あの日の約束   作:喬 

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2話

 その後、鳳翔さんの看病のおかげで風邪もばっちり治って今に至ると。

 

「復帰初日の仕事は、まず秘書艦を決めることだな」

 

 大きく伸びをして、窓の外に目をやると、波止場で腰を下ろして海の向こうを見つめたまま動かない少女の姿が映った。

 あれは確か……。

 

 〝今はまだ見えていないだけなんです〟。

 

 鳳翔さんの言葉を思い出し、その子のもとへと向かう。

 俺も、まだなにも見えちゃいない。こんなところで立ち止まっていられない。

 ……()()()()()()()を、反故にするわけにはいかないから。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「隣、いいか?」

 

 依然として海の向こうを見つめたままの少女に、うしろから声をかけた。

 

「……提督か。どうぞ」

 

 少女はちらりとこちらに目を向けて、両手で膝を抱えたまま表情ひとつ変えずに応える。

 それは素っ気なくて、嫌われているというよりはまるで俺に興味がないかのようだった。

 

「驚いた。俺のこと、提督って呼んでくれるんだな」

「提督は提督でしょ。そこに拘りはないよ」

「……そうか。じゃあ俺も、時雨って呼ばせてもらってもいいか?」

「お好きにどうぞ」

 

 彼女はこちらを見ずに淡々と応える。

 全員が全員俺を嫌っているわけではないらしい。

 それは先日の俺に対する鳳翔さんの態度からも窺えた。

 鳳翔さんのように俺に好意を──いやいや、ちょっと優しくされただけですぐ勘違いしてしまうのはいかがなものか。

 彼女は俺だけに優しいのではなく誰に対しても優しいだろうし、優しさと好意が表裏一体なわけでもない。

 彼女が誰かに優しくすることは、きっと息をするくらい当然のことで。だからべつに──ってなんで俺はひとりで、心の中で長々と言い訳を並べ立てているんだ。

 ……ええと、つまり俺が言いたいことは、この鎮守府の全員が提督(おれ)に嫌悪感を抱いているわけではなく、鳳翔さんのような人もいれば、時雨のように興味関心が皆無な艦娘もいる、ということで。

 

「ええと、ここでなにしてたんだ?」

「……海の向こうを、ただ見つめてただけさ」

 

 そう答えた彼女の、無表情だったはずの時雨の横顔が、一瞬だけ歪んだような気がした。

 きっとこの鎮守府にいる艦娘は、なにかしら心に傷を抱えているのだろう。

 勝手な、気持ちの悪い推測かもしれないが、そう思った。

 そしてできることなら彼女らの力になりたいと、独善的なことも思ってしまった。

 

「……あのさ、もしなにか悩みとかあるなら……」

「提督には関係ないよ」

 

 俺の言葉を遮り、立ち上がった時雨はずっと海の向こう側を見つめていた。

 潮風になびく髪のせいで表情はあまり窺えなかったが、その横顔はやはりひどく苦しそうに見えた。

 

「これは……僕だけの問題だから。提督(キミ)には関係ない……」

 

 言って、くるりと踵を返して時雨は鎮守府の方へと戻って行く。

 彼女は、なんて悲しい瞳をしているんだろう。

 まるで全てをひとりで背負い、なにもかもに絶望してしまったような。

 ひどく寂しくて、ひとりぼっちの、悲しい瞳。

 

「そんな表情(カオ)して言われて、ほっとけるわけないだろ……」

 

 時雨が去っていったあとも、しばらくその場から動けなかった。

 そりゃあ、余計なお世話だと言われれば返す言葉もないが、だからといって見なかったことになんてしたくない。

 わかってる。これは自己満足だ。

 そんなことくらいわかってはいるけれど、それでもやっぱり願うのは……。

 

 

 

 ──その翌日も、相変わらず時雨は海の向こう側をじっと見つめているだけで……昨日と同じように俺は時雨のもとへと向かい、同じように声をかけた。

 

「隣、いいか?」

「……どうぞ」

 

 時雨の隣に腰を下ろし、同じように海の向こう側を見つめた。

 静かな波の音と、鳥たちの鳴き声。それから潮風が優しく頬を撫でるくらいで、とりたてて特別な風景ではない。

 もしも彼女が隣で笑っていたのなら、それらは全てが美しくて、心地よく感じることもできたのかもしれない。

 

「──時雨」

 

 だから、もしもそんな未来があるのなら。

 ほんの少しでも、踏み込むことを許してもらえるのなら──

 

「なに」

 

 相変わらず彼女はこちらを向かず、無表情のままに応える。

 

「俺の秘書艦になってほしい」

「……それは、ずいぶんと唐突だね」

「まどろっこしいのは得意じゃないんだ」

「せめて理由は欲しいかな」

 

 ようやく彼女は、こちらに顔を向けて、まっすぐに俺と目を合わせた。

 潮風が髪をさらって、俺たちの間を通り抜けていく。

 正面からまともに、まじまじと見つめてみると、思っていた以上に彼女はかわいらしい顔をしていた。 

 

