「金剛」
「……やっとワタシの番ですカ? まったく、遅いですヨ、テイトク」
強い風が吹き抜け、テイトクの軍帽を空へと飛ばした。
目にかかっていた前髪が風に靡いて……ようやくワタシとテイトクの瞳がぶつかった。
「俺のこと、覚えているのか?」
「……とりあえず、ティータイムにでもしますカ」
戸惑うテイトクの横を通り過ぎ、自室へと向かう。
少し遅れてついてくる足音が聞こえる。
おぼつかないテイトクの足取りとは真逆で、ワタシの足は軽かった。
どんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうな空模様とは真逆で、ワタシの心は青く晴れ渡っていた。
「──紅茶でいいですカ?」
「ええと、お願い、します……?」
「堅いですヨ。もっとリラックスしてほしいネ」
とても久しぶりに淹れたから、美味しいかわからない。
彼に最後に紅茶をごちそうしたのは、一体いつだっただろうか。
あの日からずっと心を閉ざして……それでもきっと、ずっとそれを望んでいた。
もう叶わないのだと知っていても、それでも心の奥底では願うことをやめられなかった。
もう一度あなたに、飲んでほしかった。
「ドーゾ」
「……ああ、悪いな」
茶葉は5g。空気を含ませながら、円を描いて沸騰したお湯をまわしかける。
蓋をして蒸らして、待っている間にお湯を茶漉しにかけて金属の匂いを取り除く。
ティーカップもお湯であたためておく。
蒸らしが終わったら茶葉をスプーンで下から上へとひとかきだけ混ぜて、それで完成。
──大丈夫。ちゃんと覚えていた。
それでも美味しいかはわからない。
差し出した紅茶を、昔と同じく猫舌のテイトクは慎重にカップに口をつけて、ひとくち喉の奥へと流し込んだ。
「──……」
「あ、熱かったデスカ!?」
テイトクは突然、一粒だけ涙を伝わせて、目を丸くしていた。
味を損なったとしても、冷ましておくべきだったのかもしれない。
それとも、美味しくなかったのかもしれない。
不安げに彼を見つめる私の瞳を、彼はまっすぐに見つめ返した。
「……適当なことを言っていると、君はそう思うかもしれないけれど、俺は、」
懐かしむように、愛おしそうに目を細めたテイトクは、ゆっくりと口の
「俺は、この味を覚えている。あたたかくて、優しい君の心を感じられるこの味を──俺は覚えているよ、金剛」
「──……」
……それが、ワタシにとってどれほど嬉しい言葉か、あなたはわかっているのだろうか。
その言葉を──あなたを待ち続けた日々を……。
星も見えない真っ暗な夜を歩いていた、あの日のワタシの悲しみを。
あなたは知っているのだろうか。
「……きっとあなたも、つらかったですよネ……テイトク」
テイトクの隣に腰を下ろし、そっと彼の頬を撫でた。
あたたかい。生きている。
目を開けて、息をして、またワタシを見つめてくれる。
「金剛……」
ワタシたちの心には、深い傷が残った。
あなたを失ったあの日から、ワタシたちは前に進むことができなくなった。
息をすることさえ忘れてしまいそうになるほど、ワタシたちはずっと苦しかった。
──でもそれはきっと、残された者だけじゃない。
残していった方も、ずっとつらかったはずだ。
テイトクだってきっと、苦しみ続けていたのだと思う。
「ワタシたちだけじゃなく、テイトクだって──もう泣いていいんですヨ」
言って、ワタシは提督の頬に触れていた手でゆっくりと、親指で彼の目もとを撫でた。
彼の両目いっぱいに涙が浮かんで、今にもこぼれ落ちてしまいそうになっている。
それでも彼は、下唇を強く噛んで、ワタシの手に自分の手を重ねた。
