時雨の過去を知ったあの日から、俺は時雨に会いにいくことをやめた。
いや、正しくは会いに行けなかった。
〝ねえ提督──〟。
〝僕たち艦娘は……戦うためだけに生まれてきたのかな?〟。
その問いに、俺は答えられなかったから。
もちろん、そんなことはないと、心の底からそう思っている。
けれどあのときの俺がなにを言っても、それは全部うそになってしまうような気がしていた。
だから俺は探したのだ。
だから俺は証明したかったのだ。
その答えを。
「艦娘は戦うためだけに生まれてきたのか……か」
あの日の答えを携えて、俺は時雨のもとへと向かった。
× × ×
「時雨」
「……提督……、……!?」
「出かける。ついて来てくれ」
彼女と初めて、それから幾度となく言葉を交わした波止場へと向かうと、やはりいつものように彼女はそこにいた。
また、出会ったあの日のように苦しそうな瞳で海の向こう側を見続けている。
そんな時雨の腕をとり、強引に立ち上がらせた。
「ちょ、っと! いきなりなにするのさ!」
俺の腕を振りほどき、敵意こそ感じないまでも、彼女はキッと強くこちらを睨めつけた。
「ここに来れなかったのは、自信がなかったからだ。もちろん、艦娘にだって幸せになる権利はあると思ってる。いや、君たちは幸せにならなくちゃいけないんだ。……勝手に生み出されて、勝手な都合で戦わされて、挙げ句の果てに捨てられるなんて……そんな理不尽なことが許されていいはずがない」
「でも、そんな理不尽がまかり通っているじゃないか」
「ああ、その通りだ」
「だったら──……」
声を荒げた時雨を、真正面からまっすぐに見つめ返した。
彼女は途端にしおらしくなり、出しかけた言葉をのみこむと、ばつが悪そうに目を逸らした。
「だから、それを真っ向から否定させてほしい」
言って、もう一度彼女の手をとると、今度は振りほどくことはしなかった。
「無理だよ。提督がなにをしたって、僕はもう……」
「ぜんぶ、なにもかも諦めて、捨ててしまったから、か?」
「……ッ」
途端、時雨はもう一度俺の手を振り払い、こちらを強く睨みつけた。
「……そうさ! 提督が僕になにを求めていたって、もう僕はなんにもできないんだよ! なにも見たくない! なにも……、……もう、息だってしていたくないんだ……」
威嚇するように大声をあげていた時雨の声は次第に小さくなっていき、やがてぽつりぽつりと足もとに大粒の涙を落とした。
声も、身体も震えている。
俯いたまま、彼女はいくつも涙を落とした。
「僕が生きているのは、生かされたからだ……。この命が……夕立のものだからだよ……」
「時雨……」
「ねえ……提督は知ってる? 大切な人を失う悲しみを……その乗り越え方を……。知ってるなら、僕にも教えてよ……」
縋るようなその声は、ひどく痛々しかった。
ずっと、今までずっと……そうやって苦しみながら、死ぬことが許されないからただ生きてきた彼女の気持ちを思うと、張り裂けそうなほどに胸が痛くなった。
「……俺は、恵まれて生きてきた。不自由はなく、父さんは忙しくてほとんど家にいなかったけど、母さんはずっと傍にいてくれた。自分の意思で家を出て、俺はここに来たんだ。帰る場所だってある。だから……君の痛みを、苦しみを……俺は知らない」
懺悔のような俺の言葉を、時雨は俯いたままだまって聞いている。
「でも……だから──俺は君の気持ちを知りたいよ」
「──……」
