【完結】紅き平和の使者   作:冬月之雪猫

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第十三話『夢のはじまり』

 公園で子供達が騒いでいる。

 

「やーい、知恵遅れ!」

「みなしご!」

「ノロマの衛宮!」

 

 子供という生き物は純粋だ。それ故に、どこまでも残酷になれる。

 良心が育ち切る前の彼らにとって、相手の心を抉る事は遊戯の一つでしかない。

 相手が無抵抗を貫けば、躊躇うどころか調子に乗る。言葉で嬲る事に飽きた彼らは暴力を振るう。

 殴って、蹴って、また殴る。理由は一つ、楽しいから。

 

「やめなさい、アンタ達!!」

 

 怒声が響き渡る。遠巻きに見て嘲笑していた子供達も飛び上がる程の威圧感を振り撒きながら、ポニーテールの女子高生が子供達一人一人の頭にゲンコツを落とす。

 それだけで、彼らは泣き叫んだ。

 痛い。酷い。親に言いつけてやる。

 その言葉に対して、少女はキッパリと言う。

 

「言いなさいよ。それでアンタ達を引っ叩かない親なら、そいつらもまとめて根性叩き直してやるから!」

 

 この街には敵に回してはいけない人間がいる。その事を彼らはこの日に学んだ。

 藤村大河。この冬木の街を影から取り仕切る指定暴力団・藤村組の組長の孫娘にして、冬木の虎と畏れられている少女。その怒気に満ちた眼光を受けて、子供達は逃げ惑う。

 大河は彼らに興味を示さず、彼らが嬲っていた少年に歩み寄る。

 

「士郎! なんで、抵抗しないの!」

「……藤ねえ?」

 

 グッタリしている弟分の姿に涙を溢れさせる大河。

 養父を失った日から、少年は変わってしまった。

 

 ――――僕は世界を救いたいんだ。

 

 自分の事を『俺』ではなく、『僕』というようになった。

 いつも、笑顔を浮かべるようになった。

 殴られても、蹴られても、悪口を言われても笑顔でいつづける彼の事を、心無い大人が知恵遅れだと言った。その言葉が子供たちに伝染して、彼を傷つける為の言葉の代表になっている。

 

「どうして泣いてるの? 僕に出来ることはない?」

 

 己を抱き締めながら泣き続ける姉に士郎は慌てふためく。

 みんなを笑顔にしたいのに、中々うまくいかない。

 今日はかなりうまくいっていたと思ったのに、最後の最後で失敗してしまった。

 

 第十三話『夢のはじまり』

 

 士郎は変わらなかった。変わらないまま、中学生になり、その日もいつものようにパシリをさせられていた。

 衛宮に頼めばなんでもしてくれる。どんな要求を突きつけても、嫌な顔一つ見せずに「うん!」と答える彼を誰もが便利に使っていた。

 誰も彼の名前を呼ばない。

 

「おい、知恵遅れ! ジュース買ってこいよ!」

「うわっ、また笑ってる。キモッ」

「教科書忘れたから貸せよ! お前には必要ないだろ、バカミヤ」

 

 どんな言葉を向けられても、どんな命令をされても、彼はニコニコ笑っていた。

 

「……お前、ムカつかねーの?」

 

 落書きだらけの机を士郎が日課のように拭いていると、クラスメイトの間桐慎二が話し掛けてきた。

 珍しい。士郎はキョトンとした表情を浮かべた。彼は他のクラスメイト達とも話している姿を滅多に見かけない。

 

「間桐くん?」

「見ててイライラしてくるんだよ。お前さ、別に知恵遅れじゃないんだろ。テストの点数も悪くないし、なに要求されてもキッチリこなすし。なのに、なんで怒らねんだよ! 抵抗しろよ! 馬鹿なのか!?」

 

 いきなり怒鳴り散らされて、士郎は目を丸くした。それから、ゆっくりと彼の言葉を飲み下し、満面の笑みを浮かべる。

 

「ありがとう!」

「ハァ? なんなんだ、お前。なんで、ありがとうなんだよ!?」

「だって、君は僕のために怒ってくれてるんでしょ? 嬉しいな!」

 

 唖然とした表情を浮かべる慎二。

 

「意味わかんねーよ。お前さ、何がしたいわけ? あんなくだらない連中にヘコヘコ頭下げて、何が楽しいんだ?」

「僕は世界を救いたいんだ」

「……は?」

 

