今年もよろしくお願いします
かつて、僕はユミハを選び、そしてミズハを裏切った。
ミズハを死なせてしまった。
すべて僕の責任だと思う。
それ以来肝に命じたはずだった。
中途半端な優しさは偽善だ。
そんな選択をしても後悔するだけなのだと。
だが僕は愚かなことに流されやすい性格で、路上で倒れていた飼い猫を拾ったり、認知症っぽい見ず知らずの老人を家に届けたりといったことを、既に何回かしてしまっていた。
結果的に、それが良い方向に向かったかというと、実際のところは分からない。
何しろ猫はちゃんと回復したと聞くし、老人だって何処にも怪我はなかった。けれど飼い主は見つからず、老人を見た家族は顔を顰めていた。
その時、すごくモヤモヤした。
こんな気持ちになるくらいなら、やらなければ良かったとも思う。
結局、僕はこういうことが上手くいくタイプではないのだ。
しかし人が倒れていると、必ず僕の足は動く。
結界で一般人が捕まっていると放置出来なかった。
割り切ることが一番難しいのが僕だった。
だから今回も流されて、割り切れなくて。
……夏音ちゃんを放っておけなくて。
けれどそれ以上に、僕の中で彼女に対する様々な気持ちが芽生え始めているのもまた事実だった。
夏音ちゃんはこんな僕のことを友達と呼んでくれた。
それだけでその存在は大きくなった。僕も夏音ちゃんを友達だと言いたい。
勿論、深くズキズキと胸の痛みは消えてくれやしなかった。
そしてその痛みは、尚も僕に囁きかける。
――やめろ、やめろ。お前は罪人なんだよ。一緒にいたってどうせ不幸にしてしまうんだよ。
シニカルに、痛みが僕を嘲笑って。
そんな感情がどうにも気持ち悪かった。目を逸らしたくても逸らせない。
だが僕の口はそれとは反対のことを言う。
「なら、いつでも僕のところに来なよ。待ってるから」
せめて見つからないギリギリの範囲で様子を見れるようにしとかないとなんて、そう心の中で言い訳が思い浮かんで、けれど本当のところは違うのだと僕は気付いている。
夏音ちゃんが帰った後も、そのことで頭を抱えた。
そうして数日間、一緒にいなくても、携帯には夏音ちゃんからメッセージが送られてくる。
アカウントを教え合っていたから。
それは僕が落ち込んでいる時、寂しい時に限って、送信されてくるのだ。
――家主さん、こんにちは。
――家主さん、ありがとう。
その一文字一文字が丁寧な言葉を紡いでいて、夏音ちゃんの優しさに励まされる。同時に苦く、何故か納得出来ない身勝手な思いも浮かんだ。
違うと言いたかった。
僕はそんなものをもらう程出来た人間じゃないんだよ。
助けたのは偶然で、僕はそれ以上のことを何もやっちゃいない。
それがどうして。
ある意味矛盾だらけだった。
自分でも支離滅裂だという自覚がある。
これじゃあ離れたくないのか、離れたいのか、どっちが本当なのか分からない。
いつしか、いっそのこと嫌われてしまえば良いんじゃないかって思うようにもなった。
……唐突だって?
僕もそう思うよ……。
だけどこの痛みが、この苦しみが続くくらいなら、それ以上のもので塗りつぶしたいという気持ちが、ほんの少し、芽生えてしまっていた。
そしてそれが現実になった時、どれだけ僕の心をズタズタにするだろう。
それを想像すると、途端に僕に似合いだなと、更に黒々しい喜びが込み上げる。
その罰は僕に相応しい罰になるだろう。
ミズハを殺した僕に相応しい罰。
体と心を軽くさせる罰。そのままふわふわ風船みたいに浮かび上がって、空の果てにまで行けたら良いのに。
そうしたら、僕は僕でいられなくなるのかな。
僕でいられることから解放される?
昔さ、見たことがあるんだ。カール爺さんの空飛ぶ家。あんな風に目一杯風船つけたら、きっと面白いことになるんだろうなあ。
赤、青、黄色、緑、水色、紫、茶色――
虹みたいな色とりどりの風船に、きっと心も弾んで弾んで、プカプカ、プカプカ……。
そう考えたところで、ハッとなった。
あまりにも馬鹿げた考えだったからだ。
それがどういう意味か知っているだろう?
