結局、三時間街を歩き回ったものの魔女は見つからなかった。もう遅い時間だったので、それぞれ帰路につくことにした。夏音とサチに別れの挨拶を述べた入理乃は公園へと足を運び、そのブランコに座って夕暮れの空を見上げていた。
「…………………」
辺りは静かだった。この世界から音が消失したみたいだ。唯一の音源は自分の心臓だけ。とくとく波打ちリズムが、不思議と心地いい。それがここにいるのは自分一人だよと教えてくれて、入理乃は酷く安心して溜息を吐いた。
入理乃は一人でいるのが決して好きではない。そりゃ一人で何か黙々とやることは好きだけど、ずっと孤独だったから結果的にそうなってしまっただけだ。入理乃は友達もおらず学校で孤立していて、家族とだって話さない。そんな生活苦痛以外のなんでもない。
でも人のいない空間は好きだ。だって、他人の目を気にしないでいられる。自分は自分として振る舞える。汚い人間のことなんて、この時ばかりは頭の片隅にポイと投げ捨てて、ぐしゃぐしゃにしてやれる。
「やあ、入理乃」
ふいに、静寂をぶち壊す声がして入理乃は不快になった。声の方を見れば白い体の契約者がそばにいて、その身を赤く染めていた。二つの影は斜めにのびて、そのシルエットを地に映す。
入理乃は真顔で、ブランコから降りた。そして、手に光を集める。紙でできた刺を握ると、腕力を強化。そうして入理乃はキュゥべえのーーその脳天に、いきよいよく腕を降り下ろした。
小動物の頭が貫かれ赤い鮮血が吹き出す。手には、ベットリと血がつき袖にも同様に赤くそれが付着する。しかし、そんなものは魔法でどうにかなるので入理乃は気にしない。突き刺さった棘から手を離して小動物の体を何度も何度も踏み続ける。
理屈じゃ説明できない思い、感情。それらが入理乃の体を勝手に支配して突き動かす。思いっきり足には力を込める。その胴体を踏む度に、まるですべての忌々しいものへの怒りを、この小動物にぶつけている気がしてどこか心の中が虚しくなっていった。
やがて息切れたたころに、視界のはしから一匹の獣がやって来た。それは紛れもなく、殺されたキュゥべえの姿。そいつは、原型がわからなくなるほどぐしゃぐしゃになった死体に近づいて、くしゃくしゃと食べた。そして食べ終わると目の前の少女に、抗議するように言った。
「ひどいじゃないか、いきなり殺すなんて」
「よく言うわよ。体を一つや二つ失っても、どうってことないじゃない。私達と違って」
通じないだろうけど、皮肉をあえて混ぜる。入理乃は遠慮なくまたもキュゥべえを踏んづけた。その表情は怒りと苛立ちで歪んでいたが、当のキュゥべえは無表情だった。
そのままサッカーボールを転がすように、軽く蹴り飛ばす。再び背後からキュゥべえがやって来る。入理乃は抵抗する隙さえ与えず素早くその首根っこを掴んだ。顔の高さまで持ってくると、紅の双眼を睨みつける。
「やれやれ、キミは相変わらず、ボクに対しては容赦がない」
困ったように尻尾をふるキュゥべえ。入理乃は冷たい視線を向けながら、自分で思っていたよりもずっと怖くて低い声で言う。
「私はどうしても許せないもの、自分の大切なものを壊すもの、そして、自分自身を脅かすもの、すべてが嫌い。お前はその全部に当てはまる。私はそういった者には容赦しないって、決めてるの」
「でも、それにしては、少し苛立っていないかい?もしかして、彼女が原因なのかい?」
「そうよ」
彼女はあっさりと肯定した。誤魔化す必要性がなかった。キュゥべえはどうせそんなことなんてとっくに最初から見抜いている。本当に厄介なことに。ああ、心の中で黒い感情が疼いている。まるで膿のようだ。今すぐ搔き出してしまいたい。
「キミは彼女をどういう風にするつもりだい?」
「それは、どういうこと?」
「彼女はキミにとって、目障りな存在だ。それを、キミがどうにかしない訳がないだろう?」
少女は何も答えない。そしてこんな存在とは話したくないとばかりに、パッと手を離して地べたに落とすと、それに思いきり紙の槍を突き立て殺した。
周囲を見渡すと生きたキュゥべえの姿はどこにもなかった。どうやらこれ以上の対話は無駄だと判断したようだ。入理乃としてももうキュゥべえと話すのは面倒くさかったので丁度良かった。
入理乃はキュゥべえの死体を掴むと、何の躊躇もなくごみ箱に放り込んだ。あの死体はどっちみちごみだし、公園にそのままにするのも気が引けたのだ。この場所を気に入っているので、キュゥべえがいるだけで嫌で仕方がない。
入理乃は一仕事終えて一人満足するとその場をあとにする。
「……インキュベーターなんか、いなければいいのに」
呟いた言葉は、誰にも聞こえない。真実を知る魔法少女は、憂鬱な気分で家へと歩いていった。
◆◇◆◇
早島市に存在する公立の中学校、早島中学校。その二年A組では、現在五時間目の国語の授業が行われていた。このクラスの担任でもある男性教師、畠山は黒板にチョークで文章の要点を書いていく。