ようやく顔をあげた彼女は大きな目を丸くして、その目から大粒の涙を流していた。
「代わってあげられないけれど、それでも──俺は君を知りたいよ」
「……提督なんかに、僕の気持ちがわかるはずないじゃないか……」
「でも、君のためにできることはある」
「なに、それ……」
「見てほしいものがある。聞いてほしい声がある」
「さっきも、言ったでしょ……。もう……なにも見たくない……」
「じゃあ、賭けをしよう」
言って、ゆっくりと時雨のもとへ向かった。
弱々しく彼女はその手を振り払おうとしたけれど、今度は離さなかった。
「なにも言わずついて来てほしい。それで、もし君が納得できなかったら、今度は俺が君について行く」
「……」
「君がもう苦しくて、生きていたくないと言うのなら。もう死んでしまいたいと言うのなら……俺もついて行くよ」
「そんなの……馬鹿げてる……」
「でも、もう君をひとりにさせたくない」
目を細めて、潤んだ彼女の瞳を見つめると、彼女はすぐに目を逸らした。
「わかった」と、そう応える代わりに、彼女は俺の手をきゅっと握り返してきた。
× × ×
──バスや電車などを利用して、約四時間近くは移動に費やしただろうか。
その間も会話はほとんど無かったから、体感ではもっと長く感じた。
ただ、繋いだ手だけは片時も離さなかった。
「ここは……?」
「見ての通り、鎮守府だよ」
目の前のどデカく綺麗な鎮守府に、時雨は腰が引けていた。
当たり前だが俺も驚いている。むしろ羨んでいる。どころか逆恨みまである。
新米の俺が言うのもなんだが、うちのボロっちい鎮守府とは雲泥の差だ。
これが社会的格差というやつですかそうですか。
「……えっと、昨夜連絡した者ですが、こちらの提督に会わせてもらえますか?」
などと妬んでいても仕方ないので、門の前で俺たちを待ってくれていた艦娘に声をかけると、「お待ちしていましたよ」と笑顔で応えてくれた。
俺はメガネ属性ではないのだが、つい惚れそうになってしまった。
いや、惚れやすすぎるだろ俺。
……とかバカなこと考えながら執務室の目の前まで案内してもらい、彼女とはそこでお礼を告げて別れた。
ちなみにとくに深い意味はないのだが、彼女の名は大淀というらしい。
いや、名前を訊ねたことに意味はない。いやほんとほんと。
「ちょっと提督! 一体どういうことか説明してくれないかな?」
「すぐにわかるよ」
戸惑う時雨を制して執務室の扉をノックすると、「どうぞ」と気のよさそうな返事が返ってくる。
大きく深呼吸をして扉を開けると、大柄だけどずいぶんと優しそうな40代前後くらいの提督が出迎えてくれた。
「急な訪問で申し訳ありません。快く引き受けて頂けたこと、感謝いたします」
軍帽を脱ぎ深々と頭を下げた俺に対し、その男は「かしこまらないでくれ」と優しい笑みを浮かべ、そのまま視線を俺から時雨へと移した。
「君が時雨くんだね。君のことはずっと前から知っていたんだ」
「え? 僕のことを……?」
「ああ。話で聞いていた通り、優しい
その言葉と同時に、男のうしろから恐る恐るといった感じに顔を覗かせた少女は、震える声で時雨の名を呼んだ。
「時雨……ずっと、会いたかった……」
「ゆう……だち……? うそ……。だって……」
「──あの日時雨を逃がすために囮になった夕立は、意識を失うまで戦い、運良くこの鎮守府に流れ着いたらしい。敵を全滅させたのか、上手く逃げ切れたのかはわからないが、夕立は沈んでいなかった。生きていたんだ」
