病気物件のなおしかた   作:くまさん in the night

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 Q.なぜ〆切を破ってしまうのか?

 A.そこに〆切があるから


九位 その吐く気こと幽霊のごとく

 ムーちゃんの正体が西さん……?

 

 そういえばムーちゃんは西さんと同様に、女の子としては珍しく黒が好きだった。そして黒いランドセルを楽しみにするあまり、ランドセルの、ランドセルによる、ランドセルのための歌を作り出……なんだこのランドセル!?

 

 あと、よく見れば今日の西さんも、普段と変わりなく堕天使の翼っぽい黒髪で、普段と変わりなく漆黒の装束を(まと)い、まるで闇に抱かれているかのような威圧感が我に襲いかかる。

 

 このように、小学生にも満たなかった少女と、とっくの昔に小学校を卒業しているアレ……えっと、何やったっけ……合格とか目指すアレ……。何ていう職種だっけ?

 確かに、二人の好みはわりと珍しいにも関わらず、紛れもなく共通している。

 

 ただ残念なことに、証拠やら推理やらの一つ一つにどれほどの信ぴょう性があろうと、『ムー=西説』はあくまで推測の範囲を出ない。

 

 だって、ねえ? 黒を好きな女の子だって、ホエールウォッチング中の観光客を(あさ)ればすぐ会えそうだし。他にも、そういった人は、カブトムシとかの黒いものに群がってる子供の集団にも、複数人は混ざってそうだし。

 

 そんなわけで、ムーちゃん(黒)と西さん(黒)が別人である可能性を、俺はまだ捨てきれない。

 

(とき)に西さん。一個、教えてもらってもいいかい」

 

 だから俺は問う。俺の中に眠る誰かの魂が導き出した仮説が、まごうことなき真実であると証明するために。

 

「う〜ん……。それって二十分以内に終わるの?」

 

 黒酢まみれ……じゃなかった、西さんは腕時計を確認しながら答えた。それと、君は次から体内時計に頼ろうか。これは電池がなくてもバリバリ動くから、とてもおすすめだ。

 

「(気持ちの上では)二十秒で済ませる」

 

 俺の一言で、西さんは黙った。この沈黙を、俺は勝手に了承の合図と受け取った。

 

「西さんって、去年もこのアパートを訪れてたりする? 冬とかにさ」

 

 『名探偵コナン』の犯人、じゃなくて受験生が目を見開いた。ついでにポカンと口も開いた。おいおい、いい歳した西さんが、不意打ちで歯茎を見せるんじゃないよ。俺はてっきり、威嚇されたかと思ったじゃないか。

 

「そっか……。やっぱり、誰かに聞かれてたんだね……」

 

 大黒天、じゃなくて不動明王、でもなくて西さんが軽くため息を吐いた。

 どうやら俺の予想は当たったようだ。

 

 西さんは、「……ま、いっか」などいう独り言をつぶやいた。引くわー。予告もなく独り言開始とかマジ引くわー。

 

「そうだよね。別に減るもんじゃないし……」

「と、言いますと?」

「いやぁ……。この近所って変な人が多いから、ちょっとした変質者なら目立たないでしょ?」

 

 西さんは、人差し指で頬をぽりぽりと掻いた。かゆいなら皮膚科通えよ。そして処方された軟膏でも塗布(トフ)してろよ。

 

「だから、ちょっとくらい叫んだとしても、私にとっては大した黒歴史にはならないと思うんだ。やっぱり、木を隠すなら森だからね」

 

 歩く黒歴史が何を言ってんだか。

 

「と、言いますと……?」

「去年、合格発表の後にここ来て、大声で意味不明な宣言した人っていたよね? 私だよ。それ」

「と、言いますと……?」

「だから……。この時期にこんなとこ来る物好きなんて、私の他にいないじゃん!」

「と、言いますと……?」

「おい」

「と、言いますと……?」

 

 俺の中に眠る魂よ、推理ご苦労。今後は目覚めないでくれ。「と、言いますと……?」。

 

 マジで永眠してくれ。あと、俺の心の声にまで返事しないでくれ。モノローグは心のツイッター、とは言うけれど、いいね!ボタンなんて押さなくていいから。

 

 ……ん? ツイッター……? そういえばツイッターって、一体全体どういうものだろ。

 ツイッター……?

 見当もつかないな。イタリア料理か何かか? フィットチーネみたいな?

 うーん。名前なら聞いたことがあるけど、ツイッターか……。

 

 どうしよう。調べようにも、そもそも俺ってケータイ持ってないからなあ……。やっぱり、ケータイ関係の用語は全然分かんないなあ……。

 

「と、言いますと……?」

「はぁ……。あのね、矢車君。あの頃の私はまだメガネ掛けてなかったし、顔の印象が今とは違うけど、あの美少女は私だから」

「とヒーモフホ!!」

 

 俺は握力を総動員して、俺の気まぐれな口をねじ伏せた。ついでに身体中の筋肉を総動員して、死に物狂いで笑いをこらえた。これじゃ明日は筋肉痛だ。

 おいおい、こんな不意打ちを試みないでくれたまえよ。たとえメガネ装着前の彼女の顔を、俺がほとんど覚えてないとしても、こんな不意打ちを試みないでくれたまえよ(二回目)。

 

 さーて、困った。腕周りの筋肉がイカれちまいそうだ。

 

「あれ、どうしたの? いきなり全身をねじりあげて。雑巾のモノマネ?」

 

 勉強の積み重ねすぎで視力が自滅したのか、西さんはどうやら俺の笑顔が狂い咲いていることを見破っていないようだ。「好都合」って言葉は、きっとこんな日のためにあるのだろう。

 

 よし。バレないなら、しばらく笑っててもいいかもしれないな。

 むしろ、どこまでバレないか試してみようとさえ思うね。それに、こういう挑戦は、後学のためにもやってみる価値がありそうだ。

 

「で、念のために確認するけど、体調でも悪いの?」

(ぬん)でむぬいよ、西(ニヒ)はん」

 

 と、視力が落ちても試験には落ちたくない西さんが、可哀想な人を見上げるように嘆息(たんそく)した誰が短足(たんそく)だ。

 

「『美少女』って言っただけなのに笑いすぎでしょ」

 

 俺はとっさに土下座した。

 

「わっ! もう、いきなり視界から消えないでよ!」

 

 さ、俺はもう一生分は笑ったことだし、そろそろ笑いを滅ぼすかな。心の中では「あひゃひゃひゃひゃ」と声を上げられても、西さんの前でふたたび失態を演じようものなら、二度と笑えない身体にされそうだし。

 

「ヒッヒッフー。ヒッヒッフー」

 

 よし、実は呼吸関係の手段にはあんまり期待してなかったけど、俺の体調が微妙に回復しそうな気配がなくもない。さすがラマーズ法。まさに妊婦さんの味方誰が女の敵だ。

 

「え……? 矢車君、おめでた……?」

男が(ヒヒッフ)!?」

 

 しゃべりながら回復にも専念可能。それが呼吸系の術の良いところだ。

 

「意外だね。まさか矢車君が、お医者さんに診てもらう側だったなんて。私はてっきり、お医者さんを脅す側かと思っ––––」

違うから(ヒヒフヒフ)! 脅したらお巡りさんに捕まっちゃうから(ヒヒフヒーッ)!」

 

 ……なぜだ。まともなラマーズ法が続かないぞ。かくなる上は素数を数えて落ち着––––。

 

「——ゴホッゲホッ」

「大丈夫?」

 

 だ、だめだ……数える余裕もない……。笑いの沸点が……俺の沸点が……なぜだ……ブッ壊れてやがる……!

 

「ねえ、酔い止めあげよっか?」

止まらないから(ゴホゴホッ)!」

 

 考えろ……! 何でもいい……! ほんの少し……ほんの少し俺の意識を逸らすだけでいい……! 『と言いますと?』とかいう、俺の妄言によって暴発した意識を、ほんの数グラムでも(まぎ)らわせられる……何か他のことを……!

