× × ×
「……とく」
──どこか遠くで、俺を呼ぶ声が聞こえる。
とても懐かしくて、でもいつも傍で聞いている声だ。
「……ていとく。提督」
「……鳳翔……さん?」
「ふふ。やっと起きましたか」
俺の顔を覗き込み、口もとに手を当ててやわらかく微笑した彼女が、既視感のように胸をざわつかせ、締めつけてくる。
目の前にいるはずなのに、まるで一度失ってしまったかのような、不思議な感覚があった。
「ここは……?」
「まだ寝ぼけているのですか?」
意識がはっきりとしない中、後頭部にたしかに伝わる熱とやわらかさを感じた。
これは……もしかしなくても鳳翔さんの膝枕!?
「す、すみません! 俺……っ」
「あっ……」
慌てて飛び起きた俺に、鳳翔さんは少し不服そうな表情を浮かべる。
え、なにその顔。どういう感情?
「わざわざ起き上がることないのに……」
頬を膨らませ、つんとそっぽを向いて小さな声で呟いた鳳翔さんの言葉に、耳が熱くなるのを感じた。
この人は平気でそんなことを言う。
そういう態度はよろしくないと思うんだよな。ほら、勘違いしちゃったらどうするんですかって話であってですね。
俺が勘違いして告白してしまったら責任をとってくれるのだろうか。いや、絶対フラれるだろ。
「鳳翔さん、あまりこの人を甘やかしてはだめですよ」
いつの間に俺の背後に立っていたのか、その声は呆れるほどに不機嫌で、つい笑ってしまいそうになる。
「ならお前が俺を甘やかしてくれよ」
「……バカなことを言わないで」
「あら、加賀さんったらこんなに顔を真っ赤にして」
隣にいた赤城が、茶化すように加賀の顔を覗き込んで微笑した。
加賀は熱でもあるんじゃないかと思うくらいに頬を真っ赤に染めて俯いている。
「あ、赤城さん……」
暖かい陽の光に包まれて、俺と鳳翔さんと、赤城は笑った。
加賀は恨めしそうに俺と赤城を交互に睨めつけて、でもすぐに同じようにふきだした。
──こんな穏やかな時間がいつまでも続けばいいのに……なんて最大級のフラグを立てると、それを回収せんとばかりにやつは勢いをつけてやってきた。
「テーーートクゥーーーー!!」
「ゔぇっ!」
そいつは俺の腹を目掛けて全力で飛びついてくる。
まるでハンマーで殴られたのかってくらいの衝撃に襲われて、俺はその場に倒れ込んだ。
「金剛お前……それやめろっていつも言ってるだろ!」
「テートク! テートク! テートクゥ!」
そんな俺にはお構いなしで、上半身を起こした俺の腰に手を回し、ぐりぐりと胸もとに頭を押しつけ頬ずりをしてくる金剛の頭を片手で掴み引き剥がそうと試みるが──
「ビクともしねえ……」
この馬鹿力、一体何万馬力あるんだよ。
ていうか金剛もだまってれば美人、喋ると超かわいいわけなのでね、あんまりそういうことしないでほしい。
ほら、俺も男だから。
あといい匂いするし、ぜひやめてほしい。
「この、離れろ金剛……」
「あぁん、テイトクはいけずネ」
「バカ! 加賀が妬くだろ」
「は? 妬いてません。適当なことを言わないでください」
「加賀は向こうに行っててクダサイ。テイトクはワタシのものデース」
「へえ、いつ誰がそんなことを決めたのかしら? まあべつに提督が誰のものになろうと私には関係ないのだけれどこう見えて提督は意外と忙しいの。提督の邪魔をするのはやめて」
「めっちゃ早口だな……」
金剛に押さえつけられて身動きのとれない俺を冷めた目で見下ろしながら、加賀は淡々と言葉を繋げる。
表情こそ微動だにしないのだが、声はかなり冷たかった。
「なになに、修羅場ですか!?」
「お、お姉さま……」
あとからやって来た青葉は目をきらきらと輝かせ、ぱしゃりと俺たちの写真を撮り、榛名はどうしていいのかわからずにおろおろと困り果てている。
「ふたりとも、それくらいにして提督を離してあげてください」
そんな状況を見兼ねて、ようやく窘めるように鳳翔さんが口を開いた。
苦笑を浮かべながら、けれどなんとなく、この状況を一番楽しんでいるのではないかと、そんなふうに見えた。
「それと、ふふっ。……提督は私のものですよ?」
「ほ、鳳翔さん!?」
「……いくら鳳翔さんでも、ここは譲れません」
「へー、面白いこと言うデスネ」
「なるほど、だまって見ているつもりでしたが、そういうことなら私も参加させてもらいますよ」
加賀と金剛の目がマジになっている、ような気がする。
あと、赤城まで出てくると事態が収拾つかなくなってしまうから、頼むから座っててくれ。
「バカ。お前までなに言ってんだ……。加賀をとめてくれよ」
「は、榛名も! がんばります!」
「いいネタになると思いましたが、青葉もだまって見ているわけにはいきませんね」
いや、全員目がマジなような気がするな。
俺はハーレムものの主人公はあまり好きではないのだが、ただ実際に体験してみるとまあ悪くないとは思う。
けどちょっとだけ怖いかもしれないな。めちゃくちゃ火花飛び散ってるようにも見えるし。
「みんな落ち着けって……」
「「「「提督(テイトク)はだまっててください」」」」
「ええ……」
× × ×
「いつまで寝ているのかしら?」
ゆっくりと頬を撫でられる感覚がして、そのくすぐったさに俺の意識は無理やり現実へと引き戻された。
