ガールズ&パンツァー バタフライエフェクト   作:牢吏川波実

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 大百科さんがなければ、この小説は詰んでいました。


2-5 割当

 明朝、戦車道履修者は昨日と同じようにまた、車庫の前に集められていた。そのころにはすでに車庫にあったⅣ号Dも含めた五輌全てが車庫の前に並べられていた。こうしてみてみると、なんとも統一感の欠片もないものである。

 

「まるで、多国籍連合軍のようだな……」

「うん、八九式中戦車甲型、38(t)軽戦車、M3中戦車リー、Ⅲ号突撃砲F型、それとⅣ号中戦車D型……ここまでバラバラだとそろった動きができないかな……」

 

 黒森峰もそうだが、強豪校という物は切り札と呼べるような戦車を除けば、大体の戦車の種類をそろえている。少なくとも、作られた国はそろえている。戦車という物は、製造された国によって戦車の基本スペックがそれぞれ違うため、国籍が違えば、全速で出せる速度がバラバラとなってしまうのだ。だから戦車道の試合に置いて、戦車の種類に統一感を持たせた方が安定した戦車運用ができる。そのため、今現在の編成では素早い動きと攻撃は望めないだろう。だが、その点は知力と策略で何とかしていけばよいのだ。西住みほはそう考えるしかなかった。

 

「なんとか五輌、集まりましたね」

「あぁ、自動車部の諸君。ご苦労だった」

「いやいや、もう大変だったよ。特に崖の所にあったのとか……」

 

 生徒会のねぎらいに対してナカジマはそう答えた。だが、どうやってそんなところにある戦車を持ってくることができたのか皆目見当もつかない。ナカジマ曰く。それは企業秘密であるから教えられないのだとか。まぁ、別に教えられても使い道がないと言っちゃないし、なんだか聞くのも怖いのである。

 

「では、どう振り分けますか?」

「見つけたもんが見つけた戦車に乗ればいいんじゃない?」

「そんな事でいいんですか?」

「みんな自分が見つけた戦車に愛着を持ち始めているみたいなので、それでいいのでは?」

 

 捨てられた子犬を見つけた時の心境に似ているだろうか。特に一年生組はM3中戦車を見つけた経緯から、かなりの愛着を持っているようだ。

 

「では、最初に言った通り西住のチームがⅣ号に、私たちはお前たちが見つけた38(t)に乗らせてもらう」

「分かりました」

 

 元々、足の不自由なみほのための機材はⅣ号戦車の座席を元に制作しているため、どの戦車が見つかったとしてもみほたちが乗る戦車は変わらなかった。だから、まほたちが戦車を探しに行く必要性はなかったのだが、残る一チームである生徒会の三人が乗る戦車が必要だった。三人は昨日まほたちのように戦車を探しに出てはいなかった物の、もとをただせばⅣ号Dを見つけたという意味ではすでに彼女たちの戦車道探索という役割は済んでいた。そう言う意味で言うならば、まほたちはⅣ号Dと交換できる戦車を探しに出ていたと言ってもいいだろう。なんにしても、四人乗りで生徒会の三人でも操縦することのできる38(t)をまほたちが見つけてきたのは運がよかった。この戦車であれば、操縦はそんなに難しくはない。万が一にも二種類の操作方法があるクリスティー式の戦車でなくてよかったとみほは考えていた。

 

「その事なんだが、少しいいか?」

 

 だが、桃がそう言った瞬間にまほが手を挙げた。

 

「なんだ、西住」

「あぁ、戦車道履修者の中で、戦車道を経験者は私とみほ、それと愛里寿だけだ。その内の二名が同じ戦車に乗ってその戦車が撃破されるようなことがあったら一気に総崩れする恐れがある。そのため、38(t)には私も乗車したい」

 

 これは、昨晩から考えていたことだ。ほとんどが戦車道素人であるこの学校の中で、自分、みほ、そして愛里寿の三人の担う役割は大きなものとなるだろう。だが、五輌しかない戦車の内、自分とみほがⅣ号D戦車に乗って撃破された際、残った愛里寿一人に重荷を全て背をわせてしまうという事を危惧した。

