病気物件のなおしかた   作:くまさん in the night

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 前回の投稿から一ヶ月以上開きました。
 待っている方がいるかどうかは不明ですが、お待たせしました! 久しぶりの投稿です。


 それはそうと、ニセコイが実写化するようですね。
 しかしそうなると、もしかしたら映画化を記念したスピンオフが描かれるかもしれません。
 可能性は低いですが、実はその掲載されるかもしれない話と、私の次回作は題材がカブる可能性があるんですよね。

 大丈夫だ。(公式に先を越される前に書き始めれば)問題ない。


七位 幽霊はモブ

 オッサンの魂を俺に憑依させた途端、俺は強烈な吐き気を催した。当然のごとく吐きかけたけど、俺はなんとか吐かずに踏みとどまり、襲い来る吐き気に耐えながら台所までたどり着いた(耐え切れたとは言っていない)。

 吐いてしまうギリギリまで我慢したせいか、シンクに色々とアレする瞬間、俺の喉からは「ゴルルルルァ!!」という、今までに聞いたこともない怪音が鳴った(ギリギリ耐え切れたとは言っていない)。

 人体って不思議(耐え切れたのが不思議とは言っていない)。

 

 それと実は……うん、なんというかこれはその……。意外と吐き気が強かったからか、本当はちょっとだけ服にこぼれちゃったけど……うん、気にしなければ良いんだ。気にしなければ気にならない。

 

「––––ほら、よく言うだろ? 『心頭を滅却すれば屁もまた涼し』って」

『言わねえよ』

「え、言わない?」

『お前は屁に火でも付けとけよ』

「火? 屁? あれ? ……火? そっちだっけ?」

 

 あれれ? そういえばオッサンとの会話が急に回り始めて…………ん?

 

「……あれ!? 俺は何でオッサンみたいに訳のわからないことを口走っているんだ!?」

 

 オッサンか!? 俺はこのオッサンなのか!? もしかして、オッサンを憑依させたときに俺の魂とアレな魂が混ざったとか!? 

 

 ……あ、そういえばオッサンはよく、ぷりてぃーなお洋服をお召しになってるよな……? ってことはもしかしてもしかすると、オッサンと同化した俺も、そのうち女装に走るのか?

 うわあああああああ!!! 無駄な洋服代、払いたくねええええええ!!!

 

 俺が思わず頭を抱え、悶えていたら、玄関のあたりでドアノブをひねる音が鳴った。

 

「おい、大丈夫か? さっき『クルルルルァ!!』とかいう吐いてそうな音が……うわ、ゲロくせ!!」

 

 隣の二〇五号室に住む変な先輩が、靴を脱ぎながら部屋へと入ってきた。片手には未開封の弁当を持っている。

 

弥柳(みやなぎ)先輩……。俺は、俺は一体どうしたら良いのでしょう……?」

「まずは落ち着けばいいと思う」

「ハハッ、そうですか? 落ち着いてますよ俺は!」

「それは落ち着いてる奴の笑い声じゃねえ! 危険な行為はやめろ!*1

 

 先輩、ちょっと何言ってるか分かんないです。

 

「とにかく俺は落ち着いてるってことですよ」

「はあ……まあ、いいか。一応それくらいならセーフだし」

 

 こんなふうに弥柳先輩はよく変なことを口走るけど、それでもこのアパートでは常識人のひとりとされている。すなわちここには、俺を除くと変人しか住んでいないというわけだ。常識が通じなさすぎる。異世界転生かよ。

 

 先輩は寝癖みたいな髪の間から覗く、本人の性格と同様に胡散臭い目を俺へと向けて来た。

 

「で、どこまで見た?」

 

 何を……と口にしかけてやめた。一体何の話ですか、なんてことを聞くまでもなく、俺にはそんなのひとつしか考えられないからだ。

 

「はい、オッサンの過去のことであれば、俺は……それなりに見ました。––––亡くなった原因も、この世にしがみつく動機も」

「そうか。で、除霊は諦めるのか?」

「俺は––––」

 

 オッサンを俺に憑依させたとき、俺の中にはオッサンの記憶だけでなく、オッサンの感情までもが流れ込んできた。

 そこには子供の成長を見守る親心や、大切な人のために生きようとする覚悟みたいなものがあった。

 確かにあんなことを知った後では、しかも不可抗力とはいえ共感させられた後では、オッサンを力ずくで排除するのは気が引ける。だけど––––。

 

「––––俺は知り合いのためにも、俺のためにも、なんとかして不安要素を取り除かなければいけません。そしてその方法が除霊しかないのであれば、俺は迷わず除霊を選ばなくてはいけません」

「そうか、ところで話は変わるが寝不足のことなら心配ない。そうだな……」

「ん?」

 

 え、今なんて?

 俺って寝不足の話とかしたっけ……?

 ……ああ、そっか。そういえば、俺の顔を見れば寝不足だってはっきり分かるんだっけ。

 

「……あと二~三日もすれば夜もぐっすり眠れるようになるんじゃね?」

「いきなり何ですか!? そんなわけないじゃないですか!! 先輩はあの地縛霊の恐ろしさを知らないんですか!? 昼夜を問わずやかまし––––」

「まあまあ、騙されたと思って今日はこれでも食っとけよ」

 

 先輩のテキトーな一言はまったく腑に落ちない。だけど俺はお礼を言いながら、先輩が差し出してくれた弁当をおとなしく受け取った。

 

『‘だけど’の使い方がおかしいね。そんな日もあるね』

 

 オッサンは少し静かにしていただきたい。

 

「それとバケツはないけど鍋ならあるから貸そうか?」

「え……どうしてでですか?」

「おい、お前はまさか台所のヤツを野放しにしたまま食事が摂れるのか? このアパートは換気なら部屋を締め切ってもできるが、水を流さなければヤツは留まるぞ」

 

 そっか……ついうっかり忘れてたな。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて貸してもらいます」

「もしかしたら前にも言ったかもしれないけど、困ったことがあったら迷わず俺たちを頼れよ」

「へい、ガッテンしやした」

 

 先輩が部屋から水で満たされた鍋を何回かに分けて持ってきてくれたおかげで、台所には久しぶりに水流が生まれた。それと、軽めとはいえ、わざわざ労働を買って出ていただきありがとうございます先輩。

 ……にしても、水道を止められているとこういうときに不便だよね。

 

 ◇

 

「騙された!!」

 

 一日目からぐっすりじゃねえか!!

