転生作家は美少女天才作家に恋をする   作:二不二

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主要メンバーの掛け合いを書くのが楽しくって、ついつい長引いてしまいました。
今回はバトルドーム回です。


9.物書きたちの宴

 ***

 

 

「えっと、次は俺だな」

 

 気を取り直して、マサムネが名乗りを上げる。

 

「俺の名前は和泉正宗で、ペンネームは和泉マサムネだ」

「口で言う分には違いが分からないわよ!」

「なるほど。マサムネ君は本名も正宗君なのか」

 

 ヤジを飛ばすエルフと、個人情報をノートに書き留めるムラマサ。

 そんな二人を気にしたら負けとばかりに、マサムネは続ける。

 

「今回の『世界で一番可愛い妹』は、俺の理想の妹について書き綴った自信作だ」

「という、お察しの通りの、重度の妹マニアね」

「俺の夢、というより俺たちの夢は、最高に面白いラノベを創って、そのアニメを二人で観ること。以上!」

「二人というと、エロマンガ先生とですか」

 

 獅童が尋ねた。

 ディスプレイの中で仮面の怪人が頷く。

 

「ああ。俺とエロマンガ先生は、パートナーだからな。二人でひとつのラノベを創るんだ」

「なるほど、マサムネ君とエロマンガ先生はふたりでひとつ。一心同体なんですね」

「そうね。エロマンガ先生はわたしにとっても涎垂の人材だけど、エロマンガ先生とマサムネの絆は深いみたい。ねぇ、エロマンガ先生?」

『そっ、そんなえっちな名前の人、知らないっ!』

「えっ。一体どういうことですか」

『それは、そのっ』

 

 何故か自分のペンネームを否定するエロマンガ先生に、獅童は驚きの声をあげた。

 相棒の窮地を見かねてか、マサムネが声を張る。

 

「いいか、おまえら! エロマンガ先生のことをエロマンガ先生って呼ぶんじゃない。エロマンガ先生はエロマンガ先生って呼ばれると、恥ずかしくなっちゃう病気なんだよ! なっ、エロマンガ先生?」

『に、兄さ――和泉先生が一番言ってるっ』

 

 いつになく取り乱すマサムネに「兄さん」と言いかけた怪人エロマンガ先生。二人の間柄はもはや明らかである。兄妹なのだ。

 だが、獅童は勘違いをした。

 獅童は、マサムネに妹がいることを知らない。「リアル妹を持つ者には、妹萌は理解できぬ」という言葉がある。マサムネが妹狂いだということは知っていても、だからこそ、本物の妹がいるとは思えないでいた。

 加えて”エロマンガ先生”である。えっちな女の子のイラストを書く、卑猥な名前のイラストレーターである。言動もいやらしい。そんな怪人が女の子であろう筈がない。ファンの間では「エロマンガ先生の正体はオッサンに違いない」とまことしやかに囁かれていた。

 獅童は、一郎に耳打ちする。

 

「ひょっとしてエロマンガ先生って、マサムネくんの弟さんですか?」

 

 一郎は逡巡すると、にこりと微笑んだ。

 

「そう、なのかもしれないなぁ。マサムネ先生とエロマンガ先生の間には、ただならぬ関係があるようだし。聞けば、エロマンガ先生をめぐってエルフさんと小説バトルをしたこともあるらしい。そんなエロマンガ先生が、実は弟だったとなると、なるほど、筋は通るね」

「ただならぬ関係。それに、さっきの必死なマサムネ君。……やっぱり、そうですか。妹萌えの人かと思ったら、ショタもいけちゃうクチだったんですね」

 

 一郎は、笑いをかみ殺して「いや」と続ける。

 

「ひょっとしたら、もうちょっと複雑な間柄なのかもしれない」

「はぁ。複雑な関係、ですか」

「お兄ちゃんと呼ぶのは、べつに実弟に限った話じゃないってことだよ。ゲイのカップルの間では、女役が男役を”兄”と呼んで慕うらしい。そこには年齢は関係ないんだ」

「じゃあ、エロマンガ先生はネコで、マサムネ先生がタチ!?」

 

 ひっと悲鳴をもらしてお尻をおさえる獅童を尻目に、一郎は、こっそりマサムネに合掌した。

 さて、いまやすっかり男認定されてしまったエロマンガ先生である。

 

『さぁ、次はオレだな。知っての通り、イラストレーターをしてる。ペンネームの由来は島の名前だから、そこんトコ間違えるなよ!』

「そ、そいうえば、桃鉄にもそんな名前の島がありましたっけね」

 

 どこか遠慮気味に、あるいは引き気味に獅童が言う。

 その様子を訝しがりながらも、発言自体はエロマンガ先生を喜ばすものであったらしい。大変満足そうに頷いて、エロマンガ先生は続けた。

 

『オレたちの夢はマサムネ先生がもう言ったから、オレ個人の夢を言おうかな』

 

 彼は、消え入りそうな声で、けれども確かに言った。

 

『オレの夢は……好きな人の、お嫁さんに、なることだ』

 

 そんなお面の怪人を、マサムネはしんみり見やる。その瞳には、たしかな深い愛情がにじんでいた。

 二人は、ディスプレイ越しに見つめ合う。

 獅童は驚愕した。

 

(やっぱりそういう関係なんですか、この二人! そして、エロマンガ先生はマサムネ先生と同棲してるんですね!)

