(1)
あの学園祭の興奮も少し落ち着いた七月の初め。
「…ミュージックビデオですか?」
祐巳は事務所の会議室で高岡さんと向き合っていた。
「ああ、ユミの意見も取り入れたものにしようと思ってさ」
つまり、プロデュースに関わらせてもらえるらしい。
デビューシングルはその辺のことは全て任せっきりだったのだけど。
まだ、不慣れな自分が口を出していいのだろうか?
「いいよ。むしろユミにはその方が合ってるんだと思うし」
彼は祐巳の顔を見て言いたいことを理解してしまったようだ。
キョトンと首を傾げた祐巳。
「デビューシングルのMV…あの時、酷かったよね」
返す言葉もない。
ただ、スタジオで歌えばいいだけ。それなのにあまりにも監督とカメラを意識してしまって、数時間で終わる予定が次の日にまで持ち越した。それに、大分ここのスタッフの優秀な編集技術にも支えられていた。
祐巳は撮影に苦手意識がある。以前、彩芽ちゃんからもらったアドバイスのおかげでちょっとした写真撮影や自分自身で表現していいものなら克服してきているけど。
ミュージックビデオは、監督の世界観というか、要求が多くて上手く応えることが出来ないでいた。
「ユミはさ、人に言われるままに動くんじゃなくて、自分の想いに身を任せた方が上手くいくんだよ」
でも、いいのだろうか。私には経験のないことなのに。
何年もその仕事に携わっている人の意見を聞いた方がいい気もする。
「なんで上手くいくって思うんですか?」
そこで高岡さんは、ふっと笑みを浮かべた。
「それは、ユミ自身が魅力的な人間だからだよ」
……。
過大評価じゃないのかな。
この人は時々こういうことを大真面目に言うから
どう返せばいいのか困ってしまう。
「……はぁ」
「まあ、ウソだと思ってやってみなって」
こうして、祐巳はミュージックビデオの会議に加わることになったのであった。
大まかにどんな風にしたいのかイメージを練っておいてと言われ、
最初こそ戸惑ったのだけど、この曲と歌詞、それから映画で何を表現したいのか、観る人、聴く人に何を感じてもらいたいのか。
そんなことを思い浮かべると、
魅せたいイメージが視界にパァーと溢れ出した。
やっぱり自分で歌詞を書いて曲と深く向き合ってきたのが大きいのだと思う。デビューシングルとは思いの入れようが全く違っていた。
話し合いは順調。
ほぼ一週間ほどで意見がまとまり、撮影は次の週末。
映画の公開が八月一日。プロモーションはそれと同時にスタート。
予定は詰まってはいたけれど、祐巳に任せてもらえたこと、それがいい調子で進んでいることが嬉しくて夢中だった。
…………
………
……
…
...
..
祐巳!!
「………!!」
ビクッと体が反応し、視界に光が射し込む。
徐々に目の前がはっきりとして…。そこにあったのはーー…うどん?
いい匂い。そういえば、お腹も空いている気がする。
カチャンと何かが落ちた音。
そして不自然に折り曲げられた私の手…ん?
「ちょっと祐巳…しっかりしてよね〜」
前方から聞こえる声に顔を上げると、呆れ顔の環がいた。
ああ、またやってしまったのか…。
「…うん。ごめん…」
そこでやっと今の状況を把握した。
ここは大学の食堂で、今はお昼。いつもは私も環もお弁当なのだが、一度は学食を利用したいからと。ワクワクとここまで来て、うどんを注文し、席につき、さあ食べよう、としていたはずだった。
けれど、気づいたらうたた寝してしまっていた。
今だけじゃなく、授業中も。こんなことが一週間ほど続いている。
「ねぇ、祐巳。レポートとかテスト勉強ちゃんとやってる?」
「…なんとか…ね」
そう、七月は大学の前期末。
祐巳は大学も頑張ると決めたし、両親との約束でもある。
だから、仕事に夢中だからと言って単位を落とすなんてことがあってはならないのだ。
そのおかげで夜更かししなければ間に合わなくて、大学が睡眠不足を補う場となってしまっている。
「そんな忙しいの?今」
環が不思議に思うのも仕方ない。
最近は、曲がどこかしらで流れることはあっても、祐巳本人のメディアへの露出というのは、せいぜい雑誌と使い回しのPVくらいであった。
それなのに四月より時間に余裕のない状態には疑問が沸くだろう。
「うん、いろいろ準備とかがあって…」
「そうなの?」
環は、まあこなせているのならいいけどと言いながらチャーハンにスプーンを延ばす。が、それを口に運ぶ寸前。
「じゃあ、食べ終わったら今日提出のやつ一緒に出しに行こう?」
んん?!
