1-1 転校
何気ない日常、普通の風景、しかし彼女はそれが好きだった。
パン屋からあふれ出てくる香ばしい良い匂い、まるでフルートが奏でられているかのように心地の良い響きのカモメの鳴き声、地元ではまず見ることのなかったコンビニも新鮮だ。それと、アンコウ?なのだろうか、魚のようなものを模した看板もある。だが、可愛いのは確かだ。
そういえば、前にこの街の事を調べた時にアンコウが有名であるという話を聞いたことがある。自分や姉はあまりアンコウという物を食べたことはないのだが、どうやらあん肝という物は特に美味しいらしい。噂によれば、それを手に入れるために腕の骨を折った人間や、突然世の中が嫌になってしまった人間がいるほどの珍味なのだとか。
そんな二人のすぐ近くを、自分達と同じ制服を着た少人数のグループが通り過ぎていった。そんな仲睦まじい姿を見せられて、みほは急に不安になってきた。二年生である自分にとって、今から行くクラスは異質な物、そして自分自身も異質な物として見られるだろう。果たして、友達など作れるのだろうか。前の学校でも友達らしい友達は作れず、自分を慕ってくれていた人間もいたが、それはどちらかというと憧れの面が強く、姉ほどではないが下駄箱に女性からのラブレターが何通も入っていた時には、流石に背筋が凍ってしまった。
色々と話したが、簡単に言えば自分は健全な友達の作り方など知らないも同然なのだ。この学校には、前の学校の人達が自分を憧れの対象として見てくれていた原因はない、というか、それがないからこそこの学校に来たのだ。そんな自分が、この大洗学園で友達を作ることができるだろうか。そう心配していた彼女は、姉に肩を叩かれて言われる。
「大丈夫、みほならいくらでも友達を作ることができる」
「お姉ちゃん……うん」
その言葉に根拠などなかった。しかし、姉であるからこそ、みほの心まで知っていたからこそ、彼女は戦車がなくても友達を作ることくらいできるという事を信じていた。
みほは、ここで失念していた。よく考えるとまほの方が不安でいっぱいなのかもしれない。三年生であるまほの周りは、大洗で二年間友達を作ってきた者ばかりで、もしかしたらまほ一人孤立してしまう恐れもある。さらにまほもまた、部下と言えるような人間は多々いたものの、はっきりと友達であるといえるような友達は自分と同じいなかったように思える。それに加えて、戦車と一週間以上離れるという事が、いやもしかしたら二十四時間だったかもしれない。みほは、まほが戦車と離れている姿を見たことがあまりないように思えた。そんなまほが戦車から離れて暮らすのだから、きっと辛いことなのだろうと、妹ながらに心配になってしまう。
しかし、姉に勇気づけられたみほは、本当に自分は大丈夫なような気がしていた。それは、姉妹という硬い鎖で繋がれた者同士であるからこそ分かるような物であった。
それから十数分後、桜の花びらが雪のようにひらひらと綺麗に舞う中、大洗学園が見えた。まほは、みほの事を担任の先生に任せると、三年の教室へと向かった。
さて、一人になってしまうとやっぱり不安になってしまう。戦車と戯れる事しか知らなかった自分が、よき交友関係を築こうともしなかった自分が、果たして友達など作れるだろうか。
みほは、自分は友達の作り方を知らないというようなことを言っていたが、それは間違いだ。特に、赤星小梅という少女はみほに好意すら抱いていた。みほと自分が大洗に行くことになり、彼女を含めた何人かもまた大洗に転校すると言い出した時には、流石の自分も焦ってしまった。自分が説得したことによって、何とか黒森峰の戦力ダウンは免れたものの、それでもやはりみほに友達がいるという事実は二年前に手に入れた栄光よりももっと自分の心を弾ませるほどに嬉しかった。
果たして、自分は戦車なしで友達を作ることができるのだろうか。そんな不安を抱えながら、彼女は教室のドアを開けた。
その時、最初に感じられたのは不審だった。当たり前だろう。二年も大洗に通っていると、クラスメート以外であったとしても大体の同級生の顔は見ているはずだ。例え、自分のようにあまり特徴のない人間であったとしても、初めて見る顔にみな驚いてしまっているのだろう。そう彼女は思っていた。
しかし、実際には違っていた。その場にいた全員がただただ驚いているのだ。彼女からあふれ出ているオーラ、その凛々しい顔つきに何人もの女子生徒が心を奪われていたのだ。西住まほは無意識のうちに抑えられないほどのカリスマ性を放出していたのだ。
その後は出席番号順に自己紹介が始まった。と言っても、大半の生徒にとっては見知っている顔ばかりなのでそれほど関心はなかった。しかし、ある人物の番になってからは違った。
まほは、自分の名前が呼ばれた瞬間ゆっくりと席から立ち上がって言った。
「西住まほだ。黒森峰女学園から今日転校してきた……一年ばかりの付き合いになるがよろしく頼む」
緊張はしたものの、しかし事前にみほと一緒に考えていた言葉は伝えられた。だが、すこし堅苦しかったかと思ってしまう。もう少し趣味とか好きな食べ物とかを話した方が、より自己紹介らしかっただろうか。そう思いながら彼女は席に座った。
そして、いい意味での教室のざわめきが止まらない中、一人彼女の後姿を見て笑みをこぼす者がいた。
「へぇ、あの子がね……」
そう言うと、少女は手に持った干しイモにしゃぶりついた。