 愛里寿は一年生、しかも実年齢で言えば中学生であるから、このメンバーでは一番年下。いくら近い将来に大学選抜の隊長を努めることが内定していたとしても、素人ばかりのチームの年上の少女達をまとめ上げる心の強さがあるのか実際に見てみるまでは不安だった。だから、まほとみほの二人が別々の戦車に乗り込み、一方が撃墜されても戦線を維持できる形を取ったのだ。

 

「なるほど、そう言う事なら……いいですね、会長?」

「いいんじゃない?二年生と三年生のチームで区別もできるし。こっちとしても元黒森峰の隊長さんがおなじ車輛に乗っていたら心強いし」

「フッ、本当にそう思っているのか?」

「まっ、ちょこっとだけだけどね」

 

 実は言うと、まほは少しばかり杏に一目を置いていた。初めて会った時から感じている彼女のずるがしこさの中にある緻密な計算や、自分のプレッシャーにも動じない精神力。そして、自由奔放がゆえに何物にもとらわれることのないその発想、判断力。まほは、杏がもっと成長し、戦車道に真摯に取り組んでくれれば、大会で上位に食い込むことができる、いや将来的には社会人チームで隊長を努めることもできるのではないかと考えていた。そのため、先ほどまほ自身が言った、戦車道経験者の分散というのも真実ではあるが、もう一つの目的として杏の成長という物もまた彼女の思惑の中にあったのだ。さらに言えば、杏もまた最初からまほには自分たちのチームに入ってもらおうと考えていた。理由はほとんどまほが言ったことと同じである。それを杏自身が言わなかったのは、彼女が言わなくとも聡明なまほであったら、自分からそう持ち掛けるのではないかという考えの下だ。もしかしたら、杏はまほが思っているよりもしたたかなのかもしれない。

 

「すまないみほ、そう言うことだから同じ戦車には……」

「ううん、心配しないでお姉ちゃん。私も、同じ三年生の会長さん達と一緒に乗った方がいいんじゃないかって思っていたから」

「そう、ありがとう」

「では改めて。Ⅳ号Aチーム」

 

 Aチームは、みほ・沙織・華・優花里の四人の事である。Ⅳ号戦車は、第二次世界大戦中のドイツが持っていた中戦車である。装甲部隊の創設者であるハインツ・グデーリアンによって求められた二種類の戦車のひとつである。ベグライトヴァーゲンと呼ばれ、75mm砲搭載の20トン級の「支援戦車」として開発された経緯を持つ。ドイツ戦車の中で最も生産数が高く、大戦中期ごろには改良が限界に達していた物の、敗戦時まで使用され続けたのだから、安定性した強さはあったものと考えられる。Ⅳ号は、四社による競作が行われた結果、複数のバリエーションを持つまでに至り、1939年には今この場にあるD型が本格的に量産された。因みに、D型は当初の戦車よりも装甲厚が強化されているそうだが、防御力は不十分であったそうだ。

 

「八九式、Bチーム」

 

 Bチームは、磯辺典子、近藤紗子、河西忍、佐々木あけびの四人である。バレーボールのユニフォームを着ていることが特徴だ。というか、元々バレーボール部だったそうだ。しかし、部員不足のために廃部となってしまい、バレーボール部復活を生徒会との交渉条件にして戦車道を履修しているのだとか。唯一の二年の磯辺のみ体操服姿で、そのほかの一年生三人がユニフォーム姿であるため、一番学年の区別がつきやすいメンバーである。

 蛇足だが、三人のユニフォーム姿を見る限り、ズボンは今や懐かしいと言えてしまうブルマーであると思われる。ブルマー、あるいはブルマもしくはブルーマ、ブルーマーは20世紀に世界的に広く普及した衣類の一つである。戦前の日本でもんぺに代わって標準の運動着として採用されたブルマーは、ずり落ちたりひきつったりせず軽量で、動きに対しても身体に密着するため、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで女子体操服の代名詞として認知されるようになり、小中高と幅広い間で指定体操着として採用されることとなった。なお、主に女子限定の体操着として着用されていたが、場所や時期によっては男女共通の体操着として着用されていたのだとか。また、水着としての着用例もあったりと、使用方法にはかなりの自由度があったと考えられる。しかし、1987年にある高校から端を発した反対運動によって衰退を始め、公立校では2004年を最後に、私立では2005年を最後としてブルマーを女子の体操着として指定する学校は消滅した。現代では、男性の性的欲求を満たすためだけに存在していると言われるが、遡ってみるとかなり歴史のある伝統的な服装であったことが垣間見える。

