男は死んだ。
 真っ二つだった。刀剣で切られた訳ではない。そもそも男はそんな時代に生きた人間ではない。
 トラックが突っ込んできただけである。塀とトラックに挟まれ、すり潰され、男は二つに成った。それだけなのだ。
 事実はソレだけだ。決してソコには轢かれそうになった子供を助けようとしたなんて真実もなく、猫を助けようとしたという現実もない。ただ歩いていて、死んだ。

 憧れの為に刀を振るう。いつか見た憧れを実現する為に。

 それは非現実。それは泡沫。それは夢。

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斬るに生きる

 男は死んだ。

 真っ二つだった。刀剣で切られた訳ではない。そもそも男はそんな時代に生きた人間ではない。

 トラックが突っ込んできただけである。塀とトラックに挟まれ、すり潰され、男は二つに成った。それだけなのだ。

 事実はソレだけだ。決してソコには轢かれそうになった子供を助けようとしたなんて真実もなく、猫を助けようとしたという現実もない。ただ歩いていて、死んだ。

 

――呆気無い

 

 自らの死をそう断じた男は溜め息を吐き出して、更に明確に死を思い出す。痛みも、苦痛も、その先にあるであろう何かを目指して、思い出す。

 男は創作物を愛していた。蒐集癖も災い、男の頭の記憶媒体にはそう言った知識が詰め込まれていた。

 死を理解する。『  』を見る為に。ソコにはきっと何も無い。何も無い、伽藍堂を見つめる為に。明確に、死を思い出そうとした。ソレこそ何かの義務にも似た感情である。

 何度も死を思い出し、何度も死を受け入れ、そして男は至った。

 

――さっぱり分からない

 

 自身ではソコに行き着く事は不可能だと判断した。アレは確かに選ばれた存在に許された境地である、そう男は判断し、そして自分は選ばれた人間ではなかったのだとちょっとだけ悲しくなった。

 まあ、終わった事だ。と男は思考を変える。

 

 石の上に座り、既に二日。死を理解しかねた男は日の変わりを受け入れ、息を吐き出した。

 呼吸は出来る。けれど自身は死んだのだ。着流しにも似た、ボロボロな和服の上から肩を抱きしめてみる。感触も存在している。

 

 二日程、死したであろう自身の身体を触りながら死を考えた。結果的には残念極まり無かったけれど、男はソレでも自分が死んだ事は理解していた。

 死んだのに、生きている。かと言って転生したというには随分と歳を重ねた姿だと男は感じていた。数分程、頭を捻って考えた結果。

 

――まあいいだろ

 

 男はあっけらかんと思考を捨てた。自分が生きているか死んでいるかなど、この二日で考えきったのだ。ソコに何の意味も無い。生きても死ぬし、死んでいないなら生きている。それで男は納得した。

 さて純然たる創作愛好家として、男は立ち上がった。

 右腕をぐるりと回して、腹の減りようを感じて、辺りを囲む林の中へと入り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 一週間。男が死んでから一週間の時が過ぎた。

 男の手には骨の付いた肉が木の枝に刺さり、火に焼べられていた。

 既に焼けた小さな肉を食みながら男はソレを手に持った。

 綺麗な直刃だった。装飾もなく、無骨なまでに研がれた刀がその手にはあった。火の光を照り返す刀身をぼんやりと見ながら、一つ息を吐き出して男は鞘へとソレを収めた。

 最後の肉を食べて、男は立ち上がった。刀を腰に差し、一息に引き抜こうとした。けれど一息には抜けず、不格好に腕を伸ばした姿がソコに出来上がっただけだ。

 誰にも覗かれていない事なんてわかりきっていた事だが、男は少しだけ恥ずかしく思い、刀をゆっくりと鞘へと戻した。

 意識を戻す様にゆっくりと息を吐き出して男は刀をゆっくりと引き抜き、そのまま一閃とも言えない軌道を描き、何度か失敗しながら刀を鞘へと戻した。

 居合。そう呼ばれる技術である事は男は知っていた。

 鞘滑りがなんとか、だとか。

 引き抜いた遠心力を込めてどうたら、だとか。

 最速の剣術がうんぬん、だとか。

 とにかく、男は上辺の知識は知っていた。よくよく創作物で見かける物であったから、という理由も大きいだろう。

 思ったよりも難しい事を感じながらも、初心者だから、という理由を頭の中で何度も唱えて男はもう一度刀を引き抜いた。

 

 何故男は居合術を自ら選択したのか?