祐巳の思考は瞬間フリーズし、背筋も固まった。
胸の奥から焦りがこみ上げ、目を大きく見開く。
「今日!!!??」
えっ?と。
環もまた、動きを止めた。
彼女のチャーハンはなかなか口に到達することができず
さぞ焦れったいことだろう。
「…。え、もしかして」
その、もしかしてなのだ。
「やって…」
「ない………」
思わずテーブルに突っ伏した。
「いや、でも、たしか!五時までだったはず!!」
五時…あと約五時間。優秀な人ならば十分間に合う時間なのかもしれない。でも…要領の悪い私が間に合うかは自信がない。
「ぁ〜〜〜〜」
忘れていたおバカな自分への失望に涙が出そうだった。
「あ!」
環がハッとしたように声を上げる。
何か良い方法でも思いついてくれたのだろうか——と
頭を持ち上げようとした時だった——。
「祐巳?」
祐巳の肩に柔らかい感触。高鳴る鼓動。
バッと振り向くと
「〜〜〜!お姉さま!」
そこには約一カ月ぶりの生身の祥子さまがいらしたのであった。
祥子さまを目にした途端、祐巳の気分は急激に上昇した。
つい先ほどまでの憂いなどあっさりと消し去って。
「大丈夫?突っ伏していたから、気分が悪いのかと思ったのだけれど…」
「はい!ぜんぜん!むしろ今はすっごく元気です!」
それは本当のことだった。
だって!祥子さまが目の前にいるのだ。お声だけは電話で度々聞いていたけれど、会いたくて会いたくてしょうがなかった!
祥子さまは学食になど滅多に立ち寄らないはずなのに。
どうされたのか、と聞こうとして口を開いた、瞬間——
「いいえ!祥子さま。祐巳ったら全然大丈夫じゃありません」
環から横槍が入った。
しかも言おうとしていることは、祥子さまには特に知られたくないことである。絶対叱られる!
「タマちゃん〜っ!」
しーーーっ!と瞳と声に念を込めて。
そんなことをしたところで、余計に怪しまれるだけだったのだが。
気づくのが遅かった。
「あら、何が大丈夫じゃないのかしら。教えていただける?」
祥子さまは祐巳ではなく、進んで報告しようとするタマちゃんへと狙いを定めた。
……。終わった……。
「……祐巳」
「はい…」
環から話を聞き終えた祥子さま。
祐巳の目線は膝の上。恥ずかしいのと情けないのと、少し恐ろしいのとで顔を上げることができない。
「…とりあえず、早くそのお昼ご飯を食べ終えてしまいなさい」
ふーぅ。と息を吐き出したものの、祥子さまのお声は意外にも優しい。そして、空いていた祐巳の隣の席へと腰を下ろす。
つまりは、食後にお説教が待っているのだろうか?とまだ少し怯えながらも、急いでうどんをすすった。
「…じゃあ、行くわよ!」
そして、食べ終えるやいなや、祥子さまに手を握られて何処かへと連行されようとする。祐巳は慌てて環を見遣ったのだが、彼女は気持ちの良い微笑みをその顔にたたえ、手を振って祐巳を見送ったのであった。
「時間がないのだから仕方がないわ、今回だけよ」
道中の祥子さまのつぶやき。
そして、有無を言わさぬ勢いで連れてこられたのは大学の図書館。
「一年生の必修程度ならどうとでもなるのよ。要はテーマさえ決めれば、後は構成と要点を押さえて、筋さえ通せば単位が取れるのだから」
「テーマに沿った資料は私が集めてくるから、それを使って、パパッとやっちゃいなさい」
祥子さまにとったらパパッでも多いくらいでパッで終わってしまうんだろうけど、祐巳だと例え資料があってもノロノロと時間を費やしてしまうと思う。
「あの、お姉さまはお時間は大丈夫なのですか?」
「私は今日は祐巳に会うために学校に来たのよ」
だから気にしないで、と言って。祥子さまはなかなかテーマも決められない祐巳に対して、こんな感じで良いんじゃないかしらと五つほど案を出し、その中から祐巳が一つを選ぶと、待っていてと言い残して本棚の奥へと消えていった。
祐巳はその勢いに圧され、言われるままに従ったのだけど、良かったのだろうか…。祥子さまが良いというのだからアリなのかもしれないけれど。
そしてそれより気になることもあった。
私に会うために来たっておっしゃっていた。素直にうれしいのだけど、わざわざ来るということは何か用があるのだろう。