 

 ––––いや、こういう方向性なら別に騙されても良いんだけど……。だけどなんか釈然としないな。

 

 確か以前に誰かから、「ここでの生活に慣れてきたら、なんかを弥柳先輩に訊いとけ」みたいなことも言われてたし、ここは先輩に質問するしかないな。

 

「先輩、いますか?」

 

 力づくでノックするとドアが軋むかもしれないから、こんなときは必然的にドアの外から呼びかけることになる。どんだけボロいんだよこのアパート。

 

「おう、矢車君か。どうした?」

 

 返事の後、ドアの向こうからは靴を履くような音が聞こえてきた。

 

「なんで二~三日で俺が慣れると思ったんですか?」

 

 俺が問いかけてから、しばしの沈黙があった。

 説明が足りなかっただろうか? もしかしたら質問が唐突すぎたかもしれない。

 そうこうするうちに、先輩が部屋から出てきた。

 

「……それはそうと、矢車君がここに入居したのはいつだっけ?」

「え……? たしか……一週間と少し前、ですが」

「ふーん、意外と最近なんだな」

「それで、どうして俺が慣れると––––」

「長い話になる。詳しいことは歩きながら話す」

 

 先輩の声にはいつもと違って真剣さというか、どこか有無を言わさない響きみたいなものがあった。

 これは俺が知らないだけで、実はかなり真面目な話なのだろうか? 先輩はまだ何もろくに話していないから分からないけど。

 仕方ない、ここは黙って先輩に付いていくか。

 はしごを使い二階から降りる途中、先輩が口火を切った。

 

「そうだな、まずは矢車君と不動産屋の職員がこのアパートに来た日のことから話そうか。矢車君に札を渡したのは理由がある」

「え? 札……ですか? あの気休めのメモ用紙のことですか?」

「具体的な話はここを離れてからだ」

 

 そして地上に辿りついた俺は、先輩に促されるままに歩き始めた。

 

「で、本当に知りたいのか?」

 

 先輩は周囲に他の人がいないことを確認すると、何やら不穏な一言を発した。

 

「どうしたんですか、まるで知らない方が良いみたいな言い方じゃないですか」

「そうだな。こんなことを中途半端に知るくらいなら、むしろ知らない方が幸せかもしれないな」

 

 それほど!?

 あれか。もしここで真相を聞いてしまえば、たとえるなら好きな漫画を読んでいて、その作中で物語の序盤から主人公と両想いだった一番人気のメインヒロインが、最後にはフラれてしまうとわかった瞬間みたいなことになると……?

 

「えっと……、それって知ったらもう、後戻りできないとかっていうやつですよね?」

「もちろんだ。聞いて後悔したところで、もう取り消せはしない。それに加えて、一度話し始めたら途中で止めたくない。誤解のないように最後まで聞いてほしい」

 

 どうしよう。元はと言えばそれなりに軽い気持ちで尋ねたのに、これはもしかしたらとんでもない地雷を踏みそうになっているのかもしれない。

 

「……では先輩は、その情報を知って良かったと思いますか?」

「ああ。そのおかげで色々と対策が打てたからな」

 

 そうか……。じゃあ聞こうかな。

 それに……俺はこういった怪奇現象について、まだそれほど詳しくは知らないからわからないけど、またいつかオッサンを邪魔に感じる日が来る可能性だって捨てきれないし。これは知っておいた方が良いのかもな。

 俺の脳裏には、これ以上ないくらい真剣に勉強する西さんの姿が浮かんだ。

 

「わかりました。俺にも教えてください。覚悟ならたぶん出来てます」

「そうか。わかった」

 

 とはいえ少々回りくどいところもあるし、最初はあまり口を挟まないでくれよ。と先輩は付け加えた。

 

「まず、矢車君の履いている靴は古い。しかしそれほど汚れてはおらず、かかとも踏み潰されていない」

 

 ん?

 

「さらに一目でそれとわかるような穴も空いていない。つまり、矢車君は靴を大切にする人間だ」

 

 あれ?

 

「また、靴底が擦りきれていることも踏まえると、この靴は長い期間に渡って使用されているとわかる。これらを踏まえると、この靴がかなり大切に扱われていることがうかがえる」

「何の話をしているんですか!?」

 

 この人はいきなりどうしたんだろう? まったく話が見えない。

 それとも、相当回りくどい話なんだろうか? 「急がば回れ」って、「くどいくらいに全力で回れ」って意味じゃないんだけど。

 

「まあまあ、もう少し聞いとけよ。こんなのは序の口だろ?」

「そんなものを序の口に持ってこないでください」

「いや、この靴から得られる情報は、こう見えて重要なヒントになってくれるかもしれないだろ?」

「『だろ?』じゃないですよ」

 

 やっぱりこの話は長くなるやつだろう。それで話し終わってからよく考えてみると、実はほとんど関係ないことを言っていたと気づくやつなんだろう。最近は、夏場の校長先生でもこれより簡潔にまとめるぞ。

 

「で、話を戻すが、靴をこれほど大切に扱う者は、靴以外の物も大切に扱う傾向にある」

「はあ」

 

 ……そうかなあ?