俺の言葉は届いていないのか、時雨は目を見開いたまま声を出せずに固まっていた。
やがて目の前の光景が現実だと認識できたのか、固まっていた時雨はゆっくりと、ふらふらと夕立のもとへ向かい、震える手を夕立の頬へと伸ばした。
「夕立……」
夕立が生きていることをたしかめるように時雨は夕立の頬を撫でた。
夕立はその手を取り、ぼろぼろと涙をこぼしながら頬を擦りつけた。
「時雨ってば、すぐ無茶しちゃうから……またひとりで背負いこんで、もし……もう時雨がいなくなってたらどうしようって……ずっと、不安だったんだよぉ……」
力一杯時雨を抱きしめ、今まで溜め込んでいたであろう想いをぶつける夕立に、時雨も力一杯抱きしめ返した。
「夕立の方こそ……ひとりであんな無茶したじゃないか!」
きっとどちらも苦しくて、つらくて……。
自己嫌悪で潰れていく自分に、また自己嫌悪で。ずっと真っ暗で、まるで冷たい海の底に沈んでいくような感覚があったのかもしれない……。
たしかめる
だってもし、本当にもうこの世にいないのだという現実を突きつけられてしまえば、そこからまた歩き出すことは限りなく不可能に近いだろうから。
「僕はお姉ちゃんなのに、夕立がいなきゃ……なにもできなかった……。ごめん……ごめんね……」
「夕立の方こそ、ごめんね……。時雨……」
夕立も時雨も、ずっと泣いて、ずっと謝り続けていた。
お互いに後悔し続けていたんだろう。
自責の念に、ずっと縛られていたんだろう。
でもそれも今日で終わりなんだ。生きてさえいれば、何度だってやり直すことはできるから。
「──時雨」
しばらくして落ち着きを取り戻した時雨の頭をぽんと撫でて、腫れた目で俺を見上げてくる時雨に微笑した。
「もうすでに話は通していてな。君は今日からここの鎮守府で、夕立と一緒に過ごせるんだ。もう、寂しい想いなんてしなくていい」
「──……」
「君には俺の秘書艦になってもらいたかったが、それ以上に幸せになってもらいたいと思ってる。なに、向こうの鎮守府のことなら心配するな。俺に任せておけ」
「……提督」
「まあ寂しくはなるけどさ、べつにもう会えないわけじゃない。また時間をとって会いに来るし。短い間だったけど、時雨のことは大好きだった。俺のタイプは君みたいな女の子なのかもしれな──」
「提督!」
ぺらぺらと寂しさを誤魔化すように話し続ける俺の言葉を遮り、時雨は叫んだ。
べつに、肩がびくりと震えたり、「ひっ」と情けない声をもらしたりはしていない。
いやほんとほんと。
「なんだ……。急に大声出すなよ、驚きそうになったじゃないか」
「僕は帰るよ」
「は? なに言ってるんだよ。せっかく夕立とも会えたってのに……」
「うん。だから、夕立が生きていてくれただけで、これ以上ないくらい嬉しかったんだ」
「じゃあなおさら一緒にいた方が……」
と、言いかけた言葉が詰まってしまうほど、目の前の時雨はやわらかい微笑を俺に向けていた。
慈しむような、愛おしいものを見るような、そんな笑顔だった。ような、気がする。
……いやそれはないだろう。自意識過剰というやつだ。
「僕も提督が大好きなんだ」
「え!? まじ!?」
自意識過剰じゃなかったってことか? だって大好きってことはつまり大好きってことだろう?
おおよそ男女の間で起こりうる恋愛感情のことを指しているってことだよな?
だとしたらつまりどういうことだ。時雨は俺のことが大好きってことなのか?
