 

「んー。仕方ないなぁ。優しいめぐみ様は、ここで勘弁してあげます。その代わり、力一杯食べるからねっ。パフェにクレープにケーキにアイスに……」

 

 そんな心優しい幼馴染みに、万感の感謝を込めて、一郎は言った。

 

「ありがとう」

 

 にぱっと、めぐみは笑顔を咲かせる。

 

「どういたしましてっ!」

 

 

 ***

 

 

 かくして、祭りへの参加を逃した一郎である。

 しかし、日の本の祭りは一度だけではない。地域の数だけ祭りがあると言っても過言ではないのだ。

 一郎は、祭りへと繰り出していた。

 浴衣姿のエルフを伴って。

 

「どうかしら?」

 

 頬に手を添えかるく首を傾げ、しなをつくってみせる。

 口さがない連中は、中二病だとか勘違いしているだとか騒ぎ立てるであろうポーズである。一流のモデルを以てしても、ぶりっこだのといった、やっかみ混じりの悪口は避けられまい。

 そうした悪口を、エルフは封殺する。

 可憐であどけない妖精のような少女が、浴衣を着るのがうれしくて楽しくて仕方ないのだといわんばかりに、まっすぐな笑顔をふりまく。西洋人形のような美しい少女の、そんな無邪気な笑みを見せつけられては、どんな性根の曲がった者であっても、口をつぐんでしまうに違いない。

 

「流石、エルフさん。どんなポーズを取っても似合うなぁ」

「そうじゃなくって、この浴衣のことを言ってるのよ! どうかしら。アニメ化資本によって精錬された、このオーダーメイドの浴衣(フルアーマー)は。この究極美少女生命体のエルフ様の着こなしは」

「ごめんごめん。見惚れて、頓珍漢なことを言っちゃったよ。もちろん、浴衣もすごく似合ってる。すごく新鮮なのに、いつもピンクの服を着てるエルフさんだからかな。ピンクの生地もしっくりくるし、柄も可愛いらしい。巾着風のバッグもお洒落だ。うん。本当に、可愛いよ」

「で、でしょうっ。エルフちゃんは何を着ても似合うのよっ!」

 

 ふんぞり返るエルフであったが、白磁の頬はほんのり赤い。一を尋ねて十返してくる一郎の讃辞にたじたじである。

 自ら美少女と称してはばからない、自信たっぷりのエルフであるが、学校にも行かず勝手気ままにインドアで過ごす生活の弊害で、対人経験が少ない。その為、攻められると弱かった。

 そうした初心なところが可愛くて、一郎はついついエルフをからかってしまうのだ。

 性質の悪いことに、それらは全ておべっかでもなんでもない、本心からの言葉だ。それが分かるからこそ、エルフも対処に困るのである。

 だが、困らせるのは一郎の本意ではない。

 

「マサムネ先生、遅いね」

 

 一郎は、しごくあっさりと話題を転じた。

 

「そうよ、それなんだけどね! 実はマサムネのやつ、連絡が取れないのよ。今日花火大会に行くから、時間厳守で集合よってメールしといたんだけど」

 

 エルフは事情を説明する。メールメッセージを送っても、電話をかけても、梨の礫であると。

 

「なるほど。あの結果発表の翌日から、ずっと連絡が取れないのか。三人で花火大会に行くわよなんて言うもんだから、僕はてっきり――」

 

 一郎を遮って、

 

「ねぇ、わたしだけ無視されてるってわけじゃないわよね!」

 

 エルフの必死な声。

 不安が形をそなえたかのような、それは、悲痛な声だった。

 瞳は一郎を捉えていない。一郎という人型に、自らを安心させる台詞を催促しているに過ぎない。

 

「――大丈夫、僕もだよ。実はあの日の夜、連絡を取り合ってね。連載が決まったから、出版社で缶詰することになったとの話だったよ」

 

 穏やかな一郎の答え。

 