 

 という言葉をすんでのところで飲み込んだ獅童である。そういう雰囲気ではない。いつの間にか、場は奇妙な沈黙に支配されていた。しかも、妙にしんみりとホモホモしい。

 すがるようにエルフを見やる。エルフは、しかし、彼女にしては珍しいことにじっと物思いに沈んでいるようであった。

 それならばと一郎を見れば、なにやら得心した様子で悠長に頷いてばかりいる。

 ムラマサは当てにできない。

 しょうことなしに獅童は声を張り上げた。もうどうにでもなれ、という心地である。

 

「えっと、自己紹介は以上ですかね。それじゃあ、打ち上げをはじめましょう!」

 

 ややあって、四人の作家が囲むテーブルには、次々に料理が運ばれてくる。

 お祭りの定番料理である。

 湯気をあげるやきそばは、ぷんとソースの香りを放ち。たこ焼きは、その上でじりじりと鰹節を踊らせ。あつあつのフランクフルトは肉汁をしたたらせて、かじり付けば肉汁がぷちっと弾けそうである。

 それだけではない。小ぶりの林檎をべっこうで上品にコーティングしたリンゴ飴。バナナには流行りのホワイトチョコがたっぷりかけられて。トウモロコシは醤油の焦げる甘辛い、えもいわれぬ芳香が鼻腔をくすぐった。 

 

「おおっ、すごいですね! 本当にお祭りみたいだ」

「それどころか、お祭りのよりも美味しそうだよ、マサムネ先生」

「壮観だな。本当に、すべてマサムネ君が作ったのか?」

 

 口々に料理を褒めそやす。どこからかきゅう、と可愛らしい音。

 エルフはかぁっと頬を赤らめて、照れ隠しに声を張った。

 

「ど、どれも下賤な食べ物だけれど、ま、及第ってトコね!」

 

 こういうとき、まっさきにエルフをからかうのはマサムネである。

 けれども、今回ばかりは、彼は嬉しそうに微笑むばかりであった。自分の料理を褒められたのが嬉しいのだ。

 

「大会では競い合った間柄ではありますが、これからは良き戦友として、仲良くしていただけたらなと思っています。簡単ではありますが、皆さんの益々の活躍を祈念して――」

「そして、わたくし華麗なる山田エルフの『爆炎のダークエルフ』のアニメ化記念と、そのゴールドヒットの前祝いを兼ねて、かんぱーい!」

 

 優勝者ということで壇上にあがったマサムネから、乾杯の音頭をかすめ取ったエルフである。

 

「流石、エルフさん」

 

 と笑う一郎に倣って、ムラマサを除く皆が笑った。もちろん獅童もである。彼もまた、山田エルフという名の異文化に、早くも染まりつつあったのだ。

 

 テーブルを挟んで、二つのソファー。

 一方にはエルフとムラマサ。もう一方には一郎と獅童が、それぞれ並んで腰掛けている。

 そのちょうど間の一人席、いわゆる「お誕生日席」にマサムネは座っている。

 その向かいには、エロマンガ先生のPCがあって、変声機越しの怪しい声を伝えていた。

 

『みんな、今日は現地に行けなくてゴメンな。料理はみんなと同じものを、和泉先生に届けてもらってるから、オレはスカイプで参加するよ』

 

 その言葉を一体誰が信じたであろうか。

 エルフとムラマサは真相を知っていたし、一郎は察してしまっている。獅童は、マサムネと非常に”仲の良い”男友達がエロマンガ先生の正体だと信じ込んでいた。

 

 そうして、しばらくは料理をつついていたエルフであったが、

 

「ねぇ、折角のパーティなんだから、パーティゲームをしましょうよ」

 

 などと唐突に言い出した。

 

「パーティゲーム? おまえが言うとロクなものに思えない。ひょっとして王様ゲームじゃないだろうな」

「さてはマサムネ、あんた、王様ゲームにかこつけて、あたしにえ、えっちなことするつもりでしょ! ダメよ、こんな大勢の前でそんなこと、絶対ダメなんだからねっ」

「おいおい、寝言は寝てから言うものだぞ。笑えない冗談はさておき、パーティゲームって何だよ。まさか本当に王様ゲームじゃ……」

「マサムネが王様ゲームに興味津々なのは分かったけど、流石に用意してないわ。だって、初めて会う人もいるわけだし、この美の化身たるエルフ様に夢中になって、おいたをされても困るしね」

「ははは、流石にそんなことしませんって」

「バカがバカ言ってごめんな、シドーくん」

 

 思わず笑顔をひきつらせる獅童に、申し訳なさそうに謝るマサムネである。

 

「パーティゲームってのはこれよっ」

 

