「あっついなぁ・・・」
額に滲む汗をハンカチで拭いながら沈みゆく夕陽をにらむ。
もう日が暮れるころだというのに全然涼しくならない近頃に地球温暖化かな?と間の抜けたようなことを考えながら事務所への帰り道、車を走らせていた。
社内は冷房をきかせているというのに車窓から差し込んでくる日光が体から水分を奪っていく。
「げっ・・・」
赤信号に引っ掛かり、いいタイミングだとカバンからペットボトルを取り出すと、その中身がもうないことに気が付いた。このタイミングで飲み物がないのはかなり厳しい。事務所まではそれほど距離は離れていないがここで無理をする理由もない。それに仕事柄水分管理には事務所で強く注意を払うように呼び掛けているのにそんな自分が倒れては本末転倒だろう。
事務所に帰りながら車を走らせ、その道中で見つけた自動販売機の近くに車を停め、自動販売機で水を購入。車内に戻り直ぐに口をつけた。ふぅーと一息つき、さてもう少しと車を走らせようとした時だった。視界の先、ふらふらと不自然な歩き方をする人影が目に入った。
ゆっくり、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるその姿は言い方は悪いがまるでゾンビのようだった。
青白い顔に生気を感じられない目。服装も簡素なもので近くを通るまで女性だとわからなかったがなぜか目を離すことができなかった。そしてその女性が車のそばを通り過ぎようとした瞬間。俺はすぐさま車内から飛び出した。
「おい!大丈夫か!」
不意に崩れ落ちた女性を何とか抱える。気を失っているのか呼びかけても反応がない。そのうえ体が熱いのに全く汗をかいていない。医者ではないのだが都合上こういった症状にはそれなりに知識があった。
「熱中症だな・・・とりあえずは横になれる場所を探さないと」
対処法も分かっているが如何せんここは外。辺りにも日陰になりそうな場所はない。幸いにも水分は自動販売機があるからどうにかなるがとりあえずは涼しい場所に移すのが先か。
「よしっ!今から動かすぞ、ごめんなっ!」
意識のない彼女の膝裏に手を入れ抱え上げる。女性にしては大きい体躯にすこし体がふらついた。抱えた状態で何とか車のオートドアを操作し、中のシートに寝かせた。冷房を強くし、自動販売機でスポーツドリンクを購入。
それを寝かせた彼女の傍に置きケータイを開く。とりあえず事務所に電話か、と思いコールしようとした俺の裾を寝かせたばかりの彼女が引っ張った。
「っ!大丈夫か!意識はしっかりしてるか?」
そう聞くと薄く目を開きながら数度頷いた。まだ意識がはっきりしないのか目線がふらついているがそれでも涼しいところに入ったことで先ほどよりは回復しているらしい。
俺はスポーツドリンクのキャップを開け、彼女の口に差し出した。
「とりあえず寝ながらでも飲めるか?」
又数度頷き差し出したスポーツドリンクに口をつけた。勢いをつけすぎないようにゆっくりゆっくりと傾けていく。コクコクとのどの動きを見て俺は一つ息を吐いた。
飲み物を飲めるようになれば後は休んでいれば直に体調も良くなるだろう。とはいえとりあえずは病院。
「とりあえず病院行くからな。気分悪くなったらまた───」
そう言い車を走らせようと前を向くと又後ろから裾を引っ張られた。
「安心してくれ、すぐに病院に・・・」
意識がはっきりしなくて不安なのだろうと思い努めて笑顔で振り返ると寝ころびながらもうっすらと目を開け、何かを訴えるような、いや俺を威圧するようなそんな鋭い視線を俺に向けていた。
「や、やっぱりまだ「行か・・・ない、で」・・・え?」
「びょ・・・いん・・・に、は」
何とかといった様子で紡がれた言葉。病院に行ってほしくないらしい。何か事情があるのかもしれない。まだ意識は朦朧としているのだろう視線は定まってはいなかったがその必死さだけは伝わってきた。でも倒れるほどの熱中症だ。病院に行った方がいいと説得を試みるもついには辛いだろうにのそりと上半身を起き上がらせ「お願いします」と頭を下げられてはもうどうしようもない。
何とかもう一度横になってもらうと彼女は安堵したように目を閉じ、すぅすぅと寝息を立て始めた。
そんな彼女を見ながらまた、大きく息を吐いた。事務所に連れていく事はできないし、かといって家はわからない。病院に行くのが一番いいんだろうけどそれは嫌らしい。とりあえず事務所につくのは遅くなりそうだと、事務所にメールを入れておく。
