あの日の約束   作:喬 

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28話

「提督」

 

 執務室から窓の外を眺めていた提督に声をかけると、彼はゆっくりとこちらを振り返り、懐かしさを覚えるようなやわらかい微笑を浮かべた。

 

「鳳翔さん。こっちへ来てください」

 

 手招きする提督の横に並び、窓の外へと目をやる。

 外では金剛さんと榛名さんが楽しそうにお茶をしていて、そのすぐ側を笑いあいながら通り過ぎる赤城さんと加賀さんの姿が見えた。

 少し向こうでは言い争いをしている時雨ちゃんと荒潮ちゃんがいて、その様子を苦笑しながら見守っている瑞鶴さんと翔鶴さんがいた。

 そんな風景を少し離れたところから楽しそうに写真に撮っている青葉さん。

 

 ──ずっと、こんなあたたかい日常を待ち望んでいた。

 

「本当に、お疲れ様でした。提督」

「……鳳翔さんが支えてくれたから、ここまで来れたんですよ。ありがとうございます」

 

 そう言ってこちらに向き直り、彼は深々と頭を下げた。

 それは部下に対する態度ではないし、私は感謝されるようなことはなにひとつしていない。

 

「私はなにもしていませんよ。すべて提督が提督だったから、ここまで来れたのです」

「いいや。鳳翔さんの笑顔がなきゃ、俺はとっくに諦めてましたよ」

「いいえ。提督の力です」

「……」

「……」

 

 お互いが譲らず、私たちはむっと口を引き結んで、不満げな表情を浮かべた。

 けれどすぐに、お互い同じタイミングでふき出した。

 

「──……鳳翔さん」

 

 くすくすと可笑しそうに笑う私を、目を細めて見つめる提督は、とても綺麗な瞳をしていた。

 あの日からなにひとつ変わらない、まっすぐな瞳。

 

「遅くなってすみませんでした。最後になりましたが、あなたを迎えに来ました」

 

 言って右手を差し出した提督に、私は自分の左手を重ねそうになったが、すぐに引っ込めた。

 これ以上、なにを望むことがあるのだろうか。

 もう提督からは、抱えきれないほどたくさんのものをもらっている。

 もう提督には、返しきれないほどの恩がある。

 

「……私は、提督がいてくれるだけで充分ですよ」

 

 べつに、うしろ向きなわけではない。

 本当に心の底からそう思っているし、本当に心の底から今が幸せだと、そう思う。

 それでも提督は変わらずに、微笑したまま言葉を繋げた。

 

「もうみんな前を向いて歩いていますから、あなたのことも教えてください。俺が知りたいんです」

 

 そういえば、昔もよくこんなふうに笑いかけてくれた。

 幼さを残した笑顔や、時折見せるとても大人びた表情が印象的だった。

 

「願いごとでもいいですよ。あなたのためなら、俺はなんだってします」

「……ではひとつだけ、私のお願いを聞いてくれますか?」

「ひとつと言わず、十でも百でも聞きますよ」

 

 歯を見せて笑った提督に、あの日が重なる。

 この笑顔を、私はなにより深く愛していた。

 

「膝枕を……してもらえますか?」

「え、そんなことで──ていうかいいんですか? 俺なんかの膝で?」

「はい。あなたの膝がいいのです」

 

 そう返すと、「では……」と遠慮がちに苦笑した提督に手を引かれ、私たちはソファに腰かけた。

 ゆっくりと、慎重に身体を倒して、隣に座る提督の膝に頭を預けると、提督はそっと私の頭に手を置いた。

 

 ──自分で言い出したことだけれど、これは思っていたよりも、

 

「……少し恥ずかしいですね」

 

 言って恥ずかしさをごまかすように苦笑すると、提督は私の頭を優しく撫でた。

 

「鳳翔さんの話、聞かせてもらえませんか?」

 

 降りそそぐその声があたたかくて、私は目を閉じた。

 気を抜けばあっさりと眠りに落ちてしまいそうになるくらいに、ここは居心地がよすぎる。

 

「長くなりますよ?」

「ええ。あなたとの思い出を、たくさん聞かせてください」

「……では、そうですね」

 

 ────あれは、まだ少し肌寒い春の日のことだった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

 鎮守府の門前で提督を出迎えようと待ち侘びていると、その人は律儀に15分前に到着した。

 大きな荷物を抱えて、強く吹く風を少し鬱陶しそうに、片手で軍帽を押さえながら。

 

「今日からこの鎮守府で指揮をとることになりました。若輩者ですが、よろしくお願いします」

「まあ。ずいぶんとお若い方が来られましたね」

 

 見た目から、この若さで将官になるなんてとてもすごいことだと、尊敬の意を込めて言ったのだが、言葉選びが悪かったらしい。

 彼はむっと表情を歪めて、不満げな態度をあらわにした。

 

「航空母艦、鳳翔です。ふつつか者ですが、よろしくお願い致します」

「……あたりまえですけど、俺は成人してますからね。酒だって飲めますから」

「ご無礼をお許しください、提督」

 

 失礼なことを言ってしまった。

 そう反省して深々と頭を下げると、彼は困ったように「そこまでしなくても……」と慌てた。

 

「……やはり、配属されたのは俺と、あなただけみたいですね」

 

 ぐるりと辺りを見まわし、苦笑した提督に同じく苦笑で返す。

 

「そうですね。たったふたりだけです」

「まあ、始まりはこんなもんか……」

 