 

「それとも、のど飴の方が好きだった?」

「し、試験って……フフ。いつ始まるんですかね?」

「ん〜? まだ一時間以上あるよ? だけどあと十五分くらいで試験会場が開くから、そろそろ行った方がいいかも……」

「そいつぁ急がにゃならねぇな……」

 

 こうして矢車国の平和は保たれた。西部戦線異状なしだ。よかったよかった。

 

 

 ……ん? 素数ってさ、心の中で数えればよかったんじゃね? 2,3,5,7......ってさ。

 別にさ、口に出す必要とか、なかったよね……。

 

「じゃあ、そろそろ面接関係の確認とかしたいから、私行くね?」

「あっ! ちょ待っ……!」

「何?」

 

 素数ついでに一つ、思い出したことがある。

 

「や、何でもないでゲス……」

 

 しかし俺は、この受験生に伝えるべきか迷った。

 

 上手く言葉に出来ないけど、俺にはいくつか、西さんに知って欲しいことがある。

 

 オッサンがこのアパートに、現在進行形で存在していることを。

 彼女がこの地で残した一言一句は、そのどれもが父親に届いていたことを。

 

 だけど、それらを伝えたところで何になる?

 もし、君のお父さんは地縛霊ですだからいつでも会えます良かったね、なんて打ち明けられたら、西さんは気にするだろう。俺が語った情報の真偽や、地縛霊として存在する父親のことを。

 

 そうなってしまえば、西さんを納得させるために、俺は洗いざらいぶちまけざるを得なくなる。

 

 札の能力を。

 生前とは大きく異なる、オッサンの混沌具合を。

 彼女の父親が持つ、地縛霊としての危険性を。

 

 そして今、それらを知った彼女が動揺すれば、結果として試験に悪影響が出るかもしれない。

 そうなれば、目標に向かって努力を積み重ねた彼女が、何事もなければ掴めるであろう合格を、逃してしまうかもしれない。

 

 だから、仮にこの件を伝えるとしても、その機会は後日に回せばいいじゃないか。

 

「何?」

 

 西さんが質問を繰り返した。

 

「と、ととと、とにかく今は何でもないから!」

 

 俺は再びお茶を濁した。

 

「本当は?」

「君は父さんに会いたいか」

 

 言っちまったじゃねぇかァァァァァンヌ国際映画祭!!

 

「会いたいか、って? そりゃあ、出来れば、ね……」

「誘導尋問とかサイテーだな! 引っかかる俺も含めてサイテーだな誰が人間のクズだ!」

「…………」

「すんませんした。調子こいてすんませんした」

 

 「時間ないっつってんだろ、ざけんじゃないわよ」という殺気を感じた気がしなくもない。

 だから、俺は二度とダークマターの正体、じゃなくて西さんに逆らおうなんて思わないですそんなわけで許してくれよ。

 

 ……うん。言っちゃったモンは仕方ないね。世に放たれた過去を消し去ることなんて、神様でも出来ない。

 そう、例えるなら、ニャンコがフンを埋めても、残り香が獰猛(ドウモウ)であるようなものだ。ん? 違うか。

 

「……うん、ニャンコは別にいいや。で、何の話だっけ?」

「お父さんにはもう二度と会えないし、墓参りと同じで気休めみたいなものだけど、それでもいいからここを訪ねてみよう、と思ったから来たんだよ」

 

 『と、言いますと……?』と、口をはさむ隙を与えたくないからだろうか。今度はずいぶんと丁寧な説明じゃないか。

 うん。西さんの気持ちは大体分かった。

 しかしだな、俺には俺で、まだオッサンの件を教えたくない理由があるのだよ。それはだな––––。

 

「会ってもロクなことがないよ」

「そう言うからには会えるの?」

 

 カンの鋭いガキめ……!

 

「カンの鋭いガキめ……!」

「誰がガキだ」

「ひっ! 助けて!」

 

 まるで悪役レスラーと同じ檻に入れられたような気分だ。このままレフェリーを放っておけば、デスマッチ開始のゴングが鳴ってしまうじゃないか。

 

 だが大丈夫。俺は二階、西さんはまだドブ(クセ)え砂利の上。その距離は1メートル以上離れている。まだ大丈夫だ。

 

 しかし、いくら自分の心に言い聞かせても、俺の両腕は服の上を勝手に()い回り、のど笛と腹をガードする位置に「イャォッ!」と到着した。この姿勢がどちらかといえば不審者っぽく見えたとしても、天からいただいた命には代えられない。

 

 そんな俺の背中を流れる、土砂降り後の朝露のような冷や汗を知ってか知らずか、西さんが寂しそうに下を向いた。

 

「……ま、会えるわけない……よね」

「そうだよ」

 

 俺の無情な一言を耳にした西さんは、寂しそうに下を向いている。

 

「あーあ。今日の筆記試験、もしもお父さんに会えたら、死なない程度に頑張れる気がするんだけどな〜」

 

 西さんはチラチラこっちを見ている。

 俺は、んだよ、おねだりかよメンドクセーな、とは言わないでおく。

 

「一目でいいんだけどな〜?」

 

 バレてない? ねえ、バレてない? 地縛霊のこととかさ。札のこととかさ。レフェリーいないこととかさ。この子は完全に見抜いてるから、こんな奇行に走ってんじゃないの? ゼッタイに見抜いてるよね? その上でねだってるよね? じゃなきゃ痛い子だよ西さん。俺と同じかそれ以上に痛い子だよ西さん誰が激痛だ。

 

「……アレの性格は変わり果てている……オヌシはそれでも良いのか?」

「上等だよ」

 

 西さんはボクサーのようにファイティングポーズをとった。アイタタタ、痛い子だ……脇が開きすぎですよ。それにもっと腰を落とさないと……

 

「アヤツに会えば後悔するぞ」

「だとしても、本当にお父さんを連れて来れるなら、お願いします!」

 

 西さんは祈るように合掌した。なぜだろう、下手なファイティングポーズより、こっちの方が強そうだ。仮に俺が西女史の要望を断れば、即座に俺の生きる希望が包み潰されるかのような……?

 

「されど地縛霊の動かざること猫糞(ネコババ)(ごと)く––––」

「結論を急いでよ」

「しばしお待ち下さい」

 

 俺は部屋に引き返す。天井付近を見上げると、無事ユーレイ発見。捕捉完了。

 

「ご主人様がお呼びだ誰が召使いだ」

『ククク……。二分(ごふん)だ。オレの手で焼きそばパンを買って来るまで、な』

 

 ヤツは話を聞いていない。だが俺も、こういった常識的な作法でコレを崩せるなどという能天気な思考回路など、ハナから持ち合わせていない。相手に常識が通じない、じゃあどうするか? 初撃を(かわ)されても二撃目で仕留める、これすなわちヒットマンの基本だ。

 

「外にはムーちゃんがいる」

『誰よそのオンナ!』

 

 忘れんじゃないよアンタの子を!

 そんなオッサンが、ゆらゆらと降りてきた。

 

 落ち着け俺。

 きっとコイツの記憶は、我々の想像を絶するほど混濁(こんだく)しているのだろう。だがそれでも何かしらの反応を返してしまうあたり、やはりオッサンの根底には、生前の大切な思い出が染み付いているのだと思いたい。つーか、染み付いていてくれ!

 

「分かるか? お前の娘だ」

『誰よそのオトコ!』

「女の子だ」

 

 「娘なのに!?」とか、「どんな三角関係を経たらそのセリフにたどり着くんだ?」といったツッコミを、俺はあえて加えない。ツッコんだところで、オッサンの小ボケに追い付かないからだ。(ゆえ)に今回、俺は焼け石に(極力)水を掛けないと決めた。

 

「いいから来い」

『ポッ……♡』(//∇//)

 

 「『恋』じゃねーから、『来い』だから!」、というツッコミをこらえながら、俺はポッケから(とき)に毒々しく、時に禍々(まがまが)しい薄汚ぇ和紙を取り出した。

 

「この(フダ)を使えば、霊体のお前でもムーちゃんと話せる。娘に会いたいだろう?」

『ウン……ボバ……?』(( _ _ ))..zzZZZ

「寝るな」

 

 人語思い出せ。

 

 ……ダメだ、会話どころじゃない。誰か助けてくれ、早くも俺の心が折れそうだ。「お助けをー!」って叫べば、誰か来るかな。住人とかさ。

 

 …………うん、いないけどね。駆けつけてくれそうな住人なんて。しかも早朝ならばなおさらだ。仮に俺が「お助けをー」と叫んでも、「うるせー」とか「燃やせー(脂肪を)」などと怒られるんじゃねーの?

