翌朝、彼女たちにとって運命の日がやってきた。大洗学園戦車道の歴史、その真の再始動の日だ。並びに、それは戦車道の歴史において煌々たる光をもたらし、下火になっていた戦車道という文化の灯りを明るく照らし出した記念すべき始まりの日であったのだ。後の歴史学者は言っている。一時期は戦車の種類が頭打ちの限界に達し、マイナーな文化にまで落ちぶれた戦車道が、どのようにして華道、茶道、に並ぶメジャーな伝統文化と言われるようになったのか。それは紛れもなく、この大洗学園の功績があってこそなのだと。だが、当の本人たちはまだ知らない。自分たちがこの先どのような歴史を刻んでいくのかを。彼女達はまだ知らない。どれだけ多くの友人と巡り会っていくのかを。彼女達はまだ知らない。道路の真ん中に今にも倒れそうな少女がいるなど。彼女達はまだ知らない。自分たちのおかげであるアニメが世界的に爆発的人気のカルチャーになるなどという事実を、まだ知る由もなかったのだ。
「ふあぁぁぁ……結局徹夜しちゃった……」
「それでもまだ全シーズンの半分も見ていないなんて、驚きです……」
「人気が無くなったと聞いていたのですが、まさか十数年間連続して放送されていたなんて……」
「それがボコだから」
みほの車椅子を押している華の言葉ももっともであった。人気が下火になったと聞いていたが、まさか最初の放送から現在進行形で放送が続いているなど思いもよらなかった。みほが言っていた現在でもお昼16時30分からアニメが放送しているというのは、再放送でもなんでもなく、新規のアニメーションとして放送中という事だったのだ。あの後、結局ボコられグマシーズン1の半分、それと劇場版まで連続して見させられ、気がついたら朝になってしまっていた。しかし、それでもみほとまほはそれほど辛い様子を見せていなかった。
「御免、本当なら昨日はゆっくり寝てもらって、万全の状態で戦車に乗ってもらいたかったのに……」
戦車はどれも、中がかなり狭くて空気が薄く重い。それに加えて揺れも直に身体に伝わってくる。そのため、寝不足の状態で戦車に乗り込めば恐らく車酔いならぬ戦車酔いするだろうとまほは考えていた。しかし、両手が塞がっている沙織は、華と自分のカバンを持っている方の手を上げて言う。
「まぁ心配しなくても、学園艦に乗っているだけで揺れには強くなっているし、徹夜すんのもテスト前はしょっちゅうだから慣れっこ慣れっこ」
「はい、それにボコられグマも意外に面白かったですし!」
「でしょ!だからみんなも武部さんみたいに……あれ?」
「ん?」
その時である。彼女達は歩道を右往左往しながら歩く少女を見つけた。制服は自分たちと同じものだから大洗学園の生徒なのは間違いないが、今にも倒れそうで見ていて危なっかしい。道路側にはガードパイプがあるため道路に倒れて車に轢かれるという事はないだろうが、それでも頭を地面にぶつけてしまう恐れがある。そんな危なっかしい少女をみた武部がため息をついてから、カバン二つをみほに預けて近づい言う。
「もう、麻子しっかり歩いてよ」
「沙織か、こんなところでどうした?」
「それはこっちのセリフ。また朝起きれなかったの?」
「それはお前もだ沙織」
「うっ……」
沙織は、少女に痛いところを突かれ一瞬顔がこわばった。正直に言うと、今現在彼女たちは遅刻ギリギリなのだ。ボコの映画を見終わった後、睡魔に襲われてしまった五人は、仲良く眠り込んでしまい、起きた時にはすでにみほとまほが登校する時間をを過ぎてしまっていた。いわゆる寝坊である。結果、朝食も取らずに学校に向かっている最中であるのだ。とりあえず途中にあるコンビニで朝ご飯とお昼ご飯、それから眠気覚ましの清涼菓子を買って、早歩きで学校に向かっている最中だったのだ。本当なら、走って確実に登校時間に間に合わせたかったのだが、みほが車椅子であるため安全に配慮するかたちで歩幅を合わせているのだ。なお、まほとみほがそれほど眠たそうに見えなかったのは眠り込んだことに関係がある。