「なによ、そういうことなのね」

 

 エルフは、ほっと安堵の息をつく。

 そして、ようやく一郎の顔を見た。

 

「あ――」

 

 微笑みである。哀れを誘う微笑みである。雨に濡れた野良犬のように、哀れを誘った。

 視線が絡む。

 一郎の瞳に滲む孤独が、胸にきゅっと絡みつくような心地がして、エルフはあわてて目をそらした。

 

「ま、まぁそんなことだと思ったわ。まったく、マサムネのやつったら。気が利かないんだからっ」

「作家生命がかかっていたからね。いや、今が一番気が抜けない状況かな。身の入れようも一入になろうってもんだよ」

 

 エルフは横目に一郎を窺う。

 そこにいたのは、もう、いつもの飄々とした一郎であった。

 どういうわけか、それがたまらなくもどかしくて、エルフは必死に努めていつもの調子で言葉を継いだ。

 

「そ、そういうイチローも、例のラノベの刊行が決まったんですってね。しかもウチで!」

「お世話になります、先輩」

 

 一郎はおどけてみせる。

 エルフもなんとか胸を反らして、

 

「ええ。ようこそ、我がフルドライブ文庫へ!」

 

 いつものように大仰に宣うた。

 習慣というのは偉大なもので、前髪を払い、にやりと口の端をつり上げると、エルフもすっかり本調子に戻ってしまう。

 

「でも、どうしてウチで出すことになったの?」

「クリスさんのお陰だよ。先だってエルフさんを訪ねたとき、機会があれば是非って言葉をいただいてね。この前連絡を取ってみたら、とんとん拍子で話が進んでね」

「編集部も思い切ったことをするわね。あの作品をそのまま刊行するのかしら」

「そのままとはちょっと違うね。第二巻までの刊行を確約のうえで、長編化してもらったんだ。エルフさんと同じ『フルドライブ・マガジン』で連載されることになったよ」

「つまり、アレを修正なしで?」

「もちろん」

「……」

 

 エルフはしばし黙した。

 あの腐臭ただよう作品と同じ媒体に、自分の作品が掲載される。愛しい我が子ともいうべき作品が、死臭に侵される。そう思うと切ない気持ちになるのだった。

 

「あんた、わたしの作品とページを離してよね。腐臭が移ったら台無しだわ」

「じゃあ、PNTMN先生の作品の隣になるように掛け合ってあげようか」

「いやぁっ、イカ臭いっ!」

 

 PNTMN先生とは、男性向け十八禁ゲームのシナリオライターとして鳴らした作家である。匂い立つような艶めかしい描写は、数多の成人男性を虜にした。

 問題は、その作風そのままにラノベ業界入りを果たしてしまったことで、更なる問題は、それはフルドライブ文庫としては全く問題にならなかったということである。

 一郎とエルフが身を寄せるレーベルは、

 

「ラノベ界の『少年チャンピオン』」

 

 などと渾名される。そこにはファンの畏敬の念と、熱い期待とが込められている。

 作家の熱意を大切にし、一緒になって表現の限界に挑む編集部の姿勢は、まさに業界の最新鋭である。

 作家も負けてはいない。全裸を信奉し隙あらばヒロインを裸に剥こうと目論む山田エルフ先生を筆頭に、熱いチャレンジ精神をもった精鋭が揃い踏みしている。

 そんな「キワモノ文庫」と名高いレーベルに、一郎の名が加わるのだ。

 

 このニュースは、たちまち業界をにぎわせた。

 先の『ラノベ天下一武道会』に一郎の作品が掲載されなかったことは、広く知られている。重大な規定違反と見咎められるほど、過激な内容であったらしいと。

 その問題作が、どうやらそのままフルドライブ文庫のラノベ雑誌『フルドライブ・マガジン』に掲載されるらしい。

 ネット上では、同誌の発売を待ち望む声が散見された。

 