 話を戻すが八九式中戦車は、1920年代後期に日本初の国産制式戦車として開発・量産された大日本帝国陸軍の戦車である。第一次世界大戦に並行して、大日本帝国陸軍において戦車部隊を保有するべしとの機運が高まり、10トン以下の軽戦車としてフランスのルノーF17、10トンから20トンまでの中戦車としてイギリスのマークA・ホイペットをそろえた戦車隊が創設された。それに加えて、当時の戦車開発の流れを鑑みた日本も、自力でこれに追随すべきであるとの判断から戦車の国産化計画を推し進めた。その結果として1927年に、作り上げられた試製一号戦車を得て、一応の国産戦車配備をこの八九式中戦車で成し遂げたのだ。1931年から勃発した満州事変から、第二次世界大戦の序盤のフィリピン攻略戦でもアメリカ軍のM3軽戦車と戦った。しかし、開発期間に十年の開きがあったために八九式は様々な面で劣っており……。そんな戦車まで前線に持ってこなければいけなかったという事を考えれば、当時の日本軍がどれほど危機的状況の中にあったのか分かるだろうか。因みにこれは余談であるが、1937年に勃発した日中戦争に置いて八九式の戦車長として多くの激戦を戦った軍人がいた。その男はその功績をたたえられ、軍部が初めて公式に『軍神』の異名を死後与えた。その男の名前は、『西住』小次郎だという。

 なお、例の崖から戦車を見つけたチームというのがこのBチームである。果たして、どうやってそんなところに戦車があったのを見つけたのか、そして自動車部はどうやってそんなところから戦車を持ってくることができたのか、永遠の謎としてこの大洗戦車道内で語り継がれることになるのかもしれない。

 

「Ⅲ突、Cチーム」

 

 Cチームは鈴木貴子(カエサル)、松本里子(エルヴィン)、杉山清美(左衛門佐)、野上武子(おりょう)の四人のチームである。歴史上の軍人らしきもののコスプレをしている四人組だ。それぞれを歴史上でも有名な軍人の名前で呼び合うというちょっと変わった人間で組まれているチームで、全員が歴史全般についての知識をそれなりに持っているようだ。

 彼女たちの乗ることとなるⅢ号突撃砲は第二次世界大戦中にドイツで開発された突撃砲だ。因みに、突撃砲という名前が付ている通り、この車輛は厳密的に言えば戦車ではない。実はドイツが製造したⅣ号戦車が一番生産されていたというのは戦車に限ってのことであり、装甲戦闘車両というくくりで見れば、一番生産されていたのがこのⅢ号突撃砲だったそうだ。つまり、それほど重宝されていたという事であろう。突撃砲は車軸が回らず、狭い射界で攻撃範囲を制限されるのに比べ、戦車は回転式の砲台を持ち、全周囲に対する砲の指向を行いながらの機動が可能である。という違いがあり、そのため、突撃砲は目標を迂回しながら突破しつつ攻撃を仕掛けるというまさに突撃砲の名に恥じない戦い方をしていたらしい。Cチームの使う三突はF型と呼ばれるもので、主砲を長砲身にしたという違いがあるらしい。そのため、今回見つかった戦車五輌の中でも一番の高火力なのだとか。

 なお、彼女たちは池の底からこの戦車を見つけたらしく、水蜘蛛という道具を使ったり、すいとんの術に似た忍術で見つけたそうだ。どうやら、彼女たちは一年生の時には忍道を履修していたらしく、それで身に付けた技なのだとか。ただ、どうやらそれは彼女たちが思った授業ではなかったらしく、戸隠流やら真田十勇士やらがあると思ったらしいが、行ってみれば近代スパイの情報収集術などというリアリティある物だったらしく、ちょっとお気に召さなかったらしい。

