こうして。
私は無事、家に帰れることになったのだった。
正直言ってもの凄くホッとしていた。
最初は家に帰れないんじゃないかって思ってたからだ。
でもそれとは別に……まだ少し怖かった。
少しだけ、家族に会うのが怖かったのだ。
だって家族は今まで私を見なかった。
側にいてくれたのは家主さんだけだった。
それなのにいざ会うとなると、私はどうすれば良いのだろう。
何て言えば良いのだろう。
何と言われるのだろう。
そんなことをやはりぐるぐると考えてしまい、その度に自己嫌悪に苛まれた。
だが家主さんはこんな時でも私の側にいてくれた。
ずっとずっと手を握ってくれた。
なんだかそれだけでちょっと泣きそうになり、実際に泣いてしまった。
家主さんは何も言わなかったけど一人にしなかった。
いつも通り。
そしてこゆりさんやみいかさんも。
私が泣き止むまでそっとしておいてくれた。
やがて未成年を保護しているという施設からもうすぐ迎えが来るという連絡が来た。
みんなで階段を降りてる時、みいかさんから説明を受けた。
職員は魔法少女のことを何も知らない。
だがなんらかの事情があるのだろうということは彼らなりに分かっているのだ、と。
だから余計なことは言わず、魔女や魔法のことを話すのは禁止。
「後、結はちょっとこっち来て」
と、玄関に着いたところで、そのみいかさんが家主さんを呼んだ。
ハテナマークを浮かべ、家主さんがみいかさんの側に寄る。
すると彼女は許可を取ってから家主さんの手を取り魔法を使う。一瞬だけ淡い淡い紺色の光が、繋がれた手のひらから発光する。
「これって……」
困惑する家主さんに、不思議がる私。
みいかさんは家主さんから手を離しながら言う。
「さっきも言ったけど、酔い止めの魔法だよ。アンタ、ここに連れて来られた時すごく具合悪そうになってただろ? せっかく夏音を送り届けようって時に、またそれじゃあ締まらないだろ」
「――酔い止め」
途端に家主さんがぶるぶると震え出した。
それはもうぶるぶると。
「本当に……効くの?」
と呟いて。
みいかさんが引いたように一歩下がった。
「え、何。なんなんだ? 勿論ちゃんと効くよ。固有魔法まで使ったんだぞ? ていうか、具合悪いのその魔法で軽減させたんだが……?」
「あ、もしかして急だったから怒らせちゃったとか……? す、すみません結さん。コイツに悪気はなかったんです。ただ結さんを心配して勝手にやっただけで……」
「いえ、これはむしろ……」
私が勘違いを訂正しようとすると、今度は家主さんからみいかさんの手を取って、ぶんぶんと縦に振った。
みいかさんはますます、うげぇとドン引いた感じを隠さない。
家主さんが感激して泣いていたからだ。
「ありがとう……ありがとう! まさかこんな日が来るだなんて! 僕は積年の苦しみから解放されるんだね! ありがとう!」
「は、はい? 積年の……苦しみィ? どゆこと?」
「家主さんの車酔いは小さい頃から酷くて薬も効かなかったそうです」
「それで喜んでんのか?」
「そうだったの……それが今日ようやく……」
何故か「良かったなぁ」みたいに横で感動しているこゆりさん。
みいかさんは困り果てたようにこゆりさんを見てから、溜息を吐いたのだった。
「大袈裟過でしょうが。まあ効果は二時間ぐらいだから、そこは気をつけてよ」
「分かった」
……などというぐだぐだな一幕がありつつも、私達は全員外へ出た。
駐車場で待っているとやがて十分後に、見慣れぬ車がこっちに来て停まった。
白バンで、結構大きい車だ。
車体には施設の名前らしきものが書いてある。
その車の窓が開き職員さんらしき人が運転席からひらひらとこちらへ手を振った。
「よろしくお願いします」
こゆりさんが職員さんに挨拶する。
そして私と家主さんが別れの一言を言ってから白バンに乗る直前、気を使うように言った。
「夏音」
「はい」
「無理は……しないようにね」
「はい……ありがとうございます」
そうして完全に私達が後ろの座席に座ると、職員さんは車を発進させたのだった。
◆◇◆◇
白バンは私達を乗せて牛木草の町を走り続けていた。
遅過ぎず、でも早すぎない速度で。