 新設されたばかりのこの鎮守府には、私以外の艦はまだ配属されていない。

 提督が言ったように、始まりとはいつだってこんなものなのだろう。

 

「それはそうと、長旅でお疲れでしょう? お茶を淹れますので食堂へ参りましょう」

「……ああ、助かります」

 

 風が冷たくて、少し冷える。

 外で長々と話すのも気が引けて、私は中へ入るよう促した。

 門をくぐり、本館の隣に併設されてある食堂までの道をゆっくり歩く。

 新設されたばかりの綺麗な鎮守府をぐるりと見まわして、提督は「広いですね、無駄に」と、目を丸くして感心していた。

 

「すぐに淹れますから、座って待っていてくさい」

 

 食堂へとたどり着き、抱えていた大荷物をいったん置いた提督は、立ったままそわそわとこちらを見ていた。

 

「……やっぱり自分でやります。なんか、気が引けるので」

「構わないでください。私は提督の艦娘なのですから」

「──俺の艦娘。なんか、いい響きですね」

 

 きりりと眉を上げて言った提督に苦笑で返して、私はお茶を淹れるため調理場へと向かった。

 提督は椅子に座ってからも落ち着かない様子だった。

 そんな提督のもとへ淹れたお茶を差し出して、隣で様子を窺っていると、彼は「座ってください」と正面の席に視線をやった。

 その言葉に従い、提督の正面に腰をおろす。

 提督は「ありがとうございます」と呟いて、ゆっくりと湯呑みを持ち上げた。

 

「……」

 

 猫舌なのか、提督は何度も息を吹きかけてお茶を冷ましている。

 そんな彼を見て、つい笑みがこぼれてしまった。

 

「……なんですか、なにがおもしろいんですか」

 

 かわいらしい──などと失礼なことを思ってしまった。もちろん、口にはしない。

 そんな私を見て、提督は不満気に唇を尖らせた。

 

「いえ。熱いのは苦手でしたか?」

「ははは、まさかまさか。この俺が猫舌に見えますか?」

「それはもう」

 

 くすくすと笑った私から、提督はばつが悪そうに視線を逸らした。

 ──よかった。着任されたのが、人のよさそうな提督で。

 

 

 

 

 

「……鳳翔さんは、べつの鎮守府からここへ来たんですか?」

 

 曰く、〝無駄に広い〟鎮守府を案内しながら歩いていると、手持ち無沙汰だったのか、提督はそんなことを訊ねてきた。

 

「いえ。私もここが初めてです。提督よりほんの数日前に着任しました」

「てことは、鳳翔さんも俺と同じ新米ということだ」

「ええ。ですから、あなたが初めての提督です」

「そうですか。でも、よかったな。俺の初めての艦娘が、あなたのように優しい艦娘で」

 

 そう言って目を細めて笑った提督の表情(カオ)は、先ほどから感じていた幼さを一蹴してしまうような、ひどく大人びた笑顔だった。

 そんな彼の頭上に、開いていた廊下の窓から風に吹かれて入ってきた桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちた。

 

「提督」

 

 立ち止まり、向き直った私に、提督はことりと首を傾げた。

 

「少ししゃがんでいただいてもよろしいですか?」

「はい……?」

 

 不思議そうに私を見下ろしながらも、提督はゆっくりと膝を折って、私と目線の高さをあわせてくれた。

 そんな彼の頭に、「失礼します」と断りを入れてから、そっと手を伸ばす。

 掴んだ桜の花びらを提督の眼前に差し出して、私は微笑した。

 

「これで、大丈夫です」

 

 至近距離で、ぱちぱちとしばたかせた提督の瞳は、とても綺麗だった。

 

「ありがとう、ございます……」

「いえ。──これから、よろしくお願いしますね、提督」

 

 照れくさそうに、少し頬を赤くして言った提督がかわいらしくて、私はまた笑った。

 

 ──それから執務室、寝室、入渠ドックに資材置き場……鎮守府の端から端までまわり終えると、すっかり日は傾き始めていた。

 

「まだふたりしかいないのに、ほんと広いですねこの鎮守府。無駄に」

 

 ぐったりとした様子でぼやいた提督は、「やっぱり荷物まとめて田舎に帰ろうかな」と、冗談めかして苦笑した。

 

「これからたくさん増えていって、すぐに窮屈なくらいになりますよ」

「……まあ、そうなるようにがんばります。ほどほどに」

「ではそんな提督を応援して、今日のお夕飯は腕によりをかけて作りますね。なにか食べたいものはありますか?」

「え、鳳翔さんの手料理? いいんですか? いくら払えば──」

「無料です……!」

 

 おもむろに上着の内ポケットから財布を取り出した提督を制して、私は苦笑を浮かべた。

 冗談なのか本気なのかわからない。

 

「……あれ! あれが食べたいです」

「……? どれでしょうか?」

「ほら、家庭料理といえば──のあれですよ。ええと……」

「肉じゃが……?」

「それです! 作れますか?」

「はい! 得意ですよ」

 

 目の前で両手をあわせて微笑した私に、提督はきらきらと瞳を輝かせていた。

 こんなにかわいらしい反応をもらってしまうと、より一層張りきってしまう。

 

 ──まだまだ幼さを隠しきれていない提督だけど、優しさがあふれ出る彼の笑顔を見て、これから先が楽しみだと、そう思った。

 

 

 

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