「頭が痛くなるわ。こんなキワモノ読みたがる変態が、わたしの下僕(ファン)だなんて……」

「この話は棚に上げておこうか。これ以上考えたら、帰ってこられなくなりそうだから」

 

 そのキワモノ作家集団の筆頭が、全裸信奉者の山田エルフその人であるとは口外できない一郎であった。

 

「ところで、今日はどこに行くのかな」

「実は、まだ決めてないのよ。今日はいくつか花火大会があるから、三人で集まって決めたら楽しいかなって思ってたの。残念ながらマサムネのアホはいないけどね。この可愛いエルフちゃんのスペシャル可愛い浴衣姿を見逃すだなんて、本当、残念なやつよね」

「なに、夏はまだまだこれからだよ」

「そうね。また機会はあるものね! それより、どこにする?」

 

 エルフはスマートフォンを示す。

 

「このおっきい花火大会はどうかしら。芋を洗うみたいに、人がごろごろ敷き詰められてるの! いかにも日本の大花火大会って感じで、燃えるでしょう?」

 

 熱くて賑やかなのが好きな、エルフらしい選択である。

 対する一郎は、渋かった。

 

「うーん。多摩川や隅田川で派手に上がる花火を見るのもいいんだけど、こういう、こじんまりしたのもいいかなって」

「近郊のしょっぱい縁日じゃない」

「だから良いんだよ。人通りも落ち着いてるから、のんびり出店を見て回れる。花火は大したことないかもしれないけど、ゆっくり静かに愛でるってのも、それはそれで夏の風物詩だと思うよ。線香花火みたいにさ」

「あんた、やっぱり爺臭いわね。ま、いいわ。たまにはそういうのも悪くないかもね」

 

 と話がまとまった頃合いに、するするとタクシーが滑り込んでくる。

 エルフは訝しげに辺りを見回した。

 クリスタルパレスからほど近くの土手である。既にあたりは薄暗く、人影もすっかり絶えてしまっている。一郎とエルフの二人きり。

 

「あらかじめ呼んでおいたんだ。きっと電車は混むと思ってね」

「あら、気が利くじゃない」

 

 一郎はタクシーに近づく。運転手に「お世話になります」と頭を下げた。

 こましゃくれた中学生を訝しげに見やる運転手だったが、そこは客商売である。扉を開いて迎え入れるのだった。

 

 

 ***

 

 

 住宅街の奥に小さな山があって、そこへ抜ける、細い路が続いている。

 

「車が入れるのはここまでですので」

 

 とタクシーが去ると、二人は並んで歩いた。

 車も通れぬような細い路である。自然と肩を寄せることとなる。

 左右の足を動かすたびに、エルフの金糸の髪がさらりと流れて、甘い匂いが一郎の鼻腔を撫でた。

 

「うーん、いいなぁ」

「いいって、この寂れた感じが? ちょっと寂しくないかしら。こんな閑かな住宅街の奥に、本当に花火大会なんてあるの?」

「花火大会というよりは、縁日のようなものだけれどね。――ここだよ。ここを曲がるんだ」

 

 狭い路のさらに脇へと伸びるその小路に入った途端――

 町の雰囲気が、がらりと一変した。

 まるで不可視の膜がそこにあって、その向こうに広がる夢の世界に入り込んでしまったかのような、それは劇的な変化だった。

 ざぁっと、まるで波が寄せるように、遠いさんざめきが押し寄せてきたのだ。

 それは人々の声だ。花火を待ち望む若者の笑い声に、出店に心躍らせる子供の歓声や、恋人たちのひそかな囁き。それらに混じる、お囃子のひょうきんな調べ。

 ふと見上げると、小さな山がある。その天辺に神社があって、お囃子は、そこから流れてきているらしかった。

 山の麓にやがて鳥居が見えてくる。そこから、光は列を成し曲がりくねりながら、天辺へと登っている。

 光の正体は、出店の提灯である。境内へとつづく参道の両脇を、出店が固めているのだ。

 

