「一週間そこらの提督が……とか言うんですよ赤城のやつ!」
グイッと、グラスの中の酒を喉の奥へ流し込み、空になったグラスでテーブルを叩く。
そんな感じですっかり酔ってしまった俺の姿を見て、鳳翔さんは苦笑いを浮かべた。
「あの、提督。少し飲み過ぎでは……」
現在時刻は23時を少し過ぎたところ。
これくらいの時間になると、各々自室にこもり、相部屋の仲間と談笑したり、はたまたぐっすりと眠っていたり、あるいは星空や夜の海を窓から眺めていたりするのだろう。
昼間とは異なり、俺と鳳翔さんの二人しかいない食堂は静かで、やけに広く感じてしまう。
いやまあ、日中に俺が食堂に足を踏み入れると総攻撃を受けかねないので近づかないようにしているから、広く感じるもなにもないのだが。
狭く感じたことがまずないし。
「……俺、やっぱりこの仕事向いてないんですかね」
「そんなことありませんよ。それこそ一週間そこらでわかることではないでしょう?」
幼い子供を宥めるように、あやすように彼女は優しく諭す。
彼女のその微笑は、とてもずるいなと、そんなことを思った。
見た目は俺とあまり変わらないようにも見えるのに、ひどく大人びていて、落ち着きがあって上品で。
気を抜くと思わず「好きです。付き合ってください」とか口走りそうになってしまう。で、普通にフラれるだろう。
「……鳳翔さんは、みんなの過去を知っているんですよね?」
「はい。私から聞きますか?」
「……いや、やめときます。きっとそれじゃなにも変わらないでしょう」
「ふふ。そう言うと思いました」
もう一本開けようとした俺から瓶を取り上げ、鳳翔さんはニッコリと笑った。
「めっ、ですよ」なんて少しおちゃらけたあと、思った以上に恥ずかしかったのか、頬を赤く染めている。
結婚してくれ。
「き、今日はもう休んでください」
熱くなった頬を冷ますように手でぱたぱたと顔を扇ぎながら、鳳翔さんは少しうわずった声で俺を窘めた。
鳳翔さんにそう言われちゃ、なにも言い返すことはできない。
歯を磨いてから大人しく自室へと戻り、ベッドに入り5秒ほどで眠りについた。
──翌日、強く窓を叩く雨の音にいつもより早く目を覚まし、小さく伸びをしてから窓の外へと目をやった。
その姿を見て、「やれやれ」とため息をつきながらも苦笑を浮かべる。
「艦娘って風邪とか引かないのか?」
今日もまた同じ場所に、時雨はいた。
× × ×
「隣、いいか?」
「……意外としつこいんだね」
「根性がある、と褒めてほしいもんだ」
差していた傘を時雨の頭上にあわせて、その隣に腰を下ろす。
当然地面はびしょ濡れなわけで、パンツまで浸水するのに2秒とかからなかった。
格好つけた手前、反応することはできずに澄まし顔のまま時雨へと目を向ける。
「ひとつ、訊いてもいいか?」
「傘、自分に差しなよ。僕は風邪なんて引かないから」
普段から鏡の前で練習していたキメ顔を作って問いかけたのだが、運悪く俺と時雨の言葉が重なってしまった。
時雨はことりと首を傾げて、「ごめん。なにか言おうとしてたよね?」と申し訳なさげに訊ねてくる。
「あ、いや、ええと……風邪を引こうが引くまいが、隣で女の子がびしょ濡れになってんだ。放って置けないよ」
「……だったら傘だけじゃなくタオルも欲しいんだけど」
「はい……そりゃそうですよね……」
至極当然のことを言われて、俺は大げさに肩を落としてしゅんと俯いた。
そんな俺の顔を覗き込むように少し下から目を合わせてきた時雨は、濡れた前髪を指で弾いて、言葉を繋げた。
「で、なに言おうとしてたの?」
はぐらかさないでよ、とでも言いたげな声音だった。
「……時雨はさ、俺のことどう思う?」
「なにそれ、唐突すぎる」
「ほら、気になるじゃん。自分の評価って」
「特になにかしたわけでもないのに、好感度とかあると思う?」
「辛辣だな」
「ごめんね」
やめてくれ。謝られると余計悲しくなる。
さらに落ち込んで肩を落とした俺を見て、時雨は目を細める。
笑ったわけじゃないけれど、その表情は初めて言葉を交わした日よりも、いくらかやわらかいような気がする。
「でもそれは逆を返せば、なにかをすれば好感度があがる可能性があるってことだよな?」
