「前、空いてますか?」
翌日、食堂でひとり朝食をとっていると、うしろからやや不機嫌そうな声がかけられた。
振り向くと、なんと驚いたことにそこには瑞鶴と翔鶴が立っているじゃありませんか。
「え、っと……あ、ああ! 空いてるぞ!」
急いで広げていた書類を片づけると、持っていたお盆を静かに置き、二人は俺の正面の席に腰を下ろす。
そのまま「いただきます」の流れかと思いきや、瑞鶴は俯いたまま小声でなにごとかをもにょもにょと呟いている。
呪文だろうか。爆撃ではなく呪殺に切り替えたのだろうか。
「……っ!」
「え?」
「あ……っ……」
「あ?」
なにを言っているのか、まったく聞き取れない。
もはや本当に喋っているのかも怪しいレベル。
これがあの瑞鶴か?
初めて言葉を交わしたあの日を思い返すと、本当に同一人物なのか疑わしいレベルで今の彼女はしおらしい。
「ええと、翔鶴さん。彼女は一体どうしたんですかね?」
「すみません提督。瑞鶴はこの前のことを謝っているんです」
「ちがっ……わないけど……」
なんだ、そんなことか。
いやまあ、あの日瑞鶴に向けられたあの目を思い出すと今でもちょっと泣きそうになるくらい怖かったのだが、そんなことはもう気にしていない。
なにしろ今の俺には鳳翔さんに時雨きゅん、それから荒潮ちゃんもついているのだから。
とはさすがに言えないので、一応まともなことを言っておくことにする。
「気にしてないよ。君たちにも、君たちの事情があったんだろうから」
言って瑞鶴に視線をやると、彼女はなにかを言おうとして、けれどばつが悪そうに目を逸らした。
「……ごめんなさい。今さら身勝手だってわかってるけど……あなたのことをなにも理解していなかったの……。ううん、理解しようとすらしていなかった」
顔を背けたまま、それでも彼女は精一杯言葉を繋げる。
「荒潮のこと、ありがとうございます……」
そう言った彼女の表情は前髪で隠れて見えなかったけれど、どんな表情をしていたのかはなんとなくわかった。
きっと泣きそうで、でも心の底から安堵しているような、そんな気がした。
「瑞鶴。謝意を申し上げるときは相手の目を見なくちゃだめよ」
「し、翔鶴姉……」
翔鶴に窘められて、瑞鶴は気まずそうに、潤んだ瞳でこちらに上目遣いを寄越した。
……なんというか、とてもグッとくるのでそういうのはやめてほしい。
ちょっと、いやかなり、かわいいと思ってしまった。
俺は鳳翔さんと時雨きゅんと荒潮ちゃん1択なのに。
「ごめんなさい……、……提督、さん……」
「……」
破壊力、ともに、効果は抜群だった。
瑞鶴は端正な顔立ちをしていて、どちらかというとかっこいい部類にカテゴライズしていたのだが、それはとんでもない間違いだということに今気がついた。
──瑞鶴はめちゃくちゃかわいい。
捨てられる子犬のような上目遣いで俺の反応を気にしている仕草なんて、もう本当に言葉を失うくらいかわいい。
わしゃわしゃと頭を撫でてやりたいのだが、そんなことをすれば一変してさすがに爆撃されてしまう可能性も否定はできないので、勝手に瑞鶴の頭部へと伸びようとする右腕を必死に押さえつける。
「私からも非礼をお詫びさせてください。申し訳ありませんでした、提督」
瑞鶴と違い、翔鶴はあっさりと謝罪の言葉を口にする。
あっさりととは言ったが、決して悪い意味ではない。
翔鶴の方も、しゅんとしょげている様子が見てとれる。
いやあ、それにしても、お姉ちゃんの方は本当に美人だなあ。なんというか儚げというか。
しかしながら勝手で、さらには失礼ではあるのだが、翔鶴はなんとなく男運がなさそうな気がする。
たとえば、寄ってくる男はクズばかりで、将来だめな男にばかり引っかかってしまいそうなイメージがある。不憫な。
いやいや、そんな男は、提督が許しませんからね?