「へぇ、意外とにぎわってるのね」

 

 歩いてみると、意外なことに出店は多い。

 道は曲がりくねっているから、見た目よりずっと距離がある。その分だけ出店もまた多くなるのだ。同じ商品を扱う店をいくつも見つけることができた。

 

「うーん。この匂い、やっぱり祭りはこうでなくっちゃね!」

 

 醤油の焦げる香ばしい匂い。肉のじゅうと焼ける音。砂糖のぷんと甘い香り。

 そのなかを、二人は歩く。

 

「見て、リンゴ飴よ! あの不健康そうな色がたまんないのよね。こんな時じゃなきゃ買えないし、買おうとも思わないけど、だからこそプレミアム感があると思わない? さっきの店とどっちが美味しいのかしら」

「こっちも美味しいよ。大きな栗が入ってておすすめなんだ」

「栗まんじゅう? わっ、大きいじゃない」

「でしょう。ここの名物なんだ」

 

 花より団子とはよく言ったもので、あっという間に、二人の手は食べ物でふさがった。

 けれども、もちろん一郎は花火を忘れてはいない。

 

「エルフさん、こっちへ」

 

 一郎がエルフを誘う。

 そこは見晴らしの良い山腹であった。

 にわかに木々は開け、天蓋は全貌を惜しみなく晒し、遠くには都心を望むことができた。

 

 静かな夜である。

 遠くに望む都は小さな光を無数に灯して、銀河のように煌びやかだ。空に向かってぼうと光を放つ様は、巨大な灯籠のようでもある。

 どん、と巨大な太鼓のような音が空を震わせた。

 

「打ち上がってるね」

 

 花火である。

 はるか遠くに望む都心の河川から、花火が打ち上がっているのである。灯籠がぼんやり照らす夜の空を、色とりどりの小さな朝顔が彩った。

 

「へぇ!」

 

 エルフは嘆じた。

 確かにここには、大きな花火大会のようなにぎにぎしさや熱狂、大輪の花を真上に望む興奮はない。

 けれども、遠目に花を愛でる風流、あたたかな寂寥感がしずかに胸を満たすのだ。

 

「こういう楽しみ方も悪くないかもね」

 

 視線を転じれば、道行く人々もいつしか歩みをゆるめ、あるいは道端に座りこみ、はるか遠くのにぎわいを眺めやっている。

 柄にもなくしんみりとするエルフである。

 ふと気付けば、一郎が嬉しそうにエルフの横顔を見やっていた。

 

「なによ、にやにやして」

「気に入ってもらえたみたいで良かったなって。何より、いつもと違うエルフさんを見れたのが嬉しいな」

「失礼ね。わたしだってしんみりする時くらいあるわよ」

 

 すっかりいつもの調子に戻ったエルフがわめいた時である。

 どん、と頭上で空気が弾けた。

 

「こっちも始まったね」

 

 花火である。

 山の天辺から、空にも届けとばかりに撃ち上がる。色とりどりの煙を引き、ひゅるると音を引き連れ、どん、と大輪の花を咲かせた。

 迫力であった。

 空が近いからだろうか、花火もまた近く感じられる。

 確かに、大きな花火大会のそれほど派手ではない。けれども、こうして空にほど近い場所から見上げる花火は、格別の迫力があった。

 

「…………」

 

 エルフは言葉も忘れて見入っていた。

 大きな瞳に花火が映りこむ。それは千切れる光の粉となって、エルフの琥珀の瞳を千々に彩った。

 

「綺麗ね……」

 

 言葉少なに呟いた。

 

「ああ。ほんとうに、綺麗だ」

 

 一郎の囁きが応える。

 どれくらいそうしていただろうか。

 次から次へと花火が打ち上がり、かと思えばまばらになり、もう終わりかと思えば一気呵成に打ち上がる。

 そうして、最後の一発がどぉんと空に散った。

 

