新訳 急降下爆撃   作:ヌルヌルジーベン

1 / 2
試しに投稿です、最初はpixivに投稿しましたが、削除し、改めてこちらの方で連載していきます。


憧れのルフトバッフェ その1

1916年、私はシュレージエンのコンラーツヴァルダウという小さな村で生まれた。父親は村の教区長をしていた。静かな農村生活を送るうちに、

私は『飛行機に乗るんだ!』という少年らしい夢を心に芽生えさせていた。私がこう思うようになったのは、8歳のある日曜日、両親が私を置いて祭りに行ってしまったのだ。

 

無論、ある程度の年齢であらば問題はなかっただろう。しかし、私はこの頃、まだ幼き子供である。

癇癪を起こし、泣きわめきながら留守番をしていた私に、帰ってきた母親は様々な祭りの様子を話してくれた。

その中でも一人の男が、パラシュートで高所から簡単に降りで来た。という話は私に格別な興味を持たせ、心に大きな衝撃を与えた。

 

『なぜ?』

 

『どうして?』

 

『どうやって?』

 

と、このようにかなりしつこく、あれこれと問いただした。

 

その翌日、母親は私に小さなパラシュートの玩具を作ってくれた。

石をつけて放り投げると、ふわりふわりと、風に揺られながらゆっくりと落ちる。

その次の日曜日は、1日中、飽きもせずにパラシュートで遊んでいたが、想像力豊かな少年である私は、ふと

 

『大きな傘を使って自分が飛んでみよう』

 

と父親の蝙蝠傘を盗むと、二階のバルコニーに向かったのだった。

 

下を見ると、怖くなってきたものの、その恐怖心に好奇心が勝ち、思い切って飛び降りた。

落下地点は柔らかい花壇の土。身体中をねじられたようになり、おまけに片足をくじいてしまった。

傘はめちゃくちゃに大破し、驚いて駆けつけた母親からは散々叱られたが、その時から

 

『飛行機に乗るんだ!』

 

という、少年の夢はすぐ忘れるようなものではなく、永遠とまとわりついてくるものとなった。

 

 

 

父が度々転勤していたので、私も学校を転々とした。ラテン語やギリシャ語などの苦手教科にいじめられたりはしたものの、延々と続くそれに比べたら短い時間ではあったが、運動をすることにより、心を慰めることが出来た。

 

そうして過ごしていると、私は既に大学入試を控えた年齢になった。どうもモヤモヤして嫌な気持ちである。なぜなら、私は民間パイロットになるための学校に入りたかったのだが、姉が医学校に通っているため、私の学費を払うゆとりがない。かといって、面倒な勉強をするのも癪であるし、体育教師にでもなろうかと考えていたのだった。

しかし、私の運命を変えるものを見つけた。思いがけなく、ルフトバッフェ(ドイツ空軍)が創設され予備将校志願者の募集が始まったのだ。

私は飛びついた、600人もの志願者のうち、選ばれるのはたったの6人であり、受かるわけもないと落ち込んでいると

 

意外にも

「12月よりヴィルドパーク・ヴェルダー空軍学校への入隊を許可する」

という通知が来た。

 

軍学校での訓練は厳しかった。全くと言っていいほど飛行機に乗せてくれないのだ。まず6ヶ月の間は歩兵の訓練ばかりやらされたし、禁酒、そして禁煙であった。

二学期になってようやく飛行機に乗せてもらえたが、まだ空軍軍曹の操縦する機体に搭乗して飛行方法や着陸方法を教わるだけであり、その退屈な訓練は60回も続いた。

そうしてようやく単独飛行を許されたのだ。それにしても、初めて自分の手で飛行機を飛ばした時の喜びはいつまで経っても忘れられるものではなかった。

マイン川のほとりの小さな古都ギーベルシュタットに見習士官として戦闘隊に編入されるころには、もう一端の操縦士となっていた。それからすぐ卒業試験があり、どの部隊に配属されるか。私たちは最も大きな関心を寄せていた。

ほとんどの全員が戦闘機のパイロットになりたかったのだが、噂によると、全員が爆撃隊に配属されるらしい。

卒業する少し前、私たちはバルト海沿岸にある高射砲学校を見学し、そこに偶然にもゲーリングがやってきて、演説を行った。

「我々ルフトバッフェは新たに編成されるスツーカ隊のために、多くの青年将校を必要としている!」

との事だった、噂はやっぱり真実らしく、爆撃機の操縦をしなければならないのか。と諦め、スツーカ隊志願者の名簿に名前を記入してもらった。

いよいよ卒業式があり、一同の任地が発表された。蓋を開けてみると、なんと、ほぼ全ての人間が戦闘機隊に編入されるではないか!騙された。思えば、なんと馬鹿正直な人間だったのだろうか……と




解説 兵器についての解説をします。

スツーカ
ユンカース Ju87の愛称、元々はsturzkampfflugzeug(急降下爆撃機)を略した急降下爆撃機全体の略称だったが、Ju87が非常に活躍し、急降下爆撃機の代表的扱いを受けるようになったため、Ju87の愛称として定着した。大した改造もされず終戦まで用いられた機体で、この機体のあとに開発されたほぼ全ての大型爆撃機に急降下爆撃の性能が求められる様になった諸悪の根源でもある。
また、日本陸軍も研究目的で購入しており。その際は旋回性能のみなら一式戦闘機に匹敵する。とされたが航続距離の不足や運用思想の違いにより採用されることは無かった。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。