早島市は見滝原の南に面する市だ。しかしながら、お隣の見滝原のように都市開発はあまりなされていない。
見滝原にある見滝原中では、最新式の設備が揃っている。その校舎も設備に見合うほど立派でクラスを仕切る壁はガラス張りになっているらしい。だが早島中学校はそんなハイテク設備もないしオシャレじゃない。予算がなくて建て替えられてない校舎は古くて木でできているし、むしろ一般的な学校よりも不便で劣る設備しかない。クーラーさえもなくて、夏は暑くて冬は寒い。
かつて早島市が炭鉱で栄えたころは、この校舎も立派な方だったらしいが、すっかりみずぼらしい。しかし人が見滝原や周辺の市に流れていき、それに伴って子供の数が減っている今でも、早島中学校は市内有数のマンモス校の座を守っている。
その生徒数も無駄に多くて、だからクラスごとの人数もそれなりにいた。二年A組の場合、人数は計三十名。男子が十六、女子が十四名で構成されている。そしてーー菊名夏音も、そのうちの一人だった。
「ーーであるから、彼は彼女に対して別れようと思ったのですね。そしてこの彼の台詞からその心情がわかります。つまりーー」
畠山先生が話を始める。しかし生徒達は、大半が眠そうな顔をしていてそれに耳を傾けていない。五時間目で今日の授業は終わりだが、この時間帯はかなり眠くなってくる。集中力などどこかに飛んでいってしまって、何人かの生徒に至っては隠れて寝ている。無論先生はすべてお見通しだったが。
しかし夏音は真面目にうける方だった。眠かろうが意地でも起きて先生の話をしっかりと聞いているので、怒られたことは一度もない。平凡な夏音は畠山からそこまで注目されていなかったが、真面目なことだけは評価されていた。夏音も真面目なところだけが唯一の褒められるべき長所だと思っていたので、より一層勉強には熱心だった。
しかし今日はいつものように授業に集中でなかった。前を向いたまま、時おり必要最低限のところだけ坂書をする。どうしても一昨日のことと、昨日のことが頭をよぎり、先生の話が耳から耳へ通り過ぎて脳には到達してくれない。
「…………………」
魔法少女、魔女。どちらも夢の中の出来事のようだった。本当にあんなものがいるなんて未だに自分で自分を疑ってしまう。ついこの間まで魔法少女を笑っていた。そんな存在いるわけがない、そんなものは子供っぽいし馬鹿馬鹿しいとさえ言っていた。
なのにーーそんなものが実在しているなんて。そしてまさか自分にその素質があるなんて思ってもみなかった。今も夢の中にいるみたいでいまいち実感が湧きにくい。
鉄塔の魔女と二人の魔法少女の戦いを思い出す。あの巨大な魔物に、華麗にとはいかずとも余裕に対処する阿岡入理乃と船花サチは、映画の中に出てくる登場人物のように現実味がなかった。計り知れない超越した力でこの世の悪と戦う彼女達はまさに正義の味方のように思えた。
でも、全然違った。彼女達はグリーフシードを得るために魔女を狩る魔法少女だった。そしてそんな魔法少女は珍しくはないと言う。人は結局のところ見返りを求めてしまうのだろう。冷酷なまでに人は人を切り捨てることができる。
だけれども全く夏音は彼女達のことを失望はしていない。そりゃあ、使い魔による人食いを放置するのは許せない。仕方がないとも思わない。でも彼女達はまだ二十も生きてない少女。夏音は経験したことがないから想像するしかないけど、そんな少女達が人に知られず魔女退治をし続けるのはあまりにもきつい事なのだ。あの二人のように利己的にもなる。決して魔法少女は、テレビのヒロインのようにきらびやかではない存在なのだろう。
でも魔法少女についてはもっと知りたいと思った。だってあんな化け物がこの世にいて、それと戦う魔法少女が存在するなんてこと、誰も知らないのだ。だったら自分ぐらいは知っておかないといけないのではないだろうか。昨日二人の願いを聞いて、そして魔法少女の世界の一端を覗いたことで夏音はそう思ってしまった。知らないことを知ってしまった今、このまま何にもないような顔をしているのはなんとなく居心地が悪いような気がした。
それにしてももし自分が魔法少女になったとしたら、一体どうなるのだろうか。きっと利己的な魔法少女になるのかもしれない。自分は自分で思っているほど正義感はない。兄のようになりたいけど、夏音は兄のように特別じゃないし優しくない。兄みたいに品行方正ではないのだ。やはりグリーフシード目的に魔女を狩り続ける日々を送るだろう。
その姿を想像しようと、夏音は頭の中で魔法少女の自分を描こうとする。しかしぼんやりとしたイメージさえもわかない。悪魔とか、大王になったときの妄想はいくらでもできるのに、魔法少女となると途端それができなくなったことに内心笑う。