「君は……隣に置いておかなければ、明日にでも消えてしまいそうだから」

「……なにそれ。僕は物じゃないんだけど」

「ごめん、そういうつもりじゃなくて。ええと、とりあえずこれは命令じゃない。断ってくれても構わない」

「それじゃあ、丁重にお断りさせてもらうよ」

 

 そう言って、時雨は立ち上がってスカートについた砂埃を払うと、なにか言いたそうに数秒俺の顔を見下ろしたあと、静かに去っていった。

 ……まあ、わかっていたこととはいえ、フラれるのは少々こたえるな。

 中学高校と6年間、計6回フラれたことのある俺だが、やはり心が痛い。ていうかフラれすぎだろ俺。

 

「……」

 

 自身の過去についてか、時雨にフラれたことか。

 どっちについてか自分でもわからないままため息をついて、その場から立ち上がる。

 ──この鎮守府の艦娘たちはみな、なにかを抱えている。

 加賀たちも強がってはいるが、風が吹けば消えてしまいそうなくらい弱々しくも見える。

 そこに踏み込むことは、正しいと言えるのだろうか?

 誰にだって見せたくないもののひとつやふたつくらいある。それを見せてくれたとして、なんとかしてやれるだけの器量が俺なんかにあるのかと問われれば、もちろんそんなものはない。自信を持って言える。

 

 そんな俺が彼女らのためにできることなどあるのだろうか──とそんなことを考えながら歩いていると、一航戦の赤い方とばったり出会ってしまった。

 

「うぇっ……」

「えっと、赤城さん……? 露骨に嫌な顔するのやめてもらえます……?」

「なんですか、なにか用ですか? 提督に乱暴されたと加賀さんに訴えますよ?」

「そんなことされたら俺は今度こそ加賀さんに殺されてしまう……」

「だったら私にはなるべく関わらないようにしていただけますか?」

「嫌だ、って言ったら?」

「加賀さんと瑞鶴を呼んできます」

「それだけは勘弁してください」

 

 言われてから土下座までに一秒とかからなかった。

 おそろしく速い土下座。オレでなきゃ見逃しちゃうね。

 

「はあ……。一応、聞くだけですからね」

「……?」

 

 きょとんと目を丸くして、その意図を訊ねると、赤城はもう一度、ことさら大きなため息で返した。

 

「なにか話しがあるのでしょう?」

「あ、赤城さん……っ!」

 

 俺を見るたびに嫌そうな顔はするけれど、なんだかんだ俺の話はちゃんと聞いてくれる。

 執務室に案内してくれたときもそうだ。赤城も、この鎮守府にいるみんなも、きっと心根は優しい子たちばかりなのだろう。

 微塵も隠すことなく、めちゃくちゃ嫌そうな表情(カオ)をしているのだが、きっと心根は優しいはずだ。

 うんうん。そうに決まっている。

 そう……ですよね? 赤城さん?

 

 とりあえず、立ち話もなんなので執務室へと移動して、お茶をふたつテーブルの上に用意して、赤城が腰かけるソファの向かいのソファに俺も腰を下ろした。

 お茶はもちろん、俺が淹れた。

 湯気がたちのぼる湯呑みに口をつけて、ふうとわざとらしく息を吐いてから本題を切り出すと、ぴくりと彼女の肩が震えて、あきらかに空気が変わったのを肌で感じた。

 とても重苦しく、凍えるほどに冷たい。

 

「──ここにいる艦娘たちの過去、ですか?」

 

 それは、決して踏み込んではいけないと強く警告しているようだった。

 

「それを聞いてどうするおつもりですか?」

 

 恐ろしいほどに冷たい声で赤城は問いかけてくる。

 その瞳は誤魔化すことを許さないと、そう言っているようで。

 

「俺はこの鎮守府の、君たちの提督だ。悩んでいる子がいれば力になってあげたいと思うのが普通だろ?」

「普通、ですか。ここにきて一週間そこらの提督が、大層なことを言うのですね」

「時間は問題にはならないよ。目の前に、ひとりでは起き上がれない人がいれば、俺は手を差し出すよ」

「……聞くだけだと言いましたので。私から答えられることはひとつもありません」

 

 言って、ぺこりと一礼してその場を去っていく赤城のうしろ姿にかけられる言葉は浮かばず、悔しくて下唇を強く噛んだ。

 べつに、必要とされていないことくらいわかっている。

 今までもきっと、彼女らは自分たちだけでやってきたのだろうから。

 だから今の俺は滑稽で、鬱陶しくて、独善的に映るだろう。

 頼んでもいないのにやって来て、頼んでもいないのに首を突っ込んでくる。

 俺だって彼女らの立場ならこう思うだろう。

 気持ちの悪い偽善者だ──と。

 

「……」

 

 湯呑みの中のお茶に反射して映る自分の顔は、ひどくやつれて見えた。

 

 

 

 

 

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