 

「なぜなら矢車君も知っている通り、靴は頻繁に踏まれている。その延長で、靴には雑に扱われやすいという面や、汚れやすいという面がある。まあ、逆にいえば、その靴ですら丁寧に扱えるような奴が、他の物を雑に扱うとは言いがたい。––––という話はさておき」

 

 さておくなよ、やっぱり趣味全開の関係ない話じゃないか!

 

「言い換えると矢車君は浪費家か倹約家かでいえば、おそらく倹約家の部類に入る人間だろう。ここまではいいよな?」

「はい……」

 

 先輩が言っている内容はわかる。実際に俺の物持ちが良いことも合っている。だけど先輩の真意は全然伝わって来ない。いや、先輩がいろんな意味で相変わらずだということだけは伝わってくる。

 

「また、矢車君は全体的にみすぼらしい格好をしている」

「今日一番ぐうの音も出ねえ!」

「お、そうだな」

 

 先輩は適当に相づちを打った。

 

「倹約家であるにも関わらず、矢車君がそのような格好をしているということは、主に二つの可能性が考えられる」

「はあ……」

「ひとつは、矢車君は服やらなんやらを買う資金を持っているが、矢車君の性格がケチすぎて買わない可能性。そしてもうひとつは、服やらなんやらを買う資金すら持っていない可能性だ」

「へえ……」

 

 俺も適当な相槌を打った。先輩、そもそもこの話は必要なんですかね? 俺が地縛霊に慣れることを、なぜ先輩がご存知なのか。いつになつたらこの本題に入るのだろう?

 

「ひとまずは『買わない』可能性について考えてみる。もし矢車君がこのようにかなりケチな人間だった場合、実は一ヶ所だけかなり不自然な点が見つけられる」

「不自然?」

「ああ、それはなぜこの時期に、このアパートを訪ねたのか、だ」

 

 俺たちはバーの開いている踏み切りを渡った。線路の上を歩いていると、俺の背中にはなぜかほんの少しだけ違和感のようなものがあった。視線のようなものを感じるというか、背筋がブルっとなるような感じがするというか……。このアパートに住み始めてからは、なぜかよくわからないけど似たようなことがたまに起きていた。

 

 まだ見ぬ変人の気配を、俺の直感が敏感に感じ取っているのだろうか?

 散歩していれば変なのに遭遇することもあるかもしれない。なんたってこの近辺には変人が多いし。

 例えば数日前、この町では詐欺組織が捕まった。

 そして不思議なことに犯人たちはその全員が坊主頭だったという。わかりやすい特徴で統一するなよ。何人か捕まったら残りの犯人はだいたいスキンヘッドってバレるだろ。

 

「俺がこのアパートに来たことの何がおかしいんですか?」

「ああ、おかしいところだらけだ」

 

 それ以前に、このアパートに来る時点ですでに変人のような……? と思ったけど、それを口にしたらただでさえ長い話を無駄に遮りそうだったのでやめた。

 

「なぜ春さ……新年度が始まる四月頃ではなく、よりによって晩秋なのか。もしや矢車君は秋になってから、今まで住んでいた部屋を追い出されたのだろうか? それとも四月から物件を探していたのに、この時期になるまで条件に合う住居を見つけられなかったのだろうか?」

「冬までは公園で野宿しようと決めていたので、ある意味寒波に公園を追い出されたものですよ」

「おっと、俺の推理はまだそこまでたどり着いていないぞ」

「今までのって推理だったんですか」

「さあな」

 

 なぜご存じない?

 

「で、アパートに来た理由はなんだろうという話に戻すと、どちらにしてもある条件によりほぼ完全に否定できる」

「条件、ですか……?」

「そうだな」

 

 なんだろう?

 

「まず、このアパートに来た矢車君が学生か社会人のどちらなのか、俺は矢車君がアパートを訪れた時点ではまだ知らないとする。とりあえずどちらかだろうとは思うけど、ひとまずは断定せずに置いておく。ちなみにどちらでもないニートという可能性もあるっちゃあるけど、この可能性もひとまずは置いておく」

 

 個人的には、ニート説だけは有無を言わさず否定してほしい。馬車馬のごとくこき使われている、とまではさすがに言えないけど、俺って結構バイトしてるんで。

 

「ところで圧倒的にケチな人間であれば、いつも行動している範囲の近くに住もうとするだろう。つまり、矢車君が学生であるにしろ社会人であるにしろ、学校や会社からそこそこ近い場所に住もうとするはずだ。その方が交通費や移動時間も抑えられるからな。最低でもその学校なり会社なりは、家賃を五百円に抑えてしまえば、もし交通費などの損失が大きくても、全体的な収支を見れば安く済ませられる。そんな距離にあるのだろう」

 

 ……一理ある。

 

「というわけで、もし矢車君の肩書きが今年の四月から変わっていないのであれば、矢車君はその頃からこの近辺に住んでいた可能性が高いといえる。そしてこの近辺の物件に住んでいるということは、もし不動産関係で問題を起こせば、この近辺の不動産屋が持つブラックリストに名前を書かれてしまうことを意味する。つまり、家賃の滞納で夜逃げでもした日には、矢車君はこの地域にある部屋をもう借りられなくなるだろう。よって、矢車君はこのアパートに下見として来れなくなるため、矢車君が不動産関係のトラブルを起こして部屋を追い出されたせいでこのアパートに流れついた、とは考えにくい」

 

 ただしブラックリスト対策で偽名を用意でもすれば別だけどな、と先輩は付け加えた。

 

「もっとも、ブラックリストに書かれた君の名前と、矢車君が今使っている名前が別であるとは考えにくい。なぜならもし名前が別々だとするなら、矢車君はそういった偽名を用意するため、少なくはない代金を支払ったことになるからだ。それならテントでも買って野宿した方が安上がりなんじゃねえか? このアパートなんて雨風が凌げるだけで、室温は外とそう変わらないし」

