提督を失ったあの日から、私たちの笑顔も消えてしまった。
多くの子たちがこの鎮守府を去り、私と赤城さんと鳳翔さん、それから金剛と榛名、青葉だけが残った。
金剛と榛名は、誰よりも提督のことを愛していたのかもしれない。
……その分ショックも大きかったのかもしれない。
日に日に口数が減り、いつしか提督のことを思い出すことすらしなくなっていた。
──私たちの鎮守府は完全に見捨てられ、新しい提督が着任することもなかった。
ボロボロになった鎮守府も自らの手で修復し、体に染み付いた日常をただ繰り返すだけ。
いつしか私たちの鎮守府は、戦えなくなった艦娘をもしものときのために保管しておくだけの、小さな倉庫と成り果てていた。
最初に時雨がやってきて、荒潮、五航戦と送られてきた。
そして長い、気が遠くなるような年月を経て、私たちの時間はあの日からとまったまま……信じられない出会いがあった。
それはまるで夢物語のような、奇跡のような出会いだった。
──私たちの鎮守府に、ようやく新しい提督が着任すると、そんな情報が送られてきた。
今さら──そんな思いをのみ込んで、解体されるよりかは幾分かマシかと自分に言い聞かせた。
新しい提督とやらが着任する日に、私は街へと出かけた。
その男がどんな男なのか、この目で見極めておきたかったから。
しかし駅前で待てども彼は姿を見せず、誤情報だったのかと私は諦めて帰ることにした。
どうせ、誰が着任しようとなにも変わらないのだから。
「あの、ちょっといいですか?」
そうして歩き出した私の背中に声がかけられた。
「──……」
忘れもしない。忘れられるはずがない。
幾度となく思い出して、幾度となく後悔を重ねてきた。
けれどあの日から、涙を落とすことだけはできなかった。
私が彼をあの燃え盛る炎の中へと送り込んだのに、その私が……どのツラ下げて涙を落とせるというのか。
私は泣いてはいけない。私だけは──前を向いてはいけない。
ずっと、自分に言い聞かせてきた。
「てい……とく……」
なのに……とめどなくあふれ出す涙が、抑えられなかった。
──またこの世に生を受け、また……同じ道を目指したの?
夢半ばにこの世を去ったのに……どうして、同じ道をたどろうとするの?
あなたはきっと……
「どうして……」
気づけば、私はその場から走り去っていた。
きっとこれ以上あなたを見ていると、あなたの声を聞いていると、涙だけでなくあふれ出す感情までもが抑えきれなくなってしまうから。
逃げるように、私は走った。
──心臓が痛い。
胸が張り裂けそうなほどに、痛みで表情が歪むほどに。
それでも私の足はとまらなかった。
苦しくて息ができなくても。
視界が滲んで前が見えなくても。下駄の鼻緒が切れて、転んでも。
私は鎮守府までの道のりを、ただひたすら走った。
「──赤城さん!」
ノックもせずに部屋の扉を開けた。
息を切らせて、涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔で。
窓際に立ち外を眺めていた赤城さんは、そんな私を見て目を丸くしていた。
私はそんな彼女の胸もとに飛び込んで、ぎゅっと強く腕をまわした。
「……こんな加賀さんを見たのは、初めてかもしれませんね」
赤城さんはなにも聞かず、ただ優しく私を抱きしめて、何度も背中を撫でてくれた。
「……提督が……、……提督に、会いました……」
「──……」
赤城さんの胸もとに顔をうずめているから、彼女の表情は窺えなかった。
けれど、私がそう言った瞬間から、とくとくと脈打っていた彼女の鼓動は、どくどくと次第に速くなっていった。
「見間違い……いえ、あなたが提督を見間違うはずがありませんね」
にわかには信じがたい、夢物語のような、奇跡のような話。
そんなものを、赤城さんは微塵も疑うことなく信じてくれた。
「……私たち艦娘も、人と同じですよ。泣きたいときに泣かなくては、いつか心は壊れてしまいます」
