「はい、あーん」
「あーーーんっ!」
中庭で、瑞鳳とふたりでお弁当を広げているテイトクを見つけた。
まるで雛鳥のように口を大きく開け、唐揚げやハンバーグなどを次々と食べさせてもらっている。
しかも、嬉しそうにデレデレと……。
「じゃあ次はー……私の作ったたまご焼き……たべる?」
「たべりゅうぅ」
ぷちっと、なにかがキレる音がした。
もう我慢できない、あんなテイトクは見ていられない!
──と、気持ちを抑えきれず、飛び出そうとしたワタシの視界に、加賀が映った。
「こんなところにいたのね、提督」
「か、加賀!? ……いや、ちがうんだ。これはなんというか、そう、コミュニケーションなんだ」
「へえ、続けてちょうだい」
あわあわと慌てふためきながら苦しい言い訳を繰り出したテイトクを、加賀は氷のような冷たい目で見下ろしている。
「いや、ほら、提督って大変なんだぜ? 艦隊の指揮をとってるんだから、こう、艦娘とはしっかりとコミュニケーションをとって、お互いに理解し信頼しあえる関係をなんたららー、みたいな? ……ははは」
「そう。終わった?」
テイトクの言い訳を、目を伏せて聞き流していた加賀はゆっくりとまぶたを起こして、艤装を展開した。
「……いや、だからつまりこれは決して瑞鳳があまりにもかわいいからイチャイチャしたかったとか、瑞鳳は俺の嫁! とかそういうんじゃなくて……加賀ちゃん? 一回艤装しまわない?」
「瑞鳳。悪いけど、提督を借りていくわ」
「ど、どうぞ……」
「やめて! 助けて瑞鳳! 嫌だ!」
首根っこを引っ掴まれて、そのまま引き摺られていったテイトクを見てため息がこぼれた。
今回ばかりは加賀の味方をしようと思う。
「テイトク、ワタシの作ったカレー……たべりゅ?」
「……金剛ちゃん? なに、もしかして見てたの?」
ゲッソリとした顔で執務室へと戻ってきたテイトクに、瞳をうるうると潤ませて問いかける。
するとテイトクは口もとを引き攣らせて、気まずそうに笑っていた。
「浮気デスネ」
「いやちょっと待ってほしい。ちがうんだよ。瑞鳳はそういうんじゃなくて本当になんというか、そう、アイドルみたいなものなんだよ」
「……?」
またわけのわからない言い訳を並べ立て始めたテイトクに、ことりと首を傾げる。
「いやー、わかんねえかなあ! 瑞鳳ってさ、普通にあざといじゃん? ほら、リピートアフターミー、〝あざとい〟」
「あざとい」
「そう。顔も声も性格もスタイルも、すべてがあざといんだよ。しかも瑞鳳ってさ────おい、浮気ってなんだよ。俺たち付き合ってないだろ」
「今さらデスカ!?」
少し、ほんの少し気持ちの悪いことを熱く語ろうとするテイトクにジト目を向け続けていると、変なタイミングでテイトクはツッコミを入れた。
「うー! じゃあ! テイトクはワタシのこと愛していないデスネ!?」
「バカやろう、愛しているに決まってんだろ! 言っておくがな、スタイルだけで言えばお前はこの鎮守府で一番だと、俺はそう思ってるんだぞ!」
「──……」
まっすぐな瞳をこちらへ向けて、力強くテイトクは叫んだ。
どきどきと胸が高鳴る。
……なんか微妙に納得できないような気はするが、気にしないことにしておこう。
「んー! テイトクは本当に素直で可愛いネー!」
「この抱きつく癖はなんとかならねーのかなあ……」
× × ×
ワタシがこの鎮守府に着任してから、何度も季節は巡った。
「テイトク、ちょっと休んだ方がいいですヨ。赤城たちも心配していたネ」
よく仕事を投げ出して瑞鳳にこっそり会いに行ったり、駆逐艦の子たちとサボったりしていたテイトクが最近、夜遅くまで起きて仕事をするようになった。
毎日3時間ほどしか睡眠をとっていないらしく、言っても中々聞いてはくれない。
「……ワタシたちのことを想ってくれるのは嬉しいですケド、無理はよくないヨ」
「心配かけて悪いな。でも、無理をしてるわけじゃない。──俺が、そうしたいんだ」
