祝・アニメ第二期放送記念ということで

 誰だって一度は考えそうなネタ
 守護者統括・アルベドの“設定”変更……


 ────『モモンガを愛している。』を、
 ────『モモンガを嫌っている。』にしていたら?


※注意※『天使の澱』の原型になった短編作品。
 あちらをネタバレされたくない方は、絶対に、読まないでください。

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チラ裏投稿
※注意※
この物語は、
現在空想病が連載している『オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~』の“原型”になった作品です。
なので、これを見れば『天使の澱』のラストはわかりそうな気もします。




あちらを「ネタバレしたくない方」は、絶対に、絶対に絶対に、読まないでください。




いいですか?




では、どうぞ


『愛している。』と『嫌っている。』

Loving and dislike

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがまだ残っているなんて思ってもいませんでしたよ」

 

 最終日に顔を見せに来てくれた古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)のプレイヤー、ギルド内に存在するNPCのプログラミングを手掛けてくれたヘロヘロが、率直な感想を──ギルド長として“ここ”をずっと維持してきた男にとっては、あまりにも無慈悲かつ、禁忌的な弄言(ろうげん)を──吐いてしまった。

 耐えるべきだった。

 耐えなければならなかった。

 しかし、さまざまな感情や過去が、それを阻害する。

 その言葉を聞いてから数秒もしない間に、モモンガの内側で、何かが、はじけた。

 壊れたと、言ってもいい。

 

「──ふざけるな!」

「え?」

 

 言ってしまった瞬間、モモンガは自分の失態を自覚した。

 それでも、長年に渡って降り積もった思いが、堰が切れた堤のごとく、彼の内側にある倫理を蹂躙していく。

 

「ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! なんで皆…………あ」

 

 モモンガは、己の口を骨の掌で覆う。

 その様子から察したヘロヘロは、悄然と項垂れてみせる。

 

「あー……すいません、モモンガさん。俺、無神経なことを言ってしまったようで」

「き……気にしないでください! 私も、その、……リアルでストレスたまっちゃって」

 

 なんて酷い言い訳を。

 ヘロヘロは深く考えるでもなく、本気で眠たげな調子で、だが知人友人への礼儀にふさわしい口調で、モモンガの奇行を(いた)わってくれた。

 

「ほんとに大丈夫ですか? いきなりキレたりするのは、ガチでやばい兆候ですよ?」

「……はい。すいません。ご心配をおかけして」

 

 社会人としての常識として、二人は互いに追求と追窮を避ける。

 

「ほんとにすいません。俺ばっかり愚痴っちゃって、モモンガさんの体調とか考えないで……もう、本当」

「いえ! そんなこと……」

「でも、さすがに突然ガチギレなんてしたら、他の皆から嫌われますよ?」

 

 モモンガは、胸をかきむしりたいほどの衝動に駆られ、今度はなんとか、自制してみせる。

 円卓の二人は、最後の遣り取りを重ねていく。事務的に。義務的に。

 

「ユグドラシルが終わったら、ユグドラシルⅡとかで、またお会いしましょう」

「Ⅱの噂は聞いたためしがないですが……」

 

 そうだと良いですねと、消え入りそうな声でモモンガは辛うじて呟く。

 こんなはずじゃなかった。

 もっと、きちんとした、最後の別れに相応しい終わり方をした方がいいに決まっている。

 けれど、モモンガは未練を大量に含んだ言葉を吐き出す自分が嫌だった。

 

「じゃ、睡魔がやばいので……」

 

 ヘロヘロがコンソールを操作する。

 モモンガは口ごもる。「今日がサービス終了の日」だからと、「最後まで残って」という言葉を喉の奥へと閉じ込める。

 そんな泣訴と陳情をぶつけても、迷惑になるだけ。

 

「お会いできてうれしかったです。お疲れさまでした、ヘロヘロさん」

「お疲れさまでした、モモンガさん。またどこかでお会いしましょう」

 

 感情(エモーション)アイコンの笑顔が、これほど寒々しいと思ったことはなかった。

 今生の別れにも近い言葉が、モモンガの両の耳を貫き抉る。

 現実世界に帰還(アウト)していくヘロヘロを、モモンガは最悪に近い形で送り出してしまった。

 心の奥深くから、悲嘆に濡れた溜息がこぼれおちる。

 

