船花サチは、最初から船花サチだった訳じゃない。船花サチは、以前は
サチは、伯父に養子として引き取られ、三年前に名字がかわった。何故ならば、彼女が両親を殺したからだ。その願いによって、両親が死んでしまったからだ。
でも、別にサチは両親を殺そうとしたのではない。ただ、両親がいらなかっただけ。でも結果的にそうなったことで、サチはあらゆるものから解放された。香干サチが、船花サチになったことで、彼女は真の意味で欲しいものを手にいれ、あれほど羨望していた自由の身として飛び立てた。
でも、その願いは、本当に正しかったのだろうか。その願いは、呪いではなかったのか?自分は、あの二人を犠牲にしても良い人間なのだろうかーーああ、良い人間だ。むしろあんなのは、いない方がましだった。いつだって、あいつらは自分勝手だったのだし。
それに今のサチは、船花サチだ。“船花サチ”は、何をしても許される。船花サチは、香干サチじゃない。だから、両親を踏み台にして、幸せを教授していてもいい。何も知らない顔をして、好きなことをやっていていい。船花サチは何者にも、もう縛られないのだからーー
◆◇◆◇
「サチ、貴女の名前は私の名が由来なのよ」
そう笑ってサチの母、
「サチ、お前は私たちの自慢の子だ。私たちの、可愛い娘だ」
「うん、お母さん、お父さん」
サチは虚ろな目で答えた。アンタ達が自慢なのは、可愛いのは、私じゃない私でしょう、とは言わなかった。ただ、このままこの時間が過ぎて、終わってほしかった。
サチは幼いころから、虐待をされて育ってきた。でも、だからと言ってサチが親から暴力を振るわれてきたのかというと、むしろそういうことは一度もなく、怒られたことさえなかった。
彼女はただ、愛されていた。過剰とも言えるほどに、サチは父母から甘やかされ、色々なものを買い与えられた。お洋服、玩具、豪華な料理。欲しいものは、思いのまま。何でも、両親が与えてくれる。
でも、本当に欲しいもの、愛情だけは手に入らなかった。だって、両親が求めているのは、このありのままの自分じゃない。理想の娘だ。お行儀がよくて、誰よりも可愛くて、優秀で、素直で、わがままじゃなくて、謙虚で、それでいて元気がよくてーー従順な、馬鹿みたいに自分達に都合の良いお姫様だ。
両親は、お人形ごっこでもをするようにサチをひたすらに愛でていた。自分達の娘を誰もが羨む娘に育て上げ、そんな娘を愛することで、自分達がいかに幸せなのかを実感し、周囲に見せつけることに、香干夫妻は躍起になっていたのだ。
サチのその生活は両親が一からスケジュールをたて、徹底的に管理されていた。朝には必ず七時に起き、車で蘭ノ家学院の小等部に登校。学校が終われば、習い事やお出掛け。時には学校を平日の日に休んで、遠くまで旅行に出掛けた。夜にはこうして両親に寝る前に、ねっとりと絡まれた。
自分の将来も、すでに決まっていた。自分は大人になったら、海外の一流大学を卒業して、そこのセレブの妻になるらしい。両親はそんな夢物語をサチに毎日のように延々と聞かせ続けた。
正直言って馬鹿馬鹿しい。アホかと思う。そんなにうまくいくはずがないとサチは心の中で嘲笑していた。だいたい自分はそんな柄じゃない。セレブになんかなりたくない。お高い服も靴も、美味しいお料理だっていらない。全部見栄を張るための道具は必要ない。
それよりも、もっともっと船とか海とかを見ていたい。海を見るのは好きだ。どこまでもどこまでも広がって、果てが見えなくて、気が遠くなるのがとても良い。船に乗るのは最高だ。波を切り裂いて進んで、風を一身にうけるときが心地いい。
それらは自分を唯一両親から解放してくれるもの。サチにとっての自由とはそれしかない。サチは両親の愛情を欲しながらも同時に両親からの解放を望んでいた。
そんな相反するような感情に苦しみながらも、親に反抗しなかったのはきっと偽物でもいいから、愛してほしかったから。嫌われたくはなかったからだ。あの人たちに見放されたら、自分は誰からも見向きもされない。そうなったら、サチは一人寂しく孤独でいるしかなくなるのだ。そんな世界で生きるなど耐えられない。サチは自分から手錠ををはずすことが、どうしてもできなかった。