「……ありがとう、金剛。でもそれは、君たちの話を全部聞いてからだ」
だから、教えてくれ。そう言葉を繋げて、テイトクは微笑した。
「じゃあ、ワタシたちの話を聞いてクダサイ」
────ずっと昔、騒がしくて笑顔があふれていた鎮守府で……共に過ごしたワタシとテイトクの話を。
× × ×
「英国で生まれた帰国子女の金剛デース。ヨロシクオネガイシマース!」
「おー、よろし──……ッ!?」
「んー! あなたがこの鎮守府のテイトクですカー? 想像してたよりずっとカッコいいネ!」
テイトクのお腹を目掛けて飛びついたワタシの顔を掴み、彼は引き剥がそうとする。
テイトクってば、とってもシャイな人なのだろうか。
「は? あなた、私の提督にずいぶんと乱暴なことをしますね」
テイトクに抱きつくワタシを睨めつけて、挑戦的な視線を向けてくる。
──航空母艦、加賀。
どうやらこの艦娘が今の──今は秘書艦らしい。
「私のテイトク? ずいぶんとFUNNYなことを言いますネ」
「お、おい加賀! 俺のことは気にしなくていいから、な?」
「いいえ、提督。ここは譲れません」
「へー。どっちがテイトクに相応しいか、今ここでwinnerを決めるですカ?」
「やめて!? この鎮守府そんなに広くないから! 艤装をしまって!」
テイトクから離れて加賀の正面に立つ。
お互いに攻撃を仕掛けようと艤装を展開すると、テイトクは涙目になりながらおろおろとしていた。
一触即発……というほど、本気でケンカをしようとしているわけではないが、今ここでテイトクが誰のものなのかをはっきりさせておいた方がいいと思った。
「加賀。言っておきますが、手加減はできませんヨ」
「それはこちらのセリフです」
「いや加賀ならまだわかるけどさ! 金剛! 君とは今日会ったばかりなんだけど!? 俺のどこがそんなにいいの!?」
「なに言ってるデスカ、テイトク! そんなの一目惚れに決まってるデース! 恋に時間は関係ありませんヨ!」
言って、ぱちりとウインクを送る。
テイトクは「直球すぎる。だが悪い気はしない。むしろ最高まである」とだらしなく口もとをゆるませた。
それを見て、加賀の方はかなり鋭い視線をテイトクへと送っているが、彼はまったく気づいていない。
「頭にきました。提督とまとめて、ついでにあなたも吹き飛ばしてあげるわ」
「ちょっと? 加賀ちゃん? その言い方だと俺が大本命みたいに聞こえるんだけど、気のせいだよね?」
「ノープロブレム! テイトクは私が守ってみせマス!」
「え、やっぱり俺が狙われてんの? 待てよ、話が違いすぎるだろ」
そうしてぎゃいぎゃいと騒いでいると、ばたんと勢いよく執務室の扉が開かれた。
全員の視線がそちらに集まる。
執務室へと飛び込んできたのは、ワタシがよく知る艦娘、榛名だった。
「な、なにをしているんですかお姉さま!」
「OH! 榛名もこの鎮守府に着任していたのですネ!」
困り眉を作ってあたふたと慌てふためく榛名の頭にぽんと手を置いて、髪を崩さないよう優しく撫でた。
すると榛名はしおらしくなり、それ以上はなにも言わなかった。
「そこまでですよ、加賀さん。あまり提督を困らせないように、ね?」
「あ、赤城さん……」
榛名に続いてもうひとり。
赤城は笑顔で加賀を窘めていた。
たじろぐ加賀を横目に、ワタシはテイトクへと視線を移す。
彼は助かった、とでも言わんばかりにほっと胸を撫で下ろしていた。
「……仕方ありませんネ」
ひとつ、小さく息を吐いて、ワタシは苦笑した。
一時休戦、というやつだ。
× × ×
この鎮守府に着任してから数ヶ月が経った。