 おもむろに立ち上がると、フローリングに置いていた大きなバッグへと手を伸ばす。宝箱から重要アイテムを取り出す勇者のように、それを、天高くに掲げて、朗々と声を張る。

 

「じゃーん。バトルドームぅー」

 

 奇妙なフォルムの玩具である。そのくせ作りはシンプルであった。有り体にいえば、ドーム状の遊技盤に、ピンボールをくっつけただけである。

 

「初めて目にするけど、なんというか、分かりやすいね」

「ユニークです」

「おお、これなら私でも遊び方が分かるような気がする」

 

 未だかつて見たことのない不思議な形状をしていながら、どのようにして遊ぶのか容易に想像することができた。どう頑張っても間違える余地の一片も見つからぬくらい、シンプルである。シンプル過ぎて、クソゲーであるのは明らかだ。

 

「……おい、エルフ。どうしてよりにもよってコレなんだ」

「どうしてって、日本の定番パーティゲームなんでしょ? ニコニコ動画でも定期的にランキング上位に浮上してくるわ。日本の若年はみんなこれでエキサイティンするのよね」

「しねぇよ! それは正真正銘、クソゲーだ!」

「なっ、なんでよ! ちゃんとアマゾンだって見たけど五つ星評価だったのよ、五つ星! レビューだってちゃんと読んで、より評判の良かった旧版を買ったんだから。大変だったのよ、会社が倒産しちゃってたみたいで、なかなか見つからなかったのよ!」

「倒産してるって分かった時点で察しろよ! 多分この玩具だぞ、この会社を滅ぼした戦犯はっ」

「なによ、アマゾンが嘘つくってゆーの!?」

「ユーザーが悪ふさげしてるんだってのっ」

『ネットの嘘を見抜けないやつに、ネットをするのは難しい』

 

 ディスプレイ越しに、エロマンガ先生が追い討ちをかけた。

 

「なんてこと、バトルドームがクソゲー……。プレミアムものだと思って、ドラえもんバトルドームとスーファミ版も買ったのに。それじゃあ、わたしの苦労と一万五千円は……」

 

 真実を知らされたエルフはうなだれた。その姿は、サンタクロースの正体を知らされ、夢をけちょんけちょんに壊された哀れな童のようである。

 

「ま、まぁ、どのみち四人用ですし、エロマンガ先生はさておくとしても、誰か一人余ってしまいます。ここはご縁がなかったということで」

「うっ」

 

 エルフの脳内で、日本一有名な小学生たちの会話が想起される。

 

 ――悪いな、このバトルドームは四人用なんだ。

 ――悪く思うなよ、のび太。

 ――ごめんなさいね、のび太さん。

 ――うわぁぁあん、ドラえもぉーん、僕にも『ドラえもんバトルドーム』出してよ!

 

「ぐすっ。なによ、皆してバカにして。バトルドーム持ってきただけでそこまで言わなくてもいいじゃない……」

 

 とうとう涙を滲ませるエルフに、一同は慌てふためく。

 エルフと交遊のあった面々は、普段の身勝手で強気なエルフからは想像もできぬ姿に「鬼の目にも涙とはこのことか」と感心しながらも泡を食っていたし、運悪く、ロバの背を折る最後の藁の一束となってしまった獅童も、二の句を告げかねていた。

 例外はただひとり。最初に行動を起こした一郎である。

 

「エルフさん、一緒にバトルドームしようよ。きっとエルフさんとなら、僕はエキサイティングできるよ。ああ、エルフさんのゴールにシュートしたいな」

 

 そっと肩に手をかけ、微笑みかける一郎。

 マサムネが「驚き! 一郎先生、イケメンキャラになってる」と声をあげるなか、エルフは涙を拭って、儚げに微笑んでみせた。

 

「ぐすっ。いいのよ、もう。このバトルドームは燃やして天に還すことにするわ。この世からすべてのバトルドームを焼却処分するの。わたし、気付いたの。ツクダの亡霊の被害者をこれ以上増やしてはいけないって」

 

 そのような茶番があって、

 

「さ、気も晴れたことだし、次のパーティーグッズよ!」

 

 エルフは次なる問題商品を取り出した。

 

「……ツイスターゲームですね」

「……ツイスターゲームじゃないか」

「昔なつかしのツイスターゲームだねぇ」

「ついすたぁ? 何なのだ、これは」

『……ばか』

 

「おいエルフ、流石にこれがどんなゲームか知ってるよな」

「もちろんよ。天啓(ルーレット)に従って、指定の色に手足を乗せるゲームよ。男女で遊ぶと、あら不思議。手足を絡ませ、くんずほぐれつするホットなゲームに大変身。大学生は皆これをして遊んでるんでしょう、シドー

?」

「今時そんな大学生いませんよ。その、昔はどうだったか分かりませんけど……」

「もし仮にいたとしても、そいつはロクなヤツじゃないぞ。っていうか、王様ゲームは無しで、これはアリなの? 俺はもう、おまえの判断基準が分かんないよ!」

「そんなの楽しいか、楽しくないかに決まってるじゃない。大丈夫、安心なさいな。これは海外でも人気のあったゲームだし、数を持ってきているからあぶれる人もいない。バトルドームと同じ徹は踏まないわ」

