「うぉぉおおおあああ……」
陽気な春の日差しに起こされた俺は、昨晩のことを思い出し頭を抱えていた。
なーにが「一生俺の傍で笑ってろ」(こんな言い方してない)、……「時雨は世界一綺麗だよ」(言ってない)……だ。恥ずかしすぎてもう時雨に合わせる顔がない……。
と、そんな俺の気も知らず、丁寧に執務室のドアをノックする音が聞こえた。
この音は鳳翔さんじゃない。ヤツだ……。
なんて、音で判別することはできないが、嫌な予感というものは往々にして当たってしまうものである。
「お、おはよう提督。その、秘書艦の話なんだけど……」
「あ、ああ。おはよう時雨……」
正直時雨を秘書艦として傍に置きたい気持ちはやまやまだが、気まずいのが本音だ。
これ以上複雑になる前に訂正しておくべきだろう。
「時雨、昨晩のことなんだけど……」
「……っ! う、嬉しかったよ……」
……あれ、なんでこんなところに天使がいるんだ?
いや違う、天使じゃない。これ、頬を染めながら少し気恥ずかしそうに笑って、両手を胸の前でいじりながらもじもじしている時雨だ。
いや天使だった。これを天使と呼ばずなんと呼ぶのか。
時雨は天使、時雨は天使……。
「時雨きゅん。どうか僕の秘書艦になってください」
「……はい! よろこんで、ね!」
そうだ。一体なにを恥ずかしがることがあるというのだ。
俺は提督として思ったことを部下に伝えただけだ。
時雨にはずっと笑っていてほしいし、ずっと傍にいてほしい。
それはうそ偽りのない本心だ。
「俺には時雨が必要だ。どうか俺を、傍で支えてほしい」
「うん。僕で良ければ。 提督の役に立てるようにがんばるよ」
「ああ、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくね」
こうして秘書艦を引き受けてくれた時雨のおかげで、溜まりに溜まっていた書類の整理もようやく進み始めた。
これにて一件落着……というにはまだ早すぎるのが現実。
困ったことに問題は幾つもあった。だがしかし、まずはまあ、腹が減ってはなんとやら、というやつである。
「少し休憩して昼飯にするか」
「ん。そうだね」
「じゃあゆっくり食べてきな」
「え、提督は食べないのかい?」
「俺はここでカップ麺でも食べるよ」
言って引き出しから取り出したカップ麺を自慢げに見せると、時雨はじとりと目を細めてこちらを見つめた。
「……一緒に食堂に行って、鳳翔さんの手料理を食べよう。偏食はよくないからね」
「いや、俺と一緒に食堂なんか行ってみろ。他の艦娘たちになに言われるかわからないだろ。仕事以外では行動は別々にした方が……」
「バカ!」
「ええ……」
なぜ唐突に罵られたのかはわからないが、まあ時雨に罵倒されるのはなんというか、こう、ゾクゾクするな。
ジト目も素晴らしい。
「僕はなにを言われたって構わないよ。提督の傍にいられるだけで幸せなんだからさ」
「し、時雨きゅん……」
気持ちの悪いことを考えていた俺にも平等に、時雨きゅんは優しかった。
おかしいな、視界が滲んでしまって時雨の顔がよく見えない。
雨か? 雨でも降ってるのか?