気になる……うーむ。
祐巳は、待つ間にとりあえず序論を書いておいて、と言われたことも忘れ、祥子さまの用事へと意識を飛ばしていた。
「お?あれ?祐巳ちゃん!?」
しばらくすると、ぼうとした頭に聞き馴染んだ声が届いたので
くるりとそちらに顔を向ける。
「——?…聖さま!どうしてここに?」
聖さまとは同じ学部のはずなのだが、この方を学校で見かけるのも週に一、二回ほどだった。
もう単位をほぼ取り終えているのか、それとも単にさぼりなのかは知らないが、留年していないとこを見るに、上手くやっているのだろう。
「ん?ああ、ちょっとゼミの関係でね」
聖さまでも、調べ物のために図書館に訪れるのか…。
祐巳はそんな結構失礼なことを考える。
「祐巳ちゃんは、レポートかな?何の授業の?」
うーーん?とこちらを覗き込みながら、聖さまが尋ねる。
祐巳はその質問に答えた。
「あ!それ私も一年の時に取ってたな〜懐かし〜」
まあそうだろう。必修ですので。
「祐巳ちゃんまだレポートまっ白じゃん。提出いつだっけ」
「今日の五時までです」
聖さまは一瞬言葉に詰まって、私を眺めた。
その後少し考える素振りをしながら「…でも、まあ、間に合うか?」「いや、でも、祐巳ちゃん…要領悪そうなんだよな…」「…全然進んでないし……」と何やらブツブツつぶやく。
「よし、わかった!」
そして突然ガバッと、こちらに襲い掛かってきた。
「ふがっ。…聖さまっ!!?!」
顔が聖さまの体に押し付けられているので息が苦しい。
「レポートとテスト勉強。期間中は私がみてあげる。祐巳ちゃん、忙しいんでしょう?」
何でわかったんだろう?
「目が充血してる。うさぎさんみたいで可愛いんだけど、ちゃんと寝ないとダメだぞっ」
なるほど。
たしかに聖さまなら、一度やったものがほとんどだろうから、かなり頼りになるだろう…その手をお借りしたい。だけど…今は…。
「聖さま、ありがたいのですが…いま…」
あっ。
「——聖さま。祐巳を離してもらえませんか?」
しまった。遅かった。
「?え、あれ?祥子じゃん」
聖さまは純粋に驚いたらしく、パッと手が離れ背後へと振り向いた。
お姉さまからの視線が痛い。
「てことは、もしかして祐巳ちゃんの手伝いは、すでに祥子が引き受けているのかな?」
勘のいい聖さまはすぐに状況を理解された。
「ごめんごめん。そんな怖い顔しないでよ祥子」
そう言って、祥子さまに困ったような微笑みを向ける。
「じゃあ、私はお呼びでないようなので失礼するよ」とその場から離れようとした聖さま。
けれどそれは祥子さまによって止められた。
「…いいえ。私は今日しか見てあげられないでしょうし、よろしければ祐巳の力になってあげて下さい…」
「…お姉さま…」
聖さまへと頭を下げる祥子さま。
そして、先ほどよりもさらに眉を下げる聖さま。
「…分かったよ。祐巳ちゃんが単位を落とさない程度にはね。……でも、私は祥子の代わりにはなれないから。それは覚えておいてね」
その言葉を最後に、聖さまは今度こそ私たちの元を後にしたのであった。
いささかの沈黙。
なんとなく気まづい思いで祥子さまを見上げる。
目が合って、少し微笑まれたかと思うと、何かを振り切るようにその綺麗なお顔を左右に揺らした。
「ごめんなさい。怒ってるわけじゃないのよ。……かっこ悪いのだけど、…嫉妬、なのでしょうね」
…嫉妬。その感情は祐巳にも覚えがあるけれど、最近はそんなことも全く感じないくらいに満たされていた。
私の想いはこんなにも祥子さまに向いているのに!ちゃんと伝えなくちゃ。
「っ!お姉さま!私はいつもお姉さまを想ってます!お姉さまのことが大好きなんです!!」
嫉妬する必要なんてこれっぽっちもないのだと。
少しでもお姉さまの感情を波立たせてしまったことが嫌だった。
「ふふ、ええ分かってるわ祐巳。…ただやっぱりあの方の前だとね」
そして、思い出すようにぼんやりと遠くを見つめる瞳。
「……祐巳にとってはスーパーマンみたいな方でしょう?…私は、あんな風にはなれないから…」
祐巳は、まだ言い足りない想いがたくさんあった。