 その他にも、季節や地域によっては、「肥やせー(土を)」と怒鳴られるかもしれない。大河の氾濫かよ。

 

 気を取り直して。

 

 ……おっかしいなあ。

 言動が支離滅裂であることにかけては右に出る者がいないオッサンでも、ムーちゃん関連の話題なら真剣に取り合ってくれると思ったんだけどなあ……。

 

 そんな地縛霊こと変なオッサンは、まるで酔っ払っいが歩くようにフラフラと、部屋の中を漂っている。

 

『はぁ……。やっぱ世界一美味いアルコールは消毒用やな』

 

 経口摂取すな。度数至上主義か。何だ「度数至上主義」って。

 

 ……さて、ツッコミを収めて、ふたたび気を取り直して、っと。

 

 自由すぎるコイツに俺の意図を伝えるには、もうあの手を使うしか方法はないだろう。そしてもしあの手を使うならば、オッサンが油断している今がチャンスだ。だけど本当にあの手を? それでいいのか俺よ。結構ヒドい目に合うらしいぞ、特に大家さんが。

 

『そうだ、秘書のせいにしよう』

 

 いや、それでも俺はあの手を決行しよう。今は試験前、事態は一刻を争う。悠長(ゆうちょう)な他の作戦に頼ってる場合でも、悠長に他の作戦を練ってる場合でもない。そして、大家さんを気づかってる場合でもない。

 

 俺は覚悟を決め、オッサンに一歩近づいた。俺の殺気をオッサンに勘付かれないよう、静かに、ゆっくりと。だが確実に。こんな時、音を殺して歩くのがクセになってて地味に助かった。

 

『今まで黙っていたが、お前の妹は、実はお前の爺さんなんだ』

 

 俺はもう一歩だけ進む。これでヤツを射程圏内に収めたはずだ。

 とはいえ、欲を言えば、もう一歩分は近づいておきたい。だからここからは、ナメクジ並の足運びで進む。

 

『かけ算九九はビートルズで覚える。これが高校生物の必勝法だ。君も先日、納得してくれただろ?』

 

 ところで、アパートからオッサンを引きずり出すにあたっては、四つほど問題点がある。

 

 一つ目の問題点は、オッサンと対峙するこの俺が、生身の人間であることだ。

 

 そのせいで、俺が闇雲に突撃しても、オッサンに幽霊ならではの機動力を発揮され、スタコラサッサと逃してしまう可能性がでかい。

 だから、普通の融合作戦を成功させられるとすれば、それはオッサンが隙を見せるまでじっくりと待てる、ヒマな時が狙い目だ

 

 一方で、今は時間的な余裕がスッカラカンであり、こういった長期戦向きの策は、勝算がめっぽう薄い。

 

 いや、嘘言いました俺。本音を言うと、勝算なんて薄いどころか皆無だ。

 それでも俺は、一か八かに賭けて、オッサンを追わなきゃいけないんだ。

 

 このように、時間に追われてるから、野生の地縛霊を追うしかない状況。それが第一の問題点だ。

 

 とはいえ、完全な無策だとキツいんで、俺は俺で考えた。その名も、「オッサンに近づく時は何事もないフリしつつ、奇襲で霊体に札をねじ込みそのまま憑依完了作戦」だ。

 

 やり方はいたってシンプル。

 まずは俺がオッサンに近づく。次に、オッサンの中に札をブチ込む。こうして、オッサンの中にある、「目の前の男に襲われかけている」とか「今さっきヘンタイに襲われた」といった思い出を、根こそぎ札に吸わせる誰がヘンタイだ。

 

 これにより、恐怖の記憶を奪われた憐れなオッサンは、俺の接近に対して、危機感のカケラも感じなくなるだろう。最後に、俺が完璧な余裕を保ちながら、オッサンの霊体と俺の肉体を重ねる。

 これで、上手くいけば憑依完了だ。

 誰だ今「キモい」とか口走ったヤツ! 俺も心底そう思うよ。

 

 それと、別に大したことじゃないけど、俺のお身体にオッサンズソウルが混入すれば、俺の魂もガッツリしっかり汚染完了だ。そして、憑依が長引けば長引くほど、この汚染は進行し、いつしか俺の魂がオッサンと一つになると思う。

 すなわち、作戦が成功すれば、俺は瞬時に狂人と化す。

 

 強いて言えば、これが二つ目の問題点だ。

 

 ……さあ、残りの二つはどうしましょ。

 最初に問題点を一つしか考えてなかったからかな。即興で複数の問題点を用意するって、さすがにキツかったね。

 

 計画性って大切だ。俺は今、死したオッサンを通して、生きた知識を学んだ。

 

『本日の朝食のメニューは、お昼ご飯にしようと思います』

 

 と、いうわけで、そろそろオッサンを捉えるかな。

 

『よくもオレの仲間を傷つけやがったな! オマエを許す!!』

 

 倒せ。もういっそお前ごと倒せ。五歳くらいの子が公園で戦いがちな、空想上の怪人と相討ちしてろ。

 俺は握りしめた札を、右ストレート気味に、()き身の霊体へとねじ込む。

 

『風は止まらない。たとえ貴様の息の根が止まレレレレレッ!?』

「誰が鼻息で風止める人だ」

 

 オッサンから猛烈に吸われていく思い出が、札を握る俺の腕にも流れ込む。吸われた多くの思い出のうち、漏れた量は多少。漏れた量のうち、俺の中に流れ込んだ思い出は、さらに微量。それでも俺には、空中に浮かぶオッサンの姿が、急に色濃く見えた。世の中には神秘的なこともあるものだ。

 

『ねすっいいすぱんゃきどってんーほ』

「聞こえるか? オッサン!」

 

 オッサンの発する音は、もはや言語ではない。しかも、俺がすぐ隣で声を発したにも関わらず、霊体であるオッサンには、いっさいの警戒が見られない。これらの怪奇現象が起こるのは、直前に起こった出来事すらも、オッサンが思い出す間も無く、札が記憶を吸い尽くしているからだろう。

 

 これで第一段階クリア。さあ、本当に大変なのはここからだ。

 

『ギナヤハイラウョシノスンシヤヒ』

「よいしょ!」

 

 自分でも分かるほどマヌケな掛け声と共に、俺は床から数センチだけ跳ぶ。と同時に、霊体内部から札を引き抜き、ちょっとだけ浮かぶオッサンへと、俺の全身を重ねた。キモい。キモいよパトラッシュ……。いや、パトラッシュはキモくないけどね。

 

『ふぁっ!?』

「ヴォエッ……!」

 

 あ、やべ。意外と吐きそ。

 そういや吐き気ってあったよね。憑依時にさ。

 

「ヒッヒッ2……3フー……ヒッヒッ5……!」

 

 俺が必死で呼吸や気分を落ち着けようとしても、吐き気はまだまだオサラバしない。

 だけど……オッサンには、俺の想いが……伝わっただろう。なぜなら、オッサンからも俺の中に、色々と流れ込んで来やがるから。はいはいモイキーモイキー。

 

『なん……だと……?』

 

 よし、オッサンに届いたようだ。思い知ったか、驚き方がアレなオッサンよ。これが人間さんの……。

 ん? 足元がスースーするぞ。スカートなんて履いてないのになぜ?

 

 と、何気なく見下ろしたら、眼下に広がるは駐車場の砂利。いつ眺めても、いい景色だなあ。

 

「って、飛んでんじゃん! 俺!」

 

 着地とかどうすゃいいの!? 保健体育で習ってないよ!!