しかしある日の夜、一匹の悪魔が表れた。そいつはキュゥべえと名乗る魔法の使者だった。曰く、サチに魔法少女になるよう勧誘しにきたという。混乱し、現状を把握できなかったサチは聞き返す。
「……魔法少女?」
「うん。ボクは何でも一つだけ、願いを叶えてあげる。でも、その代わり魔法少女となって、キミは魔女と戦う使命を負うことになる」
「……………………」
何でも一つだけ、願いが叶う。サチはそれを心の中で何度も何度も、繰り返した。その言葉は、いわば手錠の鍵だった。この白い赤い目の猫はそれを目の前でぶら下げたのである。サチはもうそれだけで、魔法少女とかキュゥべえとかのあり得ないようなことを、すっかり信じこんだ。
「じゃあ魔法少女になったら、私はお母さん達から愛されるようになるの?」
「それは、どういう意味だい?キミはもうとっくに、二人から愛されているじゃないか」
「愛してなんかない!!あの人達が愛しているのは、私じゃない私、“良い子の香干サチ”っていう外面なの!!」
サチは気がつけば、そう怒鳴っていた。抑えきれずボロボロと、白い小動物に思いを吐露し続ける。
「私はもっと自由になりたい。そして、誰か私を私として、認識してほしい。ああそうだよ、親は私のこと、私として認識してないんだよ!!ふざけんな、道具じゃねえんだぞ、私は!!何が自慢の娘だよ。それは、テメエらの理想じゃねえかよ……」
「だったら、キミはキミの理想を叶えれば良い」
目を見開いた。そんなこと一度も考えたことなかった。予想外のキュゥべえの言葉に、サチの心が震えた。
「私の理想……」
思わず、サチは唾を飲んだ。そしてその魅惑に抗うことなく、考えることもなく、彼女は願いを言った。
「私は、今の家族を捨てたい。私のことを愛して、尊重して、ありのままに接してくれる、私の理想通りの親がほしい!!」
瞬間胸の辺りが熱くなって苦しくなった。サチはたまらず苦痛の表情を浮かべた。自分の中から何かが引き出されるような感覚のなか、目の前に浮かぶ光輝く宝石へと、手を伸ばす。
触れた瞬間その力は弾け、身を包んだ。素肌を包帯が覆う。布の面積が際どいセーラー服を着用し、頭には帽子を被った。いつのまにか、彼女は魔法少女の姿になっていた。戸惑うように、自分の服装を確認するサチに、キュゥべえは新たな魔法少女の誕生を祝福した。
「おめでとう、これでキミの願いは遂げられたよ」
「そうだ、願い………」
本当に願いが叶っているのだとしたら、今の両親はどうなるのだろう。今は一体どういう状態になっているのだろう。そしてどのような形で自分の願いは叶えられたのだろう。
いてもたってもいられず、サチはそのまま親の寝室へと足を運び、そしてそのドアを開けた。二人は部屋のなかで一つのベットで寝ていた。サチはそれでも構わずに、二人を起こそうと近づくと父親の肩を掴み、はっとなった。
「冷たい……?」
急いで、隣の母親の脈をはかる。しかし無情にも、心臓は動いていなかった。そんなはずがないと、二人に心臓マッサージを試みるもすでにそんなことは無駄だった。
その後は、目まぐるしいほどの早さで時間が過ぎていった。二人は脳卒中が死因であると判断され、近くの寺に埋葬された。親が死んで、身寄りのなくなったサチは、伯父の希望で彼の養子となることになった。そして名字が香干から、船花になった。彼女は、そうなることで理想の家族と自由な未来を得ることができたのだ。
でも彼女の心は晴れなかった。両親が突然死んでしまったのがショックだった、というよりも、自分が両親を殺してしまったという事実のほうが衝撃だったのだ。
人殺しがいけないことだとサチも分かっている。ましてや肉親を殺すなど、本来ならば死刑になるんじゃなかろうか、とサチは恐怖に震えた。願った夜のことが脳に何度も再生されては、新たな手錠となってサチを苦しめる。心ごと牢屋に閉じ込められたような気がした。