それが返って妙に落ち着かなかった。
段々と見慣れた町並みを見ていると、ああ本当に今から家に帰るのだなと変な実感が湧いて、腹の底がぐるぐるした。
空は少し暗くなってきている。あれから随分と時が経ったのだと思わせた。
車内は無言に満ちている。
私のせいだ。私が落ち込んだ顔なんてしてるせいだ。
だから誰もが気まずそうにしている。
でも、家主さん(本当に酔っていなかった。普通にすごい)はこんな時でも私の手を握り続け、気を使ってくれていた。
それだけ私は身に余る程の、少しの安らぎと安心感のようなものを感じた。
本当に家主さんがいなかったらどうなっていただろう。
多分不安でいっぱいで、今でも泣いていたのかもしれない。
繋いでくれてる家主さんの手のひらは、あったかい……。
「……菊名さん」
そこで職員の人がバックミラー越しに私達の方を見た。
その人は男の人で、鷹蔵さんと比べると少しばかり年下の、柔和そうな人だった。まあ暴力団関係の人と比較すれば当然なのだが、普通に何処にでもいる人に見えた。
だが事務的な訳でもない思いの外丁寧な言葉使いで、話しかけてくる。
「菊名さん、大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
心配してくれたのだろう。
私が出来るだけ平静な声音で返すと、職員さんは自然な流れで会話を繋いだ。
「そうですか。ですがこゆりさんの言う通りあまり無理はなさらず。この後も何かあればいつでもご相談ください」
「相談……」
しかし相談……と言われてもな。
今までこう言う大人の人に助けを求めるとかやったことないし、どうすれば良いのかなんて分からない。
どのように返事を返せば良いのか迷っていると、
「些細なことで良いですよ。二十四時間対応という訳には行きませんが、時間の許す限りは、お話を聞きますから。我々は、行き場のない子達や悩んでいる子達を助けるのが仕事ですからね」
職員さんはまるで私の事情を見透かしているような言い方をした。
ドキッとすれば、苦笑するような気配。
「まあ、あんな事件があったんです。お疲れでしょうし、今は無事に帰ることだけを考えましょう。ご家族も心配されていたようですし、特にお兄さんはホッとされていたようですよ」
「……兄さんが? 彼はなんて?」
「ありがとうございますと。夏音が無事で良かったですと。そうお電話で言っていました」
「……」
「良いお兄さんですね」
車が交差点に差し掛かったところで止まった。
信号機の色は赤。
私は複雑な気分で話を聞き続ける。
「菊名さん。先にご自宅に着いてからのことを説明しますね。まず、ご家族にはこちらから事情をお伝えしております。今回、事件に巻き込まれたこと。それで一時的に所在が分からなくなっていたこと。その後、こちらで保護していたことですね」
「はい」
「ただ、事件そのものについては、私達にも分からないことがあります。少々特殊な事情が絡んでいるのでしょう? なので、こちらから余計な推測を付け加えたりはしません。ややこしくなるので」
「……分かりました」
「それから、ご家族とお話ししていただいて、問題がなければそのままご自宅に戻っていただきます」
「問題があれば?」
するとこれまで黙っていた家主さんが口を開いた。
驚いて隣を見れば家主さんは真剣な表情をしている。
職員さんは再びバックミラー越しにこちらを見て、少し間を空けてから答えた。
「その場合でしたら、すぐに帰らなければいけない、ということではありません。うちは、そういう子のための施設でもありますから、そこでしばらく実際に過ごすことも出来ますよ」
「……」
「事件に巻き込まれた子だけじゃないんです。家庭の事情だったり、学校でのことだったり……一時的に家から離れていた方が良い未成年を預かることもあります。民間の施設なので、児童相談所のような公的機関とは少し違いますが……そうですね。必要な時に、少しの間だけ逃げ込める場所……くらいに思っていただければ幸いです」
その時、信号機が青に変わる。
車が再度進み始める。
私は職員さんの言葉に面食らったような気持ちになった。
だって、逃げ込むって。
この私が?