 

「痛っ!!」

 

 俺は大地にズドンした。着地って難しいね。これからは心を入れ替えて、ネコ様を(あが)めようと思う。偽名とかも「ネコⅡ世」に改名しよっかな。

 

 そんな俺が何気なく振り返ると、アパートが二十メートルほど遠くに立っていた。生きたニンゲンの分際で、俺はそんなに飛んだらしい。

 何はともあれ、俺、降臨だ。観衆よ、思う存分に刮目(シケモク)*1するがいい。

 

「イッッッタ!! 骨折れてるぞ俺!! 審判見てるか!? どこにいるんだ審判!! 出て来いや審判!!」

「大丈夫? グラウンドですらないのにサッカー始めたりして」

 

 倒れている俺の顔を、彼方から駆け寄って来た西さんっぽいメガネ(黒)が覗き込む。なんだ、審判なんて最初からいないのか……。

 

「チッ、PKは明日のお楽しみってか」

 

 指をパチンと鳴らしながら、俺は何事もなく立ち上がった。指鳴らしたら突き指したかも。

 着地時に大腿(だいたい)骨とアバラと尺骨(しゃっこつ)が数本持ってかれたけど、他には骨盤がやられてる程度だから、憑依による吐き気を除けばこれといって問題はなさそうだ。

 

「ちょっ、大丈夫!?」

 

 黒魔術師、じゃなかった西さんが、なぜかとても狼狽(うろた)えていた。我輩の居住領域が粉砕されているからだろうか。

 

「ふぅ……。またつまらぬドアを吹き飛ばしてしまった」

「ドアの心配より人体(ジンタイ)の心配してよ!」

「断裂した覚えはないね」

靭帯(ジンタイ)じゃないから!」

 

 なんかね。うまく言えないけどね。「西さんとは会話が噛み合ってない説」が成り立ちそうだね。分かんないけどね。

 

 あ、俺の手の中に札発見。ポッケに突っ込んでおこう。いや、どうせこいつを突っ込むなら、うるさい西の口がいいかも。

 

「自分が死の淵に立ってるの分かってるの!?」

「ひっ! 助けて! と、()られる!!」

 

 に、ににに、逃げなきゃ!! どこへ!? 天空!?

 

「お(ねげ)えしますだ! 右頬だけは引っ(ぱた)かないないでくだせえ! 左頬は好きなだけ差し出しますから!」

「変な誤解しないでよ! 私がケガ人を叩く訳ないでしょ! そもそも矢車君を叩いたことなんてないし!」

 

 あらやだ。実はアナタは、武力による威嚇しか行ってなかったのね。

 重罪じゃねーか。右頬えこひいきを上回る重罪じゃねーか。

 

「そ、そそそそうだ! 殺られる! (西から)東へ逃げないと……!」

「わっ! まだ走っちゃいけないったら!」

 

 俺の背中がガシリと掴まれた。さてはお嬢ちゃん、鬼ごっこかい? 負けるかよ……! と、俺は駆け出そうとしたけど、気がつけば俺の全身は、なぜか大地に突っ伏していた。それどころか、組み伏せられていた。

 何で……?

 

 これじゃ、身体の自由が利かないし、何より青空を見上げられない。

 何で……?

 

「ほら、私は119番するから! 矢車君はじっとしてて!」

「まあまあ、そうカッカしないで。ある意味では骨がイカれてるかもしれないけど、これくらいはヘッチャラだなあ」

「上半身が著しく右に傾いてたのに!?」

「へー、ピサの斜塔みたいだね。そんなことより連れて来たよ。えっと……タカシを?」

「『そんなこと』で済ませないで!!」

 

 なぜかプリプリと怒りながら、目の前の人がスマホをイジり出した。会話中にポチポチとは……。まったく、最近の若者(わかもん)はエチケットがなっとらん。ついこの間なんて、電車内なのにアベックがナイフを(うま)そうに舐め––––。

 

「もしもし救急車お願いします! 知り合いがアパートの二階からまともに落ちて!! 上半身が紫イモみたいに変色して死んでるかもです!!」

 

 さりげなく殺すな。

 

「俺は生きている、って何度言えばいいんですかねぇ……。ま、俺は今、生まれて初めて言ったけどね」

「住所ですか!? 少々お待ちください!!」

 

 西なんたらさんがこちらに目を向けた。

 

「矢車君教えて!! ここどこ!?」

「概念でいえば阿鼻(アビ)地獄かな」

「番地でお願い」

「イタタ髪掴まないで!! 俺持ち上げないで!! 正直に生きるから!!」

 

 西のヤロウがパッと手を離す。俺は尻餅をついた。

 叩きはしない。されど引き上げる。よく分かったよ、それがお前のやり方だってなあああ!!

 

 戦慄ついでに憤怒した俺が、正しい住所を答えると、似死惨(にしさん)は電話の相手にそれを伝えた。

 

 それよりなにより、独裁者の魔手から俺の髪様が解放されたにも関わらず、俺の頭皮は依然として痛い。あのカミツカミは今朝目覚めてから一番痛かったかもしれない。

 

 つーかさ、髪をガシッとやっちまうなんざ、中途半端に叩くよりタチが悪いよなぁ?

 あー吐きそ。メンタルの面でも吐きそ。ムシャムシャするなぁ!!

 

「……はい! お願いします!! ではまた!!」

 

 アマゾネスが右手で通話を切る。ここで俺が注目すべきは、彼奴(きゃつ)の左手。かつて迫った魔の手は悪辣(あくらつ)。広げて無残にもバサバサ落ちる、俺の毛髪(もうはつ)。まるで見せつけるかのよう、まさに挑発。

 

 ……さて、お気付きいただけただろうか? 「バサバサ」という擬態語が、カラスの飛翔っぽいことに。

 なんと風流なのでしょう。

 

 風流に身を任せ、ここで一句。

 

  朝露に ()れる背中は 滝みたい

 

 カラス関係ねーじゃん。

 

「ねえ、矢車君は自分の名前……は分かるよね。私の名前は分かる?」

豪傑(ゴウケツ)……に見せかけて……『チャンムー?』」

「違うけどそれでい––––どこで知ったのそれ!?」

「『おはようんこ!』」

 

 俺の体内でいきなり存在を主張し出したオッサンによって、俺の口が勝手に動いた。が、会話は成り立ってない。「そのあだ名をどこで知りましたか?」に対する回答が、「おはようんこ」。意味が分からない。

 こんな時、普段の俺なら、西さんのご機嫌をうかがうために、「別れる際は“グッバイ小便”かよ!」と、ツッコむことだろう。

 

 だけど今は違う。俺の身体にオッサンの魂を宿(やど)らせたおかげで、俺はオッサンの思考を、同時通訳よりも圧倒的に素早く、理解可能になった。

 

 すなわち––––。

 

 今の俺は、オッサンの思考を、同時通訳よりも圧倒的に素早く、理解可能になったということだ。

 

 だから俺は、この会話の意図までも完全に理解出来てしまう。たとえ、「ハロー人糞(ジンプン)」などという訳の分からない一言が、赤の他人には言葉のPKに感じたとしても、西親娘の間では言葉のキャッチボールとして完璧に成り立っていることを、俺は心の底から納得せざるを得ない。

 

 そんな中、驚愕か何かで第一と第二の()を見開いた西さんは、震える口を動かした。

 

「何……言ってんの……?」

 

 PKでした––––。

 

 ……と、しばし俺もそう思っていた。ところがムーちゃんは、ドン引きするどころか伏した(まなこ)を濡らしている。

 ふむ。あの微量の液体は、塩化ナトリウム水溶液、か。人とは不思議なものだ。

 

「違……違うよパパ……。おはよUnknown(アンノウン)、だよ……!」

 

 その瞬間、俺の脳裏にも蘇る。(オッサン)が息絶えた数時間の、幸せなやりとりが。

 

 ––––パパ、おはようんこ!

 ––––違うよムーちゃん。おはよUnknownだよ!

 

 ひでぇ思い出だ。もう台無しだ。なんだか文字の色までも、排泄物っぽい雰囲気で最悪だ。

 

「『そうだったね』」

 

 ま〜た俺の口がオッサンの言葉を紡いでるよ……。もうさあ、ここは口をオッサンに任せちゃってさあ、親娘水入らずでパサパサとかのアレにすればいいんじゃない? 西スリー、略して西さんもちょっと嬉しそうな感じだしさあ。

 

 ってことで、せいぜいシャバの空気を楽しめよオッサン。ハメ外すなよ! 分かったかコノヤロー! 分かったら髪全部刈れ! お前は中途半端に残ってるからダサいんだ。この際だから、失恋したヒロインみたいに(いさぎよ)く刈り尽くせ! 場合によっては一本残らず抜け! 燃やしてもいいぞ! これが本当の『悪霊の炎』ってヤツだ。パサパサだとよく燃えそうだな。

 

「あっ、で、でも! この合言葉をパパが他の誰かに教えたりとかしてるかもだし……」

 

 疑うのかよ西。

 

「第一、パパはもうとっくに死んでるし……。だから、何かの間違い、だよね?」

 

 だから疑うなよ西。もっとテンポ良くパッパッと話を進めろよ。そして手早く終わらせろよ。会話劇系のギャグコメディって、推敲が面倒くさいんだからさ。

 

「『雨が降りました。おじさんは傘を差しません。傘が濡れるのが嫌だからです』」

「いきなり『おじさんと傘』のワケ分かんないとこを引用するなんて! 本物だ……! 本物のパパだ……!」

 

 そうだよ。君らのような若者は、そうやって勢いで誤魔化せば良いんだよ。

 

「『あなたが落としたのは、高めた集中力ですか、それとも二次試験の点数ですか』」

「わざわざ不吉な予言を残すなんて……! やっぱり本物だ……!」

 

 アナタねえ、確信のポイントおかしくない? なんで父親の真偽を、生死じゃなく、変人の度合いで決めつけるの?

