浴室という名の戦場で洗浄を終えた案山子と文は、新たな衣装と共に大空を飛翔していた。因みに、案山子は鴉天狗の正装を身に着けている。かつては文の父親が着ていたものらしく、サイズもちょうどよかったのでありがたくお借りすることにしたのだ。
豪華な着物風な衣装をはためかせながら――頬に拳の痕を刻み込まれている案山子は、ぶすーっとしながらも文に声をかける。
「お前、まだ怒ってんの?」
「怒ってません」
「いやでも、さっきから口尖らせてずっと俺のコト睨みつけてんじゃん」
「別に睨んでないし怒ってもいません。――どこで落とそうか考えてるだけです」
「怒る以上の殺害予告!」
ぎゃぁああああああッ! と悲鳴を上げる案山子に、文は小さく溜め息を吐く。
案山子を家に連れ込んだ時は、文にも少なからず疚しい気持ちはあった。それは認めよう。――だが、流石にあの展開は予想すらしていなかった。案山子にタオル剥ぎ取られて裸を見られてしまうなんて、誰が予想できただろうか、いやできない(反語)。
しかも、裸ということは、胸の先とか太腿の間の絶対領域の中身までもを見られてしまっているということに――――ッ!?
「オイ、どーしたんだよお前。顔真っ赤だぞ?」
「ふ、ふぅー! ふかー! べ、別ににゃんでもありません! 落としますよ!?」
「その脅し文句やめれ! お前マジで落としそーだから洒落になってねーんだよ!」
天狗の癖にどこか猫耳が生えたような状態で威嚇する文。どこぞの風祝がこれを見たら「猫耳キターッ!」と狂喜乱舞していたことだろう。後はメイド服さえ着ていれば完璧だ。
顔を真っ赤に染めながら、文はツーンと口を尖らせる。勝手な妄想で勝手にキレるというまさかの我が儘っぷりだが、それでも案山子が彼女に怒れないのは先ほどの行為に罪悪感を覚えているからか。
というか、そもそもの問題で――
(なんでコイツ、俺にこんなに絡んでくるんだろーか)
初めは確か、案山子の名前を知るためだとか言っていただろうか。本名不詳の案山子を記事にするために、案山子の情報を聞き出してみせる! とか言って彼女が張り切っていたのは、掠れた記憶の中に薄らと残っている。
だが、まさかそれが二十年以上も続くとは思いもしなかった。飽きたらどっか行くだろうとは思っていたが、まさかここまで絡みに絡んでくるとは。もはや腐れ縁とかいう言葉以上の縁があるのかもしれない。
そんなことを思いながら、ちらっと文の方に意識を向ける。
案山子の視線に気づいた文は「???」と可愛らしく首を傾げ、
「あやや? どうかしましたか、案山子さん? ついに私の美貌にメロメロですか?」
「一生言ってろこのバカラスが」
「迷いなく言いやがったこの案山子!」
ギャーギャー無駄に高いテンションで騒ぐ文に、自然と口元が緩んでしまう。
確か、二十年前も、こんな感じでのやり取りを楽しんでいたんだったっけ。無駄に絡んでくる文には凄まじく釣れない態度をとりながらも、実は内心、彼女とのやり取りを凄く楽しんでいたんだったっけ。
彼女を見ていると、自分を作ったあの人を思い出す。
彼女を見ていると、取り戻せない思い出が復活しそうな気がしてならない。
死んだ人は蘇らない。あの人の子孫もあの人の親も――そして、あの人自身も。
この幻想郷には幽霊とかいう種族がいるにはいるが、それはまた別のベクトルでの話だ。生粋の人間であったあの人たちが蘇ることなんて、この先金輪際ありえない。
だが、――いや、だからこそ、だろうか。
この射命丸文とか言う少女から、目が離せなくなってしまっているのは。
冷たくあしらわれても猟銃で脅されても完全に拒絶しても、彼女はずっと自分のことを気にかけてくれていた。ずっとずっとずっと長い間、射命丸文は本名不詳の名無しの案山子に――いや、案山子の為に、ずっとずっと絡んできてくれていた。
嬉しくなかった、と言えば嘘になるし、面倒くさかった、と言っても嘘になる。悲しみに暮れながらも心のどこかでは彼女の来訪を待ち望んでいたのは、流石に自分でも理解している。
理由があるみたいなことを先ほど言ったが、あれはただの建て前か強がりだ。
理由がないみたいなこと言っているが、これは単なる思い込みだ。
ああ、そうさ。自分でも分かってる。
清く正しい鴉天狗とか自称してはギャースカ騒ぎまくっているこのバカな少女に――
