(1)
——時は、九月の終わり頃。
「裏のない記事を掲載するほど切羽詰っていたなんて大変だったろう?」
「は、はい」
「うん、だよね。こんな正義も誇りもかなぐり捨てた記事なんて、余程追い詰められてないと書かないよね〜。これを嬉々として載せるやつとなんて僕は一生関わりたくないからね」
つい最近、私の所属する出版社は小笠原グループの成長分野であるIT部門と業務提携、更には資本提携まで行い、経営統合した。
娯楽が増えたためか近頃の出版業界には不況の風が吹き込んできて、我が社も早急の対応が求められていた。そんななか、買収ではなく提携という形で手を差し伸べてきた小笠原グループ。社の未来に光が灯った——が、それ故にあちら側には頭が上がらない。
そして、今回の件に大きな役割を担っていた人物、そんな小笠原側の若きホープがなぜか、イチ週刊誌の編集長でしかない私の元を訪ねてきた。
「情報を扱うなら、そこに正確性は不可欠だよね。見る人との間に信頼を築けなければ、終わりだよ」
「…え、ええ。ですが、私共も業界に詳しい方から得た情報を元にしておりますので…その点ではそれなりに信憑性もあるのではないかと……」
このままでは、どんな処分が下されるか分からない。
苦し紛れの言い訳を試みたものの、それは全くの逆効果となってしまった。向き合う彼の瞳が鋭さを増す。
——ヒッ。
「…へぇ。それって、誰?」
「それはっ…守秘義務が…ありますので」
…目の前の青年に気圧される。それでも、簡単に漏らすわけにもいかなかった。どちらにしろ裁かれるならば、せめて、あの人からの報復の可能性だけでも消したかった。
「あれ?僕はもう身内でしょ。教えられない理由でもあるのかな?」
「……」
どうしていいか分からず、沈黙して下を向く。冷や汗が止まらない。
すると、前方からふぅ、と溜息をつく音がする。
「僕は身内には甘いんだよ。君には情状の余地もあると思っている。……でもそれは、君がこれからは態度を改めて、誠実に職務を全うするなら、だけどね」
「……某局の、プロデューサー…です」
思いがけず垂らされた救いの糸に咄嗟に飛びついた。
「ふふ、…まあ、予想通りってところかな」
青年は、それまでが嘘のように、愛好を崩して私を見る。
「僕たちはさ、提携したことによって生まれ変わった姿を見せたいんだよ。……それでさ、提案があるんだけど、聞いてくれる?」
しかし、ほっとしたのも束の間だった。
気づけば、目に映るのは、真剣で有無を言わせぬ強い瞳。
これから、私は常にこの目に晒されるのか。仮初めの誠実さなど通用しない。
だが………、
いつしか失っていた仕事への熱い想い、ふと過ぎったのは、記憶の彼方に置き去りにした若かりし頃の自分だった。
「…は…い。…もちろんです」
それから間もなく、かの青年の要求に応えられる機会がやってくる。
「——はい。どうされました?」
『…ああ、またいいネタを提供してやろうと思ってな』
不定期にくる連絡。
しかし、電話で情報の交換をすることはない。どこから漏れるか分からないから。
「では、いつもの場所でよろしいでしょうか」
『ああ、今日の夜十時に』
「分かりました」
そして、彼との通話から数時間後、私は目的の場所へと向かった。
胸の内ポケットにはしっかりとレコーダーを潜ませて。
(2)
十月に入り、漸く標的の確たる証拠を得て、祥子は念願の局側との交渉に意欲を燃やしていた。
「…一応の確認だけど、これは勝ち負けじゃない。小笠原の権力は大きなカードだけど、相手に強制させるようだと、後々いらない敵を作ることになるよ」
現在いるのは、小笠原グループ本社ビルの会議室。
この件において協力関係にある男が幾分真面目な調子で祥子へと話しかけた。
「ええ、分かっておりますわ。その為に貴方の協力も必要だったのですし」
