あの日以来、結局凪には会えていない。
会えると言っていたあの木陰の下にも凪はいなかった。
事務所内をそれとなく探してみたこともあったけど見つかることは無く、知り合いの子達に聞いてみてもいい情報は得られなかった。でも凪がここを出入りしていたというのは確かのようだった。
どこにいるのかは分からない。けれど凪はいい意味でも悪い意味でも目立つ。それっぽい女の子は見たことがあるって人は346内でもかなり多かった。そして質問を繰り返すうちに私は驚くべきことを知った。
〇〇でみた、○○辺りですれ違った。確かに346内にいるはずなのに。聞いた人全員が凪について名前すらも知ってはいなかった。
どういうこと、凪は事務員じゃないの?
凪のことを知ろうとすれば知ろうとするほど分からなくなっていく。初めて会ったときからなんか変だとは思ってし事務所で働いているって話もそのまま真に受けたわけではなかったけど。プロデューサーの近くにはいるんだと思ってた。けれどアイドルを始めてからもその姿が一向に見えてこない。
あの時、連絡先を交換してなかったのをひどく後悔している。
なんで私がまだ数度しか会ったことのない凪に執着しているのか。それは多分彼女という存在にわずかながらでも惹かれたからだろう。惹かれたといっても恋愛とかの感情じゃない。只なんというか、凪のほうが年上なのになんだかそんな気がしないような、前から私の傍にいてくれたような気がしていた。
そして私は今プロデューサーの部屋に一人で向かっていた。
なんで思いつかなかったのか凪はプロデューサーと仲がよさそうだった。なら凪について聞くならプロデューサーに聞くのが一番早かったのにそれを忘れていたというか気づかなかったというべきか。
「プロデューサーいる?」
目的の部屋に到着しコンコンとノックをする。中から「はい」といつも聞きなれた渋い声が返ってくる。
「はいるよ」と言いながら中に入るといつものデスクに座りながら作業をしているプロデューサーの姿があった。
「渋谷さん、どうされました?何か・・・問題でも?」
私の姿を確認すると作業をやめ、応接用のソファーへと誘導してくれる。時期が時期だし忙しいだろうに邪険にせず対応してくれる。相変わらず顔は不愛想だけれどこういった気づかいは素直にうれしい。
対面に座ったプロデューサーに「聞きたいことがあるんだどさ」と切り出した。突然切り出したことに少し驚いた表情をするプロデューサーに畳みかけるように告げる。
「凪って、いまどうしてるの?」
「それは・・・」
そう聞いた瞬間、プロデューサーが普段するような困った顔をしたのを見逃さなかった。
「やっぱり何か知ってるんだ。」
「・・・そういえば渋谷さんは一度会っていましたね」
「うん。アレからここにきて一回だけ会えたけどそれ以来会えてない。っていうか346の人に聞いても誰も素性を知らないってどういう事?名前すら知らない人ばっかだし」
「・・・なぎっ、さんについて私からあまり詳しいことを話すことはできません。仕事上彼女が望んでいないことですので。いずれ時が来たら紹介する予定だったのですが・・・」
「・・・ふーん」
違和感のあるつまり方をしながらもそう答えた。プロデューサーの感じを見るに言葉を選んでいるようだった。嘘をついているわけでもなさそうだし。
「なぎ・・・さんとなにかあったのですか?」
「別に・・・何かあったとかそういうわけじゃないけど」
不思議そうに聞いてくるプロデューサーに少し顔をそらしながら答える。
確かにまだ2回しか会ったことのないだろう人のことを聞いてくるなんてプロデューサーも不思議に思ってるんだろうけど。私も良く分かってないし馬鹿正直に会いたいからなんて恥ずいし・・・。
「そ、それより!前々から気になってたんだけど凪とプロデューサーの関係ってなに?」
「そ、それは・・・」
「初めて会ったときは結構気安い感じだったと思ったら346内では全然一緒にいる姿見かけないし。それに・・・」
それにと言葉を続けようとしたタイミングでデスクに置かれている電話が鳴った。プロデューサーが「すみません」と言い電話を取る。
何だか勢いが削がれ、ソファーに大きく沈み込む。盗み聞くつもりはないが、小さく聞き耳を立てていると内容はいまいちわからなけれどちょこちょこ単語が聞こえてくる。
話している相手はちひろさんのようで、結構慌てているらしい。プロデューサーも困惑しながら落ち着かせようとしている。
『トレーニングルーム』『今すぐに』とか聞こえてくるけど誰かのレッスンかな?でもレッスンだけならあのちひろさんがそんなに慌てるとは思えない。
何だか大変そうだしさすがに邪魔かなと部屋から出ようと立ち上がったタイミングだった。
ガシャン
思わず振り返るとプロデューサーが思わず受話器を取り落とした音だった。そして今まで電話越しだった声が部屋に響き渡る。落とした拍子にスピーカーがオンになったらしい。「大丈夫?」と声を掛けようと近づいた瞬間、そのスピーカーから聞こえてくる声に思わず固まってしまった。
『武内プロデューサー聞こえていますか。私です、ナギサです。』
その声を聴いた瞬間。凪だと、思った。だけど告げられた『ナギサ』という名前。ハッと気づいた。どうして気づかなかったんだろうと思うほど簡単なことだ。