「へぇ、ブラックリストって本当にあるんですね」

「知らん、そんなことは俺の管轄外だ」

「えええ!?」

 

 言葉のキャッチボールって難しい。

 

「だけどあんじゃねえの? 前に不動産屋の職員がそれっぽいのを持ってたし」

「なんだ、思いっきり知ってるじゃないですか」

「とはいえそれだけじゃ確実じゃないだろ。で、話戻すぞ」

 

 おっと、しまった。ついうっかり会話が横道に逸れていた。

 

「また、圧倒的にケチすぎる矢車君の活動範囲が、四月頃からこの近辺を動いていないなら、部屋探しに半年以上を要するのは不自然だ。矢車君が毎日忙しかったとしても、あまりに時間をかけすぎている」

「そうですね」

「よって、矢車君が最近まで住んでいた部屋を追い出された可能性は、『矢車君がケチすぎる』という仮定の下では否定される。とはいえこの否定は矢車君がニートではないことや、矢車君がブラックリスト対策に使える偽名を、安い値段で用意はできないこと。あとは矢車君の肩書きが『旅人という名のフリーター』ではないことなどの条件が必要だけどな」

 

 ほうほう。ところで先輩は、俺がニートではないという事実をどうやって導いたんですかね? 俺が身にまとっている空気感とか……?

 

「『旅人という名のフリーター』? ……ああ、フリーターだと肩書きが変更したり活動場所が変更しますよね」

「そうだな。さて、とりあえずまとめるか。これらの推測から、『ケチすぎて買わない』可能性が正しいと仮定すると、矢車君の肩書きに大きな変更がなければ軽い矛盾が発生する。ちなみにケチな性格はそう簡単には変わらない。ケチの大きな原因のひとつは、不安を感じやすくなる遺伝子にあるだからだ。こういった生まれつきケチになりやすい人のケチな性格は、後天的に変えるのが難しい。少なくとも変える方法を知らない人間には少々困難だ。で、また話を戻して。例の矛盾を解消するためには、四月から十月までの期間に、矢車君の肩書きに大きな変更が起きていなくてはいけない」

「……え? ないですよ、変更とか」

「らしいな。そのときの俺もそう判断したんだろう。まあ、もっとも俺にはそんな細かいことは思い出せないけどな」

「……」

 

 ん? 今、「そんな細かいことは思い出せない」って言いました? それにしては過去に先輩が推理(推論?)した内容をよく覚えていると思うんですがそれは……?

 

「よって、矢車君はケチすぎてこのアパートに住もうとしたのでも、ケチすぎて服を買わないのでもなく、金欠でこのアパートに住もうとしていることが予想できる。最低でも矢車君は、服や靴を買う資金すらないほどに追い詰められているのだろう」

「そうですよ。でもそれって、俺を見れば直感的にわかるんじゃないですかね?」

「これはほら、アレだ。数学者のワイエルシュトラス*2? も言ってただろ? 『直感だけに頼るとかマジであぶねーから!』って」

「ワイエルシュトラスがそんな口調で話すわけないじゃないですか! 先輩はワイエルシュトラスの何を知っているんですか!?」

「いや、よくは知らないな。それと矢車君こそワイエルシュトラスの何を知っているんだ?」

「俺もよくは知らないですよ!」

 

 なんだよ俺たち、これじゃまるで「ワイエルシュトラス」って言いたいだけの人じゃないか!

 

「もう一度? まとめると、それほど貧乏な矢車君がこのアパートを訪ねて来るとしたら、その動機は『節約超楽しい!!』という娯楽気分や、『お前んち、おっばけやーしきー!!』という興味本意によるものとは考えにくい。このことから、矢車君は金銭的にとても困窮しており、爪に火を灯すような節約を強いられているせいで事故物件を訪れたと推測できる。最低でも、こんな胡散臭いアパートを頼ろうとする時点で相当追い詰められているといえるだろう」

「このアパートが胡散臭いのは分かってたんですね……」

「わかるだろそれくらい」

「驚きました。まさかここの住人が、『胡散臭さ』という概念を理解しているとは」

「あのさあ、矢車君ってちょいちょいヒドくね?」

 

 余談だけど、あの部屋は500円で住めることから、ここの住人には「わんこ イン(犬小屋)」と呼ばれている。そういった、亡霊のすみかを犬小屋呼ばわりして恐れない姿勢や、それ以前に変人の巣窟であることなどから、もしかしたらここの人たちには一般的な感性が存在しないのではないか、と俺はひそかに疑っていた。誰だよ微妙に上手いこと言ったのは。

 

「で、また話を戻すけど。えーっと……」

「俺が貧困のせいであのアパートを訪ねたところまでです」

「ああ、そうだったな。それでお金に困っている矢車君を外に放り出すとどうなるか分からない。冬は近いが、もしかしたら矢車君を放っておいたところで最終的にはなんとかなるのかもしれない。だけど屋外で生活せざるをえなくたった矢車君は、きっとそこそこには苦しむだろう。たぶんその時の俺はそう思っただろうな」

 

 「思っただろう」? なんか引っ掛かる言い方だな。日本語が変っていうか、ここの住人ってそういうところがあるよね。

 

「しかしたったの五百円を払いうちのアパートに住めば、矢車君は雨風をしのげるうえに食費もほとんどかけずに済む。だから矢車君のことが心配ならば、矢車君がこのアパートに住むという選択肢を用意しておいた方がいい。幽霊が怖いから、というだけの理由で、矢車君が快適に住める可能性を捨ててしまうのは良くない」

 

 まるで快適に住めることが最初からわかっていたような口ぶりだな。あれ? いつの間にやら俺の質問に近づいているような気が……?