 そんなモノ、カッコいいから意外に理由はある訳がない。

 

 

 

 

 

 

 一年が経過した。

 ようやく刀を一息に一閃と言っても過言ではない程度に引き抜ける様になった男はゆっくりと鞘へと刀を収めた。

 慣れていない、という訳ではない。ここ一年。飽きもせずに刀を振るっていたお陰かある程度の形を保ってはいる。

 

 構え、抜刀し、一閃を描き、ゆっくりと納刀する。

 

 一年頑張って初心者としては十分の出来である。誰もがそう言うであろう成果を男は認めれる訳がなかった。

 一年。一年である。

 365回、太陽と月の入れ替わりを見た。

 木が生い茂り、枯れ、そして芽吹きを感じた。

 けれどどうだ。男は目標としていたソレに一向に到達出来てはいないのだ。そもそも一年で追いつく事など傲慢にも程がある目標達であるが、それでも男は追いつきたかった。

 目にも留まらぬ高速剣撃。納刀すら知覚出来ない程の速力。どれも男にとっては魅力的過ぎ、そして憧れるべき存在達であった。

 追いつく事が出来ない事は男は知っていた。なんせ男に才が無い事など男自身がよくわかっていた事だ。そしてその目標達は天才と呼べるべき存在達だ。

 男はさっぱり見えない目標に腹を立てた。躍起になった。自棄になった。

 やってやろうじゃないか。

 男は口にしていた木の実を噛み潰し、笑った。

 

 

 そして数分後、男は腹を下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一年経ってから、更に五十年が経過した。

 毎日飽きずに刀を振っていた男は今日も刀を振っていた。

 抜身の刀ではない。納刀された刀を腰に差し、構え、息を吐き、身体をピクリと動かして鯉口を鳴らした。目の前の木には真新しい横一文字が刻まれ、更にその後ろには乱雑に刀傷が刻み続いている。

 男は構えを解き、目標である天才達を妬んだ。

 五十年である。男は五十年の歳月を得て、ようやく一つの境地に至った。決してソコは極地ではない。

 境目だ。所謂、人と天才の境目にようやく、至った。

 だからこそ、ようやく男は自身が目標にし続けた天才達がどれほどの化け物だったかを理解した。背がようやく見えたと思ったら、断崖絶壁がソコには在る。

 けれど男は絶望なんてしなかった。似合わなかった、という訳ではなくて、純粋にその力を尊敬し、そして憧れ、羨ましく思い、やっぱり妬んだ。

 諦めれる訳なんてなかった。男はただ死んで諦めたのだからソコから先を諦める意味もなく、変に決意をしていただけなのだ。

 創作物で描かれるソレが男にとっては目標なのだ。

 

 

 

 

 

 男が死んで、ちょうど百年が過ぎた。

 男はやはり飽きずに刀を振っていた。けれどその全てが違った。

 ただ立ち、脱力し、所謂自然体だと言えた。構えなどない。何処かの最強が「構えれば何をするか分かる」と言っていたからだ。

 男はぼんやりと空を見て、ひらひらと落ちてきた葉を視界に入れた。

 腕が動いた。

 葉は太い葉脈を両断され、更にソコから細切れにされていく。地面に辿り着いた時には既にソレは葉の原型など一切留めていなかった。

 ある意味の極地だと、男は判断した。けれども男はそれでも目標達に追いつけるとは到底思えなかった。

 研ぎ澄まされた憧れを一心に向けた男は息を細く吐き出して、今日の糧を得る為に歩き始める。

 

 その足取りは老人などと決して言えず、ハッキリとしており、更に言えば獣の様に慎重であった。

 百年。そう、百年である。

 獣の様に慎重になるような事柄の一つや二つ存在した。森の中で只管に研鑽を積んだ男の前に、名も顔も知れぬ存在が来訪する事は多少なりともあった。その来訪の全てが男を狩るモノであり、そしてその全ては男の研鑽へと成り果てた。