同じ事務所でも顔を知られていないアイドル『ナギサ』。それと確かに事務所内にはいるのに名前が知られていない『凪』。
この二人が同一人物だとしても違和感がない。
プロデューサーが慌ててスピーカーをオフにしようとするが、それを私が飛び込んで阻止した。
『あの話の後数日間悩み、ずっと私はどうすればいいか考えてきました。』
なにかをしゃべろうとするプロデューサーの口を封じて次の言葉が紡がれるのを待つ。心臓がドクドクとうるさいぐらいに鳴っている。
やはりこの声を聴くと思う。耳にスッと入ってくるその声を聴いているとひどく落ち着く。
まだ凪と会ってそれほど長くは経っていない。けれどもその声が耳から離れない。魅了された・・・その表現が正しいのかもしれない。
『アイドルとしての私。歌手としての私。どちらの方が多くの人が求める私になれるのかと』
ゆっくり、ゆっくりとかみしめるように言葉は紡がれていく。それはプロデューサーに話すというより自己確認のようだった
『もともとアイドルが向いていないのは重々承知で飛び込んだつもりでした。・・・ですが実際になってみて自分がアイドルとしていかに覚悟が足りていないのかを理解させられました。』
『アイドルはステージ上で輝く、星のような存在です。そしてその輝きは多くの人を魅了し笑顔にする。他の子たちはそのステージで自分を存分に輝かせていました。ファンから見られることによって笑顔を届け、ファンを魅せることで幸せにする。そんな関係。』
凪の独白が続く。言葉の端々から伝わってくるのは自己嫌悪やどうしようもなく燻ぶってしまった憧れ。自分では到底たどり着くことができないという諦念の気持ちが伝わってくる。
『私はどれだけ自称しても本当の意味でアイドルになることはできなかった。ちっぽけな私はスタートラインに立つことすらできない。私は偽物にしかなれなかったんです』
プロデューサーの動悸が激しくなり、顔が青ざめていく。それは違うと、今にも言いたそうなのにそれを口にしない。いや、できない。
プロデューサーと凪の関係。ここまで聞けば私でもわかる。私、私たちよりも先に出会いプロデュースを始めたアイドルとプロデューサー。
出会いがどんなのだったかは分からないけど、『凪』はプロデューサーと出会って『ナギサ』になった。そしてそのデビューは想像以上にうまくいった。いや、いきすぎてしまった。
『ナギサ』のデビュー時期は私たちと比べてもそれほど離れているわけではない。デビューしてすぐにプロデューサーはシンデレラプロジェクトにかかりきりになってしまった。そして一人になった。
頼りにすべきプロデューサーはおらず、その特異性から相談できる人もおらず。凪は一人でずっと悩み続けてきたのだろう。
そんな環境に追い込んだのは間違いなくプロデューサーだ。もしプロデューサーが傍にいれば凪の口から『自分は偽物』なんて言葉が出ることは無かったかもしれない。だからこそ言えない。
『ですが、ある人に出会って話して・・・私は決めたんです。はい。だから・・・待ってます。是非、聞きに来てください。私の歌。待ってますから。』
そう言って電話は切れた。
私はプロデューサーの口をふさいでいた手をゆっくりとはなす。受話器を戻したプロデューサの顔色は真っ青だった。
「プロデューサー・・・」
「分かっていた・・・なんて口が裂けても言えません。確かにナギサさんにはデビューしてからプロデューサーとしてプロデュースすることはほとんどありませんでした。」
懺悔するように紡がれる言葉。私には二人の間にあるなにかはわからない。だけれど私がプロデューサーに何かを言う事なんてできなかった。
プロデューサーが凪に関われなくなった要因はシンデレラプロジェクトだ。
「私は・・・甘えていたのでしょう。ナギサ・・・いえ、凪さんに。普段のレッスンや様子からも凪さんなら大丈夫だと。そう思い込んでいたのでしょう。一人の新人アイドルであることを忘れて。私にプロデュースさせてほしいと言ったのにも関わらずっ!」
その姿を見て私は初めてプロデューサーが感情をあらわにしているのを見た。普段から感情を表に出さないような人だったからこそ余計にプロデューサーが本気で悔やんでいることだけはわかった。だからこそ、こんなところでうだうだとしている暇はない。凪が、待っているといったんだ。
うなだれたままのプロデューサーの背中を思いっきりひっぱたく。自分でも驚くほど力を込めてぶん殴った。
「渋谷さん・・・」
「うだうだするのは後。凪が待ってるんだよ。」
私がそう言うとゆっくりと顔を上げ、歩き始める。顔色はまだ悪いが目には決意の光がともっている。大丈夫ではなさそうだけど大丈夫そうだ。たぶん。
歩き始めたプロデューサーに続くようにして歩く私にプロデューサーは困った顔で振り向いた。
「すみません・・・えっと、渋谷さんは・・・・。」
「・・・無理に聞いたのは悪かったけどここまで知っちゃったら最後まで知りたい。部屋には入らないから私も連れてって。いや、連れてってくれなくてもついてくから。」
そこまで言うと、プロデューサーは諦めたように一つ息を吐いて無言で歩き出した。
もっとほのぼのしたものを書いてみたいと思う。
今度ポケモンとかかいてみたい
関係ないですけれどヨルシカさんの『パレード』聞きながら書いてました。
※誤字毎度毎度申し訳ないです。報告したくださる方本当にありがとうございます。
※7/5 一部添削