部屋の中には祥子と男の二人だけ。
「まあね、ウチの場合、先にあちら側から脅されてるから、当然の権利を主張するだけだしね」
祥子はすぐ先のことにかなり緊張して、立ったままいつでも出迎えの態勢を取れるようにしているのだが、相方である男の方は、椅子に腰掛け余裕の態度だ。
まあ、そんな姿に安心感を抱かない訳でもないが、自分の未熟さを実感させられるため、少々苛立ってしまう。
(…やっぱり、私はこの方が苦手だわ)
局側の出席者は、代表取締役の社長を始め、常務と編成局長の三人。
交渉の場に用意したのは、小笠原の会議室のうちの一つではあるが、そこまで重厚な造りという訳ではなく、部屋も広すぎず狭すぎず。
話し合いの席となるテーブルと椅子は相手の立場を尊重し見栄えも質も良いものではあるが、全員が均一の距離で対面できるよう、丸テーブルに等間隔で五つの椅子が並べられている。
対等な関係であることを強調して、お互いの信頼を高めるため、部屋の環境においても事前準備に抜かりはない。この話し合いは一方的な要求ではなく、相互にとって良きものであるというポジティブな印象を与えたかった。
ドアがノックされ、小笠原の秘書が相手方の到着を知らせる。
祥子は身を引き締めた。
今からは、表情、姿勢、動作、声に言葉遣い、あらゆることに注意を払わなければいけない。相手をリラックスさせ、警戒を解いてもらうために。
「本日は、お忙しい折、弊社まで足をお運びいただき、誠にありがとうございます。以前の者に替わって御社を担当させていただきます、小笠原グループの小笠原祥子と申します」
「いえ、今後は貴女が直接我が社と深くお付き合い頂くとお聞きしましたので、ぜひご挨拶したいと伺ったまでです。こちらこそお時間頂き、感謝しております」
お互いに初対面のため、名刺を交換し、挨拶を交わす。
そして高岡は面識があるからだろう。それぞれと簡単に挨拶を交わし終えると、席に着いた。
「高岡社長も同席なさることは聞いてはおりましたが、何か重大な要件がお有りなのでしょうか?」
局側の社長が早速口を開いた。
思い当たる節はあるのだろう。しらばっくれてはいるが、開口一番に尋ねたのは、それが懸念事項という認識があるからだ。
黙認してはいても、厄介の種ではあるようだ。それさえ分かれば話は進めやすい。
「はい、今回は今後の双方のために用意した場ではありますが、議題にあげたいことには、高岡さま、ひいてはユニゾンプロダクションの動向に寄るところが大きいですから。どちらかと言えば、私は仲裁の立場とでもお思い下さい」
高岡は腕を組み、先程から憮然とした態度を崩さない。
それに対して私は、終始穏やかに、時には身振り手振りを加えて、相手方に語りかける。
もちろん、これらは事前に彼と打ち合わせ済みで、態とやっている。
相手方は、自然、彼に危機感を持ち、まるで自分達を好意的に受け入れているかのような私の方を頼ろうとする。
「それは、どういったものなのでしょう。複雑な事情によって譲歩出来ないこともありますが、我々としても円満な解決を望みます」
局側のお三方は、一様に私を見ている。
「小笠原グループは御社の番組を幾つか提供、または、スポンサードさせて頂いていますが…」
ここで小笠原の立場を明確に示しておく。
「ええ、ご贔屓頂き、ありがとうございます」
相手方の感謝の言葉に、こちらも笑顔で応える。
今後も良好な関係を続けたいという意思表示。
それから、ひっそりと話を切り出す。ここだけの話、この場だから打ち明けるのだとでも言うように。この近い距離感も、このための仕掛けである。
「先日…面白い情報を手に入れまして…高岡氏もこの場におられるのは、彼の主張を聞いて頂きたいというのと、これの確認と証人のためでもございます」
そこで、少し間を空け、三人が頷き先を促すのを待つ。