「……なんで、あんなこと言っちゃうかな? 俺の馬鹿」

 

 ヘロヘロが言った余計な一言もそうだが、自分が言った「ふざけるな!」という激昂の方こそが問題だった。

 だが、あの時の自分にとって、ヘロヘロが何の気もなく述懐した言葉は、あまりにも耐えがたかった。

 モモンガが必死になって維持してきたすべてを、これまでを、この“皆で作り上げたナザリック地下大墳墓”を、よりにもよって仲間(メンバー)の一人が否定してしまうという、皮肉。

 (から)になった三十九席──ヘロヘロとモモンガを除く四十一人分の椅子が、あまりにも空疎で空虚な代物に見え始める。

 何もかも空っぽ。

 空っぽなそこを、病的に思い続けた結果が、これ。

 

『 ……まだ残っているなんて…… 』

 

 ヘロヘロの一言が、呪いを紡ぐ歌のように、モモンガの脳の中に残響する。

 彼をはじめ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちも、この状態を見渡せば、彼と同じような思いを懐くのだろう。

 ──残っているなんて思ってもいなかった。

 モモンガが、こんな徒労を、こんな馬鹿な行為を、サービス終了の、今の今までずっと続けていたなんて…………

 

「違う!

 誰も裏切ったわけじゃない!」

 

 込み上がる怒気が怒号となって、両手を円卓に叩きつけさせる。

 モモンガの行動を攻撃と見做したシステムが「0」という数字を浮かび上がらせる。

 

「現実と空想。リアルとゲーム。どちらを取るのかなんて、誰にだって判る選択肢だ。……仕方のないこと。……誰も裏切ったわけじゃない。皆も、苦渋の決断だった──そうに決まっている──」

 

 と、モモンガが思っているだけなのでは?

 

「違う! 違う違う違う!」

 

 餓鬼の癇癪(かんしゃく)のように、大理石の卓を叩きまくり、ダメージ計算の0ポイントが無数に現れては消える。

 激しい怒りと、次いで現れる寂寥感が、モモンガの胸の奥に去来し、心の奥底へ刺々(とげとげ)しく突き刺さる。

 皆が集うはずの円卓に、思いの丈をぶつける自分。

 そんな自分を慰める仲間も、諫めてくれるメンバーも、いない。

 この“誰もいない”ゲーム空間こそが、すべての解答(こたえ)ではないのか?

 

「クソっ!!」

 

 モモンガ自身、どんなに理不尽な思いを懐いているのか理解している。

 理解しながらもそれを拒絶するように、苛立ちや遣る瀬無さで荒れ狂う思いを鎮めようと、席を蹴って立ち上がった。

 強い歩調で、この円卓に残る、彼等との絆の象徴たるアイテムに歩み寄る。

 その荘厳極まるヘルメス神の杖(ケーリュケイオン)の造形に、七匹の蛇の絡まる武器の装いに、目を奪われる。

 

「ギルド武器……スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」

 

 かつての仲間たちとの思い出。

 これを作るために、有給とったり、奥さんと喧嘩したり、仕事で疲れているのに無茶したりしてまで時間を作ってくれたメンバーもいたのだ。冒険に繰り出し、材料を色々と集めて、相談し、雑談し、あーでもないこーでもないと意見を出し合い、(いち)からすべてを創り上げてきた。

 だから、だろうか。

 これを見上げているときは、とても良い思い出ばかりが蘇る。

 アインズ・ウール・ゴウンの黄金期──伝説とも称されたギルドの記憶。

 その証明にして証人たる、ギルド武器。

 ここにある(これ)が、仲間たちとの……彼等全員との……最後の絆と、モモンガには思えた。

 

「おまえは変わらないな……変わるわけもないが」

 

 モモンガは手を伸ばそうとして、一瞬、戸惑う。

 これを手にとることが、仲間たちと決めたギルドのルールに反するように思えた。

 ギルド武器は、ギルドの象徴であると同時に、破壊は即ちギルドの崩壊を意味する。ギルド武器を破壊されギルド崩壊を経験した者だけが戴く“敗者の烙印”や、逆に破壊した者だけに与えられる何かが存在するのだが、とりあえずアインズ・ウール・ゴウンは最も安全な場所に安置されるという常道に則すことが、メンバーたちとの協議で決められている。

 だが、もはやユグドラシルは終わり。そもそもアインズ・ウール・ゴウンのギルド自体、四十一人中三十七人がすでに辞めていった。残りの三人だって、今日より以前に此の場所を訪ねたのが何時なのか、それはモモンガにすらわからない。

 誰もいなくなった今だからこそ、最後の最後に、我儘に、ギルド長の権力を行使してもいいだろう。

 

 

 それくらいは、許してくれるよね?