でも、「ほら、レポート進めましょう」とこの話を早々に締めた祥子さまを見て、あまり引きずるのも良くないのかもと、せめて目の前の課題へと集中することにしたのだった。
すこぶる優秀であらせられる祥子さまに大いに助けられた祐巳のレポートは、なんとか五時前に完成され、期限ギリギリで提出に間に合う。
「ほんとうにありがとうございます!お姉さま!」
感無量である。
祥子さまの指導は、これからのレポートも効率よく進められるようにという方針から、結構なスパルタだったものだから、手伝ってもらったとはいえ、頭はフル回転だった。いつもは倍以上かかるものを短時間に凝縮して仕上げたので当たり前かもしれないけど。
「ふふっどういたしまして。祐巳」
そして、安堵とともに出来た頭の余裕に浮かんだのは、祥子さまがなぜ祐巳に会いに来たのかというそもそもの謎。
「…お姉さま?なんで私に会いに来てくださったのですか?」
思いついたままに訊ねてみる。
「だって祐巳。電話で言ってたでしょう?時間に余裕があるのは今日ぐらいだって」
ああ、先週たしかに言ったような気はする。
それで予定を合わせてくれたのだろうか。会うために。
「会って、渡したいものもあったのよ」
何やら肩にかけていたバッグに手を入れた祥子さま。
取り出したのは……あ、携帯電話だ。
「祐巳も持っていた方が便利だと思って」
ん?これは祥子さまのものではないのだろうか。
言葉とともに祐巳の方へと差し出されたそれ。
「あの、お姉さま?」
実は先日、祐巳は高岡からそれを受け取っていた。
ないと不便だと、強制的に。
ただ、通信料は会社が負担してくれているから、プライベートでは使わないと決めていたのだけど。
「…まさか、、それを私になんて…」
過ぎった考え。
「その通りよ?…これがあれば時間も場所もあまり気にする必要はないし、何かあった時に都合がいいでしょう?」
いや、その携帯は祥子さまが契約したものなのだろう。だから、祐巳が使えば、もろもろの負担が祥子さまへといってしまう。
「…受け取れません」
それは祐巳にとっては当然の答えだった。
お姉さまに面倒をかけたいわけじゃない。祥子さまが望むのなら、祐巳は自分で携帯を契約しに行こうとも決めて。
しかし、祥子さまのお顔は哀しそうに顰められてしまう。
祐巳は慌ててフォローする。
「あっ!そちらの携帯の契約者を私に代えて下さい!それと代金もお支払いします」
「でも、これは私が勝手に望んだことだから」
祥子さまはきっと、私に押し付けてしまうのだから当然と思っているのだろうがそれは違う。
「いえ!私もお姉さまといつでも連絡を取りたいですし、きっかけがなかっただけで、購入も考えてましたので。…でないとさすがに受け取れません…」
そうして、懸命に伝えると不満気ではあれど、なんとかそれで納得してもらうことができた。「祐巳が無理して言っているわけではないのなら、分かったわ」と。
その言葉に祐巳もようやく安堵し、祥子さまと手をつないで小笠原の車まで向かおうとしていた
その時——
プルルルルル、プルルルルル、プルルルルル………
「え?」
二人の声が重なった。
お姉さまは、パッとご自分のバッグを覗きこまれたのだけど音の元ではないことを確認され、さらに訝しい表情になる。
ということは私か。
……ーー。
「——はい」
電話はマネージャーからだった。
明日の予定の確認。
MV撮影があるから、しっかり寝てコンディションを整えておくようにと。
簡単な連絡。それを聞き届けて、通話を切る。
……。
さすがにタイミングが悪かったことは、祐巳にも分かった。
「…祐巳」
不審とも悲痛ともとれる祥子さまの声、それと見るのが辛い表情。
説明しなければ…。ちゃんと話せば分かってもらえることだ。
「…お姉さま、これは——高おかさ…いえ、事務所から支給されたもので、私用ではありません。言う機会を逃していたのは私のせいです。ごめんなさい…」
言い直したのは、彼の名前が出た途端、祥子さまの睫毛がか弱く震えた気がしたから。
「…そう。いいえ、考えみれば当然のことよね。謝らないで、祐巳は何も悪くないのだから…」
さっと、祐巳に向けて微笑みを浮かべた祥子さま。
でも、なんとなく頼りなさげで物足りない。