強制するものではなく、あくまで善意の情報提供なのだと理解いただくために。
「ご存じでしょうが、我々は近頃、某出版社と経営統合いたしました。この機会に内部の刷新にも取り組んでいるのですけど…ある週刊誌に関しては、廃刊、切り捨てを検討中です。その際、世間に公表する理由として……」
そこまで言って、急激に局側の三人は、蒼ざめ、慌てだした。
「まっ待って下さいっ!!!」
「…そ、そんな事をすれば、局の醜聞になります。それに、かのプロデューサーはウチの人気番組を手掛ける優秀な男ではあるのです」
「他の…スポンサーの方々も恐らく黙ってはいません」
「小笠原グループにとっても…マイナスでしょう?」
まだ、何も言っていないのに、向こうから勝手に核心へと触れてくれた。
祥子は、不思議だと言わんばかりの表情を造る。
そんな反応が返ってくるとは思いもしなかった、と…。
「…皆様のご意見は分かりましたわ。…とりあえず、一旦落ち着いて、これを、聞いていただけないでしょうか?」
そう言って、取り出したレコーダー。
そこに録音された音声を再生する。
—————。
「…っ!…………」
聴きながら、増す増す険しくなる高岡の顔と、それを受け、彼に対しては申し開きようがないからだろう、言葉を失うお三方。
「 小笠原グループとしては、この様に安易で低劣な行いを放っておくことは出来ないのです。何れバレてしまう前に、自ら告発した方が、今ならばまだ世間にクリーンなイメージを印象づける事が出来ますし、……確かに、彼の番組は視聴率こそ良いようですが、質的に優れているとは思えません」
「…そ、れは」
「それだけではありません。高岡さま?」
「——ええ、我々ユニゾンプロダクションは、今後一切、御局にウチのタレントを出演させないこととします。我々を卑劣な手段で脅かそうとする者がいるところとなど、さっさと手を切りたいですからね」
「貴方には、本当に申し訳ないと思っています。しかし、それは我が社の方針ではありません。一個人の勝手な暴走です。埋め合わせは必ず致しますし、今後このような事がないよう十分に言い聞かせますので、どうか今回は目をつぶって頂けないでしょうか!」
「…いえ、今後どんな仕返しをされるか気が気じゃありませんし、私もタレントを守る義務がありますので」
「…これを聞いて、他のスポンサーの方々はどう思われるでしょうかね。彼の事務所のタレントをCMに起用している企業もございますし、何と言っても、魅力的な人材が多いですから…私共としてもそれは困るのです」
「ああ、それと、他の芸能事務所も結構な被害を被ってるみたいでね…うちも加わるならば、彼に対して訴訟を起こすことも検討しているみたいですよ」
「これも…我々が今のうちに悪事を暴きたい理由の一つです。局員が訴訟に取り上げられた放送局で、グループの宣伝をしたとして、万が一にでも悪印象を持たれてはかないませんから」
「もちろん、黙認して、短期的な利益を追うのも良いでしょう。けれど、放っておいても何れ業界からも顧客である視聴者からも信頼を失い、将来的に御社にとって大きな損益となるのでは?私は、そのことに危機感を覚えているのです」
「っ…………!」
「我が社としては、今後もそちらと友好的な関係を築いていきたいのです。故に、遠慮のない意見を述べさせて頂きましたが、あなた方のことを信用しての事です。良きご判断をなされること期待しています」
「…………」
局側の三人は、お互いに顔を見合わせるものの、まだ決めきれないようであった。
「——それでは、私はこれにて失礼させてもらいます」
そんな様子に、高岡は焦れたように苛立ちを隠さず立ち上がる。
傍目には、この怒りのままに強硬手段に出てしまうのではないかと感じるだろう。
「——っ!お待ち下さい!」