 

 

 

 

 ギルド武器の凝った造りに懐かしさや寂しさを覚えつつ、装備を整え終えたモモンガは、円卓の部屋を後にし、ナザリック地下大墳墓で最後を過ごすに相応しい場所を目指した。

 途中、同じ第九階層にいたNPCたちと出会い、何体か「最後くらい働かせるべきか」程度の考えで付き従うようにコマンドを送る。

 こういう存在も、何気にメンバーたちとの思い出が込められている。

 セバス・チャンを作った“たっち・みー”。ユリ・アルファを製作した“やまいこ”。ナーベラル・ガンマを作り上げた“弐式炎雷”。ソリュシャン・イプシロンの製造者である“ヘロヘロ”とは、つい先ほど別れたばかり──だが、NPC一体を作るだけでも様々な工程や順序、苦労話は尽きないものだ。

 

 そして、玉座の間に控える彼女も、その一人。

 

 純白のドレスを纏う漆黒の女悪魔────アルベド。

 

 たっちさんのように設定を作り込まない人もいれば、彼女の生みの親である“タブラ・スマラグディナ”などは、設定魔……異様に「濃い」設定を練り込むメンバーとして印象深い。アルベドは、このナザリック地下大墳墓の守護者統括──全部で七人いる階層守護者をまとめあげる立場・役職を与えられた存在として、この拠点の最奥たる玉座の間に控えることを許されている。

 それほどのキャラクターの設定を作り込むのは、タブラ・スマラグディナにとってはもはや運命とすら言えたのだろう。

 ──だが。

 

「何これ? ビッチって……」

 

 玉座に身体を預け、練り込まれ整えられたアルベドの設定文を、モモンガがあまりの長さに一気にスクロールした先にあった……最後の文言。

 

『ちなみにビッチである。』

 

 目が点になるとはこのことだ。

 自分で作り上げたキャラに与えるには、あまりにもそぐわない内容に思える。だが──

 

「ああ、ギャップ萌えだったっけ?」

 

 タブラさん。萌えだとしても、いくらなんでもこれは……

 モモンガは少しだけ考えて、決める。

 

「変更するか」

 

 ギルド武器を持ったモモンガは、名実ともにギルドマスター。本来であれば専用のクリエイトツールが必要なところであるが、ギルド長の特権を行使すれば、NPCの設定書き変えくらい造作もない。コンソールでビッチの文字に別れを告げる。

 だが、今度は空いたスペースが気になった。

 なにか入れた方が良いかなと考えて、瞬間、閃いた設定の馬鹿らしさに自嘲の笑みがこぼれる。

 しかし、キーを叩く指は止まらなかった。

 

『モモンガを愛している。』

 

 うわ、恥ずかしい。馬鹿じゃない俺?

 気恥ずかしさに骨の掌で顔を覆ってしまう。だが、消した文字と書いた文字の数が一致するという完璧な配合が、我ながらうまい具合に調和していた。これを削除して空白にするのは勿体ない気も。

 

「うーむ…………ん、そうだ」

 

 後半の何文字かを消して、新たな文章をしたためる。

『モモンガを愛している。』改め、

 

 

『モモンガを嫌っている。』──

 

 

 うん。こっちの方がいいか。

 今日は、サービス終了の日。

 モモンガはこの拠点を、ギルドを維持するために八方手を尽くしてきたが、そのせいでNPCたちの設定や、場合によっては存在自体を忘れ去ってしまっていたものは数知れない。

 おまけに、アルベドはこの玉座の間に控えさせたまま、他のNPCたちと共に存在させることもなく、ただ、ずっと、この誰もいない場所で、ひとりぼっちな状態を維持させてしまっていたのだ。