「数を持ってきてるって……人数分もないぞ。ひょっとして、本当に二人一組とかでするつもりか」

「もちろんよ。その組み合わせだけどね、まずはわたしとマサムネね! ムラマサのやつは原稿書くのに忙しそうだし、あとはイチローとシドーかしら」

「なっ、破廉恥だぞ、この卑怯漢!」

 

 しれっと除外されかけたムラマサが、抗議の声をあげる。

 

「じゃあ、あんたがマサムネと一緒にするの?」

「そ、それは、恥ずかしい……」

 

 顔を真っ赤にして、消え入りそうな声をしぼりだすムラマサである。かと思えば、

 

「じゃあ、イチローかシドーとするの?」

「誰がするかっ」

 

 大上段に日本刀を一閃するかのような、鋭い一喝を放つ。

 

「ほら、わたしとマサムネで決まりじゃない」

『そ、そんなのダメ!』

 

 ディスプレイの向こうからエロマンガ先生も加わり、茶番は、一人の男を巡る二人の美少女と一人のむくつけきオッサンの、出来の悪いコメディへと変貌した。

 さて、蚊帳の外の男二人である。

 

「えっ」

 

 と意外そうな声を出したのは獅童である。

 ムラマサの眼にマサムネしか映っていないのは傍目にも明らかであった。何せ、初対面の自己紹介すら無視するくせに、マサムネの言葉には敏感に反応するくらいである。

 エルフはそうではない。

 マサムネにもぐいぐい近づいていくが、一郎との距離もまた近い。マサムネと相対して話すとき、エルフの隣には一郎がいて、エルフもそれが自然であるかのように振る舞うのだ。

 また、つい先程は、二人の間でのみ意味をなす、含みある会話を交わしていた。ひょっとしたら、二人は特別な関係なのではないか。そう思わせるに足るだけの、それは特別なやりとりであった。

 この山田エルフという少女は、やたら他人と距離感が近いのか、それとも二人を同程度に特別な存在として扱っているに違いない。それこそ甲乙つけがたいくらいに。少なくとも、今日はじめて三人を目にする獅童には、そのように映っていたのである。

 だから、マサムネへの好意をあけすけにしたことに、意表を突かれたのだ。

 その、獅童の驚きの声が呼び水になってか――

 

 獅童は、一郎越しに見てしまった。

 エルフが、思い出したかのように一郎を一瞥し、

 

「あ――」

 

 という顔をしてしまったことを。

 それから、どことなく精彩を欠いたエルフの弁舌は、とうとうマサムネとエロマンガ先生に圧し負けて、ツイスターゲームはバトルドームと同じく焼却処分となるのだった。

 

 

 ***

 

 

「じゃあ、いったい何して遊んだらいいっていうのよ!」

 

 ソファーに腹這いになってエルフが叫ぶ。じたばた手足を暴れさせる様は、かんしゃくを起こした子供のそれである。

 

「おまえはいったい何して遊ぶつもりだったんだよ……。だいたい、ムラマサ先輩がそんなのして遊ぶと思うか」

「マサムネをエサにすれば、絶対釣れると思ったのよね」

 

 聞かん坊を見やるような、呆れ顔のマサムネに、エルフは頬をふくらませた。

 

「エロマンガ先生だって、きっとノリノリで色を好き勝手に指定して、えっちなポーズを取らせて喜んだはずよ」

「うっ。確かに、エロマンガ先生ならやりかねない」

 

 などと言い合う二人を肴に、一郎と獅童はにこやかに話し合う。

 

「へぇ。エルフさんって、結構考えてるんですね」

「エルフさんは、皆と一緒に楽しむのが好きだからね。彼女なりに気を遣っているんだよ。気の遣い方は異文化だけどね」

 

 そういうところが、一郎はいっとう好きなのだ。

 心優しい彼女は、その表現方法が独特で、見ていて飽きない。何度でも新鮮な驚きと、喜びをもたらしてくれる。

 そんな彼女と一緒にいれたら、きっとなんでもない毎日も、二つとない宝石のように輝かしいものになるに違いない。

 

「もういい加減に機嫌直せよ! 一郎先生も何とか言ってやってくれ」

「そうだね」

 

 水を向けられて、一郎はうーんと唸った。

 

「それなら”書き会”をするってのはどうだろうか」

「”書き会”?」

「お題を決めて、制限時間内に短編を書くんだ。そうだなぁ、今回は物書きだけじゃなくて、せっかくエロマンガ先生もいるから――」

『お。オレの出番か?』

 

 名前を呼ばれて、ディスプレイいっぱいにエロマンガ先生が身を乗り出した。

 

「エロマンガ先生に絵を描いてもらう。それを、みんなで描写するってのはどうだろうか」

「へぇ、面白そうじゃない!」

 

 エルフがソファーから飛び起きる。

 