そうだ。
夏音ちゃんを傷つけるってことだ。あのボロボロだった夏音ちゃんを。
僕はすぐさまその考えを捨てることにした。
箱の中に入れて、鍵を掛けるような感じで。
でも流されかけた。こゆりちゃんとの戦いの時に。
謝ったけど、多分、夏音ちゃんには訳が分からなかっただろう。
それにホッとしてしまっている自分が嫌だった。
あれ以来……夏音ちゃんは何も聞いてこない。
本音を話す勇気もなく、そのままずるずる、ずるずると過ごしている。
罪悪感がお腹の底で膨らんでいた。
◆◇◆◇
新しい拠点で夏音ちゃんと生活する。
そうする前に色々と準備が必要だった。
まず電気、ガス、家電。
生活費をどうするか? といったものまで。
夏音ちゃんはやはりしっかりしていて、僕よりもテキパキと色んなことを決めていった。
僕はそれを手伝っただけに過ぎない。彼女には申し訳なく、だけど関心もした。
こんなにも手際が良く、器用だなんて。だからこそ時々自信がなさそうに振る舞うのが、すごく痛々しかった。
やがて少ししないうちに、秘密基地のような場所ができあがった。
部屋も分かれていて、リビングのようなものから、台所のようなものまである。
夏音ちゃんは僕に気を使ってか、いつもの生真面目そうな顔をしていたが、どこか楽しそうにしていた。
多分、こういうのが好きなんだろう。
そうやって夏音ちゃんと過ごしていると、彼女の知らない一面も見えてくる。
例えば夏音ちゃんは、半額とかポイントとかを気にしている。
いつも近くのスーパーで食料品を買っているのだが、その時律儀にチラシをもらって帰る。
そして野菜が安い日、トイレットペーパーが安い日といった、バーゲンセールを逐一チェックし、割引チケットをハサミで切り取った後は、専用のカードケースに仕舞うのだ。
無論、外食に行く時も割引券をもらう。
また朝、昼、晩、決まった時間にスマホを触っているので、興味を惹かれて聞いてみたら、ポイントサイトにエントリーしているという。
「このサイトに入ってエントリーボタンを押すと、一ポイントもらえるんです。それと、こことここのサイトを経由すると更にポイントがもらえて、この店でカードを見せるとお得で――」
「……? ……???」
「動画を見るとまた一ポイント、ゲームをすると五ポイント増えるんですよ。そんで、上手くいけば月の終わりには何千ポイントと……」
「????????????????????」
自分から聞いてなんだが、呪文のようだった。
心なしか、ポイントのことになると夏音ちゃんは熱が入ったようになる。この間なんてポイント五倍デーと聞いて瞳を爛々と輝かせていた。
それに特売デーでもあったから、その日僕も戦力として参戦し、主婦がごった返す店内の中を必死で夏音ちゃんに付いていったのは記憶に新しい。
まあ……その日はご馳走作ってくれたし(あれだけ豪勢だったのに安い値段でびっくり)、ポイントでお菓子も買ってくれたりしたから(柿の種とか、ハバネロポテチとか)、馬鹿にできないし、すごいなって思う。
なんていうか、僕の母よりやりくり上手で主婦力が高い。
ちなみに僕もポイ活を始めてみたが三日で飽きた。
面倒過ぎて続かない。
後、夏音ちゃんはアニメや漫画に詳しかった。
僕もそれなりに見てるけど、彼女はその比ではない。
正直話が合うので喋ると楽しい。新しいアニメを進めてもくれた。
――とそんな感じで、夏音ちゃんの好ましい面を知っていた僕であるが、やっぱりそれとは逆に、気になる面も見えてくる訳で。
……正直言おう。
確かに……夏音ちゃんは良い子だ。
優しく思いやりがあり、生真面目でマメだ。
だけどそれ故に妙に頑固で神経質であり、根に持ちやすい性格なんじゃないかなと思う。
ある日のことだ。
子供が迷子になったのを見つけたので、一緒に親を探すことになった。
しかしその子ははっきり言ってあまり良い子ではなく、ワガママだし、すぐに泣いた。すると同情的だった夏音ちゃんの目の色がサッと冷たいものに変わったのだ。
一瞬ちょっと怖かった。
その後無事親と会えたが、同じように迷子を発見した時、警戒したのか自分から助けようとはせず、むしろ迷う素振りを見せていた。
それ以外にも、店員の対応が悪かったらその店には二度と行かなくなった。
親のことがよっぽど好きじゃないのか、家族写真やアルバムなど、家庭環境を匂わせるものはすべて、家に置いてきてるようだった。その拒絶っぷりは尋常じゃない。