 自分がアルベドであれば、数年もそんな不遇な環境を強いられることになったら──と思うと。

 

「ごめんな。最後まで、ダメな主人だったろう?」

 

 アルベドの美貌に、モモンガは謝辞を送る。

 電子とプログラムの集合体に、何を言っているのやら。

 だが、

 実際として、アルベドの境遇を省みれば、彼女に孤独を与え続けたギルドマスター・モモンガは、「ダメ」という程度では済まない──最低な存在だろう。それを思えば、こんな場所に放置する主人のことを、『嫌っている。』方が自然とすら言える。

 タブラさん的にも、「主人を嫌う忠臣とか、なにそれ超萌える!」みたいに喜んでくれる。──かも。

 

「それに……」

 

 先ほど、ヘロヘロと別れる際の、苦言。

 

 ──「でも、さすがに突然ガチギレなんてしたら、他の皆から“嫌われますよ”?」

 

 嫌われて当然だ。

 仕事で忙しいのに、辞めていったゲームの最終日に顔を見せに来てくれ──なんて、とても面倒極まる申し出であったところを、わざわざ来てくれたのだ。尋常でない睡魔に襲われ、仕事で忙しい合間を縫って──。なのに、いきなり再開した友人に「ふざけるな!」は、絶対にない。あってはならない暴言だった。何とか呑み込み、霧散させるべき感情の発露に相違なかった。最後に来てくれた仲間と、すっきりきっちり別れるべきところだったのだ。

 

 でも、……モモンガは出来なかった。

 言ってやりたくてたまらなかった。

 

 大事な宝物に泥を塗られた気分だった。

 自分の友情を全否定された気さえした。

 過去の思い出も何も、すべてが無為で無駄で無価値だったと……そう宣告されたようにすら、感じたのだ。

 そんなものに縋りつく自分(モモンガ)が、あまりにも滑稽で憐れだと断言されたような……そんな感じだった。

 

 無論、これらはすべて、モモンガ個人の心象だ。

 ヘロヘロや、会いに来てくれたメンバーは、社会人として常識ある形で、このゲームに別れを告げて去っていった。それ以前に辞めた三十七人についても、同様。中には、モモンガを新しいDMMO-RPGに誘ってくれた人までいたのだ。

 

 だが、それらすべては、NPC──アルベドには一切、関わりのないこと。

 彼女(アルベド)には、モモンガを、彼女の主人を『嫌う』権利がある。

 

「ひれ伏せ」

 

 彼女たちと共に、最後を迎えるに相応しい恰好を整える。

 アルベドたち全員が片膝をつき、臣下の礼をモモンガに対し行う。

 これで良い。時間の方は、──23:56:48──ぎりぎりのところで間に合ったな。

 

「過去の遺物か──」

 

 ユグドラシルの最終日。

 待っていた。ナザリック地下大墳墓に果敢に挑み、戦う者たちを。

 待っていた。ナザリック地下大墳墓に集う──かつての仲間たちを。

 だが、今ではすべて過去のもの。

 これまで本当に楽しかった。

 天井から垂れ下がるメンバーのサインを刻んだ四十一の旗。

 モモンガの恩人であるギルドの発起人をはじめ、数多くのメンバーが在籍していた当時のまま残っている。

 まるで、モモンガの思い出が詰まった宝箱だ。それが、このナザリック地下大墳墓だった。

 

「そうだ、楽しかったんだ……本当に、楽しかったんだ……」

 

 友人たちとの輝かしい時間の結晶は、あと数分で失われる。

 なんと悔しく──不快なことか。

 サーバーが停止する0:00まで、残り一分を切った。時計のカウントに合わせて数えだす。

 このすべてが、消え行く時……耐え切れなくなったように、涙で目を開けていられなくなったように、モモンガは目を閉じる。

 

 23:59:57──58──59──

 

 

 

 0:00:00

 

 

 

「……ん?」

 

 目を開けたモモンガは、未だに消えぬユグドラシルの、ナザリックの玉座の間を、呆然と眺める。

 どういうことだ?

 サーバーダウンが延期に?

