× × ×
「それが、俺と君の記憶だったのか」
鳳翔さんを懐かしく感じたのも、赤城と加賀にどれだけひどい態度をとられても、嫌いになれなかったどころか、もっとふたりのことを知りたいと思ったのも……間違いじゃなかったんだ。
「……そうか。ありがとう。嬉しいよ、話してくれて……。でも、やっぱり思い出せないよ」
「前世の記憶を持っている人なんていないのだから、あなたのせいではありません」
淡々と、当然のことだと加賀は言ったが、その表情はやはり寂しさを隠しきれてはいなかった。
愛していた人に置いていかれるのは、どれほど苦しかっただろうか。
愛していた人が自分のことをなにも覚えていないのは、どれほど悲しいだろうか。
愛していた人を自らの手で傷つけるのは、どれほど胸が痛かっただろうか。
「……ひとつだけ、頼んでもいいか?」
「……?」
ことりと首を傾げて、加賀は言葉の続きを待っている。
そんな彼女に、ゆっくりと、手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた。
「君を、抱きしめさせてほしい」
「──……」
彼女は大きな目を丸くして、その目にあふれんばかりの涙を浮かべた。
そしてゆっくりと、こくりと頷いて応えた彼女を抱き寄せて、力一杯抱きしめた。
「……ごめんな。ずっと待たせてたんだよな……ずっと、つらい想いをさせてたんだよな……。ずっと……俺のことを想い続けていてくれて、ありがとう……」
「……てい……とく…………ッ」
声を震わせて、大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら、彼女は俺を何度も呼んだ。
本当に、つらかっただろう。耐えがたい痛みを、ずっとこらえていたんだろう。
俺が彼女の立場なら、きっと耐えられなかったと思う。
「ごめん、加賀さん……、……──加賀」
「ていとく……」
きゅっと、俺の背中にまわした両手で彼女は服を掴んだ。
その手は縋りつくようにか細くて、でももう二度と離したりしないと、そう言っているようだった。
「ごめんな……加賀……」
俺の肩にいくつも落ちる彼女の涙も、ぴったりとくっついている彼女の体温も、俺をずっと想い続けていてくれた彼女の心も、そのすべてがあたたかい。
最初から、冷たくなんてなかった。
彼女のすべての言動が、俺への愛情だったのだから。
──お前の声が聞こえたから……こんなにもあたたかい。
「もう……どこにも行かないで……提督」
「ああ。今度こそ……約束だ」
もう二度と、彼女との約束を破ったりなんてしない。
「もう二度と、悲しませないと誓うよ」
言って、彼女の両肩に手を置いてそっと引き離し、こちらを見上げる彼女に小指を差し出した。
「うそついたら、どうしますか?」
「針千本でも、なんでもどうぞ」
「では──」
彼女は不意に俺の小指をきゅっと握りしめて、自分の方へと引き寄せた。
そのせいで少し前屈みになった俺の唇と、かかとを少し上げた彼女の唇が、そっと触れ合った。
「──……」
「うそついたら、私の艦載機を1000機飲ませます」
得意げに、ふっと笑った彼女に、返す言葉はすぐには出てこなかった。
ええと、たしか指切りするつもりで小指を差し出して、ええとそれから──
「……加賀!? なにしてくれてんの!?」
「なんですか、不服ですか?」
と、問いかけてくる加賀の方がよっぽど不服そうで、じとりと目を細めて睨めつけてくる。
いやなんで俺が悪いみたいになってるんだ。
「不服とかじゃなくて、そういうのはですね、もっとこうなんというか雰囲気というかシチュエーションというか……」
「雰囲気もシチュエーションも、まさにドンピシャだったのでは?」
「ええ……そうかなあ?」
いやまあ、たしかにそう言われればそんな気がしないこともなくはないまであるような気がするのだが……とぶつぶつと呟いている俺を横目に、加賀はくすくすと声をもらして笑っていた。
なにが可笑しいんだよと、目を細めて抗議の意をぶつけると、彼女は人差し指を俺の唇に押し当てて、無邪気に笑った。
「ここは譲れません」
「……」
──前世の俺は、とてもずるいなと、そんなことを思った。
こんなにもかわいい笑顔を、俺よりもずっと前から知っていたのだから。
「……そういうの、〝あざとい〟って言うんだぞ」