現実なんて一度もどうにもならなかったこの私に、今更逃げ場所なんて存在して良いのか分かんないよ。
「……私も、そうしていいんですか?」
「勿論です」
聞けば、あまりにもあっさり答えられた。
「帰ってみて、やっぱり無理だと思ったら言ってください。家に帰った後でも構いません」
「……」
「助けを求めていいんですよ、菊名さん。困った時に助けを求めるのは、悪いことじゃありませんから。そしてそちらにいる貴女も。貴女も何かあればいつでも頼って下さって大丈夫ですよ」
「え、僕ですか」
と、ふと声をかけられてびっくりした様子の家主さん。
職員さんは優しく言った。
「菊名さんの付き添いしてくれてるんですよね。ありがとうございます。確か……広実さんでしたね。日華さんからお話は聞いていますよ。出来れば目をかけてあげて欲しいと。難しい家庭の子のようだからと」
「難しい……あはは」
家主さんは心当たりがあったらしく、どうにも微妙そうに乾いた笑みを浮かべる。
彼女は私と似た思いになったのか、何処か納得のいかないような表情で目を細めた。
「…………」
それから少しだけ長い沈黙が続いた。
車が二度目の大きな交差点を曲がる。
職員さんが、ふと思い出したようにまた口を開いた。
「そういえば、菊名さんは日華さんとお知り合いでしたよね? 日華さんと施設の繋がりについて、何処まで聞いていますか?」
「えーと……」
そこで私はニッカさんから聞いたことを話した。
それは概ね正しいらしく職員さんは頷いた。
「ええ、そうですね。うちは民間の保護施設。公的な機関に属さないからこそ、日華さんのような方ともお付き合いさせていただいております。日華さんからしてみても、うちは都合の良い組織のようです。と言っても、悪い意味ではありません。うちとしても、助けを必要としている子を預かることが出来る。日華さんとしても、自分一人では面倒を見切れない子をきちんとした大人のいる場所へ預けられる。そういう関係です。とは言っても……」
職員さんはハンドルを握ったまま、小さく息を吐いた。
「私達としては、少し複雑なところもありますけどね」
「複雑?」
「……そうです。複雑です。あの子はまだ未成年です。それが何だってあんな風に他人のことを考え動き続けるのか。抱え込み過ぎて、大変そうで、心配ですよ」
それにですね、と職員さんは続けた。
「やっぱり最初に会った時はそれはもう困惑しまして。突然協力を求めらてくるし、強引だしですったもんだんで。おまけにあんな小柄な子が暴力団のトップなのだと知って、皆震え上がってました」
まあ、そりゃあそうだろう。
白狼組の名はそれだけ恐ろしいものなのだから。
ましてやそれをただの女の子が率いてるなどと言われたら、誰だって訝しがるし、奇妙にも思う。
「ですが思いの外付き合ってみると真面目で、明るく、あの子のおかげで、本来なら助けられないような子も救えるようになった。我々は日華さんに感謝してるんです」
「……そうですか」
「だからと言って、日華さんのことを何でもかんでも肯定しているわけではありませんよ」
「……」
「そこは誤解しないでください」
だからこそ、そのことを含めて複雑……か。
色々と裏ではあるみたいだ。
私には想像つかないような、難しい話。
「ただ、あの子は意外と合理主義者だからこそ人と関わるのが上手なんですよ」
「合理主義……?」
「ええ。自分一人で出来ないことなら、出来る人に頼りますし、自分ではどうにもならないことなら、助けを求める。そこをちゃんと理解しているんです」
「……」
「その部分は私は偉いと思っています」
職員さんはハッキリとそう言った。
「助けを求めることを恥ずかしいことだと思っていないんですよ。自分で出来ることと、出来ないことを分けて考えている。だから、必要なら我々にも連絡してくる。もしかしたら、君達にも助けを求めることもあるかもしれません」
「私達に?」