 

 ……と、俺の心に盛大な疑問を産み落とした西さんは、クライマックスっぽくハンカチを目元に当てている。ついでに嗚咽とかも漏れている。

 しかし、あまりに疑問が強すぎるからか、俺には彼女の感情が入ってこない。一切入ってこない。

 

「本物だよ……! もう会えないかと思ってたのに……! 本物だよ……!」

 

 そう、オッサンはいつだって本物のヘンタイだ。いわゆる不健全な魂だ。

 

 また、不健全な魂と不健全な身体は、常にワンセットだ……①

 ①より、オッサンの魂が憑いている、俺の身体も不健全である……②

 

 ①、②より、不健全な俺の身体に宿(やど)る、俺自身の魂も不健全である。

[Q.E.D.]

 

 つまり俺はヘンタイということに……?

 

「『最近どう?』」

 

 何おっしゃりやがってんだオッサン。この子の近況は俺の心が教えてやる。さあ、俺の魂にでも問いたまえ。

 自問自答の時間だ。

 

「『ぼちぼちでんなあ』」

 

 何返してんだオッサン。自問自答やめろよ。そうやって自分自身だけで完結を図るのが、貴様の()しき習慣だ。

 

「最近かあ……」

 

 しかし、西さんはオッサンのヤバさに慣れているのか、それとも彼女が元々おかしいのか、オッサンの奇行をそれほど意に介していない。さすが親娘だ。

 ひっ! 髪掴まないで! 俺は何も思ってないから!

 

「あれから、色々あったからなあ……」

 

 西さんはやや天を仰いだ。

 

「本当に、色々……」

 

 西さんが小さく(↓「はな」って読むんだぜ。知ってたか?)をすする。彼女はなぜか、微笑んでいた。その顔には、怒りらしい感情なんて、何一つとして浮かんではいなかった。

 

 ……良かった。どうやら俺の心境は、上手いこと隠せているようだ。めちゃくちゃ良かった。もし俺の心(あんなもん)がバレたら、俺はいつもみたいに、西さんに根こそぎ()かれるっぽいもんな。

 

「私は、最近はね、思いっきり頑張ってるよ……!」

「『すべて、計画通り……!!』」

 

 どうやら中年になると、運命をつかさどる力までも得るらしい。

 

「パパは?」

 

 どうでもいいけど、西さんって父親のことを『パパ』って呼ぶんだね。意外だなあ……。

 まさかオッサンのことを、ママだと誤解してなかったなんて。

 

「『住み込みで、騒ぎ立てる行いを少々』」

「思いっきり地縛霊じゃん……」

 

 本日をもって引退しろよ。西さんも心の奥底で俺と同じ感想を抱いたのか、オッサンの一言にちょっと引いていた。気が合うね、俺達!

 

「……あのね、やめた方がいいよ、そういうの。パパに会うたび驚かされる人も可哀想––––」

 

 ……と、そんな西さんが、ハッと軽く息を飲んだ。何かに気付いたようだ。勘の鋭いガキだなすみません何も思ってません! なにせ俺の心は植物みたいなもんですから!

 

「じゃあ何で……何で今まで、私に会ってくれなかったの? 姿を見せようと思えば出来たよね?」

 

 その話題はね、なんか知らないけどね、オッサンがなんか気にしてんだよね。オッサンの生前に起きた、強盗の日の件で、ちゃんムーを怒らせちゃって申し訳ないとか、勝手に死んで会わせる顔がないとかなんとか、そんな感じでね。気にしてたはずだ。

 

 何だろうね、変人の思考回路ってよく分かんないよね。

 

 そもそもさ、オッサンがこういう風に考えるのってさ、ひょっとするとさ、変人の魂がさ、オッサンに混ざったせいなのかな。変なアレに変なアレが混ざりに混ざったせいで、謝罪の意だかアレだかが生まれたのかな。魔法薬学かよ。

 

 だけどさ。何にせよこうして西さんが会おうとしてくださるんだからさ。オッサンはそのチンケな罪悪感? とかそんなの捨てちまえよ。

 ……と、俺は思うんだけどね。

 

「ねえ、それなのに、パパはどうして隠れてたの?」

 

 なぜだろう。西さんの話がまったく頭に入らない。

 

「『なんスか?』」

「こういう時だけはふざけないでほしいんだけど」

「『なんやったっけなぁ……。サプライズとか?』」

「ま、いっか」

 

 いくないよ。家庭教師だろうとお父さんだろうと、平等かつ執拗(しつよう)に追及しろよ。髪を掴め無礼メーカーだよ。俺が許可するよ。

 ……あ、やっぱ今のナシ! 俺のお(とう)さんが悲鳴をあげちゃうから!

 

 うん、髪はともかくとしてね、何にせよ、俺への対応と父への対応に格差がありすぎんだよね。もっと是正(ぜせい)に取り組めよ。じゃなきゃ、次の選挙でお前には票入れないからな!

 

 ……さて、西さんよ。一連の流れで、君の人間性はおおよそ分かった。

 さては忘れん坊さんだな?

 だから、疑問があったら尋問! 尋問するなら毛束(けたば)引け! 同情するなら金をくれ! そんな基本中の基本を忘れちまったな? とんだじゃじゃ馬のおっちょこちょい鹿だ!

 

 ……もちろん、西さんの記憶力と、俺の携帯する札の間には、何の因果関係もないはず。俺はそう信じてるよ。

 なぜなら! 俺の記憶にも! (覚えてる範囲では)特に問題は起きてないからね!

 

「あっ! そういえば……!」

 

 忘れん坊さんの西さんが、何かを思い出した。

 「どうせロクな話じゃない」に俺のギザギザした十円玉を賭けてもいい。だからこれを読んでるお前らは、「飼いならされた爬虫類(ハチュウルイ)の話」に全財産賭けてくれ。

 あ、ただし、動物園とかで飼われてるヤツはノーカンだからな! 首に赤いリボン巻いて、富豪の足元に転がってるワニとかじゃなきゃダメだからな! よろしく頼むぜ!

 

「パパが隠れてたとか、会えなかったとか、そんなことよりもね……」

 

 どうした黒の暴牛、じゃなくて西さんよ。何をしおらしくなってんだい?

 ほら、元気出しな。アメちゃんでも舐めるけぇ? どうせ黒いやつが君のカバンに入ってんよね?

 

「『なんだい?』」

「今さらこんなこと言っても、取り返しなんかつかないけど……」

 

 西さんが(こうべ)を垂れた。

 

「だけど、言わせて! ごめんなさい……!」

 

 ん? ん?

 

「『ん?』」

「……あのね、パパが命を落としたのって、私のせいでしょ? だからごめんなさい!」

 

 は?

 

「それから、私達の最期の会話が、ケンカになっちゃっ……ん?」

 

 西さんが顔を上げた。

 

「『え?』」

「……あれ?」

「『ん?』」

「え?」

 

 この親娘は何の茶番を演じてんだ? そして西さん、君は何をきょとんとしてんだ?

 

「『何が! 誰の! せいだって!?』」

「えっと……。パパの死因は、私のせいでふざけられなかったからでしょ?」

 

 へ?