 時間はとっくに0時を超えた。だが強制排出されない。モモンガは困惑しつつ、何か情報は無いかと辺りを見回し、コンソールを叩く。が、コンソールは浮かび上がらない。骨の指は空中を叩くだけ。

 ロスタイムなどの様々な可能性を考えつつ、他のゲーム機能に頼ってみるが、何もできない。どれも一切の感触がなくモモンガはシステムから除外されているようだ。

 

「ッ! ……どういうことだ!」

 

 終わりを告げる日に、こんな馬鹿げたミスを犯すとは!

 ユーザーを馬鹿にするのも大概にしろ、あのクソ運営!

 そういった思いを込めた八つ当たり気味の声──モモンガとしては当然な思いの発露に、

 応える声が、

 あった。

 

「……どうかなさいましたか。モモンガ様?」

 

 初めて聞く──だが、あまりにも険が深そうな印象の強い、冷たい女性の声。

 呆気にとられるモモンガは、とにかく声の発生源を探し、程なくして、理解した。

 

 臣下の礼を取っていたNPC──アルベドが、嫌悪する者に向けるが如き冷徹な視線を主人へ、モモンガへと差し向け、問いを繰り返した。

 

「……何かあったのですか?」

 

 

 

 

 

 NPCが、アルベドが、モモンガに顔を向け、唇を動かし、ありえない声を、紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

「何か問題があったのですか?」

 

 ただ呆然としてしまうモモンガに対し、アルベドはNPCにはあるまじき行動を見せ続ける。

 モモンガの言った“ひれ伏せ”という命令(コマンド)を無視して、勝手に立ち上がった。

 ありえない。ゲームデータの集合体に、こんな勝手は不可能な筈。

 

「失礼します」

 

 玉座の傍にまで寄ってくるアルベド。

 途端、モモンガの鼻腔に、ふわりと芳しい女の香りが。

 ありえないことだ。嗅覚などはユグドラシルの、DMMO-RPGの感覚を超えすぎている。

 モモンガは、己を超然と見つめる美女の冷酷な表情(かんばせ)を至近にし、心臓が痛むような感覚を覚えつつ……だが、何故だろうか。極めて冷静沈着に、精神が均衡を保って安定化してしまう事実を実感する。

 これまでの人生で一度も()(まみ)えたこともない美女の芳香、淫魔の氷声、女神とも表現してよい至宝至福の容貌……手を伸ばせば揉みしだけるほど目前に接近している女体の精緻と艶美に対し、心を大いに揺さぶられながら、一言。

 

「……じ……GMコールが利かないようだ」

 

 冷静に問いかけてみる。

 対するアルベドは、すべての男を魅了しかねない美貌を曇らせ、瞳をかすかに潤ませつつ、応じる。

 

「……何ですか、それは?」

 

 モモンガは密かに愕然となる。

 この際、アルベドの不遜なほど冷血な声音は無視してよい。

 重要なことはただひとつ──NPCと、会話が、成立したという、事実。

 

「アルベド様」

 

 唐突に、セバスの方から忠告するような鋭い声が。老齢な執事の謹直な声に打たれたように、モモンガとアルベドはそちらを振り向く。

 

「モモンガ様は、至高なる四十一人のまとめ役としてこの地に残られた偉大なる御方。それほどの御方に対し、そのような口調は」

「黙りなさい、セバス」

 

 何やら急遽一触即発という状況に陥ってしまう二人。

 戦闘メイドらが戦々恐々に肩と瞳を震わせているが、モモンガもまたそんな彼女ら同様に、アルベドの鬼気迫る感情の発散ぶりに、何も言えなくなる。

 

「私がモモンガ様と、“どのように言葉を交わそう”と、あなたにそれを(いさ)める権利があって? ──「ない」のであれば、口を(つぐ)みなさい。守護者統括である私は、今、モモンガ様と、お話をしているのよ?」

 

 女帝という言葉を想起させる玲瓏な音色が空間を満たす。

 

「申し訳ありません、アルベド様。配慮が足りていなかったのは私の方でございました。平に、ご容赦を」

 

 仲間のNPCに対してやけに冷酷な口調であったが、セバスはまるで気にした様子もなく抗弁を控え、アルベドに対し謝辞まで述べ連ねる。

 