 それに加えて、それなりに狩りもしていた男にとって森は庭と思える程度には勝手を知っていた。

 故に、自身の庭を脅かすソレに反応出来た。

 ゾクリと悪寒が男に走り、その方向を正しく見た。林で邪魔をされて様が、男にはわかった。

 ナニかが、居る。いいや、ソコに顕れた。男は息を潜め、地面を蹴り、白い髪を振り乱して、ソコへと向かう。

 まず見たのは黒い着物の人間達だった。青年期であろう人間達は刀を握っているが、男の感じた悪寒が人間達ではないことは理解出来た。

 なれば、と男の視線は人間達が刀を向けている相手に向かう。仮面がソコには在った。

 ウジュル、ウジュルと頭に生えた触手を動かし、四ツ脚で動く、仮面。仮面は醜悪に嗤い、簡単に人間を吹き飛ばした。

 

 男は目を見開き、自身の記憶を弄った。どうして気づかなかったのだろうか。創作愛好家として残念極まりない、まさに汚点とも言えるだろう。

 

 自身は死んだのだ。

 そして白い着流しにも似たボロ布を纏っていた。

 刀がある。

 

 少しぐらいは頭に過ぎってもよかった筈だった。それとも自身がそれほどその創作物を好んでいなかった証拠なのだろうか。

 舌打ちもせずに、男は人間達と仮面の……(ホロウ)と呼ばれるソレの前に姿を表した。

 

「なんだお前はぁ?」

「……――」

 

 (ホロウ)の声に反応を返そうと男は声を出そうとした。喉を抑えてようやく自身が声を忘れている事に気付いた。まあ、男にとってそんな事はどうでもよかった。

 息を吐き出して、至って自然体。まるで散歩に行くかの様にゆったりと、男は歩き始めた。

 

「おい! 君、危ない!」

 

 そんな人間達の声など聞く耳も持たず、男は自然と歩いた。

 下卑た(ホロウ)の嗤い声が鳴り響き、触手の一つが男に迫る。男の両腕がピクリと反応した。

 

「は?」

「あ?」

 

 呆気に取られたのは人間も(ホロウ)も同じであった。男に迫った筈の触手がある一定の距離以上男に近づけなかったからだ。

 男は小さく息を吐き出した。まるで安堵した様に吐き出された息と地面に落ちた触手。触手は切断された事すらわかっていないのか、暫しビチビチと蠢き、そして男の一歩と共に細切れにされた。

 男は更に歩みを進める。いいや、駆けた。少しばかり身を乗り出し、地面を蹴飛ばした。ソレだけの速力が加わった所で触手に危険は無いと判断したのだ。

 

「おぃおいおいおいおい!! なんだよ! なんだよ! この()()!?」

「――――…………」

 

 男は伸びてくる触手達を細切れにしながら、(ホロウ)に応えてやろうとした。けれども自身の声がさっぱり出ない事を再度確認して男は苦笑する。

 (ホロウ)は逃げなかった。逃げれなかった。いつの間にか両断された腕で身体がずり落ち、地面に顔を擦りつける。自身を斬ったであろう男――子供を見上げて(ホロウ)の世界はソコで両断された。

 

 男だった子供は仮面を両断し、砕けていく(ホロウ)をそれとなく見送りながら視線を黒い着物を着用した人間たち――死神達へと向けた。

 随分とボロボロになっている姿であるし、怪我もそこそこにしている。残念な事に刀を振るしか能の無い……いいや刀を振る才すら無い子供には何も出来ない。

 

「た、助けてくれたのか……?」

「……」

 

 死神の問いに対して子供は応える術を持っていなかった。声の出し方を忘れてしまった子供は手で喉を抑えて、口から言葉を吐き出そうとしてみた。けれどソレは無理であった。

 二度程試して無理だと判断したのか子供は踵を返して林へと消えていく。

 当然、ソレを是としない者も居る。

 

「ま、待ってくれ!」

「……」

 

 死神の男の言葉で子供は脚を止めて、首を回し男を見た。やけに空腹を強く感じている子供はさっさと拠点としている場所に戻って胃を満たしたい気持ちでいっぱいであった。だから、少しばかり鋭い瞳が死神を捉えた。

 相手からすれば冷たいソレを向けられ、二の句が詰まる。詰まった言葉は喉から出てこずに、子供が息を吐き出した事でようやく何かから開放された様な気がした。

 子供は手を伸ばし、指を差した。その方向には(ホロウ)との戦闘で吹き飛ばされた隊士がソコにいた。

 ハッとした隊士達は咄嗟に痛む身体を動かして呼吸を確かめる。幸い、弱いながらもまだ息はあった。そして男の耳にはドサリと音が聞こえ、振り返れば――

 

「おいおい、マジかよ」

 

 真っ白い髪の()()がソコに倒れたのだった。



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