 

「『ツェ?』」

 

 やべーな。オッサン独自の疑問形やべーな。そんでもってこの音は、下の前歯どもの間を、空気が通り抜けていく(たぐい)の摩擦音だ。もっと僕に聴かせてくださいお願いします。

 

「だから……。パパはふざけないと命に関わる病気なのに、人質だった私を守ろうとして、大人しくしてたんでしょ? だってほら、あの時、銀行強盗がやって来て、それで––––」

「『あーはいはいそっちの話ね!』」

 

 あーはいはい。あったね、そういう奇病。覚えてる覚えてる。いや、マジで。

 

 何だっけ、複雑骨……じゃなくて水虫とかのアレでしょ? うん。しょっぱい水虫が、目頭に込み上げるやつがアレするアレだよね。それにしようめんどくさいし。

 

 それからこの病気って、顔面にかかと落としを食らったりすると発病リスクが高まるとされているよね。まあ、顔面かかと落とし自体が、御陀仏(オダブツ)の前兆みたいなもんだけどね。

 その他にも近年では、死に(いた)(やまい)として一般の間にも周知が進んでるよね。怖いよね。

 

「ねえ、パパはホントに理解してるの? 私の話」

「『ずっとオレのターン!』」

「せめて聞く態度を保ってよ」

 

 寒い朝らしく、まるでイライラしてるかのように細かく足踏みしながら、ついでに白い息をもらす西。

 まだ若いからか、黒い煙を吐き出せない西。

 あげくの果てに、父親に疑念の目を向ける西。

 

 君は疑うのが遅いんだ。次からはもっと早く疑え。

 

 それに、こういうのは意外に思われるかもしれないけど、疑うという行為自体は別に悪いことじゃない。

 特に医療の世界では、病気を早期に治療できるのは、病気を早期に疑った患者だからな。

 

 似たような話は、ついこの間だって、ドクターを名乗るタレントが宣伝してただろ? 「早期発見でうまくいくかも!?」って。

 正確にいえば、「今日(きょう)の早期発見は土管☆  好きな人と座れば万事(ばんじ)うまくいくかも!?」だったな。

 

 おっと、「早期発見」じゃなくて「ラッキーアイテム」だったわ。ごめんごめん。

 

「はあ……。もしかして、パパは覚えてないんじゃない?」

「『もちろん覚えてるよ。1日だって忘れたことはない』」

「ホントかなあ?」

 

 西さんがすげー疑ってんじゃん。オッサンと西さん、二人の関係は終了ってはっきり分かるね、仕方ないね。

 

「『確かに、ある日を境にして、私は変わってしまった』」

 

 そしてオッサンは何の話をしてんだ? ……あ、札か。札の話か。何の話だ?

 

「『なぜ私がこのように変わってしまったのか、私は知らない。それに、こうなりたかったとも思わない』」

 

 オッサンの魂から、俺の心に直接伝わる感情があった。それを翻訳すると、生意気なことにコイツは、「(ダフ)のせいで(シータマ)(ガケ)れたんスよ〜」とか主張したいらしい。

 

 だけど俺に言わせれば、オッサンがこんなことを考えてしまのは、「オッサン自身が汚染する側の生き物である」という常識を、オッサンが忘れてるだけだ。だからかな、俺にはオッサンが、ふてぶてしくも「自分、バッチリ被害者ですよ。加害者なんかじゃないですよ」という(ツラ)を下げてるように見えるね。

 

 ……つーか、俺の意見っていうか話題、今関係なくない? 俺だってコメンテーターの真似事なんかしたくないんだ。こんなことより、朝から晩まで昼寝したいんだ。

 

「変わる? パパが? それって何の話?」

 

 未確認生物こと西子(ニシ湖)のニッシーが、不可解な言語を使い始めた。確かこの言語、ジャパニーズ……とかいう名前だっけ? 俺だってこれくらい知ってるよ。なぜって? これは俺の母国語だからさ。

 

「『私は、息絶えてからの私は、もう昔とは違うんだ』」

「何言ってるの? パパが幽霊か生きてる人間かなんて、そんなことどうだっていいよ!」

「『違う。そういうことじゃないんだ……!』」

 

 オッサンに乗っ取られた俺のノドが、言葉を詰まらせた。俺の頭部が申し訳なさそうにうつむき、そのつむじが俺の目前に見え……目前?

 

 俺は数十センチほど下を見下ろす。

 

 あれれ! なーんで俺の後頭部が丸見えなんスかねー。

 もしかして、俺ってば上半身が幽体離脱してんじゃない? ヤバくない?

 

 それはさておき、誰か俺の写真撮ってくれねーかなー。で、後で現像(げんぞう)したらビックリ。心霊写真だ。

 

「『亡くなってからというもの、私の魂には多くのものが混ざりすぎた。だからもう、私の中にあるものは、そのほとんどが“私”じゃないんだ』」

「え……? 何、ソレ……?」

 

 虹だか西だか知らないけど、俺の目の前にいる、えーっと、人間(?)の顔が硬直した。

 

「あっ! で、でも! 人間なんて変わる生き物だし! あとは、こう……パパは私のこと覚えてたし! だからいくら変になっても、パパは本物のパパだよ!」

「『それだけじゃない。私が魂だけになってからは、なぜだろう、一日ごとに私の存在が薄くなっていくように感じた』」

 

 なんだろね。

 

「……そ、そうだ! それはきっと、少しずつ成仏していってるんだよ! そういうことでしょ!?」

「『違うんだ。私の中に知らない何かが混ざっていくような、にも関わらず、大切なものはこぼれ落ちていくような……。この地に縛られてからの日々は、そんなふうに失いたくないものだけが失われていく毎日が続いた。だからきっと、これは成仏なんかじゃないんだ』」

 

 会話が頭に入って来ないんだよね。

 

「『しかも、頭の中に霧がかかっているようにも感じる』」

 

 なにゆえだろうね。

 

「『まるで子供の頃に除夜の鐘をえーと、アレの気分だ』」

「寝不足って言いたいの?」

「『当然だ』」

 

 なんだこのハイレベルな以心伝心。

 

「『そう、寝不足気味のえーと、アレだ』」

 

 今度は「気分」の二文字を忘れてやがる。

 どいつもこいつも狂ってやがる。

 

「もういいよ、言わなくても。分かったから。色々分かったから……!」

 

 心を落ち着けるためか、西さんが深く息を吐き出した。

 それに反応し、オッサンこと俺の身体が深く息を吸った。何やってんだオッサン。『チャンス!』とか思ってんじゃねーよオッサン。

 

「ハハハ……。じゃあ、なおさら、今伝えなきゃいけないんだ……」

 

 なんかつぶやいてる人がいる。

 

「『Why?』」

 

 俺の肩がすくめられた。なぜだ日本人のオッサンよ。

 

「えっと……放っといたらパパは、これからどんどん手遅れになるんでしょ?」

「『ああ!』」

 

 はるか昔から手遅れだ。

 それと、最大限の自信で答えるんじゃないよオッサン。自信をはるかに上回る自信、人はそれを過信と呼ぶんだ。

 

「実はね、あの日からいろんなことを考えた結果、私は将来、お医者さんになります」

「『鶴? それなーに? おいしい?』」

「ははは……」

 

 西さんは笑っていた。だけど俺は、この笑顔を作り物だとは思えない。なぜなら、この年頃の西さんは一般的に、箸が転んでも笑うとされているからだ。

 

「はあ……。実はね、あの日からいろんなことを考えた結果、私は将来、お医者さんになります」

 

 さっき聞いた。

 

「『右から来たら左手で撃ち落とす。左から来たら左毛で撃ち落とす』」

「実はね、あの日からいろんなことを考えた結果、私は将来、お医者さんになります」

 

 乙女心って難しい。

 

「『ヤバくないかその職業?』」

「実はね、あの日からいろんなことを考えた結果、私は将来、お医者さんになります」

 

 西さんは俺の予想通りの危険人物のようだ。

 

「『ほんま西ぃぃおらー』」

「実はね、あの日からいろんなことを考えた結果、私は将来、お医者さんになります」

 

 浪人生特有の粘り腰か。

 

「『そうなのか……。成長したね。ムーちゃんは』」

「やっと届いた……」

 

 西さんは安堵の表情を浮かべた。

 

「『良かった……』」

 

 小学生の感想かよ。

 

「そうだよ。すごいでしょ?」

「『うん、見直したよ』」

 

 オッサンに奪われた俺の手が、西さんの頭を優しく撫でる。西さんはまるで小さな子供みたいに……なんだこの顔。

 それでもオッサンは手を止めない。オッサンよ、セクハラはよしなさい。訴えられても知らねぇぞ!

