「提督」
まだ気持ちよさそうに眠る提督を揺り起こすと、提督は少しはだけていた毛布を頭からかぶりなおして、絶対起きないぞと意を示す。
まったく……。これでは本当に母親になったような気分だ。
「提督。起きてください」
「あ、あと5時間……」
「今日もやるべきことは山積みです。まだまだ執務がたくさん残っているのですから、しっかりしてください」
「……わかりました……。起きますよ……」
もぞもぞと顔を覗かせた提督は不満げだったが、しばらくしてから寝ぼけた目を覚ますように大きく伸びをして、上半身を起こした。
「おはようございます、提督」
「……おはようございます、鳳翔さん」
小さなあくびを噛んで、提督は乱暴に前髪をかき上げた。
普段は前髪で隠れていてあまりよく見えないが、下まつ毛が長く、左目の下にほくろがある提督の顔は、どちらかといえば中性的で少し見惚れてしまう。
「……」
「……? なんですか?」
「あ、いえ……」
綺麗な顔だなと、まじまじと見つめていると、提督は少し訝しむように目を細めて、手を離してぱさりと前髪を落とした。
「二度寝してもいいですか?」
「だめです」
それからすぐに身支度を整え、朝食をとるために食堂へと向かう。
テーブルにはもうすでに料理は並べていて、私たちは向かいあって腰をおろした。
「鳳翔さん」
たまご焼きを一切れ口にした提督はゆっくりと咀嚼したあとのみ込んで、いつになく真剣な眼差しを向けてくる。
「はい」
よほど大事な話でもあるのだろうか。
そう思わせられてしまうほどに、提督はまじめな
「お花見しませんか?」
「はい──……え?」
変に身構えていた私は、あまりの落差に服の襟もとがずり落ちるような、そんな気分になった。
端的に言うと、呆気にとられた。
「鳳翔さんのお弁当を持ってお花見したい。舞い降る桜の下で微笑む鳳翔さんをこの目に焼きつけたい」
「ええと、提督……?」
「だめですか? こんなにも綺麗な桜ですよ? 散ってから後悔しても遅いですよ?」
うるうると、わざとらしく目を潤ませて問いかけてくる提督に、私はひとつため息をついた。
もしかすると私は自分が思っているよりも、提督に甘いのかもしれない。
「……明日からはまじめに執務に取り組むと、約束できますか?」
「もちろんです!」
──結局執務は明日にまわして、朝食をとり終えてからお弁当の準備を始めた。
重箱はないのでおにぎりと、適当な容器におかずを詰めて。その隣で提督はずっと嬉しそうに洗い物をしていた。
そうして準備を済ませて、腹ごなしも兼ねて私たちは電車に乗って桜の木が立ち並ぶ大きな公園へと向かった。
「デートですね」
浮かれているのか、にこにこと上機嫌でそんなことを口にした提督は、とくに気にするふうもなく窓の外の景色を眺め始めた。
ガタンゴトンと、電車に揺られながら、ゆっくりと移りゆく風景に私も目を向けた。
「……」
──提督が外の景色に夢中でよかった。
苦笑を浮かべて、私は熱くなった頬を冷ますように手でぱたぱたと扇いだ。
もう少し、心の準備をさせてほしい。
それからしばらくすると提督はすうすうと寝息を立てながら私の肩にもたれかかってきた。
彼の落ちる前髪を指で流して、その寝顔を見つめる。
やっぱりまだまだ幼さが隠しきれていなくて、私はふっと笑った。
──かわいらしい、と。
「──おお! 屋台もたくさんありますね!」
長い時間電車に揺られて、ようやくたどり着いたそこは、桜並木の中にいくつもの屋台が立ち並んでいた。
今日は土曜日だから、咲きほこる桜の木の下には老夫婦、子連れの家族、初々しい男女のふたり組と……様々な人たちであふれ返っている。
……もしかしたら、私と提督もそんなふうに見られているのかもしれない。
〝デート〟なんて言葉を軽々しく口にしてくれた提督のおかげで、そんなことがよぎってしまった頭をふるふると振って、嬉しそうな提督に目を向けた。
「ほら、見てください鳳翔さん! 満開ですよ!」
まわりではしゃぐ子どもたちに負けないくらい楽しそうに、少し前を歩く提督を見て、残した執務が心配だったけど、それと同時に微笑ましくもあった。
「──提督、こちらへ来てください」
「どうしたんですか?」
立ちどまり、呼びかけると、提督はことりと首を傾げて私のもとへ戻ってくる。
正面から立ち姿を見上げると、私より背はずっと大きく、顔が整っているから大人びて見えないこともない。
「少し、屈んでください」
「……はい」
なにごとかと緊張した様子で、膝を折って目線の高さをあわせてくれた提督の頭にそっと手をやり、ついていた桜の花びらをとった。
「提督は、好かれていますね」
冗談めかして笑って桜の花びらを見せると、提督は照れくさそうに目を逸らした。
「ありがとうございます……」