「そんな単純なものじゃないよ」
「そうですか……」
ざぁざぁと、大粒の雨はやむ気配を見せなかった。
晴れの日ならこの波止場から海が見渡せるのだが、生憎、濃い霧に包まれて数メートル先もおぼつかない。
まるで自分の〝これから〟をまざまざと見せつけられているような気がして、ひどく不安になる。
「提督は、僕なんかの好感度が欲しいの?」
「そりゃあ、美少女に好かれたくない男なんていないだろう」
「僕は美少女じゃないけどね」
「え!? じゃあ男の
「そういうことじゃないよ……」
時雨の自虐にボケて返したのだが、盛大なため息をつかれてしまった。
「ちなみに男の娘というのはな──」
「あ、それは説明しなくていいから」
──いつしか、彼女との会話は日常のようなものになり、約束したわけでもないのに、晴れの日も雨の日も毎日同じ時間、同じ場所でたあいのない話をするようになった。
「おはよう」から始まり、「またあした」で終わる。
笑顔は無かったけれど、心地のいい時間が続いた。
僕と提督が初めて言葉を交わした日から、一ヶ月の間提督は毎日僕のもとへとやって来た。
意味も、中身も、なにもない会話ばかりだったのに。
だからこそ、それが少し心地よかった。
提督はずっと、僕になにがあったのか聞きたそうにしていたけれど、でも聞いてこなかった。
──べつに、提督のことを信用したわけではないけれど、ただ……彼になら打ち明けてみてもいいと、そう思った。
絆されたわけじゃない。彼のことを気に入ったわけでもない。
それでも、きっと……この先一生涯消えることのない僕の罪を、知ってほしくなった。
「──僕はここに来る前、べつの鎮守府にいたんだ」
「──……」
初めて自分から、自分のことを話した僕に、提督は目を丸くして驚いた表情を浮かべた。
それから、僕の声音や表情から、愉快な話ではないと悟ったのか、なにも言わずごくりと息をのんだ。
「僕には妹がいたんだ。妹の夕立と僕は、そこで主力艦隊として戦っていた」
そこの提督は寡黙で冷徹だったけれど、嫌なやつというわけではなく、そして腕は確かだった。大規模作戦にも参加を命じられるほど。
そして僕と夕立も前線で戦果を挙げていた。
……けれど大規模作戦が始まると、大破する艦が続々と増えていき、高速修復材は底をつき、ドックは常に一杯の状態が続いた。
やがてろくに補給も、補修をしてもらうこともできず、僕たちは遂にそのまま出撃させられた。
「大破しているのに出撃、か」
「つまり……捨て駒だよね」
「……」
当然、僕たちはすぐに敵に囲まれた。そうやって僕たちが敵を引きつけて、その間に、提督は一気に海域攻略に乗り出した。
僕たちに助かる見込みなんてなかった。
僕たちは二人とも、あの海で沈むはずだったんだ。
二人一緒に、仲良く──
「夕立が……ひとりで囮になんてならなければ……」
「とめなかった……いや、とめられなかったのか」
「それができていたなら、僕は今ここにはいなかったよ」
「そう、だよな。悪い……」
「どうして提督が謝るのさ」
まるで自分が当事者だったかのように、提督は握ったこぶしに力を入れて、下唇を強く噛んだ。
「いや、わかってるんだ。俺が謝ったところでなにも変わらないし、俺とその提督とはなんの関係もない。けど、謝らなくちゃいけないと思った」
〝すまない〟。そう言って、提督は軍帽をとり、深く頭を下げた。
君のせいじゃないよと、そう応える代わりに、僕は話を続けた。
「……それからね、僕はぜんぶ、なにもかもどうでもよくなったんだ。命令も全て拒否してずっと海を眺めていた。そしたらお役御免になったみたいでさ、ここに送られたよ」
「……」
「ねえ提督──」
僕の呼びかけに、彼は俯いていた顔をあげて、僕と目を合わせた。
「僕たち艦娘は……戦うためだけに生まれてきたのかな?」
× × ×
あの日、僕の問いに提督は答えてくれなかった。
……答えられなかったと言った方が正しいのだろうか。
それ以来、毎日僕のもとに来てくれていた提督が来なくなって一ヶ月もの月日が過ぎた。
「……」
強い風が吹いて、波止場に波がぶつかる音が響いた。
──来てくれていた、か。
どうやら僕は知らぬ間に、ずいぶんと提督に惹かれていたらしい。