『いいじゃねーか。小説に合わせてイラストを書くことはあっても、その逆はなかなかないから、楽しみだよ。みんな、可愛く描写してくれよなっ』

「じゃあ、エロマンガ先生。いっちょ、とびっきりえっちぃイラスト期待してるわよ!」

『そ、そんな名前の人は知らないっ』

 

 叫ぶやいなや、エロマンガ先生はペンタブに向かう。「どうしようかな、なにを描こうかな」とペンをくるくる回しながら、楽しそうに悩み始めた。

 

「ねぇ。エロマンガ先生が描きあげるまで時間もあるし、その間に、別のお題で一本書いてみない?」

 

 もう待ちきれない、とばかりにエルフが提案する。

 ひょっとしたら、それは、エロマンガ先生を急かさない為の気遣いであったのかもしれない。

 

「おう、いいぜ」

「もちろん」

「いいですね。是非しましょう」

 

 男三人は気持ちの良い返事を返し、

 

「わ、私もかっ」

「当然じゃないの! こういうのは、皆でするから楽しいのよ」

 

 ソファーで原稿に向かっていたムラマサを、エルフが笑顔で引っぱってくる。

 

「それでお題だけどね、くじで決めましょう」

 

 いつの間にか、エルフの手には五本の紙が握られていた。割り箸袋でつくった簡易のくじである。

 早速マサムネが引くと、そこには「鈴木一郎」という名前があった。

 

「あら、面白くないもの引いちゃったわね。ハズレよ、ハズレ」

「人様の名前をハズレ呼ばわりかよ! 言っていいことと悪いことがあるだろっ」

 

 うがーっと火山を噴き上げるマサムネとは対照的に、当の本人はどこ吹く風である。

 

「エルフさん。僕の名前がお題ってことは、ひょっとして」

「そうよ。ここにいる五人がお題よ。くじで指定された相手を描写するの」

「それは……なんだか落ち着きませんね。書く方も、書かれる方も」

「でも面白いね。絵に描いてもらうことも珍しいけど、描写してもらうのはもっと稀だし、友人を描写するのは更に希少だ。こんな機会でもないと、友人を書くことってまずないよ」

「でしょう! 一生に一度あるかないかの機会よ! さすが一郎、よく分かってるじゃない」

 

 我が意を得たりと、エルフは顔を輝かせて一郎の背中をバシバシ叩く。

 

「私はマサムネ君が書きたい」

「えっ」

 

 隠しもせずに己が欲望をぶちまけるムラマサに、マサムネは危険を感じて後ずさる。

 

『いっちにー、おいっちにー、ふんふんふーん』

 

 そんなやりとりもも耳に入らぬ様子の、すっかり集中しきったエロマンガ先生。

 五人の作家と一人のイラストレーターは、和気藹々と時間を共有するのだった。

 

 さて、最初に書きあげたのはマサムネである。

 

「できた」

「うわっ、相変わらず変態的な速さね」

 

 どうしようかなー、などと呟きながらも指先は高速でノートパソコンを鍵打していたマサムネである。その様子をぎょっとして見ている間に、原稿はできあがってしまったのだ。

 内容はといえば、

 

「うーん、フツーね」

「フツーで悪かったな!」

 

 これといって特徴のない、無難な描写である。

 

「見たまんまをそのまんま書いたってかんじね。ま、男を一生懸命書いてもしょうがないから、これはこれで正解かもね」

「身も蓋もないな……」

「僕としてはほっとしてるよ。変な特徴を力いっぱい強調されて書かれたら、ショックだったろうから」

「ラノベの文章としてはこれで良かったのかもしれませんね」

「さて、次に原稿をあげるのは誰かしら。わたしの見たところ、執筆速度でいえば一郎なんだけど」

 

 その一郎はといえば、いつの間にか執筆作業に戻っている。執筆道具(ポメラ)を鍵打し、かと思えば手を止め、首をひねってうーんと唸る。苦戦している様子である。

 

「ま、仕方ないわね。なにせイチローのお題はわたし、美の化身エルフ様なんだから。あふれる気品。絵にも描けない美しさ。罪作りとはこのことね!」

 

 などと宣うエルフは、一郎の絶賛を期待していた。少なくとも、いつものように「流石、エルフさん」程度の答えはあるはずだと。

 ところが、一郎はそっけなく、

 

「うん」

 

 と生返事を返すだけである。

 彼の耳に、エルフの言葉は届いてはいない。

 黒曜石の瞳は、エルフを映してはいたけれども、彼の意識はひたすら己の内側を向いていた。

 この少女をどう表現するべきか――

 一郎は、心のなかで、書架をめぐる旅をしていた。辞書という辞書をめくり、古今東西の本をひっくり返しては、ああでもないこうでもないと試行錯誤する。

 

「そういえば、こいつも書き狂いだったっけ」

 

 エルフは思い出す。はじめてクリスタルパレスを訪問した際、一郎は、聞こえてきたピアノの旋律を描写しようと躍起になっていたらしい。

 

「マサムネ君、できたぞ。是非読んでくれ」

 