ひとつ、気づいたことがある。
私は提督のこの表情が好きだ。
もっと見ていたいと、そう思ってしまう程度には。
「ふふっ。お昼ご飯にしましょうか」
すでに広場にシートを敷く場所はなく、私たちは空いていたベンチに腰をおろして、膝の上にお弁当を広げた。
一緒に準備をしたはずなのに、提督はおかずが詰まった容器の中身を見て、きらきらと目を輝かせている。
まだ出会ったばかりで、幼さが残るこの提督は、どうしてか惹かれる魅力がたしかにあった。
「──なんか、こういうのいいですよね」
遠くで響く子どもたちの笑い声が聞こえる。
恋人、家族……様々な人たちを眺めながら、提督はひとりごちるように言った。
「俺は、愛を知らずに育ったんです」
やわらかく微笑した提督の前髪が風に靡いて、その表情を隠してしまう。
それは、彼の気持ちすらも隠してしまうようないじわるな風で。
私はなにを言えばいいのか、なにを言えるのかもわからずに、彼の言葉の続きを待つことしかできなかった。
「暗い話がしたいわけじゃないんです。ただ、あなたにお礼が言いたくて」
「お礼……ですか?」
「はい」
言って、こちらを向いた提督は愛おしそうに目を細めて、微笑した。
「今日もまたひとつ夢が叶いました。ありがとうございます、鳳翔さん」
「夢……?」
「ええ。お花見もそうですし、ずっと……誰かと一緒にあたたかいご飯を食べたかった」
「言ってくだされば、いつでも提督のお好きなものを作りますよ。お口にあうかはわかりませんが』
「鳳翔さんが作るものならなんでも美味いですよ。……それに、べつに美味しくなくてもいいんです。俺のために作ってくれる……それがたまらなく嬉しいんです」
まだまだ幼いと思っていた提督の笑顔が、とても大人びて見えた。
「だからありがとうございます、鳳翔さん」
言って前を向いて、遠くを見つめる提督に、また私はなにも言えなかった。
この人は、今までたくさんのものを諦めて生きてきたのかもしれない。
……少し寂しそうな横顔を見て、そんなことを思った。
「鳳翔さんは優しいから、つい甘えてしまって。……明日からは、ちゃんとがんばります」
「──……私も、精いっぱいお手伝いしますね」
きゅっと、強く抱きしめてあげたいと、失礼なことを思ってしまった。
そんな私の気持ちを見透かしたように、それ以降の提督はずっと明るかった。
× × ×
翌日、提督を起こしに寝室へと向かったが、そこにはもう提督はいなかった。
執務室を覗くと、真剣に執務に取り組んでいる提督の姿が見えた。
そんな提督を見て自然と笑みがこぼれる。
気づかれないよう、そっと執務室の扉を閉めて、急いでお茶を淹れて執務室へと戻った。
「お疲れ様です、提督」
「ああ、鳳翔さん。ありがとうございます」
差し出したお茶を手に取り、熱そうにひと口飲んだあと机の上に置いた提督は、再び執務へと取りかかる。
「提督」
「……?」
「寝癖がついています」
言って、手櫛で提督の髪を撫でると、彼は照れくさそうに目を伏せた。
「……もっと早く教えてください」
──それから数ヶ月が経ち、だんだんと暑い日が増えていった頃……新しい艦娘がやってきた。
「はじめまして吹雪です。よろしくお願い致します」
「ついに……うちにも新しい艦娘が……!」
「え!? し、司令官!? 泣いているんですか!?」
大げさに袖で涙を拭うふりをする提督に、吹雪ちゃんはあわあわと慌てふためいていた。
「提督。あんまり困らせてはいけませんよ」
「……わかってますよ」
「暁よ。一人前のレディーとして扱ってよね」
「ははは、暁はかわいいなあ」
「ちょっと! 急に頭を撫でるなんてレディーに向かって失礼よ!」
「うんうん。暁は立派なレディーだよ」
「もうー! にやにやしないで!」
「特型駆逐艦『曙』よ。って、こっち見んな! このクソ提督!」
「く、クソ提督、だと……?」
「な、なによ……。もしかして怒ってるわけ……?」
「もっと言ってくれ!」
「──な、なにしてんのよ! いきなり抱きつこうとすんな! うざい! クソ提督!」
「いた、痛い痛い! 顔掴まないで!」
「クマー。よろしくだクマ」
「あー、癒されるなあ。球磨はほんとかわいいクマー」
「球磨の口癖をマネするなクマ……」
「いや、ちがうクマ。マネしてるわけじゃなくて、おかしいクマ。なんか移っちゃったクマ」
「……バカにしてるクマ?」
「そ、そんなことはないクマ! 魚雷をしまうクマ!」
──吹雪ちゃんを皮切りに、一年も経つと次々と新しい子たちが着任した。
最初は私と提督だけで、広すぎると感じていた鎮守府も少し窮屈に思えてきて、私と提督の声しか聞こえなかった鎮守府に、たくさんの笑い声が響く。
今年は……賑やかであたたかい春がやってきた。