 

「M3、Dチーム」

 

 Dチームはウサギ小屋で戦車を見つけた七人、澤梓、山郷あゆみ、丸山紗希、阪口桂利奈、宇津木優季、大野あや、そして島田愛里寿である。

 M3中戦車、リーとはイギリス軍で当時使用されていた愛称で、他にもグラントという愛称もある戦車もあるそうだ。アメリカ軍向けの仕様のままでイギリス軍に配備されたものを、南軍の将軍の名前を取ってジェネラル・リー、イギリス向けの仕様で生産されたものを南北戦争時の北軍将軍の名前を取ってジェネラル・グラントというらしい。北アフリカの砂漠に配備されたM3中戦車は、強力な榴弾(爆発することによって弾丸の破片が広範囲に飛散するように設計されている砲弾の事)を発射でき、かつ対戦車戦闘でも有効な75mm砲を装備しているため、当時のイギリス軍からはかなり喜ばれ、同時期に導入されていた戦車の中でも機械的信頼性が高かったらしい。その後、M4中戦車がイギリス軍に配備されるようになったが、ドイツ軍やオーストラリア軍、ソビエト連邦やアメリカ軍等々数多くの軍隊で使われていたそうだ。1944年のビルマ戦線では、イギリス軍の反攻に投入され、まともな対戦車火器を持たなかった日本軍相手に威力を発揮したらしい。

 

「38(t)、Eチーム」

 

 Eチームは、生徒会三人衆である角谷杏、小山柚子、河嶋桃。そして、西住まほの四人である。

 38(t)は第二次世界大戦前にチェコの会社がチェコスロヴァキア陸軍に向けて開発・製作した軽戦車である。しかし、1939年にあったミュンヘン会談の結果、ナチス・ドイツによりチェコスロヴァキアが併合され、チェコ陸軍向けとして発注されていた車両のすべてに当たる150輌がドイツ国防軍向けとして完成させられた。しかし、ドイツ軍向けに納入された戦車である物の、元々チェコ製であることを示す名残が残っている。それが、38(t)のtである、というのはすでに優花里が言っていたことであるが。ドイツ軍は開戦時から多くの38(t)を実戦投入し、1939年のポーランド侵攻では、第3軽師団に100輌ほど配備されていたらしい。そして、これも優花里やまほが言っていたが、第二次世界大戦中の西方戦役で、エルヴィン・ロンメル将軍が指揮した第7機甲師団で有名なのだそうだ。ちなみに、この38(t)は数あるバリエーションの内B/C型と呼ばれるものであるらしく、この戦車は……。

 実は、38(t)の戦車はA型、B型、C/D型、E/F型、S型、G/H型、K/L/M型があり、B/C型という物は史実にはない。と、いう事でこの戦車は38(t)B型をこの学園艦内で改造した車輛であると考えられる。一応、今現在自動車部が使用しているどでかい倉庫は元々戦車道履修者が使用していたらしいし、あそこでかなりの改造を行ったのだと考えられる。と、言うのは戦車素人の考えであるため聞き流してもらっても結構である。

 車輛の割り当てが決められた後、戦車を洗車することになったのだが、これと言った盛り上がりもない為、以下戦車洗車ダイジェスト。

 

「ちょっと沙織さん……」

「だ、誰ですか!?」

「高松城を水攻めじゃ!」

「ペリーの黒船来航ぜよ!」

「戦車と水と言えば、ノルマンディーのDD戦車でしょ!」

「「「それだ!!」」」

「もうびしょ濡れ……」

「恵の雨だぁ!」

「ブラ透けちゃうよぉ……」

「……」

「愛里寿もその内ブラ付けれるぐらいに大きくなるから」

「別に気にしてません」

「今日は戦車を洗車すると言ったろ」

「上手いねぇ、座布団一枚」

「決してそう言う意味で言ったわけじゃありません」

「それより二人もまほちゃんみたいに手伝ってくださいよぉ……」

「それよりも、柚子が水着を着ているの何故だ?」

 