 呆気にとられる慎二。聞き間違いかと思った。

 

「今、なんて言った?」

 

 聞き返すと、士郎はキラキラした瞳で言った。

 

「――――僕は世界を救いたいんだ!」

「お前、何いってんの?」

 

 あまりにも馬鹿げた発言に慎二は頭を抱えそうになった。 

 家に帰れば卑屈な妹がいて、学校に来ても卑屈な男がいるものだから、我慢の限界を迎えてしまったのだ。それでつい、魔が差した。

 

「……それで、やってる事はパシリかよ。そんな事やってて、世界なんて救えるのか?」

「分からないよ。僕も、どうしたら世界が救えるのか、ずっと探してるんだ。だから、とりあえず……、この目で見える範囲の人達を救おうと思ったんだ!」

「お前……、何いってんの?」

「僕はみんなに笑顔でいてもらいたい。だから、みんなにお願いされた事は全力で取り組む事にしてるんだ!」

「……馬鹿じゃねーの。それ、お前に何の得があるんだよ」

「あるさ! だって、みんなを笑顔に出来たら、僕は嬉しいもん!」

「馬鹿じゃねーの……」

「……え、えへへ」

「困った風に笑ってんじゃねーよ。こういう時は、馬鹿っていうほうが馬鹿なんだ! とか言っておけばいいんだよ」

 

 慎二は舌を打った。

 

「……お前、明日からはパシリやめろ」

「え?」

「悪口言われたら言い返せ。殴られたら殴り返せ」

「そ、それは……」

「やれよ。お前、世界を救いたいんだろ? みんなを笑顔にしたいんだろ。だったら、まずは僕を笑顔にしろよ。お前が今のままじゃ、僕はイライラして笑顔になるどころじゃねーんだよ!」

「間桐くん……」

 

 それが二人の出会いだった。

 翌日、士郎はクラスメイトにジュースを買ってこいと言われた時に、困った表情を浮かべた。

 いつもなら即答で買いに走る士郎らしくない反応にクラスメイトは苛立ち、士郎の机を蹴りつけた。倒れる机を慌てて掴む士郎。その姿を嘲笑する女生徒。

 

「おい、長澤」

 

 そこに、慎二がやって来た。

 

「お前、この前公園でタバコ吸ってたろ?」

「はぁ? いきなり、何言い出してんだよ間桐!」

「ほれ、この写真。いろんな場所に送っといてやったぜ」

 

 ポケットから取り出した写真を長澤に投げつける慎二。

 そこにはタバコの他にビールを飲んでいる姿を映したものもあった。

 

「なっ、なんだよ、これ!?」

「お前のは分かりやすいやつで助かったよ。おめでとう。明日からは晴れて自由の身だぜ? タバコにビールじゃ、退学確定だからな」

「は? 意味分かんねぇよ。退学って、はぁ!? なんで、んな事すんだよ!」

「鬱陶しいんだよ、お前」

 

 怒りに任せて殴り掛かる長澤の足をすくい転ばせると、慎二はクラスメイト達に言った。

 

「お前ら全員の分もあるぜ」

 

 そう言うと、カバンから袋を取り出して、慎二は床に大量の写真をばら撒いた。

 

「え? なにこれ……」

「うそっ!? なんで!?」

 

 悲鳴と共に慌てて自分の写真を拾おうとするクラスメイト達に慎二は言った。

 

「それ拾っても意味ないぜ? 焼き増しはいくらでも出来るからね。それ、親とか教師とか、中には警察なんかにバラ撒かれたら困るヤツ、いるよな? バラ撒かれたくなかったら……、その先は言わなくても分かるよな? 分からないヤツの分は容赦なくバラ撒くぜ」

 

 青い表情を浮かべるクラスメイト達を見て、ようやく再起動を果たす士郎。

 

「ま、間桐くん……?」

「ハッハッハ! 見ろよ、こいつらのアホ面! 傑作だ!」

「……せ、先生に言いつけるから」

 

 誰かが言った。

 

「あん? 好きにしろよ」

 

 丁度その時、担任の教師が教室に入って来た。

 さっきの生徒が先生に駆け寄っていく。

 

「先生、間桐くんが!」

「……なんだ、白峰。また、衛宮くんを虐めていたのか?」

「え?」

 

