ーーそれは、いつかどこかであった出来事だ。これは、その少女にとって、忘れられぬ記憶であった。
そこは、三滝原のデパート内だった。しかしデパート内と言っても、店や行き交う人々の姿はなく、また照明の類いも少ししか存在せぬ薄暗い場所だった。
かわりにあるのはコンクリートの柱に地面といったものであり、さしずめ建物内にある駐車場のような感じではあったが、車などは止まっておらず、またそのための白線もない。ただ、建物の資材だけが寂しく置かれてある。そう、そこはデパートの改装工事が行われているエリアなのだ。しかし、どうも工事は進んではおらず忘れ去られているようだった。
当然そんなところに誰も寄り付くはずもないが、しかし奇妙なことにその空間にて、二人の少女が互いの武器を構えて相対していた。
「一体、貴女は何者?」
そう聞いたのは、銃を持つ黒髪に黒の衣装の魔法少女。腕には円形の盾をつけ、左手の甲には宝石が輝いている。
「覚えていない、という風でもないですね。今回の貴女は、私のことを知らないんですね。ですが私は知っていますよ、暁美ほむら」
対するハルバードを向けた魔法少女は、同じく黒をメインに構成された衣装で、深々と帽子をかぶり仮面をつけていた。そのせいで表情はまったく分からず不気味な雰囲気を感じる。
「貴女、どうして私の名前を知って…!? いえ、誰に教えてもらったの?キュゥべえ?それとも別の魔法少女かしら?」
「教えてもらった、といえばそうですね。はい、教えてもらいましたよ、すべてキュゥべえに。ただし、こちらのキュゥべえとは話したことはないんです。つまり、教えてもらったともいえるけど、教えてもらってないとも言える」
「……それは、どういう意味?まどろっこしいしゃべり方をしないで、はっきりと答えなさい。貴女は何者で、何で私のことを知っているの!?」
苛立ったように黒い魔法少女、暁美ほむらが言う。それに、どこか悲しそうな、憐憫のような感情で、もう一人の魔法少女がほむらを見たのは気のせいだろうか。ふいに、仮面から覗く口元が笑った。その笑顔もまた、何かを憐れむようなものなのであろうか。
少女は仮面を取りながら、挨拶をした。
「はじめまして、時間操作魔法の使い手さん。私は菊名夏音だよ。かつて貴女と会ったもの。貴女の同類であり、ウロボロスの輪にその首を差し出した魔法少女です。私は絶対に貴女のことをーー」
ほむらが、驚いた表情をする。夏音が、それに微笑する。二人の魔法少女はーー
◇◆◇◆
「おはよう、夏音」
自室のベットで目を覚ましたら、少年の声が聞こえてきた。いや、これは正確にはテレパシーなるものであって、この聴覚が捉えたものではない。自分はあんなやつの声など聞いちゃいない。じゃあ、目の前の小動物は一体何だと言うんだ。この小動物はそう、マスコットである。だが、そんなマスコットなど現実にいるはずがない。
つまりはこれは夢である。夏音は目を覚ましたわけじゃない。だというのなら、夢の中でもカッコをつけたいものだと、逆に開き直る。夏音は片手で顔を覆い、指の間から覗いた目を閉じて、しばらくもったいぶってから大げさに見開いた。
「宇宙の彼方より舞い降りた、血の瞳の淫獣よ。我に、この地獄の底から具現化せし悪魔の血の力を、与えにきたのか?」
「…………淫獣、血の悪魔?」
「とぼけても無駄だぞ、血の毛皮を持つ白き小動物。邪悪なる血の魔眼の持ち主たる我を。フフフフ、わかっておるのだろう?なあ?」
「いや、訳がわからないよ。それよりも、何のことを言っているんだい、夏音?」
「………。何でもないですよ!!あーくっそ、言うんじゃなかった!!」
夏音が赤面した顔を両手で隠しながら、項垂れる。心の中では、後悔と羞恥でいっぱいになる。そして、夏音はひっそりと脳内で悶えに悶えまくった。穴にあったら入りたい、とはよく言う言葉ではあるが、本当に穴に入りたい気分である。
「………えーと、キュゥべえ、でしたっけ。貴方の名前は」
「そうだよ」
「じゃあキュゥべえ。聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい?」
「何でまだいるんですか!!昨日出て行ったはずなのに!!」