「何ニヨニヨしてるんですか、案山子さん? やっぱり私の美貌に心奪わ――」
「………………ハッ!」
「むっきゃーっ! そこまで露骨に小馬鹿にしなくてもいいじゃないですかー!」
――いつの間にか、惹かれてしまっていたってことぐらい。
☆☆☆
ギャースカ騒ぎながらの空の旅を終えた案山子と文は、無駄に時間をかけてやっとこさ博麗神社へとたどり着いていた。
神社の中はまるで縁日のように飾り付けられていて、宴会という名に恥じないぐらいの盛り上がりを見せている。というか、既に酒盛りが始まっているのは如何ほどのものだろうか。どんだけ酒好きなんだよこの妖怪たち。
梅の木の下で一気飲み対決をしている鬼コンビに苦笑を浮かべる案山子。鬼なんて生まれて初めて見たわけだが、噂と比べると凄く人間らしい性格をしているようだ。容姿もただの女性の様に見えるし、意外と怖くない存在なのかもしれない。
すると、横の方から不貞腐れたような声が聞こえてきた。
「……むー」
「…………なんで睨んでくんだよ……」
「ふんっ。別に何でもないですよーっ。…………私のことは見てくれないくせに」
「……え゛。そんなガキみてーな理由でキレてんの、お前?」
「ッッッツツツツツ!?」
図星を突かれたのが驚愕の現象だったのか、文の顔は凄まじいほどに赤く染まってしまっていた。今なら彼女の額で焼き肉ができるかもしれない。温度とか、ちょうど良さそうだし。
あわあわあわわ、と目を潤ませて狼狽える文に、案山子は思わず苦笑を浮かべる。聞かれてないとか思ってたのかよ、とツッコミながら手刀を落とすことも忘れない。
そんな案山子との何気ないやり取りに文はぷくーっと頬を膨らませるも、
「……まぁ、とりあえずは奢ってもらわないでもありません」
「え? 俺、金とか持ってねーけど?」
「…………………………………ヒモ」
「畑の案山子が金持ってるとか思ってたのかっつーか今のムカついたこのまま頬引き千切ってやる!」
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! ひゃ、ひゃめれくらはい!」
「…………頬引っ張られて笑うとか、お前どこまでマゾヒストなんだよ……」
「ひゃらっへふぁい!」
どこからどう聞いても呪文にしか聞こえない言葉を発しながらも、むいーんと頬を引っ張られたりむぎゅーっと押し付けられたりしている射命丸文さん。……なんか凄く楽しくなってきた。
むーいん、と頬を引っ張り、むぎゅーっ、と押し込み、むいーん、と頬を引っ張り、むぎゅーっ、と押し込み……――
「アンタら、こんな公衆の面前でイチャついて……なに、非リアのアタシに対する当てつけなの? バカなの死ぬの?」
『ッッツツツ!?』
――突如現れた姫海棠はたてによって、バッ! と距離をとった。
二人頬をひくつかせながら、はたての方を振り返る。
脱ニート宣言と共に社会復帰を果たしている文のライバル天狗ことはたてさんは、両手にリンゴ飴と焼き鳥を携え、頭にはどこぞの戦隊ヒーローものの仮面を装着し、更には鴉天狗の正装を見事に着こなしていた。よくよく見てみると、両手には無駄に大きな買い物袋が提げられている。……中から飛び出しているのは、どう考えてもオモチャの剣の様にしか見えないのだが。
文は頬を朱く染めたまま胸元をパタパタと仰ぎ、
「い、いきなり登場しないでくださいよ、はたて。こっちにも心の準備というものがありましてね」
「はぁ? なぁーんでアタシがアンタにそんな心遣いしてやらにゃーならないのよ。っつーかマジで無意識だったの、さっきのイチャイチャ? あーくそ、マジでリア充爆発しろ」
「祭りを超満喫している状態の今のあなただけには言われたくないですけどね」
「…………一緒に飲む相手もいないから、出店で楽しむしかないのよねー」
「あー……」
顔に深い影を落としながらどんよりと落ち込むはたてに、文はヒクヒクと頬を引き攣らせる。文から顔を逸らして鬱なオーラを放つはたてには、妙な哀愁が漂っていた。
文とはたてがきゃいきゃいと話し出してしまったため、いきなりアローンになってしまう案山子さん。来たことも無い神社の境内で一人放置、というのは何か情けなさすぎて泣けてくる。っつーかもうこれ、帰ってもいい?