 

「さて、無駄話はこれくらいにして本題に入ると––––」

「をい」

 

 なぜ無駄なことをした。これからは最初から本題に入ってくれ。

 

「まあまあ、無駄話は無駄話でも、実は意味のある無駄話なんだよな」

「はあ」

「あれだよほら。散歩の理由を思い出せなくなっても、会話の内容から逆算できるようにだ」

「はあ……?」

 

 そんな手のかかることをするなら、さっさと本題に入れば良いと思う。

 

「そんなわけで本題に入るぞ」

 

 早く入れ。

 

「アパートからここに来るまでの間、何かおかしなことはなかったか?」

「先輩の言動ですね」

「それ以外だ」

 

 難しいな……。

 

「うーん、何かありました? おかしなことなんて」

「あったぞ。あれほど露骨なら矢車君も気がついたはずだ」

「露骨? 何がですか……?」

「思い出せないならまた現場まで引き返してもいいぞ」

「……あの、何が『露骨』なんですかね」

「え? 何の話……?」

「忘れんなよ」

 

 もうやめてよそういう記憶喪失とか! ちっちゃい子同士が十年前に交わした、結婚の約束とかなら忘れても仕方ないけどさあ、十秒も経ってないのに忘れないでよ、もうやだこの先輩。

 

「『露骨』って言ったのは先輩ですよね!?」

「露骨……? あ、そうか。この歩道を歩いて……」

「……あの、思い出せましたか」

「いや? だけどすぐにわかりそうだ」

 

 そう言うと先輩の顔からは一瞬で表情が消えた。雰囲気を見る限りでは集中しているようだけど、はたから見れば急に目の焦点が合わなくなった青年が、目先の空間に向かって何度も指差し確認をしているだけだ。

 何……コレ……? 不審者じゃん、この人……。

 

「よし。矢車君はさっきの踏み切りを渡る時に、何か変な感じはしなかったか?」

「え? 踏み切り……?」

 

 そういえば踏み切りを渡ったっけ。あれ? 本当に踏み切りなんてあったか……?

 えーっと……。

 

「……」

「思い出せるか?」

「踏み切りを渡ったことは覚えています。だけど変な感じと言われてもちょっと……」

「違和感と言ってもいい。いや、少し言い換えるか。どこか空気が違うとか、背筋が震える感覚とか、そういったものを感じなかったか?」

「あ、そうだ! ありましたありました。それに加えて変な視線も感じました。だけどそれがどうかしたんですか?」

「それが札の力だ」

「え?」

 

 あの札の力? 持ってることがバレると、他人から優しい笑顔を向けられることだけじゃないのか……?

 

「どういうことですか!? この紙には効力があるってことですか!?」

「そうだな、今まで黙ってて悪かった。実はその札の効果……というより副作用によって、札のそばにいる者は霊感が強くなったような状態になる」

「へえ~、そうなんですか。これってすごい札だったんで……あれ? じゃあ、さっきの踏み切りで感じた違和感の正体って……?」

「幽霊だな」

「うわっ!!」

 

 マジかよ、オッサンの同類ってそこらじゅうにいたのかよ! だれか成仏させてやれよ、不憫すぎるだろ!

 

「ああ、やっぱり矢車君はそんなに怖がらないんだな」

「あのですね、逆にどうして怖がるんですか、俺だってあのアパートに二週間も住んでいるんですよ! あんなところに平気で住めるような人間が、今さら幽霊を怖がるわけないじゃないですか!」

「そうだな」

「あ、それとさっき『副作用』って言いましたよね。それならあの札の本来の効果って何なんですかね?」

「それはな、霊の思い出を吸い取ることだ」

「思い出を吸い取る……ですか? 乾いた雑巾みたいに?」

「おそらくな」

 

 なんでその副作用が、霊感を上げるような感じに繋がるのだろう?

 

「ほら、よく言うだろ? 現世に執着心を残している霊は成仏しにくいって」

「そうですね、よく言いますよね」

 

 オッサンを討ち滅ぼそうとして色々と調べたおかげで、俺は霊関係の初歩的な情報なら知っている。

 

「それで俺も詳しくは知らないけど、幽霊って生前の記憶があると、執着心とかがなかなか消えてくれないらしいんだわ」

 

 覚えていると執着し続ける? それってまるで––––。

 

「人間みたいですね」

「そうだな。幽霊とはいえ元は人間だからな。幽霊が人間らしい特徴を持っていてもそれほど不思議じゃない。そして厄介なことに、思い出が残っている霊は執着心が消えないだけではなく、悪霊化もしやすいらしいんだわ」

「あー、だから思い出が奪われれば弱体化に繋がると……?」

「そうだな。まあ、もっとも記憶を思い出せなくなっても、執着心だけでこの世にしがみついているやつも中にはいるらしいけどな」

 

 言っておくがそこまで強力な霊は、専門家にどうにかしてもらうしかないからな、素人が手を出すなよ。と先輩は付け加えた。

 

「そうか……思い出、か……あれ? ところでその力って生きている人間にも効果はあるんですか?」

「大丈夫だ、そんなに心配ない。魂が肉体に守られているうちは、札の影響が弱くなる」

「なんだ、大丈夫じゃないですか。あと、『心配ない』の前に『そんなに』って付けないでくださいお願いします。さすがに悪霊はシャレにならないですよ」

 

 こういうときはたとえ嘘でもキッパリハッキリ断言してほしいよね。

 

「大丈夫大丈夫。札と肌が密着していても、軽い認知症になるくらいの被害しかないはずだ」

「うわっ!? それめちゃくちゃまずいじゃないですか! あ、そういえば最近なんとなく物忘れがひどい気がしてたのって、全部札の力だったんですね!!」

「一理ある」

「全理ですよ!! っていうかそれって、俺が札持ってバイト先に行ったら、そばにいる受験生も悪影響を受けますよね!?」

 

 ––––それはそうとして、「全理」って何だろう。全裸みたいなものかな?

