ぽち。先生がネットワークプリントで年賀状を配布してくださったので、そのイラストに触発されて書きました。(https://twitter.com/lizhi3/status/948930195465027584)
Pixivにも同じものをあげてます。
寒風が家内に吹き込む。
玄関で千夜姉と郵便配達員がやり取りをしている間に、隙間風はこの旧い家屋を見る見る凍えさせていく。暖房器具もあまり使わないようにしているから、廊下を越えて、居間にいる僕のところにまで寒さが伝わってくる。
この家に引っ越してから初めて迎える冬。千代姉と二人で過ごす年の瀬。
「ねぇ、夕くん。これは何に使うもの?」
玄関から戻った千夜姉の手には、受け取った荷物と数枚のはがきがあった。先に荷物の方を机に置く。そして、背後から僕の身体を抱きつつはがきの方の使途を問いかけてきた。
冬に入ってから、千夜姉はよくこうして僕のことを抱きしめてくれる。僕が寒さを感じている素振りを見せると、何も言わずにその身体で僕を抱き寄せ、暖めてくれる。きっと千夜姉自身も寒いはずなのに、その暖かさにただただ甘えてしまう。
特に寒い日には、千夜姉の影が帯状に浮かび上がってきて僕ら二人を包み込んだりする。布団にくるまるみたいに身体を密着させながら暗闇に包まれるわけだけれど、二人の吐息が混ざりあうくらいの距離でくっついていたら、暖かいどころが顔や身体が熱くなってきてしまう。視覚を奪われ、それ以外の感覚だけで千夜姉を感じていると、なんだかオカシな気持ちになってきてしまったりした。なので、これはあまりしないほうがいいかもしれないと窘めてからは、千夜姉はなるべくヒトの身体のまま僕を抱きしめてくれている。
田舎の冬は寒いし一人で居るときっと心まで冷え切ってしまいそうになるけれど、今の僕には千夜姉がいる。今年の冬はとても穏やかで、心地が良い。
「それは、年賀はがきですね。どうしたんですか?」
「いま来た郵便屋さんがね、一枚でもいいから如何ですかって聞いてきたの。何に使うものかはわからなかったけど、なんだか鬼気迫る顔をしていたから買ってあげることにしたわ」
荷物の引き渡しのついでに営業をする配達員はたまにいる。このあたりでは訪問販売なんてめったに来ないから、玄関先での買い物というのも、千夜姉にとっては珍しい体験だったのかもしれない。セールスマンの懇願に絆されてしまう千夜姉の優しさが愛おしく思える反面、質の悪い営業にも引っかかってしまうのではないかという不安も僅かに抱いてしまう。テレビの通販番組なんかも千夜姉は大好きだ。
とはいえ困っているヒトを慮ってあげることは、千夜姉が僕以外のヒトにも関心を向けてくれているということだから、きっと喜ぶべきことのはずだ。上手い買い物の仕方やセールストークの危うさみたいなものについては改めて話す必要があるかもしれないけれど、一枚五十二円のはがきくらいなら買ってしまったところで特に問題もない。
「年賀はがきは名前の通り年賀状用のはがきのことです。新しい年を迎えた時に送る挨拶状のことですね。日本には新年を迎えることをお祝いする風習がありますから」
「なるほど、それなら以前召喚された地域でも似た風習があったわね。クリスマスカードといったかしら。あれみたいなもの?」
「そうですね」
千夜姉は過去に思いを馳せるように少し沈思した後、得心したように何度か頷く。海外のクリスマスカードは新年の挨拶も兼ねて送られるものなので、まさに日本の年賀状に相当する。
その以前召喚されたところでクリスマスカードを書いたことがあったのだろうか。悪魔である千夜姉がクリスマスをお祝いするというのはなんだか間が抜けていて少し可笑しい。
「せっかく買ったものなので出したいところですけれど、相手にあまり心当たりがありませんね。う~ん……」
買った以上出さずに放っておくのは勿体無い。千夜姉にも色んな風習に触れて、ヒトとその文化にもっと興味を持ってもらいたい。それに千夜姉と一緒にはがきを書くのもきっと楽しいだろうから。
しかし、一体誰に出そう。
住所を知っているほど親しい友達が居るわけでもない。これまでお世話になった親戚筋の人達に送ってみてもいいが、新年の挨拶だなんてまた賢しいだの何だのと思われてしまいそうだし、返信の手間を掛けさせるのも申し訳ない。叔父さんは未だ病床にあって、挨拶どころではないだろう。
「じゃあ僕はお姉ちゃん宛に年賀状を書きますね」
結局それ以外に選択肢はなかったりする。
「まぁ素敵! それなら私も夕くんに書くわね」
まるで花が開いたかのように、千夜姉の表情がパッと明るくなる。そこにだけ春が訪れたみたいだ。