だが、歩けない案山子は畑に戻ることはおろか、ここから離れることすらできない。やはり定期的に歩く練習をしておくべきだったか、と悔やんでしまうも今更遅すぎる。まぁ、案山子は動けないものなのだから、歩く練習なんて必要なかったんだし、今さら思うことでもないような気がするのだが。
案山子置いてけぼりで会話をヒートアップさせていく鴉天狗コンビ。いつの間にか話題は『最近の幻想郷の最新情報』とかいう如何にもな記者ネタにまで移行していて、案山子が会話に割り込める次元を優に超えていた。無理やり連れてきておいて放置プレイですかそーですか、と彼にしては珍しく不貞腐れたように口を尖らせる。
――と。
「鴉天狗に相手にしてもらえなくて不貞腐れ中、という感じに見えますわね」
「っ――――――超お久し振りっすね、八雲様」
何の前触れもなく背後に現れたムラサキ妖怪に、案山子は静かに言葉を返す。――そんな彼の表情は、紫に恐れを抱いているかのようだった。
それもそのはず。
八雲紫という妖怪にかかれば、案山子一体の命ぐらい、好きに消し飛ばせてしまうのだから。
警戒心剥き出しで顔を顰める案山子に紫は上品な微笑みを向けつつ、
「別に取って食ったりはしませんわ。貴方とはこの幻想郷では珍しいぐらいに旧知の仲なのですから、これからも仲良くしていこうじゃありませんか」
「旧知の仲、ねぇ。ただ単に昔会ったことがある、とか、『あの人』にやけに絡んでいた、ぐらいの接点しかないと思うんすけど?」
「それでも一応は知り合いと呼べるのでは?」
ニッコリとしながらも奥が知れない紫に、案山子は「チッ」と舌打ちする。
あえて言うまでもないかもしれないが、案山子は八雲紫という妖怪を苦手としている。全てを悟ったような存在のこのスキマ妖怪は、事実上、案山子の天敵と言っても過言ではないぐらいの立ち位置に存在している。――云わば、上位的な絶対存在。
妖怪に序列があるのならば、この八雲紫は完全無欠に最上位だろう。全てを支配して全てを見捨てられるほどの能力を持つこの妖怪ならば、世界を牛耳ることすら問題ではないのだろうから。
だが、彼女はそれをしない。
面倒くさいし面白くないから、という理由で。
だがまぁ、そんな怠惰精神のおかげで今の幻想郷があるのだとするならば、そんな彼女に感謝すらこそすれ警戒心を剥き出しにするのはどこか間違っているような気がしないでもない。
はぁぁ、と溜め息を吐き、面倒くさそうに頭を掻く。無造作な白髪が、波のように激しく揺れた。
そんな、如何にも『今の状況を好ましく思っていません』という感情を全力でアピールしている案山子に呆れつつも、紫はパシッと彼の腕を掴む。
案山子は驚愕するように目を見開くが、そんな彼の鼻先に紫は優しく指を添える。
そして妖艶な笑いを浮かべ――
「貴方が今、一番会いたい人に会わせてあげるかわりに――私に静かについて来なさい」
――文が気づいた時には、案山子の姿は忽然と消えていた。
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