あの日の約束   作:喬 

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25話

「うそ、ですよね……? 提督、」

 

 医務室のベッドに横たわる提督に声をかけても、返事は返ってこなかった。

 ぴくりとも動かない提督の頬に、震える指で触れた。

 その冷たさが、もう二度と提督は起きないのだと、そんな現実を私に突きつけた。

 

「提督は、榛名に言いましたよね……?」

 

 〝誰ひとり欠けることなくこの戦いを終わらせる。それが俺の願いなんだ〟。

 

 それはもちろん、提督も含めて──そのはずだった。

 そうでなければいけなかった。

 そうでなければ、納得できなかった。

 

「提督は……うそつきです……」

 

 ひとつ、またひとつと涙がこぼれ落ちた。

 それは私の頬を伝い、提督の頬へと落ちていく。

 

「提督……返事をしてください……」

 

 彼の手をとって、きゅっとにぎりしめた。

 あんなにもあたたかかった提督の手は、凍えるほどに冷たい。

 私が無茶をすれば、ぽんと頭を撫でて窘めてくれた。

 私が戦果をあげれば、手を取ってデートに連れ出してくれた。

 そんな彼の手に、もうぬくもりはない。

 

「榛名の願いは……どうなるのですか……」

 

 小さくて、でもとても綺麗な線香花火だった。

 暑い夏の夜空に溶けていく、みんなの笑い声。

 手の先で星空のようにきらめいていた花火が、その輝きを失っていく。

 

 私には勿体ないくらいに高価で綺麗な着物。

 簡素で、でも目を奪われてしまうくらいに美しかったのに、色を失くしてしまった。

 

 初めて知ったあんみつの味も。透き通るようなあなたのその綺麗な瞳も……。

 

 ──すべて、この手のひらからこぼれ落ちていく。

 いつだって優しくて、いつだってまっすぐだった。

 私たちを想う気持ちに、うそ偽りはなく、心の底から愛していてくれた。

 なのに……あんなにも優しくしてもらったのに、充分なお返しができなかった。

 

 ────提督。

 ────提督は、この先必ず榛名が必要になると言ったけれど、あなたを守れなかった私は、まだ必要ですか?

 

「……」

 

 きっと提督はそれでも必要だと言うだろうけれど、私が、もう私を必要だと思えなくなった。

 あなたの傍にいられなかった私が……あなたを守れなかった私が、あなたを失ったこの世界で、なんの役に立てるのだろうか。

 

 提督……。

 

「榛名、待機命令……了解です……」

 

 色を失った世界で、私は目を閉じた。

 なにも見なければ、もう傷つくことはない。

 最初からなにもなければ、失うことはない。

 

 忘れてしまえば───もう悲しまなくていい。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

 差し込んだ光が眩しくて、目を覚ました。

 いつの間にか眠りに落ちていて、少し汗ばんでいた左手に違和感を感じた。

 ふとそちらの方に目をやると、私が横たわる布団の隣で胡座をかきながら私の左手をにぎって、微笑して私を見下ろしている提督がいた。

 

「おはよう榛名。よく眠れたか?」

 

 そのやわらかい笑顔は、あの日の提督そのものだった。

 こぼれ落ちて、失ってしまった……あの日の笑顔。

 

「ど、どうして榛名の寝顔を覗き込んでいるのですか……?」

 

 問いかけた私に、「これ」と言ってにぎったままの手を見せてくる。

 

「榛名が離してくれなくてさ」

 

 嬉しそうに言った。

 昨夜、私が話し終えるとすぐに眠りに落ちてしまった提督の寝顔を見ながら、提督の頬を撫でたことは覚えている。

 ええと、それからたしか、提督の寝顔があまりにもかわいらしくて、愛おしくて、私は提督の布団にもぐりこんでもっと近くで眺めたんだ。

 そのぬくもりをもっと感じていたくて、私は提督の手をにぎって──

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 私は繋いでいた手を勢いよく離した。

 もうそんなはずはないのに、まだ唇が熱を持っているような気がした。

 どうしよう……と目をぐるぐるまわしながら、正直に告白して謝罪するべきかを悩んでいると、提督の大きな手が、私の手をもう一度掴んだ。

 冷たくない……たしかにぬくもりのある大きな手が、きゅっと。

 

「ごめんな、榛名。……もう二度と、」

「──……」

 

 まっすぐに私を見つめるその瞳に、また涙があふれてしまう。

 声が震えてしまう。

 また……願ってしまう。

 

「もう二度と、失くしてしまわないように。もう二度と……離したりなんてしないから」

「……今度は……うそじゃない、ですか……?」

「ああ。うそじゃない。ずっと傍にいる」

 

 ──私が失くしてしまった輝きが、そこに在った。

 そのまっすぐで綺麗な瞳が、心に貼りついていた氷を溶かしていく。

 願いをかけたあの花火のように……それは小さくて、でもとても綺麗で──たしかな熱をもっていた。

 

「ていとく……」

 

 泣きながら右手を伸ばすと、提督は私をぎゅっと抱きしめた。

 縋りつくように提督の背にまわした右手で彼の服をきゅっと掴むと、提督は優しく私の背中を撫でてくれた。

 大好きだった大きくてあたたかい手が、また私を包んでくれた。

 

 ────ごめんなさい、提督。あなたを忘れてしまって。

 ────ごめんなさい。でも、これから先、もう忘れることはありません。

 

 線香花火の小さな輝きも、あなたのまっすぐな瞳も。

 あなたの大きくてあたたかい手のぬくもりも。

 この先なにがあっても、もう二度と、失くしたりなんてしない。

 

 ────ありがとうございます、提督。

 ────ありがとうございます。あの日の私の願いを、覚えていてくれて。

 ────また、私の傍に帰ってきてくれて。

 

「……」

 

 だから私も、あなたのぶんまで前を向いて歩いていきます。

 もう私の心には、ずっとあなたがいてくれるから。

 

 だから────さようなら、提督。

 

 あなたをずっと、愛しています。

 

 

 

 

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