そう言ってやわらかく微笑したテイトクは、ワタシが差し出した紅茶を熱そうにゆっくりと啜って、カップをソーサーの上に置いた。
手もとのカップに注がれた紅茶の表面に映る自身の顔を眺めながら、テイトクは言葉を繋げる。
「──いつもありがとうな」
言って顔をあげたテイトクは、また微笑していた。
「き、急にどうしたのですカ?」
いつもと違って真面目なトーンに戸惑ってしまう。
いや、こういうときのテイトクはいつも真面目なのだけど、なぜだかいつもより頬が熱くなってしまう。
「……金剛」
「ハ、ハイ……」
緊張しすぎて、声がうわずってしまった。
それでもテイトクは気にするふうもなく、引き出しを開けて小さな箱を取り出した。
その箱の表面を優しく撫でて、テイトクは椅子から立ち上がりワタシの正面に立った。
「お前も、俺にとってなにより大切な存在だ。だから絶対、沈んだりするな」
言ってワタシの左手をとったテイトクは、箱を開けて指輪を取り出した。
──誰かが、それを最初にもらったのは赤城だと言っていた。
その次は加賀だった。
ワタシはいつもテイトクに抱きついたり、過剰に愛を伝えたりしていた。それでも彼は振り向いてくれないし、そういうところが振り向いてもらえない原因かとも考え始めていた。
きっと、ワタシは指輪をもらえない────そう思ってしまったことがあった。
テイトクは優しいからワタシを拒絶しないだけで、本当は鬱陶しく思っているのではないかと、そんなことを考えてしまった瞬間があった。
「受け取ってくれるか? 金剛」
「──……」
すぐに言葉は出てこなかった。
返事をしたいのに、嗚咽が邪魔をする。
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を見ながら、テイトクはただだまってワタシの返事を待っていてくれた。
「……、……はい」
────そんな素振り、ぜんぜん見せなかった癖に。ずるいデス……。
× × ×
──テイトクがいなくなった。
その日から、テイトクはワタシの淹れる紅茶を飲んでくれなくなった。
ふたりで過ごしてきたこの執務室がこんなにも広かったなんて、ずっと知らなかった。
あなたがいないだけで、色も景色も、なにもかもが変わってしまうなんて……知りたくなかった。
「……ドーゾ」
毎日欠かさず、執務室に紅茶を運んだ。
笑顔のまま飾られてあるあなたの写真の目の前に。
テイトクが好きだと言ってくれたから。
……でも、ワタシの紅茶を飲んでくれるテイトクはもういない。
「……みんな、変わってしまいマシタ」
──あなたを失ってしまってから。
彼はもう返事をしてくれない。写真の中のテイトクはずっと笑顔のままで。
────テイトク。ワタシがあのとき手を離さなければ、今もテイトクは傍で笑ってくれていましたカ? たとえ、鳳翔を失っても……。
「……」
わかってる。鳳翔を失ったテイトクに、笑顔なんてあるわけがない。
ワタシが今抱えているこの気持ちを……いや、きっとそれ以上の傷を抱えてしまうだけ。
でも……これでよかったなんて……そんなこと、思えるはずがなくて。
「ワタシは……」
────どうしたらよかったのデスカ? テイトク。
「聞いてクダサイ、テイトク。榛名が……笑ってくれなくなりマシタ」
あの日から、塞ぎ込んでしまった榛名は、なにも見なくなった。
なにも聞かなくなった。
ワタシの声さえ届かない。
「……」
冷めきった紅茶を手にして、ワタシは執務室をあとにした。
「……榛名の声を聞かなくなってから、ずいぶんと経ちマシタ」
あなたの声が聞こえなくなったあの日から、ずいぶんと。
「可笑しいデスネ……ワタシたちに沈むなと言っておきながら、誰よりも先にいなくなるなんて……」
俯いた瞳から、ぽろぽろといくつもの涙がこぼれ落ちていく。
叶うなら、答えてほしい。
