身支度を整えて、私たちはふたり並んで、鎮守府の外へと歩き出した。
歩幅をあわせて歩いてくれる彼に手を引かれ、移りゆく風景を眺める。
そのどれもが灰色で、いつも自室の窓から眺めている風景と差異はなかった。
この人と一緒なら、なにかが変わると思った。
漠然と、なにかを変えてくれる気がしていた。
私は一体なにを期待していたのだろうか。
「榛名の手は、あたたかいな」
ちらとこちらに視線を移して、彼は嬉しそうに言った。
なにがそんなに嬉しいのか、私にはわからない。
けれど、繋いだ手から伝わる彼のぬくもりに、私の胸はとくんと音を立てた。
「手が冷たい人は心があたたかいと言われていますが、だとしたら榛名はそうではないのでしょうか?」
「榛名はどっちもあたたかいんだよ」
私のいじわるな質問に、彼は笑顔で即答した。
「……」
私はそれ以上、口を開かなかった。
隣でずっとにこにこと上機嫌な彼は、きっとなにを訊いても私を喜ばせるようなことしか言わないだろうと思ったから。
バス停でバスを待つ間も、バスに揺られてる間も、私たちは手を繋いだまま、無言のままだった。
それでもべつに気まずいとか、そんな感じではなかった。
ずっと彼がにこにこしていたからだろうか。
「ここ、前に時雨と乗ったバスの中から見えてさ、来てみたいと思ってたんだ」
バスを降りて、まず始めに向かったのはどこにでもありそうな喫茶店だった。
「甘味処」と書かれたのぼりがぱたぱたと風になびいている。
「フルーツ白玉あんみつ、どう? 惹かれない?」
彼が指した指の先をたどると、店の入り口横にでかでかと「看板メニュー」と書かれたポスターが貼ってあった。
そこには白玉、さくらんぼ、桃、みかん、抹茶アイス、あんこが詰められているあんみつの写真が飾られてある。
「惹かれます」
「だよな。白玉ってつるつるでかわいいよな。名前もかわいいし」
「それはよくわかりませんが」
彼は気にするふうもなく、私の手を引いて店に入った。
窓際の席に通されて、私たちは同じものを頼んだ。
フルーツ白玉あんみつと、あたたかいほうじ茶。
「美味しいか?」
こくりと、返事をする代わりに頷いて応え、白玉を口に運ぶ。
つるつるしていて、もちもちしている。
どこか懐かしい味がして、そういえば、以前もよく食べていたような気がすると、そんなことを思った。
「他に食べたいものはあるか? 遠慮せずなんでも頼んでいいんだぞ」
私はふるふると首を横に振り、最後にとっておいたさくらんぼを口に運んだ。
猫舌なのか、彼はちびちびとほうじ茶を啜りながら、もう少し待ってくれと申し訳なさげに苦笑した。
べつに、急いでいるわけでもない。
だから私は、慌てながらもちびちびとほうじ茶を啜る彼を、ぼんやりと眺めた。
「──次はどこに行くのですか?」
「榛名は、どこか行きたい場所はあるか?」
店を出て、また手を繋いで街中を歩く。
隣を歩く彼のその問いかけに、少し頭を悩ませた。
けれど、行きたいところなんてない。
今の私には……なにもない。
「決めてください」
「……」
俯きがちに、つまらない答えを返した。
そんな私にも彼は嫌な顔ひとつせず、真剣に考え込む仕草を見せる。
数分考え込んだ彼は、やがて嬉しそうに口を開いた。
「服でも買いに行くか。榛名は着物とか似合いそうだし」
「そうでしょうか?」
「絶対似合うよ。っていうかなんでも似合う」
彼は少し強引に私の手を引いて、呉服屋と書かれた店へと入った。
まるで着せ替え人形のように、何着かの着物を試着させられた。
私は必要ないと断ったけれど、結局彼は真っ白な無地の着物と、桜の花びらが刺繍された帯を買ってくれた。
榛名だから春。だから桜、などとわけのわからないことを言って。
せっかく買ってもらったのだから、着ないわけにはいかないと思ったし、彼がぜひ着替えてくれと頼み込んできたので、私はその着物に着替えて彼にお披露目した。
「似合いますか?」
「……ありがとうございます」
「……? なぜあなたがお礼を言うのですか?」
「感謝したいくらいかわいいからだよ。ほら、なんかさ、榛名ってまさに正統派って感じのかわいさじゃん? 榛名は俺の嫁! 的な?」
「……? よくわからないのですが、榛名の方こそありがとうございます」
──よくわからない彼とまた手を繋いで店を出て、次に向かったのは小さな小さな駄菓子屋さんだった。
懐かしいなと目を細めて、変に大人ぶっている彼を横目に、私は店の片隅に置かれていた花火セットを手に取った。
「お、花火か。暗くなってから一緒にやるか?」
「いえ、見ていただけなので──」
「よし。じゃあそれも買おう」
大人ぶっていた割には両手にお菓子を抱えた彼は、それも持ってきてくれと私に告げて会計に向かった。
店を出て、花火やお菓子の入った袋を片手に、彼は楽しそうにこちらに視線を寄越した。
「次はどこ行こうか?」
「……温泉」
彼の問いに答えたわけではない。
たまたま目に入った文字を読み上げただけなのだが、タイミングが重なってしまった。
