「──とは言ったものの、結局なにもわからなかったんですよね。青葉がなにを見て、なにを想っているのか……」
「そんなこと、簡単にわかるわけないじゃないですか」
机に突っ伏し、うなだれる情けない俺を見て、鳳翔さんは微笑した。
気が抜けてしまうのか、この人の前だと俺はいつも以上に腑抜けている気がする。
いやいつもこれ以上ないくらい腑抜けているだろ、とか言うのはぜひやめてほしい。
「本当に俺は、この鎮守府に必要な存在なんでしょうか?」
「……提督。あまりしつこいと、私だって怒ってしまいますよ?」
にっこりと笑ったままそう言った鳳翔さんを見て、背中に冷たい汗が流れた。
この人を怒らせたらだめだと、もしかすると加賀や赤城とは比べ物にならないくらい怖い人なのかもしれないと、なぜだかそんなことを思った。
いやだって、目が笑っていない……。
「す、すみません……」
「……提督は必要です。絶対にいなきゃならない存在です」
「鳳翔さん……」
まっすぐに俺を見つめるこの瞳は、どんな言葉よりも、一直線に俺の心まで届く。
かわいくて綺麗で、強くて優しい瞳。
……まるでずっと昔から知っているような、あたたかくて懐かしい気分になる。
「でも俺は弱くて、ひとりじゃなんにもできないから……」
「私がついています」
「迷惑ばかりかけて、なにひとつ返せるものもなくて……」
「提督には、たくさんのものを貰いましたよ」
桜の蕾が花ひらくような、名状し難いそんな笑顔で、彼女は即答した。
それはとても綺麗で、つい見惚れてしまう。それと同時に、なぜか胸の奥がチクチクと痛み出す。
「おかしいですよ。俺はなにもしていない……」
「貰いましたよ。それはもう、返しきれないほどに」
「いや、本当になにも……」
「さあ! そろそろ片づけますので、提督も部屋に戻ってゆっくり休んでください」
俺の言葉を遮り、鳳翔さんは机の上に並べられた空の酒瓶を片づけ始めた。
なんだか話すタイミングを見失ってしまい、もう諦めて自室に戻る以外の選択肢はなくなってしまう。
あれは一体どういう意味だったのだろうか。
疑問は晴れないまま、俺は眠りについた。
× × ×
「提督、いつまで寝てるつもりなのさ?」
優しく身体を揺り起こされ、ぼんやりと重たい瞼を開ける。
目の前には秘書艦である時雨のかわいらしい顔があり、寝起きで上手く働かない頭でも、時雨はどんなときもかわいいことだけはわかった。
「時雨……。今、何時……?」
「もうお昼だよ。お寝坊さんだね、提督は」
「うそだろ……。あと5時間は寝ていたい……」
「さ、早く起きて。お昼ご飯食べに行こうよ」
言って時雨は掛け布団を引き剥がすと、俺の両腕をとって無理やり上体を起こさせた。
もう春だというのに、今日はとても寒かった。
暖房をつけて寝ると喉が乾燥してしまうのでつけずに寝ているから、吐いた息が白く凍りつくくらいには、部屋の温度は低い。
「きゃー、時雨さんのえっちー」
「バカなこと言ってないで、早く行くよ」
カチカチと歯と身体を震わせながら言った俺に対し、時雨はため息ごと吐き捨てるように言った。
この部屋と同じくらい冷たい反応だ。
「……すぐ準備するから、外で待っててくれ」
いったん部屋の外に出てもらい、着替えを済ませてから俺も部屋をあとにした。
廊下は部屋よりももっと冷たくて、部屋から一歩踏み出したのと同時に引き返そうとしたのだが、時雨に手を握られてしまい阻止される。
目を細めて抗議の意を送ってみるが、なぜかふんすとドヤ顔で返された。
手を繋いだまま洗面所へと向かい、顔を洗って歯を磨いてから食堂へと向かった。
一度離した手を、もう一度繋がれて。
「げっ……」
ちなみに今日は執務も遠征もなしで、完全休息日なわけだが……珍しいことに加賀と赤城がそこにいた。
「あの、赤城さん? 露骨に嫌そうな
「赤城さんに馴れ馴れしく話しかけないでくれますか?」
鋭く睨みつけ、威嚇するように言ってきたのはスカした一航戦の青い方。
まったく上官に対する態度ではないのだが、上官らしいことはなにひとつしていないので、ならそれも仕方ないと小さく息を吐いた。
「提督に対する侮辱はいくら加賀さんでも見逃せないよ」
「いいよ時雨。認めてもらえるほどのことを俺はまだしていない」
「でも……」
ふたりの間に割って入り、宥めるように頭を撫で、一歩うしろへ下がらせた。
俺の背後からまだ毛を逆立てて威嚇するように牙を剥き出しにしている時雨に笑顔を向け、軽く窘める。
「俺が原因で時雨たちが争うところなんて見たくない。わかってくれるだろ?」
「……うん。わかったよ」
しゅんと俯いて、「ごめんなさい」と小さくこぼした時雨に微笑で返す。
そういう素直な時雨きゅんが、好きなんだよなあ。
「まあそういうわけなんで、俺たちも一緒に食べさせてもらっていいかな?」
「どういうわけですか。冗談は顔だけにしてください」
「ははは……。俺の顔ってそんなにひ、ひどいかな……?」
加賀の毒舌はほんと精神的にくるんだよなあ。
ほんと、気の弱いやつならもうとっくに荷物まとめて田舎に帰ってるまであるぞ。
「提督は格好いいよ!」
「時雨きゅん……!」
「鏡を見たことがないんですか? 己の醜さを知らないなんて可哀想な人」
いや気が弱くなくても田舎に帰るまであったわ。この子本当に俺のことが嫌いなんだな。
そんなひどいこと普通面と向かって言えないだろ。僕君の上官なんだけど、泣いちゃうよ? いいのか?
