あの日の約束   作:喬 

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6話

「んっ……」

 

 目を覚ますと、目の前には鳳翔さんがいて、私が横たわるベッドの隣に椅子を立てて、そこに腰を下ろしていた。

 その姿を見て今の自分がどういう状況なのかはすぐに理解できた。

 やっぱりまだ、恐怖心は消えないらしい。

 

「私、気を失ったのね……」

「気分はどうですか?」

 

 上半身を起こし、差し出されたグラスを受け取り、中の水を呷ってから私は答えた。

 

「最悪ね……」

「そうですか」

 

 鳳翔さんは苦笑して、空になったグラスを私の手から受け取った。

 お礼を告げると、「はい」と短く応えて、よくできましたとでも言わんばかりに嬉しそうに笑った。

 子ども扱いされている……。

 

「提督のことが嫌いですか?」

「……嫌いよ」

「そうですか。では、提督が今日以外で荒潮ちゃんになにかしましたか?」

「それは……なにもされてはいないわ……」

 

 答えると、また幼な子を褒めるような笑顔を向けてくる。

 

「荒潮ちゃんの過去は知っています。けれど、提督にだって心があります」

「──……」

 

 今度は子ども扱いするような、そんな笑顔ではなく、まっすぐに、対等に私の()を見て、鳳翔さんは笑った。

 

「大切なお話しなので、よく聞いてください。──あなたが傷ついたことは、誰かを傷つけてもよい免罪符にはなりません」

「……」

「提督は、あなたを傷つけましたか?」

 

 ふるふると、私は首を横に振る。

 

「あなたがされたことを、提督にも味わわせてやりたいと、そう思いますか?」

 

 私は首を横に振った。

 

「……提督を嫌うのは、目を見てお話しをしてからでも、遅くないのではないですか?」

 

 ふっと、鳳翔さんは微笑した。

 前から思っていたが、この笑顔はずるいと思う。

 気が抜けてしまう。

 こちらがどれだけ怒っていたとしても、そんなことはどうでもよくなるくらい、かわいらしくて優しい笑顔。

 怒ったり、悩んだりするのがバカらしくなるほどだ。

 

「そうね……」

「では、すぐに提督を呼んできますね」

「……!?」

 

 言って鳳翔さんは立ち上がると、すぐに部屋を出て行った。

 扉の前でなにか話し声が聞こえたあと、控えめにノックをする音が聞こえて、「どうぞ」と応えると〝提督〟と呼ばれている男が申し訳なさげに、気まずそうに入ってきた。

 

「……すまない。全面的に俺に非がある。君の気持ちも考えずに、軽率な行動をとってしまった」

 

 そう言って、彼は深々と頭を下げた。

 およそ部下に対してとるような態度じゃない。そんな彼を見て、不思議と嫌悪も苛立ちもなかった。

 鳳翔さんに、すっかり毒気を抜かれてしまったらしい。

 

「もう、気にしていません……」

「すまない……。ええと、よかったら、話してもいいか?」

 

 ちらと、先ほどまで鳳翔さんが座っていた椅子に視線を落として、彼は不安げに訊ねてくる。

 

「ええ」

「ありがとう……」

「……」

「……」

 

 自分から言っておいて、彼は口を開こうとしない。

 表情からは、なにを言えばいいのか、どこまで訊いてもいいのかと、ぐるぐると悩んでいるのが読み取れる。

 私はひとつため息を落として、さして興味もない質問を投げかけた。

 

「あなたは、どうして海軍に入ったんですか?」

「……」

 

 言いにくいことだったのだろうか。

 彼は顎に手を当てて、なにやら考え込む素振りを見せた。

 

「質問を変えた方がいいかしら? ……なぜこんなところで、私たちの司令官になろうと思ったんですか?」

「ええと……説明すると長くなるから端的に言うんだけど、俺の父さん──上官からの命で、俺はここに来たんだ。それと、海軍に入ったのは……約束したからで、」

「約束?」

「ああ。もう顔も、声さえも思い出せない誰かと……いつの日か約束を交わした」

 