「──行こう」
時雨は俺の手をとって、執務室から連れ出してくれた。
ひとりだと、みんなが集まるあの食堂へ足を運ぶことなど到底できなかったのだが、時雨がいてくれるだけでとても心強かった。
もう、なにも怖くない──というやつである。いやそれフラグだろ。
「……ほんと、ありがとな」
「な、なにさ急に」
「いや、鳳翔さんと時雨くらいしか俺のことそんなふうに想ってくれる人はいないからさ。本当に救われてるんだよ」
「僕は提督の優しさに触れられたからだよ。だから、すぐにみんなもわかってくれるよ」
きゅっと、繋がれていた手に力が入った。
応えるように俺も握り返して、食堂までの道を並んで歩く。
時雨は魚が食べたいけど骨を取るのが苦手だと、無邪気にそんな話をしてくれて、相槌を打ちながら、「俺は骨ごといっちゃうよ」と返すと、若干引いていた。
× × ×
「あらぁ? 珍しい組み合わせ」
時雨きゅんと向かい合って飯を食っていると、うしろから聞き覚えのある声が聞こえた。
いつだったか、カップ麺 > 俺のヒエラルキーを確立させた少女の声だ。
「荒潮」
「時雨、どうしてこんな人と一緒に食事をしているのかしら?」
「こんな人、じゃないよ。提督と食事をするのになにか理由でもいるのかい?」
「うふふ、ずいぶんとたらし込まれたようね」
「……荒潮。僕だって怒るよ」
「私、怒られるようなこと言ったかしら?」
バチバチと火花が飛び散っているのが目に見える。
こういうの、大抵間に入るとロクなことにならないのだが、争っている原因が俺であるならばとめないわけにはいかないんだよなあ……。
「ま、まあまあ。二人ともこんなとこでケンカはよくないよ。荒潮もよかったら一緒に食べないか?」
「……結構です」
ほらね……。まるでゴミでも見るかのような目で睨めつけてくる。
そんな目で見られたら背筋が凍ってしまいそうだ。
時雨のようにある程度の好感度がある相手ならばそれもご褒美なのだが、純度100%の蔑みは、普通に傷つくのでやめてほしい。
「ごめんね提督。荒潮も、悪い子じゃないんだ」
荒潮が去ったあと、大げさに肩を落としてしゅんと俯いた俺を慰めるように、時雨は苦笑した。
「どうして時雨が謝るんだよ。そんなことわかってるさ」
……とはいうものの、昼飯も食わずに荒潮は出て行ってしまったが、俺がいなくなれば戻ってくるのだろうか。
俺のせいで彼女たちの居場所が少しでも奪われてしまうのならば、やはり俺はここには来ない方がいいのではないかと、そんなことを思った。
「よくないこと、考えてるでしょ」
そんな俺の心の中を見透かして、時雨はひとつため息をついた。
「わかる?」
「わかるさ」
「困っちゃうなあ」
「困っちゃうね」
まあ、いまさら迷う必要などない。
どうせみんなから嫌われているのだから、彼女にもだめもとでぶつかってみればいい。
俺はなにもしなくてもここにいるだけで迷惑なのだから。だったらなにか行動したとしても、好感度マイナス100がマイナス150くらいになるだけだろう。
……いや、さらにマイナスになったらちょっとへこむかもしれないし、やっぱりやめておこうかな。
「だめだよ」
「え、なにも言ってないのに?」
「提督のことだもん、わかるってば」
「じゃあ俺はどうすればいい?」
「もちろん、僕にしてくれたみたいに、荒潮にも寄り添ってあげてほしいな」
いとも簡単そうに、時雨は笑った。
その天使みたいな笑顔を向けられると、どうにも俺は断れないらしい。
自分の弱点がひとつ見つかった。
「でもさ、さらに嫌われちゃうかもじゃん?」
「今さらだよ」
「え、急にひどい……」
「ふふ。ごめんね。でも僕は提督のこと大好きだから、大丈夫でしょ?」
「え、急に嬉しい。俺も大好き」
苦手と言っていた割には綺麗に骨を取った魚の、最後の一口を食べ終えた時雨は、箸を置いて口の
「ふぁいと!」
「……」
……まあ、一応やれるだけのことはやってみますか。
時雨きゅんの応援ももらえたことだし、俺には鳳翔さんだってついている。
そう思うと、なんだってできそうな気がした。
──もう、なにも怖くない!
