あの日の約束   作:喬 

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33話

 ──凄まじい爆音と衝撃が響いた。

 窓硝子は粉々になり、入口のドアは吹き飛ばされている。

 寝ぼけた頭でもなにが起きたのかはすぐにわかった。

 

 提督の無事を確認するため、私は部屋を飛び出した。

 その途中朧ちゃんたちと合流して、まずは鎮守府の外へと向かうことにした。

 

 ──きっと、運が悪かった。ただそれだけだ。

 潮ちゃんをめがけて落ちてきた天井から彼女を守り、私はそれの下敷きになった。

 

「……鳳翔さん!」

「いいから! ……私も、すぐに追いつきます。今はとにかく逃げてください」

 

 そう言った私の声も届かないくらい泣き崩れ、潮ちゃんは何度も謝った。

 私のせいだ、ごめんなさい……と。

 それよりも早くこの場を離れてほしかったから、私は朧ちゃんたちの方へと目をやった。

 

 きっと、みんなすごく不安だったと思う。

 彼女らも潮ちゃんと同じように涙を浮かべて身体を震わせていたけれど、私と目があうと、それを汲み取ってくれたかのように朧ちゃんは「わかりました」と小さな声で返事をしてくれた。

 曙ちゃんは、嗚咽を漏らしてうずくまり、動き出せないままの潮ちゃんの腕をとって立ち上がらせた。

 そんな曙ちゃんに、朧ちゃんと漣ちゃんは目配せをして、彼女らはごめんなさいと、今にも消え入りそうな声でつぶやいた。

 

「大丈夫ですよ。……また、あとで」

 

 涙を落としながらも、こくりと頷いた3人は、泣きわめく潮ちゃんを支えてこちらに背を向けた。

 

「……みなさん、どうかご無事で」

 

 走り去って行く4人の背中を見送り、すっかり重くなってしまった瞼を閉じる。

 

 不思議と、落ち着いていた。

 とくとくと、規則正しく動く鼓動の音が聞こえる。

 

「……」

 

 ──楽しかったな。

 薄れゆく意識の中、そんなことを思った。

 

 海上での争いはあれど、この鎮守府には笑顔が絶えなかった。

 暑い夏の、大きな声で鳴く蝉の声にも負けないくらいの笑い声と、積もるほど冷たい雪の日にも負けないくらいのあたたかい笑顔。

 たくさんの子たちに囲まれて、私の傍にはいつも提督がいてくれた。

 

 ────提督。

 ────この鎮守府であなたと出会い、こんな私にも期待してくださって、たくさんの愛情を注いでくれましたね。

 

 潮風が運んでくる磯の匂いが大好きで、幼な子のように無邪気にはしゃぎ、笑いあう駆逐艦の子たちが大好きだった。

 こんな私を慕ってくれる空母の子たちが大好きだった。

 この鎮守府の、みんなが大好きだった。

 

 世界初の空母として建造され、まだ不慣れな私を支えてくれて、長い間秘書艦として、(いち)戦力として、必要としてくれて……。

 指輪までくれて、特別だとも言ってくれて……それから──

 

「……」

 

 不意に、涙がこぼれ落ちた。

 今さら、心がもう提督と会えないことを現実として受けとめたらしい。

 傍にいたい。傍にいてほしい。

 そんな思いが、次から次へとあふれ出てくる。

 

 まだ、提督になにも伝えられていないのに。

 抱えきれないほどの、返しきれないほどの愛をいただいたのに。

 

 ──私は、なにも伝えられなかった。

 

「提督……」

 

 それが悔しくて、つらくて、苦しくて。

 あふれ出る涙がとまらなかった。

 

 たった一言でよかったのに。

 愛していると、そう伝えられたなら。

 きっと、それだけで提督は私のすべてを知ってくれたはずなのに。

 

 どうしてあのとき、言えなかったのだろう。

 どうしてあのとき、言わなかったのだろう。

 

 伝えたいことがたくさんありすぎて、でもそれは──たった一言でよかったはずなのに。

 

「てい……とく……」

 

 何度も、彼を呼んだ。

 ひとつずつ、後悔を置いていくように。

 何度も彼を呼んだ。

 

「……」

 

 次第に、私の喉は吸い込んだ煙のせいでひどく炎症を起こして、もう声も出せなくなった。

 涙も乾いて、瞼が重くなっていく。

 私は最後の気力を振り絞り、もう一度口を動かした。

 

 ────提督。

 