同僚にどやされるのが頭に浮かびながらふと寝ている彼女へと振り返る。
先程までの死に体だったときは自分も焦っていてそれほど気にすることは無かったが、落ち着いて寝顔を見てみると鋭く整った容姿が嫌でも目に入る。先ほど目を見た時はその鋭さゆえに少し気圧されてしまったが目を閉じていると印象がガラッと変わる。
美人なのは間違いない。俺自身仕事の都合上色々な女の子と接するからそれなりに見る目はあると思うけどその中でも今まで見たことないような魅力を持っており、例えるなら孤高の狼のような印象を受けた。
寝ている女性をじろじろ見るのは良くないと分かってはいるもののじっと見つめて想像してしまう。もし彼女がうちのアイドルだったらということを。
考えだしてしまうと止まらなくなっていた。どう売り出していくのか、だれとユニットを組ませるのか。衣装は?振り付けは?ぽんぽんとアイディアが浮かんでくる。ワクワクしてしまうのは仕事上仕方のないことなのかもなと一人苦笑を浮かべる。
そんなとりとめのないことを考えているうちにゆっくりと彼女が目を覚ました。日が落ち、ようやく暑さが和らいできた頃だった。
目を覚ました彼女はゆっくりと体を持ち上げあたりを数度見渡した後、彼女を見ていた俺に顔を向けた。
「目が覚めたか?体はもういいのか?」
そう尋ねると今まで朦朧としていた表情が状況を理解できたのか途端にキリッと引き締まった。あぁ、こうしてみるとやはり狼のような鋭さがうかがえる。俺の見立ては間違っていなかったと変に誇らしくなる。
「す、みません。本当にご迷惑を・・・」
意識は朦朧としていながらもどういう状況だったかは覚えているらしく本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいっていいって、それより良くなったみたいで良かったよ」
「はい・・・おかげさまで」
顔色もだいぶ良くなっているし、本当に体調は良くなったみたいだ。そのことにすこしホッとする。
「さて、せっかくだから家まで送るよ。本当は病院に行ってほしいんだけど・・・」
「それは・・・」
「あー、別に無理に言わなくてもそれで構わないよ。」
「・・・本当にご迷惑をおかけ・・・」
と、不自然に切られた言葉に気になり振り返ると視線が車のスピーカーのほうへと向いていた。流れていたのは聞きなれた765プロの『READY!!』だった。今では相当有名になったこの曲。普段仕事でも耳にするがやっぱり実際にラジオやテレビで流れているのを聞くと今でも自然と頬が緩む。彼女も聞いたことがあるから気になっただけかと思っていたが、『READY!!』を車内のスピーカーから聞く彼女はどこかおかしかった。
必至というかなんというか目を見開いて何か強い思い入れがあるのか分からなかったがそんな表情の彼女に思わず聞いてしまった。そしてそれは確かに小さな打算を含んでいた。
「READY!!が好きなのか?それともアイドルに興味があったり・・・」
「っ!」
『アイドル』
その言葉を口にした瞬間の彼女は顕著だった。ビクッと体を震わせ、視線をそらした。
やってしまった。
そんなつもりはなかったのだがなんだかむくむくと湧き上がってくる罪悪感。アイドルに関して思い入れが強いのかそこのところは良く分からないがとりあえずこの気まずい空気を何とかしようと口を開く
「あー、そういえばお互い自己紹介してないよな。俺は赤羽根っていうんだ。君は?」
「・・・浅間、凪です」
「浅間さんだね。俺のことは好きに呼んでくれていいから」
「は、い」
話をそらして少し落ち着いたかなと思えばまだスピーカーから流れる曲が気になるようでチラチラと視線を送っているのがミラー越しに見える。
それから少しずつ話を聞いているうちに彼女はアイドルに反応を示していることが分かった。そしてそれが好意的なものか否定的なものかわからなかったけれど俺はなぜか話すべきだと、そう思った。
「実は俺、アイドルのプロデューサーなんだ。もしよかったら・・・」
失敗した。
何の脈絡も証拠もなく唐突に自分が『アイドルのプロデューサー』なんて言ってまともに信じてもらえるはずがない。上に捉え方によって女性をだます手口のような切り出し方で早速後悔した。とりあえず弁明しようと慌てて後ろを振りむくと、少し驚いたような表情の浅間さんがこちらをじっと見ていた。
「そう、なんですか」
「あっ、あぁ。端くれみたいなものだけどね」
ただ純粋に驚いたような表情の彼女は俺がプロデューサーということにひどく興味を持ったようだった。