正直に言ってしまえば、夏音は力には惹かれている。きっとその力を手に入れれば、平凡な自分なんて変えられるからだ。生活に不満もないし毎日充実しているけれど、飽き飽きしていたのも事実だ。魔法少女の力を見て以来、まるで喉が乾いたみたいに胸が燻っているのを感じる。きっと自分でも気づかない内に、抱いていた特別への憧れを刺激されたのだ。
けれど魔法少女になりたいかと訊かれたら首を振るだろう。魔女は怖いから、この命を対価に差し出そうとはどうしても思えない。自分が魔法少女になった未来なんて、訪れる可能性は皆無だろうーーそう、思った時だった。
頭に一瞬鋭い痛みが走ったと思ったら、突然に視界がブラックアウトした。聞こえていた畠山の声もどんどん遠ざかる。代わりに耳に飛び込んできたのは、何かの絶叫、破壊音。武器を振るったときに聞こえるびゅうと言う空気の音と、自身の息づかい。
気がついたら夏音は戦っていた。魔法少女として、戦っていた。
うねり狂う深海のような、青一色の結界の中。相対しているのは、空中に浮かぶ巨大な船の魔女。そして、直接魔女に乗りこんだ骸骨の使い魔達。そばにいるのはへたりこんだ阿岡入理乃。目を見開いたままその場からぴくりとも動かない。
船から次々と爆弾が砲撃される。それを夏音はハルバードをふるい、叩き落とす。そして、襲いかかる剣を持ったゾンビの首をまとめて刈り取り、近づいた魚の使い魔を蹴り上げ消失させた。
「すいません……!!」
そう言うと夏音は背後の少女の手を掴んだ。驚愕した顔の入理乃が口を開いた瞬間夏音は魔法を発動させた。入理乃が座る地べたに、魔方陣が生まれ、瞬間少女を飲み込む。入理乃の姿はまるで手品のように忽然と消えた。
夏音はその手のハルバードを悲痛な思いで握り直す。魔女が大砲の砲口をこちらに向け、火を吹き上げた。夏音は走って回避、同時にそのまま助走をつけて魔女の元に飛ぶ。船の上にいる骸骨が銃を向け狙いを定める。しかしその前にハルバードの柄を伸ばし甲板に使い魔ごと突き立て降り立つ。
そしてありったけの魔力を武器に流し、ハルバードを下へ下へいくように力をこめた。赤い魔力の渦が、切っ先を中心に巻き起こり魔女の体をえぐり徐々に破損箇所は広がってーーやがて魔女は粉々に粉砕した。
結界が壊れた。風景が揺らいで現実の世界へと戻る。夏音は空中で宙返りをして降り立つと先程目の前に現れた阿岡入理乃に歩み寄った。彼女は信じられないといったように夏音を見た。
「……うそよね。貴女、殺したの?」
「そうだよ。私が彼女を倒しました。貴女に代わって、彼女の命を、演目を終わらせました。こうするべきなんです。あんな劇には幕を下ろした方が良いんです。そもそも魔女を殺すのが私達の役目でしょう?」
その冷たい返答に、入理乃は固まった。そして次の瞬間泣き崩れた。それを夏音は悲しげな表情で眺めていた。やがて、入理乃のソウルジェムの輝きが黒に侵食されていった。
「嫌だ、イヤアアアアアアアアアアアアアアア!!」
絶叫。パキンと魂が弾けて絶望の卵となって孵化した。
魔女が現れて、結界が周りの風景を書き換えていった。入理乃の体は、中身が無くなって倒れた。抜け殻は人間の死体じゃなくてただのでかいだけの人形に見えた。
何でこうなるんだろう。目の前の生まれたての化け物を見て、夏音はそう思った。
また失敗してしまった。自分の力不足で。自分が特別じゃないから。今回もこうして最悪の未来に至ってしまった。次は失敗できない。変えて見せる。
変える。絶対に、変える。変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える。
だからーー演目を続けよう。
「ちょっと、授業終わったよ」
はっとした。ばっと横を向くと、友人の
夏音は先程まで何をしていたのかまったくわからなかった。記憶が不自然に欠落していて今の状況が理解できない。困惑した表情で順那の顔を見る。
「どうかしたの?具合でも悪い?」
「いえ、大丈夫ですよ。とうちゃん」
「もう、しっかりしてよね。さっきからずーとぼけーとしちゃってさ」
順那が困ったように笑う。それに夏音も曖昧に微笑した。と、あれ、という表情をした順那が、開いてある夏音のページを指差す。
「夏音、なにそれ?」
「……何ですか一体?」
「いいから、見なよ」
促されそのページを見る。そこには、大きな船のシルエットとそれに対峙する二人の少女が描かれていた。一人はハルバードを握り、一人はその場に女の子座りをしている。
ぞっとした。いつのまに自分はこんな絵を書いたのだろう。書いた覚えがない。似たようなことも見たことがない。でも、なぜだろう。見覚えがあると確信をもって言える。
ふと絵のはしに何かが書いてあるのを見つけた。それは、公園の絵だった。ぐしゃぐしゃに書いてあるが間違いない。その他にも見知らぬ言語でかかれた奇妙な字があったが夏音には、今はまだその内容がわからなかった。