 

「私、これからもっともっと頑張って、たくさん成長するからね……!」

「『ああ、知ってるよ、ムーちゃんはそんな子だって』」

 

 西さんがオッサンの顔を見上げる。

 

「知ってるの?」

「『ずっと見てたからね』」

 

 俺がな。家庭教師としての俺がな。

 そしてオッサンが西さんの努力を知ってるのは、俺の記憶がオッサンに流れ込んだからだぞ。

 

「そっかぁ……。良かった……」

「『そうだよ。だから私は、ムーちゃんが思ってるよりも、ずっと幸せな幽霊なんだ……』」

 

 不可解なことに、オッサンの魂が、これまでにないほどの速度で薄くなっていく。それと並行して、俺の目線が下がっていく。

 どうやら、俺の魂が身体への帰宅を始めたらしい。

 

 あと、今気がついたんだけど、俺っていつのまにか幽体離脱とかしてたんじゃない?

 あーあ、どうせなら臨死体験がの方が良かったなー!!

 

「……あれ、なんで光ってるの?」

 

 小娘がスットンキョウな声を上げた。

 

「『そ……じゃ、パパ……ちょっくら天に召されて来……から』」

「えっ、もう!?」

 

 昇天が唐突だ。略して「がだ。」だ。

 

「あ、そうだ。他にも言いたいことがあったんだ!」

 

 最終局面で付け加えるなよ。もっと事前に計画しとけよ。

 

「『な……だい?』」

 

 オッサンが薄くなりすぎたからだろうか。俺の口はそれほど動かない。

 

「長い間、パパ独りで待たせてごめんなさい!」

「『お……か……な……に……ま……は……う……!』」

「うん……! うん……!」

 

 しきりにうなずいている西さんが、俺の肩を絞め殺……と思いきや抱きしめた。

 

「『と……、ご……さ……い……わ……う……』」

「うん……待っててくれて、ありがとう……!」

 

 なんだこの究極の以心伝心は。

 

 俺の身体を占拠していた汚い魂は、俺がアパートから射出された頃と比べて、すでに半分以上が消え去っている。

 そして俺の魂も、少しずつだけど、無事に本体へと戻っていく。

 

 ただ、なんでだろうな。俺の魂が自分の身体に戻り始めてから、吐き気も戻り始めてんだよね。

 このままじゃ、昨日の夕食が当然逆位置になっちゃうんじゃないかな……。ま、いっか。

 

「『……ゃ、……つ……う!』」

 

 おう、スッゲー吐きそうだぞ。でも身体が言うこと聞かないぞ。吐けないぞ。

 

「うん……! じゃあね!」

 

 俺の全身が、(まばゆ)い光に包まれる。なんかヤダ。

 

 十秒も経たず、光は意外とあっけなく消えた。

 そして、俺の体内には、百歩譲って犬小屋の深奥みたいな魂の、残り香みたいな薄汚いものが、かすかに感じ取れるだけだっ––––。

 

「痛い痛い痛い!」

「えっ!? ごめんなさい!! ついうっかりしてて、ごめんなさい!!」

 

 西さんが俺から離れ、頼んでもないのに土下座した。しかも西さんは、首の動作を止めたくないのか、何度も頭を下げている。

 

 それにしても、お前の腕力はプロレスラーか。俺も召されるかと思ったわ!!

 

「……」

 

 ……って文句をさらけ出したいんだけど、俺にはどだい無理な話だ。

 

 せわしなく上下動を繰り返していた西さんの頭が、ピタッと止まった。

 

「あれ……。どうして私、こんなことしてんだろ?」

 

 俺は答えないぜ。

 なぜって? その原因を叫んだら俺は、腹に力を入れすぎたせいで、「オボロボロボロッ!」と吐きそうだからだ。

 

「って、こんな時刻!?」

 

 頭を上げたついでに腕時計の文字盤が視界に入ったらしく、西さんは慌てて立ち上がった。

 

「じゃあ、私、そろそろ行くね。試験会場」

 

 西さんが、ふたたび腕時計を一瞥(いちべつ)した。

 

「あれ、私……何しようとしたんだっけ?」

 

 知らないわよ。

 

 それより俺を助けてくれよ。

 

「あれ、矢車君?」

「……」

 

 ……そういや、俺はどうすれば助かるんだ?

 確か、俺は昔、こういう時はあお向けにすると良くない、っていう話を聞いたことがある。

 

 しかし俺は自分からは動きたくない。なぜなら動いたら負け、負けたらオボロボロ、オボロボロしたら、せっかく噛みしめた食料を逃しちゃう。よって俺は動かない。

 

 では、いかにして解決するか? 答えは簡単。西さんの手を借りよう。

 オロロロボを必死でこらえながら、俺はどうにか言葉を紡いでみた。

 

「うっ、うつ()す……」

「誰が鬱ブス——」

 

 ひえっ!!

 

「うつ伏せ……!」

「……あっ、うつ伏せに寝かせてほしいんだね?」

 

 そんなこんなでこの姿勢、まるで土下寝だ。そして西さん、君の怪力は末恐ろしい限りだね。見た感じ、俺より君の方が体重も重そうだし*2すみません俺は何も考えてません!!

 

「どうしたの? 大丈夫……?」

「……」

 

 余談だがこの土下寝。大学の芝生に寝転がりながら謝罪の練習をしている近頃の俺にとっては、かなり馴染み深い技でもある。

 

「しゃべりたくないならそれでもいいよ?」

「…………」

 

 また、この謝罪技(しゃざいぎ)は、強い誠意を伝えられるだけでなく、睡眠も同時にこなせるという点において、素晴らしいの一言に尽きる。

 とはいえ、謝罪中の睡眠が、審判、もしくは謝罪相手に発覚した場合、理不尽なことに自分の持ち点から5ポイントが差し引かれるため、乱発には向かない大技であるという欠点にも、最低限留意(りゅうい)しなければならない。

 

「ねえ、本当に大丈夫……?」

「俺も、(ある意味)成仏しそう……」

「きっと大丈夫だよ。私も具合が悪いっていうか……なんだかちょっと吐きそうだけど、大丈夫だし……!」

「…………」

 

 そういえば、オッサンがほとんど昇天したはずなのに、なぜだろう、俺の吐き気が全然引かない。

 

 これはもしや、俺の中に、不潔な魂のカケラでも残っているのだろうか。やっぱり、多少の汚物を憑依させただけでも、身体には相当な負担がかかってしまうのだろうか。

 

「って、私の調子が悪いのは関係ないか……」

「……」

 

 ああ、俺の中に居座るコイツら……。一刻も早く、完璧な形で、天に召されねぇかなぁ……。

 

「あ、救急車だ……」

「……」

 

 遠くからピーポーピーポーという不吉な音が近づいて来る。

 俺を見下ろした西さんが、「私も呼ぼっかなぁ……」などと常識外れな一言を呟いた。はたしてこの子は、医療費が高すぎて目ん玉が飛び出てしまう、という当たり前の事例をご存知ないのだろうか?

 こんな子は、俺が常識を教えてあげないと、何も考えずに199番してしまうかもしれない。

 そうだ、もし西さんが救急車を呼ぼうものなら、俺が命がけで止めてやろう。お金を払ったあげく目ん玉を失うくらいなら、俺は不調を(たしな)む道を選ぶんだ。

 

「あれ? 結構近いね……」

「…………」

 

 それにしても、救急車のサイレンは(じゃかま)しい。

 オッサンの成仏を邪魔しないようにと、俺がせっかく心を無にしてるのに、ティーパーティーパーなどという音が、俺の集中をかき乱す。

 

「え……? なんでここに……?」

「…………」

 

 俺が顔を上げると、駐車場には、いちごのケーキみたいな色の車が侵入していた。鳴り響く「パーティーパーティー」といい、いちごショートといい、なんだかクリスマスみたいだ。

 へ〜、リア充かよ。バイト漬けの日々を送る俺の前で、ゴキゲンな度胸してんじゃん。クリスマスだけに、景気(ケーキ)のいい話ってか?