シートから背中を離しこちらに顔を近づけてくる。鋭い視線がさらに鋭さを増す。怒っているようにもにらんでいるようにも見える知らなければ思わずそらしてしまうような視線も今の浅間さんを見ていると何か別の意味を含んでるように思えた。
「もしかして、アイドルに興味があるのか?」
「いっ、いえ!そういう・・・わけでは・・・ない・・・こともないんですけど」
「そんな恥ずかしがらなくてもいいじゃないか。浅間さんだって美人なんだから立派なアイドルになれるよ」
「びっ、びじ!?私が、そんな・・・」
「そんな否定しなくてもいいじゃないか。それで?アイドルになってみたいとか思わない?」
話していると彼女が見た目に反して可愛く見えてきた。クール系の美人でそれを鋭い目つきが助長しておりその体躯と合わさって冷たい印象を見せる彼女だけど、その中身はひどく純粋で初々しい。1プロデューサーとしていろいろな女の子を見てきた分恐らく間違ってないだろう。
そのころにはもう俺の頭の中には彼女をアイドルにしたいという思いが大きくなっていた。浅間さんが「アイドルになりたい」と言えばその時点でもう事務所に連れて行っただろう。しかし彼女は小さく口を開いた。
「あの・・・例えば、なんですけど。」
「うん?」
「顔を・・・いえ、なにかコンプレックスがあって、それがアイドルに向いていないような子がいたら赤羽根さんはプロデューサーとしてどうしますか?」
それはひどく小さな声だった。
「コンプレックスかぁ・・・やっぱり一概には何とも言えないけどコンプレックスじゃなくてアイドルになりたいかそうじゃないかが大事なんだと思うよ」
「なりたいか・・・ですか?」
「うん。コンプレックスっていうぐらいだからやっぱりその子にはアイドルを続けることがつらいことなのかもしれない。だけどその子がアイドルとしてキラキラしたいって思うなら俺はプロデューサーとしてその子を支え続けるし、コンプレックスをどうにかしたいなら全力でサポートする。大事なのはやっぱり気持ちだよ。そして多分俺以外のプロデューサーも同じ気持ちなんじゃないかな。」
「気持ち・・・」
顎に手をやり何か考え込むような仕草をした浅間さんはじっと考え込んでいた。浅間さんには浅間さんの悩みがありそれは恐らく身近な人には相談できなかったんだろう。そういう性格なのか環境なのか定かではないけれど今のこのわずかな時間が恐らく彼女の道に関わるのだと直感で感じた。
「なら何か別の道があって、だれが見てもそっちに進んだ方がいいのにアイドルになりたいと願うことは間違っているのでしょうか?」
「それも同じだ。そっちに進みたい気持ちかアイドルになりたい気持ちか。どっちをとるかはその子しだいだ。」
「そちらに進む方が期待されていたとしても?」
「ああ」
「ステージに、立つことが・・・難しくても?」
「ああ」
「うじうじ、して。めんどくさい、私でも・・・・なれるでしょうか」
「もちろんさ」
あえて彼女の方は見なかった。後部座席からヒックヒックと小さく聞こえる。
ただ熱中症だった彼女を見つけただけなのになんだか大げさなことになってしまったと思いながらも苦笑いを浮かべながらも、温かい気持ちで胸がいっぱいになる。
「わた、しのことを。ぷろでゅーさーは、みていて、くれるでしょうか。」
涙ながらに告げられるその言葉に俺は自信をもって答えた。
「もちろんだ!なんたってプロデューサーなんだから!」
しばらく泣き止むことのなかった浅間さんにティッシュを渡しながらこれからのことについて考える。浅間さんの売り出し方や悩みの解決。涙を流すほどのことだよっぽどなんだろう。だけど俺にもプロデューサーとして意地がある。さぁ、これから忙しくなるぞーと手を上にあげ背筋を伸ばした。
765プロは今や業界でもかなり有名になっている。新人アイドルを売り出すならやはりそれなりに注目されるだろうからその辺も擦り合わせていかないと。考えることは山積みだが何より浅間さんがどんな彼女になるのかワクワクして仕方がない。
浅間さんも落ち着いてきたころにようやく俺は浅間さんのほうに顔を向けた。
「それじゃぁ一緒に頑張っていこうか。」
「えっ?」
「・・・えっ?」
車内に漂う沈黙
思わず真顔になる。今まで泣いていたはずの浅間さんも小さく目を見開いて同じく間抜けな顔をしているであろう俺と顔を見合わせた。
いやいやいや、まてまてまて流れ的にこのままうちのアイドルになるって感じじゃなかった!?