魔女を倒した後、その頃にはもうすでに外は暗くなっていた。それに、夏音の兄が勤め先からちょうど帰ってきたのだ。だから二人の魔法少女は(というかサチが入理のを連れて勝手に)、彼に見つからないよう窓からそれぞれの家に帰っていったのだ。そして、その時にこの小動物も一緒についていったはずなのだ。なのに何故ここにいるのだ。しかも、また不法侵入で。
「実はサチから伝言を頼まれて、またここにやって来たんだ」
「サチって、あの船花から………?」
「魔法少女体験コースはまだまだ続くから、覚悟しとけよ。こなかったらただじゃおかないんだから、だそうだよ」
瞬間、眉を潜めた。魔法少女体験コースに参加しろとは、そういえば昨日もサチが言っていた気がする。魔女のことでついすっかり忘れていた。そうか、まだ続くのかと夏音は苦々しく呟いた。
しかしそれにしても、運が悪すぎるのにも程がある。昨日も大変な目にあったのに、また魔女の結界へと足を踏みいれることになろうとは。速攻でお断りしたい。しかし、そんなこともできないんだろうなーと若干諦めたように、夏音は溜め息を吐いた。
なにしろ、船花サチ様の命令なのだ。あの柄の悪い後輩に逆らったらどうなるのかわかったものじゃない。それにそもそも、彼女は強大な魔女と渡り合う強さを持っている。自分ごときがどうにかなる相手でもない。結局のところ、拒否権などないのである。
「ちなみに、今日の十時に、入理乃がここまで迎えにくるそうだよ」
「あの子もかわいそうですねえ、どうせパシりにさせられてるんでしょう?」
立場上で見れば、サチよりも入理乃のほうが先輩だ。普通、こういうのは逆なはずなのだが、どうも二人の性格によってその関係性は反対になっているようだ。ガツンと一言言わないといけないのでないか、と夏音は思うのだが、まあそう簡単にはできないのであろう。本当に、難儀なことである。
時計を確認すると、もう午前八時だった。休日の朝にはいつもこの時間に起きるが、約束の時間にはあと二時間と残りわずかである。彼女はキュゥべえを自室の外へと追い出し、普段着に着替えると、部屋を降りて一階のリビングへ行った。
と、そこで空腹に訴える、カレーの良い匂いがしてきた。きっと、誰かが昨日作りおきしていたカレーを暖めなおしているのだろう。案の定、台所に到着すると暖めたカレーのルーを先客がご飯にかけていた。
夏音はその先客に近づくと挨拶する。
「おはようございます。兄さん」
「ああ、おはよう、夏音」
夏音の兄、菊名
皇紀は夏音とは大分年が離れていて、実家暮らしをしている。市役所で働いている、いわゆる公務員であり、公務員になった理由は単純で給料が安定しているから。このご時世の不景気に不安を懐いたのか、とにかくそういう仕事を選んだようである。投資も密かにやっているようで、着実に貯金はたまってきているらしい。我が兄ながら本当にしっかりしていると、夏音は皇紀のことをそれなりに評価していた。
夏音は兄から皿をうけとると、スプーンをとってそのまま机の席に座り、皇紀もまた同じように皿とスプーンをおいて、二人は食事を始めた。
「母さんと父さんは、今日も遅いってさ」
皇紀がカレーを食べながら言う。
菊名夏音の両親、菊名夫妻は、共に働いている会社員だ。同じ会社で働いているが、部署は違うらしい。その関係性はわりとドライだが、別に愛し合っていないわけではないらしい。今日は休みであるが、しかし会社の都合により、働きに行っている。
「じゃあ、私が何かつくりますね。何が良いですか?」
「焼き魚」
「相変わらずヘルシーなものが好きですねえ。あと、兄さん。今日ちょっと用事があって外に出掛けます。十時に友人が来るはずです」
「じゃあ、皿洗いをやっておこうか?」
「いいの?じゃあ任せますね、皿洗い」
兄妹は匙を口に運び続ける。早く食べおわらなけば、と夏音が思ったその時ふと、いつの間にかキュゥべえが机のはしにいることに気がついた。思わずぎょっとして手をとめた。怪訝そうな顔の兄に慌てて、
「に、兄さん。これは違うんです、この小動物は、連れ込んだとかじゃなくて、勝手に入り込んできてーー」
「……夏音、何を言っているんだい?動物なんてどこにも……、そうか、そういうことか」
一人納得したような顔をする皇紀。手を頭に当ててポーズをとる。そして、ニヤリと笑った。