ショートスリーパーという物を知っているだろうか。人間の平均睡眠時間は7時間から8時間と言われているが、時々6時間以下でも問題なく生活することのできる人間がいる。かの有名なフランスの軍人であるナポレオン・ボナパルトは、三時間しか眠らなかったと言われている。これには諸説あるらしいのだが、今この時に真偽を問うのは無駄な行為であるためやめておこう。ともかく、ナポレオンの睡眠時間が通常の人間よりも短かったというのはかなりポピュラーな逸話の部類である。このナポレオンが短時間睡眠者、いわゆるショートスリーパーと言われているのだ。多少横道にそれてしまったが、みほとまほもまたこのショートスリーパーと呼ばれる部類の人間なのだ。黒森峰時代まほは、西住流として作戦の立案や勉強を並行して行っていたために、睡眠時間が短くなる傾向が多かった。それは、たとえ次の日に大事な試合が控えていたとしても同じ、いやむしろ試合がある前日にこそ睡眠時間が短くなる傾向にあった。だが、そんなときでもまほは何ら苦痛を感じず、むしろ清々しい気持ちで戦車道に臨めていた。みほは、まほのように作戦立案に毎日駆り出されるという事はなかったが、しかしショートスリーパーという物は遺伝的なものであるためか、みほもまた短時間の睡眠でも平気であるのだ。
「武部さん、知っている人?」
顔がこわばり、固まっている沙織にみほたちは近寄ってそう聞いた。沙織は、表情を元に戻して言う。
「う、うん。幼馴染」
「冷泉麻子だ、よろしくな」
「はい。私は西住みほです」
「私はまほ。武部さん、また朝起きれなかったって……」
「あぁうん、実は麻子って低血圧で朝に弱くって……それで何度も遅刻しまくってて進級も危ないって言われてて」
つまり、西住姉妹とは真逆の人間であると言っても過言ではない。それにしても、この早い段階ですでに進級が危ないと言われるとは、いったい麻子はどれだけ遅刻しているというのだろうか。結局、麻子は支えていなければ立っていられないほどにフラフラているため、沙織が右肩を、まほが左肩を支えながら歩くこととなった。この時点で遅刻は確定的であるがしかし、遅刻を理由にして目の前で困っている人間を放っておけるほど彼女たちは非情ではなかった。
「もうこれで、遅刻は確定的ですね」
「でもいいじゃん『寝坊遅刻も皆ですれば怖くない』っていうし」
「それを言うなら、『赤信号、皆で渡れば怖くない』じゃないかな?」
「そうそう、それそれ」
群衆心理を一言で表した言葉として有名なこのセリフ、実は元々は漫才のネタであったという事はご存知であろうか。今では、映画監督して世界中で有名であったある漫才師のコンビが漫才で言った言葉であるそうだ。一人でやったら悪いことであると批判されるようなことも、大勢やったらやってもいいようなことのように見えてしまうということである。もちろん赤信号の時に道路を渡るとどうなってしまうのかは、想像しなくても分かり切っているだろうが、重ね重ねそのようなことしないように。
そんなこんながあって、みほたちはようやく学校にたどり着くことができた。時間的にはすでに遅刻、みほとまほにとって黒森峰時代も含めて初めての遅刻となった。だが、なにも嫌な気持ちにならなかったのはどうしてだろうか。すでに遅刻しないという事は諦めていたからだろうか。それとも、人助けをしたという優越感があったからだろうか。いや、多分前者であるだろう。そうでなければ困る。もしも後者であったならば、それは偽善なのだから。世の中は報酬なしに回ることがない。会社で働くのも、お金という働いた分に見合う報酬があるから。その報酬がなかったら、世の中でよいことと呼ばれている募金活動もボランティアもできない。結局社会という歯車は報酬という物がなければ動くことができない。