「提督は、こういうのが好きなのでしょう?」
照れ隠しを悟られまいとジト目を作る俺と、揶揄うように口の
そんな俺たちを、真っ赤な夕日が包み込むように照らしていた。
風にのって流れてくる潮の匂いが、とても心地よく感じる。
「……こんなふうに、君と夕日を眺める日がくるなんて、想像もしていなかったよ」
「奇遇ですね。私もです」
どちらからともなく、夕日を眺めながら、お互いの小指を絡ませた。
しばらくそのままで、お互いに言葉は交わさず、ただ赤く染まった海の遥か向こうまで続く水平線をぼんやりと見つめた。
このままずっとこうしていたいと、そんなことを思ったけれど、そういうわけにもいかない。
まだ、俺のことを待ってくれている人たちがいる。
「……そろそろ行かなきゃな」
「……ええ、そうね。赤城さんたちも提督を待っているわ」
彼女はこちらを向かず、繋いでいた指をそっと離した。
「加賀」
「どうしたの、提督」
「俺は、やっぱり君たちとずっと一緒にいたい。どんな困難が待ち受けていても、今度は必ず乗り越えてみせるから」
一瞬、加賀の目が丸くなったように見えた。
横顔からでは、その表情がうまく見えないから、気のせいだったかもしれないが。
「……ええ。私も、すべてをあなたに捧げます。だからもう二度と──加賀〝さん〟なんて呼ばないでください」
「……ああ。改めてよろしくな、加賀」
「それなりに期待はしているわ」
× × ×
「失礼します」
執務室の扉を丁寧にノックして入ってきた赤城をソファに座らせ、テーブルを挟んで向かいのソファに俺も腰を下ろした。
日はすっかり暮れて、時刻は2200を少し過ぎた頃。
差し出したお茶に口をつけ、静かに湯呑みを置いた赤城の表情は上手く読み取れなかった。
「こんな時間に呼び出して悪かったな」
「いえ、用件はわかっていますので」
こちらから出向こうとしたのだが、加賀に制止されて叶わなかった。
赤城さんにも心の準備が必要です、と呆れ顔で窘められて、俺はしょんぼりしながら執務室で待つことにした。
いつ来るのかとそわそわしながら何度も時計を確認して、ようやく赤城がやって来たのは俺が執務室に入ってから実に3時間ほど経ってからだった。
「俺のことが許せないか?」
「……過去のこと、加賀さんから聞いたのでしょう?」
はあ、と呆れたようなため息をつき、赤城はジト目を向けてくる。
「私は今も昔もあなたを愛していますよ」
「……いや、そんな直球でこられるとさすがに照れるんですけど……」
なにをわかりきったことを訊いているのですか、とでも言いたげに平然と言ってのけた赤城に、逆にこちらが呆れてしまいそうだった。
むず痒くて、そわそわするのでやめてほしい。
「──それでも、あなたがこの仕事を続けるのは正直認めたくはありません」
「まあ、そう……だよな……」
「ですが、一度言い出したら聞かないこともわかっていますから」
もう一度ため息をつき、彼女はやわらかく微笑した。
ずっと、この
夢で見たあの日のような、彼女の笑顔を……夢じゃなく、今を生きている俺のこの
「そこが短所でもあり、長所でもある、的な?」
「言っておきますが、褒めていませんからね」
「あ、はい、もちろんです」
彼女はまた目を細めて、じとりと俺を睨めつける。
こんなふうに話せるのが可笑しくて、つい笑いそうになってしまうのをこらえた。
ここで笑ったら絶対怒られるので。
「ええと、赤城……さん?」
「赤城でいいですよ、提督」
ふっと、彼女の表情がやわらいだ。
黒髪ロングと、正統派の美少女である彼女には、やはりこういったやわらかい表情がよく似合う。
とても口にはできないが、彼女の顔はモロ俺のタイプだった。
今だから言えるが、この鎮守府で一番好きだ。顔が。いやもちろん顔だけではないのだが、俺が小学生のときにもし出会っていたなら、絶対初恋の相手になっていた。そして絶対フラれていた。
いやフラれるのかよ結局。
「……もしよかったら、俺と赤城の話を聞かせてくれないか?」
などと気持ちの悪いことを考えながらも、本題を切り出した。
「とくにおもしろい話でもありませんよ?」
「いいんだ。それでも聞きたい。空いてしまった距離を少しでも埋めたいから」
「提督がそうおっしゃるのなら……。そうですね。私と提督が初めて出会った頃の話でもしましょうか──」