 彼は大真面目に、私の目を見て言った。

 肩から制服の襟もとがずり落ちるような、そんな感覚にとらわれるほど呆気に取られて、呆れた。

 

「ふざけてるのかしら?」

「ええ……。いやまじなんだよ。大まじ。超まじ」

 

 こほんと、わざとらしく咳払いをして、彼は言葉を繋げた。

 

 〝みんながずっと笑っていられるような、そんな優しい世界にしてください〟。

 

「──それはもしかしたら夢だったのかもしれない。ただの妄想かもしれない。それでも、この約束だけは必ず守らなきゃいけない……。なぜかそう思うんだ」

「なんですか、それ……」

「それを知るために俺は今、ここにいるのかもしれない」

 

 目の前の彼は、やわらかく微笑した。

 それは私がよく知っている、鳳翔さんの笑顔に似ていると、そんなことを思った。

 

「……私のこと、知りたい?」

 

 ──本当は、嬉しいと思っていたのかもしれない。

 こんな私にも心配そうに声をかけてくれて、食事にも誘ってくれて。

 ただ、受け入れるのが怖かった。心の底から信じられるとは思えなかったから。

 この人は関係ない。それはわかっているけれど、あれだけのことをされたのだ。忘れろという方が無理がある。

 

「君が許してくれるのなら、俺は君を知りたい」

 

 彼は、疑うことなく、迷うことなく即答した。

 本当に、呆れる。

 

「……あなたは、私を傷つけたりしないのかしら?」

 

 数秒間の沈黙。

 俯いて、顎に手をあてて考える素振りを見せていた彼は、やがてゆっくりと顔を上げ、じっと私の瞳の奥を覗き込んだ。

 

「善処はする。けど確約はできないよ。……ただ、万が一にも君を傷つけるようなことがあれば、どんな処罰でも甘んじて受け入れる」

「──……」

 

 呆れを通り越して、笑いが込み上げてくる。

 バカだ。この人は──本物のバカなんだ。

 

「……ふっ、……うふふ。そんなこと言っていいのかしら?」

「それくらいの覚悟がなきゃきっとここではやってけないよ。俺は君たちの過去を、全部背負う。君が、また心の底から笑えるように」

「……」

 

 バカみたいにまっすぐな瞳で、恥ずかしげもなくそんなことを言うのだから、逆にこっちの方が恥ずかしくなってくる。

 ……正気じゃない。真顔で言うこの人も、また信じてみたいと願ってしまう私も。

 

「……前にいた鎮守府で……私はずっと提督から暴力を受けていました」

「──……」

「被弾して帰れば役に立たないと殴られ、機嫌が悪いときは目を合わせただけで殴られたりもしたわ」

 

 彼は目を見開いて、黙って聞いていた。

 

「毎日、なにかと理由をつけては私を痛めつけて……気味の悪い笑みを浮かべてこう言うの」

 

 〝お前はストレス発散にしか使えない兵器(ガラクタ)だな〟。

 

「……」

 

 彼は怒りをあらわにして、机に拳を叩きつけようと腕を振り上げたけど、直前で踏みとどまり、あげた腕をそっともとの位置に戻した。

 私を気づかったのだろうか。

 

「痛くて、つらくて……苦しくて怖くて……沈んだ方がマシだと何度も思ったわ。……それでも、私を庇ってくれる人たちもいたのよ」

「同じ艦娘、か……?」

「……瑞鶴と翔鶴がね、ずっと傍にいてくれた」

「……あの二人が? そうか。そうだったのか」

 

 彼は怒りと、安堵と、複雑な心境を織り交ぜて、曖昧な表情で小さく息を吐いた。

 

「私が大破して、それでも入渠よりも先に執務室に呼び出されたときも、あの二人が間に入ってくれた。私の代わりに何度も何度も殴られたのに、笑顔で……『痛くないよ、大丈夫だよ』って……。私のせいで……」