局の社長が咄嗟に止めに入る。
祥子は内心で笑みを浮かべた。目的の達成を確信して。
「ご忠告、感謝いたします」
高岡が不承不承、席に戻ったところで、私と彼に向けて、謝辞が述べられる。それは、はっきりと、意志のこもった声音だった。
何をどうするべきか、ようやく決断して頂けたようだ。
天秤にかけるまでもないだろう。たった一つの害を取り除けば、総てが上手く収まるのだから。
「いえ、お互いの益のために致したまでですので。これからもよろしくお願いしますね」
祥子は心底満足して、その顔に浮かんだのは、極上の微笑みだった。
(3)
あれから約二週間が経過していた。
その間に、局側から、祥子の望んだ報告も受けた。
しかし、多忙な日々は変わらない。
祥子は、ここ最近では、寝るためだけに使用していると言っても過言ではないマンションの自室で、珍しくも日の高いうちから寛いでいた。
優さんから強制的に丸一日の休息を言い渡されたため、仕方なく大学のレポートを処理していたのだが、その作業にも終わりが見え、一息ついていた。そこでふと思い出したのだ。そういえば、本当に久方ぶりに笑っていた、と。
そして、自然浮かんだのは愛しいあの子のこと。
祐巳に少しでも償えたと思ったから。
それによって、離れてしまった祐巳との距離が少しでも縮まった気がしたから。
だけど、祐巳から許してもらえない限り、私からは連絡を取ることが出来なかった。
………違うわね、祐巳は今の状況が私のせいだなんて微塵も思っていない。あの子は優しいから。…でも、私が自分を許せない。自分のせいでまた、祐巳を傷付けるのではないかと、そのことが恐かった。
どんなに…会いたい、と心が訴えていようとも。
そんな風に、愛しさと切なさに胸が締め付けられている時、
私の携帯からメールの着信を知らせる音がした。
…なんだろう。と、特に感慨もなく、それを開いた瞬間——
私は、信じられない思いで、息も止め固まってしまった。
だって、あまりにも、タイミングが良すぎたから。
私の願望が見せた幻かと、夢ではないかと本気で思ったのだ。
——けれど、
『お久しぶりです。
お姉さまはお変わりないですか?
体調を崩されたりはしていませんか?
会いたいですお姉さま。
でも、自分から離れておいて都合が良すぎますよね。
それでも、あなたにどうしても聴いていただきたいものがあります。
お時間があったら、今夜の八時に、特別番組を見て下さい。
私の一番大切な想いが、そこに詰まっていますから。
祐巳』
その文面を見て、いてもたってもいられなかった。
そして、私は祐巳に指定された一時間も前、番組の開始と同時にスタジオにまで足を運んでいた。
———わぁぁぁあああああ!!………
今、耳に届くのは、鳴り止まない暖かな歓声。
それは、祐巳の姿が完全に見えなくなるその瞬間まで贈られていた。
(……祐巳っ……)
堪えきれず溢れる想いは、涙となって祥子の頬を濡らす。
……言葉にならなかった。
頭に浮かぶのは、今すぐ駆け寄って、彼女を抱きしめたい——という強い願い。
「ふぅ、一先ずは目下の憂いもなくなったし、一安心ってところかな」
そんな中、ふと零された言葉。
……すぐ隣に、いつからかこの男がいたのだとようやく思い至った。
「君という味方がいてくれて、本当に心強いよ」
祥子は急いで涙を止め、平静を取り繕って、高岡に応える。
この人の前で取り乱した姿を見せるのは悔しいから。
「…貴方は、私の協力がなくとも、なんとかしてしまえたのではないのですか?」
彼は私の様子に気付いていながらも、素知らぬ振りをする。
そんな気遣いにもまた腹が立つのは、もう仕方ない。
祐巳に関して、私は無意識にこの男をライバル視してしまうのだから。
「…いや、そんなこともない。今より時間が掛かっただろうし、あまり問題が長引くと、うちのグループが出張ってくる危険もあるから」