 ムラマサが手元のノートから顔を上げた。

 

「わたしにも見せなさいよ」

 

 とエルフがのぞき込み、

 

「げっ」

 

 とカエルのつぶれたような声を漏らした。

 

「エルフ、いま女の子が出しちゃいけない声がしたぞ。俺、不安なんだけど。いったい何が書かれてるの、ねぇ!?」

「見れば分かるわよ。嫌というほどにね。ほら」

「うげっ」

 

 マサムネも潰れたカエルになった。

 

「紙面が黒い!」

 

 横からのぞき込んだ獅童も、顔色を青くした。

 書いてある内容は、ごくごく平凡な描写である。和泉正宗という少年の、外見や何気ない仕草についての、なんということのない普通の描写でしかない。

 ただ、文量と勢いがすごかった。

 

「改行がないから、びっしり書き込まれた紙面が四角く見えますね。それに、この急いで書いたような文字。まるでお経みたいだ……」

 

 やれ眉の描写だの、まつげをたくわえた瞳の動く様子だの、手の甲に浮かぶ血管の様子だのを、事細かに描写している。

 それを、改行はおろか訓読点すらろくに打たずに勢いよく書き連ねた文章は、書き手の異常な興奮を物語っていた。

 一秒一瞬すら見逃さぬ。瞬きする寸間すら惜しい。彼のすべてを余すことなく書き写し、その姿を永遠に自分のものとしなければならぬ――とでも言わんばかりの、異様な執念を感じさせた。

 

「お経と言うより、呪いのお札とか、ストーカーのラブレターよね」

「失礼なことを言うな、この亜人は。それよりマサムネ君、どうだろうか。私なりに、一生懸命君のことを書いたつもりなのだが」

 

 頬を染めて恥ずかしそうに、けれど何かを期待する様子で、上目遣いにマサムネを見やる。

 両の手の指を絡めてもじもじする様は、初心な少女の体現で、非常にいじらしい。

 が、マサムネはふと不安が兆して、尋ねた。

 

「先輩。その指の包帯、どうしたんですか」

「ああ、これか。これはな、君の『転生の銀狼』の連載が終わって、不調に陥っていたときにちょっとな」

「ちょっと? 一体何があったんですか」

 

 千寿ムラマサは、和泉マサムネの大ファンである。

 彼女自身はマサムネより遙かに売れている人気作家であるが、それは、「マサムネのファン」をこじらせた結果に過ぎない。

「大好きなマサムネ先生の作品のような、自分好みの小説を、自分で書いてしまえ」

 その結果、和泉マサムネの出版枠を喰らう形で、作家業を営んできた。マサムネの作品がひっそり幕を閉じることになったのは、ムラマサに一因がある。

 そうとは露知らぬムラマサは、執筆意欲の源たる和泉マサムネ作品が絶たれて、スランプに陥ったのである。

 他人に辛辣な彼女は、自分に対しても厳しかった。

 

「締め切りを破る度に、爪を一枚一枚剥いでいたんだ。自ら締め切りを定めてこそ、良い作品は書けると思っているからな。実際、だらだら書いた物語が面白かったためしはない」

 

 よくよく見れば、包帯の下、爪のあるべき場所は、釜底のように窪んでいる。

 どういうわけか、そこを愛しげに撫でながら、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「書きたくても書けない。もどかしさで何度胸がつぶれるような思いをしたか分からない。でも、そんな辛い日々はもう終わりだ。君の最高に面白いラブコメが読めたからな。なんだか、こう、すっと霧が晴れていく気分だ。そんな君に対する感謝と思いの丈をぶつけるつもりで、一生懸命、君のことを書いたつもりだ。どうだろうか?」

 

 自ら爪を剥いだ指に、びっしり書き連ねられた原稿用紙を携えて、マサムネに迫る。

 前髪から覗くまっくろな瞳は、無限の妄執をたたえて、マサムネを絡み取ろうとしているかのようだった。

 

「ひっ」

 

 思わずマサムネは後ずさる。

 椅子から転がり落ちて、無様に尻餅をつく。それでもまだ足りぬと、地面を這って距離をとった。

 マサムネの目には、この和装の美少女が、おどろおどろしい怨霊の類にしか見えなかったのである。

 

「そそっ、そういえば、そろそろシドー君も書けたんじゃないのかなっ」

「あっ、はいっ、たった今書き上がりましたっ!」

「私の目には、今まさに書いている最中のように見えるが……」

「気のせいだって! なぁ、シドー君!」

「ええっ、それはもうっ」

 

 マサムネから救助要請を受け、獅童は筆を走らせた。それは、”書き会”の開催にあたって支給された原稿用紙である。

 エルフと獅童は、仕事道具を持ち込んでいない。打ち上げの席に執筆道具を持ち込む書き狂いは、ムラマサと一郎ぐらいのものである。

 

「さぁ、シドーの腕前拝見といこうかしら」

 

 何事もなかったかのように、エルフが話題を転がした。それで、すっかり話は移ってしまった。

 