大の大人が食堂のど真ん中で泣いちゃってもいいのかよ、本当に。後悔するぞ?
「あの、加賀さん……」
「……」
話しかけないで、と加賀の鋭い瞳が物語っている。
しかしこんなことで挫ける俺ではない。
「どうして俺のことを嫌うのか訊いてもいいかな?」
「べつに……理由なんてありません」
「そんなことはないだろう?」
「そんなことがないと思うのなら、自分の胸に手を当てて考えてみては?」
「加賀さん、少し落ち着いて」
苛立ちを隠しきれない加賀を、見かねた赤城が窘める。
クール気取りだった彼女が、柄にもなく冷静ではないように見える。
「……あなたは、初めて私と会ったときのことを覚えているかしら」
唐突な質問に、面食らってしまった。
初めて会ったのは、つい最近のことのはずだ。
しかも、忘れようにも忘れられるはずがないくらい、強烈な挨拶をもらった。
「……ああ、もちろん覚えているよ。いきなり弓を突きつけられたからな」
「……やっぱりそれが、初めてだとそう思っているのね」
「やめなさい、加賀さん」
彼女は、今までと違って本気で怒っている気がした。
たしかに今までも充分に怒っていたが、今度のソレはまったくと言っていいほど別物で、その怒りは俺だけに向けられているわけじゃないような、どことなくそんな気がした。
「もう私たちには構わないで頂けますか?」
静かに言った赤城の声は冷たく、何者も決して寄せつけないような凄みがあった。
一体どれだけの傷を負えば、そんなに冷たい声が出せるのだろうか。
「……教えてくれよ。なんでそうやって、肝心なところではぐらかそうとするんだよ」
きっと、俺も少し苛立っていた。
このふたりはたぶん、核心に迫るなにかを知っている。
「あなたに話してもどうにもならないことだからよ」
「そんなの聞いてみなきゃわかんないだろ」
「さっきので充分わかりました。これ以上は時間の無駄よ」
言って加賀は赤城に目配せをして、くるりとこちらに背を向けた。
「……さっさとこの鎮守府から出て行ってください。……それから、あなたが二度とこの仕事に関わらないよう、心から願っています」
「私も加賀さんと同じ気持ちです。どうか早々に、身を引いてください」
そう言い残して、ふたりは去って行った。
言葉が出てこなかった。
なにを言うべきなのか、なにを言いたかったのか、それすらもわからずにただ立ち尽くすだけで。
赤城と加賀のうしろ姿をだまって見送ったその横で、時雨が心配そうに俺を見上げていた。
「──なに食べる?」
「……提督と同じものにするよ」
努めて明るく問いかけると、少し戸惑ってから時雨は笑顔で答えた。
また、心配をかけてしまった。気をつかわせてしまった。
どこまでも情けない俺は、この小さな艦を困らせてばかりいる。
「時雨は優しいな」
ふいに、思ったことが口をついて出た。
鳳翔さんだけじゃない。時雨もいてくれたから、俺はここから逃げ出さずに踏ん張っていられるのだ。
「なにさ、急に」
「──俺を執務室から連れ出してくれて、食堂までついてきてくれて。秘書艦になってくれて、傍で俺を支えてくれて」
時雨の手をとり、きゅっと握った。
彼女は赤面しながら、目を丸くして慌てている。
「本当に嬉しかったんだ。……時雨はずっと、俺の傍にいてくれるか?」
「──……いいの、そんなこと言って。離してくれって言われても、離せなくなっちゃうよ?」
彼女は俺の手を握り返して、潤んだ瞳でゆっくりとこちらを見上げた。
「俺の方から頼んでるんだよ。君みたいな優秀な部下を、手放したくない」
「……」
そう答えると、なぜだか彼女はじとりと目を細めて、繋いだ手を離した。
おかしいな。なにか怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。
まさか、ちょっと手汗かいてたのが気持ち悪かったとかそういうことだろうか。
「クソボケ……」
「え、時雨きゅん?」
「提督みたいな人を、クソボケって言うらしいよ」
それだけ言って、時雨は鳳翔さんのもとへと向かった。
俺と同じものにすると言っていたはずなのに、時雨は俺がなにを食べるのかも聞かずにすでにカレーライスを頼んでいた。
慌てて彼女のあとを追いかけ、俺も同じものを頼む。
その後も彼女は俺と目もあわせてくれず、口もきいてくれなかった。
心なしか、時雨のカレーと比べて俺のカレーはルーも少なく、具材も少なかったような気がする。
それから、なぜだか鳳翔さんも俺と目をあわせてはくれなかった。
「ええと、時雨……」
正面の席に腰を下ろして、つんとそっぽを向いたまま、時雨はやはり一言も話してはくれなかった。
俺、またなにかやっちゃいましたかね?