 

 ……って、また札経由してやって来たオッサンの影響!!

 はぁ。アタイ、やんなっちゃう……。

 

「だから大丈夫だって。こいつの影響なんて、身体と札が離れればかなり小さくなるし。それに軽度の認知症だって、ほんのちょーっと思い出すのが苦手になるだけだし。第一、思い出の記憶と比べたら、知識の記憶とかは忘れにくいんだから試験のことは問題ない問題ない」

「えー、本当ですかー?」

「逆に矢車君はなんで俺が間違ったことを言っていると思ったんだ。ここに来るまでの間に俺が話した内容の、一体どこに不備があるんだ?」

「え?」

 

 不備? えーっと……。

 うーん……。

 

「確か……先輩は俺の靴を見て、俺の性格や置かれた状況、そして俺がこのアパートに来た理由を当てたんですよね」

「靴? ……ああ、そうだったな」

「さっそく忘れてるじゃないですか。それで……えっと……」

「論理に不備はあるか?」

 

 …………見つからない。話の内容を忘れたからっていうのもあるけど。

 ……いや、先輩の話に明らかな穴があれば、たぶんだけど俺はそのたびに指摘をしていただろう。わざわざ口に出すかどうかは別として。

 逆にいえば指摘した記憶が見当たらないということは、俺には間違いが見つけられないということなの……か……?

 

「……あ、そうだ弥柳先輩。それはそうとして札が思い出を吸うと、どうして幽霊が見えるようになるんでしょうか?」

「とりあえずは矢車君が納得してくれてうれしい」

 

 先輩はうんうんとうなずいた。

 か、勘違いしないでよねっ! 俺が論理の穴を見つけられなかっただけなんだからねっ! 先輩が正しいなんて、一言も言ってないんだからねっ!

 

「だけど別に話をそらさなくても––––」

「せ、先輩こそ話をそらさないでくださいよ! それで副作用って一体なんですか!?」

「いやあ、実に心苦しいんだけどな。いや、言ってもいいのかなコレ。どうしようか……」

「そうやって言われると気になりますよね。どうせ言うならもったいぶらずに早く教えてくれればいいんですけど」

「仕方ないか……。えっと、どこまで話したっけ……?」

「えーっと……」

 

 また忘れてる。しかし俺もだ。

 

「札が思い出を吸うところまでは聞きました」

「そうだったな。それで札がオッサンの思い出を吸い取るだろ? 例えるならタオルが水滴を吸うような感じ、とでもいえばいいだろう。だけど濡れたタオルから水分がしたたるように、この札からも思い出がわずかに漏れているらしいんだよな」

「へえ、そうなんですか」

「で、例えば札がオッサンの思い出を吸い取るとどうなるか」

「……吸い取られたオッサンの思い出が、札から漏れるんですか」

「そうだ、そして札から漏れた思い出が、矢車君の体内にある魂やらなんやらと混ざる。混ざれば矢車君とオッサンは似た者同士になるため、その結果、一時的にオッサンと矢車君の波長が合って、矢車君はオッサンの姿が見えてしまう……?」

「なんで疑問形なんですか」

「冗談を言う時もある。人間だもの」

「まともな人間はこんなときにふざけませんよ」

「そうらしいな」

 

 先輩はどこか遠くを見つめた。そして先輩はそのまま曲がり角を曲がった。なぜか遠い目をしながらもコーナーギリギリをぶつからずに攻められていたので、先輩はあんな目をしていてもたぶん周りがよく見えているのだと思う。この人にも無駄な特技ってあるんだね。

 

 曲がり角を折れると、道のはるか先には俺たちの住むアパートが見えた。

 それにしても、アパートの近所を歩いているうちに、どうやら俺はずいぶんと色々なことを知ってしまったようだ。

 先輩が俺に札を渡した理由とか、その札が持つ本来の力とか、厄介な副作用とか……。

 

「あれ? そういえば、俺が最初に知りたかったことってなんでしたっけ?」

「……確か矢車君って、ここに住み始めてから一週間くらいだったよな」

「そうですけど……?」

「ふーん、じゃあ最速か」

「え?」

「あのアパートに住み始めてから、あの幽霊に慣れるまでにかかった時間が最速だ」

「そういえばそんな話でしたね」

 

 思い出した。俺が知りたかったのは、なぜいきなり俺はオッサンに慣れてしまったのか、そして俺が慣れることを先輩が知っていたのはなぜか、確かこの二つだった。

 

「まあ、アレだ。本当の似た者同士は一緒にいても気にならないってことだな。知らんけど」

「……やっぱりオッサンと俺の中身は混ざってしまったのでしょうか」

「俺がどうこう言っていいことじゃないけど気にすんなよ。どんなに強力な悪霊でも、怨念を誰かと分け合えば弱くなる。だから矢車君は、オッサンを身体に憑依させたことで、あの幽霊の弱体化に一役買ったと思えばいいんじゃないか?」

「そう……ですかね」

 

 いや、先輩の言う通りかもしれない。俺の目的を考えれば、きっとこれで良かったのだろう。俺がオッサンに慣れたのは、俺とオッサンが似た者同士になってしまったからというだけでなく、おそらくオッサン自体の弱体化もあったのかもしれない。弱くなった霊なら悪影響も小さくなるはずだ。

 おそらくこれからは、オッサンによる集中力の妨害も、昼間の眠気もない生活が続くだろう。そうしたら西さんのことや授業のこと、あとは課題のこともちゃんと何とかなるんじゃないかと思う。

 

「ちなみにあの幽霊と混ざったやつは他にもいるぞ。例えば俺もそうだ」

「え……?」

「さすがに今あのアパートに住んでるやつの魂が全員かなり混ざってる、ってわけじゃないだろうけど、最低でも俺とキリ……秋野の分は矢車君くらいの濃度で混ざってるぞ。実は俺たちが一年生の頃に、あの幽霊をアパートから追い出そうとして憑依させたことがあるんだよな」

「え……」

「その後、キリンはより霊に対して強い身体を求め、筋肉を躍動させたという……」

「えっ!?」

「秋野いわく、後輩たちには苦しい数ヵ月を過ごしてほしくないんだとさ」

「筋肉の躍動と後輩たちの平穏の繋がりがちょっとよくわかんないです」

「俺もだ」

 

 なんでだ

 

「卒業までに身体を鍛え抜き、なんとしてでもあの死者を排除してやる。秋野はそう言ったらしいな」

「物理で!?」

 

 有効打が皆無じゃねえか!