「へぇ! お菓子に喩えるなんて、あんたらしいわね」

「それ以外の描写も、どことなくふわっとして優しい気がするな」

 

 獅童の描写には、独特なアクセントがある。

 ありふれた、けれども丁寧な描写を、お菓子を用いた比喩が飾る。ふわりと柔らかな心地のする、獅童らしい描写であった。

 

「あんたも読みなさいよ。自分がどう書かれているか、気にならない?」

「別に私は、マサムネ君以外にどう見られようが、どうでもいいが」

「四の五の言わずに、さっさと読みなさいって」

「む。これが私か」

 

 強引に原稿を手渡され、ムラマサは一読する。

 息を呑む音がした。獅童である。

 マサムネに感想を強請っているところを、強引に引きはがしたのは自分である。これ以上の不興を買ったなら、果たして次の朝日を拝むことができるかどうか――

 祈るような気持ちで、彼は判決を待った。

 果たしてムラマサは、ためつすがめつして、

 

「悪くないな」

 

 と大上段に宣うた。

 

「良かった。ほんとうに良かったです……」

「ごめん、シドー君。本当にありがとう。それしか言葉が見つからない……」

 

 脱力する男二人に、原稿を提げたエルフが寄ってきて、呵々と大笑した。

 

「そんなシドーにプレゼントの原稿よ。ほら、歓喜もあらわに、けれど恭しく受け取りなさい」

「もうこの際なら、なんでも嬉しく思えちゃいますよ。……えっと、確かエルフさんのお題は僕でしたよね」

「喜びなさい。このわたくし、天才美少女作家の山田エルフ様が、シドーの一番輝いてる瞬間を書いてあげたんだからっ」

「まぁ、ある意味輝いてはいるけど」

 

 たしかに、生き生きとした獅童の姿が描かれている。というより、なんとか友を生かそう、自分も生き残ろうと必死な姿である。

 必死の形相で原稿を書きなぐる獅童の姿。ムラマサの裁きを前に、神に祈りを捧げる獅童の姿。そのどちらも、命懸けで生き生きしている。

 

「はは、生きてるって素晴らしいことですね」

 

 獅童は力なく笑うのであった。

 

「さて、最後はイチローだけど」

 

 一同は一郎を見やる。

 それが合図だったかのように、一郎は、顔を上げた。

 

「よし。まだ納得はいかないけれど、一区切りついたことにしよう。――あれ、ひょっとして待たせたかな」 

「ムラマサさんもそうですけど、一郎先生もすごい集中力ですね。これだけ騒いでいたのに、全然集中が乱れてませんでした」

「私は此奴ほど酷くはないと思うのだが」

「わたし、イチローが書くところ見てたんだけどね、にやにや笑ったり、納得いかなさそうに唸ったり、気味悪かったわ」

「言ってやるなよ、エルフ。それは俺たち小説家の職業病みたいなもんだろ」

「大丈夫だよ、マサムネ先生。昔から友達とか幼馴染みにさんざん言われて、慣れているから」

 

 微笑みながら、マサムネに執筆道具(ポメラ)を手渡す一郎。

 一同は顔を寄せる。

 ややあって、

 

「すげぇな……」

 

 マサムネは舌を巻く。

 それは、皆の心の声の代弁であった。

 

「っていうか、誰だよこの天使は!」

 

 現代西洋人形のような、活き活きとした美少女。それは衆目の一致するところである。

 そんな外見を描くのはもちろんのこと、何気ない仕草や表情からにじみ出る内面を、一郎はみごとに描いていた。

 それだけではない。性格に難のあるエルフである。その厄介な部分さえ、一郎は好ましく描いていたのだ。

 豪放磊落な、山田エルフという少女。その非常識な行動を予感させる仕草は、幼い純粋さの発露として。強引さを臭わせる、自信あふれる瞳には、人の情に訴えるあたたかみを漂わせて。

 一郎の描いたエルフは、一言も喋ってはいない。にも関わらず、読者はエルフの内面をのぞき込み、その太陽のような暖かさ、美しい在り方にすっかり魅きこまれてしまうこととなるのだ。

 

「一言も喋らさずにこれですか!」

「これは、確かにすさまじいな。こんな無茶苦茶なヤツでも、天使のように思えてしまうのだから」

「ああ。こんなキャラが出るラノベは大人気間違い無しだ。って言っても、あくまで一郎先生の書いた架空のキャラのことで、お前のことじゃないからね。……エルフ?」

 

 マサムネは、訝しげにエルフを窺った。

 自信過剰のエルフである。いつもなら「よく分かってるじゃないの。いえ、誰が書いても、きっとこれくらい魅力的になった違いないわ。流石はわたしね」などとふんぞりかえったに違いない。それが、今日に限って大人しい。

 果たして、エルフは惚けていた。

 白磁の頬をうっすら紅に染め、ぼんやりと原稿に見入っている。

 

「へぇ、お前でもしおらしくなる時があるんだな」

「あ、あんたね。そりゃあこんなの書かれたら、誰だってこうなるに決まってるじゃないのっ」

「だから、お前じゃなくって“キレイなエルフさん”なんだって」

「なんでよ! どこをどの角度で切り取ってもわたしじゃないの!」

 