自分の家に年賀状を送ったって別におかしなことはない。元日の朝にポストにはがきが届けられているということに意義があるのだと思う。年明け早々、ポストの前で配達を待つ千夜姉の姿を想像すると、まるで幼い子供のようで可愛らしい。
机に筆記用具を広げて、早速はがきの裏面を書き始める。
「年賀状は何を書かなくちゃいけないって決まりは特にありません。ただ、挨拶状なのでそれ用の文言は必要ですね。『あけましておめでとうございます』とか『謹賀新年』とか『Happy New Year』とか」
「うぅ、字を書かなくちゃいけないのね。手紙だから当然だけど。でもお姉ちゃんまだ全然上手に書けないから自信がないわ。漢字やアルファベットはまだ練習していないから、『あけましておめでとうございます』にしようかしら」
「頑張って一緒に書きましょう」
机に向かって横並びに座る。千夜姉は正座をしながら、緊張の面持ちで鉛筆を握っている。はがきは五枚あるので、三回までなら失敗しても大丈夫だ。僕がしなければ、だけど。
「夕くんに送るものだもの。ちゃんとしなくっちゃ」
千夜姉はぐっと口を引き噤み、ペン先をはがきに押し当てる。まるで硬筆習字のようにぐぐぐっとペン先が紙に沈み込む。そのまま紙を掘り進めていくかのように、ゆっくりと、丁寧な筆致で『あ』の字が紡がれていく。相変わらずの筆圧に、はがきが裂けんばかりだ。鉛筆もミシミシと音を立て、今にもへし折れてしまいそうになっている。傍で見ている僕にも、千夜姉の真剣さが伝わってくる。
やがて最後の点を打つと同時に、千夜姉は大きく息をついた。
「はぁー、緊張した。見て見て夕くん! すごくきれいに書けたと思わない?」
「本当ですね」
自信満々に『あ』の字を見せてくる千夜姉。確かにこれまで見たどの字よりも確り綺麗に書けている。
紙面の四分の一くらいを占めるほどの大きな字で。
「でもこれだと、『あけましておめでとうございます』は入り切らないですね」
「あ……」
そのことに気づいて、一転して肩を落とす千夜姉。
せっかく綺麗に書けたのだから、これはこのまま置いておくとして、字の大きさを意識してもう一枚書く必要がありそうだ。
「余り気を張りすぎると疲れてしまいますから、もっとリラックスしてもいいんですよ。そのペースで一文字一文字書いていくと、一文書き上がる頃にはお姉ちゃんがヘトヘトになってしまいます」
「そうね……。でも夕くんへのお手紙だからお姉ちゃんもきれいな字が書きたいの。先にお手本を見せてくれいない?」
「わかりました」
僕もそれほど字に自信があるわけでは無いけれど……。
鉛筆でもいいけれど、年賀状だしここは筆ペンで書いてみるのがいいかもしれない。千夜姉に送るものだし、毛筆体のようなものを意識する必要は無いだろうけど、それなりに見栄えには気を配りたいところだ。幸い、ペン立てに手頃な筆ペンがあった。
千夜姉の真似をするわけではないけど、いざ字を書こうとするとやはり緊張してしまう。自分用に書く勉強ノートやメモとは訳が違う。誰かに送るために書く文字というのは、そこに想いを込める必要がある。相手に送るものだから半端なものじゃいけないという千夜姉の気持ちがよくわかった。
一度深く息をつき、そこで止めて、一気に筆を奔らせる。一筋の流れのように、途切れさせること無く一息に書き切る。自分でも驚くほどにスラスラと文字は連なっていった。
出来上がった『あけましておめでとうございます』は、我ながら会心の出来と言っていい仕上がりだった。
「すごいわ、流石夕くん! とっても上手よ」
「あ、ありがとうございます」
千夜姉が嬉しそうに僕の頭を撫でてくれる。字を書いただけでこんなに褒められるなんて少し面映い。けれど、この達筆は僕の千夜姉への想いがカタチに現れたものであるような気がしている。字はその人の心を写すのだという。千夜姉を想って書いた字だからこそ、自分にとって最高のものが出来たのだろう。
「夕くんは鉛筆を使わずに書いていたようだけど」
「これは筆ペンです。はがきの字なんかは筆で書いたりする人が多いので」
千夜姉も筆ペンを手に取ると、それをまじまじと観察し始める。千夜姉は筆圧が強いので、まだ筆の扱いは難しいのではと思って渡さなかったのだが、随分と興味を惹かれているようだ。
「成程、これを使えばいいのね」
納得したように筆ペンをペン立てに戻す。そして徐ろに、千夜姉は一房の髪を浮き上がらせる。