 

「いや、筋肉を鍛えれば憑依状態を保ちやすくなるらしいんだ」

 

 補足すると、俺は秋野が決心した時のことを全然思い出せないけどな、と先輩が余計な一言を付け加えていた。だけど、俺にはそんなことどうでも良かった。

 

「それじゃ……それじゃ、秋野先輩は身体を鍛えてこのアパートを住みやすくしようとして……。筋肉の塊みたいな忘れっぽいだけの人じゃなかったんですね……」

「俺はやめとけと言ったのに、あいつは聞いてくれなかったんじゃないかな」

「もしかして秋野先輩の記憶力が低いのも、札を自分に集めることで、他の住人が札の被害を受けないように……」

「いや、それは違うな」

 

 あれれ?

 

「どういう……こと……ですか……?」

 

 先輩は「しまった」って感じの顔をした。この表情にはどことなく既視感がある。

 

「……秋野本人の前でその話題を出すなよ」

「……そんなにまずいことですか?」

「ああ。これは『秋野以外の人間がこの真相を知っていること』すら、秋野に感づかれてほしくない。できれば矢車君にも知られたくなかった」

「わかりました。なら俺は何も聞いていません」

 

 なんだか闇が深そうだし、この件は気になるけどガマンしよう。

 

 ふと思ったけど、もしも今、俺たちがここから100メートルくらい先まで進んでいたら、この会話が住人の誰かに聞こえてしまったかもしれない。だけどさっきから道が上り坂であるおかげで、アパートまではまだ十分な距離がある。

 ありがとう上り坂。……まさか上り坂に感謝する日が来るとは思わなかった。

 

「そうだ! 今度、矢車君が暇な時に、俺がスターバッカスかマックドバーガーでおごるってのはどうだろう? たまには先輩らしいことのひとつもしないとバチが当たるよな!」

「マジですか!? いやぁ~、実はそういうところに行くのって、ものっすごく久しぶりだったんですよね~。小学生以来かな~? 楽しみだな~!」

「そうかそうか! じゃあついでだしどっちも行くか! Lサイズでも大盛りでもいいぞ~!」

「神!! ……あれ? だけど課題とかバイトとかの予定を考えるとけっこう厳しいような……?」

「大丈夫大丈夫! もう矢車君には幽霊の悪影響なんてほとんどなくなったようなもんだ! 昼間は寝なくてもすみそうだし、これからはこの程度の時間なんていくらで作れんだろ!」

「それもそうですね!」

「アハハハハ!!」

「アハ、アハハハ!!」

 

 いや~、楽しみだな~!

 先輩におごってもらって食べる食事は、この世で三番目くらいに美味しいだろうな~!

 札? なにそれ美味しいの?

 

「おっとっと、うっかりしてたけど、その札は売るなよ」

「え? 何でですか?」

「実はこの世には札を悪用しようとする詐欺師がいてな、あいつらこれを高く買うんだよな」

「え?」

 

 どういうことだろう。お札が詐欺に使えるのかな? だけどどうやって?

 

「例えば霊媒師を名乗る詐欺師が、この札を手に入れたとする。そしてその詐欺師が偽のお祓いを行う時、この札を依頼主に持たせれば、依頼主からは霊媒師の力によって悪霊が姿を現したように見えてしまう」

「あれ? それって……それってかなりまずいじゃないですか!」

「ああ。さらに詐欺師が依頼主に対して、お祓いに協力するよう頼んだとする。そして儀式の途中で依頼主が札を手放すように仕向ければ、依頼主には幽霊の姿が消えたように見える。これにより詐欺師は、死者の魂を見事に成仏させ、依頼を完遂したように見せかけられる。つまり力を持たないただの詐欺師でも、強力な霊能力者を装えるんだ」

「うわあ」

「矢車君に札のことやらなんやらをなかなか教えなかったのも、魔がさした矢車君が札を売ってしまう可能性を取り除きたかったからだ」

「そうだったんですか!?」

 

 そういうことはもっと先に言ってくださいよ! って、そういえば先輩はお札の持つ力のせいで、こういうことを言い忘れてたかもしれないんだよな。

 

「あれ? じゃあ今も教えない方が良いんじゃないですか?」

「大丈夫だ。もう売られる心配なんてほとんどないから」

「そうですか? 俺がお金に困って魔がさすかもしれませんよ」

「大丈夫だ。これからは矢車君も、きっと前より生活に余裕が出てくるだろう。そうすれば札を売らなければどうしようもない状況なんて、おそらく生まれなくなるだろう。それでももし、病気やケガでどうしようもない時は俺に言ってくれ。お金を与えるつもりで貸してやるから」

 

 弥柳先輩……!

 

「それに俺はわかっているんだ、矢車君はよほどのことがなければ悪事に手を貸しはしないと」

「そんなほめないでくださいよ~。悪事に加担しないとかそんなこと当たり前じゃないですか~。アレですよアレ。悪貨は良貨を駆逐するってヤツですよ~」

 

 あれ? 違ったっけ? ま、いっか。

 

「まあ、とにかくその札をほしがる人がいても、安易に渡すんじゃないぞ」

「はい、わかりま……」

 

 ……ん? そういえば……。

 

「そういえば俺……秋野先輩に札を……」

「ああ、それなんだけど実は––––」

 

 まずい。まずいまずいまずい!!