「それで……何ですか、モモンガ様? その“じーえむこーる”というのは? 無知な私では応えかねる案件だと思われますが?」

「う──む。わからないのであれば、いい」

「では、次はこちらから質問を」

 

 セバスや戦闘メイドらがぎょっと息を呑んだのに気づかず、モモンガは普通に受け答えてしまう。

 

「なん、でしょ……あ、いや……なんだ?」

「どうして──」

「ん?」

 

 アルベドは冷たい表情を、まるで油で煮られたように歪ませ、数瞬ほどで、無表情に戻る。

 

「なんでもありません──」

 

 言い終えた女悪魔は、鉛鉄(えんてつ)でも呑み込んだような重い口調でモモンガから身を離した。

 ここまでのことで、モモンガはこの異常事態に対する方針を確固たるものにしなければならない。

 まずは、ここが何なのか、知らなければならないということ。ナザリック地下大墳墓の中ではあるが、これがユグドラシルのゲームだとは思えない。アルベドをはじめとするNPCの挙動は、完全に人間のそれだ。しかし、ありえない。まるで、生きているかのような表情や仕草、会話の応答というのはゲームのプログラムとは思えないほど人間性が豊か過ぎる。

 この現象は何なのか──調べる必要があると、驚くほど冷静な思考で導き出す。

 厳然とした事実に対し、アインズは己を見下ろしてくるアルベドと、今も臣下の礼を取ったまま待機しつつ、モモンガたちの様子を窺うべく視線を向けていてセバスや戦闘メイド(プレアデス)たちに、命令を下す。

 セバスは戦闘メイド一人を連れて、ナザリックの外への偵察(可能かどうかは不明)。

 残った戦闘メイドたちを第九階層へと戻し、侵入者の警戒任務に赴かせる。

 そして、

 

「それでは、モモンガ様。私は、何を?」

 

 冷貌を鋼のごとく固めたままのアルベドの問いに、モモンガはとりあえず確認したいことがあった。

 

「では、私の許まで来い」

「……はい」

 

 そんな無表情でまっすぐに近寄られると、逆に緊張するな。

 膝をつき、モモンガの胸元にも飛び込める間合いであるが、それ以上は近づこうとはしない。

 

「アルベド、その──すまんが、触るぞ」

「どこを触ると?」

 

 触られることを拒絶するかのごとき険悪な雰囲気だ。不可視の壁があるような近寄りがたさを感じるが、命じられた内容の不可解さを思えば仕方がない。これは、あれを試すのは難しい気がするが、とりあえず──最初は。

 

「左手だ。左手を出してくれ──無理、か?」

 

 アルベドはしばし考えるようにしつつも、純白の手袋に包まれた長く(たお)やかな指先を、モモンガに差し出してくる。

 骨の掌で、その感触を確かめる。人肌の温度、生物の脈拍、くすぐられるように撫でられて微動する、美女の面貌などをすべて、事細かく確認していく。

 アルベドは──生きている。

 だとすると、他のNPCたちも?

 ゲームが現実に……それを確信できる段階ではない。あるいはユグドラシルⅡという馬鹿げた追加パッチがあてられており、モモンガはその先行体験版を──という可能性が残っている。

 確定とは、言い難い──だが、次の、最後の一手!

 これだけは確認しなければならない!

 

「アルベド!」

「はい?」

 

 真正面から険しい目つきで挑むように睨みつける女に、モモンガはたじろいでしまう。

 

「む……むね……むむ……」

 

 胸を触っても──なんて、この状況じゃ言えない。

 言った瞬間、軽蔑の眼差しが飛んできそうな相手に言えることじゃない。

 ここは、戦闘メイドの誰かを残しておいたほうが良かっただろうか──全員、人間の女性の姿ではあるが、実際は全然違う種族であることを考えると、候補は絞られる気はするが。

 

「む──胸が痛むとか、ない、か?」

 

 ヘタレ! 俺のヘタレ!

 でも、しようがないじゃん!

 こんな雰囲気で、電脳法に抵触するはずの18禁行為を試させろとか、言えないから!