「……時雨、また遊びに来てほしいっぽい」
「うん。時雨くん、またいつでも遊びに来なさい」
「ありがとうございます。夕立も、またね」
「ずぅ〜っと待ってるっぽい!」
俺が頭の中であれやこれやと色々妄想──考えているうちに、いつの間にか話は終わっていたらしい。
時雨は俺の鎮守府に残るらしいし、俺のことが大好きらしい。
× × ×
「やっぱ、わかんないな」
「うん?」
夕方の帰りの電車の中、俺を笑顔で見つめる時雨に疑問を投げかけた。
時雨の手には、駅の売店で購入した紅茶の入ったペットボトルが握られている。
「だって、なにも手につかなくなるくらい、夕立のことを想っていたんだろ?」
「……僕は、夕立を置いて逃げたからね。だから、今はまだ、夕立の隣に立てる僕じゃないから」
「夕立はそんなこと思ってないだろう」
「でも、強くならなきゃ……。今度は守れるようにね」
「まあ、時雨がそう言うんなら俺はとめないけどさ……」
行きと同じく、四時間近くかけ俺たちは俺たちの鎮守府へと帰ってきた。
夕立がいた鎮守府とはえらい違いで、小さくてボロい。
艦娘はたった10人しかいないし、そのほとんどから忌み嫌われているときたもんだ。
泣きたくなる。情けなくて。
しかも、時雨が俺のもとに残った本当の理由はべつに俺のことが大好きだったからじゃなかったみたいだし。
なんだそれ。泣いちゃうぞ。
「──ねえ提督」
「どした?」
心の中で大号泣していた俺を、数歩先を歩く時雨は無邪気な声で呼んだ。
足取りは軽く、顔は見えずとも笑顔でいることがわかる。
もう空になってしまったペットボトルを左手の先でふらふらと揺らしながら、すぅっと小さく息を吸って、時雨は言葉を繋げた。
「今日はありがとう。本当に、嬉しかったよ」
「……なに、気にするな。俺は君たちの提督だからな」
「……」
返事はなく、急に立ち止まった時雨にぶつかりそうになったがぎりぎりのところで持ちこたえた。
あぶねー。あともう少しでうしろから抱きしめてあわよくば胸とか触っちゃうラッキースケベが発動するところだった。
「いきなりとまったら危な──……」
ふわりと、時雨の髪の匂いがした。
柑橘系だ。甘いけど爽やかで、きっとベルガモットとかプルメリアとか、ええと……まあなんかそういう感じの香りだろう。たぶん、知らんけど。
それから、口の中には紅茶の味が広がった。……つい数分前まで時雨が飲んでいた、紅茶の味が。
「んっ……、……ごめんね。どうしても、提督に触れたくて……その、抑えきれなくて……」
月明かりに照らされた時雨の頬は、夕焼けのように赤く染まっていた。
春の
ファーストキスは
紅茶味(字余り)
……いやいや、違うだろ。
現実を見るんだ俺。
時雨きゅん
今すぐ君を
抱きしめたい(字余り)
いやダメですね。俺はダメな男だ。もうなにがなにやらさっぱりわからない……。
さっぱりではないな。わかったことはある。ファーストキスはレモンではなく紅茶味だということが。
「ただの兵器でも……人を好きになれるんだね」
──そう言った時雨は、間違いなく笑顔だった。どこからどう見ても笑っていた。
それでも理解はできてしまう。
もしかするとできたつもりでいるだけかもしれないけど、けど……。
「て、提督!?」
気がついたら、力一杯時雨を抱きしめていた。
その身体は思っていたよりもずっと華奢で。こんな身体で、あんなにも恐ろしい深海棲艦たちと戦ってきたのかと思うと、余計にそんなことは言わせたくなくて。
「自分のことをただの兵器だなんて……二度と言わないでくれ」
「本当のことだよ……」
「違う。君たちは兵器なんかじゃない……。誰かを想う心があるじゃないか」
──悔しかった。
そんなことを言わせてしまっているのは、他でもない俺たち人間なのだと知っていたから。
だから、その後ろめたさを誤魔化すように、抱きしめていた腕にさらに力を入れた。
「……どうしてだろう。提督がそう言ってくれると、すごく、うれしいな……」
言って、時雨は俺の背に腕をまわして、抱きしめ返した。
きゅっと、優しく。
「そういえば、賭けは提督の勝ちだね」
時雨は俺の胸もとに顔をうずめたまま、「どうしようか?」と言葉を繋げた。
「ずっと……」
「……うん」
「ずっと、俺の傍で笑っていてほしい……」
「へ!? そ、それって……、……ええと、ふつつか者ですが……?」
願わくば、彼女たちがいつまでも幸せであってほしいと、そんな想いを込めて言った俺に、時雨は「よろしく、お願いします……」と小声でよくわからない答えを返してきた。