 いや、大丈夫だ。俺が札を渡しても、あの人は悪用とかしないだろう。なんたって後輩のために除霊しようとして、己の身体を鍛えるような––––。

 

 ––––––––『先輩はなんでそんなにこのお札を欲しがるんですか?』

 ––––––––『私にとって筋肉の増強は生きがいだからな』

 

 あれれ? もしかして筋トレにお金をかけすぎたら、金欠になったりとかはするのかな……?

 

「––––おい、聞いてるか? 矢車君よ」

「そんなことより、筋トレってどれくらいお金がかかるんですか?」

「知らね。あー、でも、会員制のジムとかは高いらしいよな。もっとも秋野は––––」

 

 もしやこれは……。筋トレのために軍資金を集めようとして……?

 ……いや、ダメだやめろ! あの人を疑うのはやめろ俺! できればやめろ!

 どうにかして無実の可能性を探すんだ……!

 

「……あのさあ。俺が話してんだけど、聞いてなくね?」

「今はそれどころじゃないんですよ! それで先輩、あのですね……秋野先輩のやろうとしている方法で除霊する際に、お札って何枚も必要になりそうですかね……?」

「いや、あの札は一枚でも強い効果を発揮する。部屋のような比較的広い範囲を守る場合はともかくとして、あの除霊方法を実践したいなら、身につけるのは一枚で十分だ。それにむしろ、札が多くなると、『除霊してやろう』という決意を忘れて逆効果なんじゃねえかな」

「……じゃ、じゃあ、うちのアパートだったら、部屋に貼る枚数ってどれくらいあれば足りるんですか?」

「多くとも八枚だな。だけど俺のいる二〇五号室と大家のいる一〇一号室––––つまりアパートの両端の部屋にそれぞれ貼ってある札の影響で、間にある部屋では二〜三枚も貼れば十分だ。まあ、幽霊の力を抑えるだけなら多く貼るに越したことはないし、俺の部屋にある予備の札を持ち出せばそういった贅沢な使い方もできる。だけどできれば副作用は減らしたいし……だから札は最低限の枚数に抑えた方がいいんじゃねえの。ちなみに幽霊のいる矢車君の部屋では、ポルターガイストのせいか、貼っても気がつかないうちに破れているようでな。かなり前から貼るのをやめたようだ」

「それじゃ、秋野先輩の住む一〇二号室では、五枚も貼る必要なんてないということですか?」

「ああ」

 

 札の使い道はもう悪用しかないのか……?

 他の可能性は……そ、そうだ!! そういえば確か、秋野先輩は、そろそろお札の貼り替えが必要みたいなことを言ってた気がする!

 

「あとですね、秋野先輩の部屋では最近、貼ってあるお札が傷んだりしてるとかって聞いたことがありますか?」

「傷む? 考えにくいな。それどころかこのアパートで札の貼り替えが必要になるとしても、それは十中八九秋野じゃない。なにせこのアパートで秋野だけは札に保護用のカバーをかけているからな」

「保護用のカバー?」

 

 そんなものがあるのか。

 

「だけどあの札に使われている紙はかなり丈夫だ。まあ、丈夫とはいえ思い出を吸いすぎたら多少は劣化するかもしれないが、それにしたって簡単には壊れないはずだ。だからあの札にカバーをかけようがかけまいが、特に違いはないんだよな。それでも札を保護しているなら、なおさら傷まないだろ」

「つまり、秋野先輩にはお札を必要とする理由が、お金儲けしかないってことですか!?」

「あ、いや……それには色々と事情があってだな––––」

「やっぱり秋野先輩は悪事に加担してい––––って、その言い方……知っていたんですね、弥柳先輩も。もしかして先輩もグルなんですか……?」

 

 それまずいって!! いくら変人でもやって良いことと悪いことがあるって!!

 

「誤解だ。半分……いや、七割くらい誤解だ」

「じゃあ、どこがどう誤解なんですか!?」

「あー、なんというかな……。秋野にはこのことも含めて、『住人に知られていること』すら勘づかれたくないんだよな。だから矢車君にもあまり教えたくないんだけど……。そんなこと言っても納得はしてくれないよな?」

 

 当たり前だ。

 

「またそれですか。また『知られていることすら知られてほしくない』ですか。ただの秘密ならともかくとして、さすがに犯罪の臭いがしたら見逃せませんよ」

「はあ……わかった。真相なら教える。だけど、その前に言っておく。俺たちは犯罪を犯していない。それどころか犯罪者の検挙に貢献している。だから事実を知っても、誰かにバラしたりすんなよ」

「本当に先輩たちが無罪ならそうします」

 

 アパートから数十メートル離れた坂道の途中で、俺たちはいつの間にか足を止めていた。

 

「とはいえ何が起きたのかは俺もほとんど思い出せないけどな」

「をい」

 

 口から出まかせかよ、もうやだこの先輩。

 

「まあまあ、ちょっと待ってろよ。えーっと、スマホスマホっと」

 

 先輩はポケットの中から取り出したスマホをいじくり始めた。

 

「おお、あったあった。…………そうか」

「そんなことより先輩は、なんで思い出せないのに庇おうとしたんですか……」

「いいから今から話すことを聞いてくれよ」

 

 先輩の話はまるで漫画みたいな内容だった。だけどクッソ長かったせいか、特に面白くもなかったせいか、それとも札の力か、俺は一晩寝たら内容のほとんどを忘れてしまった。

*1
この話が書かれた当初、ハーメルンの利用規約では、ディ◯ニーの二次創作がご法度だった

*2
積分がアレして収束が厳密にアレする人




 この章を投稿する予約を終わらせたら、活動報告を更新するつもりです違う死亡フラグじゃない。

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