 急に、場に喧騒がもどってきた。

 そんな時である。

 

『できたぞー!』

 

 パソコンの向こうから、エロマンガ先生の声が届けられた。

 

 

 ***

 

 

 こうして大盛況のうちに宴は幕を閉じた。

 エルフは隣のクリスタルパレスへと帰り、ムラマサは、いつの間にか玄関先へやって来ていた迎えの車に乗り込んだ。

 イチローと獅童は、連れなって歩いていた。

 

「今日は楽しかったですね」

「ああ、今日は特別楽しかった。いつも二人といるけど、思えば、小説家らしいことして遊んだのは今日が初めてかもね」

「そうなんですか。それは何だか勿体ないですね。実は僕、作家さんとこうして親しくお話したのって初めてなんです。だから、今日はすごく刺激になったし、とても楽しかった」

 

 獅童はぽつぽつと語りだす。

 

「僕は今、嬉しい気持ちでいっぱいでいます。ずっと小説を書いてきて、ようやく連載にこぎ着けることができた。でもそれと同じか、それ以上に、焦る気持ちもあるんです」

「…………」

「担当の編集さんに訊いてみたんです。どうやったら上手くなれるのか。面白い小説が書けるのか」

 

 獅童は静かに語る。

 それは蓋された鍋のように、静かに、けれども段々ふつふつと煮えたぎってくる。

 

「そしたら、こう言われました。いくら読んだり書いたりしても無駄だって。上手い人と交流して、自分の殻を破るしかないんだって」

 

 一郎は黙して、獅童の静かな叫びを聞いた。

 

「今日、その意味が分かりました。ムラマサさんや、一郎先生の姿を見て。僕は、一郎先生――あなたみたいになりたい」

 

 獅童は、まっすぐに一郎を見つめる。

 やがて、柔らかに破顔した。

 

「といっても、弟子にしてくれとか、そういうわけじゃありませんよ。今日みたいに、話をしたり遊んだりしてくれるだけでいいんです」

 

 どことなく気恥ずかしそうに見えたのは、ひょっとしたら、中学生にすぎない一郎の身の上を思い出してのことかもしれない。即ち、まだ中学生に過ぎない一郎に、重い相談を持ちかけてしまったという自責の念である。

 一郎は、まじめな顔で言った。

 

「光栄だね。僕も、獅童先生ともっと話したいと思っていたんだ。良かったら、ウチに寄ってかないかい」

「えっ。でも、急な訪問はご家族のご迷惑でしょうし、もう夜も暮れてます」

 

 獅童は宥めるように言った。

 一郎は優れた小説家であったし、大人びてもいたが、それでも中学生にすぎない。保護者の庇護の許にある。良識ある大学生としては、背後にいる保護者を意識せざるを得ないのだ。

 だというのに、一郎はその前提をくつがえす。

 

「それなら心配には及ばない。うちは、僕ひとりだけだから」

「それは……」

 

 獅童にはかける言葉が見当たらなかった。

 

「だから、遊びに来てくれると嬉しいな」

 

 と畳みかける一郎に、獅童は頷くより他なかったのである。

 

 

 ***

 

 

 月が出ていた。

 まっさおな月が、冴え冴えとした光をしんしんと降らせている。エルフは、クリスタルパレスのバルコニーから、その月を眺めていた。

 

「今日は楽しかったわね。せっかく準備したパーティゲームはできなかったけど、代わりになかなか面白い遊びができたし、文句なしよ。ふふっ。ムラマサに及び腰のマサムネときたら、傑作だったわね。それに、イチローのやつ……」

 

 エルフは物憂げに、ほぅと熱い息を吐いた。

 その熱は、花火の日からずっとへそのあたり、おなかの奥にわだかまっていて、時折こうして喉元までせり上がってくるのだ。いや、ひょっとしたら、もっと前から少しずつ降り積もり、嵩を増していったのかもしれない。

 それは毒だ。自ら定めた自身の在り方をすっかり変えてしまいかねないそれが、毒でなくて何だというのか。

 

「あんまり悠長にやってると、マサムネに勝つよりも先に、イチローに負けちゃうかもしれないわね」

 

 エルフはしばらく、バルコニーの手すりに身体を預け、見るともなしに月を見やった。

 宴で火照った身体を、夜風が鎮める。

 やがて、エルフは決心する。

 

「決めたわ。毒が回りきる前に、自分が自分でいられるうちに、決着をつけなくちゃね」

 




14,551文字

この後めちゃくちゃお酒呑んだ。

とうとう9万字を超えました。ここまで書くことが出来て、大変嬉しく思っています。
さて、ラノベ一冊が12万字前後ということで、この文字数を目処に話を結びたいと考えています。
そのようなわけで、完結に向けて話を転がしていきます。
なお『グイン・サーガ』は一冊当たり約18万字ですが、これを隔月ペースで出してた時もあるからすごいですよね。

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