 因みに、高松城というのは現在の香川県にある城で、水攻めというのは1582年の備中高松城の戦いにおいて羽柴秀吉の家臣である黒田官兵衛が立案し、毛利氏の配下であった清水宗治相手に使用した戦術である。長さ三キロ、高さ七m、幅二十二mにも及ぶ大きな堤防を僅か十二日で作り上げ、近くにあった川の水を城の周囲に流し込み、備中高松城を湖に浮かぶ小島とし、孤立させた作戦である。因みに、この戦の最後は清水宗治の切腹という形で幕を閉じるのだが、その時の切腹の姿が見事なものであったため、その後の時代を生きる武士は、切腹が武士として名誉なことであるという認識となったらしい。

 ペリーの黒船来航は、1853年、1854年に当時東インド艦隊司令長官であったアメリカ海軍代将のマシュー・ペリーが1639年から鎖国して朝鮮王国、琉球王国、中国そしてオランダ以外と関係を経っていた鎖国を行っていた日本に開国を求めた一件である。

 ノルマンディーのDD戦車とは、第二次世界大戦中に開発された水陸両用戦車を使用したノルマンディー上陸作戦の事だ。この作戦では、特にオマハ・ビーチでの戦いがよく知られており、およそ3000の死傷者を出したという。惨劇とも言われている。DD戦車はオマハ・ビーチの岸からはるか遠くの沖合で会場に降ろされたのだが、荒波にもまれてしまいほとんどが沈んでしまったそうだ。

 それはともかくとして。洗車は、夕刻にまで及び、新品同様とまでは行かない物の、最初に比べればかなり綺麗となった。

 

「よし、いいだろう。後の整備は、自動車部の部員に今晩中にやらせるそれでは、本日は解散」

 

 その言葉を聞いた瞬間、全員が全員、自動車部の部員を憐れに思ってしまった。確か、自動車部は昨晩から今朝に至るまでにここにある戦車を色々な所からこの場所に移動させたのだとか。と、いう事は昨日は徹夜だったという事になるので、このままいくと二徹という事になる。果たして、ちゃんとした睡眠時間は取れているのだろうか。特に、自動車部とも接したことがあるみほがそう思っていた。さて、解散と言われたもののみほ達にはまだ学校でやるべきことがあった。

 

「それじゃ行こっか」

「はい、今日中にウサギ小屋が完成すればいいですね」

「うん」

 

 そう、まだウサギ小屋を建てるという仕事が残っている。みほたちAチーム、愛里寿たちDチームの面々、それからまほは昨日と同じようにウサギ小屋に向かおうとした。その時である。

 

「あっ、ちょっと待って」

「え?」

 

 彼女を呼び止めたのは、Bチームの磯辺典子だった。

 

「Dチームの人たちから聞いたけど、ウサギ小屋を建てるんだってね」

「私達もお手伝いします!」

「え、いいの?」

「はい!まだまだ身体を動かしたいんです!」

「さすが元バレー部ですね」

「まぁね」

 

 さすが体育会系の部活動出身である。あれほど身体を動かしていたというのに、まだ動かしたりないという。まぁ、洗車して身体中に水を浴びたから身体が冷えてしまっているのかもしれないが。

 そして、流石にチーム三つが集合しているので気になったCチーム四人も集まる。

 

「何ぜよ、この集まりは」

「みんなで内緒話か?」

「いや、実は先日M3リーを出すためにウサギ小屋を壊してしまってな。それを直そうという話を……」

「ほう、修繕か。戦争で修繕と言ったら第二次世界大戦の首里城だな」

「いや、ポーランドの街ポズナンじゃないか?」

「ウサギの城である小屋から出すのだから、三方ヶ原の戦いの徳川家康じゃないか?」

「「「それだ!!」」」

「どれだ?」

 