「へえ。こんなところに温泉なんてあったんだな」
そういうつもりで言ったわけじゃないと、誤解を解こうとしたが、また私の手をきゅっとにぎって歩き出した彼の横顔に、私はなにも言えなかった。
この人はどうして、私にこんなにも優しくしてくれるのだろうか。
この人の手は、どうしてこんなにもあたたかいのだろうか。
なにひとつわからないまま、私はだまって彼に手を引かれ続けた。
「……」
流されるまま温泉につかり、用意されていた浴衣に着替えてから更衣室を出た。
廊下に出ると、開け放された窓から少し肌寒い風が入り込んでくる。
もうすっかり日は暮れていて、日中に比べると気温はいくらか下がっていた。
「はい。榛名のぶん」
その窓際の壁にもたれて、彼は瓶に入ったラムネをこちらに差し出してくる。
お礼を告げて受け取り、私も彼の隣に並んで壁にもたれかかった。
「本当に泊まっていくのですか?」
「あー……部屋、一室しか空いてなかったもんな。ごめん、やっぱり嫌だったか?」
「いえ。そういうつもりで訊ねたわけじゃありません」
「そ? ならよかった」
言って、彼は瓶ラムネに付属されてあるプラスチックの玉押しを飲み口の部分に当て、押し込んだ。
ぽんと小気味よい音が響いた。
私も彼に習って、同じようにビー玉を奥に押し込んだ。
「線香花火くらいなら、庭でやってもいいってさ」
旅館の亭主に許可をもらったのだと、得意げに彼は言葉を繋げた。
よく見ると、彼の足もとには先ほど買った花火セットが置かれている。
「そうですか」
「あ、しまった。ライターがない」
「……」
彼はどうしようかと気まずそうにこちらに視線を向けたが、すぐになにか思い出したようにちょっと待っててくれと告げて、瓶ラムネを窓台に置いて急ぎ足でどこかへと駆けて行った。
その言葉の通りすぐに戻ってきた彼の手には、40本入りと書かれた小さなマッチ棒の箱が握られていた。
「部屋にあった。灰皿と一緒に」
嬉しそうにそれを見せてきた彼は、足もとに置いていた花火と、窓台の瓶ラムネを手にして、「行こうか」と言って歩き出した。
私はこくりと頷いてあとをついて行く。
「ほら」
縁側に腰をおろして、花火セットから線香花火を取り出した彼は、それを私に差し出した。
それを受け取ると、彼はマッチ棒に火をつけた。
手渡された線香花火をゆっくりと彼が持つマッチ棒に近づける。
すると彼はふっと息を吐いて、目を細めて微笑した。
「榛名、逆だよそれ」
私が持つ花火を取り上げて、彼はもう一度私に花火を手渡した。
「こっちに火をつけるんだ」
……そう、教えてくれた。
「線香花火はね、勝負がつきものなんだよ」
「勝負……ですか?」
「そ。先に火が消えた方が負け。負けた方が勝った方の言うことをひとつきく」
言って彼は手にしていたマッチ棒を振って火を消した。
どうする? そう言葉を繋げた彼は、挑発しているような流し目をこちらに向けた。
「構いませんが」
「じゃ、決まりだな」
彼はもう一度マッチ棒に火をつけた。
お互いが同じタイミングで花火を近づけると、やがて勢いよく小さな炎がパチパチと音を立ててふき出した。
私と彼の花火の先端が丸い玉に変化したのは同時だった。
火花が玉のまわりをさらさらと弾けて、風に吹かれれば消えてしまいそうな儚い光がいま、たしかに私たちの手の中に在った。
しかしその光はやがて小さくなり、私の方が先に消えてしまった。
「榛名の負けだな」
「そうですね。それで、私はなにをされるのでしょうか?」
「……」
──長い沈黙が続いた。
風に吹かれ、彼の花火が落ちたのを見て、それがどこか自分と重なった。
あの線香花火のように、私もいつかは……風に吹かれて消えてしまうかもしれない。
そんなことを考えていると、今までと違って、とても苦しそうな彼の声が聞こえた。
「……あの日の俺を、許してほしい。きっと、残された君たちと同じくらい、苦しかったと思う。……悔しくて、死んでも死にきれなかったんだと思う」
小さく息を吐き、俯いていた顔をあげた彼は、まっすぐに私の瞳の奥を見つめた。
「──だから、戻ってきたんだ。君たちが俺を愛してくれたように、俺も君たちを心から愛していたから」
「──……」
「待たせてごめんな。置いて行って、ごめん。忘れてしまって、ごめん。それでも俺は──今も君たちを愛しているよ、榛名」
──……大粒の涙が、頬を伝ってこぼれ落ちた。
真っ暗だった私の世界が、色鮮やかに染まっていく。
そうだ。忘れてはいけない人だった。
いつまでも覚えてなきゃいけない人だった。
ずっと……待ち続けていなくてはならない人だった。
だって……この人は私がこの世で最も……──愛した提督だったのだから。
「……榛名は……、榛名は……」
やっと見えた提督の顔が、ぼやけて見えなくなる。
まっすぐに見つめてくれる提督の瞳が大好きだった。
頭や頬を撫でてくれるあたたかくて大きな手が大好きだった。
いつも優しく笑いかけてくれるその
「榛名は……大丈夫じゃありませんでした……」