「あの子は使えるものは何でも使いますからね。容赦なくビシバシと……今思い返しても……」
すると一瞬だけ声音は暗くなって、失礼と一言言われる。
「ともかくあの子は、助けると決めた相手については、最後まで気にかけます。自分で面倒を見切れないなら、我々に預ける。自分だけでは危険なら他の人間を頼る。それでも駄目なら、更に別の手段を探す」
「……」
「要するにですね」
職員さんは一度言葉を区切った。
「日華さんは、自分が全部やらなければならないとは考えていないんです」
その言葉が、不思議なくらい胸に残った。
「……それって」
家主さんが呟く。
「結構、大事なことなんじゃないですか?」
「ええ。私はそう思います」
職員さんは頷いた。
「助けを求めるのは、悪いことじゃありませんから」
「……」
「むしろ、助けを求められないことの方が危険な場合だってあります」
車内が静かになる。
私は膝の上で繋がれていない方の手で拳を握った。
「……でも」
声が漏れた。
震えていた。
「誰かに助けてって言ったら……迷惑じゃないですか?」
「どうしてですか?」
「え?」
「迷惑かどうかは、助けを求められた側が考えることです。少なくとも、助けを求める側が最初から迷惑だからと決めつけて、一人で抱え込む必要はありません。我々だって、助けるためにここにいるんです」
優しい言い方だった。
押し付けるようなものではない。
それは本当に優しい言い方。
「無論いつでも何でも出来るわけではありません。ですが、それならそれでこれは難しいと伝えます。その上で別の方法を考えればいいんです」
「……別の方法」
「はい」
職員さんは言う。
「だから菊名さんも、広実さんも――何かあれば頼ってください」
「……はい」
私は小さく頷いた。
それだけだった。
それだけなのに、胸の奥に何かが引っ掛かったような気がした。
助けを求めていい。
そんなことを大人の人から言われたのは、いつ以来だろう。
いや。
もしかしたら、今まで一度も言われたことがなかったのかもしれない。
だからこそ、こんなにモヤッとするのだろうか。
自分のことなのだから、自分で何とかしなければならない。
出来ないなら、自分が悪い。
そんな感じで怒られてきたのに、何で今は真逆のことを言われるの?
でも。
そんな風に感じるのは捻くれた心で。
せっかく優しくしてくれるのにそう考える私は、きっとどうしようもない程、捻じ曲がってるんだろうなと思った。
「……」
家主さんもまた何も言わない。
ただ、ずっとずっと相変わらず私の手を握っている。
まるで、ここにいるとでも言うみたいに。
私はその手を、ほんの少しだけ握り返した。
すると家主さんがこちらを向く。
「……どうしたの?」
「いえ」
私は首を横に振った。
「何でもないです」
「そう?」
「はい」
何でもない。
そう言ったけれど。
本当は、勿論違った。
でも呟いた。
「……ありがとう家主さん」
思わず呟く。
「え?」
「職員さんもありがとうございました」
「……」
バックミラー越しに目が合った。
職員さんは一瞬だけハッとして、何故だか悲しそうな顔になった。
「はい」
それから車内に、再び静かな時間が流れた。
窓の外を眺め続けた。
見慣れた道。
見慣れた建物が過ぎていった。
そして――。
「あ……」
白バンがゆっくりと速度を落とした。
見えてきた。
私の家だった。
心臓が、どくんとどくんと大きく鳴った。
「もうすぐですよ」
「……はい」
家主さんが握ってくれた手をギュッとする。
車が家の前に停まる。
エンジンが切られた。
私はしばらく動けなかった。
帰ってきた。
本当に、帰ってきたんだ。
でも怖い。
それでも。
私はゆっくりと息を吸った。
「……行ってきます」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
ただ、握られた手の温かさを確かめてから。
私は車のドアを……開けた。