腹の上には少し重さがあり、ぼやけた視界には俺の上に跨って見下ろしてくる少女の姿が映っている。
「荒潮……か」
「そうよぉ〜。早く起きないと、目覚めのキスを……」
うふふ、と笑ってウインクをしてくる荒潮が少し色っぽくて、言葉に詰まってしまった。
この駆逐艦らしからぬ色気は一体どこから出ているのだろうか。
いやまあ、大人になりたがっている健気な少女のようにも見えてかわいらしいなあとも思うわけだが。
「起きたから、キスはやめてくれ」
「あらあら〜」
依然荒潮は俺に跨ったまま、にやりと嬉しそうに笑った。
「私とキス、したくないのかしら?」
「したいです」
いいからどいてくれ。俺は大人なんだから、時と場合をわきまえているし──あれ? 心の声と実際の言葉が今、真逆だった気がするのだが気のせいだろうか。
「あらぁ〜!」
荒潮はとても嬉しそうにしている。
やっぱり逆だったらしい。
いやまあ、べつに俺から誘ったわけではないのだから、とくに咎められることでもないのではなかろうか。
逆に、いたいけな少女のお誘いを断る方が、不粋まである。
「……いい加減にしてくれないかな」
と、心の中で言い訳を並べ立てていたのだが、そんな様子を隣で見ていた時雨は怒りを抑えているのか、声が若干震えている。
心なしか俺を見る目も少しだけ、いやかなり冷たい気がするのだが、気のせいだと思いたい。
「あらぁ? ヤキモチかしら?」
「提督が困っているじゃないか」
「時雨には関係ないじゃない」
「関係あるさ。僕は提督の秘書艦だからね」
「家政婦の間違いなんじゃないの?」
今日も今日とて、朝っぱらからバチバチと火花を散らすふたりにため息が出る。
いつかこのふたりが手を取り合う日は来るのだろうか……。
「頼むから仲良くしてくれよ」
──とりあえずふたりを部屋から追い出し、身支度を整えてから食堂へと向かった。
のだが、なんとまあ、そこでまたしても一航戦のふたりと出会ってしまった。
昨日の今日で気まずさはあるが、ひくわけにはいかない。
「おはよう」
などと笑顔で挨拶をしてみるが、当然のごとくふたりともこちらには目もくれない。
「加賀さん、昨日は……」
「気安く話しかけないでと何度も言ったでしょう」
いつにも増して冷たい態度に、自然と苦笑してしまう。
「……君は、どうすれば俺と向き合ってくれるのかな?」
「────ッ!」
その一言に、加賀はガタッと大きな物音をたてて立ち上がった。
鋭くこちらを睨めつけた加賀の表情に、ズキズキと胸が痛くなる。
どうして、こんなにも苦しくなるのだろうか。
「向き合っていないのは……、……あなたの方じゃない!」
「加賀さん!」
「……言ったじゃないですか。なにがあっても忘れないって……。たとえ死んでもっ……」
「やめなさい! 加賀さん!」
それは周りのもの全てを凍てつかせる様な声音だった。
空気が震えている。
赤城の鋭い視線に、この場の誰ひとりとして声が出せなかった。
たったひとりを除いて……。
「──とりあえず、みなさんお茶でも飲んで落ち着いてください」
凍りついた空間を溶かすように微笑した鳳翔さんのおかげで、場の空気は少しずつゆるんでいく。
鳳翔さんはみんなの前に用意してくれたお茶を並べ、「どうぞ」と赤城と加賀の方へ目を向けた。
「申し訳ありません……。取り乱してしまいました」
そんな鳳翔さんから目を逸らし、俺に向けてぺこりと頭を下げた加賀は、少しだけ不服そうにしている。
「いや、俺が無神経なことを言ってしまったせいだ。すまない……」
「あなたに、謝られたくなんてありません」
どこまでも寂しそうなその瞳は、一体今までどんなものを見てきたのだろうか。
もう、俺が原因なのはわかっている。
わかっているのに……どうしてなにも言えないのだろうか。
どうして俺は、なにひとつ覚えていないのだろうか。
「……」
きっと今すぐにでもこの場を去りたいはずなのだろうが、赤城と加賀は鳳翔さんが淹れてくれたお茶を残すわけにはいかないと思っているのだろうか。
こちらには目もくれず、ちびちびと熱いお茶を啜っている。
「……俺は、君たちと向き合いたいよ、加賀さん、赤城さん」
ひとりごちるように、それでもたしかに、ふたりに向けて言葉を繋げた。
「いくら君たちが俺に冷たい態度をとっても、それでも君たちのことを嫌いになれないんだ。……その理由を、君たちは知っているんじゃないか?」
彼女らは、なにも答えてはくれない。
目をあわせることもしてくれない。
赤城はまるで仮面でもかぶっているのかと錯覚するほどに、表情が変わらない。
ただ、加賀の方はほんの少しだけ、揺れ動いているようにも見えた。
「もしかしたら俺たちは──」
「行きますよ、加賀さん」
俺の言葉を遮って立ち上がった赤城は、相変わらず俺の方を見ることもなく、加賀が最後のひと口を飲み終えるのをだまって待っていた。
やがて加賀の方もお茶を飲み終えると、なにも言わずなにも見ず、だまって立ち上がった。
「加賀さん、赤城さん」
ふたりを呼び止めたけれど、彼女らは立ちどまることなく、振り返ることなくその場をあとにした。
残された俺を心配そうに見つめる時雨と荒潮に苦笑を返して、俺も少しぬるくなったお茶を呷った。
ふたりの背中をだまって見つめている鳳翔さんの表情は、見えなかった。