 首里城は、かつての沖縄にあった琉球王国の王城であった場所で、沖縄県内最大規模の城である。その堅牢さからか、第二次世界大戦中の沖縄戦に置いて日本軍が首里城の下に陸軍第32軍総司令部を置いていた。しかし、それが原因となり、アメリカ軍艦から三日間に渡って攻撃を受け続け消失し、首里城へと続く階段のみが残された。今現在ある首里城は、1979年に琉球大学が首里城跡から移転した後に始まった復元によって生まれ変わったと言っても過言ではない首里城である。ただ、元々の色が分からない場所、資料が消失しているという事もあって、完全に戦前の姿が戻っているというわけではないらしい。

 続いてポズナンとは、ポーランドの西部に位置している都市で、中世ポーランド最古の都市のひとつである。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍の激しい戦闘により、ポズナン市街地全体の55%が、旧市街は90%以上が破壊され、壊滅状態となってしまった。しかし、戦後残された資料を基にしてポーランド人、ポズナンの街が好きな人たちによって完全に復元された。因みに、ドイツ軍の元歩兵大将であるエーリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルーデンドルフはこの街の旧ポーゼン管区と言われるところの出身である。

 最後に三方ヶ原の戦いの徳川家康であるが、これは1573年1月25日に起こった武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍との戦いである。正確に言えば、織田信長は自身の包囲網への対処のために忙しく、戦場には赴いていないが。上洛を前提としたとされている武田信玄が、甲斐の国から進行する途中、徳川領であった三方ヶ原を侵攻する際にあった戦い。その際、徳川家康は浜松城にて籠城の構えを見せており、本来なら戦が起こるなどという事はなかった。しかし、それを読んでいた武田は、わざと浜松城を素通りしてその先にある城を目指すような動きを見せる。これを知った家康は、坂を下って移動中の武田信玄の首を取れるという可能性を見出し、平手汎秀ら織田からの援軍を加えた徳川・織田連合軍で信玄の後を追った。しかし、それは武田信玄の用いた作戦。武田信玄は坂を下ってはおらず、魚鱗の陣にて徳川を迎え撃った。結果、家康は敗北し、数多くの家臣、そして織田軍の平手汎秀等を失った。浜松城へと数少ない取り巻きと共に敗走した家康ではあった物の、空城の計という作戦を用いて何とか武田の軍勢を退けることに成功し、その命を失うことはなかった。

 

「とにかく、そう言う事だったら私達も参加しよう」

「そうか、助かる」

「これだけ人数がいるなら、すぐ終わりますね」

「はい、もしかしたら前の小屋よりも豪華なものができるかもしれませんね」

「ともかく善は急げ、すぐにその小屋へと向かうとするぜよ」

「はい!」

 

 そんなこんなで、生徒会チーム以外の面々が参加することになったのだが、一方でその生徒会チームはというと。

 

「私達も行こうか?」

「ダメです。まだ仕事が山積みなのですから、そんな事をしている暇はありません。それに、戦車道連盟に提出する書類もまだありますし……」

「あ~そうだったね」

 

 そのやり取りが耳に聞こえたまほは、首をかしげながら杏に話しかける。

 

「そのような書類は、普通は学校のトップに任せるべきものなのでは?」

 

 普通はそうだ。黒森峰でもそうであった。特に戦車という特殊な車輛を使うのであるから、学校のトップの承認もなければならないはずなのだ。しかし杏は苦笑いしながら言う。

 

「いやぁ~うちって放任主義でね、学校は全然協力してくれなくって」

「え?」

 

 その言葉に、まほは何か違和感を感じた。協力してくれないというのならば、あの戦車道履修者に対する大量の特典は何だというのだ。いくら放任主義とはいえ、あれほどまでに学生生活に関係するような事柄を、一生徒会の一存で設定することなどできない。そのため、自分は学校全体での協力があるのだと思い込んでいた。だが、蓋を開けてみれば学校の協力はないという。ならば、どうやってあれほどまでの特典を用意できたのか。まさか、虚偽だとでもいうのだろうか。

 

「杏、聞きたいことが……」

「あの特典は嘘じゃないよ。それだけは用意して、後は全部生徒会にお任せするってことだから」

「……そうか」

 