「我が妹よ…、ついに禁断の獣と契約したのか?」
「いや……。契約はしておらぬ。我は血の悪魔。淫獣の誘いになど、のりはしない」
「夏音、君の兄も君と同じような趣味を持っているのかい?」
同じようにポーズをとる夏音に向かって、キュゥべえが質問した。しかし視線を感じるが、あえてスルーする。この場では、とても肯定したくなかった。
皇紀は確かにしっかりしている。が、裏の顔はこの通り残念な中二病患者だ。我が兄ながら本当に恥ずかしい。まあ、夏音も人のことなど言えないのだが。
「あの、あのね、兄さん。本当のところマジで何でもないんだよ?この小動物は闇の組織に開発されたというか血の味を求めるただの淫獣で…」
「うんうん、わかってるって。人間の死体を食らう悪魔なんだろう?」
「兄さん、違うって。ただの淫獣ーー」
「やれやれ、淫獣じゃないんだけどね。夏音、心配しなくて大丈夫だよ。姿は見えないし、声も聞こえない」
「!?」
そんなの初耳だ。一体どういうことなのだと、視線でキュゥべえに説明を求める。するとキュゥべえは尻尾をゆらゆら揺らし、説明をしてくれた。
どうやら話を聞く限り、キュゥべえの姿は魔法少女かその素質がある少女ではないと視認できないらしい。声もテレパシーであり、他の人には聞こえない。あと、自分が中継することで、夏音にも他の人にテレパシーを送ることができるという。
ちなみに魔法少女は自力でテレパシーできるとか。使えれば電話いらずで便利かと思いきや、距離に限界があるらしい。地味に不便なので、何事も万能ではないんだなとぼんやり夏音は考える。
「……ところで兄さん。例えばの話なんですけど、何でも一つだけ、魔法で願いを叶えてもらえるって言われたら、どうしますか?」
「フフフフ…、そんなの決まっているだろう!!魔眼だよ、魔眼!!そして、魔法を使えるようにしてもらう!!」
「あの、そういうのじゃなくてですねーー」
「あと、彼女と会いたい!!具現化して欲しい!!」
“彼女”とは、人気のアニメのキャラ、ハニーガールのことである。名前の明るい印象とは裏腹に、その立ち位置は悪役であり、仮面をかぶり黒い服装にハルバードをふるう、ドSキャラだ。作中でもっとも救われない人物であり、その過去と末路は悲惨すぎるとファンの間で評判だった。ちなみに夏音もそのキャラが好きだが、兄と比べるとその愛情は赤子レベルである。
「兄さん。もう一度言いますが、そういう話じゃないんです。真面目な話なの、こっちは真剣に悩んでるんです。もうちょっとちゃんと考えて」
「おお、すまん。…そうか、現実的にねぇ。そうだなあ……、何も思いつかんわ。そういうお前は?」
逆に問われ、返答につまった。まさかこちらに質問し返されるとは思ってもいなかった。一瞬、ちらりと尻尾をふるマスコットを見て、
「そうですね………。特にないですね」
「だよなあ、こういうのって、わりと思いつかないよなあ」
「ですね。あー、そうだ。老後を保証してもらう、とかは?」
「そんなものを願うというのもなあ。あ、そうだわ。今思い付いたけど、願いを保留にする、ってのはどうだ?」
これから先、人生には色々な出来事がある。悲しいことや、楽しいこと。そして、人生の節目にもいつか直面するだろう。そんなときに、いざとなったら魔法によって、願いを叶えてもらう。そのために願いを叶えることを、それ自体を先伸ばしにする。それが一番賢い願い方じゃないか、と兄は言った。
「何でも願いが叶うなんて、そんな都合が良いことをパッと決めてはならないと思うんだよ、俺。だから、こういう願い方をするかなあ、俺だったら」
「なるほど。思い付きませんでした、そんなこと」
関心したように言う夏音。それに、そうか、と照れる皇紀。その仲が良い二人の兄妹を、キュゥべえは見つめる。じっと、なにかを考えるように。
「兄さん、ごちそうさまでした。皿洗いよろしくお願いしますね」
「おう」
食べ終わった食器を置いて、台所を出る。そして自室に戻るために、階段を上がっていく。その時に、肩に乗っていたキュゥべえがふと、夏音に聞いた。
「仲が良いんだね、二人は」
「まあ、仲がいいほうだとは思いますよ、兄さんとは。それにーー」
そこで、菊名夏音は少し照れたように、笑いながら言った。
「兄さんを、私は尊敬してますから」