そんな内心の動揺を隠しながら聞いた。
「え、えっと・・・浅間さんはアイドルに・・・」
「は、はい」
「あー、うん・・・なら、俺にプロデュースさせてほしい・・・なんて」
「赤羽根さんに・・・?」
不思議そうに尋ねてくる浅間さん。あれ?俺プロデューサーだって伝えたよな。あれ?もしかして伝えてなかったっけ?だとすると今までの話って一体っ!?
しばらく不思議そうな顔をしていた浅間さんも少し考えた後何かに気づいたのかポンッと手を打った後少し申し訳なさそうに口を開いた。
「もしかして・・・私はスカウトしていただいているのでしょうか?」
「んんっ!そうだね、俺は浅間さんを輝かせたい・・・ダメ、かな?」
そう言った瞬間。浅間さんが俺から視線をサッとそらした。勢いあまってというべきか思わずすごい恥ずかしいセリフを口走ってしまった気がするがもう遅い。俺の顔も熱くなってくるのがわかる。
「私なんかにそんなことを言ってもらえるのはすごく、うれしいです。」
「ならっ」
「でも、赤羽根さんにプロデュースしていただくことはできません」
視線をそらしながらも真剣な声音で紡がれた言葉はそんな言葉だった。思わず顔の熱も引いていく。
浅間さんの顔を見るとそこには何かを決意したような、見つけたような顔をしていた。
「どうして?」
「赤羽根さんの御誘いは勿論うれしいです。でも先に私にこの世界を教えてくれた方が・・・プロデューサーがいるんです。」
そう浅間さんの口から聞いて納得したと思うのと同時に嫉妬した。彼女をプロデュースできるプロデューサーに。
「私はプロデューサーの期待に・・・いえ、只傍で見ていてほしいんです。私というアイドルを」
あぁ、これはダメだ。
俺は俺の手で強力なライバルを誕生させてしまったようだ。感覚でわかる、彼女は大成する。なんせ俺が見込んだアイドルだ。
この手で高みに行かせてあげることができないのは残念だがこんな彼女が見込んだプロデューサーだ。彼女をトップアイドルに導いてくれるだろう。
「そう、か」
「はい」
「・・・ふられちゃったな」
「あ、あのっ!誘っていただいたのは本当に、うれ、しくて!光栄に・・・」
そんな俺の意地悪な言葉に反応して慌てる姿を見てクスクスと笑みがこぼれる。チラリと時計を見るともう大分遅い時間だ。これは小鳥さんに怒られるなと思いながらシートベルトを締めた。
「冗談だよ。さて、そろそろ行こう。家はどの辺?」
「あっ、えっと。」
浅間さんに場所を聞き車を走らせる。思ったより遠くなく数分で着いた。
家の前まで着き、浅間さんが降りようとシートベルトを外した時ハッと不意に思いついた。
「浅間さん。もしよかったらサインくれないかな。」
「サイン・・・ですか?」
「うん。だめかな?」
「私なんかでよければ・・・書き方・・・わかんないですけど」
「好きに書いてくれていいよ」
謙遜した様子の彼女にジャケットのポケットからボールペンと愛用しているスケジュール帳のメモ欄を開いて渡した。
受け取った浅間さんはしばらく手帳とにらめっこした後恐る恐るといった様子でボールペンを走らせ始めた。
「でき、ました。」
そう言って帰ってきたスケジュール帳には筆記体で丁寧にAMAGI NAGISAとそう書かれていた。
「あまぎ・・・なぎさ?」
「はい。私のサインです。アイドルとしての私の」
「そっか」
良く分からなかったけれどこの名前は浅間さんにとって大事な名前なんだろう。意味は彼女が活躍すれば自ずとわかるだろう。
スケジュール帳を閉じジャケットに戻す。そして同時に自分の名刺を取り出して裏に連絡先を書く。そしてそれを車から降り窓の外にいる浅間さんにお返しとばかりに手渡した。
「浅間さん。もし何かあったらこの番号に。」
「えっ、でも」
「受け取ってくれ。もし君が今のプロデューサーに不満があれば遠慮なく連絡してくれ」
「っ!・・・・・・はいっ!今日は本当にありがとうございました!」
一瞬驚いたような後の彼女の表情は今日見てきた中で一番魅力的だった。
車で遠ざかっていく俺にずっと頭を下げ続けて見送った浅間さんの姿が見えなくなったところで俺は思わず事務所に電話を掛けた。
今日あったこの感動を。生まれてくるであろう新星を。その始まりに関わったことを。誰かに話したくて仕方なかったのだ
駐車違反については優しい世界ということで
運転中電話についてはハンズフリーしてたということでゆるしてつかぁさい