 だが、それで安心できるほどではない。むしろ心配の種が一つ増えたという事だ。戦車道の試合一つをするにも、安全に配慮するといった誓約書や、戦車の砲弾使用の許可や認可、さらには砲弾や燃料、火薬と言った物品の手配等々たくさんの職務がある。それを戦車道に関係するたくさんの大人たちで分担してそれぞれを終わらせていくような作業だ。それを、子供である生徒会三人が勉強の合間を縫ってやるなど、辛いことこの上ないだろう。まほは、一度目をつぶり少し考えてから言った。

 

「分かった。何か私にも手伝えることがあったら言ってくれ。これでも、母の手伝いで似た書類を書いたこともあるからな」

「感謝する。しかし、今のところは何ら問題はない。だから、安心してほしい」

「……分かった」

 

 杏と話している中ではあるが、突然現れた桃の言葉を聞き、まほはただ一言だけ答えるとみほたちの元にお向かった。しかし、その途中一度だけ振り向き、言った。

 

「一つだけ言いたいことがある。桃」

「なんだ?」

「……嘘をつくときは、手に力を入れない方がいい」

「ッ!」

「それに、少しメイクをした方が隈も隠せる。……チームメイトなのだから、少し位は頼ってくれ、ではまた明日」

 

 それだけを言うと、まほはまたみほたちの元へと帰っていった。まほは見た。バインダーを握って、震えている桃の手を。彼女は何かを隠している。恐らく自分自身の許容範囲を超えるような大きなことを。それに自分と杏の話に無理やりかのように割り込んできた姿も不自然だ。何かがある。この大洗学園戦車道には、何か裏がある。そう、確信にも近い何かを持ちながら、まほは仲間たちと共にウサギ小屋へと向かった。

 

「やっぱただもんじゃないね」

「……すみません会長、隠し通せると思ったのですが」

「いいよ河嶋……まほちゃんだったらしょうがないって。それにさ……」

「え?」

「何でもない。さっさと仕事終わらせちゃおう」

「はい……」

 

 そして、二人は生徒会室に帰っていった。

 

「待ってくださいよ会長~桃ちゃ~ん……」

 

 と、言うわけにはいかなかった。実は戦車を洗車した時、38(t)を洗車していたのは

まほと柚子の二人だけであった。桃は全体の管理をしなければならないために洗車に加わることはできなかった。それは分かる。しかし、杏は何故かいつも通りに干しイモを食べながら洗車する履修者たちを眺めていただけ。つまりさぼっていたのだ。だから二人で洗車するしかなかった。しかし、ここで体力差による疲労感の違いが出てしまう。元々黒森峰で戦車道を行っていたまほは、もはや体力は有り余っていると言えるほどに余裕をもって洗車していた。しかし、ほとんどデスクワークしかしてこなかった柚子はあまり体力がなく、結果として終わったころには今のようにモップにもたれかかってなければ立っていられないほどにヘトヘトとなってしまったのだ。主に戦車内部で雑巾を使用していたのと、外部で大きなモップを持って水をかけるという事も並行していたことも差がでた要因なのかもしれないが。

 

「やっぱり私も手伝った方がいいと思うのだが?」

「……頼む」

「あはは、さっそくだね」

 

 結局まほも生徒会の仕事を少しばかり手伝うという結論となった。見て分かる通り、ウサギ小屋の方はすでに人数が足りている。自分一人が抜けたところで、別段問題はないだろうとまほもまた判断したのだ。

 こうして、今日もまた一日が過ぎていく。誰もが想像していた通りに過ぎていく。だが、それでいい。何もない平和な毎日という物が続くのであれば、それでいい。何物にも縛られないという毎日という、どんな物にも代えがたい物、それがあるだけでいい。ただ、それだけがあればいい。




 バレー部のユニフォームですが、初見でブルマーであると思ったのですが、それにしては裾(と言っていいのだろうか)が広いような気もして……あれ?戦車の説明回なのに、なんでブルマーの説明なんて挟んでいるんだろうか……。
 あと、後半の首里城やら三方ヶ原云々の後の『それだ!!』から見て分かる通り、私の歴史知識なんてその程度です。もっといい例えがあったら誰か教えてください。
 あと、三方ヶ原の戦いは一部、『信長のシェフ』を参考にさせていただいているところがあります。
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