さらに言えば、ボランティアや募金を人を助けたいという一心で行っている者が何人いる事だろうか。もしかしたら、何人かは人を助けているという優越感を得たいと思って行っている者がいるのではないだろうか。無欲の勝利という言葉があるが、無欲というのは、もはや無我の境地といっても過言ではないのではない。人は、褒められたいという欲求を捨てることができない生き物だ。誰かに褒められたいから勉強するし、誰かに褒められたいから道端のゴミを拾うし、誰かに褒められたいから愛というものに盲目になる。だから、私は世の中で天然と呼ばれる人たちがうらやましいのだ。何も考えず、目の前に辛い顔をしている人がいれば、助けを求める人がいれば、迷わず何の疑いもなしに手を伸ばせる人達に憧れているのだ。優越感という人間にとって切っても切り離せない感情、しかしたとえ否定したとしてもそれが人間の心の中から完全に消え去ることはない。だが、ちょっとずつでいい。ちょっとずつ、報酬を求めない生き方をしてもいいのではないだろうか。一度でいいから、自分は報酬なんてもの欲しくない。そんな醜い物のためにこんな事をしたわけじゃない、だからそんなものは欲しくないです。そんなことを言ってみたい。報酬があるからこそ人は何かをする努力がある。だが、報酬がなくても愛がそこにあるのなら、一歩づつ一歩づつ歩み寄っていけばいい。人間がたどり着くことのできない領域である無欲という大きな壁に。
「冷泉さん、これで連続245日の遅刻よ」
校門の前に立っていたおかっぱ頭の生徒が、まほたちに向かってそう言った。というよりも、沙織とまほの間にいる麻子に向かって言った。腕に付けている腕章か察するに風紀委員なのだろう。だが、それよりももっと気になることが一つある。
「245日?一年は確か365日で、長期休みを引いても……高校入学からずっと遅刻していることになりません?」
そう、夏休みが大体で40日、冬休みは14日、春休みも14日と仮定して、国民の祝日が16日で、その内学生に関係のあまりない元旦や山の日等を除いて13日程として、土日の休み云々を引いて高校二年生となってからの日数を足すと、それぐらいになる。というかむしろ遅刻日数の方が多い。
「まぁ、単位が足りてれば何とか進級できますし」
「それに、これでも麻子って学年トップの成績だしね」
「でも、学校の規則での出席日数から換算すると、ギリギリなの」
一応、出席日数が何日なければならないというちゃんとした法律などはないが、しかし学校の規則でそれぞれに決まっている日数という物がざらにある。どうやら、大洗の学校の規則から風紀委員の彼女が計算したところ、実際麻子の出席日数から遅刻した時間を引いていくと、かなりギリギリであるというのだ。
「大丈夫なんですか?」
「知らん。そど子に聞け」
「そど子さん?」
「だから、そど子って呼ばない。さっきから言っているけど、今でも進級できるかギリギリだから、明日からは遅刻しないように」
「朝は何故来るのだろう」
「あさは必ず来るものなの……それで、二年生の武部沙織さん。道端で冷泉さんを見て無視して登校するようにっていったはずよね」
「アハハ、でも放って置けなくて」
「全く、貴方までそんなものも持ち込もうとして……規則は守るためにあるの。学業に関係のない物は持ち込まないことってちゃんと規則に書いてあるでしょ」
「?」
沙織は、そど子のその言葉の意味が分からなかった。一体自分が何を持ちこもうとしているというのだろうか。別に風紀委員に何か言われるような物は持ち込もうとしていない気がするが。その時、沙織に肩を貸してもらっている状態の麻子が思い出したかのように沙織に言った。
「そういえば 沙織。お前は不思議系にでも乗り返したのか?痛いクマのぬいぐるみなんて持って、彼氏が寄ってくるとでも思っているのか?」
「え?……あ゛っ!」