まあ、一つの目的に集中出来る私と違って、この人はプロダクションの社長としてやらなければならないことが多岐に渡る。
それが予想出来たからこそ私が動かなければと思ったのは確かだ。
それに、理解は出来ても、彼がそれを理由にこの問題を放置するようなら、有無を言わさず、祐巳から手を引かせるところだった。
「高岡グループが動くなら、それこそ私の力添えなどいらないでしょう」
高岡の言葉に対して、少し怪訝に思う。
この男の実家は小笠原家と比べても遜色のない名家であるし、昨今の業績やグループの急成長をみても、向かうところ敵なしといった感じなのである。
「——それは、一番避けたい事態なんだよ。彼らはタレントを道具としか認識していない。やっと俺が社長になって築きつつあるものを壊されたくないんだ」
祥子の眉がピクリと動く。
「——それを、私に言ってしまって良いのですか?…私は祐巳に対して誠実である限り、あなたにも協力は致しますが、同時に見張ってもいるのですよ。……その話を聞いて、祐巳をそんな場所に預けておきたいと思うはずがないでしょう」
聞き捨てならないことだった。
「だから、これは保険だよ…。もちろんユミを手放したくなんかないから、俺も今のままいるつもりはない」
高岡の表情は一瞬憂いを見せた気がしたが、すぐに表情が引き締まり、挑戦的で気迫に満ちたものになった。
「……祐巳は、貴方を信頼しています。裏切るような真似だけはなさらないで下さい」
本当は今すぐにでも、祐巳を連れ去りたいところだ。
でも、祐巳の気持ちを無視することは出来ないから。
私が出来るのは、備えること、何があっても大丈夫なように。
あの子を、いつでも包み込んで守れるように——。
「ああ、誓うよ」
その言葉を聞き届けて、祥子は静かにその場を後にした。
向かうのは、祐巳のもと。
もう、我慢が出来なかった。
祐巳の想いが、痛いほど胸を突いて。
だって、あれは、寸分違わず私の想いでもあるから。
祐巳———!
(4)
出番を終えた後、祐巳は裏からスタジオの客席へ向かって走った。
歌っている最中、お姉さまの存在を感じた。
目に見える場所にはいなかったけど、あそこには絶対、間違いなく、祥子さまがいたんだ!私が祥子さまに気づかないはずがないから!
走る、走る、走る。
途中、驚いたように、すれ違う人たちに振り返られるけれど、気にせずにひたすら走る。
どくん、どくん、と。
歌った時の高揚感は、留まるどころか、更に加速して、祐巳の胸を高く打つ。
———お姉さま!
祐巳の心が声もなく叫んだとき、
「———祐巳っ!」
待ち望んだ、その声に、姿に、全身の細胞が歓喜に震えた。
祥子さまが、こちらに駆け寄ってくる。
祐巳も全力で駆ける。
その距離はずんずんと縮まって、目に映るそのお姿も大きくなっていく。
それなのに、近付くたびに、祐巳の視界は滲み、後から後から溢れる想いが止まらない。
「お姉さまっ」
祐巳は、はっきりしない視界がもどかしかった。それでも、大好きなその方が、大きく両手を広げたのを感じて、思いっきり、その腕の中へと飛び込んだ。
そして、ぎゅっと、会いたくて仕方がなかった、その一途な思いを込めて、触れた体を強く抱きしめる。
それと同時に、祐巳の体も、その暖かな腕に包み込まれた。
「これは、夢ではないのね」
祐巳は、その言葉にハッとする。
夢の中と現実の境がおぼつかなくなるのは、それほど祥子さまが追いつめられていた証拠だ。
舞い上がってしまって、すぐには気づかなかったけれど、腕の中のお身体は、少々痩せられた気がする。それでもあの時程にはやつれていないのは、祥子さまが二年前よりも強くなられたから。
でも、傷ついた心に蓋をして、辛い気持ちを押し殺して、一人で立ち続けるのは苦しかったに違いない。