ワタシはこれからどうするべきなのか。
どうすれば、榛名が前を向いてくれるのか。
──どうか、教えてほしい。
「……ワタシの声は……届いていますカ?」
「…………」
──いつしか、ワタシは声を出すことをやめた。
毎日運んでいた紅茶も、もう淹れることはない。
気持ちにさえも蓋をした。
榛名がしたように、ワタシもそうすれば楽になれると気がついた。
顔を上げず、前を見ず、声を出さなければ──楽になれた。
一度壊れたものはもう二度ともとには戻らない。
幸せに満ちていたあの日はもう二度と、還ってはこない。
出口も見当たらない。光だって差し込まない。
ここはもう……誰にも見つけてもらえない、寂しい場所だ。
──何十年と、そんな日々が続いた。
もう悲しむことなんてなくて、感情に色がつくこともない。
それなのに──光の差さない暗闇に、誰かが迷い込んできた。
その人は、長い時間をかけて次々と明かりを灯していく。
真っ暗でなにも見えなかったはずなのに……。
もうなにも聞こえなかったのに。
〝ごめんなさい、お姉さま〟。
ずっと……。
〝ありがとうございます。ずっと、榛名の傍にいてくれて〟。
──……ずっと、
〝榛名はもう、大丈夫です〟。
──ずっと見えなかった榛名の笑顔が、景色を彩る。
ずっと聞こえなかった榛名の声が、蓋をして、閉ざしてしまった心を開いていく。
──時雨も、荒潮も。瑞鶴も翔鶴も……赤城と加賀も……青葉も、榛名も……みんな、眩しいくらいに明るかった。
晴れ渡った青空のように、きらめく星空のように、輝いていたあの日が、また。
たった10人と、たったひとりのこの鎮守府が──あの日にも負けないくらい、まばゆく輝いていた。
────テイトク。次は、
────ワタシを照らしてくれますカ?
〝金剛〟。
〝……やっとワタシの番ですカ? まったく、遅いですヨ、テイトク〟。
指輪をもらったあの日のように、ずいぶんと焦らされた。
それでもあなたはあの日のように、ワタシのもとへ来てくれた。
〝……適当なことを言っていると、君はそう思うかもしれないけれど、俺は、〟。
……やっと、飲んでもらえた。やっと声が聞こえた。
ずっとあわなかった瞳が、笑顔を崩さなかった写真の中のあなたが──
〝俺は、この味を覚えている。あたたかくて、優しい君の心を感じられるこの味を──俺は覚えているよ、金剛〟。
──やっとワタシを迎えに来てくれた。
× × ×
「──ほら」
話し終えたワタシへ、ソファから立ち上がって両手を広げ、目の前のテイトクはやわらかく微笑した。
それは、ずっと昔に見ていたもので、大好きだった……今も大好きな……ワタシを照らしてくれる笑顔。
「今日だけ、特別だ。思い切り飛び込んできていいぞ」
「……後悔、しないデスカ?」
「あー……、やっぱり全力はちょっと──」
ふわりと、服の裾が翻った。
勢いをつけたはずなのに、いつかの日より全然踏み込めなくて。
なのにあの日よりもずっと強く、あなたを抱きしめた。
──ワタシは初めて……あなたの胸に飛び込んだ。
「……っ、……テイトク……テイトクゥ……」
「……ああ。ごめんな、金剛……」
ぼろぼろと涙をこぼして、彼の胸もとを濡らすワタシを、テイトクは思いきり抱きしめ返してくれた。
強く。空いてしまった心の隙間を埋めるようにぎゅっと、強く。
「寂しかった……つらかった……苦しかった……。もう、二度と笑えないと……そう思っていマシタ……」
「……ごめん。ごめんな……」
ワタシはずっと、泣き続けた。
あの日失くしてしまった光を、かき集めるように。
そんなワタシたちの頭上にあったどんよりとした、今にも雨が降り出しそうだった曇り空から、一筋の光が落ちていた。
ワタシたちを包むように。
晴れ渡った青空にも、きらめく星空にも負けないくらい、まばゆい光が。
雲間から差し込む光が、窓を突き抜けて、真っ暗だったこの部屋を──ワタシたちを、照らしていた。