時間は一気に飛んでお昼時にまで移る。午前中の授業を難なくこなしたみほは、一人教科書や筆箱を片付けていた。他の学校に来てみて初めて黒森峰女学園の勉強カリキュラムがかなり進んでいたのだと実感する。だが、遅れていたならともかく、進んでいたのは幸いと言っていいだろう。おかげで楽に授業を受けることができた。
その時、ペンが一つ落ちていった。
「あっ、いけない……」
車椅子に座っている状態で、地面に落ちた細かいものを取るのにも限界という物がある。ペンが落ちているのは、彼女がギリギリ取れない場所である。
みほは一度溜息をつく。一端床に降りると、その後車椅子に一人で上がるのはかなり苦労する。だが、他人のペン一本をわざわざ拾ってくれるような奇特な人間などいるわけがないと、みほは車椅子を降りて机の下にもぐってペンを取りに行った。しかし、それがいけなかった。
ペンを取りに行こうと机の下にもぐった時に、思わず机を揺らしてしまったのだ。そのせいで、片づけの途中だった定規や筆箱が次から次へと夕立のように落ちる。それを見て、みほはもう一度溜息をつき、筆箱を取ろうと手を伸ばした。しかし、その手が届く寸前に、突然一つの手が上から降りてきて筆箱を掴み、UFOキャッチャーのように上に持ち上げた。
みほは、筆箱を取ったのが誰なのかを確認するために机の下から顔をのぞかせた。果たして、そこにいたのは黒髪の長髪の女性だった。
「はい、大丈夫ですか?」
「えっ……あの……」
みほは、どうして少女がそんなことをするのか分からず、それに加えて友達が少なかったこともあってこのような時にどう反応していいのか彼女は咄嗟には分からなかった。そうこうしている時に、今度は後ろから声をかけられる。
「ヘイ彼女、一緒にお昼でもどう?」
「アゥッ!」
ブロンド、いや赤、オレンジだろうか微妙な髪色の少女に声をかけられて、素っとん狂な声を上げてしまい、机にまたも頭をぶつけてしまった。
「ほら沙織さん。西住さん驚いてらっしゃるじゃないですか」
「あっ、いきなりごめんね。私達も拾うの手伝うよ」
「あっ、ありがとう。式部沙織さん。五十鈴華さん」
「え?」
「私たちの名前、覚え照らしたのですか?」
「うん、武部沙織さん、6月22日生まれ。五十鈴華さん、12月16日生まれ。先生から先に名簿を貰ってて、いつ友達になっても大丈夫なようにって」
彼女は、この学校に来る前に担任の先生から同じクラスになる予定のクラスメイトの名簿を貰っており、それを丸暗記していたのだ。その努力が、こうも早くに報われてよかった。そう感じていた。
筆箱や文房具を拾い終え、沙織に協力してもらって車椅子への移乗を完了させたみほは、後ろの方からよく知る声で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「みほ」
「あっ、お姉ちゃん」
西住まほだった。
幸運なことにまほもまたクラスで良き友人に巡り合えていた。その友人たちから一緒にお昼ご飯に行こうとも言われていたが、今日の所は妹と一緒にお昼ご飯を食べたいという事でそれらを断ったのだ。友達がすぐにできると言ったとはいえ、いや言ったからこそその言葉が本当なのかが自分自身不安で仕方がなかったのだ。そして、みほの姿を見て思う。
「取り越し苦労だったか……」
「え?」
「いや、何でもない」
みほは、ちゃんと友達を作ることができていた。困った時には助けてくれる、そんな友達を。まほは『ホッ』と胸をなでおろした。
「西住さんの、お姉さまですか?」
その時、まほの姿を見た黒髪の少女がまほに声をかけてきた。
「あぁ、西住まほだ。妹が世話になっている」
「いえ、そんな大げさなことは……」
「あっ、そうだ!お姉さんも一緒にお昼どうですか?」
「え?……それじゃ、お言葉に甘えて……」
妹が、クラスメイトと仲良くなるチャンスを不意にしたくはないとは思うが、それで断ってしまうのも彼女達に申し訳がない。そのため、ここは彼女たちの提案を受け入れることにした。
「よし、それじゃ急ごう!」
「ワッ!ちょ、危ないですからゆっくりお願いします!!」
茶髪の女の子に押されて食堂に向かうみほ。その様子をまほはまるで母親のように微笑ましく見ていた。
そして食堂。四人は席に着き、それと同時に沙織が言った。
「それにしても、クラス全員の名前と誕生日を覚えるなんて、西住さん本当に面白いよね」
「え?う、うん……」
みほは、おぼろげにもそう返事をした。というのも、確かに彼女はクラス全員の名前は覚えた。しかし、誕生日を覚えれてたのはごく僅かだったのだ。では何故彼女たちの誕生日だけを覚えていたのか。それには、ある理由がある。
式部沙織の誕生日である6月22日は、第二次世界大戦中にドイツ軍がソビエト連邦に対してバルバロッサ作戦を決行した日。
五十鈴華の誕生日である12月16日は、第二次世界大戦中に、同じくドイツ軍がアメリカ軍を主体とする連合軍との戦闘を始めたバルジの戦いの決行の日である。