× × ×
翌日、書類の整理は時雨に任せて、俺は鎮守府内を闊歩していた。
とある艦娘を探していたのだが、意外にもその姿はすぐに見たかったので、探しているうちに俺が逆に加賀や赤城に見つかってボコられるという最悪の事態は回避できた。
「荒潮」
窓辺で頬杖をつき、海の向こうを見つめている荒潮へ声をかけると、ぴくりと肩を震わせ、露骨に嫌そうな表情を返してくる。
「なんですか」
うん。すげえ嫌そうだ。
「特に用があるわけじゃないんだけど……荒潮と話がしたくてな」
「ナンパがしたいのなら、他の子をあたってくれませんか?」
「なんでだよ……。ただ単純に、本当にそのままの意味だよ」
なぜ俺が好意を向けている前提なのだろうか。
まあ仲良くなりたいとは思っているので、好意を向けていると言っても差し支えはないかもしれないが、なんか、なんとなく、不服である。
「なんですか、その目は」
思っていたことが
荒潮は嫌悪感を思いっきり出しながら問いかけてくる。
「いや、べつになんでもないよ」
「そうですか。じゃあもう行きますね。二度と話しかけてこないでください」
「いやいや、それはちょっと冷たすぎるよ。お話ししようよ荒潮ちゃん」
「……」
今にも61cm四連装(酸素)魚雷でも取り出すのではないかと身構えてしまうくらい、彼女は冷たい目をしていた。
おかしいな。〝友達を作る100の方法〟という書籍によれば、『どんな相手にもフランクに接してみよう! 女の子相手ならちゃん付けで距離がグッと縮まるかも⁉︎』と書いてあったので実践してみたのだが、縮まったのは俺の寿命じゃないか?
「……さようなら。永遠に」
魚雷こそ取り出しはしなかったものの、彼女はふわりとスカートを翻し、こちらに背を向けた。
「まってくれ!」
慌てて、俺は荒潮の腕を掴んで引き止めた。
……それが、引き金となってしまったらしい。
「嫌っ! やめて……ください……」
ガタガタと身体を震わせ、異様なほどに荒潮は怯えている。
こんな姿は普通じゃない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「あ、荒潮……? おい、荒潮!」
そのまま荒潮は気を失った。
× × ×
「大丈夫ですよ。一時的なものですから」
ベッドの上で眠る荒潮が心配でオロオロしている俺に柔らかく微笑みかけ、荒潮の頭を優しく撫でながら鳳翔さんは言った。
「誰かの傷を抉るような真似ばかりをして……本当に、なにひとつ上手くやれない自分が嫌になります……」
「……あなたが提督としてここで続けていくつもりなら、遅かれ早かれ踏み込まなければいけないことばかりです。だから、提督が正しいと思ったやり方で、ちゃんと触れてあげてください」
言って、鳳翔さんは苦笑した。
自嘲するばかりの俺を見る彼女の目は、なぜだか信頼を置いているようで。
余計にわからなくなる。
正しさとは一体なんなのか。
「失敗を重ねるたびに、わからなくなってしまう……。俺は本当にここに必要なのか」
自問自答を繰り返す。
俺がここに来る前も、彼女たちは自らの力で生きてきたのだ。
時雨のことは上手くいっただけで、上手くやれたわけじゃない。
夕立が生きていてくれたからハッピーエンドで済んだのだ。
もしも彼女がこの世にいなかったのなら、俺にはどうすることもできなかった。
なら、初めからなにもしない方がいいのではないか──そんな俺の仄暗い思考を見透かしたように、鳳翔さんはふっと笑って、「愚問ですよ」と俺を窘めた。
「思い出してください。あなたがこの道を選んだ理由を」
「──……」
「それはきっと本物です。だから、いくら打ちのめされようと、あなたは決して折れることはないと、私はそう思っています」
俺が
いつだったか、それを鳳翔さんに話しただろうか。
酔い潰れたときに話したような気もする。
「荒潮ちゃんが目を覚ましたら、話を聞いてあげてくださいね」
やわらかく微笑して、席を立つ鳳翔さんに、俺はなにも言えないまま目を伏せた。
俺なんかにも、できることがあるのだろうか。
「私はお水を持ってきますので」
鳳翔さんが出て行き、部屋には寝息を立てる荒潮と、俯くことしかできない俺だけが残った。
しんと静まり返った部屋で、眠る荒潮の手に触れようとして、直前で出した手を引っ込めた。
「ごめんな、荒潮……」
言って、彼女を置いて部屋を出る。
目覚めたときに、最初に俺の姿が目に映ったら、きっとまた嫌な思いをさせてしまうだろうから。
「……」
扉の横の壁にもたれかかり、崩れるようにその場に腰を下ろした。
しばらくして、グラス一杯の水を持ってきた鳳翔さんは、外でうなだれている俺を見て苦笑してから、部屋へと入っていった。