先ほどから、ポロポロポロポロと、堪えていたのであろう、想いの欠片が降ってくるのだから。
「私はここにいます」
祐巳は肩口に寄せていた顔をパッとあげて、しっかりと祥子さまのお顔を見つめて、告げる。
すると、祥子さまは震える手で私の頬に触れようとするのだけど、触れ合う寸前で一度ピクリと動きが止まった。
ああ、私のせいで、トラウマになっているんだ。
「お姉さま、ごめんなさい」
心からの謝罪とともに、祐巳は自分からその手に頬を寄せた。
祥子さまは、少し気恥ずかしげに微笑んで、優しくゆっくりと頬を撫でてくれる。本当に大切そうに、その繊細な指先、柔らかく暖かい手のひらから、祥子さまの愛情が伝わる。
「何を謝るの。あなたは何も悪くないじゃない。私が取ろうとした行動はとても独りよがりの自己満足に過ぎないものだったわ。祐巳が止めてくれなければ、間違いを犯すところだったのよ」
祥子さまは、そんな風にご自身を責めていたのだろう。
けれど、ネックレスについて否定しなかったのは、私の想いがちゃんと伝わったからだと思って良いのだろうか。
祥子さまの首元でもしっかりと光り輝いているそれは、二人の大切な絆。一点の曇りもない、純真な想いの形だから。
「それでも、その場でもっと話し合えば良かったのです。お姉さまから離れようとするなんて、最悪の選択です。あの時にちゃんと学んだはずなのに、また、お姉さまを傷つけました…」
今回は、祥子さまのことを信じられなかったわけじゃない。
自分の想いが、選んだ道が信じられなかった。それは祐巳がまだまだ未熟だったから。でも、揺らぐのが恐くて祥子さまから逃げるなんて、祥子さまを信じていないのと同じことだった。
「また、というなら私の方だわ。私は自分を犠牲にしようとした、そう思っていた。でも、実際は祐巳の想いを蔑ろにして、祐巳の気持ちを犠牲にしていた」
お互いに、反省する点もあの時と一緒。
不謹慎だけれど、少し可笑しくもあった。
「ふふ、成長するのって簡単ではありませんね」
まあ、祥子さまはさまざまな面において祐巳よりよほど優れているけれど、ご自分に厳しすぎるから。目指すところが高すぎるのではとも思う。
「そうね、だって私、またいつか繰り返すんではないかって、もう怯えているんですもの」
祥子さまは眉を下げて、少し頼りなさげなお顔をする。
うーむ。二度ある事は三度あるなんていう嫌なことわざを思い出してしまった。
でも、普段の祥子さまなら絶対に言わない弱気な言葉と潤む瞳にキュンときてしまう。
「あはは、ぶつかることはあるかも知れませんけど、でも絶対に離れはしません。だって、お姉さまへの想いだけは何があっても変わらないですから」
明るく、めいいっぱいの笑顔を顔に浮かべて。確かな気持ちを言葉に替える。
祥子さまの頬が微かに紅く染まっていた。
「……祐巳。あなたが好きよ」
そんな素晴らしい言葉に、顔に集まる熱。
祐巳の頬は祥子さま以上に紅潮していることだろう。
「はい、私も、お姉さまのこと大好きです」
大切な言葉を伝い合える喜びに満たされて、
二人の涙は、いつの間にか止んでいた。
この日を境に、ユミに対する悪評は鎮火の一途をたどる。
そしてその後すぐに出た週刊誌では、ユミに関する記事の取り消しとお詫びが掲載されていた。
それから、あるプロデューサーが、突如として更迭されたことは、業界内を騒然とさせたものの、それはほんの一時のことで、彼の後任のプロデューサーにより番組も問題なく続けられることとなったのであった。
一山越えました。
次回は祐巳ちゃんと祥子さまに存分に絡んでいただきたいので、ほのぼのとしたお話になるかと思います。
タイトル、『パラソルをさして』に無理やり掛けてるんですけど、大丈夫ですかね。違和感ございましたらお知らせ下さい。