すなわち、世界史における大きな戦闘のあった日と同じであった。それが印象に残っていたのだ。因みに、五十鈴華の誕生日である12月16日は、かの有名な戦艦ヤマトが竣工した日でもある。
とはいえ、かくゆう自分の誕生日である10月23日は第二次エル・アラメイン会戦。まほの誕生日である7月1日は、第一次エル・アラメイン会戦が行われた日である。もはや、何かの運命を疑ってしまう。
「あっそうだ。西住さんだとお姉さんと混ざってややこしいから名前で呼んでいい?」
「え?」
「みほって」
「……」
みほは、その言葉にサバ煮をつつく手が止まった。なにか気に障るようなことを言ってしまっただろうか。心配する二人を尻目にして、彼女は言った。
「すっ……」
「「え?」」
「すご~い!友達みたい!!」
そして、みほは嬉しそうにサバ煮を一欠けら口に入れた。そんなみほの様子を微笑ましく見ていたまほにも、華が声をかける。
「あの」
「え?」
「よろしかったら、お姉さんも名前で呼んでもよろしいでしょうか?」
「え……なんで?」
「何となくです。ダメでしょうか?」
「……いや、いいよ。名前で」
「ありがとうございます」
考えてみれば、向こうでも自分の事を名前で呼んでくれる人間はいなかった。大体の人間が自分の事を隊長呼ばわりで、それは確かに組織としてみれば優秀な人間なのかもしれないが、しかしこうしてその組織から離れてみると、底知れぬほど寂しいことだったと分かる。もしも、またあの場所に帰ることがあったら、彼女達にも教えてあげなければならない。ふと、ありえることのない未来の事を考えてしまった自分に対して、自傷するように笑った。
「それにしてもよかった、友達ができて。私達二人っきりで引っ越してきたから」
「あぁ、不安だったのは確かだ……」
「そっか~まっ、人生いろいろあるよね。泥沼の三角関係とか、告白される前にふられるとか、実は親が本当の親じゃなかったとか」
「えっと……」
「まぁ、それじゃご家族に不幸が?骨肉の争いですとか遺産相続とか」
「そ、そう言うわけじゃ……」
おかしい。話が変な方向へと飛躍し始めている。昼ドラマの見すぎではないかというほどに話がこんがらがってしまっており、正直驚いてしまう。
「なんだ、じゃ親の転勤とか?」
「……」
その言葉にみほは少しうつむいた。その表情の変化を見て何かを察したのか、沙織と華はアイコンタクトで会話をして話を途切れさせるために話題を振った。
「ご飯が冷める前に、いただきましょう」
「あっ、うん……」
まほは、その二人の配慮に感謝しながら、自分もまたカレーライスに手を付ける。確かに、少しだけ冷めてしまったであろうが、しかしその日友人と一緒に食べたそのカレーライスは、凄くおいしく感じた。
「それは、一種の情報操作ではないでしょうか」
薄暗い部屋の中、大きな窓から入る明るい光を背にして、一人の小さな少女が大きな椅子に座っていた。それは、先ほどまほの事を珍しげに見ていた干しイモを食べていた三年生の少女である。少女は、目の前に立つ二人の少女に向けて何かを言った。先ほどのセリフは、それに対する片一方の答えである。少女は、その答えを聞くとあっけらかんとした感じでいた。
「ダイジョブダイジョブ……許可はもう取り付けてあるし、後のことは全部任せるって」
「もはや放任主義にしか思えません……」
「分かりました。直ちに取り掛かります」
真面目そうに見える少女がそう発言した後、二人は一度その部屋から静かに出て行った。そして、一人残った少女は、机の上から資料を取り出す。それは、今日自分のクラスに来た一人の少女、ほか二名について書かれている書類であった。
「西住まほに西住みほ……そして」
もはや、なにかの運命めいたものを感じる。この大事な年にこの学園に専門家が三人も来てくれたのだから。この三人が加わってくれればきっとこの学校を守ることができるはずだ。
だが、その世界に置いて知らぬ者はいないというほどの有名人三人が、その世界から外れた学校に来る。その事の重大さに彼女が気づいていないわけがなかった。一人については、後々ヒアリングをしてみなければ理由は分からない。しかし、残り二人については、すでに承知していた。無論、それが理由で、この学校に来たのならば、自分の思惑通りに事は運んでくれないだろうという事も分かり切っていた。
そんな少女たちを無理やり引っ張り出すのだから、それ相応の覚悟が必要だ。彼女たちの人生に踏み込んでいく、そんな覚悟が。でも、それでも彼女はやらなければならなかった。
「それでも……私はやらなくちゃならない。……ごめんね、地獄への道連れみたいでさ……」
少女は、同じく机の上にあった干しイモの入った袋を取ると、その部屋から出て行った。扉から出る寸前に見えた顔、そこには、先ほどまでのような真剣な顔つきの少女はいなくなっていた。