あれから、何年が経ったのだろう。
『彼』が守っている畑の主人が死んでしまってから、もう何年何十年も経ってしまったのだろうか。ずっと何も考えずに過ごしてきたせいか、時間の感覚がマヒしてきている。
粗末な軍手を付けた両手を開閉し、ボロボロの笠を頭から外す。ぼさぼさの白髪と薄汚れた顔が現れた。前から無愛想な顔だったが、今の『彼』の顔は無愛想を通り越して完全なる無表情だ。全ての感情をどこかに置いてきてしまったかのような、どこまで行っても何もない完全なる『無』。今の『彼』の顔からは、それぐらいのことしか感じ取ることができない。
『彼』は空に浮かぶ雲を見上げる。感情の欠片も込められていない灰色の瞳で、空に浮かぶ真っ白な雲を見上げる。そこには、今も昔も変わらない、青い空と白い雲と赤なのか黄色なのかよく分からない太陽だけが拡がっていた。
『彼』は虚ろな目を雲から外し、自分が佇んでいる畑を見渡す。彼は未だに、棒の上に座っていた。
ずっと畑に手を加えてないせいか、畑は凄まじい荒れ様だった。主人が育てていた作物は死に絶え、土もカラカラに乾いてしまっている。それもこれも、主人が死んでしまってからだ。
『彼』は棒の上から足を延ばして土を蹴り上げ、
「…………俺、どーすりゃイイのかな」
とても悲しそうな顔で、もう一度溜め息を吐いた。
☆☆☆
どうにかして案山子さんを元気づけたい。
案山子の主人が無くなってから約二十年が経った日の朝。
射命丸文は博麗神社にやってきていた。
空から照りつける初夏の日差しに耐えながら、文は博麗神社の巫女――
「お願いします! 私に協力してください!」
「いや、いきなりそんなこと言われても、目的が分からないし……」
「案山子さんを元気づけるために、私に協力してください!」
「いやいや、そもそも案山子さんって誰よ」
何を言っても頭を下げ続けている文に、紅白巫女服が特徴の霊夢は苦笑いを浮かべる。
日課である境内清掃を行っている最中にこの鴉天狗がやって来たわけなのだが、ハッキリ言って文の言いたいことがいまいちピンとこない。案山子さん、というのが誰のことを指しているのかがまず分からないし、そもそも何で文がその案山子さんという輩のために頑張っているのかも分からない。結局のところ、今の霊夢は何も理解できていないのだ。
「と、とりあえず頭上げて。ね?」「あ、はい……焦りすぎてました……すいません」頑なに頭を下げ続けていた文の頭を何とか上げさせることに成功し、霊夢は安心したように胸を撫で下ろす。
霊夢は箒で肩をポンポンと叩きながら、
「で? 結局その案山子さんっていったい誰なのよ。どこぞの忍者漫画の上官か何か?」
「いえ、案山子さんは案山子さんです」
「だーかーらー。その案山子さんっていったい誰なのって聞いてんの」
「だーかーらー。案山子さんは案山子さんですって! それ以上でもそれ以下でもなく、完全無欠の案山子さんなんですって!」
「尚更分かんないわよ!」
求めている回答が返ってこないことに苛立ちを覚える霊夢さん。だが、それは文も同じなようで、文の顔には明らかな苛立ちが浮かんでいる。クールビューティでポーカーフェイスな文にしては珍しい、露骨な苛立ちだった。
そんな二人の様子を神社の軒下で眺めていた白黒魔法使い――
「おーい、霊夢ぅー。文の言ってる案山子ってのはあれだよ。人里近くの寂れた畑に何十年も立ち続けてる、妖怪案山子のことだよ。私も何度も見たことあるけど、あの案山子はずーっと畑の守護をしてるみたいだぜ。そうだろ、文?」
「あの人は妖怪ではありません! そして、付喪神でもありません!」
「はぁ? じゃあ一体何者なんだよ、あの案山子」
「私にもわかりません!」
「なんじゃそりゃ!」
至って真剣! という顔で言い放つ文に魔理沙は叫びという名のツッコミを入れる。
文の言動が読めないのはいつものことだが、流石に今日の文はいつもに比べておかしな点が多すぎる。いつもの彼女ならば少しばかりの説明はしてくれるはずだというのに、今の文は何か凄く焦っている。まるで急がないと何か大切なものを失ってしまうかのように、文は露骨に焦っているようだった。
故に、霊夢と魔理沙は首を傾げる。文と案山子が一体どういう関係なのかが分からない二人は、困惑の表情を浮かべたまま首を傾げる。――しかし、答えは出てこない。
そんな二人を見て、文は俯きがちに言葉を紡ぐ。
「あの人は、案山子さんは、ずっと独りで悲しんでるんです。ずっとあの畑の真ん中の棒の上で、来る日も来る日も悲しみ続けてるんです。自分の生き甲斐が無くなってしまったことを、自分を大切に想ってきてくれた人が死んでしまったことを――『彼』は二十年以上も悲しみ続けてるんです。私は、あんな案山子さんをもう見たくないっ!」
「二十年、かぁ……まぁ確かに、あの案山子は私が生まれる前からあそこに立ってたらしいしなぁ」
「ていうか、一人にしたくないなら、アンタが毎日のように行ってあげればいいんじゃない? 来る日も来る日もアンタが相手し続けてやりゃ、悲しみなんてぶっ飛ぶでしょ?」
「…………んですよ」
『え?』
「行ってるんですよ! 毎日! 二十年間! あの人のところに! 私は通い続けてるんです! ……でもっ、あの人は私を見てくれないんですっ……あの人は、案山子さんはっ、二十年前の過去にずっと囚われ続けてるんです!」