「なによなによ、小さなお祭りだって言うから期待してなかったけど、粋な演出じゃないの! これなら大きな花火大会じゃなくったって――」

 

 エルフの喉に言葉がつかえた。

 一郎が、まっすぐエルフを見やっていたのだ。

 エルフは直感する。きっと、彼は花火など見ていなかったに違いない。あれだけ多くの花火が打ち上がる間じゅう、彼はきっと、ずっと自分を見ていたのだ。

 それでは、さっきの言葉は――

 

「エルフさん」

「ひゃいっ!?」

 

 エルフは飛び上がって舌を噛んだ。

 痛がるエルフに、くすりと笑って、一郎は優しく微笑みかける。

 

「行こうか。混みだす前に動こう」

 

 

 ***

 

 

 再び車上の人となったエルフは、訝しげに一郎を見やる。

 

「イチローってば、またまたタクシーなんか呼んじゃって、妙に手際が良いじゃない。なによ、こういうのに慣れてるの? アニメ化作家でもないくせに生意気ね!」

「売り上げ部数だけならエルフさんに負けてないからね」

「くっ、今に見てなさいよ。その余裕も今のうちだけなんだから。アニメ化ブーストをあまり舐めないことね」

「お手柔らかに」

 

 などと、いつものようなやりとりをしながら、いつもとは少し違うことを考えていた。

 

(そういえば、こいつのこと何も知らないのよね。最近、こいつの意外な一面をよく目にするけど、こんなヤツだったっけ)

 

 たとえば為人。

 第一印象は、よそよそしい人物であった。口に出すのは、どこかのテンプレートから引っぱってきたかのような、当たり障りのない台詞ばかり。(おもて)にうすく張りつく微笑は、決して胸の内を覗かせず、人に踏み込まず、踏み込ませない。穏やかで、冷たい。

 それが、深く付き合うにつれ、どんどん新しい一面をさらけ出す。

 人を馬鹿にしたり頭から否定することはないが、時々からかってはによによしている。逆にからかわれた時は、楽しそうに笑い声をあげる。ああ見えて実は、あるいは見た目通りに、結構いろんなことを面白がっているようである。

 エルフ、マサムネと過ごす三人の時間をたいそう気に入っているようで、足繁しく通いつめている。マサムネ個人とのやりとりもあるようだ。直に会わない日は、エルフの許にもメールが届く。意外とマメなところがある。

 マメといえば、妙に日本人的な細やかな、先回りした気配りができる。たびたび手みやげを、しかも貰い物だからどうぞお気軽にと持参するし、今日もタクシーを手配していた。料金も既に手渡していて、手際が良い。そうした日本的な気配りについては、エルフとしては思うところもあるが。

 

(思ってたほど冷たいヤツじゃないのよね。どちらかといえば、むしろ優しいほうだし、ときどき熱くなるわね。例えば――)

 

 小説に対してはストイックだ。

 常に執筆道具(ポメラ)を持ち歩き、ちょっとした思いつきを書き留めたり、琴線に触れた出来事や風景を描写するほどの物書き中毒である。初めてクリスタルパレスを訪ねた時も、玄関の前でピアノの音色を描写しようとしていたそうだ。

 聞けば、家でも学校でもほぼ文章を書いているのだという。それが常に「やる気マックスファイアー」状態であるから、これは一種の病気である。

 当然、小説について一家言持っている。ラノベ天下一武道会に応募した作品は、指示を仰いだエルフの助言を容れつつも、結局は自分の哲学に沿っていた。つまり頑固である。

 

(友人としては面白いヤツよね。小説家としても、わたしとは真反対のスタイルだけど、だからこそ張り合いがあるわ。それに、あの技量……)

 

 ベテラン作家の亡霊でも宿っているかのような、圧倒的な筆力。

 

(たまらないわね!)