ようやく秘書艦のポジションを手に入れて、執務室で一日中テイトクの素敵な顔を眺めていられるのは最高だった。
「……いや、執務手伝ってくれよ。なんでずっとこっち見てんだ」
「んー、テイトクの顔はいつ見ても惚れ惚れするネ」
「え? そう? そうかなあ? あ、そういえばもうお昼だけど、なにか食べたいものとかあるか? なんでもごちそうするぞ。いやべつに褒められて嬉しいとかそんなんじゃなくて、いやほんとほんと」
嬉しそうにだらしなく口もとをゆるませたテイトクは、引き出しから財布を取り出した。
お小遣いとかいる? と問いかけながら財布から万札を出して手渡そうとしてくるテイトクの手を押さえつけ、ワタシは何度も断った。
「テイトク……褒められ慣れてなさすぎデース……」
「いやなんか金剛の気持ちって直球すぎてさ、心の底から嬉しくなっちゃうんだよ」
「〜〜〜っ! 素直なテイトクも可愛いネー!」
「……こうやってすぐに抱きついてこなければ完璧なんだけどなあ……」
「テイトクゥー! ちゅーしてもいいデスカ!?」
「ばか! やめろまじで!」
テイトクはワタシの顔を掴んで引き離し、大きなため息をついた。
──外に食べに行くかと訊ねたテイトクの誘いを断り、ワタシたちはふたりで鎮守府に併設されてある食堂へと向かった。
この時間帯の食堂なら加賀もいるはずだから、ワタシとテイトクがいかにラブラブかを見せつけるチャンスだったから。
「……」
案の定、加賀と赤城は向かい合って昼食をとっていた。
ワタシたちはその隣の席に腰を下ろして、同じものを頼んだ。
隣から執拗に送られてくる加賀の鋭い視線を無視してテイトクとふたりで食べるランチは最高だ。
「……テイトク、あーん、してクダサイ!」
右手を伸ばして、テイトクの口もとにカレーを乗せたスプーンを近づける。
テイトクは恥ずかしがって口を開けてくれなかったけれど、ワタシが悲しそうに俯くと、すぐに食べてくれた。
そんな様子を真隣で見ていた加賀が、箸をへし折る音が聞こえる。
「……」
「加賀さん、いけませんよ。お箸にも作ってくださった方の想いが込められているのですから」
赤城に窘められ、加賀はしゅんと俯いていた。
「テイトク、そろそろティータイムにでもしますカ?」
昼食も食べ終え、執務を再開してから3時間あまりが過ぎた頃。
集中力を切らしてペン回しを始めたテイトクへと問いかける。
下手くそ────あまりペン回しが上手ではないテイトクは、何度も床にペンを落としていた。
「え、やった。金剛が淹れてくれる紅茶大好きなんだよな、俺」
「……」
しわしわにしおれながら執務をこなしていたテイトクはぱっと顔をあげて、目を細めて微笑した。
──ワタシも、テイトクのために淹れる紅茶が好き。
美味しいと笑ってくれるその
「ドーゾ」
ふわふわと湯気がたつ紅茶を、テイトクは冷ますことはしない。
一度だけ、アイスティーのほうがいいかと訊ねたことがある。
テイトクはふっと息を吐いて、静かに首を横に振った。
〝これが、お前の自信作なんだろう?〟。
だからこれがいいんだ──そう言って、テイトクは笑った。
「ええと……そんなに見られると飲みにくいんだけど……」
そんなことを思い出しながら、両手で頬杖をつき、猫舌で少しずつしか飲めないテイトクを見つめていると、彼は居心地が悪そうにじとりとした目を向けてくる。
「んふー。よかったら、ワタシがフーフーしてあげましょうカ?」
「え、それありなの!? ぜひお願いします!!」
揶揄うようにいたずらに笑ったワタシに、テイトクは身を乗り出して全力で答えた。
「テ、テイトクは変なところで押しが強いデース……」