 いつも見て見ぬふりをしていた教師の言葉とは思えず、白峰は戸惑った。それに、彼が生徒に『くん』を付けているところなど初めて見た。

 

「いかんぞ……、虐めはいかん。ほら、衛宮くんに謝りなさい!」

 

 その様子を慎二は楽しそうに見ていた。

 

「そうだよなぁ? 虐めはよくねーよ。だろ? 衛宮」

「間桐くん。あんまり、みんなに酷い事は……」

「バーカ。僕はイジメを止めさせてやったんだよ。悪い事をやめさせるのが正義ってヤツだろ。僕だって心苦しいんだぜ? 分かってくれよ、衛宮」

「そ、そうなの……?」

「そうなんだよ!」

 

 その日から、退学処分になった数人を除いて、クラスメイト達が士郎に何かを要求してくる事は無くなった。机に落書きをされる事も、教科書を破かれる事もない。

 

「困ったな……。なにも頼んでもらえない」

 

 士郎が誰かを助けたり、手伝おうとすると、みんなが逃げるようになってしまった。衛宮を使うと地獄に落ちる。実際、退学になった生徒やいろいろな意味で地獄へ落とされた人間が数人いた。

 慎二の行動が善意である事を知っているために士郎も強く言う事が出来ず、彼はジレンマを抱えた。

 

「士郎。どうしたの? 悩みがあるならお姉ちゃんに話してごらん」

 

 最近、士郎が怪我をしなくなった事に気を良くしていた大河は心配そうに彼を見つめた。

 その顔を見返しながら、士郎は慎二の言葉を思い出した。

 

 ――――お前、世界を救いたいんだろ? みんなを笑顔にしたいんだろ。だったら、まずは僕を笑顔にしろよ。お前が今のままじゃ、僕はイライラして笑顔になるどころじゃねーんだよ!

 

 そう言えば、大河はいつも哀しそうだ。時々、太陽のように笑ってくれるけど、怪我をして帰ってくると泣いてしまう。破れた教科書やずぶ濡れのカバンを見られた時は苦しそうな表情だった。

 一番笑顔になって欲しい人を笑顔に出来ていない。その事に気付いて、士郎は愕然となった。

 

「……どうしたらいいと思う?」

 

 士郎は誰よりも頼りになる男の下を訪れた。

 藤村雷画。大河の祖父であり、藤村組の組長だ。

 彼は士郎の悩みを真摯に聞いた。

 

「難しいな。誰かを笑顔にするってなら分かるが、誰も彼も笑顔にしたいってのは……まあ、ほとんど不可能ってもんだ」

「でも……、僕は……」

「お前さんも分かってんだろ? 自分の身を削って誰かを笑顔に出来ても、それを見た大河は泣くぞ。大河だけじゃねー。俺だって泣く。うちの若い衆だって、お前さんを傷つけた連中に焼き入れて―のを必死に我慢してる。きっと、他にもいるぜ。お前さんの痛みはお前さんを大事に思っているヤツの痛みでもあるんだ」

「でも……、でも……」

 

 世界を救いたい。士郎の言葉に雷画は困った表情を浮かべる。

 

「頑固なところは親父譲りか……。けどな、どだい無茶な話だぜ。人間って生き物は争う生き物だ。他人を傷つけずに生きていける人間なんざそうそういねーんだ。戦争がなんで起きてるか、分かるか? そこに善悪なんかねーんだよ。自分達は正しいと叫びながら、どっちも自分が利益を手に入れたいから殺し合うんだ。誰かが笑顔になれば、誰かが泣く。そういうもんだ。分かってくれや、坊主」

 

 士郎は泣いた。

 世界を救いたい。だけど、世界は救えない。

 誰に聞いても、それは無理だと言われる。

 

「僕は……、僕は、世界を……」

 

 誰も傷つかない世界が欲しい。

 だから、誰も傷つけないように『俺』から『僕』に変えて、いつでも笑顔でいるようにした。

 そして、傷を自分に集めようとしたのに、失敗した。

 

「世界を……、世界を……」

 

 泣きながら、苦しみながら、それでも士郎は探し続ける。

 世界を救う方法を……。

 

 そして――――、彼はその言葉を見つける。

 

『マクドナルドのある国は戦争をしない』

 

その言葉に、少年は魅了された……。


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