その時になってようやく気がついた。自分自身が持っている者について。彼女は、別に不思議系になったわけではないのだ。ただ、忘れていただけなのだ。忘れていたというか、無意識の中持ってきてしまっていただけなのだ。それを今の今まで気がつかなかったというだけの話。そう、沙織にとってもそれは青天の霹靂と言うべきものだった。
「ボコ!?え、私いつから!?」
「寮を出た時からずっと持っていましたよ」
「はい。だからみほ殿の車椅子を押すがかりを五十鈴殿に任せたじゃありませんか」
「そ、そうだったんだ……」
全く気がつかなかった。思い返してみると、確かに自分はアニメの第五話を見ていたぐらいにボコのぬいぐるみに触れていた記憶がある。それからずっとぬいぐるみを膝の上に乗せてアニメを見て、うたた寝して、起きてすぐにカバンを持ってみほの部屋を出た。確かに、ぬいぐるみを置いた記憶はなかった。そういえば、通学路の途中でボコの話になった時にみほが自分みたいに……、というような話をしようとしていた。結局麻子の発見によりその話が続けられることはなかったが、よく考えるとあれは、自分のようにぬいぐるみを持って行ってもよかったという事を言おうとしていたのかもしれない。
「ち、違うからね!私、別に不思議系なんてものになろうとしているわけじゃ……」
といいながら、沙織はボコの目を凝視した。昨晩から思っていたが、よく見ると可愛いものだ。片耳に巻かれている包帯や、ところどころに貼られている絆創膏その他諸々、普通のぬいぐるみにはないであろう魅力を感じてしまう。たしかに、ちょっと痛々しい見た目をしているのは間違いないが、むしろそれがアクセントとなって可愛さを増強させているように見える。そう考えると、なんだかボコの目がキラキラと輝いているかのように幻視してきた。何なのだろう、この気持ちは。まるで恋でもしてしまったかのように胸がときめきだす。そう、沙織は恋をしてしまった。というのは大げさではあった物の、実際ボコというキャラクターが好きになってしまっていた。
「とにかく、学業に関係のない物は没収よ」
「な、なんでよ!良いでしょ別に!ゲームとか漫画とは違って誰の迷惑にもならないし、今日は選択授業だけでしょ!」
「規則は守るためにあるのよ。よこしなさい」
「絶対に嫌!」
と、ぬいぐるみを学校内部に持ち込もうとする沙織と、それをさせまいとする風紀委員のバトルが始まった。どう考えても不毛な戦いにしか見えない。
「今のうちにさっさと入ってしまおう」
「みほさん。帰ったら私にも一体貰えませんか?」
「あっ、私も欲しいです!」
「うん!あ、でも持ってきている子には限りがあるから、こんど港に停泊した時に一緒にデパートに行きましょう」
「よかったなみほ、三人もボコのファンができて」
「ファンなのか?沙織のあれは、むしろ洗脳に近い気がするぞ」
戦いを始めた二人を尻目に、みほたちは学校の中へと入って行く。かなり時間がかかりそうであるし、これ以上遅刻したら他の戦車道履修者の迷惑にもなりかねない。後者に入る一歩手前にたどり着いた麻子は、肩を貸してくれていたまほからゆっくりと離れて言う。
「お前たちまで遅刻させて悪かったな」
「いえ、寮を出た時から遅刻するのは覚悟していましたし」
「いつか借りは返す。またな」
そう言うと、麻子はゆっくりと校舎の中へと入って行った。なんとも不思議な生徒である。というのがまほとみほの第一印象であった。こうして麻子と別れたみほたちではあったが、この時まだ知る由もなかった。麻子のいった借りを返す時がすぐに来るなどと。沙織はまだ知らなかった。ボコに魅了された者が、自分たちの他にもまだまだいるという事を。まだ知る由もなかったのだ。
もしかしたら、この先修正するのかもしれない。どう考えても雑。いつものように中盤にポエムを持ってきて何とかしようとしたが、それほどいい話が思い浮かばなかった。チクショゥ。