「何で、こんなことに……」
「それは、キミが理想の親を願ったからだ。でもそれがどういう形で実現するのかは言わなかった。だから、こんなことになったのさ」
「…………自業自得だってこと言いたいの?」
不機嫌そうに睨み付ける。しかし、キュゥべえは涼しい顔で首を傾げた。
「不満なのかい?」
「不満っていうか、何ていうか……」
「キミの望みは叶った。キミの新しい親は、キミが言っていた、本物の愛情を向けてくれているじゃないか。それにキミは強制された生き方をしているのではない。何もかもいいことじゃないのかい?」
確かに、何もかもいいことだらけだった。その事に、不満事態はない。だが、自分が犯した罪は、果たして許されるものなのだろうか。
こんな自分は、いてはいけないのではないのだろうかとサチはこのごろ考えていた。そんな娘を、養父は実の両親が死んで沈んでいると思っているらしい。明らかに気を使わせてしまっていて何だか申し訳なかった。
「そもそも、そんなに落ち込むこともないんじゃないのかい?キミは、もう“船花サチ”だ。船花サチは、自由なんだろう?」
「……私は、“船花サチ”。香干じゃない。自由になった、私…………」
自由になったということは、何でもできるということだ。そして、それはすなわち、何でも許されるということではないか?香干サチは、許されない。でも、今の船花サチならば?許される。何したっていいから。
だから、元の両親なんて、知ったことじゃない。自分を愛してくれるのは、あの人だけだから。
◆◇◆◇
「ま、そんなわけでこの船花様は魔法少女になったんだよ。いやあ、アホかっての、当時の私は」
「……船花は、魔法少女になって後悔してるんですね」
船花サチが話し終わると、夏音は俯きがちになってそう言った。
夏音はサチのことを軽い気持ちで魔法少女になったのだと誤解していた。しかし全然違ったのだ。そこには重い過去と苦しみがあって、夏音はそんなことを考えず勝手に決めつけてしまっていたのだ。そのことを今、夏音はとても後悔していた。いっそ申し訳ないと思うほどだ。
「そりゃあね、でもまあ魔法少女もそこまで悪いとは思わないんだよね」
「どうして…?命の危険があるんでしょう?」
魔女なんて怖いし殺されるかもしれないから、夏音は特別な理由もない限り、絶対に自ら魔女の元に近づかないだろう。それを毎日のようにやっているなんて嫌気はささないのだろうか。
「魔法が使えるってだけで、他の奴らよりもすごいし特別じゃん。便利だしちょっとのずるもできる。最高だよ」
「ああ、なるほど。言われてみればそうですね」
ずるはいけないが、特別というワードには惹かれる。魔女との戦闘を思い出す。あんな奴らと戦えるその力、常識じゃ測りきれない魔法。それがこの手の中にあったならと思うと心臓が高鳴る。もしかしたら、兄のような存在にだってなれるかもしれない。
「私よく授業で使ってカンニングしたりしてる。あとイタズラとか」
「おい、元お嬢様」
ジト目で睨むとサチはなんだよとでも言いたげに仏頂面になった。
「これでも外面は良くしてるっての」
「でも何でそんなことを?」
「どーでも良い奴ら多いし、そんな奴に本性見せるとかアホらしいもん」
「逆を言えば…、どうでも良くない人には本性を見せるのよね、船花ちゃんは」
入理乃が横からボソリと呟く。サチはムッとした顔になって、入理乃の頭を両側から握りこぶしでグリグリとやった。入理乃は痛い、痛いと言って逃れようとするが、サチは許さずこちょこちょの刑に処した。
「ちょ、やめ、ふふ、アハハハハハハ!!」
入理乃は堪らず笑った。入理乃は涙目になりつつ辛い辛いと言う。しかしどこか楽しそうだ。サチも笑ってふざけて脇腹をひたすらくすぐっている。
「…これってじゃれてるのかな?」
取り残された夏音に構わず、二人は笑い続けた。船花家に笑い声が響いて、サチの養父がギョッとなったのはまた別の話だ。