翔鶴。恋人ができたら必ず、俺に紹介するんだぞ?
と、勝手に心の中で翔鶴に言いつけて満足した俺は、彼女らに向けて微笑した。
「本当に気にしてないよ。俺には俺の、君たちには君たちのやり方があっただけだ。荒潮を、守ってくれてたんだろう?」
ふたりとも、こくりと頷いた。
未だ気まずそうにはしているが、ちゃんと目をあわせてくれている。
「昨夜、荒潮ちゃんが私たちのところへ来たときは驚きましたよ。目を真っ赤に腫らしていたので」
「そうそう! 私は、てっきり提督さんにいじめられたんだと思ってうっかり艦載機を出しかけたんだから」
「俺の知らないところで俺に危機が迫っていたのか……」
昨夜のことを嬉しそうに話す瑞鶴と、それを見てくすくすと楽しそうに笑う翔鶴。
そんな光景を見て、一歩ずつではあるが確実に前へ進めていることを実感する。
「魔法でも使ったのですか?」
「魔法?」
「だって……荒潮ちゃんは、私たちの前ですら涙を流したことがなかったんですから」
嬉しい反面、すこし寂しさもあるといったふうに、翔鶴は苦笑した。
「あの子は、涙を流す
「……それは、俺が提督だったからだと思う。彼女にとっての恐怖の象徴だったから、だからこそ俺の言葉に、仕草に、彼女の心は揺れたんじゃないかな」
俺が特別だとか、そういうわけではない。
もちろん翔鶴と瑞鶴の方が信頼されているに決まっているし、だからこそ、ふたりの前でだけは涙を流せなかったのだろう。
きっと、そんな弱い姿を見せればふたりはもっと自分を守ろうと、代わりに傷ついてしまうと、必死にこらえていたのだと思う。
「でも、なんとなくわかるな。だって私が荒潮の立場だったら同じだったと思うし」
「同じ……?」
苦笑した瑞鶴に、翔鶴はことりと首を傾げた。
「だって翔鶴姉、すっごく悲しそうな顔するから。──そんな
「瑞鶴……」
目を細めて、瑞鶴は笑った。
そんな彼女を見て、翔鶴は目を潤ませている。
……先ほど瑞鶴がかっこいいというのは間違いだと言ったが、やはり瑞鶴はめちゃくちゃかっこいい。
推してもいいだろうか。
「そ、それよりさ、早くご飯食べようよ! もう冷めちゃってるし」
急に恥ずかしくなったのか、瑞鶴はぱたぱたと手で顔を扇ぎながら話を逸らした。
うん。やはり瑞鶴はかわいいな。
「待ちなさい瑞鶴。大切なことを忘れているわよ」
言って、翔鶴はこちらに向き直り、目を閉じてぺこりと頭を下げた。
「これから、よろしくお願いしますね。提督」
「──……」
それがあまりにも嬉しくて言葉に詰まっていると、瑞鶴も同じように頭を下げた。
「よろしくお願いします。……提督さん」
「……っ! あ、ああ! よろしく頼む、翔鶴、瑞鶴」
× × ×
「提督、仕事なんかよりもっと楽しいことをしましょ〜」
書類整理に取り掛かる俺の背後から、両腕をまわして頬ずりをしてくる荒潮に、時雨はひくひくと口もとを引き攣らせている。
「……荒潮。提督の邪魔をするのは感心しないよ」
「あらぁ、時雨こそ尻尾を振っていつも提督の周りをうろちょろして邪魔してるじゃない」
「僕がいつ尻尾なんて振ったのかな?」
「あの、おふたり共もう少し仲良くしてくれませんかね……」
あの日から荒潮は頻繁に執務室に顔を出すようになり、初めてここに配属されたときとは比べ物にならないくらい賑やかになった。
瑞鶴や翔鶴もたまにだが顔を出してくれるし、昼飯も一緒に食べてくれるようになった。
「でも、まだまだ……」