祥子さまには、堂々とした自信に満ちた表情が似合うのに。
「ごめんなさい」言いたくなるその言葉を飲み込んで、祐巳は歩みを進める祥子さまに付いて行ったのであった。
(2)
「おはようございますユミさん」
「おはようございます」
昨日の祥子さま。祐巳はあれからずーと気になっていた。
でも、だからと言って撮影にまで引きずるという体たらくはしない。
こっちはこっちで、祐巳が本気で取り組んで大切にしているものだから。そしてそうすることが、その想いが、祥子さまにも繋がっているから。
それに、この曲の歌詞は映画のストーリーだけではなくて、祐巳の想いと願いにも強く重なっている。
祥子さまとのことが、逆に、祐巳の伝えたいという気持ちを引き出して撮影にはプラスに働いていた。
監督もスタッフも、取り囲み見守るすべてが
ユミの醸し出した雰囲気にのまれた——。
穢れなく、純真で無垢な、その想い。
まぶしくて、清らかで、真摯な願い。
触れると、自らも引き込まれ、引き出される、希望。
「ユミ…良かったよ」
2ndシングルの成功は誰もが確信した。
(3)
「また、ライブができるんですか?」
「うん。またリリースと同日にね。仙台の七夕祭りに参加する」
リリース予定は映画公開の約一週間後、八月七日。
これは曲名と歌詞にも掛けている。
なぜ八月七日なのかというと、旧暦の七夕の日を現在に当てはめると八月の方が近く、この時期に七夕を行う地域も多いから。
実際、新暦の七月七日だと梅雨まっただ中なため星空が見られることも少ない。七夕なのに織姫と彦星はいつまでたっても会えないのだ。
「ただ、今回はサプライズじゃない。告知は今日から始まる。……つまり、」
「つまり、私を目当てに来てくださる方もいる、かもしれないということですよね」
祐巳は、言われる前に言葉を引き継いだ。
「ああ、たぶん実感すると思うよ。いろいろと」
そうして高岡さんはいつもの如く楽しげにニッと笑うのであった。
『ユミ』の2ndシングル。
それは、映画が中高生の間でヒットしたこと、それとプロモーションの良さも大いに加わり、発売前から評判が高まっていた。
——だから。
この光景は必然。
驚愕に目を丸くしているのは祐巳だけである。
期末試験期間も終わり、大学に行く必要のない祐巳は、ほとんどを仕事関係の人間と環境の中で過ごしていたため、世間の認知など感じる機会がなかった。
仙台七夕祭り。
三日間の祭りの間、無料で行われる野外音楽イベントである『夕涼みコンサート』。
その二日目のラスト、午後八時からが『ユミ』の出番だった。
それは、ギリギリ天の川が見えるかもしれないそんな時刻に合わせたもの。だからと言って、その時間帯に見に来てくれる人やまだ残っていてくれる人は少ないかもしれない、それが祐巳の予想だった。
しかし——。
『『『ユミーーーーーーッ!!!!!』』』
————ワァァァアアアアアーーーーーー!!!!
こ…れ…は?
会場の公園を埋めつくさんばかりの人。
自分を呼ぶ声。
注がれる眼差し。
そして———。何よりも……
視界に広がるこれは……ーー。
まさに、煌めく
『天の川』——だった。
「——————っ」
私は、何度、涙を流せばいいのだろう。
いつも、励まされるのは、感動させられるのは、私の方だった。
歌を通して、こんなにも、暖かい人々と繋がれることが、
そんな可能性の塊である音楽に関われることが
うれしい——。…この気持ちをずっと、大切にしよう…。
一曲目はデビュー曲から。
皆んなが手に持つ黄色い光が、揺れて、波立つ。
空は、次第に夜らしい暗さとなり、輝きを増して行く、上弦の月。
二曲目、三曲目…四曲目……
時間とともに膨れあがる、熱気、
夜の帳が下りるほどに鮮明さを増して煌めく、天と地、両方の星々。
そして、——ラスト。
『ひこぼし』
『祐巳』の願いが、彦星の願いが、会場の想いが
———呼び寄せたのかもしれない。
天上に現れた、光の帯——。
彦星は、ちゃんと織り姫と出逢えたようだった。
よかった……。
そんな想いとともに、
地上に現れた夜空。そこで歌い立つ『ユミ』の姿は、
——光り輝く天の歌姫だった。