 

「そういや、モミの木ってゲロみたいな配色してるよね」

「矢車君って、どんな人生送ってきたの?」

 

 あ、やべ……。ゲロの話題で吐き気思い出した。気分害した。

 

 そして俺は吐いた。はあ……。俺うつ伏せだから、服とか盛大に汚れたかも。

 

「わわっ! びっくりしたなあもう!!」

「…………」

 

 ……そうだ、大地を肥やしたんだと考えよう。

 つまり、これはゲロじゃない。

 ゲロじゃなくて、精神的な意味で清らかなあまり、触れた者に雪解けや朝露すら想起させる聖水。すなわち解露(ゲロ)だ。

 そう信じると、この「ゲ」で始まる汚い水分も、心なしかキラキラと輝いて見えるではありませんか。なんということでしょうね。

 

「大丈夫!?」

「………………」

 

 東西南北でいえば西っぽい手のひらが、俺の背中をさすった。

 俺は恐る恐る振り返る。

 

「サ、佐武 麻燐(サブ マリン)博士 ……?」

「何者!? 名付け親も含めて何者!?」

 

 あと、言い忘れたけど、気がついた時には、俺の中にいたしょっぱい(かたまり)(?)だかオッサンの(シータマ)(?)だかも消滅していた。

 はあ〜、すっきりした。よし、立ち上がろ。

 

「あれ……? 何この吐瀉物(としゃぶつ)(またた)いてるように見えるんだけど……?」

 

 西さんが意味不明な疑問を言い出した。

 

「なんだろ、コレ……?」

「ケーキ、パーティ、そして輝く夜にようこそ。今夜は最高のおもてなしォルルルァ!!」

 

 不意打ちで根こそぎ持ってかれた。西さんがとっさに口元を手のひらで押さえた。

 よう、ネェちゃん。俺の口も押さえてくれへんかぁ?

 

「しゃべりながらは行儀が悪いよ……」

 

 知らねーな。

 だって、俺は吐きたかったんだもん。俺にだって、ゲロっちゃう権利くらいあるだろ!

 

 第一、よく確認してほしい。西さんが着てる面接用っぽい漆黒のスーツには、一滴たりとも聖水が跳ねてないんだ。

 だから吐いちゃってもいいじゃないか。黒スーツ、略してクツは汚れてないんだからさ。見逃してくれよ。

 

「むしろ、持ち前の栄養素を差し出して、大地を肥やしたボクを(たた)えるべきだと思うんですけどねぇ……」

「あっ……ちょっ、息吐かないでよ……!」

 

 俺は「やれまれ……」ため息を漏らしただけなのに、顔面蒼白の西さんが、さらに強く口元を押さえた。

 

「君も、未練*3を砂利の上に敷いてみないか?」

「うっ……!」

 

 俺がニコッとほほえみつつ「ハァ……!」と息を吐いたら、西さんが元朝ごはん*4をチョロっと垂れ流す。

 

「ほら、もっとだ!! 君の限界はそんなもんじゃないだろ!!」

 俺は西さんの顔を正面から凝視して励ましただけなのに、西さんは即効で顔を背けた。

 

「だから、呼吸を控えてよ」

 

 鼻をつまむんじゃないよ。君は無礼者だな。

 しかも、西のヤロウは、スッと一歩引いた上、あろうことか俺達の足元に目を落としている。文句があるなら目を見て話せよ。君は無礼者だな。

 

「え……? どうして私のやつ*5も瞬いてるの?」

 

 なんや、お前はそないなことも知らんのか。理由なんて、考えるまでもないやろ。

 

「ええか? 輝いてるのはなあ、青春全部捧げたからや」*6

 

 西さんが過ぎ去りし昨晩の雫*7を指差す。

 

「いやいや、そうじゃなくってね。これ、明らかに発光(ハッコウ)してて変でしょ?」

「誰が納豆菌じゃあああ!!」

「『発酵』じゃないから!」

 

 もう怒ったぞ。こうなったら抗議の意味を込めて、体内に溜まった分、根こそぎぶちまけてやるんだから!

 

「おろろろ!!」

「あのさ、矢車君の頭はもう手遅れだけど、せめて身体は大丈夫なの?」

 

 俺の背中にそっと手が置かれた。それはともかく、

 

「あ、やば……」

 

 すぐ隣でそんな声が聞こえるやいなや、西さんが「おえっ、おええええ!」と体調を崩したのは良くないと思います。

 

「どうぞ」

 

 俺は口を拭くためのハンケチ……は持ってなかったから、代わりに札を差し出した。

 

「うん、ありが……いらないよ」

 

 西さんに突き返された

 

 つっても、こんなものを返されても困るよね。俺は札を、透明なフィルムっぽいカバーから取り出し、ビリビリに破いて捨てる。どうせオッサンはもういないんだ。敷地内に捨ててもいいだろ。

 

「きゃっ!」

「きゃっ!」

 

 札は破くそばから、ドス黒いガスっぽい……炎? らしき何かを噴出して、地面に落ちる前に燃え尽きた。ただし、俺の手にはヤケドどころか熱さすらなかったから、あれが俺のよく知る炎なのかは分からない。

 

 あ、俺の部屋、ガス止められてたっけ。俺、炎なんて、もう一年以上目にしてないや。

 

 そんな中、気まぐれに周囲を見渡すと、いつからいるのか、救急隊員らしき人物が集まっており、「患者はどっちだ!?」と慌てふためいていた。

 迷いすぎでしょ、こいつら。とてもじゃないけど、日頃から救急車に乗ってる方々とは思えない。哲学者でももっと即断即決なのに。

 

 

 返事も兼ねて、俺は体内に残る、最後の一滴まで搾り尽くした。

 俺のその行為で察してくれたのか、救急車のお兄さん達は、無事に俺のことを搬送してくれた。ありがとうございます。あと、車内を汚してごめんなさい。

 

 

 ところで、不思議なことに、病院に到着した俺の身体には、何一つとして異常は見つからなかった*8。そう、俺はほんの一時間前に、圧倒的な物量をブチまけたにも関わらず、だ。

 

 急激なストレスが原因だろうとお医者さんは予想してたけど、俺には心当たりを思い出すほどの勇気はなく、結局、俺は適当に苦笑いを浮かべようとした。ただ、俺が上手く笑えなかったり、手が勝手に震え始めたり、顔から血の気が引いたせいで、お医者さんには精神科を紹介されたけど。

 

 どうやら俺の身体は、知らず知らずのうちに、何らかの恐怖が刻み込まれていたらしい。記憶にはほとんど何も刻まれていないのにな。

 

 

 そんなわけで、俺は念のために精神科も利用してから病院を後にした。手痛い出費だけど、長い目で見ると、この程度は必要経費だろう。そう思いたい。

 

 とはいえ、いくら身体が拒絶反応を起こしていても、アパートに到着するまででもいいから、やっぱり真実を思い出してみようと俺は決意した。

 

 そうして、わずかに残っている記憶を掘り返した結果、俺はとんでもない真実にたどり着いてしまった。

 

 

 

 

 あの事故物件に住んで以来、俺は狂ってしまったのだと––––。

 

 あーもう完璧に黒歴史じゃん!!

*1
余談ですが、私が「シケモク」などとルビを振ったら、制作サイドの人間から、「R指定じゃない作品では、お子様に伝わらないネタ持ち出すなよ」という批判が溢れました。

*2
作者が今思いついた設定によれば、矢車は身長168センチ、体重48キロ。一方の西さんは身長163センチ、体重57キロ。このように矢車は痩せ型で軽いため、重厚感のある西さんのフィジカルを駆使すれば、軽々と矢ぐるmすみません失礼なことなんて考えてません!!

*3
ゲロのことです。

*4
現ゲロのことです。

*5
何度も言うようですが、ゲロのことです。

*6
違います。

*7
しつこいようですがゲロです。

*8
西「全身打撲は!? 紫イモは!? 傾斜は!?」




練習用小説のボツ構想その2


☆タイトル
 『風が止むまでそばにいて』(原作:『男子高校生の日常』)

☆あらすじ
 「今日は良い永遠暴風雪(エターナルフォースブリザード)日和ですね」

 私が彼に出会ったあの夕刻からも、私にとって、なんてことのない日常が続くはずだった。

 その風が、寂しげに(いなな)いていたことを除けば––––。




☆ボツ理由
・この作品を執筆しても、風を詠む能力しか磨けなさそうだったから
・読者にとっても、作者にとっても、この作品は一から十まで意味不明だから
・あーもう完璧に黒歴史だから

☆一言
 上記の原案は、『男子高校生の日常』に登場する作中作を模した小説であり、ジャンルでいえばギャグなのかもしれません。日常とはそういうものです。



 それと、後書きでは↑こんなふざけたことを書いていますが、今回の投稿予約後に書く活動報告では、真面目な話題を掲載する予定です。

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