「……? なにか言ったかい? 提督」
「時雨は邪魔だから秘書艦を荒潮にしようって言ったのよ〜」
「提督の邪魔ばかりしている荒潮に秘書艦は無理だと思うよ」
「あらあら、目をハートにして提督の姿を追ってばかりいる誰かさんよりは務まると思うわぁ」
「誰のことかな?」
「だからふたり共もう少し仲良くしてくれよ……」
「「ふんっ」」
そんな感じで、日々ケンカばかりのふたりを見兼ねて、荒療治だがお互い協力し合えるよう時雨と荒潮のふたりに執務を任せてみることにした。
ちゃんと仲良くやっているのか不安ではある。
心配の種は尽きないが、ふたりに執務を任せ、俺はとある艦娘のもとへとやって来ていた。
「今日も、変わらずそこにいるんだな」
その艦娘は海の上で小さな水しぶきを上げながら、どこまでも広がる遥か水平線の彼方を見つめて、そっと両腕をあげた。
──それは指で作ったカメラの『形』。なにかを探すように、少女は
そのままぐるりとあたりを見回した彼女と、視線がぶつかる。
「……青葉に、なにか用ですか?」
怪訝そうに言ってこちらを見上げる青葉を、上から見下ろす形で立っている俺はふと苦笑した。
「特に用があったわけじゃないけど、君とはまだまともに話したことがなかったからさ」
「青葉は、なにも話すことなんてありませんよ」
「俺が嫌い?」
「……嫌いです」
彼女は足もとに視線を落として、俺から目を逸らした。
「どうして?」
「……理由なんて、ありません」
無愛想に、俺の目を見ずに。
当初から答えの出せない悩みだが、本当は、俺が今していることは間違っているのかもしれない。
放っておいてやることが、青葉にとって幸せなことなのかもしれない。
でも、もし仮にそうだとしても俺は、
「それでも俺は、君と話がしたい」
「……どうして、青葉なんですか?」
「理由なんてない。話したいと思ったから。ただそれだけだよ」
「……答えになってないです」
「君が俺を嫌う理由もね」
「……」
青葉はすこし苛立ったように、伏せていた瞳をこちらへ向けた。
けれどそれ以上はなにも言ってはくれなかった。
俺たちの間を潮風が通り過ぎていき、静寂が訪れる。
このままでは埒があかないので、今度はこちらから話を振ってみることにしよう。
「なにか探しているのか?」
「……どうして、そう思うんですか?」
「見たまんまだよ。いつも海の上できょろきょろして、なにかを探しているように見えるから」
俺の問いに、青葉は一度きゅっと口を引き結び、やがてゆっくりと言葉を繋げた。
「──……を、探しています」
その声はとても小さくて、先ほどよりも一層強い風が吹き、勢いよく叩きつけられた波の音に青葉の声はかき消された。
とても大切なことを聞き逃してしまったような気がする。
「ごめん、もう一度言ってもらってもいいか?」
「……ヤですよ」
なにを言ったのかはわからなかったけれど、その青葉の表情は……とても寂しそうで、悲しそうだった。
その場から海面を蹴って軽やかに跳んだ青葉は空中で艤装を解除して、俺のすぐ側に着地した。
その動作はあまりに華麗で、物音ひとつしないほどに静かだった。
「……青葉」
呼び止めたが、彼女は気にもとめず俺の横を通り過ぎていく。
「気が向いたら、話に行きます……」
小さな声だったけれど、今度は聞き逃さなかった。
いつまでも待ってるぞ! と返したが、青葉は立ちどまらず、こちらを振り返ることもしなかった。