 

 正反対の極にあるエルフをして、その作風、実力は認めざるを得ない。それが自分に挑んでくるのだ。これほど燃えるシチュエーションも珍しい。

 結局のところ、エルフにとって、一郎の過去に《何》があろうが関係ない。大切なのは、今現在の彼である。そして、今このとき、作家としての鈴木一郎は、望むべくもない最高のライバルなのであった。

 

「それじゃあ、僕はこれで」

 

 と下車する一郎を、エルフは手を振って見送った。その際エルフの分まで料金を支払う手際の良さである。

 エルフは、我知らずほっと息を吐いて、それから、再び思案に沈む。

 

(じゃあ、男友達としてはどうかしら)

 

 それは、今まで考えたこともなかった事柄である。

 なんとなれば、エルフには心に決めた相手がいるのだ。

 和泉マサムネ。

 何事に対しても熱心ひたむきな、見ていて気持ちの良いヤツ。小説に真摯に取り組み、山田エルフという人物にまっすぐに向き合ってくれる人物。

 何度かアプローチをかけたが、まったくなびかない。こんな美少女に言い寄られてみじんも心の揺れる気配を見せぬとは、とんだ朴念仁である。

 と思いきや、その実は、彼は想い人に心を預けていたのである。袖にされた――少なくとも本人はそう思っている――にも関わらず、いまだに強く想い続けている。そして恐らくこれからも。

 そういう一途なところが、エルフの理想そのものなのだ。

 

(じゃあ、一郎はどうかしら)

 

 知故を得たその日のうちに口説いてくる軟派な男かと思えば、その実は、なかなか一途であるらしい。

 

 ――ひょっとしたら振り向いてくれないかもしれないけど、でも、その時を待つよ。

 

 あの告白以来、あからさまに口説いてくることはない。普段エルフに向ける目も、友人のそれである。ときどき、あの告白は夢だったのではないかと疑ってしまうほど、一郎は自然体だった。

 ありがたいことである。エルフは友人としての鈴木一郎が好きだった。

 けれども、そんな彼がほんの一瞬垣間見せた、濡れそぼった野良犬のような哀れな瞳――

 

「なんなのかしらね、この気持ち……」

 

 よく分からない感情が溜まっていく。

 もやもやとした気持ちが胃に――あるいはお腹のもっと深い部分に――わだかまる。

 こういう時の発散方法は心得ている。ゲームがあればかじりつき、ピアノがあれば裸になって思いきり弾き鳴らすのだ。

 けれども、今は車内である。エルフを満足させるゲームもピアノもありはしない。

 だから、手慰みにスマートフォンを開いた。

 

「あら、SNSにメッセージが届いてるわね」

 

 マサムネかしら、と画面をタッチする。

 声を聞きたいような、今は忘れていたいような、不思議な心地がした。またお腹の奥が重くなった。

 首を振って、再び画面に目を落とす。

 

 果たしてそれは、獅童国光という作家からのメッセージだった。記憶に新しい、ラノベ天下一武道会の参加者である。

 

『ラノベ天下一武道会の打ち上げを、応募者の皆さんと一緒にしませんか』

 

「あら、面白そうじゃない」

 

 エルフはにやりと口の端をつり上げた。

 消化不良のもやもやを胃に抱えるのは趣味ではない。

 そういうとき、することは決まっている。

 楽しく全力で、お腹が空くまで、力いっぱい遊び回るに限るのだ。

 




12,875文字

マサムネやエルフとの掛け合いは、いつも書いててとても楽しいです。二次創作の醍醐味ですよね。
ですが今回は風景描写が一番楽しかったです。こちらは小説の醍醐味だと思ってます。

時系列でいえば、ラノベ天下一武道会の結果発表から打ち上げまでの間です。つまり、マサムネが連載決定を受けて缶詰してる時期です。

なお、拙作は文章の練習を兼ねています。文章についてご意見、ご感想、ご助言等いただければ幸甚です。

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