彼女は、他人からされた嫌なことをずっと覚えてる。
本人が許せばそこまでないけど、許せなかった場合、ねちっこく恨み続ける性質があるようだ。
だから嫌いなものは嫌い。好きなものは好き。
そこにグラデーションはあるだろうが、好き嫌いがはっきりしているように見える。
あれだけキッパリした物言いをするのも、それが原因だろう。
つまり逆を言えば、白黒つけたがる性格だということだ。
理屈屋で潔癖。それが彼女の根っこの部分。人によってはキツいんじゃないだろうか。
だけど僕は優柔不断なので、そういう点は羨ましいと思う。
僕も彼女のようにあれたら良かった。
彼女のように自分をしっかり持てたら、色んなことに悩まず、気にせずにいられたろうか。
いや……結局のところ、何も変わらない気がする。
僕が僕である限り、僕は今のようになるしかない。
一族に縛られ、ユミハを選び、ミズハを……。
そう思った時だった。
ふとこゆりちゃんの言葉が脳裏を過った。
――ミズハの死は誰かに誘導された。
――ミズハが死んだのは全部、キュゥべえが悪い。
あの子は確かに言ったのだった。
気に病む必要はないのだと。むしろ抱え込みすぎであるのだと。
自分だって死を纏った目をしていたくせに。あんな同情的に、憐れむように。
……僕はあの時、心の奥底では怒っていた。
軽々しく言うな、お前に何が分かると叫び出しそうになった。
だって、それは絶対あり得ないことで。
だったらあんな風にミズハは泣いてなくて。
そんな風に狂おしい感情が暴れ出しそうになったけど、でもその時、夏音ちゃんが側にいてくれた。
こゆりちゃんが帰った後、手を握って「大丈夫」って言ってくれて。
僕は――
『ゲームオーバー!!』
……!?
ふいに大きな音が鳴ったので驚いてしまった。
思わず「うわ!」と声を上げてしまうくらいには。すると、同じ部屋で本を読んでいた夏音ちゃんが顔を上げた。
「家主さん? どうしたんですか?」
「え……ああ、ごめん。少しボーッとしちゃって」
そう謝りながら、僕は手元のコントローラーを弄る。そのケーブルは古いテレビに繋げられていた。
そう。僕は今の今までで、これでゲームをやっていたのだった。
舞台は宇宙。飛行機のような船からビームを出し、宇宙人を倒す何処にでもあるようなアクションゲームだ。
このゲームの売りは、確かに爽快感だった気がする。
難易度がそれほど高くないからバンバン敵を倒せて、船はどんどん強くなる。夏音ちゃんから進められてやってみたんだけど悪くなかった。
だからずっとここ最近はプレイしていたんだけど……どうやらぼんやりした間にやられてしまったらしい。結構良いところまでいってたから落ち込む。
と、夏音ちゃんがこちらに近づいて、画面を覗き込んだ。
「え、家主さんすごっ。最終ステージまで後一ステージですね」
「ちょ……追い打ちかけないでよぉ。僕、めっちゃ頑張ったんだよ」
「あ、ごめんなさい」
そうして、本を床に置き、ゲームオーバーの文字に目を細めて。
「まあ……“ゲームは無限にコンティニュー”出来ますから……」
「……」
「えーと、せっかくですし、私も一緒に遊んで良いですか、これ。そう言えば協力プレイとかもありましたよね」
「うん」
頷けば、夏音ちゃんはもう一つコントローラーを持ってきて、それをテレビに接続した。
メニュー画面に戻って、モードを選択。
「どうせだったら最高難易度のスーパーヘルにします?」
そう戯けたように、夏音ちゃんが隣に座りながら言うので、逆に大丈夫なのかと聞き返せば、
「一人じゃないんですから。私には家主さんがいますし、家主さんには私が付いてます。それとも……自信ないですか?」
「いいや。じゃ、そっちこそやられないでよ」
僕も笑いを浮かべると、スーパーヘルモードをオン。
ゲームスタート。
浮かんだ星空に、敵がいっぱいに現れた。
僕達の船は、すぐにビームを打ちまくる。その光が拡散して、拡散して、面白いくらいに敵がやられていく。でも次々と新しいキャラが追加されるから、相手が放つ光線の量も増していって、避けることも難しくなってくる。ここら辺は流石スーパーヘル。
「コンニャロ、えい、えい!」
僕の側では、夏音ちゃんがコントローラーを必死に動かして、船を操作する。
お世辞にも上手とは言い難い。HPがどんどん削られていく。しかし段々とパターンを掴んだようで、徐々に回避が出来るようになっていった。