 

「胸が、痛む?」

「ああ。体の不調……とか?」

「────そうですね。痛みます」

「なに?」

「モモンガ様のスキルのせいで、左手に痛み(ダメージ)は受け取りましたが、胸はとくに……それが何か?」

「え、それマジ? 同士討ち(フレンドリィ・ファイヤ)は……あ、いや、すまない。スキルを解除するのを、忘れていたようだ」

「……別に──どうということもありません」

 

 どこかむずがるような調子で、アルベドはふいと視線を逸らす。

 ほんのり朱を帯びた横顔に、モモンガはしばし見入ってしまう。

 アルベドの、この表情は──その、なんというか…………良い。

 

「何か?」

「う、ん──何でもない。それより、おまえに命じたいことがある」

「何でしょうか?」

 

 第四と第八……ガルガンチュアとヴィクティムを除く全階層守護者の招集を命じた。

 アルベドは特に疑問を覚えた様子もなく、一時間後までに第六階層の闘技場に来るようにという主命に従って、行動してくれる。

 モモンガはアルベドの……物言いたげな背中と黒翼を見送り、そして、一人きりになった途端、苦悶のまま呻き声を漏らした。

 

「ああ、くそ──なんてこった」

 

 モモンガは思い起こす。

 思い起こさずにはいられない。

 アルベドに設定した、あの一行──『モモンガを嫌っている。』という、アレ。

 あれはくだらない冗談だったのに。サービス終了と共に消え去る程度のキャラ設定だったはずなのに。

 

「俺はタブラさんのNPCを──汚してしまったのか──」

 

 後悔が怒濤のように攻め寄せては、いきなり小波のごとく静かになる。

 奇妙な精神の安定具合に辟易しつつ、モモンガは問題を後回しにするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主人の傍を離れ、玉座の間を辞したアルベドは、どこかトボトボとした足取りで、第十階層から第一階層への道のりを行く。

 モモンガの勅命により防衛任務に就いていた戦闘メイドたちが、思わず声をかけようとして、あまりにも儚げに過ぎる様子で、かけるべき言葉がないことに気づかされるほど……今の守護者統括は、まったく完全に似合わない調子であった。挨拶を儀礼として交わしても、覇気のない──けれどもナザリックの同胞には優し気な口調で応えてくれるのみ。

 原因なら、判りきっている。

 だから、ユリたちは誰も、何も言えないし、引き留めることもなく、見送るほかない。

 

「どうして──」

 

 アルベドは声を零す。

 誰に語るでもなく、ただ、己が納得を得たいがために、唇を押し開く。

 

 モモンガの「どういうことだ!」と叫ぶ様子が気にかかり、無礼を承知で、彼の命令をあえて、無視した。

 じーえむこーるを知らぬ無知蒙昧な私を叱るでもなく、彼は私に、質問する権利を与えてくれた。

 そして、私は言葉に詰まった。「どうして──」と。

 至高の四十一人のまとめ役として、このナザリック地下大墳墓の最高支配者として、この地に留まってくれた──どこまでも優しくて優しくてたまらない、優しい“あの方”に、()いてやりたくて、訊いてしまいたくて、たまらなかった。

 

 でも、声が、表情が、今のように震えそうで、できなかった。

 

 

 

「どうして私に、あんな──『嫌っている。』……などと──」

 

 

 

 泣き出したい気分だった。

 思い切り喚きたくてたまらなかった。

 自分自身を挽き潰してしまいたいほど、モモンガにあんな態度を取った自分が呪わしい。

 

 アルベドは、生み出されてからこれまでずっと、(モモンガ)を見てきた。

 玉座の間での“決戦”の際に、ギルドマスターである彼を防衛する盾の一枚として、自分は、タブラ・スマラグディナという偉大な創造主の手によって創り出された。シミュレーションやリハーサルと称して、至高の四十一人全員との連携・模擬戦を披露し、最前衛のタンク職として戦うために、何度も、彼を……モモンガを護るために……それが、自分だった──なのに。