美しく艶やかなその黒い髪が光沢を増していき、溶け合って、一本の触手へと変化する。ヌラヌラとした粘液を纏った名状しがたい異形へと姿を変えた。その先端がうぞうぞと蠢きはじめたかと思うと、その組成が崩れていくかのように、線状に分裂していく。先程の髪の毛の状態とは似て非なる毛状へと先端は変化し、それが寄り集まって筆の穂先のような形をとる。さらに触手が纏う粘液が無色透明から漆黒へと色を変えていき、穂先へと滴っていく。
千夜姉は自分の触手を即席の筆ペンにしたようだ。
手で鉛筆を持つより使い勝手がいいようで、そのまま触手をのたくらせ、紙面に奔らせていく。
先程の僕のように、スラスラと穂先が紙面を踊り、美事な達筆が浮かびあがる。
毛筆らしい凛とした趣と、女の子らしい丸みを帯びた可愛らしさが同居した独特の字体で『夕くんへ あけましておめでとうございます♡』と書かれている。
「わぁー、出来た出来た。どうかしらこれ」
「完璧ですよお姉ちゃん」
「やったー!」
出来上がった年賀状を嬉しそうに掲げて喜ぶ千夜姉。乾ききっていない粘液が何やらうぞうぞと震え、斑模様を描いているようにも見えるけど、きっと気のせいだろう。文字通り、身を削って作り上げた力作に、大満足のようだ。
宛名面も同様に僕は筆ペンで、千夜姉は自作ペンで書いていく。漢字は書けないと言っていたはずなのに、僕の字の見よう見まねで、住所まで自分で書き上げてしまった。あの触手は千夜姉の身体の一部なわけで、感覚的に動かすことが出来るのだろう。指先で輪郭をなぞるような手軽さで、スラスラと字を書いていく。
そうして、二人の年賀状は完成した。
「あとはこれをポストに投函すれば一月一日に届きます」
家から最寄りのポストは、歩いて五分ほどの距離にある。出来たてホヤホヤの年賀状を早速二人で投函しに行くことになった。
僕はジャンパーやネックウォーマーで防寒対策をする。千夜姉もグレーのチェスターコートを羽織り、マフラーを巻く。重ね着をしている千夜姉は、ボディーラインの主張が抑えられているが、その分整った顔立ちや佇まいに目が行き、薄着のときとはまた別の大人の女性としての魅力が感じられる。冬に二人で外を歩いていると、隣の千夜姉が“お姉ちゃん”というよりも“お姉さん”と読んだほうがいいのではないかという気がしてくる。雪片のようにどこか儚げで、以前立ち枯れた木々の間を歩く姿を見たときは、あまりに似合いすぎていて、思わず声を失ってしまっていた。文字通り、ヒト成らざる麗しさを纏っていた。
「行きましょう」
僕は千夜姉の手を取り、家を出る。何故そんなことをしたのかはわからないけど、手を繋いで一緒に歩きたいなと思ったのだ。
「夕くんの手、あったかいね」
千夜姉が微笑む。吐息が白を纏って冬の中へと溶けていく。ヒトと同じように。
外はやはり刺すように冷たい風が吹いている。鈍色の冬の空が、より一層の寒さを演出している。空気は凍てつくようだけど、繋いだ千夜姉の手は変わることなく暖かだ。
こうして千代姉と冬を迎えられるなんて、最初は思っていなかった。
どこかで気づいていた。この関係は永くは続かない。僕はヒトで千夜姉は悪魔だ。生きる理がまるで違っている。
千夜姉は最初に会った時に確かに言った。「大事なものと引き換えに、望むままを与えましょう」と。その引き換えにされる大事なものが何なのかは未だにわからない。それでも、それなりの覚悟はしてきたつもりだ。
あるいはひと夏の泡沫にすぎないのかもしれない。そんな想いでいたはずなのに、気づけば数カ月の時間を共にしている。千夜姉は僕にとって唯一無二のお姉ちゃんで、かけがえのない大事なもので、僕はお姉ちゃんの弟なのだ。これからもずっとずっと一緒に居られるといいな。この頃は、そんなことをよく考える。こんな日々がいつまでも続くのではないかという期待を抱かずにはいられない。
――そんなはずはないのに。
「来年はどんなことがしたいですか、お姉ちゃん」
ついそんなことを問いかけてしまう。
今は約束が欲しかった。未来の話をしていたかった。それはただの言葉にすぎないけれど、千夜姉を想う僕の、心からの言葉だったから。
千夜姉の表情が僅かに翳る。未来がどうなるかなんて、僕達の関係がどうなっていくかなんて、そんなことは千夜姉が一番良く知っているはずだ。夏を経て、秋を越えて、冬に至って。きっと春だって迎えられるし、来年の夏だってまた今年みたいに楽しいに決まっている。そんな僕の願いを千夜姉はきっと解っている。
だから千夜姉の笑顔は、いつも僕を慈しむように優しい。
「夕くんと一緒なら、どんなことでも」
二人で一緒にポストに二葉のはがきを投函する。
新たな年を二人で必ず迎えるのだという、これは約束。