震える声で言葉を紡ぐ文の目から、大粒の涙が溢れ出した。
目から溢れて頬を伝って、その涙は神社の境内に黒い染みを作っていく。『彼』のことを二十年以上も元気づけようと努力してきた文の心は、ある意味では『彼』以上の悲しみに包みこまれていたのだ。
ついに膝から崩れ落ちた文は、顔を両手で覆って嗚咽交じりに泣きじゃくる。プライドの高い普段の文からはとても想像できないほどに、今の文はどこにでもいるような普通の女の子だった。妖怪とか人間とか関係なく、射命丸文は一人の女の子だった。
霊夢は文の目の前に屈みこみ、文の身体を優しく抱きしめる。
「……なんでアンタが泣いてんのよ」
「あの人が、ひっ、泣かないから……ぐすっ……私が代わりに……泣くんです……っ!」
「あ、そ。アンタって意外と、バカな女よね」
「う、っさいです……ツンデレ巫女の癖に……」
「随分と真正面から罵倒するわね、アンタ」
止まらない涙を必死に手で抑えながら、文は肩を震わせる。相変わらず一言多い文に「はぁぁ」と溜め息を吐き、霊夢は子供をあやす様に文の頭を優しく撫で始めた。髪の一本一本を指で掬い上げ、文を慰めるためだけに彼女の頭を撫でていく。
文の悲しみを取り除くためには、件の案山子の悲しみを取り除かなければならない。二十年という長い年月をかけて蓄積された悲しみを、すぐにでも取り除いてやる必要がある。
だが、そのためには何をするべきか。妖怪退治が専門である霊夢は、文を抱きしめながら必死に頭を働かせる。なんで私が妖怪の面倒なんか見なきゃなんないのよ、と愚痴を零すことも忘れない。
大切な人を失う悲しみを、霊夢は人一倍理解しているつもりだ。幼いころに母を亡くした霊夢は、大切な人を失った瞬間にどれだけの悲しみに襲われてしまうかを、この幻想郷で最も理解しているつもりだ。魔理沙も両親と絶縁状態だから、霊夢とは結構似た境遇なのかもしれない。
だが、霊夢はもう母親のことで悲しいとは思わない。
だって今の彼女には、大切な友達がたくさん存在するから。本音でぶつかり合えて一緒に酒を飲めて、弾幕ごっこで一緒に盛り上がれる――大切な仲間がいるから。
(……やっぱり、アレしかないか)ふと、霊夢の頭に閃光が走る。自分の経験を生かした考えの下に構成された策を完璧な形で練り上げた瞬間、霊夢はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
霊夢はすくっと立ち上がり、振り返ることなく魔理沙に声をかける。
「ねぇ、魔理沙。アンタ、地底に行ってからここに帰ってくるまで、どれぐらい時間かかる?」
「んぁ? 何だよ突然」
「いいから。質問にスマートに答えなさい」
「ンだよホントに……うーん、そうだなぁ。ただ行って帰って来るだけなら、マックススピードで半日ってとこじゃねえか?」
「分かったわ。――それじゃ、地底組は魔理沙が集めてね。あ、あと霖之助さんとアリスも忘れずに」
「……………………………………お前、まさか」
「ご名答っ♪ あ、それとついでに妖夢と早苗にも声かけてね。そうね……妖夢は命蓮寺組と仙人組担当で、早苗は妖怪の山と人里担当ってことで。紫の方はどうせ勝手に来るだろうから放っておくとして、私はちょっと野暮用で地獄に行ってくるわ。妖夢と早苗に断られても大丈夫。困った時にはこの写真を見せてやりなさい」
「はぁ? 写真ってお前……うわぁ」
そこに写っていたのは、『メイド服姿の妖夢』と『半裸でだらしなく熟睡している早苗』というなんとも恥ずかしすぎる光景だった。考えるまでも無い。大食い幽霊と守矢の二柱から貰った写真に違いない。有り得ないと思うかもしれないが、あの天然サディストたちならばやりかねない。
二人の自機の恥ずかしすぎる写真に顔を引き攣らせる魔理沙。そんな魔理沙を見て何か思い出したのか「あ、それとこの子にも頼んでね」と写真をもう一枚手渡してきた。
魔理沙は凄く嫌な予感に包まれながら、霊夢から渡された写真を見る。
『熟睡中のレミリアに覆いかぶさる十六夜咲夜』
「……………………過去最大級の恐怖が私を襲ってやがる!」
「んじゃ、咲夜は紅魔館と永遠亭担当ってことで」
「お前マジで悪魔だよ。レミリアとかフランとかよりも、相当極悪非道な悪魔だと思うぜ?」
「なに言ってんの。私は美麗な腋巫女よ」
「自分で腋とか言うな自分で」
「えと……霊夢、さん? 何をやろうとしてるんですか……?」
なにやら勝手に盛り上がり始めた霊夢と魔理沙を不思議に思ったのか、文は目を赤く腫らしたまま顔を上げる。涙目文ちゃんの圧倒的可愛さに『うっ!』と自機の二人はハートを射抜かれそうになるが、そこは自機としての根性で何とか耐え忍んだ。これが俗に云うギャップ萌えか!
こくん? と首を傾げる文に霊夢と魔理沙は悪戯心にあふれた笑顔を向けつつ、代表して霊夢が高らかに盛大に宣言するように言い放つ!
「大掛かりな宴会の準備に決まってんじゃない!」
幻想郷で、プラスな意味での異変が始まろうとしていた。
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次回もお楽しみに!