 ────ずっと、あなたを愛しています。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

 医務室のベッドの上で、私は目覚めた。

 曖昧な記憶を手繰り、なぜ自分がここにいるのかを思い出す。

 ──私は飛び起きて、あたりをぐるりと見まわした。

 

 私が眠っていたベッドの横には椅子が置かれていて、そこには俯いた赤城さんが腰かけていた。

 

「……鳳翔さん、」

 

 俯いたまま、彼女は私の名を呼んだ。

 

 ──聞きたくない。

 彼女の仕草や、声音から紐解かなくても、次に出てくる言葉は簡単に推測できてしまう。

 

 だって、私の隣に提督はいなかったから。

 

「……提督が、亡くなりました」

 

 そう告げた彼女は、やっぱり俯いたままだった。

 彼女はそれ以上なにも言わなかったけれど、私がここにいて提督がここにいないということは、きっとそういうことなのだろう。

 

 提督は──私の代わりに亡くなったのだ。

 

「……どう、して」

 

 信じられなかった。認めたくなかった。きっとすべてが悪い夢で、もう一度目を覚ましたら今度は提督が隣で微笑んでくれているのだと、そう思いたかった。

 やわらかな笑みで、「おはようございます」と、そう言ってくれると思いたかった。

 だから私は、「ごめんなさい」と彼女に一言だけ告げて、提督のいる部屋へと走った。

 

「──……提督」

 

 その表情はとても安らかで、ただ眠っているだけのように思えた。

 もう二度と目を覚まさないことも、あの優しい声が聞けないことも、すべてを受けとめてくれるようなあのあたたかな笑顔を見れないことも……。

 ぜんぶ……すべて、うそなんじゃないかと思えるほどに、

 

 ──それは綺麗だった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

「……」

 

 提督がいなくなった今年の桜は、今の私とは不釣りあいなくらいに綺麗に咲いている。

 今までふたりで見てきたどんな桜よりも、鮮やかに。

 風に吹かれてひらひらと舞う桜の花びらは、行き場を失いやがて地面へと落ちた。

 もしもそこに提督がいたのなら、きっと彼の頭の上に落ちた花びらを、私が取ってあげられたのだろう。

 そして彼は照れくさそうに目を逸らして、そのかわいらしい仕草に私は微笑する。

 

 もう叶わない。だからこそこんなに綺麗に見えるのだ。

 もう届かない。だからこそこんなに色鮮やかに、幻想的に見えるのだ。

 

 きっとこれから桜を見るたびに、私の胸はしめつけられる。

 つらくて苦しくて……けれど、私に傷つく資格なんてあるわけがない。

 だから私は目を伏せて、〝早く散ってほしい〟と。

 

 ……それだけを願い、こぼれ落ちる涙を拭った。

 

 

 

 

 

 執務室の窓を開けると、あたたかな風に乗って桜の花びらが飛んで入ってくる。

 少しの間執務室を彷徨っていたその花びらは、やがて机の上に置かれていた提督の軍帽の上へと落ちた。

 

「──……」

 

 あふれ出るように、涙がこみ上げてきた。

 嗚咽を漏らし、その場にしゃがみ込んでしまう。

 言葉が出てこない。呼吸さえもままならない。

 

 ────愛しています。

 

 たった一言、そう伝えたかった。提督がくれたたくさんの想いを返したかった。

 言えなかった言葉は、ずっと後悔として心に突き刺さったまま消えない。

 ここから一歩だって進めないことも、もう戻れないことも、すべてわかっているのに、涙はとまらなかった。

 こんなにも苦しいのなら。こんなにも悲しいのなら……。

 あなたに……出会わなければよかった……。

 

 〝──誰がなんと言おうと、私は提督に出会えて、心の底からよかったと、そう思っています。それはこれから先、何十年経っても変わることはありません〟。

 

 積もるほどの雪が降る凍えるような夜に、そんなことを言ったのを思い出す。

 私は強い吐き気に襲われて、右手で口もとを押さえた。

 

 ……たしかに出会わなければ知らないままでいられた。

 愛することもないまま、失わずにも済んだ。

 けれど、もう一度初めからやり直せるのなら、それでもきっと私はまたあなたに会いにいくはずなのに。

 〝出会わなければよかった〟なんて、そんなこと。思ってはいけない……思うはずがないことなのに。

 本当の気持ちがなんだったのか、どこにあるのか……なにひとつわからなくなった。

 ただひとつわかることは、

 

 私はもう、

 

「……」

 

 ────どこへもいけない。

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