嗚咽をもらして、泣きじゃくる私の背中をあやすように優しく叩いて、赤城さんは言葉を繋げた。
その声はあたたかくて、でも……どこか寂しそうだったような気もする。
「もう、我慢しなくていいんですよ」
……あの日からとまったままだった私の時間が、再び動き出す音がした。
自分でも驚くほどに、声を上げて泣いていた。
あのとき私が提督をとめていれば……。あのとき私が鳳翔さんと一緒にいれば……。あのとき私にもっと力があれば……。
────あの日からずっと、後悔だけが残っていた。
何度も、何度も。執務室に飾られたあなたの写真の前で、何度も謝罪の言葉をもらした。
後悔しない日なんて、一日だってなかった。
「赤城さん……」
ひとしきり泣いて、ようやく顔をあげた私は、真っ赤に腫らした目で赤城さんを見上げた。
彼女はふっと笑って、私の頭をぽんと優しく撫でた。
「それで、加賀さんはどうしたいのですか?」
私が言おうとしていたことを、彼女は察していた。
聞かなくてもわかるとでも言わんばかりに微笑して、私の頬にそっと手を添えると、親指で私の涙を拭った。
「……私は、もう二度と提督を失うわけにはいかない……。どんな手を使っても、必ずこの戦場から身をひかせてみせるわ」
「きっと、嫌われますよ」
「心配いらないわ。だって私が、提督を愛していますから」
「……」
胸を張って、得意げにそう答えると、赤城さんは一瞬言葉を詰まらせた。
けれどすぐに破顔して、くすくすと可笑しそうに笑い出した。
そんな彼女を見て、私も手で口もとを押さえて笑った。
嫌われるくらい、なんの問題もない。
私にとって一番つらいことは、提督の幸せが奪われてしまうことだから。
今度こそ、私があなたを守ってみせるわ。
〝あの……これから、よろしくね? 加賀さん〟。
〝これからなんて必要ないわ〟。
「加賀さん! 提督に弓を向けるのはいくらなんでもやりすぎです! 危ないじゃないですか」
「あ、あれは反省しているわ。でも赤城さんこそ苦虫を噛み潰したような顔を向けていたけれど、大丈夫ですか?」
「……? なにか問題が?」
「提督にかわいくないと思われたんじゃないですか?」
「んなっ……!」
何度も何度も、嫌われて、呆れられて、見捨てられてもおかしくないほどにあなたを傷つけた。
それでもやっぱりあなたは諦めてくれなかった。
今まで自分を見せなかった子たちが、あなたのその優しさに触れて……あなたを支えてしまうから。
〝……あなたは、初めて私と会ったときのことを覚えているかしら〟。
そんなことを訊いて、一体どうするつもりなのか。自分の浅ましさに嫌気がさす。
あなたの悲しそうな
〝……ああ、もちろん覚えているよ。いきなり弓を突きつけられたからな〟。
〝……やっぱりそれが、初めてだとそう思っているのね〟。
嫌われても構わないと。彼を守ることが私にできる唯一の償いだと、そう覚悟を決めたはずなのに。
ずっと、ここにいてほしい……。本当はそう願っていた。
あの日の傷を、あの日の後悔を……簡単に忘れてしまいそうになるくらい、あなたのことが愛おしかった。
思い出してほしい。ずっと、傍にいてほしい。
あの日果たされなかった約束を──また、契りなおしてほしい。
〝向き合っていないのは……、……あなたの方じゃない!〟。
一度あふれ出してしまうと……もう自分の意思では抑えられなかった。
だから、早く諦めてここを去ってほしかった。
〝……言ったじゃないですか。なにがあっても忘れないって……。たとえ死んでもっ……〟。
あなたがいると、どうしても幸せを求めてしまうから。
〝バカなことだと君はそう思うかもしれないけれど。俺はね、加賀さん。この戦争を終わらせて、
たとえ命を失おうとも、時を超えて、結局彼は同じ道をたどってしまう。
私がなにをどうしたって、彼はとまらない。
あのときと同じで、私に彼はとめられない。
〝そこにはもちろん、君もいなくちゃならない〟。
ごめんなさい、赤城さん……。
──ごめんなさい、提督。
私はやっぱり────傍で彼の笑顔を見ていたい。