 自分の創造主をはじめ、四十一人中、モモンガ以外は全員が御隠れになった。

 自分達を創り上げてくれた彼等に、何かあったのだろうことはわかったが、詳しいことはアルベドにすら判然としない。

 それでも、アルベドは玉座に留まり続けた。

 タブラ・スマラグディナが残していった世界級(ワールド)アイテムを抱きながら、ずっと自分に与えられた通りの役目に準じてきた。

 あの方の“盾”となって散るために。

 時折だけ見かけるモモンガの寂しそうな様子が、胸を抉りそうなほど悲しかった。

 ──玉座の間の近くを素通りするだけの彼の気配を感じられただけでも、私にとっては福音のごとく思えさえした。

 そして、今日。

 あれだけ求め欲した彼と、再び()(まみ)える幸運に恵まれた。

 セバスたちを引き連れ、久方ぶりに御尊顔を拝したモモンガは……とても、とても悲しそうだった。

 しかし、声をかけるのは躊躇われた。創造主と被造物──両者ではあまりにも身分が違いすぎる。声をかけたところで返答が得られることはないと承知している。下僕が神と対等に語り合うなど、あってはならないことだと思われたから。

 彼は玉座に腰掛け、私をあの煌く火の瞳で、見つめてくれた。

 視線が交わった時は、小躍りしたいほどの歓喜に溺れそうになったが、御方の前で、姿勢を崩すなどという無礼を働けるNPCはいるはずがない。

 そうして。

 彼は、私の“設定”を閲覧し、あろうことか、ギルド長としての特権を行使してまで、私の存在の根幹に触れてくれた!

 あまつさえ!

『モモンガを愛している。』などと定められることになった時は、天にも昇りそうな心地すらしたのだ! 悪魔である、この私が!

 

 

 けれど、その直後の……………………あれだ。

 

 

 

「『愛している。』のままで……良かった……のに」

 

 

 

 鼻をすんと鳴らしてしまう。

 視界が潤みぼやけるのを止めることができない。

 頬を伝う雫が、栄光あるナザリックの床を汚さぬように、両手を純白に飾る手袋で覆い包む。

 誰もいない今だから、彼の目がない此処でなら、アルベドは己に蓋した思いを、想うさま解放できる。

 

『嫌っている。』ように振る舞わなければならない──彼の目の前では。

 

 私は、そう『かくあれ』と望まれている。他の誰でもない、彼に。モモンガに。至高の御身に。

 望まれている以上、そのように、行動するしかない。

 シャルティアがアウラをチビと呼んで適当にからかうように──本当のところは、シャルティアもアウラも、互いに大切なナザリックの同胞として、互いを「悪い気はしない」のと同じように。

 

 ────何故。

 ────どうして。

 

 そのように、私を、変えてしまわれたのか。

 疑問は尽きなかった。アルベドの最高位の叡智をもってしても、モモンガの書き加えた文言は理解不能な位階に位置していた。

 NPCとして、

 ナザリック地下大墳墓のシモベとして、

 至高の存在たる彼を護るべく創造されたはずの“盾”として、

 この私──アルベドは、存在しているはず……なのに。

 

 だが、疑問など無意味だ。

 

「それでも……あなたが、そう、定め、そう命じられるというのであれば」

 

 創られたNPCとして、

 忠実なシモベとして、

 御方の“盾”として、

 (モモンガ)を責め苛むすべてから──守り抜こう。

 

 私は守護者統括・アルベド。

 

『モモンガを嫌っている。』と。

 そうあることこそが、私の、忠義。

 そうあることだけが、私の──私だけの──役目。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも。

 夢を見れるのなら。

 不遜な夢を──もう一度──望めるのなら。

 

 

「『愛して』います。『愛して』います──

 モモンガ様────愛して────います」

 

 

 誰もいない空間で口にするたび、涙と嗚咽が、手袋を濡らした。

 

 なんて──幸せな響き。

 

 なんて……莫迦(ばか)夢想(ユメ)

 

 

 永遠に。

 永久(とこしえ)に。

 未来永劫、

 私は彼を、

 嫌い(あいし)続ける。

 

 

 決して届けてはならぬ想いを胸に秘め、アルベドは各階層守護者を招集すべく、シャルティアのいる階層を目指す。

 

 

 彼女の『嫌っている。』主人の命じるまま──

 

 そう、彼に『かくあれ』と、望まれるまま──

 

 

 アルベドは、(モモンガ)を、想い続ける。

 

 どんなカタチであっても、アルベドは、想い、続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




主人を『嫌う』よう設定された、NPCの慟哭。


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