「……その鎮守府は、どこにあるんだ?」

「……」

「教えてくれ。今すぐ行ってそいつをぶん殴ってくる」

「……だめよ」

「だって、許せないだろ。同じ目に合わせて……」

「その男はもう大本営に連れていかれて、どこにいるのかもわからないわ。それに──」

 

 伏せていた目を開いて、ゆっくりと視線をあげた。

 彼は憤りをぶつける先を失ったまま、ぎゅっと拳を握りしめている。

 

「暴力では、誰も救えない……」

「──……。荒潮の、言う通りだ……」

「……ありがとうございます。少しだけ、楽になりました」

 

 ふっと息を吐いて彼の方を見やると、こちらを向いていた彼と目があった。

 

「……荒潮」

 

 私の名前を呼んで、彼は椅子から立ち上がり、近づいてくる。

 

「触れても、いいか?」

「は、はいっ……」

 

 ベッドの隣まで来て、その場に両膝をついて目線の高さを合わせた彼に、なぜか私は緊張して声がうわずってしまった。

 そんな私の手をゆっくりと包み込むように両手で握り込んで、数秒間私を見つめたあと、彼はそっと、親指で私の手の甲を優しく撫でた。

 

「もう、大丈夫だ。瑞鶴も翔鶴も、荒潮も……この鎮守府のみんな、俺が絶対に守るから」

「──……」

 

 どうしてだろうか。私たち艦娘よりもずっと、ずっと弱いはずなのに。

 銃弾一発で簡単に死んでしまうくらい脆いくせに。

 どうしてか、彼のその言葉は、なによりも私の心を安心させた。

 

 きっと本当は、ずっと望んでいた。

 私の代わりに他の誰かが傷つくような、そんな袋小路のような逃げ場ではなく。

 

 ──安心して寄りかかれるような、そんな存在が……ずっと欲しかった。

 

「てい……とく……」

 

 提督の胸ぐらを掴んで、きゅっと引き寄せた。

 彼はされるがままで、私は幼い子供のように、彼の胸もとで泣きじゃくった。

 

 鳳翔さんの言った通りだ。

 嫌うのは、目を見て話してからでも遅くはなかった。

 

「ごめんな。ごめんな……荒潮」

 

 悪いことなんてなにもしていないくせに、彼は泣きじゃくる私の頭を撫でて、何度も謝罪の言葉をもらした。

 

「もう二度と、君にそんなつらい思いはさせないと誓うから」

 

 彼の手は大きくて、あたたかくて。

 私は、とめどなくあふれ出る涙をとめられなかった。

 

「約束……してください……」

「ああ。俺を信じてくれ」

「やぶったら、どうなるか……わかってるわよね……?」

「一応聞いてもいいかな?」

 

 びくりと身体を震わせて、彼はおそるおそるといったふうに訊ねた。

 

「61cm四連装(酸素)魚雷……」

「え」

「1000本、飲んでもらうわ……」

「こわ……。まじで怖いんだけど……」

 

 ドン引きしている彼の声を聞いて、私はふるふると肩を震わせた。

 笑っているのがバレないように、なんとか息を整える。

 しかし彼は意外と目ざといらしく、すぐに両肩を掴まれて、引き剥がされてしまった。

 

「おい、泣いてるんじゃなかったのかよ……」

「あらぁ、よく気づいたわね〜」

 

 揶揄うように口の()を持ち上げると、彼は呆れたようにため息をついて返した。

 

「目、腫れてるけどな」

「あら〜……」

 

 指摘されると、途端に恥ずかしくなった。

 泣いてしまったこともそうだし、誤魔化そうと余裕ぶってしまったことも。

 

 ただ、それでも────信頼してみてもいいかもと思える提督に出会えて、本当によかったと、心の底からそう思った。

 

「指切り、しておきます?」

「本当に切られそうで怖いんですけど」

「うふふ」

 

 

 

 

 

 

 

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