きっと学習能力が高いタイプなのだ。分析力と観察力がある。でもコントローラーに合わせて体が右に傾いたり、左に傾いたり。いちいち悔しそうにするから、見ていてとても面白い。
僕も負けじとボタンを連打。やり込んだからこれくらい捌くのはお手のもの。
やがてステージのボスが現れた。
タコのような外見の、一つ目の怪物だ。そのうえ顔がぐちゃぐちゃで、「いつ見てもブサイクですよね」と夏音ちゃんは呟いた。
相変わらずの毒舌ぶりだ。容赦ない。
「行きますよ!」
掛け声に合わせ、夏音ちゃんの船が動く。最早慣れた手つきでちょこまかと嫌なところからビームを連射。ボスからしたら、多分かなりうざい。
僕は逆に、真正面から行く。夏音ちゃんが陽動してくれるから弱点を狙える。そのまま押し切って、押し切って、押し切って――
『ゲームクリア!!』
テッテレー! とクリアを告げる安っぽい音が響いた。
実に二十分もの格闘の末に勝ち取った勝利。苦労した分、自然と僕の口角が上がる。
夏音ちゃんもやり遂げた感じで、僕の方にひらひらと右手を振ってみせた。
ああ、もしかして……と思い、僕も自身の右手をその掌に合わせる。
ハイタッチだ。
「イエーイ」
「イエーイ!」
僕が応じたのがよっぽど嬉しかったのか、夏音ちゃんはニコニコと微笑んだ。こういう時、彼女はいつも素直なのだ。思いの外幼い顔で、子供っぽく笑う。そして、そういったところが夏音ちゃんの可愛いところだ。
本当に……可愛いんだよなあ。
「……」
と、また、頭の中が思考の海に引き摺り込まれた。
ふと、僕にとって彼女は何なのだろうと考えてしまった。少なくとも夏音ちゃんは僕に懐いてくれていている。恩人、先輩……夏音ちゃんからすればそんな感覚だろう。
一方で僕は、この子を単なる年下の子とは見ていなかった。
妹達への想いとはまた違うというか……。
頼りがいもあるし、何かを委ねてしまいたくもなる。
ホッとするし、ホワホワする。
よく分からないなと、正直に思う。
よく分からない存在が夏音ちゃんだ。
これが友達へ向ける感情なのだろうか。
そこまで考えたところで、夏音ちゃんがさっきからこっちを見ていることに気が付いた。
「じー……」
それこそ、僕の顔を穴が開くほどに。それに何だかすごい熱視線のような。
ていうかそう見られると……、
「あ、あの。よく分かんないけどすごい照れる。へ、変なものでもついてるの? 僕の顔」
「いえ、ぜんぜん」
が、夏音ちゃんはズバッと言いきった。
それはもう心地よいくらいにズバッと。
「でも、綺麗な顔をしてるなあって思って。家主さん、美人さんですよね」
「ええ? そう?」
いまいちそう言われても実感がない。というのも自分の容姿には自信がないからだ。
何だかのっぺりしてるし……普通じゃないのか?
「けど、もったいないですよ。そんなに髪も長かったら色々出来るし……いやショートに切ってもそれはそれで……」
「あの、夏音ちゃん? 夏音ちゃん〜?」
何を想像しているのか、夏音ちゃんは突然、ふふふ、と笑い声を漏らし始めた。
かなり怖い。いや、ふんすこ鼻息荒くして、やるぞと拳を握りしめているのは、ちょっと可愛いけどさ。
「うん。決めた。家主さん家主さん」
そうして、いつのまにか下げていた顔を上げ、真正面から僕に向かって、
「唐突ですけど、今週末、デートしません?」
と、デートを申し出てきた。
「へ?」
当然――その誘いに僕の思考は硬直する。
何を言われているのか少し、混乱した。
えーと、デートってあのデートで良いんだろうか。
恋仲の男女が仲睦まじく出かけて、手を繋いだり、キ……キスをしたりする、あの……。
しかし……すぐに冗談だろうと思い直す。
別に告白ってわけじゃないのだ。
恐らく、今度遊びに行こうって言われているんだろう。そうとしか考えられない。
予定も空いているし、僕はすぐに返事を返した。
「良いよ。ならエスコトートしてくれる? 夏音ちゃん」
「はい!」
途端、夏音ちゃんはパァと顔を輝かせる。
「じゃあ寝巣扉市! 寝巣扉市に行きましょう!! 電車に乗ればすぐですよ」
「……あ」
そう言われて、僅かに声を漏らす。
…………。
電車……、乗り物酔い……。
どうしよ……。
あそこの電車は人も多くて揺れも酷いのだ。
すっかり忘れてた事実に、僕は内心青ざめた。
しかし今更断ることも出来ず、「楽しみだな〜」となんとか夏音ちゃんに言うのだった。
いや……本当に、どうしようとすざまじく焦りながら。